あの日村に来た怪物がめちゃくちゃ強かった   作:とやる

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ベル・クラネルと悪の少女

 物心ついて初めて教えられたことは物乞いの仕方だった。

 

 親からの愛情も、大人から子どもへの無条件の親愛も無く、ただお金を稼ぐ方法を与えられた。

 三歳の少女がボロ切れ同然の服を着て、優しい人の同情を引けるように身体を汚し、お金をくださいと細い声で鳴く日々。

 時には日の出から闇夜に月が浮かぶまでそうしていることもあったが、小人族という自分の種族の特徴も相待って、少女の両手に同情の金貨と見下した視線が落ちる事は少なくなかった。

 

 そうして得た金銭を産みの親に全て渡し、また大通りの隅でゴミと変わらない格好で物乞いを始める。

 

 辛くはなかった。少女の中にはそれを辛いと思う情緒は育まれていなかった。

 ただ、馬車に轢かれでもしたのか、道の隅でゴミ屑のように死んでいる小動物を見て「ああ、自分もあんな風に死ぬのだろう」という感慨だけがあった。

 

 路上と本拠地を往復して。数年経って両親が死んでからは野良犬のようにゴミを漁り、残飯を食らって生きていた。

 他の生き方をすれば良い? 

 不可能だ。少女には、この生き方しかなかった。この生き方しか教えられなかったのだから。

 

 神酒に酔い、狂ったように神酒を求めるファミリアには、幼い少女を助けようと思う者など一人もいなかった。

 

「……おなか、すいた」

 

 ただ。

 現状を苦しいと思う心はなくても。

 空腹を辛いと感じる生態機能はあった。

 その日、ゴミを漁っても残飯にありつけなかった少女は、腹の呻きに従って彷徨っていた。

 物乞いで得た金など、既に同じファミリアの人間に奪われている。力のない、後ろ盾もない少女は何もしなくても金を運んできてくれる存在だったから。

 

 お腹を締め付ける食べ物の匂いに釣られて迷い出たのは、オラリオのメインストリート。

 ギルドの介入を嫌った両親には教えられなかった、少女が初めて来る場所。

 

 そこには幸せが溢れていた。

 

 人々の顔には活気と笑顔が満ち溢れていて、誰も彼もが楽しそうだった。

 吹き抜けのお店の中では見たこともない美味しそうな食べ物──少女は残飯と固いパンしか知らない──が沢山並んでいて、男の人も女の人も幸せそうに食べている。

 

 そして、少女の目の前を。

 

「おとーさん、おとーさん! 肩車して!」

 

「よーし、いいぞー! それーっ!」

 

「あらあら、気を付けてくださいね」

 

 男と、女と、ちょうど少女ぐらいの年齢の女の子が、笑顔で通り過ぎる。

 

「……ぁ」

 

 それを見て少女は知った。

 幸せというものを少女は知った。

 幸福な人生というものを少女は見てしまった。

 

 土に汚れ、ボロ切れの服を纏い、孤独に残飯を漁って飢えを凌ぐ自分と。

 綺麗な身なりで、上等な服を着て、家族で笑顔を浮かべる女の子。

 

 比較してしまうと、もうダメだった。

 現状は苦しいのだと。自分は惨めなのだと自覚してしまった少女の心は、目の前に無数にある幸せのかたち、その全てが心を突き刺す劔のように見えた。

 

 それでも、少女は自分が幸せになる方法を知らなくて。

 ただ幸せになりたかったという想いだけが募っていって。

 少女は、日陰を生きていくしかなかった。

 

 ゴミを漁るゴミのような人生を生きる少女に契機が訪れたのは、少女が六歳の誕生日を迎えた直後のことだった。

 

「今後、【ソーマ・ファミリア】は更なる拡張を目指す。今のオラリオは時期も時期だ、新たな入団者も迎え、この時代の荒波を乗り越えてゆこう。……そして、これが我々に期待するソーマ様から振る舞われた神酒だ」

 

 新たに【ソーマ・ファミリア】の団長となったザニスは、そう言って団員達に神酒を振る舞った。

 その酒は主神ソーマからザニスがくすねてきたもので、決してソーマが団員達に与えたものではなかったが。

 趣味である酒造りに没頭する資金源を得るためにファミリアを興したソーマには、神酒に酔う子ども達に失望していることも相まって、たとえ知っていたとしても関与する意味のない茶番だった。

 

 そうして、両親がファミリアの構成員だったため生まれたときから【ソーマ・ファミリア】の団員であった少女は、神酒を飲んだ。

 

 幸せだった。

 全身に多幸感が広がるその心地良さは、人生で一度も感じたことのないものだった。

 生まれて初めて味わう『幸せ』の虜になった。

 

 また、あの幸せを享受したいと少女が渇望することはごく自然な欲求だった。

 

 金を求めた。

 ザニスの体制下では、神酒を飲むためには金が必要だった。

 少女は物乞いをやめ、同じファミリアの団員たちの真似をするようにダンジョンに潜る。

 

 少女は冒険者になり、そして直ぐにサポーターとなった。

 少女には、冒険者として生きていく才能がなかった。

 少女に力はなく、少女は弱者だった。

 

 サポーターになってまでダンジョンに潜ったのは。

 尊厳を踏みつけられてまでダンジョンに潜りつづけたのは。

 それでも、物乞いをするよりは稼げたから。

 

 ゴミのように扱われながらゴミを拾い、ゴミを食べて飢えを凌ぐ少女が求めたものはたった一つ。

 

「あのお酒を、もう一度──」

 

 少女は、ただ、幸せになりたかったのだ。

 

 しかし、現実は何処までも少女に残酷で。

 サポーターの境遇も相まってろくにお金を貯められない日々。

 他者に踏みつけられるだけの毎日。

 涙が頬を濡らさない日は一日だってなかった。

 誰かの悪意を一身に受ける日常に少女の心は擦り切れていった。

 

 疲れ切ってしまった少女が逃避を選ぶのも、またごく自然な行動だったと言えよう。

 

 逃げた先に見つけたのは、老夫婦が営んでいる花屋で。

 老夫婦は優しく、多くを語らない少女を、それでも暖かく迎え入れてくれた。

 いくらでもここにいて良いと優しく頭を撫でてくれた。

 少女は初めて、人の温かさに触れた。

 

 花屋での日々はただ温かさだけがあった。

 渇望した幸せがそこにはあった。

 

「もう、お酒もいらない。これだけがあったらそれでいい」

 

 心の底からそう思えるほど、少女は幸せを感じていた。

 

 そして、その幸せは呆気な崩れ去った。

 

 少女を見つけた同じファミリアの団員が老夫婦の花屋を見つけ、店をめちゃくちゃに荒らし、金品を奪っていったのだ。

 

「お前さえいなければ──ッ!!」

 

 柔らかな微笑みを向けてくれていた老夫婦のその言葉を、怒りと憎しみの篭ったその表情を、少女は生涯忘れることはないだろう。

 

 ファミリアからは逃げられないのだと、少女が悟った瞬間だった。

 

 そして、またゴミのような毎日が戻ってくる。

 

 少女は弱者だ。強者から搾取される存在だ。

 殴られ、蹴られ、辱められ、嗤いものにされ、ゴミと変わらない格好で転がされる存在だ。

 ファミリアからの制裁を免れるための金品を集めても奪われ、団員や冒険者の気が立っていればストレス発散に殴られ。

 そんな環境にいた少女の心は荒んでいき、やがて一つの結論に辿り着く。

 

「……なんで、自分だけが奪われるんだろう」

 

 今まで多くのものを奪われてきた少女は、今まで多くのものを奪われてきたのだから、自分も奪っていいのだと考えるようになった。

 

 そうして、少女は盗みに手を染めるようになる。

 

 ゴミのような人生を生きていた少女は、こうしてゴミに落ちていった。

 

 少女は悪くない? 

 そんなバカな話はないだろう。例えどんな背景があろうと、少女の盗みは冒険者を対象にした盗み。

 そこに冒険者はクズしかいないという少女の経験から裏打ちされた確信と、盗む相手にクズを選ぶ少女に残された最後の良心があろうと、冒険者から装備を盗むのはその冒険者にとって死に直結する。

 少女の悪意によって死んだ冒険者はゼロではない。

 

 例えその冒険者がどうしようもないゴミ屑で、少女に目を覆うような暴行を加えていたのだとしても。

 この世界に法がある限り、人は……とくに、正義を掲げる者ならば言わなければならない。

 

 どんなにそいつがクズだったとしても、死ななければならないようなことはしていないと。

 

 故に、少女は確固たる悪であり、正義の敵だった。

 

 ……ただ。

 悪の道に片足どころか両足を踏み入れてしまった少女が求めているものは、最初から最後まで、たった一つ。

 

 少女は、幸せに、なりたかったのだ。

 もう、諦めてしまっているけれど。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 だからこそ、リリはベルの手を取ろうだなんてハナから考えていなかった。

 

 頭にあるのはどうやってベルから奪ってやろうかという思考のみ。

 ただ、自分の邪魔をする目の前の偽善者が……自分と違って幸せな人生を歩んできたのであろうベルが憎かった。

 

(お前も絶望すればいい)

 

 裏切られ続け、誰も信じられなくなった自分のように。

 

(お前も泣き叫んで世界を呪えばいい)

 

 涙を流さない日などなかった、自分のように。

 

(そして、お前も染まってしまえ)

 

 終いには、クズと唾棄した冒険者と同じことをしてしまっている、自分のように。

 

 油断すれば湧き上がってくる罪悪感を蹴り飛ばして、リリはベルをダンジョン九階層まで連れてくることに成功した。

 

 呆気なかったように思う。

 ベルはリリを見つけられないことを焦っていて、ベルの目的を知っていたリリはベルの焦燥が手に取るように分かったから。

 もっと稼げる方法がある……と、囁いてやれば直ぐに乗って来た。

 

 それがベルからリリへの信頼である事に、リリは気付いていた。

 気付いた上で、踏みにじってやろうと嗤った。

 この残酷な世界のルールを自分が教えてやろうと、そう思っていた。

 

「この先が十階層……」

 

「ええ。出てくるモンスターはかなり強くなりますが……ベル様なら大丈夫だと思います」

 

 嘘ではない。

 リリはベルから感じ取った匂いからオラリオに来て日が浅いと確信していたが、ベルの動きには鍛錬の跡が如実に現れていた。

 多くの冒険者を見てきたリリには、それが指導者のもと鍛えてきた証だと分かる。

 

 業物の木刀に、鍛えてくれる指導者。そして、それを無駄にしないベルの才能。

 それは全部、リリの心をささくれ立たせる。

 リリは一個たりとも持っていないものだから。

 

(恐らく【ステイタス】自体はリリより高いんでしょうね。そうじゃないとあの動きの説明がつかない。ザニス様の攻撃を受けて意識があったところを見るに、Lev.1でも中位ぐらいの【ステイタス】を持っているはず。それに、武術の心得とあの分不相応な木刀……間違いなく、十階層でも通用するはず)

 

 リリの瞳がベルの腰に吊られた木刀を射抜く。

 リリの狙いはベルがアストレアから譲り受けた木刀だった。

 業物だと見抜いたその審美眼に誤りはなく、事実その木刀は深層ですら通用するポテンシャルを秘めている、正しくベルには過ぎた獲物である事に間違いはない。

 

 間違ってもLev.1の冒険者が持てる代物ではなく、ならばそれは他者から与えられたものであるとリリは的確に判断した。

 

(この頭に花が咲いたお人好しに盗みは不可能。……なら、これは貰ったと考えるのが自然)

 

 業物をLev.1の冒険者に持たせるのだ。

 そこには大きな意味が付随してくる。

 よっぽどベルが大切だったのか、それともまた何か別の理由があったのか。

 どちらにせよ、その木刀になんの想いも篭っていないなんてことはないだろう。

 

(大切なものを無様に奪われて……お前も現実を見ればいい。授業料代わりにその木刀はリリが有効活用します。どうせ、お前には過ぎたものですし)

 

 そうして、ベルとリリは十階層に足を踏み入れた。

 

 そこは薄霧が掛かった広い空間だった。

 二十メル先を見通すことが難しいような白いもやが立ち込める。

 初の十階層で慎重に足を進めていたベルの眼前で、不意に地面が盛り上がった。

 ダンジョンがモンスターを産む、その予兆。

 

「リリ、下がってッ!」

 

「はいっ!」

 

 木刀を構えるベル。

 リリを守るように一歩踏み出し、現れたモンスターを睨み付ける。

 

 産まれたモンスターの名は『オーク』。

 十階層から出現するようになる大型級のモンスター。

 ベルの頭身をゆうに越すその巨躯から繰り出される攻撃力は語るまでもない。

 まともに食らえば、いかに冒険者といえど重傷は免れないだろう。

 

 本能のままに目の前の人間を叩き潰そうとしたオークが豪腕を振り下ろす。

 

「紫電木こりスラッシュ!!」

 

 それより遥かにベルの攻撃は速かった。

 

 剣閃一撃。

 鋭い踏み込みとともに閃いた木刀が横薙ぎに空気を切り裂く。

 オークの分厚い皮膚を容易く斬り、肉の鎧に覆われた骨を断ち切った。

 

「え、あれ?」

 

 モンスターの灰を頭から被りながら、想像より遥かに軽い手応えにベルがきょとんと己の掌と木刀を見つめていた。

 

「すごいっ! 凄いですよベル様!」

 

「あ、ありがとうリリ。ここまであっさり倒せるとは思ってなかったんだけど……」

 

 思ってたより強くなってたのかな、とアストレアとの特訓を思い返すベル。

 頭の後ろに手を当てながら、魔石の回収のためにベルを褒めながら近づいてきたリリに微笑みを向けて。

 

「──あ、え」

 

 ベルの腹部を灼熱が襲った。

 

「え……?」

 

 どぷり、と。

 命の水が腹から零れ落ちる。

 

「なん、で……」

 

 それはどうしてお腹から血が出てるのか、なのか。

 答えは簡単だ。見れば分かる。

 お腹に短剣が突き刺さってるからだ。

 

 何故か? 

 それも簡単だ。

 リリが、ベルを刺したからだ。

 

 自分に無防備な笑みを向けるベルの腹を、ずぐりと。

 

「なんで、ですか。そうですね……リリがベル様の事を嫌いだから、ですかね」

 

「どう、して……!」

 

「どうして? ベル様がそれを言うんですか? リリはベル様のせいでお腹を刺されるよりもよっぽど酷い怪我をいっぱいしたのに? ……ってああ、変身したままじゃ分かりませんでしたね。……【響く十二時のお告げ】」

 

 唱えられる解呪式。

 金髪のエルフが姿が溶けるように消えていく。

 ベルが目を見開いた。

 

「君、は……、あの時の……!」

 

「ええ、そうですよ。ベル様が探していた、ベル様のせいで頭の骨を割られ、おまけに男たちのサンドバッグになった盗人の小人族です」

 

 リリの口元が酷薄に歪む。

 

「予想より強かったので刺さるか不安でしたけど……耐久のステイタスはそこまで高くないようで良かったです。……どうですか? 助けてやろうと上から目線で見ていた弱者に欺かれた気分は!」

 

「ぐっ、う……!」

 

「イライラする偽善を振りかざして! その日を生きるために精一杯のリリの邪魔をして! 挙句にリリを助けてやろう!? ふざけるな! お前は何様だ!」

 

「違う……! 僕は……!」

 

「どうせお前もリリを笑っていたんでしょう!? 荷物持ちでしかないサポーターを……! 薄汚いだけの小人族を助けて何になるというんです! そうやって手を差し伸ばすフリをして、リリが手を取るのを今かと今かと待ち構えていたんでしょう!? だって、冒険者は、冒険者は……! 冒険者はクズしかいないッ!!」

 

「が、あぁ……!?」

 

 癇癪を起こした子どものように叫ぶリリがベルの手を踏みつける。

 離すまいと握られていた手から木刀がこぼれ落ちた。

 リリが木刀を拾う。

 

「まっ、て、その木刀は……!!」

 

「……大切なもの、ですか? 知りませんよそんなこと。リリにとってこれは高く売れるかもしれない商品。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

「神、様から頂いた、いつか返さなくちゃいけない、大切な……!!」

 

「だから知りませんよそんなこと。……あまり喋るとお腹の傷が開くのでお勧めはしません。毒を塗ってあるので今はろくに動けないでしょうし、血を流しすぎると地上まで戻れなくなりますよ」

 

 ベルの腹部からはドクドクと血が流れ続けている。

 ベルのポーチを漁ったリリがポーションを一本取り出し、雑にベルにぶちまけた。

 そもそもがそんなに大きくない刺し傷であるため、傷は直ぐに閉じる。

 だが、刃に塗り込まれた毒が治癒するにはしばらくの時間がかかるだろう。

 毒の種類は神経毒。

 耐毒アビリディを持たないLev.1の冒険者にとっては、致命的ともいえる毒だ。

 

 本当に、笑えるぐらい単純な事だった。

 リリは別に、何か特別な準備をしていた訳ではない。強いて言えば毒の用意ぐらい。

 他の冒険者ならもっと入念に準備をしただろう。だが、ベルに限ってはその必要がなかった。

 

「何故か分かりますか? ……それは、ベル様が人並み以上に馬鹿で……人並みの幸せな人生を送っていたからです」

 

 冒険者として日が浅いということは、冒険者の闇の部分に触れていない、つまりはスレていないということ。

 そして、ベルの善性を心の底から嫌悪しながら、信用した。

 

「出逢って直ぐの私に心を開きすぎですよベル様。だからこうやって……悪い小人族に、騙される」

 

 だから、薄汚い乞食のサポーターに噛みつかれるのだ。

 

 何がいけなかったのだろうか。

 どこでボタンを掛け違えたのだろうか。

 理由はある。要因はある。

 それは、ベルの中に正義が根付いていたからだ。

 

 例えば、ここでは無い何処かでは。

『女の子だから』という理由だけで、汚わらしいサポーターを助けるような、そんなお人好しもいただろう。

 それだけだったなら、少女もここまで突き抜けるようなやり方はしなかった。少女の心の中のカケラが、少女を責め続ける良心と罪悪感がそれを許さなかった。

 だが、ベルは、明確に正義の言葉を口にした。

 正義の観点から甚振られる少女を見捨てることはできないと示した。

 

 少女は思った。

 

 ああ、こいつは私の敵だ、と。

 

 だって、そこにどんな理由があろうとも。

 少女は悪の道を進んでしまっていたから。

 少女は、正義にとっての悪だった。

 

 それだけの話。

 

 故に、二人の道が交わることは決して無い。

 リリが悪であり、ベルが正義である限りは。

 決して無い。

 

 リリはベルの直ぐ側にある枯れ木に泥団子のようなものをくくり付ける。

 団子を吊っている紐は意図的に削られていて、今にも千切れてしまいそうだった。

 

「これはモンスターをおびき寄せる道具です。この紐が切れて地面に落ちると、玉が割れて臭いが拡散。モンスターが寄ってきます。紐が千切れるのと毒の効果時間はほぼ一緒ですから……運が良かったら助かるんじゃないですか? ベル様はお強いですし」

 

 それは、ベルがリリを追って来れないようにするための仕掛けだった。

 間接的にはともかく。直接的に人を殺すことが出来ない、中途半端なリリの臆病さの現れだった。

 

 これなら、モンスターがベルを殺したと自分に言い訳できる。

 実質リリが殺したようなものだと分かっていても。

 これなら、自分の心を誤魔化して、リリは実行できた。

 

 十階層を選んだのは。

 あまりに浅い階層だと、流石にベルが追い付いてきそうだったから。

 十階層ほどのモンスターがベルの足止めには必要だとリリは判断していた。

 

「待って……! リリ、リリ……!」

 

「待ちませんよ。さっき毒の効果時間のこと言いましたが、個人差はありますし。ここにいればベル様にリリは何をされるかわかりません」

 

「話を、聞いて、くれ……! 僕は、リリが悲しんでいるように、見えた、から……!!」

 

「そりゃあ悲しいですよ。悲しいに決まってるじゃないですか。頭蓋骨割られて、鼻も折れて、おまけに体の骨を何本も折れるぐらい殴られて悲しくない訳じゃないですか」

 

「違う……! そうだけど、そうじゃ、なくて……!」

 

「違う? 何が? ベル様にリリの何が分かるんですか? 幸せな人生を歩んできたベル様に!! リリの! 何が分かるっていうんですか!!」

 

「リリ! 話を、聞いて……!」

 

「助けてくれるなら助けてほしいですよリリも!! でも誰も助けてくれない! 助けてくれなかった! だからこうなってるんですよ!! 冒険者がリリをこうしたんです!! リリだって幸せになりたかった! なりたかったですよ!! ……でも、もう、仕方ないじゃないですか。だって、リリは……」

 

 ぎゅっと噛み締めるように唇を惹き結んで。

 リリはその先を口にしなかった。

 

「……その短剣は差し上げます。この木刀の代わりに。運が良ければ生きて帰還できるでしょうけど……二度と会うことはない事を願います。ーーさようなら、ベル様」

 

 それだけ言って、リリはベルに背中を向けた。

 小さな背中がどんどん見えなくなっていく。

 

「リリ、待って、リリ、リリ! リリ──ッ!!」

 

 毒で動けないベルの叫びが悲痛に響いていた。




原作との変更点。
→ベルくんが明確に正義のスタンスを取ることにより、リリの敵意が膨れ上がる。
→アストレア様との特訓の成果によりベルくんに技術の跡が見え隠れし、リリの警戒心と自分にないものを全て持ってるベルくんへの嫉妬カウンターが跳ね上がる。
→ベルくんはリリを探すことに焦っていたので、原作と違い圧倒的なコミュニケーション不足。

次話。
→ベル・クラネルと【ソーマ・ファミリア】
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