ベルは清潔なベッドの上で目を覚ました。
泥のような倦怠感に浸っている頭が一人の少女の姿を浮かび上げた瞬間、弾かれたように起き上がろうとする。
が、激痛で起き上がれない。
ベルの体と……命へのダメージは深刻なレベルにまで蓄積されていた。
あれからどうなって、リリは無事なのか、女神様にお礼を言わないと、それにここは何処だろう、と最後の記憶を引っ張り出して現状の把握に努め始めたところで、ベルは痛む首を無理やり動かして周りを見る。
そこは白を基調とした空間だった。
白い天井に、白い床に、白いベットに、白い扉。
ベルの右手側にある窓の白いカーテンは柔らかに風に揺れて、ゆらゆらと優しい陽だまり揺らがせている。
見たことのない場所だった。
当然、来たこともない。
目が覚めたら知らない天井があった、なんてちょっとしたホラー体験である。
しかし、体の感触からどうやら治療をされていることは理解できた。
治療をされているということは、体が回復の過程に向かっているということだ。
少しでも回復できているのなら、その前に死にかけの状態で動いていたのだから動けないはずがない。
リリの無事を確かめないと、とベルは気合と根性で立ち上がろうとした。
「クラネルさん、目を覚ましたか──何をやってるんですかああああああああああああああっ!!?」
立ち上がるなと涙が出そうな激痛で訴えてくる体を意志でねじ伏せて起き上がりかけたとき、ガラッと扉を開く音と共に少女の高い絶叫が響く。
「重傷者は大人しくする!! そうしないと治るものも治りませんっ!!」
可愛らしい顔立ちに修羅の形相を浮かべた少女が、抑えつけるような勢いでベルをベッドに再度寝かせた。
その手に労るような優しさがあって、その顔に動いたらベッドに縛りつけるという断固たる意志があった。
勢いに呑まれかけたベルが一旦思考停止してされるがままに。
キチンと安静に横にされた後で、リリの無事を確かめないと、とまた動こうとしたベルを優しく抑えつけながら、少女は呆れたようなため息と、好ましいものを見るような目で言った。
「小人族の少女も、ヒューマンの男性も無事ですよ。怪我も全て治しました。……貴方が一番危なかったんですよ。改めまして、おはようございます、クラネルさん。随分と知りたいようですし……このまま動こうとされても困りますので、差し支えなければ私からお話ししましょう。貴方が眠っていた三日間の話を」
そうして、アミッドと名乗った少女の口からベルはザニスとの死闘からの、自分が眠っていた三日間を知る。
事の発端、ベルが【ソーマ・ファミリア】の一部と衝突したのは、リリを残虐に痛め付けるカヌゥたちを目撃した事だ。
ベルの中の正義がそれを見なかったことにする事を許さなかった。だからベルはリリを助けたいという一念のみで、己の限界すら超えて【ソーマ・ファミリア】の団長、Lv.2の冒険者であるザニスを打ち倒すという偉業を成し遂げた。
一連の出来事を簡単にまとめるとこうなる。
ベルは死力を尽くしたし、身体的にも精神的にも何度も叩きのめされ、その度に正義の炎を燃え上がらせ不屈の精神で乗り越えてきた。ベルが諦めていれば、恐らくリリはもうこの世にいることはなかっただろう。
だが、これはあまりにも杜撰な過程を辿ったと言わざるを得ないものであった。
ベルが見落としていたのは、潜在的なリリの敵の数だ。
ベルはサポーターという存在がどのように扱われているか詳しくは知らない。
リリを探してオラリオ中を駆けずり回っているときに、どうやらサポーターというのは冒険者たちに明確に蔑まれているという認識はあったが、その程度だ。
つまり、ベルはザニスやカヌゥたちを何とかすればリリの不幸が終わると考えていた。
大間違いだ。
リリは盗人だ。盗みによってファミリアを脱退するための大金を稼いできた。
リリが盗みによって得たお金の総額と、リリを恨む者たちの数は比例する。
リリはリリの行いの結果として、このオラリオに少なくない敵を作っていた。
さらに、リリにとって【ソーマ・ファミリア】の構成員は全て敵である。
ザニスとカヌゥたちだけではないのだ。
仮にザニスとカヌゥたちが暴力を用いてリリからヴァリスを奪うことをやめても、また別の誰かが同じことをするだけだろう。
ベルは【ソーマ・ファミリア】を知らなかった。『神酒』を知らなかった。
リリを本当の意味で救い出すには、ベルが挑むべき相手はザニスではなく【ソーマ・ファミリア】そのものだった。
この点において、ベルは決定的に間違ってしまっていた。
そして、そんな子どもの間違いを大人たちが正した。
【ソーマ・ファミリア】は神酒に取り憑かれ、神酒を飲むために手段を選ばずに金を集めるファミリアである。
手段を選ばずに、だ。
【ソーマ・ファミリア】の団員たちの行き過ぎた行動は明確にオラリオの治安を乱していた。
そんな存在を、オラリオの治安維持を担うギルドが無視したままにしておくはずがなかった。
ギルドの【ソーマ・ファミリア】の担当職員は神酒により情報の改竄や真実が明るみに出ないように手を回していたが、【ソーマ・ファミリア】の団員たちの悪質な行為はもうすでにそれだけで抑えられる段階ではなくなっていたから。
ギルドの一部の職員……胸に正義を秘める者たちは【ソーマ・ファミリア】を一斉検挙する機会をずっと窺っていた。
そんな折に降って湧いた七階層のキラーアント大量発生、【ソーマ・ファミリア】の構成員である人によるリンチの痕がある少女と、死にかけの少年と体の傷からその少年に倒されたと見られる【ソーマ・ファミリア】の団長という情報。
事情を聞きにきたギルド職員に当事者である少女が全てをぶちまけ、こうして証拠と裏どりが瞬く間に集まり、【ソーマ・ファミリア】一斉検挙の機会が巡ってくることになる。
そうやって。
【ソーマ・ファミリア】という酒に魅入られた者たちによる悪意は一先ずの終わりをみた。
ベルの知らないところで、ベルが知りようもない"大人たちの戦い"によって終わった。
ただ倒せば終わるわけではない。
【ソーマ・ファミリア】はそういう悪意で、リリを助けるということ以外何一つ考えてなかった世界を知らないベルの後始末を、陰ながらずっと戦っていた大人たちの正義が終わらせた。
「……と、こんな感じです。何か質問はありますか?」
説明を終えて問いかけるアミッドに、ベルは答えることが出来なかった。
ベルの頭の中では自己嫌悪が渦を巻いている。
甘かった。
あまりにも甘かった。
キチンと考えているようで、ベルは目の前のこと以外何も考えられていなかった。
正義が悪いやつをやっつけたら全てが解決してハッピーエンド。そんなものはお伽話の中にしかない。
ベルに出来たのは死ぬ運命にあったリリの命を拾い上げることだけだった。
「……何を思い悩んでいるのかは分かりませんが。貴方は確かに二つの命を守りきりました。私に繋げました。それはとても素晴らしいことだと私は思います」
だが、アミッドはそれこそを肯定する。
全ては命があるからこそ。
ベルは本当の意味でリリを救うことこそ出来なかったが、リリの命を守ることは出来たのだ。
それはベルが諦めなかったからこそ掴んだ『未来』だった。
絶対安静ですよ、と念押しをしてアミッドは病室を後にする。
入れ替わるように病室にアストレアが姿を見せた。
「ベル……っ!!」
目を覚ましたベルを見たアストレアは目を見開いて手に持っていた見舞品を落とし、優しく、しかし力の籠もった包容をした。
「ごめんね……ベル……ありがとう……戻ってきてくれて……ありがとう……っ!」
頬を伝う雫はなかったけど。
ベルには、アストレアが泣いているように見えた。
凛としたアストレアの常ならざる姿に驚いて、何とかしなければいけないと慌てて、ふつふつと湧き上がるアストレアにこんな想いをさせたという罪悪感。
やがて体を離したアストレアはいつも通りの凛とした雰囲気を纏っていたが、ベルは直感的にそれを取り繕っていると感じた。
何かに触発されて鮮明に顔を覗かせた悲しい記憶を呑み下したような、そんな気がした。
「目覚める前のことはもう聞いたの? ……なら、私が話すこともあまりないわね。……怒る? どうして? ……ベル。確かにベルはあの少女を本当の意味で救い出すことは出来なかった。考えなければいけない事はもっといっぱいあって、他に手段もあったでしょう。でも、思い出して。ベルは悲しんでいるあの子を一人にさせたくないからその手を伸ばしたはずよ。そして、伸ばされた手を掴んで離さなかった。胸を張りなさい。ベルは──己の正義を成し遂げたのだから」
それに、とアストレアは続ける。
「子どもに至らないところがあれば、それを埋めるのが親である私の役目。ベルに出来ることがあれば、私に出来ることもある。……あとは全部、任せなさい。お疲れ様、ベル。……頑張ったね」
優しく頭を撫でられて、ベルは泣きそうになった。
じんわりと熱くなった目頭をゴシゴシと擦って、ベルは男の子の意地でそれを流さなかった。
動かした体の痛みでまた目頭が熱くなって、今度は上を向いて耐えるベルを、アストレアは温かな微笑みを浮かべて見守っていた。
一息ついて落ちつきを取り戻したベルは、気になって仕方がなかったことをアストレアに尋ねる。
無事なのはアミッドの口から聞いていたが、どうしても早く会いたかった。
会って、話がしたかった。
これからいっぱい時間をかけて、お互いのことを知っていくのだと決めていたから。彼女のことを知りたかったから。
彼女のそばにいてあげたかったから。
アストレアは一瞬口を噤んで、けれど正義を宿した瞳でベルを真摯に見つめ、言った。
「あの小人族の少女は──」
それを聞いた瞬間、アストレアの制止を振り切りベルは病室を飛び出した。
☆☆☆
突き抜けるような青空の下を何台もの荷車が通っていく。
明後日に控えた怪物祭の……祭りの空気を感じさせる街は弾むような特有の高揚感がある。
誰も彼もが活気に満ち溢れ、『未来』に向けて笑顔で歩いていた。
そんなオラリオの様子を、リリは外壁の上からぼうっと見つめていた。
「……ま、そうなりますよね」
呟かれた言葉に特に意味はない。
特に意味はない独り言だった。
「牢行きですか……。これでリリも名実ともに悪人になっちゃいましたね」
懲役刑。
それが、リリの償う罪の重さだった。
ダンジョンから治療院に運ばれたリリは、アミッドの回復魔法により程なくして意識を取り戻す。
リリを運んだ冒険者たちから現場の状況を伝え聞いたギルドは、その冒険者たちへの信頼もあり即座にこれを準異常事態と判断。
目を覚ましたリリに詳しい話を聞きにきたギルド職員に、リリは洗いざらい全てをぶちまけた。
全てをだ。
【ソーマ・ファミリア】の実態を。
ザニスの悪事を。
構成員たちの犯罪紛いの集金活動を。
そして、己の罪を。
リリには自分のことは隠して伝えるという選択肢もあった。
あったが、リリはそれを選ばなかった。
リリは罪を償うことを選んだ。
リリは冒険者をクズだと思っている。
彼女の人生がそれを確信する根拠を与えている。
リリは冒険者が大っ嫌いだし、サポーターの自分からあらゆるものを踏みにじり奪っていった冒険者たちには悪感情しかない。
そんな奴らに対して罪を償う?
冗談ではない。
過去のリリなら中指を突き立ててクソくらえだと吐き捨てるだろう。
なら、それをしなかったということは、リリの中で明確な変化が生まれたということ。
「……」
自分の手をじっと見つめる。
その手には拭きれない罪の感触がこびり付いている。
今まで散々盗みをやってきた薄汚い小さな手。その中でも、ダンジョンの十階層でベルを刺した、人の肉に刃物が突き刺さるあの感触が、ずっとリリの手に残っていた。
途方もない罪悪感がリリの胸を締め付ける。
なんて事をしてしまったんだと、心臓が潰れてしまいそうな自己嫌悪。
ベルはきっと『気にしないで』と笑って流すだろう。でも、だからこそリリは自分で自分を許せなかった。
それだけじゃない。
リリを想い手を伸ばし続けたベルに、リリは目を覆うような行いをし続けていた。
罪を重ね続けていた。
「……こういう死にたいって気持ちもあるんですね」
残酷な世界に打ちのめされ、消えてしまいたいと思い続けていたリリは、自らの行いを恥じるという視点に初めて立った。
謝りたいと思う自分がいる。
謝って許される事ではないと思う自分がいる。
ベルなら許してくれると期待する自分がいる。
そう考える事を嫌悪するリリがいた。
正義とは何だろうか。悪とは何だろうか。
どちらも多様な概念を含む。絶対的に正しくこうだと説明できる者など、世界に一人としていないだろう。
正義の女神であるアストレアの語る正義でさえ、それは『アストレアの正義』でしかない。
個人によって正義の意味も、悪の意味も変わる。
ならば、『リリルカ・アーデの悪』とは一体なんだろうか。
それは、ずっと最初から。
リリの胸の中の罪悪感が、ずっとずっと、リリに訴えかけていた。
冒険者はクズである。リリはそう確信している。
冒険者は自分から全てを奪っていた憎い存在である。だから自分も奪っていいのだとリリは思い込んだ。
そんな道理はないことをリリは分かっていて、ずっと見て見ぬふりをしていた。
奪われたから奪ってもいい。
それがまかり通るなら、この世から正義は消え失せるだろう。
そこにあるのは、誰もが盗まれた被害者であり、盗む加害者である世界だ。
だから世界にはそれを咎める法があり、己を律する道徳がある。
悪を正す正義があるのだ。
リリルカ・アーデは盗人である。
リリルカ・アーデは罪を犯した。
リリルカ・アーデは悪人なのだ。
そこにどんな事情があろうと。どれほど悲しい理由があろうと。例えそれが仕方なかったのだとしても。
罪は、償わなければならない。
世界はそういう風に出来ている。
リリという悪をベルという正義が助け出し、そして法という正義が裁くのだ。
「ん〜〜、はー、ふぅ」
青い空を見上げて、ぎゅっと目を瞑ってリリは大きく伸びをした。
心は重いが、体は軽い。先の激戦によるダメージはすっかり完治していた。
その顔は晴れやかとは言い難くとも、以前の擦れた下を向いていた陰りはない。
リリは己の結末に納得している。
納得して、『過去』ではなく『未来』を見ていた。
「罪を償って……盗人の小人族ではなくなって……いつか、ただの小人族として生きられる日が来たら……」
想い描く未来予想図には、少年の隣を歩く自分と、そんな自分に微笑みかける少年がいる。
そんな未来に焦がれている。正義なんて重過ぎる事を小さな背中に背負っている、不器用で真っ直ぐな優しい少年の力になりたいと思う自分がいる。
自分に何が出来るかはまだ分からないけど。それでも、そのために命すら懸けられると自然と思った。
なぜなら、少年は過去に縛られ悪の鎖に雁字搦めになっていた自分の手を引いて未来を見せてくれたのだから。
悪と正義は相容れない。
悪である少女と、正義である少年の道は決して同じ方向を向くことはない。
けれど、悪人のリリではなく、ただのリリになれる日が来たら。
正義の少年の隣を歩く事だって出来るかもしれない。
「心残りはありますけど」
それは謝れないこと。
リリのした事をベルに謝れないこと。
ベルの主神だと名乗る神物に地に頭を擦り付ける勢いで懺悔をしていたが、やはり本人に言わないことには心の重りは外れなかった。
でも、この心の重りが自分を責める罪の証のような気がして。
これも罰なのだと受け入れる自分もいた。
「アーデさん。そろそろ……」
「……はい、分かりました。すみません、我が儘を聞いて頂いて」
「いえ、そんな……私の方こそ、力になれず申し訳なく……こんな事しか、出来なくて……」
「そんな事ないです。リリにはこれで十分なんです。最後にオラリオを一望したい……そんなリリの望みを無理してまで叶えて頂いて、本当に感謝しています」
顔中に申し訳なさが張り付いているギルド職員に、リリは心底感謝していると告げるように笑顔を浮かべた。
今日、リリは【ソーマ・ファミリア】のホームを訪れていた。
ファミリアの実態が白日の元に晒され、実質解体に近い処分を下されていた【ソーマ・ファミリア】はがらんとしていて、酒造りを制限された主神ソーマは魂の抜けたような顔でぼうっとしていたが、ギルドからの要請もありリリの退団を認めた。
今、リリの背中にあるステイタスは改宗待ち状態にある。
その付き添い……もとい、罪人であるリリを自由に動き回らせることは出来ないため、監視として同行したのが、この歳若いハーフエルフのギルド職員だった。
そして、このギルド職員はリリに事情を聞きに行ったその人でもある。
リリにそんな意図はなかったが、リリの話を聞きこのギルド職員はだいぶリリに肩を入れ込んでいた。
こんな結末はあんまりだと、なんとかリリの罪を軽く出来ないかと、この三日ろくに眠らずにずっと戦っていた。
しかし、結末を変えることはできず、それがギルド職員の心を締め付けていた。
今、リリが拘束具を何もつけてないのは、ギルド職員からリリへの『この人は逃げない』という信用と、申し訳なさからくる罪滅ぼしだった。
これ以上時間を誤魔化すのは難しい、と。
先導するギルド職員に続いて、リリは歩き出す。
もう一度この街を一望するのは、ずっと先の事になるだろう。
網膜に焼き付けるように……あの少年がきっとこれからも正義を叫びながら守っていくのだろう街を瞼に浮かべて、心の中でエールを送りながらリリは歩き出した。
「──待っ、て!! リリぃ──ッ!!」
そんなリリを、呼び止める声があった。
弾かれたように振り返る。
薄い入院している病人が着るような服を、転けたのかあちこちに土をつけ、玉のような汗を肌に浮かべながら荒い息を繰り返す白い髪の少年が立っていた。
「……ベル、様……?」
意図せず口から転がり出たような呟き。
目が覚めたのか。
体は大丈夫なのか。
顔を見れて嬉しい。
動いてるのは心配だ。
どうして此処が分かったのか。
お礼を言わなければ。
謝らなければ。
合わせる顔がない。
他にも、色々な想いが混ざり合った呟きだった。
「はな、しは、きいた、よ。リリ、僕は、僕は、こんなつもり、で、リリを……、リリ、ごめ──」
「──それは言わないでください、ベル様」
此処までの全力疾走で喉をやられたのか、それとも意識が戻った直後でうまく動いてないのか、ベルの言葉は途切れ途切れで、声もガラガラだった。
必死に何かを伝えようとしていたベルの言葉を、それだけは言わせないとリリは遮る。
時間との兼ね合いもあり少し焦りを見せたギルド職員にもう少しだけ、とアイコンタクトを送り、それを受け入れてくれたことに深く感謝を込めた頷きを返して、リリは口を開く。
「……自分の事を話す機会なんてありませんでしたから。たぶん、ベル様はリリの事を纏めて全部知って混乱しているんだと思います。だから、最初に謝罪を。騙してごめんなさい。言わなくてごめんなさい。……ベル様を傷つけて、ごめんなさい。……許してください、なんて口が裂けても言えませんけど。それでも……ごめんなさい、ベル様」
謝れないことが罰になる。
そう考えていたのに真っ先に謝ってしまった自分を恥じて、そして、心の何処かで謝れてよかったと思った。
それだけ、リリは自分のした事を悔いていた。
「リリは罪を犯しました。それはもう、いっぱい、いーっぱいです。きっとベル様が想像しているよりリリは悪いやつなんです。……だから、謝らないでください、ベル様。これはベル様がリリに手を伸ばしたからではなく……リリが、リリ自身がいつか向き合わないといけなかった、リリだけの罪。ベル様にだって譲りません」
そう言われてしまうと、もうベルは何も言えなくなってしまう。
虚を疲れたように詰まったベルを見て、ああ、やっぱりなあ、とリリは苦笑した。
ベルは正義の側に立つ人間だ。それはもう、間違いなく。
だが、非情に成りきれるかと言われれば違う。
何故なら、非情な正義とは機械的に悪を切り捨てる正義だから。
ギルドの掲げる正義がこれに近いだろう。
ベルの見出した正義とギルドの正義、どちらがより正しいか……という話ではなく。
ベルは……優しいこの少年は、自分が投獄される事を納得することは難しいだろうと、リリは確信していた。
リリの過去を知る前はともかく。リリの過去を知った今となっては。
それはリリがベルの正義を正しく理解していなかった土台の上に積み上がった推理ではあったが、結論において相違はない。
二人の間にコミュニケーションは足りなかったが、リリ"が"ベルを見ていた時間だけは相応にある。
虐げられていた過去によって分厚く覆われた冒険者というベールを取っ払った今、すれ違いはあれどリリ"は"ベルという人間をおおよそ正しく把握していた。
「ベル様は言いましたね。あの路地裏で『お前たちに正義はない』と。その通りです。あの場に正義がある人物はベル様以外に一人もいなかったんです。だから、あの場で知らんぷりをしても……ましてや、あんなにボロボロになってまで……リリに裏切られてまで、リリを助けようとする事なんて、する必要もなかった」
「そんな──っ!」
「そんな事あるです」
ベルの否定に被せるようにリリは言い切った。
例えばの話。
片方の線路に善人。もう片方の線路に悪人。
二つの線路の分岐点目掛けて一台のトロッコが迫っていて、その線路を切り替えるスイッチを……どちらを殺すか選べるスイッチを持っているとする。
この場合、いったいどれだけの人が善人を殺す方にスイッチを切り替えるだろうか。
冒険者から……リリにとっての悪人にしか盗みをしなかったリリは、ある意味では悪人の方へスイッチを切り替え続けていたともいえる。
ならばこそ、リリは悪人に助ける価値はないと言い切れる。
何故なら、それは罪悪感に押し潰されそうになりながらも『ここだけは間違えない』と選び続けたリリの選択だったから。
「ベル様はリリを助けてくれました。……本当に嬉しかった。こんなリリに手を伸ばしてくれる人が……一緒にいてくれそうな人がいた。でも、それはリリが善人だったからじゃない。リリを見つけたのがベル様だったから。リリには、誰かが懸命になってくれる資格がない」
トロッコになぞるのなら、ベルは善人を轢き殺す方へスイッチを切り替えた。
だって、そこに善人など誰もいなかったのだから。
だから、結果的に自分は助かったのだとリリは思う。
「でも」
そこで、リリは言葉を切った。
一度大きく息を吸った。ばくばくする心臓の鼓動を聞くように目を閉じた。
何度も迷って、自分にその資格があるのかと思いつめて、それでも捨てきれなかった未来を見つめた。
緊張でカラカラになる喉から無理やり声を絞り出すようにして、震える声でリリは言った。
「冷たい絶望の底にいたリリの手を引いて、暖かな場所まで連れてきてくれました。ずっと寂しかったリリに、優しさをくれました。幸せになりたくて幸せを諦めていたリリに、大丈夫って手を伸ばしてくれました。──幸せを、くれました」
一筋の涙がリリの頬を伝う。
「リリは、ベル様と一緒にいたいです。盗人で、サポーターだけど……それでも、リリはベル様と一緒にいたいです。今度はリリが……リリが、ベル様の力になりたいです」
声が震える。
リリの手を握り締めようと動き出したベルを、ギルド職員が止めた。
「だから……だから、リリが罪を償って……盗人の小人族じゃなくて、盗人だった小人族になったら……リリが、リリを許せるようになったら……また、リリと……、こんなリリでも、一緒にいてくれますか……?」
涙に濡れた声音は消え入りそうな小ささで。
今まで自分がしてきた事、そして自分がベルにした事。
その全てをリリがちゃんと正面から見据えた、その時に。
貴方の隣にいたい。
願いこそすれ、そんな都合のいい事が許されるはずがないとと思っていた未来をリリは言った。
「もちろん。また一緒に、冒険しよう、リリ」
ガラガラの声で、頬に土をつけた顔を破顔させて、ベルは言った。
リリの胸がきゅうっと締まる。
込み上がっていた涙が、堰を切ったように溢れ出ようとする。
とっさに俯いてそれを隠しても、次々と地面にそれは落ちていってしまう。
しゃくり上げそうになる喉を必死で堪えていると、心地よい温かさがリリを包み込んだ。
ベルが、リリを優しく抱きしめていた。
「僕は、世間知らず、みたいで……知らないことも、いっぱいあるんだ。それに……、リリと一緒に、冒険してたとき……すごく、助かってた。サポーターって、すごいって思ってたんだ。あのときは、リリを探してたから……、ちゃんと、言えなかったけど。だから……至らない僕を、リリに助けてほしいよ。リリは、無価値なんかじゃない。僕にとっても……きっと、他の誰かにとっても。リリには、笑っていてほしい」
それがトドメだった。
リリは声を上げて泣いた。
わんわん泣いた。
ベルの胸に顔を埋めて、縋り付くように泣いた。
邪魔者扱いされ続け、無価値の烙印を押され続け、誰からも必要とされずに虐げられていた少女を、必要として、一緒にいてほしいと言ってくれる少年の温かさが、少女の凍った心を甘く溶かしていった。
もうこれ以上は限界だと申し訳なさそうに言うギルド職員に連れられてリリが去っていく。
その背中にベルは叫んだ。
「ずっと──! ずっと、待ってるから──っ!!」
リリは振り向かない。
でも、その背中が『また、いつか』と言っているような気がした。
だって、あの時とは違って『さようなら』とは誰も言わなかったのだから。
☆☆☆
数日が過ぎ、オラリオは怪物祭の待った只中だった。
テイムによるショーが行われている闘技場では、割れんばかりの大歓声が沸き起こっている。
ストリートを埋め尽くすように立ち並ぶ出店で買い食いをしながら、ベルは怪物祭を楽しんでいた。
「んぐっ。すごい賑わいだ……」
アストレアとの旅で訪れた街でもお祭りはあったが、此処までの賑わいは経験にない。
やっぱり都会ってすごいなー、なんて田舎者らしさ全開でぶらぶら歩くベルは、病み上がりで万全ではないことを懸念されてアストレアに人が密集している闘技場には近付かないように、と言い含められていたので、そろそろ帰ろうかとアストレアへのお土産を物色しながら歩いていた。
そして、人混みに紛れて歩く二人の人影がベルの横を通り過ぎる。
「待って、ちょっと待っておくれよ! ボクを置いて行かないでくれー!」
「今が稼ぎ時なんですからじゃんじゃん行きますよ! まだ目標金額の半分なんですから!」
「が、がめつい!! 前々から思ってたけど君ちょっと守銭奴の毛があるよね!?」
「お金は大切なんです。分かりますか?」
「万感の想いが篭ってるね……。い、嫌だぞ! ボクはお金に縛られる生き方はしたくない!」
「ぐうたらし過ぎて友神のファミリアから蹴り出された一文無しが何言ってるんですか!! きっちり稼いでもらいますからね! というわけで今度はメイド服で売り子をお願いします」
「いーやーだー! ボクはマスコットじゃないぞ──!」
「頭を撫でやすいって好評でしたよ」
「君も似たような身長じゃないか!?」
はっとしてベルは振り返る。
しかし、沢山の人の姿や声に紛れて、頭に思い浮かべた人物を見つけることは叶わなかった。
「──よ、少年!」
「──あ、お久しぶりです!」
「上層にミノタウロスなんてイレギュラーを乗り越えてお互いよく生きてたもんだ! 心配したぜ」
「その節は本当にありがとうございましたっ! あの、本当にどうお礼すればいいのか……!」
「ははは、慌てるな慌てるな。こっちもリーダーのやつが死にかけて大変だったが、結果的に全員生き残って【ロキ・ファミリア】からたんまり謝礼も貰ったからな。聞けば少年も大変だったみてぇじゃねえか。ところで、あっちの通りで俺の仲間たちが飲んでるんだが……少年もどうだ?」
「えっ!? いや、お礼をするのは僕の方で……!!」
「はっはっは! 下の毛も生えてねえようなガキがんな細えこと気にすんなよ! 頑張った子どもを労ってやりてえのは大人の性だ、諦めろ。どうしてもってんなら、酒でも一杯奢ってくれや」
「──はいっ! 分かりました!!」
ベルに声をかけた男と共にベルは歩きだす。
がやがやと賑わうお祭りの空気はそれだけで胸を弾ませるものだが……何故か、今ベルの心を弾ませるのは、それだけじゃない気がした。
小さな小人族の少女がこの空の下のどこかで懸命に頑張っているような。
そんな気がしたのだ。
☆☆☆
「ところでアーデ君。その……本当にボクのファミリアに入ってよかったのかい?」
「それを言うなら、本当にリリをファミリアに入れても良かったのかと聞きたいぐらいですよ、ヘスティア様」
「君の事情は聞いてるからね。同情するつもりはないし、なら後は君がどういう子どもかだけ。……でもだからこそ、ほら、ボクってあれじゃないか」
「一文無し。ついでに借金あり」
「グサっと言うなあ!?」
「丁度いいじゃないですか。リリも賠償金で借金あるようなものですし……お互い一文無しの神様と眷属。ぴったりです」
「……賠償金だけで済むように掛け合ってくれた神がいたんだろう? ボクはそいつを知らないけど……そいつのところに行った方が、君にとっても良かったんじゃないかって思ってさ」
「……最初は、それも考えてたんですけど。リリもその神様の名前を知らなかったですし……それに」
「それに?」
「あの時、神様は一人で困ってたみたいでしたから。だから思わず声をかけてしまいました。それだけです」
「むむむ? 変な理由だなぁ……」
「ですね。リリも変な理由だなーって思います。……でも、嫌じゃないんです。リリは、こんなリリが嫌いじゃありません」
「……ボクも、そんなアーデ君のこと、結構好きだぜ」
「ありがとうございます。じゃあもうちょっと稼いでいきましょう。次は給仕服です」
「それとこれとは別だー! というかそのコスプレどっから持ってくるんだ!? 無駄にレパートリー広いよね!?」
「昔のツテで少々。さ、稼いで稼いで稼ぎますよ! 生活費とお互いの借金もあるんです! そして──」
「胸を張って、優しくてお人好しで危なっかしいあの人に、もう一度会いに行くんですから!」
リリ編完。
あとがき。
リリの拒絶は負の感情から来るものだと思っています。
冒険者が憎いという感情から、差し出される手を拒絶する。
では、正の感情から来る拒絶はどのようなものでしょうか。
貴方が心配だから。貴方が大切だから。貴方に傷付いて欲しくないから。だから差し出される手を拒絶する。
そういう登場人物がダンまちにはいます。
これは独り言ですが、狐につままれるという慣用句もある様に。古来から、狐は"悪い"動物として扱われてきたらしいですね。