驚いたことにすぐに感想、評価までいただけました。これでも結構緊張していたので嬉しい限りです。やはり流行に乗っかったのが良かったんでしょうか。原作の力って偉大。
そんなわけで嬉しかったので続きです。基本ノリで書いてるのでストックとか特にないんですが、まあそのあたりは明日の自分を信じましょう。
導入部後半、カルデアのターンをどうぞ。
――――時は、僅かに巻き戻る。
人理継続保障機関フィニス・カルデア。かつて偽りの魔術王を打倒し、世界を救う冠位指定を成し遂げた天文台の壊滅からおよそ三ヶ月――より正確に述べるなら、二ヶ月と二十一日が経過した朝のこと。
人中至高の英雄、騎士の国をその光輝にて統治する栄光の王が六つの異聞帯に自らの手足を派遣したおよそ一時間後に、その邂逅は果たされた。
それをやはり、語らぬわけにはいかないだろう。
少年と、彼が対峙する運命との対面。
正史に紛れ込んだ異物と並び立つ、この英雄譚のもうひとりの主演。
平穏なはずのその朝に訪れた衝撃を真の開幕として――この物語は始動する。
■ □ ■ □ ■
意識が、揺蕩っている。
深く暗い闇の底に、己の魂は存在していた。
かつて第七特異点への突入の折、潮騒の声を聴いた時もあったが、これはどこかそれにも似ていた。
なるほど、ならば夢かと認識する。ままあることだ。特異点での戦いのさなか、あるいはカルデアにおける騒動の前。何かが起きる予兆として、自分の魂がどこかに接続するのは初めてではない。『惹かれやすい』――それはもはや貴様の才能であろうな、と言ったのは黄金に輝く……あれはどちらの王だったか。
まあともあれ、そういうことだ。これはおそらく何かの前兆。油断はできないが情報を得る機会でもある。恐れていても始まらない。焼却された一年間で鍛えた度胸に活を入れ、暗い世界に視線を巡らす。
だが瞳の中に映るものはひとつもなかった。闇、闇、闇……何もわからない。これが己とカルデアの現状を暗喩しているというなら、まあよくできた皮肉だろう。まさに一寸先は闇、だ。乾いた笑いを漏らしそうになって、これではいけないと気を引き締める。どうもあの襲撃以来、己はひどく悲観的だ。心など
だが己は、やはり人理最後の砦なのだ。昨年と状況は何も変わらず、戦えるのは自分しかいない。
諦めるわけには、いかないのだ――そう叱咤し目を凝らし続ければ、霞むほどの遠くに小さな光が見えた気がした。
ほら、やはり。光明はある。天文台を導く
この夢がいつ覚めるのかはわからないが、ひとまずあそこを目指して進んでみようか。
暫定的にそう決断して、一歩足を踏み出した――直後、それを感じて息が止まる。
見られている。誰かがじっと、確かに己を見つめている。
燃えるような、あるいは鋼のような、質量と熱さえ感じる視線だ。ただその視界に入っただけであるというのに、全身が発火している錯覚さえある。それが錯覚だと理解できるのは幾度となく火傷を負った特異点での経験があるからこそで、自分がいまだ平凡な学生をやっていたならこれで死んでいただろう確信があった。
なんという強き視線か。カルデアにいた数多の王たちの中にさえ、これほどの視線を投げる者はない。重圧で全身の骨が潰れそうになる。口内は一瞬で乾いていた。魔眼の前に身をさらす方が精神的には楽なのではないだろうかと思えてしまう。もはや一歩も動くことはできなかった。指一本、両の瞼でさえ己の意志を離れている。
くそ、ああ、何が北極星。浮かれるのも大概にしろ。
こんな己でもすぐにわかる。この視線は――あの光から来ているぞ。
じりじり、じりじりと、落ちそうな意識を支えながら、残る気力を総動員して眼球を光の方に向ける。英雄ならぬ己の瞳には、そこに何が在るのかはわからない。だがそれでも、これが夢なのだとしても、伝えなければならなかった。
あれが味方ならば、助力を願うことになる自分の意地を。
そしてあれが敵ならば――この程度では折れぬぞという、精一杯の宣戦を。
『――なるほど、卿が――――』
漏らされたような、微かな、それでいて美しい声。
やはり鋼を思わせるその声を最後に、藤丸立香の意識は闇の底へと墜落した。
■ □ ■ □ ■
「――い。先輩。……先輩!」
そして、立香の意識は覚醒する。
がばり、と上半身を跳ね上げた。動悸はいまだおさまらない。全身はぐっしょりと汗に濡れていて、シャツは不快に肌に張り付いている。夢の感覚が体から抜けていなかった。自分は本当に生きているのか――確かめたくて思わず下を殴りつければ、シャドウ・ボーダーの硬い寝台は拳にかすかな痛みを返してくる。ほっと一息、安堵。その痛みは立香の生存の証だった。
と、そこで自らを見つめる視線に気が付く。横を向けば、そこには菫色の髪の少女。立香の後輩を自称するマシュ・キリエライトが、心配そうな瞳で少年のことを見つめている。それもそうだろう。起き抜けにいきなり自分のベッドを殴りつける輩がいれば、立香だって声をかけるはずだった。
「ああ……ごめん、マシュ。ちょっと、その……夢見が悪くて。もう大丈夫だから」
「はい、それはその……お察ししますが」
「あはは、やっぱりちょっと、俺も参ってるのかな。あとでムニエルさんにメンタルチェックしてもらうよ」
「了解しました。私が後ほどお伝えしておきます。ですが、先輩……いいえ、マスター・立香。心苦しいのですが、その前に少しお話が」
申し訳ありません。私は、先輩がうなされていることに気がついて起こしたわけではないのです――そう言って、しかしマシュ・キリエライトは美しい瞳を向けてくる。儚げで、けれど芯の通った雪華の瞳。その輝きに魅入ってしまいそうになりながらも、その時点で立香はだいたいの事情を察していた。
具体的には、彼女の『マスター・立香』という呼称で。
「……緊急事態?」
「ええ、それも、特一級レベルのものです。可及的速やかに完全装備と心の準備を終え、作戦室に向かってください」
「わかった――三十秒だけ待ってほしい」
言って、寝台から立ち上がりシャツを脱ぎ捨てる。異性に着替えを見られる気恥ずかしさなど、ローマを越えた頃には失っていた。汗はひどいが拭いている時間はないだろう。ハンガーにかけていた戦闘服を急いで羽織り、腕輪型の魔術礼装――かつて共に戦ったキャスターたちの置き土産だった。カルデアから持ち出せたのは、数点の小物だけだったが――を身に着ける。ズボンと靴は何をする必要もなかった。いかなる状況にも即応できるよう、その二点だけは就寝中も装備するように以前から通達を受けている。
部屋に備え付けられた鏡を見て、呼吸をふたつ。立香には魔術師たちの言うような精神の『スイッチ』はなかったが、意識的に集中を高めることは随分と前からできるようになっていた。
「よし」
ぱちり、と両頬を張って準備完了。魔術師ならぬ、マスター藤丸立香が完成する。
行こうか、と信頼する後輩に声をかけてドアを開いた。
――どんな戦闘態勢も、今からでは無駄かもしれませんが。
着替えの途中あえて聞こえないふりをした、彼女の弱音だけが気にかかった。
「藤丸立香、入ります! それで状況は――って、え、何これ」
一体どんな地獄がやってきてのか。
そんな戦々恐々とした己の心を隠しながら作戦室の中に駆け込んだ立香を出迎えたのは、彼の想像の千倍は平和な光景だった。
「ああ、おはよう立香くん。起きたようだね……まあ座るといい。話はそれから始めよう」
飄々とそう言い放ちながら、紅茶を啜っているのはカルデアに協力する名探偵だ。
シャーロック・ホームズ。世界初にして唯一の諮問探偵。解き明かすもの。今や万能の天才と並び、カルデアの頭脳を務める二大巨頭――いやそれはいい。彼の存在は立香には既知のものだったし、いることに何も問題はない。英国人である彼ならば、早朝に紅茶を嗜みたいこともあるだろう。
だから問題なのはそのこと自体ではなかった。大事なのは、おそらくは立香を呼びつけたであろうその名探偵が優雅な様子で作戦室――それも本来ならばゴルドルフ新所長が座すべき司令官席に着席し、シャドウ・ボーダー内では貴重な嗜好品として配給を制限された紅茶を惜しげもなく飲んでいるということだった。
驚きのままに周囲を見渡せば、そんな様子はホームズだけに留まらない。作戦室に集合している全スタッフの手元には一様に紅茶が用意され、女性職員の手元にはクッキーまでもが置かれている。なんだこれは、唐突にパーティーでも始まったというのか。いや本当にどうなってるの。助けを求めて最も親しい職員ムニエルに視線を投げれば、彼は諦めたようにホームズの少し後ろを指差した。
何が――と見て、そこでようやく立香は気づく。
「おはようございます、藤丸立香様。このような早朝にお邪魔いたしまして、誠に申し訳ございません。お詫びと言っては何ですが、現在皆様にモーニング・ティーを振る舞わせていただいているところです。シャドウ・ボーダー内部の備蓄ではなく、私めが持参したものでありますゆえ、どうかご安心ください。よろしければ藤丸様もいかがでしょう? 手前味噌ながら、味には少々自信がございますが」
「えっと、いや……ごめんなさい、誰?」
ホームズの背後に控えるようにして、一人の男が立っていた。
銀の長髪を首の後ろで纏めた、新緑の瞳の男だ。柔和な表情で微笑んでいて、敵意のようなものは感じさせない。その立ち位置、着込んだ純白の燕尾服も相まって、立香には彼が執事か何かのようにしか見えなかった。優しそうな人だな――と、呆けるだけで済んだだろう。彼が立香の知らない人間である、という唯一にして最大の異常に気づかなければ。
「さて」
と、混乱する立香を置き去りにしてホームズが言う。
「君の要望通り、我らがマスター・藤丸立香はここに呼んだ。わめいて話を妨害するだろうミスター・ゴルドルフには私の判断で一時ご退場願ったし、ダ・ヴィンチはそもそも手が離せない。これですべての条件は満たされただろう。そろそろ君の要件を聞かせていただきたいのだが……構わないかね、侵入者くん?」
「ええ、お話しさせていただきます。……では藤丸様、キリエライト様、どうぞこちらへ。勝手ながらご用意させていただいた紅茶と茶菓子ですが、よろしければお召し上がりください」
気づけば銀髪の男はホームズのそばを離れ、二つの椅子を引いて立香とマシュを招いていた。ご丁寧にも司令官席を除けば最奥に位置する上座である。並んだ机には確かに湯気の立つカップと茶菓子があった。目を離してはいなかったはずなのに、立香はその動きの一切を知覚できていない。侵入者というホームズの言葉も合わさって、立香は全身の血が冷えていく感覚を味わった。なるほどこういうことか。確かにこれは、多少の装備など無意味な状況と言えるだろう――。
「先輩、行く必要はありません。敵対的でこそありませんが、彼はどう考えても私たちの味方とは言えない。可能な限り距離を――」
「いや、いいよ、マシュ。……座ろう」
心配して腕を引く後輩の意見を退けたのは、立香の経験則だった。
確かに、常識的にはマシュの判断が正しいのだろう。いまだ戦闘にこそ発展せず、どんな被害も出てはいないが、彼はおそらくカルデアの『敵』だ。こんな状況でいきなり強力な味方を引き寄せるほど幸運に恵まれてはいない。いつだって彼の協力者は、それを得るに相応しい試練と共に訪れた。
だが同時に、こうも思う。銀髪の男はこちらとの対話を望んでいる。ならば会話をするべきだ。
だって藤丸立香が踏破した旅路の中で、会話が無駄であったことなんてない。その結果決裂したことも、悲劇につながったこともあったが……
だから立香はいつだって、言葉を交わそうとする誰かからは逃げ出さないと決めている。
「なるほど……素晴らしい胆力です。ご用意した席に座っていただけるとは、実のところあまり考えておりませんでした。私の狭量と愚昧をお詫びいたします」
「いいえ。それで、もう一度聞きたいんですが――あなたは、いったい?」
マシュを伴って着席し、一度した問いを重ねながら淹れたての紅茶に口をつける。緊張で味などわからなかったが、これは必要なポーズだった。自分は相手の話の、あるいは交渉のテーブルに着くと示す行為。わざわざ自分の前で紅茶を啜ったホームズが『毒はない』と示した以上、それに躊躇いなどあるはずもない。
立香のその姿を見て、銀髪の男は優しく微笑む。
「それではご説明いたします。まず最初に明かさねばならないのは、私の所属についてでしょう。――お察しの通り、私はカルデアの皆様が『異聞帯』と呼ぶ領域より遣わされた使者になります。より具体的に申しますと、現在ブリテン島全域、皆様がイギリスと呼称する地域に根付いた異聞帯の王、そしてその担当クリプターであらせられる『沙条綾人』様の連名により派遣されました使節です。無礼千万と承知の上ではありましたが、此度は綾人様の召喚なされたサーヴァントの助力によって、事前の一報なくお邪魔させていただきました。当方の目的といたしましては――皆様を我らが国へお招きしたく思い、そのご案内のため参上した次第です」
やはり、という納得と、なぜという困惑が同時に立香の心を襲った。
異聞帯の者である。それはいい。だがそこにわざわざ招くとは? 使者とはいったい何のために?
藤丸立香には理解できる。目の前のこの男は強い。武器を持っているようにこそ見えないが、経験が警鐘を鳴らしていた。ヘラクレス、カルナ、あるいはクー・フーリン……彼の大英雄たちがいれば違っただろうが、およそ戦闘タイプとは言えない英霊二騎と戦えなくなったデミ・サーヴァントなど容易く殺してのけるだろう。聡明なる名探偵がまったく戦闘態勢を取っていないのがその証拠。戦っても無駄なのだ。戦闘という段階にすら持ち込めないほど彼我の戦力差は隔絶している。ゆえに彼が異聞帯の者だというなら、立香らを全員ここで殺せばいい。カルデアという敵対者を、なぜ自ら家に上げてやるという?
それに――そう。担当クリプターの名が問題だ。
それはカルデアにおいて、キリシュタリア・ヴォーダイムに並び最も警戒されている男だった。
「……沙条、綾人」
沙条綾人。
元Aチームにおける二人の日本人のうちのひとり。極東では黒魔術の名家として名を馳せる沙条家の長男として生まれ、しかし何を思ってか十五歳で時計塔へと出奔した謎の人物。降霊科の主席であり、専攻する黒魔術以外にもあらゆる系統を修めたという天才。魔術協会の歴史における最短記録で典位を取得した怪物。しかしながら彼は、十年以内の色位も確実と囁かれたその栄光の道に何の未練も見せず、マリスビリーから受けたカルデアへの勧誘に頷いた。寛大でありながら冷淡で、自身にも他者にも期待という感情を持たず、最も接しやすかったのに最も恐ろしかった――と立香に伝えたのは彼の後輩だ。なまじうっすらと人物像がわかるだけ、デイビットなどよりも不気味に感じたのを覚えている。
「ふむ、沙条、沙条ね……なるほど、イギリスの異聞帯が彼だったか。個人的には大西洋の方かとも考えていたのだが、どうやら予測は外れたようだ。やはり情報が揃わぬまま推理を行うべきではないな。イギリスの方は、ベリル・ガットかデイビット・ゼム・ヴォイドだと思っていたよ」
「いいえ、ホームズ様。ご明察お見事です。その予測は外れてはいらっしゃらない。――
「ほう? それは面白いことを聞いた。それは
「申し訳ありませんが、ホームズ様。私はその問いにお答えする権限を預けられておりません。ただひとつ言えるのは、
これ以上は、平にご容赦を――そうして頭を下げる銀髪の男を数秒観察し、シャーロック・ホームズは息を吐く。
「ベリル・ガットの担当
「ご配慮に感謝いたします」
「こちらこそ、情報提供に感謝するよ。多少は事態を把握できた」
「微力がお役に立ちましたなら幸いです」
そこでホームズから視線を切った銀髪の男は、さて、と切り替えて変わらぬ微笑で立香を見た。
「当異聞帯、またその王、および綾人様のご詳細につきましては割愛させていただきます。いずれにせよ近くおわかりになることでしょうし、そも御方々のお考えを私ごときが得意げに語るなどあってはならぬこと。それよりも、本題について続けさせていただきたく……よろしいでしょうか、藤丸様?」
「……『様』って、なんか、こう……いえ、大丈夫です。本題というと……」
「はい。皆様を当異聞帯にお招きしたい、というお話です」
勿論、皆様の行動を強制するような意図はございません、と男は言う。
「あくまでもそのお誘い、ということでございます。お断りいただいてもかまいません。その場合、私は速やかにこの場より退去するとお約束しましょう。ですがお応えいただけるということであれば国賓として遇させていただきますし、思うまま過ごしていただいて結構です。一度だけ、我らが王とお会いしていただきたく存じますが……それ以外の事柄については、私とその部下が快適なご生活を保障いたします」
「なんですかそれは――信用できない」
耐え切れない。そんな風に声を上げたのはマシュだった。
勢いよく立ち上がり、鋭く銀髪の男を見つめている。瞳には炎が燃えていた。衝撃でカップが倒れ紅茶がこぼれたが、そちらには見向きもしていない。常にない激しさを見せる少女の裡には、複雑な感情が荒れ狂っている。特に『手が届く位置に敵がいるのに、自分はマスターの盾にさえなれない』という彼女の自尊心を刺激する現状が、マシュの冷静さを奪っていた。だがその言葉自体は、立香や他のスタッフが感じていた思いを端的に表現しているのも事実だった。
マシュ、落ち着いて――そう呼びかける暇さえなく、少女はさらに言葉を紡ぐ。
「私たちカルデアとあなたたちクリプターは、敵対状態にあるはずです。攻撃する理由はあってもその逆はない。それを、招く? 遇する? それが嘘でないという保証がどこにありますか。敵地に、敵に誘われるまま、その先導を受けて上陸すると? 我々が――そこまで愚かに見えましたか!」
その叫びを受けて、立香は気づく。
マシュが怒りを見せているのは、何も彼女が抱える問題だけが理由ではないのだ。
クリプターたちは一度、あの忌まわしい年末に騙し討ちを仕掛けてきている。
自らの勢力を魔術協会の者だと偽って――そう、嘘をついて。そしてカルデアのスタッフたちを虐殺した。あの厳しい一年間を共に乗り越えた、家族に等しい隣人たちを。
あれからまだ、三ヶ月だ。立香の中でもその記憶は薄れていない。まして心優しいマシュであるなら、どれほどに傷ついているのだろう。今の彼女はおそらく、あの清姫よりもなお嘘という裏切りに敏感だ。特にクリプターとその一派の言動に対して、まるで信用を置けないでいる。
マシュの強い視線を受けて、微笑みを絶やさなかった男の細い眉が小さく下がった。
「……申し訳ありません、キリエライト様。皆様のご信用を損なう、我が弁舌の無才を恥じるばかりです。中でも、ああ――
「……なんですか、それは。どういう意味で――」
「しかし僭越ながら――前言を翻し、浅ましくも我が王の深慮の一端を想像し、口にさせていただけるなら。これは皆様への『ご忠告』、そして『ご助言』でもあるのです」
「それは、どういう……」
不躾ではありますが、と続け、銀髪の男は再びホームズに向き直った。
「現在皆様は、カドック・ゼムルプス様のご担当であるロシア異聞帯に向かわれているものと推察します」
「……そうだね、その通りだ。決定事項ではないが……ひとまず我々はロシアに向かい、なるべく近距離からかの異聞帯を観測するつもりだ。そのまま突入することも、場合によっては視野に入れている状態だよ」
「ゆえに、でございます。大変無礼な物言いとなり恐縮ですが、その計画は確実に破綻いたします」
「ふむ、どういう意味だろうか」
「もうまもなく、ロシア異聞帯は刈り取られる――ゆえ、観測そのものが不可能になるということです」
今度こそ、純粋な困惑が立香を襲う。
異聞帯が? 消滅する? なぜ、誰の手によって……そもそもどうして彼はそれを知っている?
ホームズすら口を閉ざした空気を置き去りに、銀髪の男は淡々と告げる。
「ロシア異聞帯のみではございません。北欧異聞帯にはパロミデス卿が。中国異聞帯にはランスロット卿が。インド異聞帯にはガレス卿が。大西洋、ギリシャ異聞帯にはモードレッド卿が。そして南米異聞帯にはトリスタン卿が、それぞれ本日未明より侵攻を開始しています。六つの異聞帯は、それほど間を置かず消滅することになるでしょう。皆様、私のような木偶とは異なる真の騎士です。敗北は万に一つもありえません。どちらにしろ皆様は我が国を目指すしかなくなってしまわれる……それゆえ先んじて、お招きしている次第なのです」
言って、銀髪の男は自らの右肩をさらりと撫でる。
立香はそこで、
「ああ、そういえば――申し遅れておりました。やはり我が身は無才、不明……」
嘆きながら、恥じるように男は言う。
どうかこのような愚物の名前、明朝にはお忘れくださいと囁きながら。
「我が名はベディヴィエール。円卓第二席にして、畏れ多くも陛下より『静寂』の号を賜った小人です。騎士の末席を汚す弱卒ではございますが、皆様、今しばらくこの愚者にお付き合いいただければ……」
ベディヴィエール。誇り高き円卓の、隻腕の騎士。
千年を超え王への忠節を誓い続けた――光り輝く、銀腕の。
わかっている、別人物だとは理解している。名が同じでも、この男は異聞帯における存在だ。だがそれでも……かつて味方だった、あれほど頼もしく心優しかった青年と同じ名の人物が敵の陣営として現れた衝撃は大きかった。
言葉を失う立香、厳しい顔をするホームズ。顔色を失った菫色の少女。
音の消えた作戦室に、しかし今度は無粋な通信が大きく響く。
それはシャドウ・ボーダーの操縦室からの叫びだった。
『ヘイ、ヘイ! ホームズ、ムニエル、ついでにまだ気絶してないならミスター・ゴルドルフ! マシュと立香くんもそこにいるね!? お客人と何を話しているのかわからないが、ダ・ヴィンチちゃんから緊急事態のお知らせだ! 悪いが一度こっちの報告を聞いてくれ! ――
「……ダ・ヴィンチ、一度こちらに戻ってほしい。早急にだ。シャドウ・ボーダーは巡航状態で放置して構わない。ああ、客人と何を話しているのかと言ったね――喜びたまえ、彼は唯一健在なブリテン異聞帯からの使者だそうだぞ」
『――――はぁ!?』
衝撃と混乱、抜けきらない困惑の坩堝。
その中にあって、最も事情を知るだろう銀髪の騎士に皆の視線が集中する。
だが彼はやはり、優美に微笑むだけだった。
――――ご安心ください。順に、説明いたしますよ。
その涼やかな声に、何かを返せる者はない。
ベディヴィエール卿が侵入してきた瞬間あまりにも騒いだのでヤク中名探偵にバリツ・アンブッシュを食らった我らがゴルドルフ所長ですが、手加減されていたのでちゃんと無事です。美味しいステーキを食べる夢でも見てご機嫌になったことでしょう。
次回、たぶんカルデア一行のブリテン突入。