あの日村に来た怪物がめちゃくちゃ強かった   作:とやる

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ベル・クラネルとザニス 

 僕はずっと一人で泣いていた。

 

 恐ろしい怪物を見て気絶してしまった僕が目を覚ましたときには、もう全てが終わってしまった後で。

 血は繋がっていなかったけど、たった一人の大切な家族だった大好きなお爺ちゃんは居なくなっていた。

 

 村はあちこちがめちゃくちゃで。

 地面がひっくり返ったみたいに目に映るものの殆どが壊れてしまっていて、村がそんな状態だったから、家族を亡くした僕を気にする余裕は誰にもなかった。

 運良く壊れてなかった物置に閉じこもったのは、世界から自分の居場所がなくなったように感じたから。

 生きていることを喜び合う家族の姿が、その時の僕には身を引き裂くように辛かった。

 

 孤独だった。

 独りぼっちだった。

 涙は次から次から溢れてきて、『男が泣くな』って言いながらもぎこちなく頭を撫でてくれていたお爺ちゃんももういない。

 これからどうすればいいのかも分からない。

 胸の真ん中に空いた悲しみの穴はとても深くて、際限なく落ちていくようだった。

 お爺ちゃんのいない世界から逃げるように、辛い現実から心を守るように。

 僕は一人で孤独の渦に閉じこもろうとしていた。

 

 そんな僕を連れ出してくれた神様がいた。

 

『家族を失ったという子どもは貴方ね』

 

 伸ばされた手がどれほど嬉しかったか覚えてる。

 抱きしめられた温かさを覚えてる。

 ずっと側にいてくれたその優しさに、僕がどれほど救われたか。

 

 そのとき僕は思ったんだ。

 

 僕と同じように、独りで悲しんでいる誰かがいたのなら。

 他に何ができてなくても……この手を伸ばし、一緒にいてあげたいって。

 

 きっとそれが僕の原点。

 僕が信ずる正義の形。

 

 神様の中に見た、とても優しい正義の在りどころ。

 僕もそう在りたいと強く想った。

 

 だから、さ。

 

 立て。

 立てよ。

 立てッ! ベル・クラネル! 

 

 お前は誓ったはずだ。

 あの子を助けると決めたはずだ。

 独りで泣いているあの子に手を伸ばすと正義を叫んだはずだ。

 

 お前が諦めればあの子は死ぬぞ。

 お前が折れればあの子は死ぬぞ。

 助けるんだろう? 

 泣いて欲しくないんだろう? 

 寂しそうなあの子の側にいてやりたいんだろう? 

 

 だったら立て。

 立って戦え。

 相手が強いならお前も強くなれ。

 今勝てないのなら一秒後の未来で勝てるようになれ。

 

 お前が助けたいと思う全てを助けたいのなら! 

 今、ここで! 

 全てを助けられるような英雄になって見せろ! 

 

 立ち上がれッ! ベル・クラネル!! 

 

 弱い自分を叩きのめせ。弱音を吐く心は蹴っ飛ばせ。

 自分を奮い起こして。強い英雄みたいな男になって。

 

 リリを守れ、ベル・クラネル。

 僕は。

 あの子を、助けたい。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 完全に意識を失ったのは一秒。

 一秒で意識を取り戻したベルが眼前に納めたのは、鍵爪を自分に振り下ろすキラーアント。

 無我夢中で横に転がって回避して右腕で地面を押し付けて跳ね起きる。

 

「あぐっ……、ああああああっ!!」

 

 その動作だけで視界に火花が散った。

 神経が焼きつくような痛みが体の動きを阻害する。

 それを意志の力で強引にねじ伏せて、握り締めていた刀身の折れた短剣をキラーアントに突き刺した。

 

 絶叫のような断末魔を挙げてキラーアントが沈黙する。

 すぐさまバックステップで距離を取るベルは、最大音量で警鐘を鳴らす本能に導かれるままに横っ飛びに飛び込んだ。

 

「んのっ、ガキがあああああああっ!!! 舐めてんじゃねえッ!!!」

 

 半月の軌跡を描く片手剣が超高速で振るわれる。

 間一髪それを避けたベルの背後からその隙を狙うように突進したキラーアントを、片足を軸に駒のように回転した回し蹴りで蹴り飛ばし、ベルはザニスを見据えた。

 

「ハァ……! ハァ……! 調子に乗るんじゃないぞ……! ハァ……Lv.1の分際で……!!」

 

 焼け焦げたような装備を身にまとい、乱れた髪の隙間からベルを憎悪の視線が貫いている。

 最初、ザニスにはどこか遊んでいるような雰囲気があった。

 折の中に入れた小動物を一方的に殺す時のような、自分が絶対的な強者だと認識した者が持つ嗜虐的な殺意があった。

 それがもはや欠けらもない。

 今のザニスが滾らせるのは憤怒の殺意。

 頭に血が上った人が衝動的に人を殺すような、感情の爆発による殺意だ。

 叩きつけられる殺意、その純度が最初とは比べ物にならない。

 痺れでもしているのかその動きには何処か陰りが見られ、息を荒げるその姿から常に保持していた余裕は消え失せていた。

 

「……」

 

 一瞬。

 一瞬、ベルは状況の把握に時間を要した。

 

 何が起こったか分からなかった。気が付けば無敵に思えたザニスが身体中に傷を作り血を流していた。

 見るからに満身創痍。

 何かがあったことは明白。だが、何があったか分からない。

 

「っ! リリっ!?」

 

 記憶の空白に気付いたベルがザニスから視線を切ってまで必死にリリを探す。

 ベルの後方、ベルの血溜まりがある壁際。そこに不完全燃焼を起こしたゴミのように燻った白煙を上げる小さな女の子がいた。

 見つけたリリは、うつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。

 

「リリッ!!!」

 

 体を苛む苦痛も忘れて、ベルは飛ぶようにリリの元へ走った。

 

「リリッ! リリッ! 返事をして……! リリッ!」

 

 抱き上げた小さな体はボロボロだった。

 肌が見える箇所はところどころ焦げたように黒ずんでいて、特に腕は酷かった。

 元の白い肌が一切見えぬほどに、その腕は破壊され尽くしていた。

 目を閉じた血塗れの顔に生気はなく、生きているのか死んでいるかさえ表情からは分からない。

 弱々しい、今にも途切れてしまいそうな呼吸をしていなければ、ベルはリリが死んでしまったと絶望していただろう。

 

 リリが生きていた事に安堵しかけて、その手に堅く握りめられた木刀を見つけて、心臓が止まるかのような衝撃を受けた。

 

 それは間違いなくベルの木刀で、リリがベルから奪っていった木刀で、ベルがリリを見つけたときには、もう何処かに行ってしまっていた木刀だった。

 リリの小さい体、それもバックパックを引き裂かれていたリリが隠し持てるようなものではない。

 ベルは木刀の行方に思考を回す余裕がなかったが、それでもリリもザニスも木刀を持っていなかった時点で、木刀で戦うという選択肢を捨てていた。

 あるかないかも分からない武器を頼りに戦えるほど生易しい相手ではなかったから。

 

 だが、木刀はあったのだ。

 このフロアの何処かにあったのだ。

 それが今、リリの手の中に握られている。

 

「この中から見つけてきてくれたんだ……」

 

 周囲はキラーアントの大群。

 地面に転がっていただろう木刀を見つけることは容易ではなかっただろうし、それをリリが取りに行くのも正しく命懸けのものだった。

 ベルは不自然な記憶の空白でそれを見ることはなかったが、現状からの推察でそれを知った。

 知って、感謝した。

 

「ありがとう。……少し、休んでて。終わらせてくるから」

 

 木刀を握る。

 絶対に離すまいと握り締められたリリの手は無意識でも木刀を離すことはなかったが、ベルがもう片方の手でリリの手を優しく握ると、ふっと力が抜けた。

 

『信じてます、ベル様』

 

 そう、言われた気がした。

 

 そっとリリを地面に寝かせて立ち上がる。

 裏拳を叩き込むように背を向けたまま木刀を振るった。

 二人を殺そうと飛びかかってきていたキラーアント二匹が真っ二つになり纏めて灰へと姿を変える。

 薄暗い迷宮の光を反射し雪のようにはらはらと舞う灰を浴びながら、ベルはザニスへと木刀の切っ先を向けた。

 

「訳わかんねえ雷はお終いか? ハァ……ぶちのめしてもぶちのめしても……ハァ……何度お前は立ち上がってくる! えぇ!?」

 

 自分に襲いかかってくるキラーアントを無造作に両断しながらザニスが叫ぶ。

 

 心をへし折ったはずの路地裏での戦い。

 殺したはずのダンジョンでの戦い。

 

 二度の地獄を得てなお立ち向かってくるベルに、ザニスは言い知れぬ不気味なものを感じていた。

 

「そこの役立たずが何かしてくれか!? 命を懸ける理由があるか!? ないはずだ! そこで転がってる小人族は愚図で無能でなんの役にも立たないサポーターで、金欲しさに盗みを行うクズだからだ! 同じファミリアの仲間ですら助ける価値もねえ! 生きる資格もねえ! それを……! 何度そんな奴のために殺されりゃ気が済むんだ!?」

 

「僕がリリの味方をしたいと思ったからだ」

 

「その価値がッ! ねえって言ってるんだよ!!」

 

「助けられる価値のない人なんていない! 悲しんだままでいい人なんていない!! お前たちが……! 同じファミリアなのに……! 家族なのに……! お前たちがリリを虐めるから、あの子は独りで泣くしかなかったんだろ!!!」

 

 ベルの脳裏にリリの涙が蘇る。

 

「世界がもう少しリリに優しかったら……ファミリアがほんの少しでもリリに優しかったら……! 誰かがリリに優しくしてあげられてたら……!! あの子はもっと……!! 笑って生きられたはずだ!!!」

 

 叫んで、駆ける。

 木刀を握りしめ、二度も自分を叩きのめした相手へベルは真正面から突っ込んだ。

 

「はっ! 威勢だけはいいが! それでお前に何ができる! この世界は弱者が強者に奪われ続けるように出来てるんだよガキ!!」

 

 馬鹿正直に真正面から突撃してくるベルにザニスの片手剣が袈裟懸けに振り下ろされる。

 迎え撃つ態勢のベルは走りながら体の横に地面と平行に木刀を構える紫電木こりスラッシュの予備動作。

 

 それはいつかの焼き直し。

 ベルの攻撃がザニスの攻撃に一方的に押し負けて決着となった、あの路地裏の再現。

 

(馬鹿がッ!)

 

 ザニスが勝利を確信して笑う。

 

 だが、ベルは紫電木こりスラッシュを放たなかった。

 

「っ!?」

 

 加速。

 全速力からの死力を絞り尽くしたもう一歩。

 それがザニスのタイミングを狂わせ、片手剣がベルが走り去ったゼロコンマ一秒後の空間を切り裂く。

 ザニスの背後で地面を踏み砕いて急制動をかけたベルが、その反動を利用して跳び上がった。

 大上段に振りかぶられた木刀。

 攻撃を振るった直後のザニスは反応できない。

 

 冒険者の力とはほぼステイタスで決まる。

 重ねた年月、積み重ねた努力。ステイタス差はその全てをゴミのように踏みにじる。

 

 だが。

 

 己よりも強い相手に食いさがり、一瞬の隙に相手の急所へ牙を突き立てるために必要なのは、重ねた年月であり、積み重ねた努力だ。

 

 高いステイタスでゴリ押す戦いを長年続けていたザニス。

 毎日の鍛錬を欠かさなかったベル。

 

 冒険からずっと離れ、他人を使い金を稼ぐ方法ばかり模索していたザニス。

 格上との連戦、圧倒的な敗北を得てもっと強くなりたいと技を磨き続けていたベル。

 

 共に満身創痍の今、その両者の違いが表出する。

 

 

『必殺技の特訓よ、ベル』

 

 

 アストレアとの特訓の日々が、強くなるために木刀を振るった時間が、リリを助けるために汗を流し続けたあの夜が、今、ベルに格上に突き立てる牙を与えた。

 

「霹靂薪割りクラッシュ!!」

 

 勝つために編み出したベルの新必殺技が、渾身の力を込め振り下ろされた木刀がザニスの左肩を直撃した。

 

「が、あああああああっ!?」

 

 斬るのではなく潰すための一撃。

 斧で薪を叩き割るように、破壊力だけを求めた大上段からの一撃がザニスの軽鎧を砕き、その衝撃は骨にまで伝う。

 瞬きよりも短い刹那にスパークした雷光が、明確に引き出した雷神の贈物の残滓がベルの意識外で必殺技の破壊力を上げていた。

 ザニスの左肩にヒビが入る。脳を貫くような痛みが、雷撃で肌を焼かれるのとは別の、久しく忘れていた体の内側を壊される痛みがザニスの動きを一瞬止めた。

 

「おおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 その隙を、ベルは逃さない。

 

「しまッ──ッ!!」

 

 放たれるは力一杯の横薙ぎに振るわれる一撃。

 紫電木こりスラッシュ。

 雪辱は晴らすぞ、と言わんばかりに。

 半円を描く木刀がザニスの胴に叩き込まれた。

 

「ぐゥッ!!!」

 

 ザニスが吹き飛ぶ。

 剣の腹を盾に使われ斬られこそしなかったが、威力を殺しきれずにザニスはキラーアントの大群に頭から突っ込んだ。

 巻き込まれ何匹か灰になるキラーアント。わざわざ飛び込んできた獲物を絶命させようと近くにいた生き残りが四方八方から鉤爪で襲う。

 

「舐めるなァ!!!」

 

 その全てをザニスは蹴散らした。

 めちゃくちゃに振るわれる片手剣が次々とキラーアントを斬り刻んでいく。

 ザニスには目もくれず、両者が離れたことにより意識のないリリを狙い始めたキラーアントの迎撃に移っていたベルを目掛けてLv.2の脚力で邁進する。

 最後の剣戟が始まった。

 

「クソが! クソクソクソクソクソッ!!! 俺を誰だと思ってやがる!! カスの分際で……!! この俺が……ッ!!」

 

「だからどうした! お前がリリを泣かせる事に変わりはないッ!!!」

 

 無事な右腕で高いステイタスに任せて振り回すザニスの片手剣を、磨いた技でもってベルが受け流していく。

 アストレアの木刀は例え真正面から受けたとしてもビクともしない。

 

「目障りなんだよ!! お前の言動が! 正義が!! この世界を知らないガキが自信満々に理想を語ってやがるッ!! 何度現実を教えてやっても歯向かってきやがる!! 諦めろよ! 鬱陶しいんだよッ!!」

 

「絶対に諦めない!! リリが泣いている限りッ!! 僕は何度だって立ち上がり続ける!! 何度だってお前に挑み続けるッ!! そう決めたんだ!!」

 

 ザニスの振るう片手剣の嵐を掻い潜るベルが下から掬うように跳ね上げた木刀がザニスの剣の持ち手を弾く。

 未だ体に残り続ける痺れにより落ちていた握力が決定的に緩み、ザニスが片手剣を取りこぼした。

 

「それが目障りだっで言ってるんだよォ!!!」

 

「ぐ、ううっ!!!」

 

 折れた左肩を無理やり動かしたザニスの左拳がベルの腹に突き刺さる。

 火傷により止血されていた傷が一斉に開き、命の水が溢れ出す。

 白く染まりかけた意識の隅で倒れ伏してたリリを見て、奥歯を噛み砕くほど噛み締めたベルは負けるもんかと踏み込んだ。

 

「何か奇跡が起きてお前が勝ったとしても!! 周りはキラーアントの大群だ!! 意識のないアーデを連れて地上まで戻れるか!? 無理だろうがッ!! 勝っても負けてもお前らは死ぬんだよッ!! 自分の武器奪った盗人のために死ぬのか!? お前の言う正義は罪人のために無駄死にする事だってんなら飛んだ笑い話もあったもんだなァ!!!」

 

「違うッ!! 僕がここでお前に勝たないとリリがお前に殺される!! 正義なき悪意に殺されてしまう!! だから戦うんだッ!!! だから絶対に勝たないといけないんだッ!!!」

 

 ベルの振るう木刀を頭を守るように肘を曲げた両腕を前にし体を丸めた防御姿勢で耐え凌ぐザニス。

 片手剣を落としたのはいいが、インファイトの間合いに踏み込ませてしまった時点で窮屈な態勢で木刀を振るわなければならず、威力が乗り切らない。

 その状態でも果敢に攻め込み続けるベルの技量は高かったが、ザニスはそれを耐久値にモノを言わせて強引に突破する。

 

「だから……!! それが無理だって言ってんだよッ!!! お前はLv.1で! 俺はLv.2だ!! 世の中どうにもならない事なんて腐るほどあるッ! 残酷な世界の現実を知るほどに夢も見れなくなるッ!! 正義なんて言葉も口に出来なくなる!! 何度でも言ってやる!! 弱者にッ! 俺に負けるお前にッ!! 正義は語れないッ!!!」

 

 被弾覚悟の踏み込み。

 木刀を叩き込まれようが必ず殴るという絶殺の意志を込められた踏み込みが大きく振りかぶられた右拳を運ぶ。

 今すぐ死んでもおかしくないような状態で命を削りながら戦っていたベルがそれを食らえば、間違いなく死ぬという致命の一撃。

 Lv.2の力、耐久、敏捷、器用、その全てのステイタスを前面に押し出した、ステイタス差があるからこそ必殺たり得る一撃をザニスは勝負を決める一撃として選んだ。

 

 選んでしまった。

 

「この世界がどれほど残酷でッ!」

 

 臆する事なくベルは前へ踏み込んだ。

 一歩も下がらない。

 狂気にすら見える勇気を持って。

 跳ぶ。

 

「お前がどれだけ強くてもッ!!」

 

 当たれば致死のザニスの拳がベルの頬を掠めていく。

 頬が裂ける。

 拳とすれ違うように跳んだベルの体が宙に浮き、その一撃に全てを賭けていたザニスの体が勢いで前のめりになる。

 

「僕はお前を超えて行く!! この正義を叫び続けるッ!!!」

 

 狙うは砕いた軽鎧の隙間に見えるザニスの首元。

 宙にあるベルの体は地面と平行。

 体の横に木刀を構えた。

 

「紫電──」

 

 空中で放つのは勝負を決める必殺技。

 鍛錬し続けた、磨き抜いた努力に裏打ちされた格上に突き立てるベルの牙。

 

「──木こりスラッシュ!!」

 

 閃いた木刀が寸分の狂いなくザニスの首筋に叩き込まれた。

 

 そして、その一撃をもって。

 正義の在りどころを決める戦いが、終わった。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 終わった、と。

 倒れて動かないザニスを見て思った瞬間、それを待っていたかのように今までの"ツケ"がベルを襲った。

 

「……あ」

 

 口から血が垂れる。

 なんか痛いな、と思ってお腹にあてた左手は赤黒い血に染まっていた。

 意識が落ちそうなほどの倦怠感。

 いや、そんな生優しいものではない。

 

 死が、ベルの足元にまで這い寄ってきていた。

 

 だが、ベルに倒れることは許されない。

 木刀を地面に突き刺して体を支え、ふらふらと今にも倒れそうになりながら、待ち侘びたと一斉に押し寄せたキラーアントを相手にベルは木刀を構えた。

 

「死なせない……」

 

 木刀を振るう。

 

「生きて帰るんだ……」

 

 木刀を振るう。

 

「リリを……独りにさせない……」

 

 血を吐きながら。

 腹から鮮血を飛び散らせながら。

 火傷で引きつる皮膚を引きちぎりながら。

 リリを襲うキラーアントを斬り捨て。

 ザニスを引き裂こうとするキラーアントを潰し。

 自分を狙うキラーアントを致命傷以外無視して、ベルは木刀を振るう。

 

 視界に見えるキラーアントの数はもはやバカらしくなるほどだった。

 ベルとザニスの戦いの巻き添えを嫌って散発的にしか襲って来なかったキラーアントがその本来の生態を見せていた。

 数による圧殺。

 広範囲攻撃手段や圧倒的なステイタス差のないベルにこの数を、しかも意識のない二人を守りながら戦うのは物理的に不可能だった。

 万全で、なおかつ一人なら生き延びることはできた。

 だが、今のベルでは……何をどうやっても、数十秒先の死にしか、『未来』が繋がっていなかった。

 

 最初から、この結末は約束されていたものだった。

 

 ザニスに負ければザニスに殺され。

 ザニスに勝てばこうやってキラーアントに殺される。

 これは、そういう道しか用意されていない、絶望の袋小路だったのだ。

 

 いくらベルが正義を叫ぼうと。

 いくらベルが死力を搾り尽くしてザニスを打倒しようと。

 それをモンスターが慮ってくれる訳がないのだから。

 

 残酷なことを言えば。

 これはベルの正義を示す戦いであり、弱いベルがどう死ぬかを決める戦いでもあった。

 

 ベルはザニスを倒した。

 己の正義を、信念を、『これだけは譲れない』という魂の芯を貫き通した。

 そして、誰も守れずに死ぬ。

 ベルが守れたのは己の正義だけで、己の正義しか守れない。

 そして、己の正義も守れない結末を迎える。

 

 "弱い"とはこういうことだ。

 これが"弱い"ということだ。

 弱ければ悪というわけではなく。弱ければ正義を名乗れないというわけでもなく。

 弱ければ、ただ残酷な世界に潰されて消えていく運命が待っている。

 

 "正義"と"力"は切っても切り離せない。

 ベルが掲げた『英雄』の正義。

 これには、ただ一つだけの絶対的な条件がある。

 

 ベル・クラネルが最強であること。

 

 助けたいと思うもの全てを助けたいのなら、何よりも、誰よりも強く在らねばならないのが道理。

 頂を目指し始めた兎には遥か遠く。

 だから、弱い兎はここで死ぬ運命にあった。

 

 ベルはまだ諦めていなくても。

 ベルはまだリリと笑い合う『未来』を必死に手繰り寄せようとしていても。

 

『それ』だけで奇跡が起きるのなら、この世界はもっと希望に満ちていた。

 

 だからこれは、最後の最後まで諦めなかったベルが掴み寄せた必然だった。

 

「……?」

 

 キラーアントの群れの動きが止まる。

 もう喋ることすら出来ない血みどろのベルが一瞬の疑問と、刹那の好機を見てキラーアントを四匹叩き切ったのと。

 それが現れたのは同時だった。

 

 冗談みたいに吹き飛ばされるキラーアント。

 一箇所に集めた何十個ものピンポン球を纏めて蹴り飛ばすような、そんな非常識な虐殺がベルの目の前で起こっていた。

 

「……」

 

 茫然とベルはそれを見ていた。

 

 まるで何かから逃げるように必死に激走し、そのついで……いや、歯牙にも掛けないで、ただ走るだけでキラーアントを轢き殺していく赤黒い巨体。

 蜘蛛の子を散らすようにキラーアントが迷宮に散らばっていく。

 生物としての"格"が違うと一瞬で分かった。

 ベルの人生の中で最強の相手だったザニスよりもなおその生物が放つ存在感は凄まじかった。

 

 そのモンスターの名はミノタウロス。

 中層以降に出現するLv.2に分類されるモンスター。

 ザニスを超えるポテンシャルを秘めている、今のベルでは奇跡を何重に重ね掛けしても勝てない圧倒的強者だった。

 

 ミノタウロスが爆走してくる。

 やけに後ろを気にしていてベルには気付いていないようだったが、その走行ルートはベルと重なる位置関係だった。

 ベルの近くにはリリとザニスがいた。二人を守るように戦っていたのだから当たり前だった。

 二人を連れて逃げるのはもう無理だった。

 このままじゃ二人が死ぬとベルは思った。

 死なせない、とベルは思った。

 何をやっても死ぬと確信した。

 走馬灯がアストレアとの記憶を引っ張り出した。

 

「……【アーティファクト・ケラ──」

 

 だから、教えられた通り、それを唱えようとした。

 唱えようとして、喉を迫り上がった血を吐き出した。

 冗談みたいな量の血を吐き出していた。

 身体中の血がなくなったんじゃないかと思った。

 ベルに気が付いたミノタウロスが邪魔だと言わんばかりにタックルの姿勢を取ったのが見えた。

 ベルは木刀を体の横に構えた。

 

 ベルが紫電木こりスラッシュを放つのとミノタウロスの胸から剣が生えたのは全くの同時だった。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 

 ミノタウロスが灰に消える。

 変わって現れたのは、女神と見紛うような、蒼い装備に身を包んだ、金目金髪の女剣士。

 

(なんで女神様がダンジョンにいるんだろう……)

 

 もう既に意識が朦朧としていたベルは、女剣士を見てそんな事を思って。

 

「あ、ちょっと……あれ……?」

 

 もう、大丈夫。

 何故か心の底からそう思えて、絶大な安心感に包まれながら、命懸けで繋ぎ止めていた意識を手放した。

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 何となく胸騒ぎがした。

 それだけの理由で、この日アストレアはバベルの前でベルの帰りを待っていた。

 杞憂だったならそれで良し。

 何事もないのが一番だと、どうか杞憂であってくれと願いながら、アストレアはベルを待っていた。

 

「どけェ雑魚どもッ!!」

 

 普段と代わり映えしないバベルの中に、荒々しい、しかし焦りも見られる男の声が響く。

 弾かれたようにその声の方向、ダンジョンの入り口に続く地下への階段の方に顔を向けたアストレアの目に映ったのは、大人の男と小人族の少女を抱えた狼人、そして死んだようにピクリとも動かない、全身血に濡れたベルをお姫様抱っこした金髪の女剣士だった。

 

「ベル……? ベ、ル……ベルッ!!」

 

 それを見た瞬間、アストレアの頭の中からあらゆる思考が吹っ飛んだ。

 出来るだけ自分の存在は隠しておいた方がいいということすら忘れて、目深にかぶったフードが外れそうな勢いでアストレアは走り出した。

 治療院に走っていく男たちをアストレアも我を忘れて追いかける。

 

「シル……そろそろ戻らねばミア母さんに怒られてしまう……」

 

「まだ大丈夫よリュー。ほら、もうすぐ怪物祭があるでしょ? 出店の出店リストをギルドが纏めてるはずだから、それに目を通しておきたいの」

 

「……私の記憶が正しければ、その日シルは店番のはずでは……」

 

「何とかする!」

 

「シル……」

 

 おつかいの帰りなのか、大量の食材を抱えた給餌服を着た女性と、必死に走るアストレアがすれ違う。

 

「……? どうしたのリュー。急に勢いよく振り向いたりして」

 

「……いや、何でもありません。気のせいでしょう」

 

「ふーん、変なリュー。……なんか今日、ギルドが少し騒がしいような……」

 

「……やはり早く帰りましょう。本当に怒られてしまう」

 

 感じた懐かしさを気のせいだと断じて、女性は友人と歩き出した。

 二人の行き先は正反対。未だその道は交わらず。

 

 女神の手がかつての眷属にもう一度伸ばされる日は、今はまだ。

 




ザニスにも冒険があった。それはそのステイタスが証明している。

次話。
→ベル・クラネルと盗人だった小人族。

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