隻脚少女のやりなおし   作:にゃあたいぷ。

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しおりの移動を確認するのが投稿後のひとつの楽しみ。


戦車、乗ります!⑤

 私、天江(あまえ)美理佳(みりか)は昔から苦痛を耐えるのは得意だった。

 ジャングルジムの頂上から足を滑らせて頭から落下した時、獰猛な犬が襲いかかってきて腕を噛まれた時、箪笥に小指をぶつけて爪が剥がれた時、そのどれもで私は悲鳴ひとつ上げなかった。激痛から声が出なかった。ということもあるが、なんというか耐え切れてしまうのだ。自らの異常性を確かめる為に、カッターナイフの刃を肌に沈み込ませるようにずぶずぶと押し込んだ時も痛みは感じたが、やはり私は刃を体内に何処までも沈める事ができた。

 私は自傷行為に対して忌避感がない。幸いにも私は倫理観とかはまともだったので、自分の異常性については理解していたし、自傷行為が周りに与える影響も分かっていた。だから時折、発作的に自傷行為に身を委ねたくなる点を除けば、私はそれなりにまともな生活を営むことができた。

 私は、自分という存在が希薄だったように思える。

 私が抱える異常性は、決して周りからは理解されないものとして理解していた。しかし私は自分でも自分のことを理解していなかった。自分に興味を持てず、価値を見出せず、何処か他人事のようで、だからこそ私は自傷行為に対するリミッターが外れているのだと自覚する。そんな自分自身のことすらどうでも良いと思っているような奴が、自分以外の誰かに興味を持てるなんて考えてもいなかった。私は私を大切にする事はできない。道徳的に、倫理的に、放っておくと気持ち悪いから、そんな理由から誰かを助ける事はあっても、誰かを大切に思う事はない、と信じていた。

 きっと私はチョロい、と呼ばれるような人種だ。

 優花里と出会った日から私は、自分の事を大事にしようと考えるようになった。優花里は私の事を大切に思ってくれるから、私もまた大切にしなくちゃいけないと思うようになった。未だに私の異常性が鳴りを潜めることはないが、それでも意識して自傷行為はしないようにと心掛けてる。今までのような、なんとなしに、とか、周りから気味悪いと思われるから、とか、そんな理由ではなくて、もっと明確に私は自ら進んで自分を傷付けてはいけない、と強い意思を持つようになった。

 だから今の私は自分の事を傷付けないようにしている。

 なるべくだけどね、なるべく。

 

 

 ショットグラスに注がれた赤色の液体。まるで真紅の鉱石をそのまま液体にしたような光沢を放っている。

 それらが私、五十鈴華の他、天江(あまえ)美理佳(みりか)。そして相手のリーダー格の女の前に置かれていた。刺激的な香りがする、その攻撃力は今、尚も牛乳で舌を休めている秋山の様子を見ればわかる。ゆっくりと深呼吸、覚悟を決めて、ショットグラスを手に取り、ひと息に飲み干した。想像以上の辛さに舌が痺れる、喉が焼ける。空気を吸い込むだけでもヒリヒリする劇物を、天江は眉ひとつ動かさずに飲み干し、次いで仲間内から親分と呼ばれる女が呷る。まだ一杯目、新たなショットグラスがカウンターを滑って、私の手元に届けられた。天江は受け取ると間髪入れずに飲み干す。空になったショットグラスを静かに置くと私と親分を一瞥した後で「おかわり」と平然とした顔で告げる。これには親分も息を飲み、赤毛のチリパが「うひょっ」と声を漏らす。天江の手元にショットグラスが届けられる。それを見て、遅れを取らない為にも私と親分がハバロネクラブを呷った。喉が燃えるように辛い、既にこの段階で少し意識が眩んできた。そんな私を見て、天江は嘲笑うような笑みを浮かべて赤い液体を飲み干した。

 嫌な汗ひとつ流さない彼女の姿に、ある種の絶望を感じ取りながら意地で続く一杯に口を付ける。

 するとまた一杯、天江はペースを落とすことなく赤い液体を飲み干すのだった。

 

 

 BARどん底。それは皮肉と洒落を利かせた名前だと自負している。

 此処に訪れるような人間にまともな奴はいない。成功というレールを足を踏み外した人生の落伍者、不良のレッテルを貼られた者達が集う安息地。此処は船底という意味でどん底であり、人生という意味でもどん底の場所だ。こんな場所で私がバーのマスターを気取っているのは、(ひとえ)に私が愉悦趣味に浸っているからに過ぎない。

 地上では得られない刺激的な話の数々、アンダーグラウンドとも呼べる環境で、バーの雰囲気に惑わされて零す下世話な話。愚痴に(かこつ)けて語られる裏事情、バーテンダーは語らない。御客様の御言葉は墓まで持っていくから誰も彼もが安心して雰囲気に酔って秘密のひとつやふたつをポツリと零す。そんな怠惰的で、退廃的で、堕落的な話に耳を傾けるのが私は好きだった。ついでに云うと馬鹿騒ぎも好きってもんで、あんまり自分を騒ぎの渦中に置きたくないが、身内が馬鹿をしているのを眺めるのは好きだった。

 今もほら増え続ける空のショットグラス、三人娘がふらふらになりながら激辛ラム酒を呷る姿を見ているのは楽しかった。

 

 

 ショットグラスに注がれたハバネロクラブ。もう五杯目になるそれをひと息に飲み込んだ。

 ただひたすらに凶悪な辛さに味覚は失われ、舌は勿論、唇までヒリヒリと痺れていた。喉はもう燃え盛るように熱く、胃の奥はぐつぐつと煮立っている。それでも耐え切れてしまうのが私だった。自傷行為に躊躇せず、もう一杯、と指先でトントンとカウンターを叩けば、新しく激辛ジュースが注がれたショットグラスが手元に送り込まれる。もう声を発することもできない、辛いものに耐性のない私は二杯目辺りから声を失っていた。そんな状況であっても私は躊躇なく、次の一杯を呷る。ピロシ・キ、ピロシ・キ。そんな声が脳内で反響する。もう一杯、胸いっぱい、それでも呷る。次なる濃縮された赤色の絡みを胃に流し込んだ。

 ひたり、ひたり、這い寄る限界に耳を傾ける。ちらりと後ろを見て、心配そうに私を見つめる優花里の姿に気を引き締め直す。そして表情は変えず、辛いだけのジュースを飲み干した。

 ちょっと拙い、意識が朦朧としてきた。

 

 

 最初に限界が訪れたのは親分と呼ばれていた少女、限界を超えて挑んだ一杯に敢えなく撃沈してしまった。

 残る相手は天江(あまえ)美理佳(みりか)、ただ一人だ。未だ眉ひとつ動かさないポーカーフェイス、トントンと指先でカウンターを叩いてお代わりを催促する。そんなことを繰り返して、十杯目。目が霞んできた。それでも今、負けるわけにはいかない。と漠然とした使命感から集中力を取り戻す。更に一杯、もう一杯と互いに飲み干した後で、ポタリと一滴の汗がカウンター席に落ちた。それは額から嫌な汗を滲ませる私ではなくて、今まで微動だにもしていなかった天江のものだった。その場で蹲り、口の端から垂れる赤い液体を拭い取る。震える体、軽い深呼吸をしながらゆっくりと持ち直す。目はまだ死んでいない、不敵に浮かべる笑みでショットグラスに手を伸ばす。が、しかし、手は小刻みに震えており、上手く持つ事ができないでいた。

 

「お代わりを」

 

 凛と背筋を伸ばして、新たに送られたショットグラスに狙いを定める。集中する。攻めるは今、勝機は今、両手を伸ばし、最初から変わらぬ動作で一気に飲み干す。視界の端で天江の口の端が引き攣るのが分かった。――トン、とカウンターに空のショットグラスを置いて、小さく息を吸い込んだ。

 

「お代わりを」

 

 天江の目が僅かに見開かれた。こふっ、と赤い液体を吹き出す。

 彼女は何食わぬ顔で口元を拭い取ると、手を震わせながらハバネロクラブへと手を伸ばした。握られたショットグラスがカタカタと揺れる。表情に変化は少なく、異常な量の汗を流し続けていた。どうして彼女はそこまで頑張れるのでしょうか。ふと湧き上がる疑問、それは彼女の為人に対する興味であり、純粋な好奇心でもあった。まだ勝負を諦めない彼女の手に、バーテンダーがそっと手を添える。天江は不思議そうに見上げた、そんな彼女にバーテンダーはゆっくりと首を横に振る。

 ふっと天江は力なく微笑み、ガクンと前のめりに倒れ伏せる。

 カウンターに流れる赤い液体、ビクンビクンと痙攣する小さな体。慌てふためく秋山と溜息を零すバーテンダー。この状況に不良達は誰一人、茶々を入れるような真似をしなかった。「大丈夫?」と気遣ってくれる幼馴染みに「体が熱くなってきました」と返しておいた。

 私が勝負に割り込んだのは、ちょっとした意地が大半を占める。

 

 なんとなし、の部分を言語化することは難しかった。

 

 

 カツカツという足音が廊下に反響する。

 体が揺すられている、なにかにしがみ付いている感覚があった。いや、これは背負われているのだろうか。前面に感じる温もり、両足を手で抱えられており、いわゆるおんぶをされている。嗅ぎ慣れた匂いから目を開けずとも、私を背負う彼女が誰なのか理解する。優花里、と話しかける。返事が返って来ない。おかしいな? と思って、目を開けると想像した通りの人物の横顔があった。優花里? と改めて問いかける。しかし、優花里は口先を尖らせた、むすっとした顔をやめてはくれなかった。

 つまるところ、これはあれだ。彼女はとても怒っている。

 

「その……なんだ、怒らないで欲しい。私も負けるつもりは……」

 

 じろり、と睨み付けられた。どうやら間違えてしまったようだ。口を閉ざして、少し考えて言い直した。

 

「うん、ごめん。熱くなりすぎた」

「……本当です」

 

 言葉は間違えなかったようだけど、許してはくれないようだ。

 胃がキリキリと締め付けられるような重苦しい空気の中、カツカツと歩く音が廊下に響いた。壁や床が荒れている様子がないことから船底は脱した後のようだ。私達の背後に続く足音が二つあり、おそらく五十鈴と武部のものだろう。ふと背後からピロリンという電子音が鳴り響いた、写真でも撮ったのかな? こんな場所で写真を収めたくなるような光景なんてものはない。ヴヴヴという振動音、優花里が私の体を片手に持ち直し、スマホを器用に取り出して操作する。後ろから覗きみれば、Line画面。どうやら写真が送られて来たようで、そこには秋山の背中にしがみつく私の姿があった。いや、それだけなら構わない。くいっと画面を上にズラせば、つい先程まで気絶していた私の顔が写っており、BERどん底では膝枕をされている姿も撮られていた。思わず、真顔になる。「えっと、優花里さん?」と思わず、さん付けで呼び掛ける。

 どうしたものか、これは流石に恥ずかしすぎる。後ろを振り返れば、武部が良い笑顔で手を振っていた。

 

「……それを、消してくれないかな?」

 

 優花里の反応はない、無言でデータをネットに移している。少し間を置いて、ちょっとだけ猫撫で声で付け加えた。

 

「その、なんだ……優花里以外に、見られるのは嫌かな?」

「……もう仕方ないですね」

 

 優花里は武部へURLを貼り付けると直後、武部の悲鳴が上がった。それから優花里の行動は早く、画像フォルダから私の顔の写った写真を完全に削除。その権限を武部へと返す。

 

「あ、戻った……って、あれ!? 写真、全部消えちゃってる!?」

 

 驚く武部とは裏腹に優花里は満足げに笑みを浮かべる。

 結局、優花里が所持している分の写真は消して貰えなかった。時折、嬉しそうに私の写真を見ている時があって、なんというか、まあ。うん。優花里が幸せそうでなによりです。

 ちなみに戦車の方は新しく見つかったようです。

 Mk.Ⅳ戦車。通称、菱形戦車。ちょっと古い戦車だけど、それも使いようだ。

 

 

 

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