あの日村に来た怪物がめちゃくちゃ強かった   作:とやる

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ベル・クラネルと英雄の正義

 ベルがリリの元に辿り着く、その少し前。

 リリによって腹を刺されたベルは、体を苛む毒に苦しんでいた。

 

 動こうとしても動けない。

 体内に侵入した毒が神経を痺れさせ、筋肉の動きを阻害する。

 手足に力は入らず、辛うじて塞がりつつある腹の傷を抑えて、陸に打ち上げられた死にかけの魚のようにピクピクと痙攣するのみ。

 更に裂傷と毒による痛みすらあるのだから、ベルが感じている苦痛は相応のものだ。

 

 だが、何よりもベルを痛めつけていたのは、そんな外的要因による苦悶ではなく。

 

「リリ……っ」

 

 木刀を奪って行った、リリのことだった。

 

 知らなかった。

 リリがあの盗人の小人族だったことを、ベルは知らなかった。思いもしなかった。

 無理もないだろう。だって、ベルが知っているリリは"盗人の小人族"ではなく"サポーターのエルフ"だったのだから。

 気付けというほうが無理というものだ。

 

 リリを探す時間を確保するため、ダンジョン探索の効率化を図ってサポーター契約を持ちかけてきたエルフの少女と契約した。

 実際探索の効率は上がったし、その分よりリリの捜索に時間を当てられるようになった。

 それがとんだ笑い話もあったものだ。ベルが必死に探していた少女は、最初からずっとベルの近くにいたのだから。

 

 男なら女の子を守れと言う祖父に感化された。

 悲しんでいる誰かに手を差し伸べるアストレアの正義に心を打たれた。

 そして、女の子が泣いていることを良しとする正義はいらないとベルは思った。

 

 悲しんでいるように見えたリリに。寂しそうだったリリに。その瞳の奥に孤独を覗かせていたリリに。

 ベルは、かつて自分がアストレアにそうしてもらったように、手を伸ばしたいと思った。

 

 その結果がこれ。

 

 ベルは裏切られ、大切な木刀を奪われて、無様に転がっている。

 

 リリにとってベルは悪の敵だったから。

 

 未だ未成熟な小さな正義を根本からへし折るには、十分過ぎるほどの出来事だった。

 

 だが、ベルは諦めなかった。

 

「はや、く……っ! 動け……っ!!」

 

 ベルはリリのことを何にも知らない。

 リリの境遇を、過去を、罪を知らない。

 ベルにとってリリは、強者に尊厳を踏みにじられている小人族で、成り行きで契約したサポーターで、自分から木刀を奪って行った女の子でしかない。

 

 でも。

 ベルは、リリの願いを知っている。

 

 

『リリだって幸せになりたかった! なりたかったですよ!!』

 

 

 その声が耳から離れてくれない。

 ギリギリまで注がれたコップの水が決壊するように零れ落ちたその言葉が、ベルの耳から離れてくれない。

 

 

『……でも、もう、仕方ないじゃないですか。だって、リリは……』

 

 

 その顔がベルの瞳に焼き付いている。

 諦めたように遥か遠くにあるものを寂しげに見つめるその顔が、ベルの瞳に焼き付いている。

 

 リリの奥底で疼いていた孤独が、ベルの心に訴えかけている。

 

 リリは盗人だ。悪だ。正義が倒すべき存在だ。

 だが、ベルはそう言う者全てに真正面からこう言ってやる。

 

 それがどうした、と。

 

 善人だけを助けるから正義なのか? 悪人を切り捨てるから正義なのか? 

 悪人を助けた正義は、正義ではなくなってしまうのか? 

 

 もし、仮にそうだったとしても。

 今、ここで。

 

「泣いている女の子を切り捨てる正義なんてない!!」

 

 例え裏切られたとのだとしても。

 お前が差し出す手なんていらないと突っぱねられようとも。

 ベルがそうしたいと思ったから。そうするべきだとベルの正義が叫んでいたから。

 

 だから、ベルは拳を握る。

 

 相手の方が強い? 

 それがどうした。

 

 一度負けた相手? 

 それがどうした。

 

 お前が憎いと言われたのに? 

 でも、あの子は泣いていた。

 心の中でずっと泣いていた。

 

 それはひどく独善的な正義の意思だった。

 助けたいと、力になりたいと思った人のために何処までも駆けていくような、自分勝手な正義の種火だった。

 例えそれがどのような人物でも。例え悪人だったとしても。

 自分が助けたいから助けるという、正義の『現実』を殴り飛ばすような、いっそ虚構ですらある『理想』の正義。

 

 自分が助けたいもの全てを助ける。

 かつて、正義の旗に集った英傑たちを纏め上げた少女は、その正義をこう呼んだ。

 

『英雄』の正義。

 

 ベル・クラネルは英雄の頂へ踏み出す。

 ベルの中の何かが、ベルの魂に呼応するように産声を上げた。

 

 同時に、リリが枯れ木にくくり付けていた紐が千切れる。

 地面で弾けた玉から拡散するのはモンスターを誘き寄せる香り。

 ベルの視界の端に、匂いに釣られて寄ってきた【オーク】が見える。

 

 体はまだ動かない。

 

「くそっ……! 早く、早く……っ!!」

 

 見える範囲にオークがどんどん集まってくるのが分かる。

 その中の一匹のオークがベルを見つけ雄叫びを上げた。

 倒れ臥すベルは正しく罠にかかった兎。

 ダンジョンの意思により神と人に敵意を持って生まれるモンスターがベルを見逃すはずがない。

 

 体はまだ動かない。

 

「動け、動けっ! 僕はここで死ねない! リリの涙を拭ってあげたい、リリを助けたいんだ! 動け、動け……!!」

 

 オークが邁進する。

 地面を蹴り上げ土煙を上げながら雪崩のようにベルへ襲いくる。

 拳を握る。

 腕は上がらない。

 立ち上がれない。

 

 体はまだ動かない。

 

「僕はリリのことを何も知らない……! だから! これからちゃんと知っていく! ちゃんと話して、ちゃんと理解して、リリを知っていく! あの子を寂しいままには絶対にさせない!! 僕がそうしてもらったように、今度は僕がそうしたいから!!」

 

 オークがその豪腕を振り上げる。

 人の頭ほどの岩なら容易く粉々になるパワーを秘めた拳が、突撃してきた勢いをそのままにベルに振り下ろされる。

 

「助けたいから助けるんだ! 裏切られたからなんだ! 悪だからどうかなんて知らない!! 僕は! リリを助けたいッ!! ──それが僕の正義だ!!!」

 

 拳が迫る。

 体はまだ動かない。

 瞬きの瞬間にベルは死ぬ。

 ベルは諦めなかった。

 必死に体を動かそうとして。

 リリのもとへ駆けて行こうとしていた。

 リリを一人にしないために。その寂しさを一人で抱えさせないために。

 

 絶対に死ぬもんかと、最後までベルは足掻いていた。

 

 そして、ベルの体の奥底から。

 

 紫電が、弾けた。

 

 

 

 

 

『よく言った! それでこそだ!』

 

『そうだ、ベル。男なら──』

 

『──死んでも女を守ってみせろ!!』

 

 

 

 

 

 激音を響かせて激突したオークの拳が土煙を舞い上げる。

 Lev.1の冒険者では、奇跡的に生きていたとしても致命傷は免れない、それほどの一撃。

 地面が割れていた。オークの拳の形に抉れていた。

 しかし、そこにベルの姿はなかった。

 

「──今、のは……?」

 

 倒れ伏していたベルは、二本の足で大地に立ち、オークの遥か前方で何が起こったか分からないと言った様子で自分の体を見ていた。

 

 オーク達が一斉に押し寄せる。

 取り逃したベルを仕留めんと、続々と集まってきたオークが一斉にベルを押し潰しにかかった。

 迎え撃つベルは短剣一本。

 手に馴染んだ木刀はなく、己を刺した短剣を武器にオークの群れに挑む。

 

「邪魔を、するなあああああああっ!!!」

 

 何故動けたのかは分からない。未だ残る毒の気怠さを気合で捻じ伏せて、四方八方から迫るオークの攻撃を避ける、避ける、避ける。

 しゃがみ、跳び、走り、くぐみ、ひたすら前に進み続ける。

 

 急ぐ理由がある。

 このままリリに追いつけずに木刀を売られるのは困るし、なにより、リリがそれをしてしまうと、何かが終わってしまう気がしていた。リリの中の何かが崩れてなくなってしまう、そんな気がした。

 それに、何故か妙な胸騒ぎもする。

 何が良くないことが起こっているような、そんな根拠のない確信があった。

 

「そこをどけぇぇぇえっ!!!」

 

 しかし、あまりにもオークの数が多い。

 本来の木刀があればまだしも、ろくに刃が通らないばかりか無理して斬ろうとすると壊れてしまいそうなこの短剣ではいくらなんでも限界がある。

 ベルがこの大立ち回りを演じられているのは、一重にアストレアが叩き込んだ武の足運びによって成せる奇跡だった。

 アストレアとの旅の一年がなければベルはここで死んでいただろう。

 

「ぐっ!」

 

 オークの攻撃がベルの胴を掠めていく。

 多勢に無勢。

 体調も万全ではなく、装備すら貧弱。

 あまりにも劣勢だ。

 だが、こんなところで躓いているわけにはいかない。

 なぜなら、ベルがいつか剣を交えなければならないあの男は、このオークよりも遥かに高みへ至っているから。

 こんなところで苦戦するようではあの男に勝てない。

 

 ベルの相貌が獰猛に歪む。

 多少の傷を負っても無理やり突っ切る覚悟を決めた。

 腹を括る。

 今、ここで、この先に行かなければ全てが終わるという本能の叫びに従って、ベルが地面を蹴り上げた、その時。

 

「うわ、なんだこれ!?」

 

「オークか!? なんだこの大群!」

 

「おい、あれ! 見ろ! 誰か襲われてる!」

 

「マジかよ! 誰だ……って、あん時の少年じゃねえか!!」

 

「知ってるやつか!?」

 

「前話したやつだよ! ──ダンジョンで、俺を助けてくれた少年だ!」

 

 因果応報という言葉がある。

 ベルがリリに初めて出会ったその日、ベルはダンジョンで怪物に囲まれていた冒険者を助けていた。

 

 小人族の少女は、悪いことをしたのだから自分はこんな風になったのだろうと、死の間際になって思った。

 なら、正義に憧れて善いことをし続けていたベルに応報する因果とは、どのようなものだろうか。

 

 その答えがここにある。

 

「仲間助けてもらってんだ! 冒険者の流儀に則り加勢するぜ坊主!」

 

「すまねえみんな! おい、少年!! 待ってろ、今行くからな!」

 

 九階層から降りてきた冒険者のパーティーがオークの群れと激突する。

 リーダーであろう男の力量は高く、オークの数が一匹、また一匹と灰へ変わっていく。

 ベルの胸の中に、泣きたくなるような熱が込み上げた。

 

「って、よく見たら丸腰じゃねえか!? おい少年、あん時の木刀どうした!?」

 

「壊されたのか!? やべぇ、さっさと逃げろ坊主! ここは俺たちに任せとけ!」

 

「いや逃げても不味いだろ武器ないんだぞ!? くそっ、気合い入れろ! 仲間の命の恩人をみすみす死なせるかよ!」

 

「──武器はあります! すみません、ここは任せます! ……ありがとうっ!!」

 

「おおよ! 武器はあるんだな!? なら危ねえからさっさといけ! 死ぬんじゃねえぞ少年!」

 

「俺たちも余裕ねえからなあ! ってかなんでこんなオークいるんだよ!!」

 

「逆に考えろ! ──今日はこれで大儲けだ!」

 

「ひゃっふぅ! いいね! 今夜はご馳走だ!」

 

 冒険者達とオークに背を向けてベルは今度こそ全力で走り始めた。

 冒険者たちの鼓舞の声とオークの雄叫びを背に受け止めてベルはひた走る。

 速く、速く、もっと速く。

 階段を飛ぶように駆け上がり、九階層を風のように走り過ぎ、八階層をあっという間に駆け抜けた。

 そして、七階層に足を踏み入れて直ぐに、その姿を見つけた。

 

 キラーアントに今にも食い殺されそうな小さな少女の姿。

 涙を流しながら、拭きれない孤独と寂しさを痛々しいほどにその顔に刻み込み、身体中痛めつけられたのか血と青痣だらけの少女が、もう堪えきれないと、蓋をし続けていた想いを溢す。

 

「助けて──ベル様」

 

 悲しんでいる誰かに手を伸ばす。

 ベルは、伸ばされたその手を絶対に離さない。

 

「リリィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!」

 

 それはまるで大地を駆ける稲妻のようだった。

 不意を突かれたザニスが反応できないほどの速度で飛び込んだ白い影が、リリを喰い殺す寸前だったキラーアントの命を一瞬で狩りとった。

 

 なんで。

 どうして。

 

 信じられないと、何が起こったか分からないと呆然と自分を見るリリの頭を、ベルは優しく撫でる。

 

「助けるよ。──当たり前だッ!!」

 

 それがベルの正義。

 善でもなく、悪でもなく。

 ベルが助けたいと思った全てを助ける、絵に描いたような理想の正義。

 

 ベルがリリを助けたいと思ったから。

 

 ベル・クラネルと英雄の正義の種火が燃え上がっていた。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 対峙するベルとザニス。

 構えるのは短剣と長剣。

 衝突するLev.1とlev.2。

 掲げるのは正義と邪悪。

 

 キラーアントの大群が集まりつつある広いルームの中央で睨み合う両者。

 先に動いたのは──ベル。

 

「リリッ! あの壁際にっ!!」

 

 逃げるのは不可能だと判断した。

 肌で感じるモンスターの気配が尋常ではない。十階層のオークを軽く上回る数がこのルームに集いつつある。

 逃す気などまるでないように剣を抜くザニスの相手をしつつ、キラーアントからリリを守る事がベルに課せられた正義の楔。

 ベルはリリを守りやすいポジション、つまりモンスターに囲まれない壁際に移動させようとした。

 

「まあ、そう来るだろうな!」

 

「ぐ、うぅ……!!」

 

 移動はさせないとザニスがリリに斬りかかる。

 必死にその間に割って入ったベルがザニスの長剣を短剣で受け止め、その瞬間手首を返して剣を流した。

 短剣の刀身を滑った長剣がベルの左肩を浅く削って空を切り裂く。

 

(受け止めたら短剣ごと斬られていた……!!)

 

 一瞬の攻防で自信の立たされた逆境を理解したベルの頬を冷や汗が伝う。

 

「……へえ。少しは出来る様になってるみたいだな!」

 

 剣劇は一撃では終わらない。

 Lev.2のステイタスから繰り出される豪剣がベルに襲いかかる。

 

「はははははははは! そらそらそらそらっ!! どうした! 反撃もできねえのか!!」

 

「くっ、そ……!!」

 

 視認困難な速度でめちゃくちゃに振り回される致命の剣閃。

 それは技と呼べるような研ぎ澄まされた一撃ではなかったが、ステイタス差が必殺の一撃へと変貌させる。

 ベルは全身を斬り刻まれながら、なんとか致命傷を避ける事で精一杯だった。

 

「おい、どこにいくつもりだアーデ!」

 

「ぅあっ!」

 

「やめろ! リリに手を出すなぁ!!」

 

 しかも、ザニスにはその合間にリリを殺そうとする余裕まである。

 ザニスの蹴った石が銃弾のようにかっ飛び、リリの頬を切り裂いて闇へ突き刺さる。

 闇の奥で虫の苦悶の鳴き声が聞こえた。

 数秒後、闇からまろび出たキラーアント、その数五匹。

 

 リリの喉から干上がった悲鳴が絞り出された。

 

「逃げてッ!! リリ!」

 

「逃すわけないだろっ!!」

 

 キラーアントから離れベルが指した壁際へ走り出したリリをザニスが追う。

 Lev.2の脚力では一秒もかからないその距離をザニスが殺し、長剣を振り上げた。

 

「やめろおおおおおおおおっ!!」

 

「ぐっ!? この、ガキが!!」

 

 間一髪。

 突進したベルが体当たりのように体ごとザニスにぶち当てた。

 全力疾走の勢いを殺さぬ突貫に流石のザニスも体の軸がブレる。

 返す刀で叩き込まれた肘鉄がベルの横腹に突き刺さり、ぐしゃりと乾いた音がルームを貫く。

 ベルの口から鮮血が飛び散った。

 

 凄まじい勢いで地面に叩きつけれてその衝撃で跳ね上がったベルを、ザニスの回し蹴りが吹き飛ばす。

 壁際に走っていたリリを追い越し、ベルはノーバウンドで壁に激突した。

 そのまま、壁に鮮血を擦り付けながら地に落ちる。

 

「べ、ル……様……?」

 

 ベルの下に作られる血溜まりを見て、瞳と声を震わせながらリリが呆然と呟いた。

 

 たった一分。

 たった一分だ。

 たった一分で、ベルは戦闘不能に追い込まれた。

 

「はっ! 多少は動けたようだが、Lev.1のガキが俺に敵うはずがないだろ」

 

 これがLev.2。

 これが上級冒険者。

 これが壁を一つ超えた冒険者の力だ。

 

 冒険者の強さとは基本的にステイタスの強さだ。

 重ねた年月、積み重ねた努力。その全てをゴミのように蹴散らすのがステイタスの差。

 同じレベルでもそうなのだ。レベルが違えば話にもならない。

 だからオラリオでは『レベルが一つ違う相手には勝てない』と、さも共通認識のように言われているのだ。

 これは、誰でも知ってる当たり前の話。

 

「だから言っただろう。弱者に正義を語る資格はないとな」

 

 自身に飛び掛かるキラーアントを、まるでゴミを手で払うように一刀両断するザニスが一歩、また一歩とベルへ近づく。

 不意に、その足が止まった。

 

「ぶ──はははははははははっ! おい、なんだそれは!? どういう心変わりだ!? なあ、アーデ!」

 

 ザニスの前に立ちはだかったリリが、ベルの前で両手を広げていた。

 まるで、これ以上は進ませないとでも言うように。

 

 リリは何も答えない。

 必ず来る衝撃の準備をするように体に力を込め、必ず訪れる死を恐れるようにぎゅっと目を瞑り、されど震える足は一歩たりとも動かない。

 

 絶対にこの場所を動かないと、その姿が何よりも雄弁に物語っていた。

 

(……心変わり、なんでしょうか)

 

 リリ自身にも、なんで自分がこんな事をしているのか正確には分からない。

 冒険者を庇う? 今まで冒険者にずっと酷い目に合わされてきたのに? 

 過去のリリが今のリリを見れば、気が狂ったのかと唾を吐くだろう。

 

 ただ、一つだけ言える事があるとすれば。

 

 リリは嬉しかったのだ。

 嬉しかった。ベルが来てくれことが、嬉しかった。

 大切な木刀を奪ったのに。毒を使って死ぬかもしれない目にあったのに。

 自分みたいな悪人を助けるために……独りにしないために来てくれたことが、嬉しかった。

 そのために一度完膚なきまでに負けた相手に、使い慣れない武器を使ってまで挑んでくれたことが、嬉しかった。

 

 それが欺瞞や偽善では出来ない行為だと、人の悪意を一身に受けてきたリリは知っている。

 

 誰も助けてくれないと思っていた。誰にも助けられる価値なんかないと思っていた。

 ずっと独りだと思っていた。独りで当たり前だと思っていた。

 そんな自分の頭を優しく撫でて、微笑んでくれたことが、心の底から、嬉しかったのだ。

 

 そんなベルが、自分なんかより先に死んでしまうのは許せなかった。

 

 リリには強大な敵に立ち向かう勇気はない。

 それは正義の資質だから。悪であるリリにはないものだ。

 でも、守るために死ぬことは悪のリリにもできるから。

 

(ごめんなさい。助けてくれたのにごめんなさい。こんなリリを独りにしないでくれたのにごめんなさい。でも、せめて。ベル様を先に死なせることだけはしません)

 

 それが、愚図で無能な役立たずのサポーターに出来る、最初で最後の恩返しだった。

 

「……つまらねえ。そんなに死にたいならモンスターに喰われてさっさと死んじまえ」

 

 なんの反応もせずただ硬く目を閉じるだけのリリに直ぐに興味を失ったザニスが手を止める。

 意図的に作った隙を突くように飛び出したキラーアントをひらりと交わし、そのままキラーアントは目の前の獲物、リリに飛びつく。

 強靭な顎がギロチンのようにばっくりと開かれた。

 

「──っ!!」

 

 迫る死の気配。

 目を閉じているリリには状況はよく分からなかったが、死の間際に鋭敏になった感覚が今度こそ死ぬと告げていた。

 死ぬのは怖い。嫌だ。だって、やっと自分を独りにしないでくれる人を見つけたのだ。

 でも。

 すぐにその人が死んでしまうのだとしても……。例え、一回きりの肉盾としてだったとしても……。

 

(守って、死ねるのなら。こんなリリの人生にも、きっと意味はあったんです)

 

 死に怯えながら、死を受け入れて、リリは死の痛みを覚悟した。

 

「──────……?」

 

 だが、いつまで経ってもその痛みはこない。

 恐る恐る目を開ければ、血に濡れた背中がいつの間にか目の前にあった。

 

「男なら……」

 

 ごぼり、と。

 血を吐きながらベルは短剣を構える。

 

「例え死んでも……」

 

 満身創痍。

 真っ白な髪は鮮血で汚れ、短剣を振るうその姿はあまりにも弱々しい。

 

「女を、守れ──!!」

 

 だが、その深紅の瞳はカケラも諦めてなどいなかった。

 

 ベル達を襲うキラーアントが灰へ変わる。

 背中で剣戟を聞いたザニスが、幽霊でも見たかのような表情で振り返っていた。

 

「なんで生きてんだ……? いや、なんで動けて……動けるはずがないっ!」

 

 ザニスに傷はほとんどなく、ベルは誰が見ても重体と断ずる血塗れ。

 それは両者の間にある力の差を明確に証明する。

 

 勝てるわけがない。

 誰もがそう思うだろう。

 ザニスは最初からずっとそう考えていた。確信していたと言ってもいい。

 リリですら、勝つことを諦めていたのだから。

 

 だが、ベルは一度も勝てないと考えたことはなく。

 正義の灯火は未だ燦然と燃え上がっている。

 

 ベルが一歩踏み出す。

 それだけだというのに、ザニスは無意識のうちに一歩下がった。

 

「ぁぁぁぁあああああああああっ!!!」

 

 それは獣の咆哮だった。

 千切れかける意識を無理やり手繰り寄せて、立ち上がるために命のカケラを咀嚼して心を燃やす。

 

 ザニスが気圧される。

 Lev.2にまで登り詰めたザニスが、たった一人のLev.1の冒険者の気迫に後ずさっていた。

 

「勝たないと……」

 

 昏く、儚い呟き。

 誰もが息を呑む。ザニスも、リリも、大群になりつつあるキラーアントでさえ、動けないでいた。

 

 傷がない場所を探す方が難しい体で、今にも消えてしまいそうな命の炎と、永遠に消えることなく燃え上がる正義の篝火をその胸に。

 死相を相貌に貼り付けたベルは、それでもなお『未来』を見据えてザニスを睨む。

 

「絶対に死なせない……っ!」

 

 だから、絶対に勝つ。

 血を滴らせながら、三度ベルは武器を構えた。

 

「……何やってんだ、俺はッ!」

 

 ベルに、格下如きに気圧されていたことに気付いたザニスが苛立たしげに舌を鳴らす。

 それを振り払うように、ザニスはLev.2の脚力を持って踏み込んだ。

 

 Lev.2の冒険者の全力駆動。風圧すら発生させるほどの高速移動。

 今度こそ必殺の威力を秘めた片手剣がベルへと振り下ろされる。

 ベルの脳裏を過ぎったのは、かつての戦い。

 

 一度目の戦いは人気のない路地裏。

 ザニスの剣を受け止めた木刀ごと吹き飛ばされ、為す術もなく倒された。

 二度目の戦いはダンジョン。

 使い慣れない短剣で食らいつき、されど短い時間を稼いだだけでボロ雑巾のように転がされた。

 

 なら、これは三度目の戦い。

 ザニスにベルを殺す意思がある以上、これが最後の戦いになるだろう。

 

 迫りくる片手剣を見据えながら、ベルは──。

 

 

『……ベル。絶対に使うなと厳命します。でも、もし、必死に抗って、それでも打つ手がなくなるほどの危機に陥ったときには──』

 

 

 ──すみません、と心の中で呟いて。

 

「【アーティファクト・ケラウノス・レプカ】」

 

 アストレアから教えられた"おまじない"を、口にした。

 

 

 

 

 

 雷の柱が屹立する。

 

 

 

 

 

「な──んだこれは!?」

 

「きゃぁ──っ!?」

 

 それはまるで雷が落ちてきたようだった。

 物理的な破壊力すら生じさせる膨大な魔力の余波。

 それだけでザニスが吹き飛ばされた。

 

「ベル……様……?」

 

 リリは見た。

 雷の落ちたその中心で、まるで雷を纏うように立っているベルを。

 

「──は?」

 

 ザニスは見た。

 雷を纏ったベルが、力を込めるように屈んだのを。

 

 直後、雷鳴を轟かせながらベルはザニスの目の前に"現れた"。

 

「死に損ないが──!! どうなってるんだ!? あぁ!?」

 

 しかし、ザニスとてLve.2の冒険者。

 そこに磨き抜かれた技はなく、高ステイタスのゴリ押しによる戦いであっても、高いステイタスに裏打ちされた地力がある。

 大地を疾る雷のように一瞬で現れたベルにザニスは見事反応して見せた。

 雷を『付与』した短剣が悲鳴のような炸裂音を掻き鳴らし、ザニスの振るう片手剣とぶつかり合う。

 断末魔のような高音と共に短剣が折れた。

 

「──づ、あああああぁ!?」

 

 そして、ベルの攻撃を受け止めたザニスを後追いの電撃が襲う。

 体を焼く雷撃に堪らず地面を転がるザニス。

 ザニスの体から溢れた雷の余波だけで近くにいたキラーアントの半身が消しとんだ。

 

 あまりの光景にリリが瞠目する。

 Lev.1の冒険者に許されていい代物では到底なかった。

 こんな【魔法】は見たことがない。

 いや、【魔法】なのか? 

 目の前のこれは本当に【魔法】なのか? 

 数多くの冒険者を見てきたリリの直感が、これは【魔法】とは似て非なるものだと叫んでいた。

 

「ふざけんじゃねえ! なんだこれは!? なんだよこれはぁ!!? ぐ、がああああああっ!!」

 

 ベルが動くたびに雷が落ちたかのような轟音が空気を叩く。

 雷鳴を轟かせるベルが、折れた短剣を鈍器のように使用してザニスを殴っていた。

 必死にその速さに喰らいつくザニスが片手剣でそれを受け止めるが、受け止めるたびに追撃の雷撃が体を焼く。

 雷に焼かれながら、それでも倒れる気配のないタフネスは流石のものだ。

 

 二人の攻防の余波だけでキラーアントが消し飛んでいく。

 やがて、二人を囲うようにキラーアントが動きを止めた。まるで、これ以上近づけないかのように。

 

 攻撃を裁くことに必死なザニスは気付かない。

 モンスターは気付くわけがない。

 だから、リリだけがそれに気がついた。

 

「……この、臭い、は……!?」

 

 鼻を刺すような刺激臭。

 リリはそれを知っていた。

 

 人の肉が焼ける臭いだ。

 

 ザニスか? 

 違う。確かにザニスは雷に焼かれていたが、それは今はまだ皮膚を焼く程度で収まっている。

 なら、この臭いは誰から? 

 考えるまでもない。

 ベルからだ。

 ベルは、己の体を雷で焼きながら戦っていた。

 

「──────ぁ」

 

 自分のダメージを顧みない戦い方をする者はいない。

 人には意思があるからだ。痛みを忌避する生体反応があるからだ。

 ならば、それを無視できているということは、意識が正常な状態にないことを意味する。

 

 事実、ベルは半ば意識を飛ばしていた。

 意識を飛ばしながら、戦っていた。

 勝たないと死ぬから。

 倒さないと死んでしまうから。

 ベルが? 

 もちろん、ベルもだ。だが、そうではない。そうではないのだ。

 意識を飛ばしてまで守るほど自分の命が大事なら、そもそも首を突っ込まなければよかったのだから。

 だから、ベルがそこまでして守りたかったものは。

 

「リリ、を──っ!」

 

 思わず口を手で覆う。

 リリの瞳からまだ残っていたのか、雫が零れ落ちた。

 

 戦いは苛烈する。

 ベルから溢れ出す雷はベルの体を焼いていたが、皮肉なことにそれが止血の役割を果たしていた。

 故に、まだ動ける。

 

 だが、このまま動けばそう遠くないうちにベルの命は尽きるだろう。

 過ぎたる力はいつだって使用者を自滅させる。

 

 なんとかしなければならない。

 リリがやらなければならない。

 

 ベルを死なせたくないのなら。

 リリが、ベルを止めなければならない。

 

(どうやって? どうやれば止まるんですか? 声をかければ? ダメだ、それじゃあベル様には届かない。何か物理的な衝撃を与えないと……でもどうやって? あれに近づくんですか? 無理です! リリなんかより遥かに早い──リリでは目で追うのもやっとの世界なんですよ!? 出来るわけがない! でもやらないとこのままじゃベル様がでも仮に近づいたとしてもリリだとあの雷に阻まれて触ることもできないどうすればどうすればこのままじゃでもリリには出来ないでもベル様がどうすればどうすればどうすればいいかどうすれば──!!)

 

 リリは、強大な力を持つ相手に立ち向かえない。

 リリが弱いから? 

 それもある。だが、ベルはザニスより明確に弱かったが、怯むことなく立ち向かった。

 二人の違いは勇気の違い。

 そして、立場の違いだ。

 

 格上の相手に挑むのはいつだって正義の資質を持つ者。

 古今東西、あらゆる強大な悪に立ち向かう者として正義は語り継がれてきた。

 リリは悪だ。だから立ち向かえない。

 リリには資質がない。だから動けない。

 

 リリには、何もできない。

 

(──でも! でもっ!! このままじゃ、ベル様が──っ!!!)

 

 いつものリリなら、諦めていた。

 いつものように諦めていた。

 卑屈になって、配られた才能というカードが弱かったせいだと、諦めてしまっていた。

 だけど。

 そんなリリでも、ベルを諦めることは出来なかったから。

 

(どうすればどうすればリリに出来ることリリがしなければいけないこと────ぁ、あれ、は)

 

 どんな時でも諦めない。

 ベルから燃え移った正義の炎の燻りが、リリにそれを見つけさせた。

 

 

 

『おい、カヌゥ。アーデが持ってたこの木刀どうするよ』

 

『あぁ? 木刀だぁ? あのガキが使ってた武器か……まあ、多少の金にはなるだろうが、木刀売ったって端金だろうが。捨てとけそんなもん』

 

『だろうな。そらよっと!』

 

 

 

 それは、リリが奪ったベルの木刀。

 カヌゥたちが価値がないと判断して捨てた、ベルの武器。

 キラーアントの大群に飲み込まれ見えなくなっていたそれは、巻き添えを嫌ったキラーアントがベルから離れたことによってその姿を見せていた。

 

(──あれなら、届くかもしれないっ!!)

 

 木刀の場所はキラーアントのすぐ目の前。

 拾いに行けば死ぬかもしれない。

 目の前にのこのこやってきた獲物を逃すほどキラーアントも馬鹿ではない。

 恐怖はあった。だけど、リリはその一歩を踏み出すことを躊躇わなかった。

 

 格上に挑むその勇気を。

 人は、正義と呼ぶ。

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!!!」

 

 叫ぶ。

 ベルのように。

 己を奮い立たせ、リリは走った。

 

 キラーアントが突っ込んでくる獲物に容赦なく四本の鉤爪を薙ぐ。

 貧弱な小人族のサポーターなど紙切れのように引き裂いてしまう致死の攻撃。

 

「リリだって──リリだってぇぇぇぇえええっ!!!」

 

 リリは、あえて飛び込んだ。

 キラーアントの胴体の下にリリが潜り込むのと、鉤爪がリリのいた空間を引き裂くのは同時。

 逃げ遅れた髪の毛が宙を舞う。

 勢いよく地面を転がりながら、リリは堅く木刀を掴んだ。

 

「あああああああああああああああああっ!!!!!!」

 

 そのまま木刀を真上に突き刺す。

 リリの非力な力……だが、業物である木刀はキラーアントの胴体を確かに貫いた。

 運良く魔石を砕いたのか、キラーアントが灰へ変わる。

 行き着く間も無く、リリはごろごろと転がりながらキラーアントの群れから離脱した。

 木刀を絶対に離すまいと抱きしめながら。

 

 見に纏うはボロ切れ同然の布の服。

 鼻が折れた顔は見るも無残で、泣きはらした目元と合わせて酷いことになっている。

 殴られ、蹴られ続けた体は青痣だらけで、動くだけで痛いし、骨だって折れている。

 

 油断したら転がりでそうな弱音を蹴っ飛ばして、リリは立ち上がった。

 

 木刀を構える。

 ベルがそうしていたように、見様見真似で。

 心を落ち着けるように深呼吸を一つして。

 

(きっと、ベル様なら──っ!!)

 

 リリは、ベルに向かって駆け出した。

 

 ベルとザニスの剣戟を目で追うことはできない。

 でも、場所はわかる。

 ベルのその雷の轟が場所を教えてくれる。

 

 怯える体の尻を蹴り上げ。

 震え上がる心を怒鳴りつけて。

 すくむ意思を勇気で捻じ伏せ。

 

「ベル様──」

 

 木刀を振りかぶる。

 リリに気が付いたベルが迎撃しようとして、不自然にその動きが止まった。

 

(ああ、やっぱり──)

 

 その瞬間をリリは見逃さなかった。

 

「目を、覚まして──ッ!!!」

 

 リリの振るった木刀が雷を突き破ってベルの胴を打ち据え、ぶっ飛ばした。

 




雷神の贈り物はダンまち名物チートに分類されるものですが、ばかすこ使われても困るのでとんでもない制約が付いてます。

次回ラストバトル。そろそろ決着が見えてきました。
あと、誤字報告いつもありがとうございます。助かってます。

次話。
→ベル・クラネルとザニス
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