元雄英生がヴィランになった 凍結中   作:どろどろ

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交渉決裂Ⅰ

 14時30分。塚内たちは廃棄された木材加工工場へと赴いた。河川と隣接し住宅街から離れた区画であるため、不吉な程に閑寂としている。

 

「オイ! 痛いってば!! 外してよコレ!!」

 

 拘束具から抜けだそうとする蟻塚の声はよく響いた。既に工場内に敵が潜伏しているであろう別働隊にも聞こえただろう。

 

「もうすぐ解放されますから、あまり騒がないでください」

「うっせェ話しかけるな!! お前の指も抜いてやろうか!?」

「……すみません」

 

 テトラはまるで熱意の籠っていない声で蟻塚を諫めた。その傍ら、塚内は周囲に聞えない程度に抑えられた声量で、イヤホンマイクに声を通した。

 

「今し方到着した」

『知ってるよ! 聞こえたからね! 今のが蟻塚少女の声かな? 快活でよく通るじゃないか!!』

 

 囁くような声だが、抑揚がはっきりとした喋り口調。オールマイトからのものだ。

 

「これを快活と言えて羨ましい。正直言うとね、僕は内心震えている。この娘は指を二、三本で僕らを虐殺できるだろうから」

『いざとなれば少女を捨てて、テトラの個性で逃げれば良いだろう。吉報だ。どうやら――今回は私とオールマイトで事足りるらしい。たった今、朝木勇を発見した。なんと単独だ』

 

 ベストジーニストからの通信に、塚内は固唾を飲んだ。てっきり敵連合は相当数の戦力を投入し、蟻塚を奪還するものだとばかり想定していたが、現実はその真逆だった。

 警察側の作戦は、現れた敵を即全員逮捕し、外部と連絡する手段を奪った後、その場で人質の居場所を聞き出すこと。それが唯一の人質救出までの糸口だったが、この分だと条件達成は容易に感じる。

 ……にも拘わらず、塚内には冷たい汗が流れていた。朝木勇への過剰な恐怖心の影響か、予想外の事象を不気味なものとしか捉えられなくなっているようだ。

 

「……確かかい?」

『先程から気付かれないように索敵しているが、やはり護衛の類いは発見できない。彼は一人だ。此方が条件を破ると考えていないのか、あるいは――』

「――後々、ワープの個性で増援が現れる、か」

『ああ、警戒するとしたらその線だな。ともかく、視認できる範囲にヴィランはいないと断言しておく』

 

 間違いなく簡単には終わらない。そういった予感の類いが、ジーニアスの言の奥に感じ取れた。

 

『朝木勇が無策で現れるとは信じがたいが……』

 

 オールマイトからも懸念の声が上がった。

 が、相手の手札が見えないからといって慎重に立ち回れるほど、今は余裕のある状況ではない。

 

 明確な優先順位を決めなければならないだろう。

 第一に朝木勇の拘束である。彼を逮捕する機会はこれが最後かもしれない。また、彼を取り逃がせば今後の被害は想像もつかない程に拡大していくだろう。よって、これが最優先事項。

 第二に人質の救出。三十人の子供の命だ。これの無視は論外だが――あくまで塚内の裁量において――朝木の方が優先度が高い。よって第二に据える。

 そして、第三に連合の解体。単純に、これは難易度が高く現実性がない。優先度としては格落ちである。

 

 ――結果的に、凱善の助言通りに塚内は思考していた。

 

(人質の引き渡し時間まであと30分だが……悠長に待つこともないな)

 

 迷わず、合理性だけを突き詰めて作戦に当たる。これが朝木対策の最善手であることを、塚内は知っている。長年の直感が、朝木勇のプロファイリングだけは不可能だと、あの男との心理戦に勝ち目などないと叫んでいるからだ。

 

「ではこれから、僕らは蟻塚を連れて指定場所に向かう。朝木とも接触するだろう。二人は適切なタイミングで援護してくれ。戦闘時の裁量は君たちに委ねる」 

 

 

 ◇◆◇

 

 そこには異様な光景が広がっていた。

 工場内の至る所に乾いた血痕がある。白骨化した人の骨が散乱し、辺りは腐敗した肉の香りで充溢されていた。人の死体の側には、野鳥や猫の遺骸も添えるように転がっている。

 まさにこの世のものと思えない地獄の図だが、既に見慣れている勇は、行きつけの喫茶店に寄るような軽い足取りで目的の座標へと進んでいた。

 

「念のため、繰り返しておく」

 

 歩む速度を変えず、機械的な声音で無線機に語りかけた。

 

「連続四発の発砲音は作戦成功の合図だ。最短ルートで回収に来てくれ。15秒以内にだ」

『訂正しろ、俺のライディングなら13秒でイケる』

「それは頼もしい。モテるだろ、お前」

『はは、褒めるなよ。お前こそモテるじゃんか』

「全くその通りだ。時折、溢れんばかりの自分の魅力を制御出来なくなりそうで、俺は俺が恐くなる」

 

 無線機の奥から、『どうして自画自賛が始まるんですか……』と黒霧の声が聞こえた。呆れられている。緊張を解きほぐそうと小粋な会話を挟んだだけなのに、傍目からは不気味に見えたらしい。

 こほん、と一つ咳払いをすると、勇は会話を主軸へ戻した。

 

「さて、そして作戦失敗の合図だが――それは爆発音とする。交渉決裂や不慮の事態に陥った場合、敵さんごと取引会場を吹き飛ばす。その時は俺を気にせずお前たちだけで撤収しろ。ただ、ぶっちゃけ洒落にならないレベルの爆破なもんでな。俺は蟻塚ちゃんと心中することになるかもしれないから、一応留意しておけ」

『なっ、初耳ですよ!? 自決も想定してるんですか!? どうして今になってそんな事を!!』

 

 自らの死を示唆した勇に、間髪入れず黒霧が声を荒ぶらせた。

 

「だってお前ら、それ話したら作戦の許可出さないじゃん?」

 

 予想ではなく、確定事項としてそうだろう。

 絶対に相手を出し抜く確証がなければ、死柄木は蟻塚の事を諦めるよう、勇に強いていた。しかし実際の勝算と言えば、勇の見立てでは半々と言った所だ。作戦失敗時の措置として自決手段を確保するのは、連合へ不利益を生まないための、せめてもの保険だった。

 

『……あー、死ぬ覚悟すらしてたのか。それは読めなかった』

 

 完全な思考をトレースしている筈だが、複製体の勇にさえ、今の発言は衝撃だったらしい。

 

「お前なら分かるだろ、蟻塚ちゃんの救出条件。それを考えれば心中ってのは悪くない手だぜ?」

『クッソ。なんでかねぇ、納得しちまった。学生の時は宗教じみた考えとか大嫌いだった筈なんだけどなぁ』

 

 同じ朝木勇であり草壁勇斗でもある二人の間では、共通の承知があった。

 蟻塚を殺し、自分も死ぬ。彼女を警察の手中から奪還するという意味では、これも一つの成功の形と言える。現在の勇の全て(・・)は、あの少女を中心に回っているのだ。

 

『私は全く得心がいかないんですが……』

「まぁまぁ、仮に俺がいなくなっても、十分にPRされた今の連合なら人員不足になるってことも無いだろ。極力失敗のリスクは考えないようにしよう」

『しかし、ですね……貴方の消失は取り返しがつかない。貴方に代わる人材が、この国にはもういませんから』

「流石に評価高すぎないか。一人や二人はいるだろ、頭脳派ヴィラン」

 

 その時だった。

 僅かに感じる前方からの視線。加えて、何かが動いたような気配を感じ取り、反射的に勇は顔を上げた。が、目を付けた位置に誰かの影は見られない。

 

(――確かに視線めいたものを感じたが……今のやり取りを聞かれた? ……それとも、緊張のせいで過敏になってるのか)

 

 否定できないのが難しい所だ。命を懸けて望む大勝負を前に、緊張しない人間などいない。精神的な臨界に達している勇でさえ例外ではない。

 

(まぁ、どっちでもいいか。聞かれていて好都合なのは俺の方だ)

 

 一方的に「んじゃ切るぞ」とだけ告げると、勇は無線機の電源を落としその場に投げ捨てた。

 

 

 ◇◆◇

 

 指定された座標と一致する地点は資材倉庫だった。工場内には腐乱死体から漂う異臭が漂っていたが、倉庫の中は更に強い匂いで充満している。

 

「何なんだ、これは。何なんだ、ここは……!」

 

 平然を保っていた塚内もとうとう表情を歪めた。鼻をつく死の香りは不快でしかった。

 こんな異質な建物が今まで発見されなかったのは、朝木勇の情報操作によるものなのだろう。塚内にはそれ以外に考えられなかった。

 

「……遊園地?」

「は?」

 

 場違いな蟻塚の発言に、テトラが食い付く。

 

「どこを見てここが遊園地だと思ったんです?」

「……ッ!!」

「そんなに睨まないでくださいよ」

 

 溢れんばかりの殺意を滾らせる蟻塚の瞳は、14歳のそれではない。付き添いの警官二人が遠巻きにその眼差しを目撃し、くぐもった悲鳴のようなものを発した。それも蟻塚逮捕の際に出た死者数を鑑みれば、妥当な反応だろう。蟻塚は一介のヒーローすら屠りうる力を秘めているのだ。

 

「つくづく野放しにできないな……っと」

 

 テトラが蟻塚の拘束具を更に強く締め上げた。

 すると、利用した入り口とは真逆の方向から、

 

「――大事な交渉材料だろ? 丁重に扱ってくれよ」

 

 独特の歩みで完全に足音は消えていた。加えて、纏った風采は熟練の格闘家のように剣呑である。

 無個性とは思えない程の貫禄を持った青年――朝木勇は、登場した途端に、蟻塚の身体を舐め回すように眺め始めた。

 

「大きな負傷は……してないか。良かった良かった。君が拷問を受けているんじゃないかと、俺は不安で仕方がなかったんだ。この国の公務員は俗物ばかりだから」

「来たか」

 

 忌々しげに声をかけたのは塚内。

 距離を詰めようと勇が歩みを進めた所で、塚内は左手を突き出してそれを制止した。無個性とは言え、接近されただけで脅威たり得る人物である、この男は。

 

「今日は雄英襲撃の時のような、大勢の仲間を連れていないのか」

「誘ったが、誰も来てくれなかったよ。俺は全ての友達から嫌われているらしい。同情するならその子を返してくれないか」

「同情はしていない。君なんて友がいなくて当たり前だ」

 

 通常、犯罪者が場の主導権を握っている場合は過度に刺激するような発言は慎むものだ。今回の場合だと、警察が人質の居場所を把握できていないという点において、勇の方が優位な場所にいる。

 上手く丸め込んで人質の居場所を聞き出さないといけない。だがその為に勇の機嫌取りに勤しむのは有効ではない。逆もまた然りだろう。

 

「君には孤独がお似合いだよ、犯罪者」

 

 溜まった鬱憤が、その元凶を前にしてとうとう爆発した。

 

「酷い言い草だな。その様子じゃ、蟻塚ちゃんを返す気はないのかにゃ?」

「その気はある。ただ、その前にこっちの質問に答えて貰おうか。それが条件だ」

「そう言って、警察は自分の主張ばかり押し通そうとする。たまには服従の気概を見せて欲しいもんだ。と言うわけで、そっちの条件や要求に俺は興味がない。さっさと娘を引き渡せ」

 

 無駄口が多く余裕を残しているような語り口調だったが、勇に譲歩の意志はないようだ。付け入る隙がまるで無い。それどころか、彼の声を聞くだけで迷宮を彷徨っているかのような錯覚すら起きてくる。この状態で長く会話するのは悪手かもしれない。

 勇を逃す気が警察にない以上、戦闘は不可避。ならその戦闘の前に情報を抜き取っておきたい所だが。

 

「流石に此方も君の言いなりになる訳にはいかない。少女を奪われ、人質も殺されるなら取引の意味がないだろ。人質の安全とその居所の開示。僕たちにはそれらを求める権利がある」

「ごちゃごちゃ何言ってんの……? 勇くんの言う通りにしろよ!!」

 

 思わぬ所から横槍が入った。元より感情の起伏の激しい彼女だったが、勇が姿を現した途端にその気勢を更に上げ始めた。

 

「勇くんゴメン……ゴメンね……ッ!! なんで私、こんな目に遭ってるのか……! いきなり警察が家にやって来て……! 抵抗して何人か殺したんだけど、ヒーローが沢山いたから……!!」

「へぇ。やっぱそういうシナリオだったんだ」

「私が勇くんの脚を引っ張ってる……もう、死にたいよ……!」

「言い過ぎだよ。今回は連合にリクラスって裏切り者がいた。それに気付かなかった俺の落ち度だ。まぁ、黒幕は三択にまで絞れてるからそう悲観するなよ」

 

 二人の会話の意味が塚内には理解できなかった。

 リクラスなる存在の裏切りが連合内部で起こり、警察側の状況が好転した。理解の及んだ部分はそこだけだ。

 当惑する警察たちに対し、勇は得心顔である。この男は今のやり取りから、何の情報を得たと言うのか。

 

「なぁ警察官。念のため尋ねるが、お前たちはこの工場の内装に既視感を持ったか?」

「何……?」

 

 濃密で生々しい死の気配を漂わせたこの工場は、塚内たちが当たり前のように平和を享受してきた国と同じ国のものだとは信じがたかった。迷うまでもなく、答えは一つ。

 

「持つわけ、ないだろ!! 並大抵の殺人現場だってここまで惨たらしくはない!!」

「ほら、つまりはそういうことだ」

 

 本当に、この、男は――!

 

「――一体何の話をしているんだ……!?」

 

 隠すつもりすらない怒気をまき散らしながら、テトラが勇を睥睨する。

 すると勇は好戦的に微笑を浮かべた。

 

「実はな、この工場を殺戮場として活用していたのは俺と蟻塚ちゃんなんだよ。ここは悪逆の限りを尽くした俺らの遊園地。ようこそ夢の国へ。鼠はいないから、記念撮影なら豚の死骸と一緒にどうぞ」

「はァ……!?」

 

 前後の言葉に関連性がない。飛躍しすぎた突然の宣言ではあったが、悪意に塗れた勇の笑顔が、その言葉の信憑性を裏打ちしていた。

 工場にあった死体の数は軽く十を超えていた。つまり彼らは、警察の認識より遙かに大勢の人間を殺めていたということ。自分たちの不甲斐なさを痛感すると共に、警察陣営の勇への警戒度が跳ね上がった。

 

 この男に関して、自分たちは分からないことだらけだ。

 しかし、一つ断言出来る。

 今すぐにでも、コイツを牢獄に入れなければいけない。

 

「……これから蟻塚を渡す。その後に人質の居場所を教えると約束してくれ」

 

 最後の望みをかけて吐き出した要求。これすら一蹴されたなら、本当に交渉の余地がない。潜伏中のヒーローたちが一斉に勇を捕縛するだろう。

 勇は想い耽るような沈黙を挟むと、ようやく口を開く。

 

「このままだと平行線だな。分かったよ、誓おう。そっちが女の子を解放したなら、こっちも人質の居場所を教えてやる」

「っ! そうか、助かるよ……」

 

 妥協したのは朝木勇だった。塚内に安堵の息が漏れる。人質の在処さえ吐かせてしまえば、もう警察側が躊躇する理由はない。

 塚内の視線に気付いたテトラがその意を汲み、捕らえていた蟻塚を離した。彼女は去り際にテトラの靴に痰を吐き付け、その後、勇の元へと駆け出した。

 

「勇くん!」

「遅れてゴメンな。ようやく君を取り戻せたよ」

「ううん、謝らないで。私が、下手なことしたばっかりに……! そうだ、リクラスを一緒に殺しにいこうよ! 私も手伝うから!!」

 

 会話の内容こそ常軌を逸していたが、合流し抱きしめ合う二人の間には、親子の絆と近いものが介在していた。

 

「こっちはそっちの条件を呑んだ。君も約束を果たしてくれ」

「ああ、勿論」

 

 瞬間、勇の身体が緩やかに動いた。

 周りの人間が気付いた時には既に、服の中から取り出した拳銃が彼の手に握られており、その銃口は塚内へと向けられていた。それは空気の合間を縫うような自然な動作でありながら、誰の警戒も刺激しない奇妙な挙動だった。

 

 爆竹のような乾いた音を皆が認識した瞬間、塚内の脳天に弾丸が突き刺さる。塚内は最期のその瞬間まで勇を睨んで離さず、やがてその瞳から色を消していった。

 

「次ィ」

 

 数秒にも満たない時間の狭間で、次なる標的を定める。勇が狙ったのは、同行していた無個性の警官である。引き金に指が触れたその瞬間、射線を切るように巨漢が出現した。

 

「貴様ぁあああああああああああああッッ!!」

 

 激怒の雄叫びが爆発する。男の熱量は空気を介して周囲にも伝わり、倉庫内を激しく揺らした。

 姿を見せたオールマイトを視認した途端、勇は顔色一つ変えずに、

 

「先に不義を働いたのはそっちだろう? 俺との約束を裏切ってヒーローを寄越した……だから、これから人質の約半数を殺すぞ。確定事項だ。残りを救いたきゃ今度こそ従順になるんだな! お前らに選択肢なんて無いんだよ、オールマイトォ!!」

 

 勇が殺すと宣言していた人質の数は12人。連合の要求に重みを持たせ、尚且つ更に警察とヒーローの行動を縛る為のものだった。

 しかし、オールマイトの血走った眼光が収まる気配はない。

 

「目の前で教え子と友を殺され、平和の象徴がその犯人を黙って眺めていると本気で思っているのか!?」

「だったら残念。人質を皆殺しにして、お前のことも殺すとしよう」

 

 勇が腰に手を伸ばし、携帯していた無線機を掴もうとすると――あったはずのそれが忽然と消えていた。

 

「――捜し物はコレか?」

「……ベストジーニストか。二年ぶりだな。返してよ、ソレ。同じ職場で苦楽を共にした仲じゃないか」

「仲間への通信など許さん」

 

 No4(ジーニスト)に通信機を握り潰される。

 彼はオールマイトより非力だ。より容易に殺せるとしたら、奴だろう――と判断し、勇は振り向き様に発砲する。

 ――が、発射された銃弾は意図していない方向へと飛んでいった。ジーニストの繊維を操る個性により、即座に銃が取り上げられたからだ。

 

「ちッ、蟻塚ちゃんは俺の側にいろ! いいな!?」

「う、うん……!」

 

 瞬時に目まぐるしく動く戦場の中心では、流石に蟻塚も動揺を隠せていない。勇はそんな彼女を背に、今度はオールマイトへと視線を向ける。

 

「この際だ。せめてアンタだけは確実に倒す! サシで勝負しろ!」

 

 その明確な挑発はオールマイトの自制を途切れさせるのに十分なものであり、同時に朝木勇と平和の象徴の一騎打ちを意味するものであった。

 

 テトラは専門外である戦闘に参加する意志を持たず、残る警官二名は状況判断すらままならない状態だった。

 そして、ジーニストも勇と蟻塚に攻撃を加えるつもりが無い。たった今射殺された塚内直正とオールマイトが友人関係であることは一部の界隈では有名であり、ジーニストも認知する所だった。弔いの場面を設ける意も込めて、戦闘を全てオールマイトに委ねたのだ。この判断は、平和の象徴への信頼故のものだった。

 

「殺してやるぞ、オールマイト!!」

 

 無個性である筈の勇が、個性使用者の極地に君臨する男を殺すと豪語している。荒唐無稽な話ではあるが、勇の声色にはそれが妄言でないと確信させる何かが隠されていた。しかし、

 

「むん!!」

 

 臆することのない巨躯が急接近する。オールマイトから放たれた拳が、勇の腹部にのめり込んだ。

 

「ごェっッ!?」

 

 ――揺れる。溢れる。千切れてしまう。

 

 痛覚が刺激されるより先に本能が察知した危険信号が、勇の脳内で激しく警鐘を鳴らしていた。

 どんな状況であってもヒーローはヴィランの殺害を実行しようとしない。オールマイトに勇を殺す意図はなく、打撃の威力は意識的にある程度抑え込まれていた。

 だが、それでも余りある衝撃に男の意識が飛びかける。

 

(気張れ……勇斗!)

 

 瞬時に勇の思考回路が高速稼働する。

 

(最善手を選び続けろ! 個性を抑え込め!! まだ(・・)使うな! 素の気力で耐えろ!!)

 

 反発的に発動しそうになる個性を、それによって抑止する。

 当然のことながら、ヒーローにはまだバレていない――個性を手に入れているということを。個性は切り札の一つだ。この場で発覚する訳にはいかない。

 ――だからこそ勇は地の力で強打に耐えきった。個性因子の獲得により身体能力が強化されているとはいえ、オールマイトの攻撃を受け止めた底力は勇自身の予想を遙かに超えていた。その為、他の者には本人以上の驚愕があっただろう。

 

「貧、弱ぅ……!! か、っるい拳だ……!」

「な……ッ」

 

 まさかあんな男が、オールマイトの攻撃に耐えきるとは――。

 無個性であるはずの男が秘めた予想外の体力。それに誰もが震撼した一瞬の隙に、勇は義手部分である自身の左腕にある命令を伝達した。

 

(――今だ、分離しろ)

 

 外皮が裂ける感覚は筋肉が千切れるそれと同種だった。激痛を伴いながらも外部の皮が引き裂かれ、機械部分が露出すると、関節部分の部品が分解される。それに要した時間はまさに刹那だった。

 肘を分け目に分離した左腕。その切り離された左手部分が、胴体からの動力供給が途切れたことである機能を作動させる。

 

 ――その直前、勇は目を閉じていた。

 

 左手部分が起爆する。その形状からは予想も付かないが、それは強力なスタングレネードと同じ機能を帯びていたのだ。

 放たれた閃光が勇以外全ての者の網膜を焼き、けたたましい音波が勇を含めた全ての者の聴力を奪う。

 

 光と、音が消えた世界。

 一時的な戦闘不全は避けられないものだった――唯一、視力だけを守り抜いた勇を除けば。

 

「覚えていろ、オールマイト。アンタを殺したのはこの俺だ」

 

 誰にも届かぬ死の宣告。

 直後、勇の左腕の断面から突き出ていた刃が、オールマイトの胸を抉った。

 




オールマイトブチギレ回でした。次回はお察し。

ちなみに、主人公にはベストジーニストの事務所でインターン活動をしていた過去があります。今は嫌われすぎて他人のフリされてますね。

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