騎士王の花婿   作:抹茶菓子

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どうでもいいんですがタグちょっと編集しました。



謁見 / 前

 

 

 

 

 

 順に説明する、とは言ったものの。

 その後ベディヴィエール卿がカルデアの面々に語った内容は、非常にあいまいな大枠の流れだけでしかなかった。

 

 そもそも八人のクリプターは一枚岩の仲間ではなく、それぞれに思惑はあるものの潜在的には敵対していたこと。

 それゆえブリテンの異聞帯においても、他の異聞帯との抗争については常に考慮されていたこと。

 そしてある事情によりアーサー王がその開戦を早めるべきであると決断し、少々強引な各異聞帯への侵攻が強行されたこと。

 その侵攻はベディヴィエール卿と彼の所属する異聞帯の面々の予想通り、速やかに完了したということ――。

 

 情報量としては、甚だ不十分と言えるものだっただろう。彼の騎士が語った内容の中にはカルデアがすでに把握している情報も多く存在した。だがそれ以上の問いかけに対し、ベディヴィエール卿は頑なに口を噤んだのだ。空想樹や異星の神といった存在について、彼の異聞帯について、そして騎士王が開戦を決断した理由であるという『ある事情』について。己にはそれを語る赦しが与えられていない――あくまでも恥じるようにそう言った彼の中では、王の御心を類推しあまつさえ口にしたという『失態』がいまだ尾を引いていたのだろう。銀髪の騎士は二度目の越権を決して己に許さなかった。

 

 だからカルデアが新たに知ったのは、結局たったふたつの事実。

 自分たちが乗り越えなければならないと思っていた八つの試練が、すでにひとつまで減らされたこと。

 そして残ったそのひとつが、他の七つを単独で圧殺してあまりあるほど強大であるということだった。

 

 虚数潜航艇シャドウ・ボーダーがブリテン異聞帯に到達したのは、隻腕の男がすべてを語り終えてより八時間後のことである――。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

「こちらです」

 

 静かな声で先導する銀髪の男に続き、藤丸立香は回廊の分かれ道を左折した。

 王城を進む一行――ベディヴィエール卿、立香、そして一応の護衛としてのホームズ――に必要以上の会話はない。その余裕がないのだと言い換えてもいいだろう。名探偵はこの異聞帯に到着した瞬間からずっと思考を巡らせていたし、立香は立香でシャドウ・ボーダーに残してきた他の面々のことが心配だった。浮上地点――あれはこの城の中庭だったのだろうか。植えられた木々や花々が美しく整えられていた――では同行を懇願するマシュや逆に頑なに拒否するゴルドルフと随分に揉めた。なんとかそれぞれを納得させてこの人選へと落ち着いたものの、あちらで何か起こっていないかと不安な心は拭えない。

 いや、それ以前にここは紛れもなく敵地なのだ。今この瞬間にも戦闘にならないとどうして言えよう。目の前にいる銀髪の騎士はいまだこちらに敵意を見せず、何なら到着までの時間まるで使用人でもあるかのようにカルデアへの接待を続けていたが、他の騎士がそうであるという保証などない。

 

 状況に流されている――そう自覚して、立香は背中に嫌な汗をかいた。

 昨日早朝よりカルデアを巻き込んでいるこの現状。そこに、立香たちの意志と呼べるものはまるで介在していない。いまだ混乱は極致にあった。招かれるままこの城に来てしまったのは他に向かうべき場所を知らぬがゆえ。戦闘に発展していないのだってそれが無駄だからにすぎない。目下カルデアの戦力はゼロに等しく、策もなしに開戦してしまえば死は必定だ。けれど敗北の決まりきった戦いを許されない立場であるから、立香はこうして『時間稼ぎ』を行っている。

 

 ベディヴィエール卿は到着したカルデア一行に王への謁見を願い、立香らを城内へと招き入れた。ならばそれを利用してこの城を、王を、異聞帯をホームズに見せる。名探偵が考えを組み立てられる情報をひとつでも多く収集させることこそが、今の立香の役割だった。

 

「気になりますか」

 

 唐突に、それまで事務的以上の言葉を発しなかったベディヴィエール卿が口を開いた。

 何かに感づかれてしまったかと立香の肩が小さく震える。だが彼はそれを隠すようにして、なるべく平静に言葉を返した。

 

「……何が、でしょう」

「先ほどから、どうも城内の窓をお気になさっておいででしたので。庭園に残された皆様のことをお考えであるのかと……ご期待に沿えず申し訳ありませんが、城の設計上この場から中庭はご覧いただけません。しかしながら、シャドウ・ボーダー近辺には私の部下を配置しております。ご心配は不要のものかと」

「ああ……はい、いえ」

 

 それのどこが安心できる。あなたもカルデアの敵だろう――思わず吐きかけた毒を呑み込んで、立香は苦笑いを作って見せる。

 

「違うんです。城が思ったよりも立派なものでしたから……街の様子なんかも見れないかなって」

「なるほど、そうでしたか。邪推をお詫びいたします。城下となりますと、北棟からの光景こそが最上であると存じます。王都の美しい眺めが一望できるテラスがございまして。後ほどご案内も可能ですが……しかし愚考を述べさせていただければ、実際にキャメロットをご観覧いただくのもひとつの手かと」

「観覧? それは、まさか街を? 俺たちが自由に見て回ってもいいと?」

「国賓待遇での歓待を、と王より言付かっております。皆様へのご対応に関しては全権を委任されておりますので、私の権限の及ぶ範囲でしたらご随意に。王城内部に関しましてはこの無才の一存では明言いたしかねますが、城下でしたらすぐに準備を整えましょう」

 

 微笑みを崩さぬまま言う彼に、やはり悪意はないように見える。

 立香には彼のことがわからなかった。強いのだろう、そのことはわかる。円卓の騎士の人数には諸説あるが、通例としてその立場は平等だ。曰く単独で異聞帯を刈り取ったというガウェイン卿やランスロット卿と、おそらく同一の位階に彼はある。だがそれにしてはあまりにもへりくだった言動であるし、やっていることはまるで一介の召使いだ。紅茶や茶菓子の準備、招かれた客人の接待。どれも騎士の仕事ではない。だが彼はそれを受け入れるかのように、白い燕尾服すら着こなして行っていた。

 

 妙だ、と立香は思う。確かにかつてのカルデアでの日々にあっても、家事や雑事を率先して行う英霊は存在していた。エミヤやブーディカなど、厨房を取り仕切っていた者たちがいい例だろう。だが彼らは総じてどこか世話焼きな性格をしていて、口では何を言いつつも嬉しそうにそれをこなした。それは、悪く言えば奉仕体質。他人の面倒を見ること――あるいはそのような形で他者と触れ合うことを、彼らは好ましく思っていたのだ。

 だが目の前の、この銀髪の男は何かが違う。数多の英霊と接し磨かれた立香の瞳にはそれが映る。こちらへの敬意はあるのだろう。饗された茶や菓子も相応のもので、仕事に手を抜いていたとは思えない。けれどその一方で彼の口から時おり漏らされる過ぎた自虐は、どろどろと濁りきった情念を感じさせた。彼は他者への奉仕を『仕事』として全うし十全に職責を果たしているが、それだけだ。特別に好きで行っているわけではない。

 ならば彼は、いったいどうしてそんなことをしているのだろう。円卓第二席、サー・ベディヴィエール――下働きの立場を、まさか強制される身分でもあるまいに。

 

 それがどうしても不気味に思えて、立香は気づけば口を開いていた。

 

「……そういえばベディヴィエール卿は、鎧を着ないんですね」

「と、申されますと?」

「いえ、ちょっと気になって……。以前、汎人類史のベディヴィエール卿にお会いしたことがありますけど、彼は普通に鎧を着ていたものですから。あなたはその、まるで執事みたいな格好だし、剣も持っていないみたいだ」

「ああ……私のこの装いのことでしたか。ご不快でしたら申し訳ありませんでした」

「そんな、別に不快とかじゃ」

「よいのです。確かに不自然にお思いでしょう。しかし私にとって、鎧とは真の騎士たるものの証なのですよ。このような……無才の木偶が身に着けてよいものではない。私程度にふさわしきはこのような使用人の服なのです。そう、私など、王や円卓の皆々様の雑用をこなす程度が相応……藤丸様もどうか、小間使い程度にお考えいただければ」

 

 透明な声音で、銀髪の騎士はそう言った。

 そこには多分な自嘲が含まれている――ような気がしたが、前を行く男の顔はよく見えない。少年はあいまいに相槌をうつことしかできなかった。

 

「それから剣に関してですが、これは私に限ることではございません。我々円卓の騎士は有事の際の自衛を除き、王の許可なく帯剣することを禁じられております。特にこの王都内部においては、訓練用の木剣にも使用申請が必要です」

「えっ……それはまた、いったいどうして」

「何と申しますか――何かの拍子でどなたかが抜剣された場合、一帯が消滅する可能性がございますから」

「――――」

「私ごとき弱卒にはそのような大事は起こせませんが、モードレッド卿など凄まじいですよ。中でもガウェイン卿におかれましては……ああ、噂をすれば」

 

 さらりと告げられた内容に絶句する立香を置いて、ベディヴィエール卿は廊下の前方を指し示す。促されるまま視線を遣れば、赤絨毯の敷かれた通路の先の大扉から、ちょうど一組の男女が出てきていた。

 金髪の癖毛を頭の後ろでまとめた眼帯の男。そして彼に並び立つさらさらとした金髪の少女である。両者とも瞳の色は明るい橙。その顔立ちはどこか似通っていて、濃い血の繋がりを感じさせる。白銀の鎧を身に着けた二人は正しく騎士の身分なのであろうが、確かに剣を携えてはいなかった。それはベディヴィエール卿の発言が真実であることを示すと同時に、彼ら二人が円卓に列せられる英雄であることも証明している。

 

 抜剣のみで地形を変えうる怪物が、これで三人。いや、ベディヴィエール卿の謙遜が真実であるならば二人なのか? どちらにしろ恐るべきその現実に、立香の顔に汗が滲む。指先もわずかに震えていた。ああ、ここに自らが信を置く最高の盾を欠くことの、なんと心細いことだろう――。だが立香の心情などまるで察することもなく、こちらに気が付いた二人の騎士は一礼をして近づいてくる。

 ベディヴィエール卿は彼らが十分に距離を詰めるのを待ってから、立香に振り向いて穏やかな表情で口を開いた。

 

「ご紹介いたします。右手側より円卓第五席、『太陽の騎士』ガウェイン卿。並びに円卓第九席、『清貧の騎士』ガレス卿。共に我が国至上の真なる騎士であらせられます」

「ご紹介に預かりました、ガウェインと申します。粗忽者ですが、ご記憶いただければ幸いです」

「……ガレス、です。お初にお目にかかります」

「ガウェイン卿、ガレス卿。こちらはフィニス・カルデアよりお越しの藤丸立香様、そしてシャーロック・ホームズ様です」

 

 紹介に合わせて、軽く頭を下げておく。先ほどから無言を貫くホームズもこれには倣った。

 ガウェイン卿、そしてガレス卿。共にアーサー王伝説ではメジャーな騎士だ。異聞帯とはいえ、円卓の騎士が激しく入れ替わっているものでもないらしい。ガレス卿が女性であるのは汎人類史の原典と異なってはいたが、それ(女体化)はむしろ立香には日常茶飯事だった。場違いな安心感すら覚えてしまう。

 

「お二方とも、王自らお招きされた大切なお客人でございます。両卿には申し訳ありませんが、これより謁見の間へとお通しすることになっておりまして。この場ではご紹介以上は……」

「ええ、ベディヴィエール卿。私たちも今しがた王へのご報告を終えたところです。大方の事情は承知しています。すぐに退散しますよ」

「ご配慮、ありがたく存じます。ガウェイン卿も大過なく任務を終えられたこと、まこと喜ばしく……しかし、そうなりますと他の皆様は?」

 

 同列のはずの仲間に対し、あくまでも低く頭を下げるベディヴィエール卿。その姿に何かを思ったのか、あるいはまた別の事情か……ガウェイン卿は苦い笑みを顔に浮かべながら首を振る。

 

「さて、我々も帰還したのはつい先ほどでして。トリスタン卿とパロミデス卿については何も。モードレッド卿はすでに帰参していたようでしたが……あの未熟者め、どうにもアトランティスで手傷を負わされたようでしてね。ランスロット卿に鍛錬場に引っ張っていかれたと聞いています」

「左様ですか。ではモードレッド卿に関しましては、後ほど私が治療の準備を」

「不要です。先の戦いで『アレ』を目にしていないせいか、彼女はどうも緊張感が足りていなかった。これもいい薬になるでしょう」

「は……でありましたら、そのように」

「念のため後ほど私が様子を見ておきます。ベディヴィエール卿はお二方のご案内に注力していただければ」

 

 畏まりました。そちらはガウェイン卿にお任せいたします――そう言って一礼した同僚にひとつ頷いて、ガウェイン卿はさてと場の空気を入れ替えた。

 

「あまり陛下をお待たせするわけにもいきません。我々はこれにて。行きましょう、ガレス卿……ガレス卿?」

 

 立香とホームズに会釈し場を辞そうとした太陽の騎士。しかし彼は動こうとしない自らの隣の女騎士に気づき歩みを止めた。

 やっと気づいてくれたのか――内心で呟きながら僅かな安堵を滲ませたのは藤丸立香だ。

 

 ずっと、ずっと。ずっとである。

 ガウェイン卿とベディヴィエール卿が言葉を交わしている間中――自らの名を告げたその瞬間から、ガレス卿はなぜか立香のことを睨んでいた。

 円卓第九席、ガレス。そう名乗った彼女が汎人類史と変わらぬ立場の者ならば、目の前の少女はガウェイン卿の親類……実の妹であるのだろう。肩まで伸ばされた金髪には癖もなく、その髪質は異なるようではあったが、顔立ちはよく似通っている。どこか熾火を思わせる橙の瞳など瓜二つだ。整った容貌に浮かぶ生真面目な表情は立香に『学級委員』という言葉を思い出させた。だがその相手が不穏に自分を見つめているとなれば、それがどんな美人であろうとも平和な印象など吹き飛んでしまう。

 

 なぜだ。なぜ彼女は自分を睨んでいる。この短時間で何かをしてしまったとでも言うのだろうか。

 対応しかねた立香は恐る恐るガウェイン卿に視線を投げる。金髪の男は申し訳なさそうな表情で妹の肩を叩こうとした――が、その手が彼女に届くよりも前に、ガレス卿は口を開いていた。

 

「あなたが」

「……?」

「あなたが、藤丸立香殿。四十八人の、四十八番目。星見の天文台で綺羅星のごとき英雄を率い……世界を救った。あの魔術師より話は聞いています。私はずっと、あなたを――」

「――ガレス卿」

 

 静かな表情で何かを言いかけ、しかし彼女の言葉はガウェイン卿に遮られる。眼帯の男の声は大きくはなかったが、そこには確かな怒りが感じられた。

 

「今、なんと? 『あの魔術師』……私の耳にはそう聞こえましたが。畏れ多くも王婿殿下になんという言い草ですか」

「……まだ、『殿下』ではありません」

「同じことです。卿の言動はクリプターという、我々の歴史に奇跡をもたらしたあの御方の立場を軽んじている」

「……ですが、彼は魔術師です」

「そう、魔術師です。()()()()()()()()()()。卿のそれは歪んだ偏見だ」

「しかし、兄上!」

「――――お二方」

 

 言い争う金髪の兄妹。その不穏な空気を強い言葉で断ち切ったのは、意外にも銀髪の騎士だった。仲裁の言葉は常のように涼やかで、だがこれまでの彼らしからぬ恐ろしい鋭さを孕んでいる。

 

「お客様の、御前です」

 

 ただ一言で、しん、と静まり返る回廊。ベディヴィエール卿が発した言葉はそれだけで猛る二人を鎮火させ、熱しかけた空気を冷やしていた。

 数秒の沈黙――大きく息を吐いてガウェイン卿が、次いでガレス卿が深く頭を下げる。

 

「申し訳ありません、醜態をさらしました。円卓の騎士にあるまじき狼藉です」

「ガウェイン卿、謝罪の相手が異なります。それは私風情に述べるべき言葉ですか?」

「いいえ。重ねる非礼、申し開きもなく。……藤丸殿、ホームズ殿、遅ればせながら謝罪いたします」

「私も……申し訳ありませんでした」

 

 ベディヴィエール卿はその姿に頷いて、立香らの方に向き直る。――お許しいただけるでしょうか? 無言でそう問いかける彼の表情はやはり微笑で、そこにはわずかな険もない。困惑した立香がおずおずと頷けば、銀髪の騎士はありがたく存じますと謝意を述べた。

 

「頭をお上げください。藤丸様もホームズ様もお許しくださるとのことです。しかしながらこの無才より申し上げますれば、以後は是非にお気をつけいただければと」

「は。ご忠告、しかとこの身に刻みます――では今度こそ、我々はこれにて。行きますよ、ガレス卿」

「……兄上」

「『ガウェイン卿』、です。インドで貴殿に何があったのかは知りませんが、やはり先ほどから公私混同が過ぎる。この場は見逃しますが、続くようならば私も卿に()をしなければならなくなるでしょう。――行きますよ」

 

 言い捨てて、ひとり先を進むガウェイン卿。その兄の背中を見ながらそれでも何かを言いたそうにしていたガレス卿だったが、彼女もまたベディヴィエール卿の視線を受けるとすぐにその場を歩き去った。

 

 回廊を反対方向にすれ違っていく騎士二人――その姿が見えなくなるまで待ってから、ベディヴィエール卿は立香らに改めて頭を下げる。

 

「醜態をお見せいたしました。まことに申し訳なく……」

「いや、いいや。逆になかなか面白いものを見せてもらったよ。ベディヴィエール卿――自分を小間使いと卑下するわりには、君もどうして強い言葉を使うじゃないか」

「お恥ずかしい限りです、ホームズ様。感情のままにものを言うなど、この木偶には過ぎた権利……しかしながら道化のごときさまが無聊をお慰めしたならば、私もわずかに救われます」

「ふむ。……我々にはやはり、その低姿勢を崩してはもらえないようだね」

「生来の性分にございます。どうかお許しください」

 

 随分と久しぶりに口を開いた名探偵は、燕尾服の男が下げた頭をじっと見つめる。おそらくは『観察』であろうその視線に、常人が察することのできる色はない。透徹とした視線がかすかに揺れる銀髪を貫く――だが数秒して、ホームズは諦めたように肩をすくめた。

 

「お手上げだ。隠す、いや誤魔化すのがうまいな君は。何かがあることは隠しもしない。だがそれが何かは頑なに秘す……ああ、実に興味をそそられるよ」

「恐縮です。しかしこちらの不手際で申し訳ありませんが、少々お時間が押しております。私ごときについてのご詮索でしたら、後ほどに回していただけますと」

「そうだね。ならば少し急ごうか。先ほどガウェイン卿は『王に報告を終えたところ』と言っていた……ならば察するに、あの荘厳な大扉の向こうに君たちの王がいるのだろうか?」

 

 言って、ホームズが指すのは回廊奥の大扉。二人の騎士がつい先ほどに出てきた場所だ。

 ご明察にございます――ベディヴィエール卿はそう囁いて、その扉へと足を向ける。

 

「あちらに見えます部屋こそ謁見の間。臣下や客人が王に拝謁をたまわる由緒ある広間です。民からの直訴も時に届けられる場合がございます。藤丸様、ホームズ様におかれましてはそのご待遇は国賓相当となりますゆえ、作法などに関してましてはご心配の必要はございません。常の通り、おもねることなく王に接していただければ。我が王もそれを望んでおられるでしょう」

 

 そう言葉を紡ぎながら歩みを進めるベディヴィエール卿に連れられて、ついに立香は扉の前に到達する。

 この先に、王がいる。異聞帯を単騎で壊滅させる超常の英雄、それら円卓の騎士を従える光輝の王。祖国を襲う滅びの運命を、逆に踏み潰した稀代の勇者。その『勝利』によって汎人類史から排斥された――曰く人中至高の大英雄。

 ごくり、と緊張で湧いた生唾を呑む。そんな立香を穏やかに見ながら、ベディヴィエール卿は扉に手をかけ口を開いた。

 

「時に、藤丸様」

「……え、あ、はい。なんでしょう」

「藤丸様は先ほど、汎人類史における私を見たことがある、と仰いましたね。では、汎人類史の騎士王にお会いしたことは?」

「それは……ええ、ありますけど」

 

 藤丸立香は思い出す。汎人類史における彼の王を。

 祖国を救うため剣を取り、しかしてその宿願を果たすことなく。苦難し後悔し、それでも自らの答えを得て前を向いた栄光の王。

 その半生において十二の戦いを制したという、聖剣の、あるいは聖槍の――。

 

「そうですか……汎人類史における王は、女性であらせられましたでしょうか?」

「? はい。そうでしたね」

「ならば真名は、もしや『アルトリア』と?」

「…………ええ。彼女は、俺と会った時にはそう名乗ってくれました」

「嗚呼……そうでしたか」

 

 意図をつかめぬまま、素直に問いへの答えを返す立香。

 その言葉を聞いたベディヴィエール卿は、嘆くように――どこか憧れるように、小さな声で囁いた。ならば、そちらの私は……。

 

 かき消えた、銀髪の騎士の言葉の後半。しかしそれについて何かを尋ねる前に、ベディヴィエール卿は次の言葉を紡いでしまう。

 

「僭越ながら、お二方に嘆願が。私めは先ほど、陛下に対しお二方が何をおもねる必要もない、とお伝えしました。その言葉に嘘はございません。しかしながらひとつだけ――この扉の向こうにおわす我らが()()のことは、どうか『アーサー王』とお呼びください」

「……それは、いったいどういう……」

「アルトリア……その名は陛下にとって、()()()()()()()()()()()()()()。我が王の名は、アーサー・ペンドラゴンただひとつ。それは彼の御方の覚悟にして、もっとも古き誓約……。藤丸様が棄て名をお呼びすることを王がお咎めすることはないでしょうが、私の不遜な申し出を、どうか……」

「……わかり、ました」

 

 あまりに真剣な、そして悲壮さに満ちたベディヴィエール卿の瞳。新緑のそれに縋るように見つめられた立香に、頷く以外の選択肢はどうしても思いつかなかった。

 けれど立香には、己が間違った答えを返したとも思えない……安堵するように笑みを浮かべたベディヴィエール卿の顔を見れば、なおさらに。

 

「そのお慈悲に、無上の感謝を。この無才よりお願い申し上げる議は以上です。――それではこれより、扉を開かせていただきます」

 

 そして、一瞬で常の涼やかな表情を取り戻したベディヴィエール卿が姿勢を正して声を張る。

 

「陛下。円卓第二席ベディヴィエール、御国賓を連れここに帰参いたしました。只今こちらには、フィニス・カルデアより代表者藤丸立香様、ならびにその護衛シャーロック・ホームズ様がお越しです。ついては先に嘆願申し上げたよう、御入室の許可をいただきたく」

『――――赦す。入れ』

 

 はっ――恭しく一礼し扉を押し開くベディヴィエール卿。だがその姿がまるで目に入らなくなるほどに、立香は戦慄を覚えていた。

 

 今の、声。美しく凛とした、だが炎のように熱く、鋼を思わせる硬質さの。

 僅か二言ではあったが……あれは、まさか。立て続く混乱で忘れていた夢の記憶が蘇る。あの視線、あの重圧、あの光。いつかのように立香の夢が何かの暗示であったとするなら、この扉の先に在るのはあの声の――。

 

 ゆっくりと開かれていく扉。徐々にあらわになる、謁見の間の美しい装飾。鮮やかな絨毯、白壁に刻まれた精緻な紋様。広間最奥の壁に掛けられた竜と魔猪、巨熊の描かれた三枚の旗――だがそれらすべてが塵に見えるほど輝かしいのは、目を瞑り脚を組んで玉座に腰掛けるその『黄金』。

 ああ、と呻くような声が漏れる。一日ぶりとなる重圧が立香を包んだ。あの光輝。肌を焼く熱量。重金属の海に叩き落されたかのような、呼吸すら妨げる威圧感。あれこそが、六つの異聞帯を片手間に滅ぼした最強の王。鬣を思わせる美しい髪をなびかせる、誇り高き獣のような。

 

「さて――よく来てくれた、星見の者らよ」

 

 そして、閉じていた黄金の瞳が開かれる。

 

「名乗ろう。我が名はアーサー・ペンドラゴン。この国を統治するだけの只人だ。――藤丸立香殿。卿とは、あの夢以来になるな」

 

 かつて世界を救った少年と、祖国を救った王の瞳が――この瞬間、交錯した。

 

 

 

 

 

 





次回、立香死す。

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