夜の散歩に出る時は基本的には目標もなくぶらぶらと歩き、月の光を浴びるのに満足したら帰るのだが、今日は少し行きたい所があった。
私の家からそう遠くない場所にあるマンションがイムラの都合により取り壊される事が決まり、住人の立ち退きが終わったと聞いたので、せっかくだから無人のマンションに乗り込んでみたくなったのだ。
コツコツと、私の立てる足音以外の物音は一切無く、廊下から見える街並みの灯りはこの場所が隔絶された場所のように感じさせる。
ちょっとした冒険気分を味わいながら屋上に向かうが、少し登っては景色の違いを見るために廊下を渡っていたので結構時間がかかってしまった。
屋上に着いたら少し休憩してから帰ろう、そんなことを考えながら屋上への扉を開く。
元々このマンションの屋上は住民の交流の場でもあったのだろうか?整備された芝生と花壇、そしてありがたい事にベンチも備え付けられていた。
ベンチに腰を下ろし、辺りを一度見渡してから横になる。
「なんか…勿体無いですね」
綺麗に整えられた小さな庭園、この風景がもうすぐ無くなってしまうと考えると少しだけ寂しい気持ちになった。
切ない気持ちでボーっとしていると、小さな呼吸音ようなものがするのに気がついた。
どこから音がするのかと周囲を探ると、目の前のベンチの下に何か白くて丸い物が見えた。
それが何なのか確認するために近づいて見ると、白くて丸い物は「すーすー」と寝息に合わせて体を揺らしていた。
「これはもしかして……」
確かめるように丸い物の耳を突いてみると、その指を払うようにピクピクと震えた。
私に突かれて目を覚ましたそれはゆっくりとこちらを向いて、私の顔を見るなり突然飛びかかってきた。
「そーです!そーです!」
特徴的な鳴き声をあげながら白い物体は私の顔にしがみつく、突然の襲撃に驚き後ろに倒れてしまった私の顔に何度も何度も頬擦りをしてきた。
滑らかで柔らかく、悪い気はしなかったが摘み上げて引き離す。
「やっぱりソーデスでしたか」
「そーです!」
ソーデス。家庭用汎用型サポートロボット。
主にアンドロイドへの忌避感を持つ一般人に知能を持つ機械への理解を促す為に作られたロボットだったが、
見た目の可愛さや弾力性、アンドロイドを雇うよりも遥かに安価で購入できるなどの理由によりそこそこ普及している。
細かい作業は出来ないが、無線通信により機械制御されている家具、家電の操作は出来るので意外と重宝されているらしい。
言葉を理解する事は可能だが、ソーデス自体は「そーです」としか喋る事が出来ない、
何でもペットにはそれ以上の会話力はいらないからという理由らしいが、おそらくコスト削減の為の嘘だと私は睨んでいる。
そんな家庭用のロボットだが何故こんな所にいるのだろうか?
捨てられたのか、どこかから逃げてきたのか。あるいは引越しの際にこぼれ落ちたのだろうか?
「あなたはどうしてここにいるのですか?」
私の質問にそーですは不思議そうに首を傾げる。答えがわからないのか、言葉に出来ないのか、
私は早々に追及を諦めてソーデスを連れてベンチに戻った。
とりあえずソーデスを横に置いて、この子をどうするべきか考える。
このままこの場所に置いておくというのもマンションの解体の時に気づかれず、潰されてしまうかもしれないので忍びない。
家に連れ帰るのもプロデューサーさんがどう思うだろう、まあ文句は言わないと思うが急にそこそこ大きなソーデスを家に連れ込むのは迷惑ではないだろうか?
「むむむ…」
私が頭を捻って考えていると、当の悩みのタネは私の膝の上に乗っかるとお腹に顔をスリスリと頬を擦り付ける。
先ほどから妙に懐っこいが、やはりこんな所で1匹でいるのは寂しかったのだろうか?それとも元々誰にでも懐くような性格の子なのだろうか?
頭を撫でてやるとその手にグイグイと頭を押し付けて来てもっと撫でろ、とせがんでいるようだ。
もしこの子が猫だったら喉をゴロゴロの鳴らしていたであろうと容易に想像できる。
ちょっと湧いて出た悪戯心から手を離すと、お腹へのスリスリを再開する。この子は余程の寂しがり屋なのだろうか?
再び頭を撫でてやると「そーです!そーです!」と嬉しそうにはしゃいだ。
撫でたりつねったり、揉んだりして相手をしてあげると満足したのか私の膝から降りて椅子の上で満足げな顔で目を閉じた。
ここで寝るのなら、また明日様子を見にくればいいか。そう思って階段へ向かうとソーデスがポヨポヨと飛びながら私の元にやってくる。
「寂しいのですか?」
しゃがんでソーデスの顔を見つめながら聞く。
「そーです……」
「じゃあ私の家まで来ますか?」
ソーデスは一瞬だけ顔をほころばせたが、グルグルと辺りを回り始めて何やらここから離れがたいと行った様子を見せる。
やはり飼い主のことが恋しいのだろうか?人懐っこい感じからも大事にされていたのは見られる。
ここで待っている様に言われてそれでうっかり忘れられてここにいるのだろうか?
そうだとすればそう遠くない内に迎えがくると思うが、自分の身の寂しさよりも飼い主との約束を優先にさせている様子には同情を誘われる。
「家族にここで待っているように言われたんですか?」
「そーです!」
この子の飼い主は恐らくこのマンションから立ち退いた最後の住人達だったのだろう。
それならば明日はその家族の初めての週末のはず、だから明日か明後日には迎えが来るはずだと予想する。
「じゃあ、こうしましょう。今夜は私の家に泊まって明日またここにくればいいんですよ」
私は笑顔で腕を差し出し、こちらへ来る様に誘うと、ソーデスは少し迷ってから私の腕の中に飛び込んできた。
「ふふふ、柔らかい」
「そーです…」
ソーデスは私の胸元に顔を埋めると小さく、申し訳なさそうに呟いた。
「それで連れ帰ってきたんだ、まあ大人しそうだし、ちょっと位なら家に置いておいてもいいよ」
家に帰ってプロデューサーさんのこれまでの経緯を説明すると、無事家に泊めてもいいと許可を貰いました。
私もソーデスもほっと一安心。
温めたタオルで軽く汚れを落としてあげると、ソーデスはお礼の代わりの様に私の手を少しなめてくれました。
ソーデスの体を綺麗にしてから、クッションと毛布で簡単な寝床を作ってあげると嬉しそうにそこで跳ね回った後、
布団の上に飛び乗るとあっさりと寝息を立て始めました。
「すぐに寝ちゃったね。疲れてた?」
「どうなんでしょう?どれ位かわかりませんけど、誰も来ない屋上でずっと飼い主を待っていた訳ですし、
相当心細かったのは確かですね」
「まあ……それもそうか、のらちゃんが来るまで1匹で待ってた訳だし。
そういえば連れてきてる訳だけど、
明日のらちゃん達が屋上に行く前に持ち主が来たら面倒そうだけど書き置きか何か残しておいた?」
「そこに抜かりはありません、
『あなた達の大事な家族は預かった。返して欲しければ屋上で待っていろ』ってちゃんと残しておきました」
「なんでちょっと人質は預かった、みたいな感じなの…」
翌日、朝起きてすぐにマンションに向かう。その道中、ソーデスは私の腕の中で「そーです♪そーです♪」とご機嫌な様子でぽよぽよとしていた。
屋上に着くと、昨日の書き置きはそのままの状態で残っていたのでまだ誰も来ていないのだろう。
しかたなくベンチに腰を下ろす、ソーデスは私の手から離れると花壇の方に向かって行ってしまった。花が好きなのだろうか?
眠りから覚めてそう長くない時間、そして朝の日の暖かさがうつらうつらと私を眠りに導いていく。
「ふぁ……」
気の抜けたアクビを口からこぼして、私はそのまま心地よい二度寝を楽しむ事にした。
ペチペチと頬を叩かれる感触に目を覚ます。
一度伸びをしてから視線を下に向けるとソーデスが私を見つめていた。
そして私が起きたのを確認するとぴょんぴょんと跳ねて尻尾で屋上に置いてある時計を指した。
「おお…もう12時ですか……」
うっかり長時間寝てしまった事に罪悪感を覚えていると、何やら階段の方から話し声が聞こえてきた。
「もーー!お父さんがちゃんと確認しないからだよ!どっか行っちゃったら許さないんだから!!」
「悪かったって、何度も謝ってるだろ。あの子だってあれで賢いから大丈夫だって」
「カナ!そんなにお父さんを責めないの、確認不足はみんなのせいなんだから」
騒がしく話しながら3人の人間が入ってくる、確認するまでも無くソーデスを迎えにきた家族だろう。
「おっ、来たみたいですよ」
そう言って私が立ち上がるよりも早く、ソーデスは一家の元に飛び出していった。
「あっ、マル!よかった!ちゃんとここで待ってたのね!」
「そーです!そーです!」
ソーデスは少女に向かって思い切りよく飛びつくと、距離を見誤ったのか少女の顔に思い切りぶつかってしまった。
その衝突で「わぷっ」と少女は声を洩らすがポヨンと柔らかく上に跳ねたソーデスとキャッチするとギュッとお互いに抱きしめあった。
「ほら、ちゃんと待ってただろ」
「うん!」
再開に喜ぶ家族を見つめていると、私の顔も自然と笑顔になる。しかしマルという名前はちょっと安直だなと思った。
そして私に気づいたお父さんとお母さんが私の所にやってきて軽く会釈をしてからお母さんが口を開く。
「あの、もしかしてマルの面倒を見てくれたんですか?」
「はい。散歩をしていた時に偶然見つけて、一晩だけ泊めてあげました」
「偶然とはいえありがとうございます。一晩お世話になったって事はわかるでしょう?あの子寂しがり屋だから……
迷惑じゃありませんでした?」
お父さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
「いえいえ、ちょっとやんちゃでしたが問題は何もありませんでしたよ。
逆に新鮮な体験で楽しかったです。ペットを飼ったらこんな感じなのかなって」
「それなら良かったです。ほら、カナもお礼を言いなさい。このお姉ちゃんがマルの面倒見てくれたんだって」
ソーデスを抱きしめたまま、カナと呼ばれた少女が私の前まできて深々と頭を下げた。
「お姉ちゃん!マルと一緒にいてくれてありがとうございます!」
「そーです!」
深く下げた頭をあげると一人と一匹は笑顔を浮かべていた。
マンションから降りていく最中、何かお礼をしたいと言われたが特に何かしてもらう程の苦労はしていないので丁重にお断りした。
「あ、でもソーデス……じゃなくてマルちゃんからはお礼を一言聞かせて貰いたいですね。
なんて、冗談ですけど。はっきりとした意思疎通ができないって大変じゃないですか?」
「えっ?それ位ならできるよ。聞かせる、じゃなくて書く、だけど」
マンションから出て、マルに紙とペンを渡す。普段から会話用に持ち歩いているらしい。
そしてソーデスは紙にささっと何かを書くとそれを私に差し出した。
『ありがとう』ちょっといびつなお礼の言葉とその下には私とマルが椅子の上で眠る可愛らしい絵が描かれていた。
「あら、これは……ふふふ、なんだか十分すぎるほどのお礼をもらっちゃいましたね」
「ばいばーい!お姉ちゃんありがとーー!」「そーです!そーです!」「ありがとうございました」「ありがとうございます」
各々お礼を口にしながら一家は車で去っていった。
時間にすればそう長いものではなかったが、あの騒がしくも愛らしい丸い物体がいなくなったのは寂しさを感じる。
「まあ、縁があればまた会う事もあるでしょう」
手の中に残された紙に目を落とすと、自然と笑顔になっていた。
小さな出会いがあって数年後、お礼としてもらった絵を棚から見つけてそんな事もあったなと暖かい気持ちになった。
そんな訳でマンションのあった場所になんとなく足を伸ばす、壊された跡地には無駄に大きな豪邸、イムラの重役用の別荘地になっていた。
何が出来るのかを聞いた時は心底呆れたが、無駄に大きな豪邸に作られた大きな庭園は一般に開放されているので出来てみればあまり不満はなかった。
そんな庭園に訪れる人を相手に露店も幾つか出ていたりする。
チェロスでも食べながらぶらつきますか。そう考えて露店へ向かうが、「ごめんね、今揚げてるからちょっと待ってね」と足止めをくらってしまった。
サービスで出された紅茶をいただきながらチェロスの完成を待っていると、制服を着た二人の女の子が私に話しかけてきた。
「あの……えっと……」
ネコミミを付けたアンドロイドの女の子が何を言いたそうにモジモジとしている。
のらきゃっとではなく、ネコミミのオプションパーツを付けたアンドロイドのようだ。
「何うじうじやってるの?ほら、この人に聞きたい事があるんでしょ?」
少し強気な感じの女の子、人間の女の子がネコミミの少女の背中を叩いて急かした。
「でも、もしかしたら人違いかも…」
「赤目ののらきゃっとなんて噂でしか聞かない様な存在がそんなに沢山いる訳ないじゃない!
待たせる方が失礼でしょ!」
女の子に急かされて、ネコミミの少女は再び私に話しかけてくる。
「あの…もしかしてのらちゃんさんですか?」
奇妙な呼ばれ方に少し驚く、しかし恐らく私の事を呼んでいるので間違いはないだろう。
「はい、のらきゃっとです。好きに呼んでくれていいですけどもうちょっとシンプルにしてくださいね」
「はい!のらちゃん……あの……のらきゃっとさん、私はあの……私の事わかりませんよね?」
「そうですね……どこかでお会いしましたっけ?ごめんなさい、分からないです」
「あっ…えっと……わからないのは当然というか…わかる訳ないですよね。
私、マルって言うんです!数年前、あなたにとてもお世話になったソーデスなんです!」
「えっ?えぇ??」
「くっふふ、凄い驚き方。やっぱりびっくりしますよね」
人間の少女、恐らくマルの飼い主だったカナという子だろう、カナは大分意地の悪い笑い顔を浮かべて私を見つめていた。
「はい、正直かなりビックリしました……姿は当然ですけど…なんか性格の印象が全然違って驚きました」
「やっぱりそこですよね?それはーーー」
「おーい!お話の途中に済まないね、チェロスできたよ」
会話の途中に店員さんに遮られたので、そこで待っててと二人を制ししてから露店に向かった。
話をしながら私だけ食べるのも気まずいので3つ買って二人の元に戻った。
ぶらぶらと庭園を歩きながら聞いた話では、なんでも一定以上の情操を認められたソーデスには体をアンドロイドの体にコンバートする権利が与えられるのだという。
もちろん家族みんなが承諾し本人もとても乗り気だったという。
「問題はその後でね…体を変えてから妙に引っ込む性格になっちゃったんだ」
「うぅ……私としては性格が変わったつもりは無いのだけど……ただこの体で人にじゃれつくのはやり難いから大人しくしているだけで……
それにソーデスの時は人の言葉を肯定してれば会話が完結してたし……」
カナは面倒な妹を見るような目でマルを見つめながら少しだけ笑みを浮かべた。
「まあ、口数が少ないだけで結構強情だから気にしてないんですけどね。言いたい事は結局言いますし。
それで、ネコミミは当然お姉さんとの思い出があったから付けたんですよ。今でも鏡見ながら耳をピコピコさせたりしちゃてさ」
「へー、それは何だか嬉しいですね」
「はい、そこは絶対に譲れない点でした!」
「それだったらのらきゃっとの体にすれば良かったのでは?尻尾もないみたいですし」
「最初は…私もそうするつもりでした……だけど値段が……」
「お父さん、値段見ただけで怒る位高かったからね…兵器扱いだし、AIのインストールされてない機体って凄く貴重らしいですよ」
「そういえばそうでしたね、のらきゃっとモデルは生産も止まってるからそうなりますよね」
「でも私は諦めませんよ!成人する時には尻尾が付いた体になりますから!」
それからなんでもないような話をしながら散歩をしていると、カナが突然何かに気づいた様子で携帯を取り出す。
何かメッセージが届いたようだ。
「あっ!しまった!晩御飯の買い物頼まれてるの忘れてた!」
「あっ!そうだ!どうしよう!」
「どうしようも何も急いで行くしかないでしょ!すいません!じゃあ私達急ぐので!」
カナはぐっとマルの腕を引いて走りだそうとするが、マルが「最後に一言だけ」と制止する。
「あの……のらきゃっとさん!偶然お見かけしてそれで……あなたとお話しがしたくて………
今日はお話をしてくれてありがとうございます!今度はゆっくり話しましょう」
「はい、私もあなた達と会えて今日はここに来て本当に良かったと思います。
また今度、時間のある時に会いましょう」
マルはパッと笑顔を見せるとカナの元に戻り手を繋いだ。
夕日が照らす道を二人は駆けていく。
私は見えなくなるまで、その仲の良い姉妹の背中を見つめていた。