出逢いと懺悔
「なるほど、なぜ上手くいかないか分からないことが分かった」
山積みになった本やら走り書きのメモやらで足の踏み場もないほど埋め尽くされた薄暗く黴臭い部屋の一角で蠢いた小さな影は、何やら深遠な哲学めいたことを呟いた。
それからソレは手元に持っていた細々とした機器を放り捨てると、座椅子代わりにしていた稀覯本の山に転がって苛立ちを隠そうともせず頭を掻きむしり、暴れた。
キュビズムをかくやと言わんばかりに身体を捻って全身で苦悶を表現するソレはよく見れば美しい少女のようであった。
歳の頃は十代前半だろうか、未成熟な四肢は軽く握れば手折れてしまいそうなほど細く、シミ一つない白磁の肌を惜しげも無く晒す彼女の姿はその気がない人間でも倒錯的な思考へ誘ってしまいそうな程に幽鬼的な妖艶さを醸し出している。
しかしながら彼女の気性だろうか、身嗜みを整えることを随分と怠っているようで、蚕の紡ぐ絹を思わせる流麗な銀の髪束は見事なまでにボサつき、精巧な人形の造詣を思わせる完璧な美貌を誇るはずの色白の細面は朝から洗っていないのだろうか、青白い。
誰がどう見ても本来その少女が備えている筈の絶世の美貌は著しく損なわれていた。それでもなお、思わず振り返ってしまいそうなほどの美しさは健在だが。
唐突ではあるが、彼女には前世の記憶というものが存在する。
なぜそんなものが存在するのか、特にこれといった理由で彼女に思い当たる節はなかった。生きものがなぜ生まれてきたのかなんてことに答えられるやつがいるなら分かるかもしれないが、少なくとも彼女は違った。
寧ろ理由なんてハナからないというのが彼女の見解であった。神の気まぐれというやつだろう。とどのつまり、推測に足る根拠もないことを永遠に考えていても時間の無駄だという事だ。
その前世の記憶にしたって彼女にしてみればさほど重要性のあるものでもない。
しょうもない人間が、しょうもないことを考えながらしょうもない人生を送り、しょうもなく死んだというだけの淡白な記憶。
それが彼女の人格形成に深く関わっていること以外はこれといって特別なものでもない。寧ろ忘れたいことの方が多い。消せるもんなら消したい。
だが一人の人生を鮮明に綴った記憶の追体験は彼女の人生を籠絡し、強迫観念に近い目的を抱かせるに至った。
彼女はそれを果たす為にこうして日夜、膨大で難解極まる文字の海に沈んで研究に耽っていた。
閑話休題。
いつまでそうしていたのだろうか。本の上で寝転がって無為に戯れていた彼女はふと覚えた空腹を自覚すると、頭を抱えるのをやめて起き上がった。
「.........飯にするか」
食事を疎かにするほど彼女は切羽詰まっていない。
以前はそれくらいのことは平気でやるくらいには研究熱心ではあったが、今はそこまでやる気にはなれない。
理由としては研究が行き詰まっていて時間を掛けても相応の成果を得られなくなったことと、効率を考えれば寧ろ休憩を挟んだ方がいいと気付いたからだ。
凝り固まった思考力をクリーンにするのもそうだし、何より頭を使ったので甘いものを脳が欲している。
さて、何を食おうか。そうやって思考を巡らそうとして、
「はぁ、またか」
と、少女は窓の外を見遣りながら呟くと、そそくさと玄関の方へ向かう。
コートスタンドから少女が着るにしてはやや大きすぎる黒ずくめの外套を手に取って羽織り、そのまま扉を開け外に出た。
既に昼時だというのに、そこは一寸先も見通せないほどの深い霧に覆われていた。標高の高い山岳地帯であればままあることだが、それとは違い、これは人工的なものだ。
結論から言ってしまえばこれは少女の生み出した霧であった。人払いも兼ねているがそれ以上に、"外"からの監視対策に敷いたものでもあり、接近する存在を知覚するための鈴縄でもあった。
霧の水滴一粒一粒がそれらを生み出した少女と魔術的な繋がりを形成しており、何かしらと接触するとその情報をフィードバックとして彼女に返す。今回それに何かが引っかかった。
ああ、やっぱり。
自宅近辺に張り巡らせた探知魔法に人が引っかかったのを感じて来てみれば、やはりといかそこには小さな人影があった。
濡れてぬかるんだ地面に伏して、荒い呼吸を繰り返すソレは見れば随分と年端もいかない子供のようであった。
実際、よくあることではある。
少女の棲むこの山奥の近辺には人里はなく、また魔女が出るとかいう噂のおかげなのかこの辺りは姥捨山みたく扱われており、要らなくなった人やらを置き去りにしていく輩は少なくない。
見ればこの少年も随分とみすぼらしい格好をしている。頬骨が浮き出てるところを見ても食事すらまともにとれていなかったように見えた。生傷だらけの彼の裸足を見るに靴も履かずにこの獣道を歩いてきたのだろう。
何処ぞの奴隷か何かだろうか。まともな扱いを受けていなかったことは確かだが。
兎にも角にも、このまま放っておく訳にもいくまい。そう考えて少女は少年をその細腕で危なげなく持ち上げると、服が泥で汚れるのも構わずそのまま肩に担いだ。
少年が年相応に小柄であることを加味しても少女が担ぐには荷が重いようにも思えるが、一応カラクリはあることにはある。
魔法。そう呼ばれる技術がこの世界にはある。一口に魔法と言っても様々なものがあるし、少女の前世の知識とは違って制約やらなんやらが矢鱈と多くてなんでも出来るわけではないが、それでもこうやって人を軽々と抱える程度のことは苦もなく出来る。
とどのつまり少女は魔法使いであった。
どう考えても先の話の魔女とは彼女のことである。それを自覚していて、どうやら人がここに放棄されていくのは自分にも責任があるようであるから彼女は度々こうやって得にもならない人助けをやっている訳であった。
*
「ふひぃ、疲れたァ」
ソファにどっと倒れ込むように身を預けると、少女は盛大に溜め息をついた。
思ったよりも疲れた。運ぶの自体は苦にもならなかったがそこからが大変だった。
先ず、先程の少年はかなり弱っていた。道端で倒れてるのだからそれは当たり前なのだが、その原因が栄養失調や脱水症状に起因するものだからただ休ませればいいというものでもなかった。
意識のない人間の口元に食い物やら水やらを持っていっても飲み込む訳が無い。点滴があれば楽だったのだろうが、そんなものが家にあるわけもない。
結局、魔法で流動食を操作して無理矢理少年の体に流し込むことにしたがこれが大変だった。なにしろ途中で変な器官に入ったりしたら困る事になる。外の霧と同様のものを少年の体内に突っ込んで、そこから体内の構造を把握しながら慎重に流動食を突っ込んだ。かなり繊細な作業を要求されたためか精神的な負担が凄まじく、そのツケをこうしてダラけることで払っている。
(相変わらず、何やってんだろうな私は)
王国を追い出されて以降、この誰も訪れぬ庵に身を潜めるようになってそれなりに時間が経つが、それからこれといった成果も上げられず、偶に迷い込む連中を助けるだけの時間が続いている。
研究の成果に時間が掛かるのは仕方のないことだが、後者については本当に無為な行いだ。感謝されることはあるが稀に罵倒や暴行を受けることもある。割に合わない。
それでもこうして助けてしまうのは見捨てるとあまり良くない気分に陥るのが分かってるからだ。つくづく損な性格だと思う。
にしても、子供が迷い込むとは珍しいな。
そう思ってこの家唯一のベッドを占領する少年を端目で見やる。随分と落ち着いたようで、規則正しい寝息を立てて熟睡しているようだ。
ふと懐かしい思いを抱かされた。なんだったか、見覚えのある。あぁ、そういやアイツもこんな顔してた時期が____。
瞼の裏でいくつかの情景がフラッシュバックされる。懐かしい顔、顔、顔。どれも自分に向かって同じ笑顔を向けていた。そして忌々しいあの記憶も。
「最悪だ」
顬を押さえて天井を仰ぐ。あれからかなりの時間が経っているというのに未だに引き摺っている自分がいる。未練がましい。反吐が出る。
納得した筈だ、自分には救えない命だと。納得した筈だ。何故今更後悔なんて。
そうやって自分に言い聞かせていると、背後の気配が呻いた。振り向くと、先程まで寝ていた少年が薄らと目を開け始めているのが見えた。
「よお、目が覚めたか」
いつぞやも同じことを言ったことが思い出されて、嫌な気分になった。