元雄英生がヴィランになった 凍結中   作:どろどろ

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交渉決裂Ⅱ

 

 目の前の信じられない現象に、勇の心臓が締め付けられた。

 

(全力で打ち込んだ刃が、止められた……!? 嘘だろ鋼かよ、コイツの筋肉!!)

 

 先刻の肉を切り裂くような感覚は、オールマイトの胸部にナイフが走った時のもので間違いない。しかし、刃が到達したのは筋肉の中層までだった。内臓に届かないどころか、切っ先が中折れしていた。

 

「オオオオオオオオッッ!!」

「お前もはや恐竜だよ!!」

 

 視覚も聴覚も奪われ無防備な状態の筈なのに、オールマイトの死域に手が届かない。それどころか、その至近距離からの咆哮は無条件に勇の動きを止めた。

 これが第一位の風格。オールマイトは――人を越えた境地にいる。勝てる訳がない。この男は、人がどうこうできる存在じゃない。

 

「勇くん!」

 

 光と音が消えている。

 だというのに、蟻塚は勇の危機を察知し彼へと手を伸ばす。

 そしてまた、勇も同様に最も愛しい彼女へと意識を向けた。

 

「蟻塚ちゃ――――」

 

 ――――身体が、空中に押し上げられる。オールマイトに横腹を殴られたようだ。

 三半規管が今度こそ悲鳴を上げた。五臓六腑に染み渡る激痛に全身の細胞が耐えきれず泣き叫んでいる。肋骨は粉砕され、腹部の感覚が消えた。

 

「逃がさん!! 今度こそ逃がさん!! 私は貴様に――償わせると心に決めた!!」

 

 空気の振動や匂いの変化を子細に感じ取って、オールマイトは勇の居場所を捕捉していた。

 視覚と聴覚が一時的に死んでいても尚、平和の象徴が拳を鈍らせることは有り得ない。それを悟ると同時に、勇は久しい感覚と対面していた。

 

 ――やっぱ、死ぬのかな、俺……。 

 

 己の死期を悟ったのは、この短い人生の中で本当に数度だけ。今回はその中でも特に強い予感がある。

 ナンバーワンヒーローが向けてくる闘志の中に、禍々しい殺意が隠されている。誇りと矜持で自制しているとはいえ、確かにオールマイトは朝木勇の死を望む部分があった。

 

 ――貴方が俺にそんな顔を向けるなんて……犯罪者冥利に尽きるなぁ。

 

 死の淵に追いやられながら、朝木勇は不思議と冷静であった。

 もはや敗北は確定的であり、抗う気力が無くなったのだ。それにより、危機感も消え入った。もはや慌てるだけ無駄というものである。

 

 ――CAROLINA(カロライナ) SMASH(スマッシュ)!!――

 

 オールマイトが追撃を仕掛けてくる。

 跳躍した巨躯は、背を向ける勇の腰に両腕のクロスチョップを叩き入れて、華奢ながらも筋肉質な彼の身体を天井まで打ち上げた。

 脊椎が折れて死んだだろうか。それとも、天井と激突した衝撃で顔が潰れて死んだだろうか。否、忌々しいことに心臓はゆっくりと脈打っている。

 

(もう、いいじゃん。頑張ったじゃん、俺。……さっさと、殺してくれ)

 

 胸の奥から込み上げてくるものがあった。

 次の瞬間、口内が鮮血で染まった。噴水のように血が吹き出る。オールマイトめ、手加減が足りないぞ。本当に殺す気じゃあるまいな。

 

DETROIT(デトロイト)!!」

 

 容赦のない猛攻を告げる声音だ。もう目を閉じて眠ろうかと思った時、揺れ動く視界の中心に蟻塚の姿が映し出された。

 

 ――それがどうしようもなく彼女に似ていて。

 ――身体の何処かから得体の知れない何かが流れ出ようとする。

 

 何度も辞めようと思った。無理だと思った。そんな時、いつでも微笑む愛しい女性が確かにいたから、草壁勇斗は苦難を撥ね除けられたんだ。

 彼女はいつだって、いの一番に俺の夢の成立を優先してくれた。それがどんなに偉大なことか。それがどんなに立派なことか。

 でも、真実は少し違う。本当はあの人だって自分を救ってくれる誰かを探してた。

 俺は、その誰かになれなかったから。

 我が物顔で、自分の人生を踏みしめていたから。

 ずっと貴方の涙に、気が付けなかったから。

 

 

「勇くん……どこ……?」

 

 

 貴方の手を握ってあげられなかったその代わりに、今度はあの子に尽くすのだ。

 自分の為じゃなく、他人の為だから。

 世界の全てよりたった一人を優先できる。そんな自分に誇りが持てる。

 

 ――万人を救う英雄がヒーローと呼ばれ、個人を救う勇者がヴィランと呼ばれる、不思議な世の中だ。

 

SMAAAAASH(スマアアアアアッシュ)――!!」

 

 何時の間にか勇より高所まで跳んでいたオールマイトの鉄拳が、勇の胴体をくの字に曲げた。

 常人ならば絶命してもおかしくない。相手の体力と比較して過度に威力が乗った打撃だ。しかし、オールマイトは朝木勇の生存を強く確信していた。故に、この拳は紛れもない全力(100%)のもの。

 

 そしてまた、その確信通りに、勇はオールマイトの全力を喰らって意識を保っていた。

 それどころか、落下の折に血で赤く染まった口を三日月型に歪ませた。

 

「あの子を一人で死なせねェ! テメェら全員道連れだぁァァァァァ!!」

 

 吐血しながら歯噛みする。

 それにより、口内に仕込んだ電磁装置が起動した。

 倉庫内の壁に埋め込まれた全ての爆弾に起爆信号が届けられ、誰一人としてその予兆に気付くことなく、倉庫の壁が爆散し、天井が大破する。

 自決用の爆弾は正常に作動し、会場にいた全ての人間が崩れる倉庫の下敷きとなったのだった。

 

 

 ✕✕✕

 

 

 轟音は工場の外にまで届いていた。複製された勇・黒霧の両名は爆心地に目を向ける。

 

「今のは……!!」

「俺が自爆した音だろうね~」

「まさか本当に、自決するだなんて」

 

 遠目に見える爆発の程度から、あの状況での生還が容易でないことは想像がついた。死んだのか、生きているのか、どちらにも確信が持てない。そもそも本体である人間が死んでも複製体は存在できるのだろうか。

 ……ともかく、一つ言えることは当初予定されていた交渉が破綻したということ。

 

「爆発で死んでいたらそこまでだ。俺たちはアイツが生きている前提で駒を進めよう。一先ずここは撤退だ」

「……そうですね」

 

 今日の交渉が平和的に終わればそれに越した事は無かったが、こうなってしまっては仕方がない。

 取引が失敗する想定をしていなかった訳じゃない。その際の代案も存在している。

 二人に必要なのは、本体を信じてリカバリーに従事することだ。

 

「こっから先の下地は、生きていたらアイツが敷く。転んでもただでは起きない奴だからな。俺らも頑張ろうぜ」

 

 

 ◇◆◇

 

 強烈な異臭が鼻腔を刺激する。

 死後の世界にも香りはあるらしい。その上、どうも肌寒い。最悪の気分だが地獄にしては生易しい処遇だな、等と考えていると、勇の手を引く誰かがいた。

 美しい女性だ。草壁勇斗と似通った緑玉の瞳と、艶のある黒髪。美貌という言葉をそのまま担うような彼女の容貌の全てが蠱惑的であり、今すぐにでも愛を告げたい衝動に駆られる。

 

   勇斗、起きて。

 

 その瞬間、半覚醒状態だった意識が明瞭な思考を取り戻す。

 身体が動かないのは縛られているから。寒いのは濡れているから。異臭の元は、自分にかけられた謎の液体だろう。――俺は生きている。

 

「ゴホッ、ゴホぁっ!!」

「勇くん! 生きてた、生きてた!!」

「ああ、おはよ。喉も痛ェし頭も痛ェ……何が、起こった?」

 

 詰まるような声で吐き出す。

 左腕に何の感覚も無い。それ以外の部位は例外なく鈍痛が走っている。縛られていて身動きが取れないし、息苦しい。しかし、何より不愉快なのは己から漂う異臭だった。

 

「……臭い。何だってんだ」

「貴様が目を醒まさなかったものだから工場用水をかけた。大量の微生物の住処になっていたんだろう。妙な匂いがするならその所為だ」

「汚染水だったらどうする気だよ、クソ」

 

 温度のないベストジーニストの声に辟易する。

 そうだ。朝木勇はオールマイトに撃沈される間際に倉庫を爆破したのだった。それで全員が死ねば万事解決だったのだが、無様にも生き残ってしまったらしい。

 さて、もう弄する策も、それを講じる時間も与力も物資もない。終幕だ。

 

「敵を捕らえた今の感想はどうだい、ジーニスト」

「……最悪だな。塚内警部の遺体と、警官二人が先の爆発で瓦礫の下敷きとなった。貴様と蟻塚を優先して守ったせいでだ。幸い、警官二人の方は軽傷で済んだが……全く、初めて自分の性分が嫌になったよ」

「ハッ、何だそりゃ」

 

 勇は改めて周囲を見渡し、生還者を確認していった。

 自分と蟻塚を除いて、生還したのは五人とのこと。

 鬼の剣幕で睨みを利かせるオールマイトと、静かに憤るベストジーニスト。そして、勇が事前に調べた警察の名簿に記載がなかった人物――テトラである。

 負傷した警官二人がこの場に居ないのは、自分の目の届かない場所に待避させているからだろうか。ともかく、ベストジーニストによると誰一人として死者はいないらしい。何度も実験して、威力は十分だと確信を得ていた筈なのだが、流石はプロヒーローと言った所か。想定外の活躍をしてくれる。

 

「律儀にヴィランのことも守ってくれるとはな……んん? というか俺はヴィランなのかねぇ、ほら俺、無個性じゃん? 無個性の犯罪者にヒーローが個性を使用することは禁則だったと思うんだが」

 

 そう。

 勇が取引に勝算を見出していた理由の一つがそれだ。ヴィランは個性犯罪者に適用される呼称であり、それを摘発するのがヒーローの管轄でもあるが、無個性の青年はヴィランたり得ない。

 例え自称していたとしても、朝木勇は法的にヴィランである根拠に乏しい。ヒーローが手出し出来ないということも十分に考えられた。

 

「減らず口を。上から貴様に対して特例措置が出ている。無個性の特権はもう貴様に無い」

「あらら、随分と呆気なく曲がるんだね、法律って」

 

 楽観視していた訳じゃない。塚内直正の自分に対する執着は気付いていた。きっと彼の計らいなのだろう。今回の功労者は紛れもなくあの男だ。

 

「残念だなぁ。俺を捕らえた感想をあの警部さんにも聞きたかったのに。先に旅立ってしまった。約束を破る男は早死にするみたいだな」

「貴様が彼のことを口にするな!!」

 

 憤慨するオールマイトの蛮声が轟いた。

 

「第一、少女を受け取ってから発砲まで間が無かっただろう! そっちにも最初から約束を遵守する準備は無かったんじゃないか!?」

「違うな。アレは塚内直正が墓穴を掘った結果だ。奴は人質の解放を一度も要求せず、その居場所にばかり固執していた。俺を騙す算段があると直ぐに分かった。むしろ、気付けない奴の方が愚鈍なのさ。アンタたちにも、塚内にも、詐欺師の才能が無かったんだ」

 

 窮地であるというのに、その口調が饒舌であることに変化はない。目覚めて早々、よく舌の回る男だった。

 

「俺は本当に人質を全員返すつもりだったんだぜ? 子供たちには誰一人、傷一つ付けていないしな」

「ほう、それは良い事を聞いた気がします」

 

 その時、テトラが動いた。

 相も変わらず拘束具と格闘する蟻塚の頭を抑え、地面に叩きつける。

 

「あぐぅッ!! な、何すんだお前ェ!!」

「黙ってろクソガキ」

 

 冷淡に言い放ち、もう二回顔面を残骸の上に擦りつけた。温和な印象だったテトラの瞳に、以前の熱は灯っていなかった。

 事務的に蟻塚を痛めつけるテトラと対照的に、勇は眼下の奥に敵意を潜ませる。縛られて身動きがとれない自分に嫌気が差して、拳がキツく握り占められた。

 

「観察は私の得意分野ですので分かりますよ、朝木。上手く隠してるつもりでしょうが、この少女が傷付く時にだけ酷く狼狽えている。そんなに、大切ですか」

「……あぁ? 言ってる意味が分かんねぇな」

 

 上手く本性を隠していた自覚はなかった。昔から、愛情だけは隠すのが苦手だったから。

 だが、テトラに自分と同じ匂いを嗅ぎ分けた勇は、今後自分たちに課される待遇を想像して冷や汗を流した。塚内ではなくテトラを先に殺しておくべきだったかもしれない。

 

「この娘の為にそこまで必死になれるくせに、どうして他の人を大事な人に置き換えて見られないんですか? 君の精神状態はまるで理解できない。破綻者であることを咎めはしせん。が、その狂気に他人を巻き込むことだけは断じて許せない……!」

「J・S・ミルの自由論ってとこか。功利主義とは性根まで警察らしい。アンタとは気が合わなそうだ、イキリポリス」

「情報通り口巧者ですね。お得意の口八丁で今までに一体、どれだけの人間を欺き、操り、不幸に追いやってきたのやら」

「知るかよ。そんなことより、その子から手を離せ」

 

 塚内が持っていたどうしようもない危機感。それに最も同調しているのは、テトラだ。

 捲し立てることは不可能。時間稼ぎも難しそうだ。本当に警戒している相手は融通が利かない。ヒーローと対峙している時の勇がそうであるように。

 

「問いはある種の警告です。人質は何処にいます?」

「それは勿論、貴方の心の中に」

「ああ、そぅ」

 

 逡巡の間はなかった。相変わらず会話の意志を見せない勇を早々に見限ったテトラは、蟻塚を右腕を直角に折り曲げた――真逆の方向に。

 

「ぅぎゃぁああああああああああ!!」

「今から子供を拷問します。むしろこういう時の為に、私が派遣されたんですよ」

「……人間のクズめ」

 

 朝木勇の表情から余裕が抜け落ちた。

 それを好機とばかりにテトラは蟻塚の右手関節を折ろうとするが、それを止める声が二つ。

 

「テトラ! 止めろ、エレガントじゃない。それに違法だ」

「ああ。まだ時間はあるんだから、ゆっくり問い詰めればいいさ」

 

 ベストジーニストとオールマイトは、少女を無為に痛めつけることを承知できなかった。朝木勇を追い詰める最善手を、ヒーローの高潔さが邪魔している。

 これで本人を拷問するという話だったら、二人もやむなく同意しただろう。しかし、中学生と同程度の年齢である蟻塚は事情が違う。危険人物であることに違いはないが、同時に保護すべき対象という枠組みに含まれていた。

 

「時間はありませんよ。連絡手段を奪ったとはいえ、こっちは連合の要求を足蹴にしたんです。いつ人質が殺されても可笑しくない。もしかすると、既に私たちの知り得ない合図が送られているかもしれませんし」

「ッ」

 

 ベストジーニストの表情が強ばった。彼は知っている。潜伏中に、通信中の朝木勇の言葉を聞いていた。

 

「……合図はもう送られているだろう。先程の爆発は“交渉決裂”の知らせを仲間に届ける為のものだ。不可視化して潜伏している最中、朝木勇がそう言っていたのを聞いた」

「……そう、でしたか、得心がいきました。先程の爆破で死者をゼロに抑えられたのは、ベストジーニストさんの予備知識があったからですね。どうりで貴方の状況判断が早すぎた訳だ」

 

 爆発による死者が出なかったのは、ジーニストの奮闘があったかららしい。

 

(――やっぱ聞かれてたか)

 

 そのことに対する焦りはない。むしろ聞かせる前提があったからだ。焦るとすれば、この後の流れを予期してである。

 

「こうなったら直ぐにでも朝木の口を割らなければ。あの瓦礫の下に丁度良い機材があります。拷問に使えるかもしれません。運んできて頂けますか、ベストジーニストさん」

「……限度は守って貰うぞ」

 

 言うと、ジーニストはテトラが指した瓦礫の下を捜索し始めた。

 やはり良い流れではない。あの警察服を着たテトラとか言う男に先導させるのは拙い。倫理観の違いから不和を起こしてくれないものかと期待してみるが、オールマイトは否定する様子も肯定する様子も見られなかった。

 

「勇、くん、私、どうすれば……」

 

 不安に歪んだ蟻塚の表情に、勇の鼓動が加速する。

 

「大丈夫だ。俺が助けてやる。信じて、耐えてくれ」

「…………うん」

 

 我が儘で利己的な彼女なのに、勇の言葉には真摯だ。自分に寄せられている信頼をかつてない程に感じる。いつも煩いこの女の子は、自分を信じて泣き声一つ上げない。腕が折られて辛いだろうに、追い詰められて不安だろうに。

 

「これを、拷問に使う、と? しかし――これは」

「時間が無いんです!! 朝木に効くのは少女の叫声だけだ!! グズグズしてたら子供たちが皆殺しにされますよ!?」

 

 テトラに煽られてジーニストが運んできたのは、物々しい刃が剥き出しになっている粉砕器だった。巨大ミキサーと言った所だろうか。扇形のブレードが幾重にも重なり、投げ入れられた資材は数秒と待たずに粉微塵にされるだろう。

 この工場は地熱から電力を生み出す仕組みを採用しているため、常備の機材も使用可能な状態で置かれている。粉砕器の電源ボタンは、点灯していた。

 

「……冗談はよせ」

「そう思いますか?」 

 

 ――思わないから動揺しているんだ。

 警察と一番密接に関連しているテトラが、最も違法性のある方法に踏み切ろうとしている。少女を粉砕器にかけるなど誰が予想できただろうか。トップヒーローの二人も、思わず口を噤んでしまっていた。

 しかし、沈黙されては困る。行き過ぎたテトラとそれを制止するプロヒーローとで揉める構図を作らなければ。

 

「なぁベストジーニスト、オールマイト! お前たちヒーローだもんな? そんな事できないって、俺は知ってるぞ!!」

「私はヒーローじゃありませんけどね」

「だから14歳の女の子を粉々にするって? 巫山戯るな、イカれてんのか!」

「イカれてるのはお前だろ、朝木」

 

 テトラは身体を丸める蟻塚の首を掴むと、彼女の小さな身体を片手で持ち上げる。

 

「うぎゃっ、な、何すんだよ! やめてよ!!」

 

 蟻塚の声は震えていた。

 粉砕器の前にまで行くと、折れた右腕を取り、刃へと近づける。

 

「アレ……? どうやって動かすんだコレ?」

「やめ、やめて……嫌だっ、怖いっ!!」

 

 刃の層の中に蟻塚の右手は収まっている。誤って起動させれば、簡単に彼女の腕は切り刻まれるだろう。そしてどう見てもテトラにその躊躇いはない。

 

「嘘だろ、本気か!? お前、小さな女の子をミンチ肉にするのか!? 拷問って順序あるだろ、ホラ! 前座って言うかさ! いきなりそれは芸がないよ君ィ! まずはその娘をめった殴りするとか、その辺から始めるべきじゃないかなぁ!? うん、致命傷にならない程度にね??」

「既にこの場に応援要請はしています。右腕が無くなっても、我々の医務班が命だけは繋げてくれますよ。命だけは」

 

 冗談じゃない。

 勇の焦燥の色が強くなった。

 

「オールマイト。今の戯れ言を聞いたか。頼むよ、止めてやってくれ。こんなのヒーローじゃない! 何処の世界にこんな残酷な方法があるんだ! 貴方は、皆の笑顔を平等に守ってくれる最高のヒーローじゃないか……! 後生だから、お願いだよ……!」

「……」

 

 その請願に胸を打たれたのか、オールマイトから憤りが霧散していった。

 拷問にしても確かに度を超している。怨敵である朝木勇であっても、この瞬間だけは同情できた。誰かを想う気持ちは誰にでも共通なのだと、オールマイトは彼の言葉を寛大に受け止めた。

 

「テトラ少年。止めるんだ。他にやり方がある」

「連合が抱えている人質の数を考えてください! その小綺麗な理想論で子供が死んだらどうします! 私への諌言の前に、貴方はその男から聞き出す事があるでしょうに!!」

 

 オールマイトの視線が勇へと向かった。

 

「……少年。人質の居場所を言いなさい」

 

 友を殺され、親の仇のように恨んでいる男に、それでもナンバーワンは救いの手を伸ばさずにはいられない。

 オールマイトの声は朗らかで、柔らかかった。

 

「そんな、対価を要求するのは違うだろ……! この恩は必ず返すから、あの子を助けてやってくれよ!! たった一人の家族なんだ!!」

「本当に救いたいのに出し惜しみする方が違うだろう! 世の中は貴様の都合で回らない! 人質の監禁場所を言え!! それが、お前とこの子の為だ!!」

 

 ベストジーニストも遂に勇の説得に乗り出した。

 もう他に選択肢はない。主導権は完全に向こう側へ動いた。蟻塚の絶叫を聞き入れるか、人質の居場所を伝えるかの二者択一だ。ようやく――勇にも諦めが付いた。

 

「分かったよ。……ああ、教える。何でも話す。だから蟻塚ちゃんを解放してやってくれ。意外に恐がりなんだよ、その子」

「……」

 

 すると、テトラが蟻塚の腕を粉砕器から無言で離す。安堵の息は誰のものだったか。

 だが、安心したのも束の間。

 テトラが粉砕器の起動ボタンを蹴り上げた。僅か数秒で、刃が唸りながら回転する。その風を切る悍ましい高音が初めて蟻塚の双眸に涙を溜めさせた。

 

「嫌っ! 嫌だァァァッ!! 何するの、何するの!?」

「オイオイオイ!! 話すって言っただろうが!!」

「お前の言葉を信用して破滅した人間は数知れない。塚内さんならきっとこうする。だから今、話せ」

 

 ここで嘘を吐いて朝木勇に何の得があるのか。正論めいた理屈を訳の分からない場面で持ち出して、この男は何がしたいのだ。会話の主導権をひけらかして優越感を守りたいのか?

 ……私怨としか思えない。テトラは完全に、私的な理由で朝木勇の心を折りたがっている。

 

「神野区四丁目の集合住宅街にあるレンタルスタジオだ! そこに10人! 五丁目の大通りにある貸金庫に5人! そこに隣接するホテルの隠し地下シェルターに15人! そのホテルの支配人は俺だ! 紫藤迅雷という名義で経営している!! 調べれば分かる!! ほら全部で30人! 教えたぞ!!」

 

 一切の虚勢を捨て去って、願うことは蟻塚の安全のみ。

 テトラが蟻塚を粉砕器から離れさせると同時に、朝木勇は諦めたように項垂れた。

 紛れもない降伏の姿勢。

 それは、蟻塚が初めて見る、ヒーローと警察に屈した朝木勇の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――生まれてこの方、私の味方は君だけだった気がする。

 

 勝手に産まれさせられて、勝手に期待されて、勝手に見限られ続けた。

 他人の辛苦で興奮しだしたのはいつからだっただろう。

 他人の絶叫でよく眠れるようになったのはいつからか。

 きっと、初めから、全部間違ってた。

 

 誰も助けてはくれなかった。誰も見つけてはくれなかった。誰一人として、私の側に好んで立ってくれる人は居なかった。

 

 ねぇ、ナンバーワン。お前が知らなかった泥沼の私を、その人は掬い上げてくれたぞ。

 なぁ、ナンバーフォー。お前が喝采を浴びていた頃、その人は私の為に血を浴びていたぞ。

 おい、ポリ公。その人が苦しそうにしているのは、お前のせいか。

 

 他人の掲げる理屈はよく分からない。善悪の分かれ目を作ったのが誰なのかも知らない。なのに、お前らは上から私を押さえつけようとする。偉そうに見下して、異常者だの、悪党だの、よく分からない妄言を垂れ流す。いつのまにか出来上がっていた狭い区域に私を押し込もうとする。

 

 ――それが私の為だの、間違っているのは私だのと、そんな事言われても分からない。

 私が何一つ納得していないことを、君以外は認めてくれないんだよ。

 どいつもこいつも、理解出来ない私を悪者にしようとする。

 分からないんだから、仕方ないじゃん。

 

 その度に、私の中で磁石みたいに反発する何かがある。それの正体は知らないけど。

 

 恐怖に歪む顔を見るのが好きだ。他人を従わせるのが好きだ。人の断面を見るのが好きだ。腐った血肉の香りが好きだ。動物が潰れるのが好きだ。涙を見るのが好きだ。そいつを蹴り殺すのはもっと好きだ。捻り殺すのはもっと好きだ。

 人の嫌がることが、好きで好きでたまらない。

 

 もっと殺したい。壊したい。潰したい。殴りたい。斬り殺したい。落としたい。噛み千切りたい。私の毒で、苦しませてやりたい。

 

 ――私は他の人とどこか違うんだ。きっと、何か違う別の生き物なんだよ。

 ――だって、こんなに他人を傷付けて、楽しいんだから。

 

 でも、君だけは違う。

 どういうことなんだろう。分からないことだらけだ。理由が全く分からない。自分の考えが、定まらなくて最高に意味が分からない。

 

 何で、君にだけは傷付いて欲しくないのかな。

 どうしてだろうね。

 君に会って、おかしくなっちゃったのかな。

 おかしくなっちゃって、たまらなくそれが嬉しいのは何でかな。

 

 

 ずっと探してるんだと思う。

 

 

 あの日の涙が痛くなかった理由。

 

 私が側にいることで、君が笑ってくれるのが嬉しい理由。

 

 ずっと君の隣にいないと、分からないままで終わっちゃう。

 多分、きっと、そうだ。

 

 ただ、知りたい事があった。

 探し続けてた。

 

 だけど一つ分かったよ、勇くん。

 

 

 

 そいつらがいると、答えが逃げていく。

 君との暖かい日々が、遠く離れていく。

 嫌だ。

 嫌だよ。

 守られるのはもう嫌だ。

 

 

 ――金属が割れるような音が鳴ると、身体が軽くなった。

 

「死ィねぇえええええええええええええええッッ!!」

「……っ!?」

 

 蟻塚の左手がテトラの下顎を掴んだ。

 左腕が折れて憔悴している身体を突き動かす動力源は、邪魔者への殺意と一途な愛情のみ。

 

「ちょと、止め――あああああッッ!?」

 

 蟻塚は作動中の粉砕器の中にテトラの頭部を放り込んだ。

 気持ちの悪い絶叫が木霊した。脳髄の液が飛び散り、頭蓋骨の割れる小気味良い音が周期的に響く。瞬く間に彼の声は消えていき、最後には肉が刻まれ、骨が軋む嫌な音だけが残った。

 

「あの拘束具を外しただと!? ベストジーニスト、用心しろ! この少女は私より怪力だぞ!!」

「……了解した」

 

 現在進行形で切り刻まれるテトラの死を悼む暇などない。

 もう勝敗は決まったという終局の場面で、思わぬ所から出現した脅威。

 

「殺してやる!! お前たち二人!! 私の毒で!!」

 

 臨戦態勢のトップヒーローに向かって、少女の姿をした害虫は獰猛に吼える。

 誰の声も届きはしない。

 

 

「勇くん……直ぐにそのゴミ引っ剥がすから、帰ろうね。一緒に!」

 

 

 ――しかし、わたしは虫であって、人ではない。

 ――人にそしられ、民に侮られる。

 

 




海外の映画とかでたまにありますよね。巨大ミキサーに人間が巻き込まれる、みたいな。

次回は蟻塚のオリジン回です。主人公(光)と蟻塚の馴れ初めや、主人公(光)が闇堕ちした明確な理由を明かしていきます。原作のあのキャラも出てきたり来なかったり。
最後の一文は雰囲気持たせる為に聖書から引用。特に意味はない。

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