見つけられなかった私の戦車道   作:ヒルドルブ

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遅くなりましたが明けましておめでとうございます!
本年もどうぞ宜しくお願いいたします!


“軍神”澤梓

【澤梓視点】

 

「これにて本日の訓練を終了する! では、解散!!」

「「「「「ありがとうございました!!」」」」」

 

 夕焼けに赤く染まる空に隊長の号令が響き渡る。

 周りを見ると誰も彼もが疲れ果てた顔をしていた。例外はたった今号令を掛けた西住まほ隊長だけだった。

 戦車道で日本一と名高いうちの大学は、その訓練内容も日本一と言われる程厳しいものだ。以前はここまでではなかったらしいけど、まほ隊長が隊長になってから厳しさに磨きがかかったらしい。

 文句を言う人も多いけれど、私は現状に不満はなかった。確かに訓練は厳しいけどやりがいがあるし、日に日に強くなっている実感がある。だから私は今の環境に満足していた。

 とはいえ、疲れてクタクタなのも事実だった。早く帰ってお風呂に入りたい。

 

「澤、少しいいか」

 

 そんなことを考えながら歩いていると、不意にまほ隊長に呼び止められた。

 

「はい、何でしょうか隊長」

「今晩時間はあるか?」

 

 これはもしかして飲みのお誘いだろうか。私はそれを意外に思った。

 まほ隊長は基本的に飲むとしたら逸見先輩を連れて二人で飲みに行くイメージがあった。それをわざわざ私一人を誘う理由が分からなかった。

 別に断る理由もない、とは思ったけどふと先輩たちの忠告が頭を過った。

 私が入学する前のまほ隊長はそれはもう酷い有様だったらしい。今でも十二分に厳しいと思うけど卒業した先輩曰く、今の厳しさから人間性を大幅に差っ引けば当時のまほ隊長になるとのこと。

 お酒を覚えてからは一緒に毒を吐き出すことを覚えたのか大分丸くなったらしい。

 ただし一緒に飲みに行けばその毒をもろに浴びることになるから絶対に同席してはいけないとも言われた。

 その忠告に従うならこの誘いは断るべきなんだろう。何か適当な言い訳を用意して誤魔化せばいい。

 でも下手な嘘をついてバレたら後が怖いし、言い包められるほど私は口が上手くない。

 そうなると正直に答えるしかない。

 

「はい。特に予定はありませんけど」

「なら少し付き合え。話したいことがある」

「……分かりました」

 

 結局断り切れずに同席することになってしまった。

 でも仕方ない。所詮平の隊員では隊長の命令に従う以外にないんだから。

 

 

          *

 

 

「どうした澤、グラスが空いているじゃないか」

「いえ、隊長。もう充分飲みましたので」

「今日は私の奢りだ、遠慮するな」

「いえ、遠慮とかではなくてですね?」

「それとも何か? 私の酒が飲めないとでも言うのか? 隊長である私の言うことが聞けないとでも?」

 

 酒癖悪っ!

 いわゆる絡み酒というやつだろうか。まほ隊長の豹変ぶりに私はどう対処していいか分からなかった。

 逸見先輩から「隊長は酒癖が悪いから覚悟しておきなさい」とは言われていた。アンチョビさんからは「私といる時は大丈夫なのに、後輩と一緒だと変なテンションになるから気を付けろよ」と以前聞かされたことがある。

 その忠告を忘れていた訳じゃないけど、私はどこかで楽観視していた。まほ隊長は普段の飲み会では一人で静かに飲んでいるイメージがあったので、そこまで酷いことにはならないんじゃないか、皆大げさに言っているだけなんじゃないかと油断していた。

 けど今更後悔しても遅い。とにかくこれ以上飲まされずに済む方法を考えないと。

 

「そういえば隊長! 話したいことがあるって仰ってましたけど、内容を伺ってもよろしいでしょうか!」

「ああ、そうだったな」

 

 話を逸らすにしても些か強引すぎるだろうか、と思ったけど隊長はあっさりと引き下がった。

 さっきまでのテンションが嘘のように普段の落ち着いた雰囲気を取り戻した。まるで一瞬で素面に戻ったかのようで、そのギャップに大いに戸惑った。

 

「話というのは他でもない、来年のチーム体制についてだ」

 

 そんな私の内心にはお構いなしに隊長は話を切り出した。その内容に私は姿勢を正して気を引き締める。

 

「私は今年で引退だ。私としては次期隊長はエリカ、そして副隊長はお前を推薦しようと考えている」

 

 隊長の口調は実にあっさりとしたもので一瞬理解が遅れた。

 

「私が副隊長!? ほ、本当ですか!?」

「お前以外に誰がいるというのだ?」

 

 何を当たり前のことを、とでも言いたげな視線を受けて私は慌てて両手を振って反論した。

 

「そんな無理です! 私なんかが副隊長なんて、とても務まるとは思えません!」

 

 しかしそんな私の言葉がお気に召さなかったようで、まほ隊長は見る見るうちに不機嫌な顔になる。

 

「澤、謙遜は美徳というがな、それも過ぎればただの卑屈だ。少なくとも私はお前の能力を高く評価している。エリカもそうだ。それともお前は私の目は節穴だと愚弄したいのか?」

「い、いえ、そんなことは!」

 

 ギロリと睨まれ、私は全力で首を横に振って否定した。目が据わっていた。普段の隊長はこの程度のことで怒る人じゃないんだけど、やっぱり酔っているんだろうか。

 

「お前には副隊長を任せられるだけの実力がある。高校時代はサンダースのレギュラーとして2年連続で全国優勝、3年時には隊長も務めた。大学では入学して1年目でレギュラー、更には大学選抜にまで選ばれた。実績という点でも申し分ない。むしろ何故これだけの成果を上げておいてそんな風に卑屈になれるのかが不思議だ。いや、ここまでくると卑屈を通り越して嫌味だ。お前はもう少し自分の発言に気を配るべきだな」

「はい、申し訳ありません……」

「エリカはお前こそが隊長に相応しいなどと言っていたがな。まったくお前といいエリカといい自己評価が低すぎる。もっと自分の実力を誇っていいと私は思うぞ」

 

 溜息をつきつつグラスを傾けるまほ隊長の言葉に恐縮する。

 確かに私はこれまで一生懸命努力してきた。高校から戦車道を始めた分、私は周りの人たちよりも出遅れていた。その差を埋めるために必死にやってきた。

 高校でも大学でも与えられた役割を全うしたと思うし、結果を出すことで期待に応えてきたと思う。

 でもそれくらいでは私は自分の実力を誇れなんてしなかった。

 

“あの人”に比べれば私なんて……。

 

「言っておくがな、みほと自分を比較するのはやめておけ。あいつと比較したら世の戦車乗りの大半は才能がないことになる。私を含めてな」

 

 私の思考を遮るように放たれたまほ隊長の言葉に思わず私は顔を上げる。

 何故私が“あの人”のことを、西住みほ隊長のことを考えているとわかったのだろう。私の頭の中を読んだ? なんて馬鹿げたことをつい考えてしまった。

 

「お前が分かりやすいだけだ。戦車に乗っている時はポーカーフェイスのくせに、“西住隊長”のことを考えている時のお前はすぐに顔に出るからな」

 

 揶揄うように言われて私は思わず赤面して顔を伏せる。

 うちの大学で“西住隊長”と言えば誰もがまほ隊長のことを思い浮かべるだろうし、誰もがまほ隊長のことを西住隊長と呼ぶ。

 そんな中、私だけが“まほ隊長”と呼ぶ。

 まほ隊長はそれを咎めなかった。他の隊員も、あの逸見先輩でさえそうだった。

 どうしてもあの人以外を“西住隊長”と呼ぶ気にはなれなかった。

“西住隊長”は私にとってこれまでも、そしてこれからもあの人だけだから。

 

「なあ、澤。この際だから聞いておきたいんだが……」

 

 そこまで言ってまほ隊長は躊躇う様な素振りを見せる。

 この人がそんな素振りを見せるなんて珍しい。いつもは例え先輩が相手だろうが言いたいことははっきりと言うのに。

 まほ隊長は数秒の間逡巡していたが、やがて決心したのかビールを一気に呷ってから口を開いた。

 

「私のことを恨んでいるか?」

 

 何を、とは聞かなかった。私がまほ隊長を恨むとしたら理由は一つしかないからだ。

 

「……恨んでいないといったら嘘になります」

 

 4年前の試合でまほ隊長に敗れた西住隊長はその後自殺した。

 分かっている。それはただの試合の結果であってまほ隊長には何の非もないことくらい。だからといってそんな簡単に割り切れるものじゃない。

 でも。

 

「でも、私はまほ隊長が西住隊長の死を誰よりも悔やんでいるのを知っています。そんな人を恨んで責めるなんてできません」

 

 思い出すのは西住隊長のお葬式の日。涙など枯れ果てた、そう言わんばかりの虚ろな瞳で西住隊長の遺影を胸に抱くまほ隊長の姿だ。

 あんな姿を見せられて恨みなんて抱きようがない。むしろ同情すらしていた。大学で一緒のチームになってからはその気持ちは更に強まった。あんなに辛そうに戦車に乗る姿を見せられれば誰だってそうだろう。

 

「いや、私はお前に恨まれて当然だと思っている。……みほを殺したのは私なんだからな」

「そんなことは――」

「あるんだ」

 

 間髪入れずに否定され、私は口を噤む。

 

「私はみほの戦車道を否定してしまった」

 

 悔やむように、あるいは懺悔するようにまほ隊長は言葉を紡いだ。

 

「私は昔みほに言ったことがあるんだ。『自分だけの戦車道を見つけなさい』とな。そんな偉そうなことを言っておいて、いざみほが自分の戦車道を見つけたら即座に自身の手で叩き潰す始末だ。実にできた姉だ。そうは思わないか?」

 

 まほ隊長の言葉に私は思わず眉を顰める。この人は少なくとも普段はこんな皮肉と自虐に満ちたことを言う人じゃない。

 酔っているせいだろうか。それとも西住隊長絡みの話だからだろうか。

 

「勝利のためなら犠牲もやむなし、それが西住流の戦車道だ。それに対してみほの戦車道は犠牲を良しとしない、全員で一丸となって勝利を目指すものだ。その在り方は西住流の真逆と言っていい、みほにしかできない戦車道だ。

 もしあの試合に勝利していれば、みほは自分の戦車道を見つけられたのかもしれない。だがそうはならなかった……」

 

 まるでそうなってほしかった、とでも言いたげな台詞だった。

 まさかと思う。いくら西住隊長の死を悔やんでいるとはいえ、あのまほ隊長が。西住流の次期家元と目されている人が。そんなことを考えるとは思えない。

 

「負ければよかった、と思ってるんですか?」

 

 だからこれは確認だ。そんなことはあり得ない、ともすれば再び逆鱗に触れかねない台詞だと分かった上で私は口にした。

 

「傲慢だと思うか?」

 

 でもまほ隊長の返事は私の言葉を肯定するようなものだった。言葉に詰まる私に構わずまほ隊長は続ける。

 

「相手が誰であろうと、どんな事情を抱えていようと全力で戦うのが礼儀だという。西住流に限った話ではない、真剣勝負ではそうするのが当たり前だ、というのが一般的な考え方だ。それはたしかに正しいんだろうさ。

 だがな、その正しさの結果はどうだ? みほは永遠に帰らぬ人となった。大洗女子学園は廃校になった。お前を含め大勢の人間が人生を狂わされた。それでもそれは本当に“正しいこと”なのか?」

 

 私には答えられない。「負けてあげればよかった」なんてたしかに相手を馬鹿にした物言いだとは思う。でもあの時まほ隊長が負けてくれれば、西住隊長も大洗女子学園も救われたかもしれない。そう思うと気安く否定できる言葉ではなかった。

 

「……私はあの日の勝負は自分の負けだと思っている」

 

 本当に今私の目の前にいるのはあのまほ隊長なのだろうか。さっきからいつものまほ隊長からは考えられない言葉ばかり聞いている気がする。

 そんな私の内心の混乱に構わずまほ隊長は続けた。

 

「黒森峰に対して大洗は戦車の数や質、人員の練度、予算、あらゆる面で圧倒的に不足していた。戦力差は誰から見ても一目瞭然だった。にもかかわらず最終的にはフラッグ車同士の一対一に持ち込まれた。その時点で戦術的には私の負けだ。試合そのものも、あのまま行けば私が負けていた。……負けていたはずだったのにな」

 

 確かに当時の私から見ても大洗と黒森峰の戦力には大きな開きがあった。今の私ならそれがどれ程絶望的な差かよく分かる。

 そしてそれを覆してみせた西住隊長の凄さも。

 

「みほの戦車道は勝ち負けに拘らずに楽しむもののはずだ。だから本来は負けたとしても問題はないんだ。戦車道は戦争じゃないんだから」

 

 これは受け売りだがな、とまほ隊長は付け加えた。

 誰の受け売りかはすぐにわかった。私の恩人であり尊敬すべき先輩が口癖のように言っていた言葉だから。

 

「そう、戦車道は戦争じゃない。スポーツである以上勝敗以上に重要なこともある。だがな、それでも勝たなければいけない試合というのは存在する。そしてあの試合は正にそれだった」

 

 4年前の大会の決勝戦。あの試合は大洗女子学園の廃校を阻止するためにも、何よりも勝利が優先される試合だった。

 そしてそんな大事な試合中にそれは起こった。

 黒森峰の追撃を振り切り川を渡って市街地へと向かおうとしていた時のことだ。私が乗るM3中戦車が川の中でエンストを起こしてしまったのだ。

 いくらエンジンを掛けようとしても戦車は動く気配はなかった。後ろからは黒森峰の本隊が迫っていた。時間がなかった。だから私は自分たちを置いて先に行くように進言した。

 

 悔しかった。私たちだって最後まで一緒に戦いたかったから。

 

 怖かった。私たちだけ置いていかれるのが。

 

 でも西住隊長の足手纏いにはなりたくなかったから、大洗を廃校になんてしたくなかったから。だから私は自分の気持ちを必死に抑え込んでいた。

 

 けれど。

 

 西住隊長はそんな私たちを助けに来てくれたんだ。

 

「……西住隊長がしたことは間違っていたと、そう言いたいんですか?」

 

 もしそうなら、いくらまほ隊長でも絶対に許さない。そんな思いを籠めた言葉をまほ隊長は「いいや」と首を振ってあっさりと否定した。

 

「みほの行動自体は正しかった。それは人道の面だけの話ではない。黒森峰と違って大洗はただでさえ戦車の数が少ない。一両たりとも犠牲にする余裕はないというのも確かだ。しかもあの時救出したお前たちのM3中戦車は、その後エレファントとヤークトティーガーを撃破する大金星を上げた。それを考えれば戦術的にも正しい行動だったと言える。

 だがそれでも試合には負けた。みほからすれば一度ならず二度までも自分の信じた行動が勝利に結びつかなかった訳だ。自分の戦車道は間違っていると思っても無理はない」

 

 ましてやそれで大洗の廃校が決まったとなれば尚更だろう、とまほ隊長は付け加えた。

 勝っていれば違ったんだろうか。勝っていれば、大洗は廃校にならなくて、西住隊長は自分の戦車道を見つけられて、まほ隊長もこんなに辛い目に合わずに済んだんだろうか。

 私たちにもっと力があれば、あの試合に勝てたんだろうか。

 私たちが、私が、西住隊長の足を引っ張らなければ。

 西住隊長を死なせずに済んだんだろうか。

 

「私はそうは思わない」

 

 そんな私の考えをまほ隊長は否定した。

 

「お前がみほの足を引っ張っていた? ああ、確かに最初のうちはそうだったのかもしれない。だが少なくとも、あの決勝戦については足手纏いになるような奴は一人もいなかった。むしろあの戦力差であれだけの接戦を演じることができたのはお前たちの力があればこそだ。確かにみほの存在なくして大洗が全国大会の決勝まで勝ち進むことはできなかっただろう。だが一人の力で勝ち進める程戦車道は甘くはない。今のお前にならよく分かるだろう?」

 

 私は黙って頷いた。

 そもそも戦車を動かすこと自体一人では不可能なんだ。ましてや複数の車輌を動かして陣形を組んで戦うとなれば、一人優れた選手がいただけではどうにもならないだろう。

 だから大洗があの大会で勝ち進めたのは西住隊長だけじゃなく皆の力があってこそで、私たちが西住隊長の足を引っ張っていたなんてことはないのかもしれない。

 ……そう理解はしても納得できるものじゃないけど。

 

「大洗にはみほ以外にも才能溢れる選手が大勢いたはずだ。少なくとも私が見る限りⅣ号戦車の乗員は誰もが大成する器を持っていた。あのまま戦車道を続けていれば、大学で、プロで、更には日本代表で活躍して日本の戦車道を引っ張ってくれたはずだ。だが今現在戦車道を続けているのは澤、お前だけだ」

 

 大洗のメンバーは西住隊長以外は私を含めて全くの素人だった。高校に入るまで戦車なんて乗ったことはもちろん見たことすらなかった、という人がほとんどだった。

 そんな素人集団が、戦車道を始めて数カ月で全員並みの高校の技量を凌いでいた。それがどれ程異常なことか、今の私ならよく分かる。

 まほ隊長が言う通りきっと今でも戦車道を続けていれば、皆大学で中心選手として活躍していてもおかしくなかった。

 

 けれど実際には大洗の廃校が決まった後、私以外は皆戦車道をやめてしまった。正確には五十鈴先輩だけは転校後も戦車道を続けていたらしいけれど、それも高校の途中までのことだった。

 バレー部や自動車部の人たちのように元々の活動に戻っていった人たちはまだしも、あの秋山先輩ですらそうだった。

 あんなに戦車が好きで、西住隊長を慕っていた人がまさかやめるなんて最初は信じられなかった。

 それと同時に納得している自分もいた。だってその気持ちは痛いほど理解できたから。西住隊長を慕っていたからこそ、戦車道を続けるのが辛いのは私も同じだから。

 

 でも私が選んだ道は逆だった。西住隊長を尊敬していたからこそ私は戦車道を続けなきゃいけないと思ったから。

 あの時私たちを助けてに来てくれた、見捨てないでくれた、それが心の底から嬉しかったから。

 そんな西住隊長の戦車道の正しさを証明できるのは私しかいない、それが私の務めだから。

 と言っても最初からそんな風に考えられた訳じゃない。それどころか私も最初は皆と同じように戦車道をやめようと思っていた。

 そんな私が今でも戦車道を続けていられるのは、ケイさんのおかげだった。

 

 あれは西住隊長のお葬式の日のことだ。

 私はお葬式が終わった後も西住隊長の死を受け入れられなくて、チームメイトの皆と離れて人気のない場所で一人佇んでいた。

 そんな時に声を掛けてくれたのがケイさんだった。

 ケイさんは私の顔を見ると私を抱き締めて、頭を撫でてくれて、慰めてくれた。

 そんなケイさんの温かさに触れて、それまで我慢していたものが溢れてきて。私はケイさんの胸の中で声を上げて泣いた。

 

『アズサはこれからどうするの?』

 

 一頻り泣いてようやく落ち着いた私にケイさんは聞いてきた。

 正直私は何と答えていいか分からなかった。西住隊長が亡くなったショックから立ち直れていなかった私には何も考えられなかったから。

 

『……私は、戦車道を続けたいです』

 

 それでも気付けば私は自然と口を開いていた。私自身、自分の言葉に驚いていた。

 

『ならウチに来ない? ウチはいつでもウェルカムよ!』

 

 私の答えを聞いて、ケイさんは微笑んでいた。

 そして私は夏休みが明けるのに合わせてサンダースへ転校した。

 ケイさんは転校してきた私を見て驚いていた。転校するとしたら、大洗が廃校になってから、年度が変わってからのことだと思っていたらしい。

 確かに普通に考えればそうするだろう。けど私には転校を急ぐ理由があった。

 それはケイさんの存在だった。ケイさんは3年生で3月にはもう卒業していなくなってしまう。ケイさんに直接戦車道の指導してもらうにはどうしても年内にサンダースに行く必要があった。

 

『お願いします、私を鍛えてください!』

 

 分かっていた。そんなのは私の我儘にすぎないってことくらい。相手の都合をまったく考えていない身勝手なお願いだってことくらい。

 サンダースには500人もの戦車道履修者がいる。そんな中で隊長が私一人に付きっきりで指導なんてできるはずがない。

 それでも。

 

『強くなりたいんです』

 

 それでも私はケイさんに指導してほしかった。きっとケイさんなら、私を強くしてくれる、私の気持ちを分かってくれる、そう思ったから。

 

『西住隊長の戦車道は間違っていない、それを証明したいんです!』

 

 私にできるのはただ誠心誠意頭を下げてお願いすることだけだった。

 ケイさんはそんな私に対して笑顔で言った。

 

『OK! 任せなさい! でも私の指導は厳しいわよ。付いてこれるかしら?』

『……勿論です!』

『いい返事ね! なら善は急げよ! 早速今日から訓練開始! 行くわよ!!』

『イエスマム!!』

 

 そしてその日から地獄の訓練は始まった。

 ケイさんの指導は宣言通り厳しいものだった。優しい人だと思っていた、いや実際に優しい人ではあるけれど訓練の時は別人のように厳しかった。鬼軍曹という言葉がぴったりのスパルタぶりだった。

 ケイさんが教えてくれたことはどれもこれも基本的なことばかりだった。最初私はそれに不満を抱いていたけど、すぐにそんな気持ちは消え失せた。

 だって私はそんな基本の段階で躓いていたんだから。

 当時の私は有り体に言って調子に乗っていた。あの黒森峰のエレファントやヤークトティーガーを撃破したことで、知らず知らずのうちに天狗になっていたんだ。

 ケイさんの指導を受けて、私はその鼻っ柱をへし折られた。

 私はこんな基本的なことすら満足にできないのかって。

 こんなことで西住隊長の正しさを証明できるのかって。

 結果が出せず悔しさのあまり泣いたことは数知れず、何度も挫折しかけた。

 

『ギブアップかしら、アズサ?』

 

 そんな時ケイさんは決して優しい言葉で励ましたりはしなかった。

 

『ならやっぱりミホの戦車道は間違ってたってことかしらね』

 

 代わりに投げ掛けられるのはそんな挑発めいた言葉だった。

 今ならあれは発破をかけようとしていたんだと分かる。でも当時の私はそれが分からなくて、西住隊長のことを侮辱されたとしか思えなくて。怒りのあまり頭が沸騰しそうになっていた。

 

『訂正してください』

 

 涙を拭って、怒りを両目に滾らせながら私はケイさんを睨み付けていた。

 

『私はともかく西住隊長を馬鹿にするのは許せない!』

 

 でもケイさんはそんな私の怒りなんてどこ吹く風で、ニッと快活に笑った。

 

『ならガッツを見せなさい! 落ち込んでる暇なんてないわよ!』

 

 今思えば何とも身勝手な態度だった。無理を言って指導をしてもらっている相手に癇癪を起こして当たり散らすなんて。

 そんな私に愛想を尽かさずに卒業まで付き合ってくれたケイさんにはどんなに感謝してもしきれない。

 

 そして月日は流れて、ケイさんの卒業式の前日。

 ケイさんに呼び出された私は何故かケイさんと一騎討ちをすることになった。

 どうしてこんなことに? 混乱する私に対して既に戦車に乗りこんでいたケイさんはマイク越しに告げた。

 

『卒業試験よ。見せてみなさいアズサ。貴方の実力を。貴方の覚悟を!』

 

 その言葉に私は気を引き締めた。

 何故突然ケイさんがあんなことを言い出したのかは分からなかった。それでもケイさんの想いは伝わってきた。なら私も全力で答えるべきだと、それだけは分かった。

 ケイさんに勝つ。それがケイさんに対して私にできる最高の恩返しだと、そう思ったから。

 

 ケイさんは強かった。

 それまでも訓練で対戦したことはあったけどあの時のケイさんの強さは段違いだった。

 もちろんケイさんのことだから勝負で手を抜いたりはしないだろう。けどあの時のケイさんは気迫が違った。

 それでも私は必死に食らいついた。何度もやられそうになったけど、何とか持ち堪えた。そうしているうちに私は不思議な感覚に囚われた。

 何をどうすればいいのか、考えるまでもなく分かる。

 勝利までの道筋が自然と頭に浮かんでくる。

 そんな感覚だった。

 ケイさんに教わった基礎と西住隊長と一緒に戦った経験が、パズルのピースみたいに繋ぎ合わさっていくのを感じた。

 それまで積み重ねてきたものが、血となり肉となり私の体を突き動かした。

 私はあの日、一つ上のステージに上ることができたんだと思う。

 

 そして気付けば勝負は終わっていた。白旗を上げていたのはケイさんが乗るシャーマンだった。

 

 私はその日、初めてケイさんに勝利した。

 

『グレイト!! やったわね、アズサ!!』

 

 勝てたことが信じられなくて呆然としていた私を、ケイさんは笑顔で祝福してくれた。

 そして私はその場で一軍への昇格を告げられた。

 誰からも反対の声は上がらなかった。あのケイさんに勝った私の実力に疑問を抱く人は一人もいなかった。

 

 後から聞いた話だと、ケイさんは元々私を一軍へ昇格させるつもりだったらしい。

 けれど戦車道を始めてまだ一年も経っていない、サンダースに転校してからまだ半年しか経っていない私を一軍に加えることに対して反対意見も少なからずあったらしい。

 あの勝負はそんな人たちを納得させるためのものだったらしい。本当に、ケイさんにはどんなに感謝してもしきれない。

 

 その後私はサンダースのレギュラーとして全国優勝を勝ち取った。3年生の時には隊長も務めて、全国大会で2連覇を達成した。おかげで色んな大学からスカウトが来た。

 大学の進学については正直迷った。最初はケイさんと同じサンダース大学に行くことも考えた。けど私は現在の大学に、まほ隊長がいる大学に進学することを選んだ。名実ともに日本一と言われる大学で自分の実力を試してみたかったから。

 ケイさんにそのことを報告する時には申し訳ない気持ちになった。あんなにお世話になったケイさんを裏切ってしまったように感じられたから。

 でもケイさんはそんな私を責めるようなことは一言も言わなかった。あの日と同じように、笑って祝福してくれた。

 ……本当に。私なんかにはもったいない、素晴らしい先輩だと思う。

 

「だからこそお前にはこれからも戦車道を続けてほしいと思う」

 

 まほ隊長の言葉に、私は意識を現実に引き戻された。

 まほ隊長は縋るような瞳で私を見つめていた。

 

「お前は私の希望なんだ。みほが助けたお前が、みほの戦車道を受け継いでくれる。みほが見つけたみほだけの戦車道を、みほが生きていた証を残してくれる。それこそが――」

 

 そこまで言うとまほ隊長は急に我に返ったように口を噤んだ。

 

「……いや、すまん。何を言っているんだろうな、私は。忘れてくれ」

 

 まほ隊長は目を逸らして誤魔化すようにグラスを呷った。

 

「いいえ、忘れません」

 

 私はそんなまほ隊長の顔を真っ直ぐに見つめて宣言した。

 

「あの時の西住隊長の行動は間違ってなかった、西住隊長の戦車道は間違ってなかった。それを証明してみせます!」

 

 まほ隊長に言われるまでもない。西住隊長のためにも、私はこれからも戦車道を続けていかなきゃいけないんだ。それが私の、あの日西住隊長に助けられた私に課せられた使命なんだから。

 

「……そうか」

 

 私の言葉にまほ隊長はまるで眩しいものを見るように目を細めた。




澤ちゃん魔改造の巻。
優れた才能、才能を伸ばす努力、努力を継続できる熱意、熱意を正しい方向に導くケイさんの指導。
それらが上手い具合に噛み合いまくった結果、澤ちゃんがとんでもないことに。

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