元雄英生がヴィランになった   作:どろどろ

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ポポン!

ポポポポーン!でなくて本当にすまない…


染み付いた後悔

 

 真っ白な天井が視界に広がり、少し遅れて苦い薬物の匂いを感じ取る。

 気持ちが鎮静する独特の香りが、病院特有のものであると察するのに、さほど時間は掛からなかった。

 

「……僕、生きてるのか」

 

 意識が途切れる前は満身創痍の重傷だったと記憶がある。

 緑谷出久の身体は、壮健とは言えずとも、危機を脱したと確信できる程度までは回復していた。およそ痛みの類いと言えるものは感じ取れない。全身にのし掛かるような重みがあるのが気がかりだったが……

 

「……母さん?」

 

 視線を下ろせば、自分の腹部の上で寝息を立てる母の姿があった。目の周りが腫れていて、頬はまだ湿っていた。

 どうやら身体に降りかかってくる重力の正体は母だったらしい。

 

「母さん」

 

 んんん、と呻き声が這う。意味を成す返事は返ってこなかった。それから何度か同じように呼んでみるが、母が目覚めることは無かった。熟睡している。

 

 安堵に追随する形で強く感じ取れたのは、途方も無い罪悪感。母が自分のため、どれだけの心労を抱えたのか。力尽きるように、あるいは息子を掴んで逃さぬように、必死に寝入る母親の姿が全てを物語っている。

 

「…………ゴメン」

 

 誰に対して向けたものかは分からなかった。

 友人が誘拐された――その現場に居た自分に対する戒めなのか、犯人一味への憤りの裏返しか、それとも単純に、計り知れない不安を押しつけた母への懺悔だったのか。

 

 出所の知らない涙が溢れてくると、どうしてだか体温が下がっていった気がした。

 その直後、右掌に優しい温もりを感じる。

 

(母さんの両手)

 

 包まれている。

 暖かい。久しく忘れていたが、懐かしい感じだ。

 

「――出、久?」

「あ、起きた」

 

 強がって微笑んだのは、緑谷出久のせめてもの罪滅ぼしだったのか。

 ただ、自分から切り出す勇気が無くて、出久は母の言葉を待った。

 

「い、出久……大丈夫? 生きてる……?」

「うん。……生きてる」

 

 人肌を確かめるように頬に触れた、母の指。

 勉強や訓練に勤しんでいた受験期は勿論のこと、雄英に入学してからも、日々多忙だという理由で母とは疎遠になっていた。こうして直接的な触れ合いなんて、何年ぶりだろうか。

 

 指先から伝播する感覚は何処か気恥ずかしくて、だが振り解こうとは思えなかった。

 自分がここに居るということを、母の心に刻み込む必要があると思ったからだ。

 数秒、あるいは数分。そうしていると、突然女性の嗚咽が響いた。

 

「ふえぇえぇぇ……っ、出久が生きてるよぉ……っ!」

 

 端も外聞もなく泣きじゃくる――そんな目の前の光景を見て、出久の胸に無形の棘が刺さった。

 チクリと刺すような苦痛は身体の芯から移り広がっていく。

 

「良がったっっ! 出久がっ、無事でぇ……!」

 

 そこでようやく、自らの涙腺から溢れる液体の根拠が分かった気がした。

 

 ……この光景が、既に分かっていたからだ。

 自分のために全力で泣いてくれる人を、ずっと昔から知っていたからだ。

 そこまで理解が及んでしまったからか、出久も釣られて落涙を強める。

 

「――そん、なに、泣かなく、たって……ッ!!」

 

 だがそれは哀哭ではなくて、痛くなかった。

 死に瀕していた自覚はある。母さんの心痛は、僕の負傷が原因だ。

 もちろんその直感も間違いではない。しかし、出久が致命的に認識を欠いているのは、彼が意識を失っている合間に発覚した出来事についてだ。

 

 言葉に表せない多幸感が頭の先から足の爪先まで雪崩れ込んできて、幸せな酩酊を享受している間はそこまで想像が及ばなかった。

 

「あのね、……あのね゛っ――」

 

 だから、母が涙と不安の根拠を口にした瞬間、

 

 

「出久のお友達……死んじゃったよぉ……っ!!」

 

 

 ――ここまで完璧に思考が途切れたのは、生まれて初めてだったかもしれない。

 

 ◇◆◇

 

 一日の臨時休校を経て、ヴィラン襲撃事件より二日後となる今日。

 職員室への問い合わせの電話は鳴り止まず、正門に押し寄せたマスコミによって、全教師が総動員で事件の対応に当たることを余儀なくされていた。

 差し当たっては、ヒーロー科のみならず、普通科・サポート科の授業も全て中止。午前中に全校集会の場が設けられる運びとなった。

 

「――多くの者が既に知り得ているとは思う。けれど、改めて言わなければいけない。

 先日、(ヴィラン)が我が校に侵入し、生徒と教員が殺傷されるという不幸な事件が起こった」

 

 校長根津の声調はいつにも増して刺々しい。

 静かな不安は校庭に集められた生徒全体へと伝染していき、無言の緊張感は他の誰の発言も許さなかった。

 

「教師が二人、生徒の半数近くが重軽傷を負い――一人の生徒が亡くなった。雄英始まって以来の大惨事だ。正直、言葉にすることすら罪深いとすら思っている。

 校長として、生徒の安全に責任を持つ身の上としては、ただ自分の無力を呪うばかり。……だけど、ああ、違うね。君たち生徒に聞かせたいのは弱音じゃないんだ」

 

 誰も、他人事だとは感じていなかった。

 いつかの将来、事故・災害や事件を通じて他人の死に関わる予感を予め持っているヒーロー科生徒は勿論、被害者の顔も名前も知らない普通科やサポート科の生徒まで懐いている感想は同じだ。

 こんな身近な場所で、隣人が死んだ――否、殺されたのだ。

 その立場が自分であったとしても不思議ではなかった。大小落差はあれど、全員が例外なく持っているのは、同じ学び舎で学友が殺害されたことへの恐怖。

 

 教師へ不信感を持つ段階などとうに過ぎ、全校生徒の視線は縋るように校長へと注がれていた。

 

「改めて、私は自分の命すら懸けて誓う。ここから巣立つまで、絶対に君たち生徒を守り抜くと。

 ただ、根拠もなく信じろ――とも、言い切ることは出来ない。……そんな、資格がないんだ。教育者としてあるまじき不手際が露呈し、私たちに強い猜疑心を持つ生徒もいるだろう。現に今の世論はそういった動きに傾いている」

 

 ――平たく要約すれば、根津校長は絶対の庇護を約束するも、その言を信じることを強制出来ずにいたのだ。その言い回しはまるで、雄英強襲の事件の非が自分たちにあると結びつけているような気がして。

 若干十数名、憤り、歯噛みした。そんな訳がないと。事件の非は加害者だけが負うべきものだろうと、ヒーローに焦がれる子供たちは誰もがそう祈った。

 

「――……ヒーロー科の皆。特に、一年生諸君。死のリスクを負うには、君たちの多くは若すぎる。命を懸けろなんて絶対に言わないし、こんな時期から学友の死を経験して、それを糧とし踏み越えろだなんて……口が裂けても言えない。

 君らの多くはまだ卵。屈折なく育て伸ばすのが僕らの使命なら、今だけは辛いことから目を背けさせるのが教育のセオリーというものだ。

 

 ――けれどね、この悲劇を克服し、乗り越えた者は確実に強いヒーローになれる。

 そして『無垢なる友の命が潰えた』――それが理由となって、君たちの芽までも摘まれるというのが、私は一番悔しいんだ。

 

 泣いても悔やんでも、私たちを恨んだって構わない。何でも良いから、夢を折らない理由を見つけて欲しい。差し出がましい願いだが、縋り付く何かをこの社会に見出して欲しい。そうすれば、引き上げるのは大人の仕事だ」

 

 それは指導者の文言であり、罪人の悔悛にも聞えた。

 普段は自信で裏打ちされている声遣いは、この場では僅かな哀愁を帯びていて、しかしどこか熱誠にも聞える。だからだろうか。批判の言葉はおろか、反問の声も上がらなかった。あらゆる者が忸怩たる同情の念を持っていた。

 

「皆を不安にさせるような事件が校内で発生することを許し、あまつさえ前途ある生徒の命を守れなかった。……もはや多くは語るまい。志す未来の方向は別々でも、雄英に在籍している時点で皆優秀で強い生徒ばかりだ。

 今だけ躓いても、戸惑っても、君たち全員がいつかこの事件を乗り越え、迷わず自分の夢へと駆け抜けることを切に願っている」

 

 言い訳は欠片ほども介在しなかった。一字一句違わず、あらゆる言葉に生徒を鼓舞するための含蓄しか込められていなかった。

 

「それでは――最後になったが、今は亡き友のため、一分間の黙祷を捧げよう」

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 全校集会の後、一年A組には音のない憂苦の空気が流れていた。

 全員が峰田実と親睦の深い仲という訳ではなかったが、それでも志を同じくする隣人の喪失は、成熟しきっていない純正の未成年たちには大きすぎる衝撃だったのだ。

 

「……あの、轟さん」

 

 初めに閑寂を破ったのは八百万。

 校長の弁に背を押され、塞ぎ込んだまま沈黙することを容認できなかったのか――それとも、前方の二つの空席を視界に入れるのが苦痛だったのか。窓際の席に座す彼女は、すぐ右隣の轟へと顔を逸らした。

 

「怪我は……もう大丈夫なのですか? 入院されてる緑谷さんを除けば、貴方が一番の重傷だったと思うのですが……」

「ああ。吐血してたのは口内を少し切っちまってただけだしな。重傷って程でもねェよ」

 

 確かに今現在は五体満足で出席することが叶っているが、マスキュラーとの戦闘で彼が負った肋骨骨折を、人は軽傷とは呼ばないだろう。

 条件反射で虚栄を吐いたのは彼なりの配慮のつもりだった。

 

「俺なんかを気に懸けるんだったら、緑谷のこと心配してやれ」

「そう、ですわね」

 

 個性により治療技術が革新的な進歩を遂げている現代、中等症くらいまでなら一日もあれば完治させられるケースは少なくない。現に、雄英襲撃の翌々日にして焦凍の傷は癒えきっていたのだから。

 そのため、未だ緑谷が顔を見せないのは、彼が飛び抜けて重篤であるということの証明だった。

 

「デクくん、大丈夫なんかな……」

「全身ボロボロ通り越してグチャグチャだったもんなァ。本気で大丈夫かね、緑谷の奴……?」

「……悪気は無いんだろうけど言うな、上鳴。聞きたくない奴だっているだろうし」

「あ、……ワリ」

 

 想起される満身創痍の緑谷出久。

 内出血で両手足が変色し、骨が砕けているせいなのか、一挙手一投足が軟体動物のように乱脈だった。どうやったらアレだけの傷を作り出せるのか疑問な程だったが――峰田の遺骸に対して行われた暴虐を思い返せば、今回の襲撃者たちならばやりかねないと納得できる。

 

「…………俺が、もっと速く応援を呼べていたなら――ッッ!!」

「飯田ちゃんは悪くないわ。今回の悪者は迷う余地が無いほど至極明快だもの」

「ホントだよね……ハァ、なんでアタシたち、入学早々こんな目に遭わないといけないんだろ……」

「天下の雄英に敵が侵入するなんて誰にも予想つかなかったんじゃない? ……その辺りの警備、緩かったとも思えなかったけど」

「単純に犯人グループが強すぎたってだろ」

「でもさ、あの――何だっけ、朝木勇? とかいうヴィランはさほど強そうじゃなかったよね。轟にあと一歩の所まで追い詰められてたし」

「それでも結果は腕一本だ。こっちの犠牲と釣り合わねぇよ。それに――俺の氷がどれだけ高く届いてても、あの時点じゃ峰田は手遅れだったみたいだしな」

 

 故人の名が全員の耳に行き届く。静かに乗り越えようと決意していた各々の脳裏に、朽ちて溶ける『峰田実(にんぎょう)』の光景が克明に回顧される。

 あれが贋物であったと、死体の模型であったと悟った時の落胆は痛々しい程深いものだった。

 

 ――自分たちは人形を人質にとられて四苦八苦していたのか――

 

 単純な手に引っ掛かってヴィランを逃してしまった悔恨は、教員だけでなく生徒にも共通のものだった。人質の身を顧みず、朝木たちを打倒する準備をしていれば、もう少しマシな結果になっていたのではないだろうか。

 例えば、あの場面で逆に朝木を捕らえて、それを交換条件に本物の峰田を取り返すだとか、死者をなくす選択肢はほんの少し広げることが出来ていたのだ。

 

 簡単なトリックに騙され、何も出来ず、――翌日、解体された同級生が街中にばらまかれた。

 もはやヴィランへの憎悪と自分たちの非力への不満は、釣り合いが取れる度合いで並んでいる。自責に苛まれ、若干数名は露骨に様相を歪ませる。何処からか息を呑む音も聞こえた。

 そんな張り詰めた空気感がどうも不快で、爆豪勝己は教室中に響き渡るような溜息を吐いた。

 

「くっだらねェ。弱ぇ奴がヴィランに殺された。ありきたりな事件だろォが」

「…………くだらない?」

 

 奥歯を噛みしめた飯田が勢いよく立ち上がり、周りの制止も聞かずに爆豪の席の前まで駆け出す。

 

「ありきたりだって!?」

「何も間違ったこと言ってねぇだろうが、クソエリート」

「クラスメイトが! 殺されたんだぞ!! よくもそんな口が叩けるな!」

「ハッ、弱ぇ奴は踏みつぶされんのが当然だっつの。ヒーローは勝てなきゃ意味ねぇんだ」

「ッ! 違うだろう! 誰かを救うのがヒーローだ! 救えなかった友を悼むのだってヒーローだ!! 君の考えは歪んでいる!!」

 

 激情を露にして爆豪に掴みかかろうとする飯田。

 不穏を越えて爆発しそうな雰囲気になった所で、側にいた切島が二人の間に割って入った。

 

「オイ爆豪、言い過ぎだって……! 飯田も、そんな怒らないでやってくれ。こいつ不器用でさ、皆を激励したくてちょぉーっと過激な口調になっただけで……」

「誰が激励だクソが。そんな気ィ毛頭ねぇ。岡田? だっけ? あんな奴が死んだくらいで大騒ぎするコイツらが気持ち悪いだけだ。クソ共が偽善ぶってんじゃねェよ」

「彼は――峰田くんだ! 故人の名を誤るな無礼者!!」

 

 一触即発の空気に爆薬を投げ込まれ、とうとう飯田の自制心が外れた。

 爆豪の頬目掛けて右手を振るうが、咄嗟に飯田を押さえつけた切島によって、その拳は空を切るだけの結果となる。

 

「邪魔だ! 殴らせろ! 頼む、殴らせてくれ!!」

「暴力はマズいぞ飯田……! ちょ、誰かコイツ抑えるの手伝ってェ!!」

「爆豪、言い方考えろってお前。……まぁお前の性格からして、こういう状況が嫌いなの分かるけども」

「でも、流石に今のは――」

「……うん。有り得ないっていうか、何て言うか……」

「あァ!? 文句ある奴はかかってこいや!!」

「上等だ! 僕が今! 灸を据えてやる!! ぐ、ッ、だから離してくれ切島くん!!」

 

 意気消沈している中で、本気で二人を仲裁しようとする者は少なかった。大半の生徒は飯田の激昂を静観しているか、爆豪の暴論を内心非難しているだけ。

 完全に爆豪に非のある状況だが、彼が素直に謝罪しないだろうことは目に見えていた。いっそ気の済むまで殴り合わせたら良いんじゃないか――と諦観が蔓延し始めた頃、

 

「あ、あわわわ、男子が喧嘩してる……! どうしたらええの――って、あ……」

 

 小気味よい振動を机を介して感じる。

 麗日お茶子は教科書の間に挟まった携帯を引き抜くと、着信相手の表示を見て目を見開く。

 

「あー!? デ、デデテ゛クくんから電話キタ!!」

「っ、何!?」

 

 荒ぶっていた時間が止まる。憤怒をまき散らしていた飯田は、緩くなった切島の拘束を抜け出して、麗日の元へと急いだ。

 その他にも緑谷の安否を気に懸けていた面々周辺に集い始めた。

 

「も、もしもし、テ゛クくん?」

 

 スピーカーをオンにして、着信に応答する。すると、快活と言うよりどこか逸ったような語調が先端だけ飛び出してきた。

 

『麗日さ――!』

「無事なのか緑谷くん! 皆心配してるぞ!!」

「電話出来るってことは結構回復してんだな!?」

「緑谷ーっ!! 生きてて良かったぁ~っ!!」

 

 

『僕のことはいいから!! それより、峰田くんは――!!』

 

 その問いは、奇しくも沈黙を引き出す形となって終わった。しかし、それは緑谷の疑問が暗に肯定されているのと同義であり、

 

『ね、ねぇ! 嘘――だよね……?』

 

 真実を悟った声が、何かに縋るように紡がれる。

 誰も最適な返答を持ち合わせておらず、緑谷の詰問は虚しく肯定されるだけだった。

 

「え、ええ、っと……」

 

 言葉を探るように麗日が唸る。と同時に周囲に目配せするが、誰も視線を合わせようとしてくれない。誰かが緑谷に事実を告げなければならないのだが、好んでその役回りを取りたがる者はいないだろう。

 唯一、轟焦凍だけを除いて。

 

「麗日、電話変われ」

「えっ、いいの……?」

「ああ」

 

 轟焦凍は爆豪勝己程の厚顔無恥ではない。ある程度の抵抗感はあるが、それでも、事実を事実として語らうだけの度量が備わっていた。

 

「緑谷。もしかしなくてもお前、峰田が攫われる場面目の当たりにしてんだろ」

『……うん』

「そうか。……結論だけ言うと、アイツは殺された。詳細が気になるならニュース見ろ。今はどの放送局でもひっきりなしに報道されてる。無理言うようで悪いが、あんま他の奴の口から聞き出そうとしないでやってくれ」

『…………分かった』

「ああ、あとな。お前に聞きたかったんだが――」

 

 個人的に抱えている疑問が喉元まで沸き上がってくる。

 轟焦凍はオールマイトが色眼鏡で緑谷を見ており、二人の間に介在する特別感――別に嫉妬している訳ではないが、とある理由で注視している――に気が付いていた。

 そして、今回強襲してきたヴィランたちの目的はオールマイトの殺害。その矢先、平和の象徴にとっての“特別”なのではないかと懐疑していた同級生が執拗に怪我を負った。主目的のついで(・・・)だったとしても、その負傷が過度に深すぎて邪推してしまっていた。

 

 しかし、この場で疑問を発散しても緑谷に負荷をかけるだけだと思い至り、言葉半ばに飲み下す。

 

「――いや、やっぱいい。また今度聞くことにする」

『……? え、あ、うん?』

 

 間の悪い瞬間に会話を終えてしまった。

 焦凍はそのまま携帯を耳元から離すと、

 

「誰か他に話したい奴、いるか?」

「……では、僕が」

 

 引き継いだ飯田がしおらしい声で切り出す。

 

「緑谷くん……その、身体の方は大丈夫か?」

『うん。まだ少し療養が必要だけど、大事には至ってないよ。運良く後遺症も残らないみたいだ』

「そうか。良かった、本当に……」

 

 想像以上に深刻な状況ではないらしく、まずは安堵の息をつく。

 

「その……何だ、また君と昼食を共に出来る日を、待っているから。早く戻ってくるんだぞ」

『分かった。ありがとう』

 

 両方ともが譲歩しあっているせいか、会話は弾まなかったが、それでも意志を疎通させるには十分事足りた。互いに互いを憂慮している。無償の善意だけで、心の切り傷が塞がっていく気がしていた。

 

「……麗日くんも、話すか?」

「えっ、私??」

 

 元はと言えば君の携帯だろう、失笑しながら麗日と変わる。

 

「あ、デクくん。あのね……何て言ったら良いのか分かんないんだけど――」

 

 真っ先に自分に連絡が届いた。

 もしかすると緑谷にとっては深い意味のある行動ではなかったのかもしれない。早く誰かと情報を共有したくて、切羽詰まっていただけなのかもしれない。

 しかし、それでも圧を感じずにはいられない。真っ先に頼られた(・・・・)のだと乙女的な思考回路は拡大解釈し、自分の言葉が期待されているものだと錯覚する。

 

「あの――色々っ、大変だろうけど、頑張ろう!! 校長先生も言ってたけど、こんな理不尽な事件なんかに負けないでね!!」

 

 それは自分たちへの暗示も兼ねての発言だった。

 

『……そうだね。負けない。

 

    ――負けて、たまるか』

 

 

 その奥から、微かに歯噛みの音が聞こえた。

 

 


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