少女は憎んでいた。
唾棄するような自己満足で己の邪魔をした少年を。
少女は覚えていた。
少年の木刀がLv.2のザニスの鋼鉄製の剣を受け止めたことを。
少女は呪っていた。
弱者は弱者でしかあれない、この残酷な世界を。
「それじゃあ、また明日!」
「……はい、また明日」
ダンジョンから帰還し、換金もそこそこに走っていってしまうベルを、エルフの少女は冷めた目で見つめている。
冷めた目でその背中をみながら、心の中で嗤っていた。
少女がベルとサポーター契約をしてから六日経っていた。
ベルは、ダンジョン探索を午前中で切り上げ、午後はいつも急いで何処かに行っている。
少女も馬鹿ではない。
ベルが誰かを探していて、その探し人が自分なのだということはすぐに分かった。
もちろん、その理由も。
「虫唾が走る」
全てを知って、少女は唾を吐いた。
自分を探している?
助けるために?
なんで?
小さな女の子が酷い扱いをされていたから?
良心が傷んだから?
──全部、お前のせいだろう。
少女にとってベルのそれは身の毛がよだつほどの悪意だった。
世界の残酷さを、闇の醜さを知らぬ光の側の住人が、上から目線で『お前を助けてやろう』と言うような、腹わたが煮え繰り返るような傲慢さと変わらなかった。
飢餓を知らぬ人間が、その日食べる物ものない乞食に、気まぐれに食べかけのパンを投げて寄越すのような、そんな行為だった。
(私は、お前に助けて貰わなければならないほど可哀想なやつなんかじゃない)
何より、少女の心はそれを認めることを激しく拒んだ。
人としての尊厳をかなぐり捨てたような環境で生き、人の善意も、優しさも……もう何も少女は信じられなくなっていた。
何が悪かったのか。何が少女をここまで追い詰めたのか。
一言で言えば、生まれが悪かった。
加えて、運も悪かった。
本当にそれだけだ。
それだけで表せてしまうことが、少女の生涯の救いのなさを物語っていた。
だから。
少女は……リリルカ・アーデは、自分とは正反対の人生を歩んできたように見えるベルが心底嫌いで。
心の何処かで、羨んでいた。
「また明日……ですか」
ベルから渡された巾着袋を持ち上げる。
じゃらりと硬化の音が鳴るそれは、キチンと報酬の半分が収められている。
分け前の一割も貰えれば御の字、報酬が支払われないことすら珍しくないサポーター業。
キチンと半分を分け合っているという時点で、ベルの人間性が如実に現れている。
もっとも、これは半分ではなく、リリが少しちょろまかしているので実際はリリが六割、ベルが四割だったりするのだが。
ベルはその事に気が付いてもいない。
本当に、底抜けのお人好しで……だからこそ、やっぱり、そういう人間であることを許されてきたベルの人生が、そう在れるベルがリリは嫌いなのだ。
「【響く十二時のお告げ】」
人気のない路地裏に入り、誰も見ていないことを確認してからリリは【魔法】の解呪式を唱えた。
金色の髪は燻んだ亜麻色に。
髪だけじゃない。瞳の色も、細長かったエルフ耳も、その全てが変化する。
後には、金髪のエルフの少女など何処にもいなかったように小人族の少女が立っていた。
これが少女の【魔法】。
その名も【シンダー・エラ】。
それは変身魔法。
自分ではない誰かになれる魔法。
どんな魔法が発現するかは発現者の性質によって決められる。
自分ではない誰かになりたいという想いが、この魔法をリリに与えた。
魔法が発現するほど強烈にリリは今の自分を否定してまでなりたい誰かがいた。
けれども、【シンダー・エラ】で変身するためには具体的なイメージが必要不可欠であり、だからこそリリはその誰かに慣れたことは一度もない。
生きるための盗みや夢のための悪事には使えても。
本当に変身したかったものには一度もなれない、そんな魔法だった。
リリはベルが嫌いだ。
報復と憎しみを持ってベルの木刀を奪って売っ払ってやろうと考え、実行するぐらいにはベルのことが嫌いだ。
しかし。
リリが本当に嫌いなのは、光に焦がれるくせに闇から抜け出せない、闇に浸かって染まり切ってしまった、リリルカ・アーデという一人の小人族だった。
☆☆☆
捜索は難航していた。
「くそっ!」
日が過ぎるたびにベルは焦る。
少女が人間的な扱いをされていないことを知っているから、ベルは焦る。
当の少女はとっくの昔にベルに接近しているのだが、それを知る由もないベルは連日ヘトヘトになるまでオラリオ中を探し回っていた。
けれども見つからない。
オラリオは世界有数の大都市なだけあり、その人口密度はそれこそ世界一を争う勢いだ。
その中から容姿の情報だけで人を探すことが困難なのは言うまでもないし、しかも、ベルは知らないがその少女は最悪なことに容姿を変化させる【魔法】を持っている。
見つかるわけがなかった。
しかし、何度空振りに終わろうとベルは諦めない。
それが今、ベルの心の中にある正義だったから。
一人で悲しんでいる誰かに手を伸ばす。
それが、アストレアに導かれたベルの正義だったから。
サポーター契約を申し込まれたのは予想外だったが、都合は良かった。
その日を生きるためのヴァリスをダンジョンでより効率よく稼げるようになったからだ。
午前中はダンジョンに潜り、午後から日が暮れるまで少女を探し、日が暮れるとアストレアとの特訓が始まる。
「もっと強く踏み込んでッ!」
「はいッ!」
基本的に戦闘能力がない神様と、もはや戦闘が生業ともいえる冒険者。
教える側と教えられる側が奇妙な事になっているこの関係はしかし、この二人の場合に限って上手くハマる。
アストレアには武術の知識があり、ベルには全くないからだ。
それはまるで水を吸うスポンジ。
飛躍的にベルは強くなっていき、新たな必殺技も"技"と呼べるレベルに昇華されていく。
旅をしながらとは言え、一年間の基礎訓練という下積みがここに来て一気に実を結んでいた。
「いいですかベル。己より強い生き物とは戦わない。これは自然界では当たり前の生存戦略です。ですが、人には意思がある。信念がある。そして、正義がある。絶対に避けられない格上との戦いをする時が、冒険者には必ず来る。その時、己を守り、誰かを守り、そして助けることのできる力を知恵と技術と呼びます。私は必殺技としてそれをベルに身につけて欲しいの」
まさか、こんなに早くくるとは思わなかったけどね。
そう語るアストレアの特訓はかなりスパルタだった。本人の気質が垣間見える。
ベルは一切の弱音を吐くことなく特訓に打ち込んだ。
仮想敵は己をボロ雑巾のように打ち負かした男。
力量差すら感じ取れない、そのレベルの高みへ至っているあの男に、負けないために。
「神様。正義を貫くために、誰かを傷つけることは……正義と呼べるのでしょうか」
ベルは一度、そんなことをアストレアに訊いた。
力による解決をベルが忌避するからこその、優しい問いだった。
アストレアは思慮するように目を閉じ、未だ世界を知らぬベルにも理解できるよう、噛み砕いた正義の女神としての理を優しく語った。
「ベル。貴方のそういう優しいところが、私は好きよ。ベルはとっても良い子。でもね、ベル。誰かに傷をつけるものが力なら、誰かを守るのもまた力。ナイフで人を斬ることがあれば、ナイフで人を守ることもできる。そしてね、ベル。前にも一度言ったけど、力ある悪意に抗うためには力ある正義がどうしても求められる。そこで結論にしてしまえば待っているのは相互理解を拒んだ偽善よ。でも、今悪意を持って傷付けんとするナイフから守るためには、誰かがナイフを持たないといけないの。……誰かが、立ち上がらなければならないの。……私は、ベルはナイフの扱いを間違えない、そう思ってるわ」
表情に刺した影を振り払うようにアストレアはそう言った。
納得はしなかった。
けれど、理解はした。
力を力で解決する事をベルは正義と呼ばなかったが、今悲しんでいる誰かに手を伸ばすためには力が必要な事を理解した。
故に、もはやベルに迷いはない。
悲しんでいる少女に手を伸ばしたいという正義の心を持って、必ず立ちはだかるあの男を独善のもとに打ち負かす。
なぜなら。
(僕が、そうしたいからだ)
ベルの魂に芯が通っていく。
ベルの中に、ベルだけの正義が、ベルの掲げる正義が輪郭を帯び始めた。
「……ベル。絶対に使うなと厳命します。でも、もし、必死に抗って、それでも打つ手がなくなるほどの危機に陥ったときには──」
心配性なアストレアは、このとき一つのミスを犯した。
「──おまじないを、教えましょう」
時が流れる。
闇を歩む少女はベルを陥れようと計画してきた作戦を実行に移そうと考え。
光を歩む少年は少女を助けんと誰かを助けるための力を身につけていく。
境遇と立場の違いから滑稽なほどにすれ違っている二人の軌跡が交わったのは、サポーター契約から九日が経ったときだった。
その日、二人はダンジョン九階層に潜ってきていた。
リリの「ここで稼げば、一日で三日分の稼ぎになるかもしれない」という言葉が決め手だった。
ベルは少女を見つけられない事を焦っていたから。リリは、そんなベルの焦燥をほぼ完璧に把握していた。
リリの悪意がベルを襲わんと牙を剥く。
自分の心をずっと刺し続ける痛みは、もう当たり前過ぎて、リリはわからなくなっていた。
そして。
「ちっ、最近ほとんど稼げてねえ! くそっ、これじゃ神酒が……!」
「……あ、そういえば、アーデのやつを最近見ねえな。いつもならバベルの前で汚え格好で恥知らずの乞食紛いをやってるんだが……もしかしていいカモでも見つけたか?」
「へえ、それなら、アーデのやつ、ここ最近は随分と稼いでるようだな」
本物の悪意が、ベルとリリにその牙を定めていた。
原作進行具合。
→【ロキ・ファミリア】遠征から帰還中。