【角谷杏視点】
「っ……はぁ、はぁ……」
目が覚めた。
目に映るのは見覚えのある天井。大洗女子学園の生徒会室ではなく、アパートの自室のものだった。
全身冷や汗びっしょりで息は荒い。いつも通りの最悪の目覚めだ。
西住ちゃんが私の目の前で死んだ日。あの日から悪夢を見なかった日はない。何百回と見ているというのに慣れることはない。もっとも慣れたら終わりだとも思うけど。
部屋の中はまだ真っ暗だ。時計を見るとまだ4時、夜が明けるには時間がかかる。まるで私の心みたいだね、な~んつってね、あはは……。
タバコに火を点ける。とてもじゃないが寝直せる気がしない。本当は酒も欲しいけど、一限目から講義が入っている以上それも無理だ。一箱あれば夜明けまでは持つだろうか。
紫煙をゆっくりと吐き出しながら先ほど見た夢の内容を反芻する。
西住ちゃんがあそこまで追い詰められていたなんて夢にも思わなかった。
もちろん西住ちゃんが戦車道にトラウマを抱えていることは知っていた。知った上で私は西住ちゃんを引き込んだんだ。大洗の廃校、それを阻止するためなら何だってやってやる、私はそう決めたんだから。
当然最初西住ちゃんは戦車道を履修することを拒んだ。でも私は執拗に食い下がって、しまいには脅迫紛いのことまでした。
罪悪感はあった。でも他に方法がない以上しょうがないって自分を納得させて無理矢理に押し通した。
正直こんなやり方で上手く行くかは不安だったけど、いざ始まってみればあんなに嫌がっていたのが嘘みたいに西住ちゃんは頑張ってくれた。
素人の私たちを鍛えてくれて、勝つために作戦を考えてくれて、友達に囲まれて楽しそうに笑っていた。
何やかや戦車道を楽しんでくれている。そう思っていた。
いや、実際に楽しんでくれていたんだ。
あの時までは。
準決勝のプラウダ戦。そこまで順調に勝ち進んだことで調子に乗った私たちは、ものの見事に敵の策にはまって包囲されてしまった。
追い詰められた私たちに対してプラウダは降伏勧告をしてきた。全員土下座すれば許しやると。
みんなは当然そんな要求は受け入れられない、徹底抗戦だと息巻いていた。
でもあんこうチームのみんなだけは違った。
包囲された状況で無理に戦って怪我人を出すくらいなら降伏した方がいい、土下座ぐらいするって。もう完全に勝ちを諦めていた。
『私、この学校へ来てみんなと出会って、初めて戦車道の楽しさを知りました。この学校も戦車道も大好きになりました。だから、その気持ちを大事にしたままこの大会を終わりたいんです』
西住ちゃんのあの言葉に嘘はなかったと思う。あのまま降伏していれば西住ちゃんは自分の戦車道を見つけられたのかもしれない。
でもそれはできなかった。それだけは絶対に無理だった。
だって負けたらその時点で大洗女子学園は廃校になってしまうから。
だから私は、みんなの前で全国大会で優勝しなければ大洗が廃校になることを告げた。
そして後悔した。西住ちゃんの顔を見てしまったから。
その表情を一言で言い表すなら、絶望。
戦車道に勧誘した時も似たような表情をしていた。でもその時よりもずっと色濃い絶望が、西住ちゃんの顔を埋め尽くしていた。
今思えばあそこが分水嶺だったのかもしれない。
たしかにあそこで負けていれば大洗は廃校になっていた。恐らく西住ちゃんは実家を勘当されていた。
それでも西住ちゃんの戦車道が否定されることはなかったんじゃないか。
自殺するほど追い詰められることはなかったんじゃないか。
たくさんのものを無くして、それでも残るものは辛うじてあったんじゃないか。
あのタイミングがギリギリ引き返せる、本当に最後のチャンスだったんだ。
そして最悪だったのはあのまま試合に勝ってしまったことだ。決勝まで勝ち上がってしまったことだ。黒森峰相手に優勝まであと一歩というところまで行ってしまったことだ。それがこれ以上ないほどに最悪だったんだ。
結果だけ見れば優勝を逃して廃校が決まったことに変わりはない。どこで負けようと変わりはないのかもしれない。でも西住ちゃんの立場からすればあのタイミングの負けは最悪に過ぎたんだ。
初戦でサンダースに負けていれば別に問題はなかった。元から無理な話だった、所詮この戦力で優勝なんて夢物語にすぎなかった、と諦めもついただろう。
準決勝でプラウダに負けたとしてもまだ大丈夫だった。仮にあそこで負ければ、原因は西住ちゃんの指示を無視して突っ走った私たちにある。西住ちゃんもそう自分を納得させることはできたかもしれない。
でもあの場面での敗北にはそういった言い訳ができなかった。
決勝まで駒を進めて、策を巡らせて、劣勢を覆して、最終的にはフラッグ車同士の一対一まで持ち込んだ。
でも最後の最後で負けた。
後一歩だった、どちらが勝ってもおかしくなかった。
だからこそ罪悪感が募る。
自分のせいで負けた、と。
自分のせいで大洗は廃校になる、自分が仲間の居場所を奪ってしまった、そんな風に。
責任を感じる必要なんてないのに。誰も西住ちゃんを責めはしないのに。
少し考えればわかることだ。
碌な戦車もなく、戦車道の経験者は自分以外一人もいない、何よりも戦車の数も人員も資金も何もかもが絶対的に不足している。そんな状態で並み居る強豪を破って全国大会で優勝しろ。それがどれだけ無茶苦茶な要求かなんて。
素人ばかり集めた設立一年目の野球部で甲子園で優勝しろと言われた監督の心境と言えばわかりやすい。むしろ優勝まであと一歩のところまで行ったのが奇跡だったんだ。
でもそんな風に西住ちゃんは考えられなかっただろう。
西住ちゃんは優しい娘だ。優しいからこそ一人で抱え込んでしまう。本当なら私がいち早くその内心に気付いてあげるべきだったのに、私は最後まで気付けなかった。そしてそんな優しい娘があんなことをするほどに追い詰めてしまったんだ。
思えば私たちはみんながみんな西住ちゃんに頼り切っていた。
「西住隊長なら何とかしてくれる」
そんな風に無意識に考えていた。私もその一人だ。
廃校を阻止するためなら何だってやるし、責任は全部自分で負うつもりだった。その実、重荷をすべて西住ちゃん一人に背負わせてしまった。その結果があの惨劇だ。
「いっそ廃校を大人しく受け入れていれば良かったのかな……」
これまで何度となく考えたことだ。
そして結果を見ればまさにその通りだった。
廃校までの一年間、泣いて学校生活を送るより希望を持ちたかった。だから無謀を承知で戦車道に賭けたんだ。
それ自体は別にいい。可能性が0じゃない以上、最後の最後まで足掻くべきだしそれが悪いことだとは思わない。
問題は西住ちゃんを巻き込んでしまったことだ。
可能性は0じゃないとはいえ、限りなく0に近かった。そんな博打に戦車道にトラウマを抱えている人間を巻き込むなんてどうかしていた。
何で私はあんなことを。
苛立ち紛れに煙を吐き出して、タバコをもみ消す。気付けばすでに夜も明けて、タバコの箱も空になっていた。私は気怠い体を無理矢理起こしてのろのろと着替えを始める。
いっそサボってしまいたいという誘惑を振り払い、重い体を引きずりながら私は大学へと向かった。
酒に溺れる毎日を送っていながら、こうして講義にだけは真面目に出ている。
サークルに所属するでもなく、バイトに勤しむでもなく、ただ毎日講義に出て勉学に励む。そこだけ見れば今時珍しい勤勉な学生に見えるかもしれない。
でも実際はそんな立派なものじゃない。
サークルやバイトに精を出すほどの気力がなく、家にずっと引き籠っていると気が滅入るし、他にやることもないから最低限講義には出ている。ただそれだけだ。
*
午前の講義も終わって昼食の時間になった。
大学も3年目ともなると既にグループが出来上がっていて、それぞれのグループで集まって食事をとるのが当たり前になっていた。
私にはもちろん一緒に昼食をとるような友人はいない。いつも一人寂しく学食で日替わり定食を食べる毎日だ。
……そういえば最近は干し芋をまったく食べてないな。大洗にいた頃は毎日食べてたのに。
大洗が廃校になって地元から離れてからというものほとんど食べる機会がなくなってしまった。
もっとも食べないのは機会がないだけじゃない。単に食べたくないからだ。色々と嫌なことを思い出してしまうから。
事実、前に一度だけ食べた時はまったく美味く感じられず、一口食べただけで捨ててしまった。3年前までの私だったら目を剥いて怒り出しそうな話だ。
頭を振って益体のない考えを打ち切って立ち上がる。
ふと顔を上げると見覚えのある顔が視界に映る。
顔もそうだが何よりも特徴的なのはその灰色がかった緑色の髪だ。私の知る限りそんな髪の色の奴は一人しかいなかった。
目が合った。相手もこちらを視認したらしい。
「……チョビ子?」
「アンチョビだ! って、やっぱりお前か、角谷」
ああ、懐かしいなこのやり取り。もう3年ぶりになるかな。
私の目の前にはかつてのアンツィオ高校の隊長、アンチョビこと安斎千代美が立っていた。
*
【アンチョビ視点】
「久しぶりだな、元気……ではなさそうだな」
「見ての通りだよ」
元気そうだな、と社交辞令の一つでも言おうかと思ったが目の前の人物の有様を見て言い直す。
角谷杏。元大洗女子学園の生徒会長だ。大学に入って3年目になるが同じ大学に通っているとは知らなかった。
立ち話もなんだし、どこか落ち着いて話ができるところということで今はキャンパス内のカフェに来ていた。
久しぶりに再会した角谷は高校の時とは変わり果てていた。
以前は私と同じようにツインテールにしていた長い髪は束ねもせずにボサボサ、服もヨレヨレ。不敵な笑みを浮かべていた顔には今ではまるで生気がなく、自信に満ち溢れていた目はどんよりと黒く濁っていた。
無理もない。角谷に、大洗女子学園に何があったのか。私も大まかではあるが事情は聞いている。
大洗女子学園が廃校になったこと。
そして……西住みほが亡くなったことも。
大洗の生徒会長として学園艦を、そこに住む生徒を守れなかったとなれば責任を感じるのは当然だ。私だって同じ立場ならそうだろう。
だが話を聞く限り角谷は廃校を阻止するために精一杯のことをしたと思う。
そもそも大洗女子学園が20年も前に廃止された戦車道を復活させたのはそのためだったらしい。文科省相手に、全国大会で優勝すれば廃校を撤回するという約束を取り付けたと聞いている。
まあ、普通に考えれば碌な戦車も残っていないだろうし、その上経験者もいない。そんな状態で優勝など不可能だと思うが、それでも学生の身で文科省を相手取ってそこまでの譲歩を引き出せただけで大したものだと思う。
とはいえ優勝できなければ元の木阿弥だ。しかし強豪校有利の高校戦車道で無名校が一年で全国大会で優勝など、よほどの奇跡がない限り不可能だ。普通ならそこで諦めるだろうが、角谷は諦めなかった。
噂でしかないが色々と無茶をしたらしい。中には角谷が西住みほを脅迫して無理矢理戦車道を履修させたなんてものもあった。
それが事実だとすればたしかに問題だろう。
しかもその結果西住みほが亡くなったことを考えれば、角谷が自分を責めるのは無理からぬことだとは思う。
しかし私は角谷を責める気にはなれなかった。
もし自分が角谷と同じ立場だったら何もできずにただ廃校を待つしかできなかったかもしれない。
それを考えれば少なくとも角谷は学園艦を、学園艦に住むみんなを守ろうとした。そのために努力した。なりふり構わずできることはすべてやろうとした。
それは称賛に値すると思う。
例え結果が最悪なものだったとしても。
(西住みほといえば……)
ふと長年のライバルのことが頭に浮かぶ。
西住まほ、西住流の後継者にして西住みほの姉だ。
西住は妹が死んでから変わった。
以前は無愛想ではあったが、それでも話をしてみるとちゃんと人間味があった。それが今では人としての温かみなど一切感じられなくなってしまった。
戦車道の試合では特にそれが顕著だ。あいつの戦車道は元々西住流の名に恥じない苛烈なものだったが、今ではそれに更に磨きがかかっているように感じる。情け容赦がないといった方がいいかもしれない。
確かにあいつの実力は誰もが認めるところだ。現在の日本における戦車乗りの中では間違いなくトップクラスだろう。だがそんなあいつに向けられるのは憧憬や羨望などではなく、畏怖と嫌悪だ。
高校時代に鎬を削ったやつは口を揃えて言うのだ。「私たちの知っている西住まほはもういない」と。
あの逸見エリカでさえ同じことを言っていた。
私も同感だった。
西住みほが死んだ時に西住まほもまた死んだのだ。そう思えてならない。
はっきり言って今の西住の戦車道は見るに堪えない。戦術的に劣っているなどということはない、むしろ完成されたものだろう。けど、私は思うのだ。
(西住、お前は今楽しいか?)
今のあいつは誰よりも戦車道に対して真剣で、にもかかわらず誰よりも戦車道を憎んでいるように見えた。
あの苛烈さはあるいはただの八つ当たりに過ぎないのかもしれない。妹を死に追いやった戦車道に対する、あるいは西住流に対する憎しみを対戦相手にぶつけているだけなのかもしれない。
――いや、今はその話は置いておこう。今は目の前にいる角谷のことが優先だ。
「今にも死にそうな顔色だな。ちゃんとご飯は食べてるのか? 夜は眠れてるのか?」
私はこいつの母親か。そんなツッコミを入れたくなるようなことを口走ってしまった。だが思わず心配してしまうくらいに、目の前の角谷は酷い有様だった。
「死にゃあしないよ」
そんな私の心配を角谷は笑い飛ばした。
「死ねるわけがないよ」
強調するように言葉を重ねるが、その笑みは萎れかけていた。
「学園艦を守れなくて、西住ちゃんを死なせて、みんなを不幸にしておいて、それで本人はとんずらするなんてできるわけないよ。私は一生この罪を背負って生きていかなきゃいけないんだ。死んで逃げるなんて許されない」
まるで自分に言い聞かせているかのような台詞に胸がつまった。
「西住みほのことをあまり気に病むな。彼女が亡くなったのはお前のせいじゃない。お前は学園艦やそこに住む人たちのために自分にできることを必死にやったんだろう? 誰もお前を責めやしないさ」
「そんな風に考えられればよかったんだけどね~……」
私の慰めの言葉に角谷は悲し気に笑った。
「チョビ子だって噂で色々聞いてるんじゃないの? 私が西住ちゃんに何したのかをさ」
「それは……だが噂は噂だろう」
「そうだね~、あくまで噂だね」
ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべて「でも事実なんだよね~」と角谷は続けた。
「私は西住ちゃんが戦車道にトラウマを抱えてるって知ってて無理矢理引き込んだんだ。『戦車道をやらないならこの学校にいられなくしてやる』なんて脅したりもした。我ながら最低だよね~」
その露悪的な態度を見て私の胸に去来したのは怒りではなく哀れみだった。
その姿は私にはまるで死刑台で自分の死を待つ死刑囚のように見えたから。
「挙句の果てに結局大洗は廃校になるってんだからさ。ははっ、ほんと……」
そこまで言って角谷は笑みを消してポツリと呟いた。
「私のしたことって何だったんだろうね」
その表情と眼差しがあまりにも空虚で。私は何も言葉が出てこなかった。
そんな私に構わずに角谷は不意に席を立つ。
「あ、おい、どこに行く?」
「帰る」
「帰るって、おい、午後の講義は!?」
「サボる。そんな気分じゃないしね~」
じゃあね~、と角谷はひらひらと手を振って去っていった。
その背中がやけに小さく見えた。
以前の角谷は自信に満ち溢れていた。
たとえどんな困難が待ち構えていようとも彼女なら何とかしてくれる、そう信じて付いていきたくなるような風格があった。
今ではそんな雰囲気はまるで感じられない。
どこまでも頼りなく、今にも儚く消えてしまいそうなそんな背中だった。
*アンチョビの設定について
アンチョビの性格はアニメ版ももちろんいいけど、コミック版もあれはあれでいいものだと個人的には思うのです。
なので本作では中学ではコミック版の性格で、アンツィオに入学してからアニメ版の性格になった、という設定でいきます。
ついでに中学時代は西住まほとライバルだったという設定で。
この小説に望むのは?
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救いが欲しいHAPPY END
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救いはいらないBAD END
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可もなく不可もないNORMAL END
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誰も彼も皆死ねばいいDEAD END
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書きたいものを書けばいいTRUE END