騎士王の花婿   作:抹茶菓子

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お待たせしました、第五話です。
拙作を読んでいただいている読者様の大半は大丈夫だと思うのですが、一応二部二章におけるオフェリアについて少しネタバレがありますので注意喚起しておきます。

それでは、どうぞ。


友人として

 

 

 

 ――――昔から、日曜日が嫌いだった。

 

 別に、そうたいした理由があったわけではない。重大な事件に巻き込まれて、以来その日がトラウマになったとか。大切な人やペットを亡くしたとか。そういう特別な何かが起こったことは一度もなかった。けれど、ただなんとなく。気がついた時にはいつの間にか、己という女は日曜日を憂鬱に感じるようになっていた。

 

 原因はたぶん、家族だったのだろうと思う。日曜日――曰く神様が「光あれ」と唱えたという七曜の始まりは、多くの人にとっての休日で。例に漏れず、己の両親もそういう人たちであったから。その日には、父と母が家に揃ってしまっていたから。だから日曜日が嫌いだった。

 愛されていなかったわけではない。むしろ両親は、多くの愛をこの身に注いでくれたと思う。暴力や貧困に苦しめられたこと一度もなかった。才、愛、富、血――多くの人々がそのうちの何かを欠きながら生きるこの世界で、魔術師という生まれでありながらすべてを満たされていた自分は、きっととんでもなく恵まれた人種だ。確かな才を持ちながらその血の薄さゆえに苦しむ魔術師。何ひとつ悪事など成していないのに正当な愛を受けられない孤児たち。彼らを差し置いてそんな低俗なわがままを言うべきではないなんて……そんなことは、わかっている。けれど、ああ、それでも。大好きなはずの両親が生家に揃う日曜日が、私には憂鬱で仕方がなかったのだ。

 

 日曜日が嫌いだった。

 両親が自分に向ける、期待の視線が重かったから。

 日曜日が嫌いだった。

 己の成長を父母に確認されるその日の家が、まるで厳格な法廷のようだったから。

 

 日曜日が嫌いで、憂鬱で。時計塔に入って独り立ちし、生家に帰る機会が減っても、その日を迎えると最低な気分になってしまう呪いは解けてくれなくて――だから『彼』と出逢った土曜日も、憂鬱な明日の存在を少しでも忘れ去ってやろうと降霊科の課題に挑んでいたのだ。

 

 

「――そこに『退去』の陣を置くのは、少し強引じゃないかな」

 

 

 なんて。たしか最初に、彼はそんな唐突なことを言ったのだったか。

 茜色の夕日が差す図書室で、初対面の相手の前に臆することもなく座りながら。

 

 

「三重陣にこだわるから上手く『遊び』を確保できないんだ。僕なら外から『召喚』、『変遷』、『交換』、『使役』……そして『契約』に繋げるけれど」

 

 

 何を馬鹿な、と、最初は一蹴したと思う。

 そもそもが知らない男の言葉だったし。そうでなくても、自分が挑んでいた課題は『強力な使い魔の召喚を可能とする三重陣』というものだった。五重陣などという、組み方次第で英霊すら召喚できる大儀式についてのものではない。

 降霊科でないのか、この課題すら与えてもらえなかった落ちこぼれなのか知らないが、的外れな忠告は不要。そんな見たことも聞いたこともないふざけた陣は、家に帰ってひとり寂しく描いていろ――とか。気が立っていたのもあって、随分と酷く当たったように記憶している。今思い返してみれば、いくら何でも失礼だと反省するくらいには。

 けれどその時の彼は、くすくすと笑ってこちらの言葉をいなすだけだった。

 

 

「そうかな? 課題がそもそも三重陣に限定されているというのは、そりゃあ知らなかったけれど……いま言ったやり方も、冗談で口にしたわけじゃないよ」

 

 

 ほら、なんて軽く言って、さらさらとペンを走らせる彼。白紙のノートの隅に描かれていくその五重陣は教科書に載っていてもおかしくない程度には完璧で、芸術的で。けれど今までに読んだどんな参考文献にも似たようなものは書かれていなくて。これほどまでの魔術を思いつきで組み上げてしまう目の前の少年はいったいどこの誰なのかと、戦慄と共に初めてそこで顔を上げた。

 

 そうしてようやく目の前の彼と目が合って、まず感じたのは『綺麗』という不思議な印象。

 夜のような黒髪。海のような蒼瞳。柔和な笑み。整っていて――そして整いすぎていて。どこか人形じみて無機質な。

 恐ろしい絵画や彫刻に、それでもなぜか惹き込まれるかのような感覚。その少年から、どうしても自分は目が離せなくなってしまって。だから小さく震える声で、彼の名前を訊いたのだ――触れてはならない、関わるなと、本能は一瞬で警戒を促してくれていたのに。

 

 

「ああ、僕は沙条綾人。今日から降霊科に来た編入生さ。日本から来たもので、まだ知人のひとりもいなくてね……早めに誰か知り合いをつくっておきたかったんだ。それで――たまたま僕の目に留まってしまった、不運な君のお名前は?」

 

 

 ……私の、名前は。

 

 

 

 これは、誰にも話さない最初の記憶。

 どこまでも綺麗で、けれど歪な、他人から嫌われやすい彼との出逢い。

 オフェリア・ファムルソローネの、たったひとりの大切な――――。

 

 

 

 

 

  ■   □   ■   □   ■

 

 

 

 

 

 眠っていた意識を優しく引き上げたのは、漂う紅茶の香りだった。

 とても、懐かしい匂い。かつてロンドンで、そしてカルデアで、幾度となく嗅いだ香しさ。クリプターとなり北欧へ渡ってからはすっかりと嗜むこともなくなっていた、言ってしまえば故郷の香り。ああだけど、これはそれだけではないような。時計塔で学んだ日々――カルデアに来る少し前までの『日曜日のお茶会』で、彼がよく淹れてくれていた。

 

「……ああ、そうか」

 

 そこまでを想起して、オフェリアはようやく重い瞼を開いた。

 目に映るのは知らない天井。身を包むのは柔らかな、これも覚えがない寝具。けれどああ、鼻をつくこの香りだけは知っている。

 

 のそりと身を起こして部屋を見渡せば、そこにはやはり知った人間の姿があった。

 夜のような黒髪。海のような蒼瞳。出逢ったあの日から成長しても、無機質で柔和な姿はそのままの彼。

 ソファーに腰掛けてこちらを見つめる、己のたったひとりの友人。

 

「……私、負けたのね、綾人」

「そうだね、君は私に敗北した。――けれどともかく、おはようオフェリア。あれから三日経つけれど、気分はどうだい?」

「『私』……そう。あなた今は魔術師(そっち)なのね。なら私も、少し入れ替えないとダメかしら」

 

 ふう、と大きく息を吐いて、オフェリアは気怠さの残る身体を起こした。

 己の身体に怪我がないことを確認し、ふらつきながら立ち上がって、なんとか綾人の対面のソファーに腰掛ける。視線で催促してやればカップに紅茶が注がれたから、それで唇を潤した。躊躇いは特にない。綾人という友人がこんなどうでもいい場面でどうでもいい毒を仕込む輩ではないことを、オフェリアはとうに理解していた。

 何を言うでもなく視線を彷徨わせ、部屋の内装を眺めていく。寝台、ローテーブル、蔦模様の描かれた壁紙、毛足の長い柔らかな絨毯。ソファーはふたつ。開かれた窓は大きくて日当たりがいい。吹き込んだ風が優しくオフェリアの頬を撫でた。そのこそばゆさにようやく思考が回り始めるのを自覚して、彼女は静かに口を開く。

 

「気分は……まあ、良くはないわ。心配されるほど悪くもないけど。三日というのは?」

「私が君たちの異聞帯を刈り取ってから三日、ということさ。カルデアがここに到着してからは二日かな。彼らは昨日から王都の屋敷を拠点に活動しているね」

「カルデアが? 居場所がわかっているならどうして捕らえに行かないの?」

「そういう方針だから、かな。……私も色々、考えながら手を打っているところでね」

 

 君のところに来たのは、そういう諸々の一環でもあるんだ――微笑みを崩さないままに綾人は言う。その姿にオフェリアは懐かしい不気味さを感じた。カルデアに召集されてからは特殊な生活が続いていたせいか、魔術師としての彼に相対するのは随分と久しぶりだ。相も変わらず、自己を()()()()()彼は微笑む。それは仮面なのか威嚇なのか……魔術師・沙条綾人は絶対に微笑を崩さない。その笑顔はぞっとするほどに綺麗なもので、だからオフェリアは彼のその顔が嫌いだった。

 

「私にも、まだ何かをさせたいということね。……いいわ、私、もう負けているんですもの。勝者の話は聞きましょう。けれど――」

「けれど?」

「聞きたいことが幾つもあるわ。すべてに、とは言わないから私の質問に答えてちょうだい」

「構わないよ。それで、君の納得を得られるなら」

 

 そうね――小さく呟いて、オフェリアは自身の心の内を整理した。

 疑問。目の前の青年に問うべきこと……思いつくことはいくらでもある。すべてを厳しく追及していけば日が暮れてもまだ足りないだろう。だから優先順位をつけて、端的に組み立てていかなければならない。

 

「……『君たちの』、と言っていたわね。ならまず、私たちの異聞帯を襲った理由を聞こうかしら。『クリプターは互いに過度な干渉をしない』――協定はそうなっていたはずだけれど」

()()()()()()()()()()。異聞帯が順に潰されてそのリソースを回収される、という事態だけは避けたかった」

「順に潰されて? あなた、カルデアが私たちに勝てるとでも思っていたの? 私やカドックならともかく、キリシュタリア様やあなたにまで?」

「そういうわけじゃない。ああいや、クリプターなんてどれだけいようが藤丸立香に勝てはしないと考えていたのは事実だけれど……この場合、ブリテンによる異聞帯襲撃とカルデアに直接的な関係はないよ。だけど今は、これ以上は言えないかな」

「……そう。なら、今はいいわ」

 

 オフェリアは息を吐いて、あっさりと追及を諦めた。

 彼女と綾人の付き合いは長い。彼が時計塔にやってきたその日から、もう十年近くにもなるだろうか。その間の付き合いで、オフェリアは綾人の私人としての性格も、魔術師としての力量も理解している。言えない、というならば彼は絶対にそれを秘し続けるし、口を割らせるような手札はオフェリアにはない。無駄な時間は嫌いだった。

 それに――言えない、だ。言わない、ではない。ならば理由があるのだろう。それはきっと甘さと称される弱点なのだろうが、彼女は友人の秘密を無理に暴こうと考えることはできなかった。

 

「次の質問。異聞帯を襲撃しながらも、あなたは私を生かしている。その理由は? そして、他の皆はどうしたの?」

「前者には三つの回答がある。クリプターとして、大令呪を失わせたくなかったから。魔術師として、そうすることが利益になると考えたから。そして私人として――オフェリア、君が私の友人だからだ」

「後者については?」

「とりあえずは生きている。カドックくんとデイビットさんは負傷してまだ目覚めていない。芥さんはちょっと感情的になっていて、今は話にならないから拘束中。ペペとはもう話をつけて、契約が成立したから好きにさせてる。今は王都でも観光してるんじゃないかな」

「……ヒナコが……いえ、いいわ。キリシュタリア様は?」

「『北』に発った。彼はさすがに、一目で色々と()()()くれてね。キリシュタリアには独自に動いてもらった方がいいと判断したんだ」

「なら、その……ベリルは?」

()()()

 

 端的な、斬るような一言。それを発する瞬間にも、綾人の微笑は歪まない。だがその声音の奥の奥に、オフェリアは長い付き合いだからこそ感じられる不吉な影を読み取った。()()か、と瞬間的に悟る。寛大でありながら冷淡、およそ世界の事物のほとんどに執着や熱意を持たず、当初クリプターとしても最もやる気に欠けていた彼――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ほど生きることに興味を持っていなかった綾人が、こうまで積極的に動く理由。

 沙条綾人が能動的に動いている――そもそもオフェリアからすればありえない、この奇妙な事態のすべての原因はそこにあるのだ。

 

 とはいえオフェリアは、そこに更に踏み込む選択はしなかった。

 先ほどと同じだ。沙条綾人が何かを秘すには、それを秘すだけの理由がある。それを暴くことは自分にはできない。

 だから頭を切り替えて、彼女は次の問いに移行する。

 

「……なら、ここからは個人的な質問。北欧異聞帯に乗り込んできた『アレ』は、いったい何?」

「『百獣の騎士』、パロミデス卿さ。栄えある円卓の第十席だよ。彼は名乗らなかったのかい?」

「名乗るも何も、そんな状況じゃなかったけれど……サー・パロミデス? あれが、かの高名な? あれで本当に騎士だっていうの?」

「ああ、まあ言動は野卑なところがあるからね。口の悪さにかけて、円卓で彼の上を行くのはケイ卿くらいだ」

「そうじゃなくて、いいえ、それもあるけれどそれ以前に――()()()()()()()()()?」

「――なるほど、そうか。君は見たんだね」

 

 くすりと笑む綾人の瞳を覗き込みながら、オフェリア・ファムルソローネは想起する。

 あの男。雪のような白髪を乱雑に伸ばした粗野な戦士。幾万の獣を引き連れ――()()()()()()()()()()()()()

 あれは、あの男は、あの怪物は何だったのか。高らかに誇りを謳いながらに、老若男女の区別なく、神も英霊も人間も、あの地にあったあらゆる命を余さず()()()()()()化け物。今もって肌が粟立つような悍ましさを思い起こさせる彼が騎士であるなどと、オフェリアは断じて認めたくなかった。

 だが彼女の厳しい視線を、綾人はゆるく笑って受け流す。

 

「すまない、オフェリア。彼について私から多くを語るには、王の赦しが必要だ。だからひとつだけ、彼の口癖を言わせてもらえば――『それが一目で見抜けないうちは、何度やったって彼には勝てない』。君が負けたのは、つまりそういうことなのさ」

「……そう。…………そう、そうね。私は敗北者――だからこの問いも、この感傷もここまででいい」

 

 深く――本当に深く、肺の中の空気をすべて絞り出すようにして息を吐いた。

 思うところはある。悲しみも、怒りも、心残りも。自分はあの地に、たとえ命を引き換えにしてもいいほどに求めた『何か』を置いてきてしまったのではないかと、そんな思いは拭えない。だが時間とは、魔法に至らぬ限りは巻き戻せないものなのだ。切り替えよう、とそう決める。自らが生き残ったことに意味を与えるために、オフェリアは『ここから』を戦っていかなければならない。

 

「わかったわ。今は、ここまで。聞きたいことも言いたいこともあるけれど、この場では胸にしまいましょう。――綾人、あなたの話を聞くわ」

「ありがとう、オフェリア。ならばここからは、契約についての話をしたい」

 

 いつの間にか空になっていた互いのカップに紅茶を注ぎなおして、綾人はにこやかに言葉を続けた。

 オフェリアにとっては、理解の及ばない言葉を。

 

「端的に言おう、オフェリア――()()()()()()()()()()()。報酬にすべてが終わった後、君と君が望むもう一人の生存を確約しよう」

「……意味が、わからないわ。綾人、あなたとは長い付き合いになるけれど……こんなにも混乱するのは久しぶり」

 

 友人の異聞帯を突然に破壊しておいて、その友人に今度は味方になれと告げる――その精神性についてはもはや何も言うまい。魔術師としての沙条綾人はそういう男だ。他者の情を理解しないわけではなく、だが察したうえで無意味と断ずる。その性質を知っているから、オフェリアは今更そこには言及しない。

 だが味方が欲しいという、その申し出自体はまるで理解できなかった。七つの異聞帯をすでに消滅させた彼に、戦力的な不安があるとは思えない。自らの魔眼を欲するならば理解できたが、それならば彼はもっと具体的に要求を提示するはずだ。味方――その言葉がどこまでを指すのか。敵とはどこまでを指すのか。オフェリアの中で、いくつもの思考が錯綜する。

 

「味方……戦力なんて、あなたにはもう円卓の騎士がいるでしょう」

「彼らは『王の味方』だ。私が騎士王に与しているから、今は私にも従っているだけに過ぎない。キャスターに至ってはもっと特殊な立ち位置にある。信用は出来ても、とかく信頼のおける相手がいないんだよ。――ここから何がどう転んでも、どんな状況にあろうとも味方であると確信できる誰かが欲しい。私はそれを、オフェリアとペペに依頼したい」

「……あなた、どこかで異聞帯の王と手を切るつもりなの?」

「今のところ、そのつもりはない。けれど、ああ……『鼠』がいるものでね。盤面がどう崩されるかわからないんだ。逆に言えば崩されることだけは確定しているから、それに備えたいんだけれど」

「盤面、って……まるでゲームみたいに言うのね。人を、何かの駒みたいに」

「実際にゲームだよ。オフェリア、今この異聞帯で行われているのは()()()()()()()()()()()()()()()()という勝負なんだ。全員を駒にした盤遊戯さ。指し手を兼ねる駒が三つ、状況を大きく動かす駒が幾つか、そして盤を破壊する特異点が三つある。私は私で、今もかなりの綱渡りなのさ」

 

 微笑む綾人の面差しに、オフェリアは何も見て取れなかった。

 いつもそうだ、変わらない。それなりに長い付き合いのこの友人は――オフェリア・ファムルソローネを呪わしい日曜日から連れ出してくれたこの青年は、いつもオフェリアには見えない何かを見ている。同じ光景を見ているのに視点が重ならない寂しさを、何度感じたことだろう。

 十年も交友を重ねても、オフェリアは時おり綾人がわからなくなる。あるいは理解できたことの方が、もしかすれば少ないかもしれなかった。

 

「報酬についても同じことだ。この先の盤面で、誰がどう落ちるかはまだわからない。シナリオはまだどうとでも転ぶ。まあ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――それでも君が協力してくれるなら、私は君が絶対に生存するシナリオをつくりあげる。そしてそれだけでは不足だろうから、さらに君が望むもうひとりも生き残らせよう。キリシュタリアか……君はキリエライトさんも気に入っていたね。そちらでも別に構わないよ」

「……何よ、それ。円卓……あの男に並ぶ英雄の集団が半壊? あなたはいったい、何を……」

「まだ言えない。いいや違うな、これについては()()()()()()。だから最後まで明かせない」

「無茶苦茶な契約よ、そんなの。あまりにも情報が少なすぎる。呑めるわけがない。私とペペを味方に、とあなたは言ったけれど……ペペがそんな条件を呑んだっていうの?」

「呑んだよ、あっさりと。彼に提示した報酬は君とはまた違うものだけど。『貸し』があった、というのも大きいだろうけどね」

「なら残念ね、私はあなたにこんな契約を呑むような借りはない」

「そうだね、だけど私たちには友情がある――だから頼むよ、オフェリア。どうか『僕』に力を貸してくれ」

 

 唐突にその微笑みを崩し、困ったように眉を寄せて綾人は言った。

 一瞬で行われる、魔術師から私人への転換。不気味な合理の化身から、歪な心の人間にまで沙条綾人は戻ってくる。その切り替えにオフェリアは呻くように息を呑んだ。

 ずるい、と思う。彼は肝心な時ひどく卑怯だ。非人間的な無機質さと当たり前の情動を、見ている側が不安になるような儚い一線で使い分ける。魔術師としての沙条綾人には対立できても、友人としての彼の懇願なら断れない――そんなオフェリアの弱さを知っていながら、こうして蛇のように絡みつくのだ。そしてその観察眼が正確であるがゆえに、オフェリアは綾人の手を振り払えなくなってしまった。たとえ最初オフェリアに相対したとき魔術師として接したのがこのための伏線だったと察していても――この転換が、冷淡な計算のもとに行われていると理解していても。

 

 ああ、綾人の言う通りだ。

 オフェリア・ファムルソローネは沙条綾人に借りなどないが――多少の貸し借りなどでは揺るぎもしないほど、抱いてしまった情がある。

 

 数十秒にも及ぶ沈黙を経て、オフェリアは俯いて口を開いた。

 この落としどころを、綾人は最初から見据えていたのだろうと察しながら。

 そしてこの場面で私人としての己を表に出した綾人の、()()()()()をうっすらと理解してしまいながら。

 

「…………ひとつだけ、聞かせて。綾人、友人としてのあなたによ」

「いいとも、オフェリア。僕は、君には嘘をつかない」

「……パロミデス卿が、北欧で確かこう言っていた。『気に食わない魔術師が、我らが王と婚約した』と。その鬱憤を晴らすかのように、彼はあそこで暴れまわった。王と婚約した婿というのは……あなたのことよね」

「そうだね。僕は現在、騎士王の花婿ということになっている」

「その関係には、もちろん盟約の楔としての側面もあるのでしょう。政略結婚なのは理解している。でも、ねえ綾人。ほんの少し、欠片ほどの感情だっていい……あなた、その女王を愛しているの?」

「面白いことを訊くね、オフェリア。ああもちろん――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 嗚呼――天を仰いだオフェリアは、状況のすべてを理解した。

 そうか、そういうことなのか。およそ他者に好悪を抱かず、オフェリアという例外を除けば近しい人間すらいない彼が、女王のことは嫌っているのか。

 そしてゆえに、だからこそ彼はここにいるのだろう。こうして挑むことにしたのだろう。口では何と言いつつも、まだ諦めていないから。あの夜に、まだ囚われたままだから。

 この先、彼が状況をどう動かすつもりなのかはわからない。何が起きていて、誰がどこに向かっているのかなど知りもしない。だがこの戦いが、彼にとって何のためのものであるかをオフェリア・ファムルソローネは直感した。してしまった。

 彼は退かないだろう。その先がたとえ地獄だとしても、彼はやり通すのだろう。けれどそれは――その真実は、なんて、哀れな。

 

「……綾人。あなたは」

「ああ、そうだオフェリア。我が生涯の命題に答えを見つけるために、僕はこれから戦うんだよ。クリプターの責務など知ったことじゃない。カルデアなんてどうでもいい。異星の神だか汎人類史だか知らないが、この機会を邪魔などさせない。たとえ抑止力が相手になろうと、アリストテレスが出てこようとも、まとめてすべて轢殺してやる。僕のこの問いに――答えが得られるというのなら」

 

 それは。

 その表情は――ひと欠片の笑みすら浮かばない、何かに取り憑かれたようなその表情は。

 オフェリアが十年の付き合いの中でついぞ引き出すことの叶わなかった、綾人の最奥に潜む濁りきった情動だった。

 

「……わかったわ、綾人。なら――それなら私は、あなたのために協力する。魔術師としてのあなたと契約はできないけれど、友人としてのあなたに約束しましょう。オフェリア・ファムルソローネは、この戦いが終わるまで決してあなたを裏切らない。でも、あなたも私に約束して」

「……それは、何を?」

「可能な限り不要な犠牲を減らすこと。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――難しいね。けれど、ああ、いいだろう。その程度の難題ならば、君の友情の対価には軽いものだ。約束するよ。沙条綾人はこの戦いで可能な限り犠牲を減らし、キリシュタリアとの最初の契約を履行する」

 

 再び空になったカップを置き、差し出された綾人の手――それを、しっかりと握り返して。

 オフェリア・ファムルソローネと沙条綾人の『約束』は、ここに確かに交わされた。

 

「……それで、私は何をすればいいのかしら」

「詳しくはまだ言えない。しばらくは安静に過ごして、体調を完全に整えてほしい。三日後の夜に使い魔を送るから、まずはそれを合図に王都を出てくれ」

「出て、どこに?」

「北西――()()()()()()()。そこに、この異聞帯の始まりがある。それを確かめてから、使い魔を通して今度は君から連絡をくれ。次の依頼はその時に出す」

「……わかったわ。でも、どうして三日後に? 悠長に構えていて平気なの?」

「ああ、それはね。いま君を王都から送り出しても、三日後に確実に死ぬからさ。だからそれまでは、騎士王の膝下にいた方が都合がいい」

「それは、どうして……」

 

 疑問符を浮かべるオフェリアに、綾人は優しく口を開く。

 その顔にやはり、蠱惑的な笑みを浮かべながら。

 

 

「『悪夢』が来るんだ――――愉快な恐怖劇(グランギニョル)がね」

 

 

 

 

 




オリ主くんはぐっちゃんと同じタイプのクリプター。異星の神とか異聞帯とか汎人類史とかまとめてどうでもよくて、自分の目的のために動いてるよって話。そしてオフェリアさんは拙作で唯一、オリ主くんのそういう個人的因縁を知っているキーマンでもあるのでした。

なお前書きのような注意喚起を何度も重ねるのもあれなのでここで断言してしまいますが、拙作は本家FGOで公開されている情報はガンガン作中で取り入れます。今後、第五以降の異聞帯が公開されてからもそうです。いつどこにどんなネタバレがぶちこまれるかは保障できません。それらを嫌う読者様がいらっしゃいましたら、お手数ですがどうにか自衛をよろしくお願い申し上げます。

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