無機質な熱を帯びた神経が左腕の関節に接合される感触は、傷口から虫が入り込んでくるかのような不快感の余韻だけを残した。
勇はその鋼が自分の身体の一部であることを意識にすり込むために、何度か義手を上下に動かす。
装着してまだ数分だというのに、時間差もなく能動的に運動の命令が伝達されている。それでも小気味悪い感触が残留したままだが、極度の拒絶反応を避けるために人工組織が編み込まれているからか、人間らしい温度が取り戻せてきているような気がした。
今は腕を無くしたその二日後であるが、仕上がった義手の出来は想像を軽く凌駕するものだった。
「まさかここまでの精度とは、日本の技術は凄いな。……いいや、感嘆すべきはお前たちが秘めてる科学力か?」
素直に賛辞が飛び出てくる程度には、驚嘆したと言っても良い。てっきりもう左腕は無いも同然の生活を強いられるものだとばかり想定していたのだが、この分だと元の運動能力に戻るのも時間の問題だった。
賛辞を受けた『先生』は、含み笑いのような声を漏らす。
「僕の個性の応用さ。普段は使わないものだから忘れていたが、探してみたら意外とあるものでね」
「……は? それってつまり――ん? 先生は数え切れない程複数の個性持ちってことか?」
「厳密にはそうじゃないが、まあ、そんな認識で間違いはないかな」
「へえ、やっぱ神様は意地悪だねえ。改めて、運命めいたものを須く嫌いになった」
連合の後ろ盾であるだけあって、やはり先生単体の力量は計り知れないものがあった。
こうして実際に対面してみて不吉な風采は底抜けであると体感できたし、一つ二つ言葉を交わしただけで引き込まれる謎のカリスマまであった。その上、個性の複数持ちとは――才に恵まれすぎたこの男を嫉んでしまうのは当然だろう。
「……以前は隠居していると聞いたが、この際だから率直に聞く。お前は独力でどこまで強いんだ? 治療用のキューブや管を全身に纏わり付けたその姿は病人のそれだが――ほとんど気休めだろ、ぶっちゃけ」
「僕を買い被りすぎるのは御法度だよ。そこそこできる自負こそあるが、僕は本当に療養中の身だ。頼られても困る。今の君と比べたら霞んでしまうような弱小ヴィランさ」
「それこそ買い被りすぎだな。俺はガキ相手に左腕失うような雑魚だぜ」
「フフ、君だってまだ子供だろう。19歳だったかな? 大丈夫、まだまだ成長期だ」
「馬鹿言うな。自分の伸び代くらい自分が一番良く分かってる。俺はここで終点だよ」
自虐は本心から来るものだった。自分が既に完璧を突き詰めているとまでは言わないが、効率的な努力は十分に重ねてきたつもりだ。これ以上自分を磨くために研鑽しても実りは少ないだろう。要は努力と成長、その費用対効果が悪いのだ。
先生もそれには首肯する。
「……そうだねぇ。君の主張もあながち間違ってはいないかもしれない。ならば、こういうのはどうだろう?」
常に先生は勇の想像の斜め上を行く言動を繰り返す。しかし、その時の“提案”は、普段のもののもう一段上から下されたものだった。
「君さ、自分だけの個性――欲しくないかい?」
「……嫌味ったらしい質問だな」
勇は思わず歯噛みする。無個性という自分のアイデンティティにしてハンデ。それがあったからこそ、彼はここまで登り詰めることが出来たし、自分を追い込む胆力を得ることが出来た。それは間違いなく事実である。
今更個性が欲しいか、だと? ……その問いは沈殿する勇の願望を一時だけ掘り起こす結果となった。
「話したことなかったっけか? 俺の個性は『勇気と笑顔』。それだけで間に合ってるんだよ」
「またまたぁ。君は医学的にも証明された正真正銘の無個性だろう。そんなつまらない意地やプライドは捨てて、言ってみなよ。君の本心。個性が欲しいのか否か」
「欲しいさ。あー欲しいね。精力絶倫の個性とか転がってないもんかなぁ」
一度蓋を開けてしまえば、その願望は単純明快だった。個性は欲しい。当然だ。決して叶わぬものだと知っているから、勇は素直に全てを吐き出した。
そして、無責任にそれを引き出した先生は――
「――――ならばあげようか?」
「…………ああ、そっか。そういうことか」
瞬きほどの合間に全ての真相を導き出した勇は、つくづく神様は不公正だと悪態をつく。
「テメェが個性を何個か持ってるのも得心がいったよ。“作って譲る”――そんなところか?」
「惜しい。が、近い。“奪って譲る”が正解だね」
「それはそれは。悪党に相応しい能力だこと」
勇の胸の中に嫉妬の二文字が浮かんだ。羨ましくて妬ましい。だが、頭を下げたら本当に貰えるのだろうか――そんな選択肢が浮かび上がってくる。
もちろんそんな真似はしないが。
「……忠告しておくぞ。そこでテメェが黙って見てる分には俺は何も言わないが、これ以上、俺たちに躙り寄ってくるってなら、俺は躊躇なく身を引く」
「やれやれ。信頼されていないなぁ、僕も。義手まで用意してあげたというのに」
「する訳ねェだろうが。何も信じていないよ。そちらさんは俺を信じてるみたいだが――それがまた気にくわないんでね。俺の底まで見透かされてる気分でいけ好かない。つー訳で、その提案は却下だ。個性なんて不要だ。むしろ、無個性じゃなきゃ俺が俺でなくなる、そんな気がしてならない」
「そうか、とても残念。君なら簡単には
「悪いね。義手の件は普通に感謝するよ。んじゃ、俺はこれで」
この場にいたら自分らしくない想いが芽生えてきそうな予感がして、勇はすぐに退散することを選んだ。
踵を返す勇の背に向かって、先生は一言、
「ならば僕は待とう。君が自ら欲し、手を伸ばすまで」
その言葉に返事をせず、沈黙を貫いたまま勇は先生と別れた。
「……ふむ。義手は貰うが個性は受け取らない、か。基準がよく分からないな。つくづく複雑な子だ」
◇◆◇
日がな一日鬱屈としている連合アジトには珍しく、喜色が漂っていた。
その空気の中心源となっている男――死柄木は、勇が左腕に帯びる無機質な光沢を眺めると、
「似合ってるじゃないか」
「どうも」
彼から能動的に声を掛けてくるあたり、本当に機嫌が良いらしい。普段の天邪鬼ぶりからは考えられないことだった。
「あの事件……もう『地獄の明朝』なんて俗称まで出来ている。世間は俺たち連合の話題で持ちきりだ。今回だけは俺もお前を労ってやるとしよう」
「そんなもの必要無い。事前に確約と言ったからには確約だ。俺は出来もしないことを出来るとは言わん。最初から確定してた結末だった。というか、労う以前に俺に感謝しろよな。俺がいなけりゃ完全敗北だっただろうし」
先日の雄英襲撃において、オールマイトの殺害というプランは完膚なきまでに頓挫した。主戦力は大半が無力化され、実質的に戦果を上げたのは朝木勇が唯一である。撤退の時間を稼いだのも彼だった。
死柄木も認めざるを得ないと理解できていた。朝木勇が居なければ、目的を達成できなかったどころか募った仲間の多くが捕まり、計画は不首尾に終わっていたことだろう。
「……チッ、やっぱ鼻につくことしか言わないな、お前」
反論は出来なかった。小さな舌打ちは死柄木に出来る精一杯の反抗だった。
「それにしても、」
勇はカウンター席に乱雑に広げられた新聞記事を流し見する。
「何でこんなに散らかってるんだ?」
「さっきまで俺が見てたんだ。世間の動揺が愉快でな」
「……へぇ」
言われて、勇は世の中の動向を思い出す。
連合による雄英襲撃の翌日――街中に解体された死体の欠片が散乱していたことが一つの事件として取り上げられた。
朝の段階では死体の身元特定は困難とされていたが、民衆の間では一つの憶測が犇めいていた。死体の正体は雄英の生徒なのではないか、と。と言うのも、同時期にヴィラン連合なる組織によって雄英が強襲され、生徒の一人が誘拐されたことが報道されていたからだ。
そして、その憶測が真実と成り代わったのが正午の話。DNA鑑定の結果、バラバラの死体が現役雄英生だった峰田実のものであると断定され、警察は直ぐさまそれを公へと開示したとのことだ。
腕の治療に専念していた勇が知り得ている情報はこの程度だったが、世間に大混乱が巻き起こったことは想像に難くないものだった。
「地獄の明朝の発生から、今日で丸一日が経った訳だが――ハハ、どの記事でも猛烈に叩かれてるな、雄英」
散乱している記事を軽く眺めてみて、雄英を擁護する文面は一つとして見受けられなかった。ヒーローの総本山とも言える学び舎が、犯罪者の侵入を許し、挙げ句生徒を殺害されたのだ。
全ては教師たちの“怠慢”が招いた悲劇である――と、多くがそう結びつけている。実際に現場にいた教師三名は勇の想像以上の奮闘をしていたのだが、誤解の広がる勢いは減速することを知らないようだった。
(これで、主犯の一人が元生徒なんてバレたら、もっと
草壁勇斗の個人情報が暴露されることすらあり得る話だ。この事件は既に、そういった異例の措置が要求されるレベルまで悪化している。
だが、それでも別段問題はない。元より勇は素顔を街中で大衆に晒すつもりは無かったし、誰にも捕捉されない独自の移動手段――黒霧という万能すぎる無料タクシーを持っている。
「騒がれれば騒がれるだけ面白くなってくるなぁ」
そんな呑気な感想が口をつく程の余裕があるというのが勇の認識だったが、それに異を唱えたのは、カウンターの内側で沈黙していた黒霧だった。
「悠長に構えていて大丈夫なのですか? 朝木のことが雄英の教師たちに知られてしまったのは大きなリスクだったのでは? この期に及んで『未成年だから』という理由で貴方の個人情報が全て守られるとは考えにくいのですが……」
「黒霧は心配性だなぁ。俺個人が注目されるのは物騒だけど、これまでに足跡が付くような活動はしてこなかった。所在地がバレたりはしないさ。それに、元々俺はヴィランでなくとも犯罪者ではあったしな。報道されたとしても今更さ」
「犯罪者……ああ、便利屋の仕事のことか」
便利屋時代、確かに勇は幾つもの法を犯す行為を重ねてきたが、『便利屋』として警察に手配されることはなかった。つまり、勇の言った“犯罪者”という自称は、死柄木や黒霧の想像の埒外にあるものだった。
「いいや。便利屋だとか関係無く、最初から俺はお尋ね者の脱獄犯だった」
「「……は?」」
二人の反応が意外で、勇は眉根を吊り上げた。
「何だよ。確かに俺の口から説明したことは無かったけどさ……、俺のことは調べ上げてたんじゃなかったのか?」
「朝木の情報を集めたのは先生だ。俺たちは断片的にしかお前のことを知らない」
「あ、そなの」
考え直してみれば、連合に所属する者の中で、勇の個人情報にたどり着けるような目聡い輩は先生くらいである。
目と耳の役割はほとんど先生。彼の敷いたレールの上を我が物顔で歩いている死柄木に呆れ、勇は不敵な微笑を浮かべた。
「俺って一度はヒーロー殺害事件の犯人として逮捕されてるんだよ」
「逮捕……それで脱獄犯、ですか」
「――そんなことをどうして今まで黙っていやがった?」
同僚が秘密を持っていることがよほど勘に障るのか、死柄木は厳しい視線で勇を睨み付ける。それを軽やかに受け流すと、勇は、
「聞かれなかったからさ」
「……聞いたら答えるのか?」
「ある程度はね」
勇には必要の無い嘘をつく趣味もなければ、虚言癖もない。自分から打ち明けないのも意地の汚い話だったかもしれないが、執拗に自分の過去を全て秘匿する気も無かった。
「意外だな。お前は詮索されるのが嫌いなタイプかと思ってたが」
「嫌いでは無いけど、苦手ではあるかな。言えないことだってあるし。だけど取り立てて不愉快ではない。疑問があれば聞いてくれても構わないぞ?」
「……だったら教えろ。お前無個性のくせに、どうやって脱獄したんだよ」
死柄木は脱獄の難易度を物理的な戦闘力と直結させて解釈しているらしい。勇はそれを嘲り、希薄に笑って見せた。
「無個性だからだよ。色々と裏技があるんだ」
「裏技? ……看守に身内でもいたか?」
「発想が貧困だぜ。緻密な計画と演技力、そして胆力があれば誰でも再現可能な方法だよ。死柄木とかには無理そうだけどな」
時折皮肉を混ぜつつも、勇は自分の脱獄の手法を懇切丁寧に説明する。
全てを話し終えた頃、死柄木と黒霧の各々は舌を巻いていた。
「……認めるのは酷く癪だが、普通の人間はそんな方法を成功させるなんて出来ないぞ」
「ええ。朝木だからこそ可能とした芸当だと思います」
「ん~、でも、確かに滅茶苦茶難しかったからなぁ。同じ事をもう一度やれを言われても無理かもしれない」
だが――その難解な手段を敢行したからこそ、蟻塚と出会えたし、こうして脱獄することも出来た。志を転向するきっかけを作ることが出来た。
「まあいいや。俺の過去の話なんてつまらないし、トランプでもしようぜ。トゥワイスと蟻塚ちゃんも呼んでさ」
「やらないよ、そんなガキの遊び」
「そう言うなって。乗ってこいよ。どうせ、まだしばらくは暇なんだからさ」
言うと、勇はバーの時計を横目で見た。
針は現在時刻の午前九時を指している。――それは、雄英の記者会見が予定されている時刻の六時間前を意味していた。
う~ん、あまり話進みませんでしたね。今度こそ、次回から、連合以外の視点から事件の振り返りがある予定です。