Fate/GRAND Zi-Order 作:アナザーコゴエンベエ
水晶と鋼、それらと共にファースト・レディの城が崩落していく。
そんな中で酷く顔を歪めながら、イリヤは小さくステッキを振るった。
ルビーとサファイアがそこで分離し、彼女はカレイドルビーに戻る。
「サファイア、美遊たちを……!」
「―――はい、お任せを!」
美遊もまた魔力を奪われ、不調には違いない。
それでも今のイリヤよりかは遙かにマシだろう。
本人はもちろん、立香やツクヨミを守るためにも転身する必要がある。
そうしてサファイアを送り出し。
イリヤは倒れ伏したクロに向き直り、ふらつきながらの飛行を開始した。
彼女がいま為し得る最大最強の一撃―――七人の必殺砲撃は、レディの盾を粉砕して突き抜けた。そのままレディの周囲へと散り、彼女が壁にして全てを粉砕。そんな光景を見上げていた彼女は、糸がぷつりと切れたように倒れたのだ。
彼女の近くに着陸し、何とかその体に触れて抱き起す。
そうしていると、彼女はゆっくりと目を開けた。
「レディ……!」
イリヤの声を聞き、小さく微笑み。
彼女はゆっくりと手を持ち上げ、イリヤの頬に添え―――
ぎゅう、とそれなりの力でつねった。
「ふあっ!? ふぁ、ふぁにするほっ!?」
「……あんた、限度ってもんがあるでしょ……! 纏めて消し飛ばされるかと思ったわよ……!」
それで残っていた力を使い果たしたのか、ぱたりと。
少女の体から力が完全に抜けて、ぐったりとする。
彼女の声はもう別の誰かと重なって聞こえたりはしていない。
「ク、クロ!? 無事だった、良かった……!」
そう言われて渇いた笑みを浮かべるクロ。
彼女の体はレディに酷使され、今のところまともに動かせる気配がない。
死力を尽くしてイリヤの頬をつねった時点で、完全に機能停止だ。
とにかくそんな半身を何とか抱えながら、イリヤは飛翔した。
崩落してくる瓦礫を縫って飛び立つ彼女。
視界の端で同じく転身した美遊が、立香とツクヨミの周囲に物理保護を展開している。
彼女一人で二人を抱えて離脱はできないだろう。
そちらに向かいながら、イリヤが暗い声でクロエに向かって問いかけた。
「その、レディは……?」
「―――別に、まだ消えてないわ。小さくなって、わたしの中にいる。
もう消えてしまいたい、って思ってるみたいだけど」
震える手を自分の胸に当てて、そう呟くクロエ。
そうして添えられた手を見ながら、イリヤはもう一度問いかける。
「……声は、届く?」
「……届いてるはずよ、いまのあなたの声も」
はぁ、と。
溜め息一つこぼしつつ、自分を抱えたイリヤを見上げるクロエ。
そんな彼女の反応に一度頷いて、彼女はレディへと語りかけた。
「―――レディ。あなたはどんなに辛くても、まだ消えられないんだよね。
だってまだこの世界には、あなたが守り続けたい、辛い想いをしている子がいるから」
最後に彼女の背中を押してくれた、小さな
それらとは別に、魔法少女としてカタチを保っているものは一人だけ。
―――『お菓子の国』の魔法少女。
名前を奪う忘却で国を包んだ、それ以外には何もしない眠れる魔法少女。
彼女も他の魔法少女と同じだ。
その現象の中心にいるだけで、辛い、苦しい、もう嫌だ、忘れてしまいたい。
そんな呪いに身を竦めて、閉じこもってしまっている。
それを自分たちは知っている、と。
イリヤはクロの中にいるレディに向けて声をかける。
「―――だから、今度こそ。わたしたちと一緒に、その子を助けに行こう!
辛い、苦しい、そんな叫びが聞こえたからには、助けるために空を飛んで翔け付ける!
それが……わたしやあなた、魔法少女たちが望んだ奇蹟なんだから!」
「あんたはもう……それ、正気?
わたしも、あなたも、ミユも、まともに動ける状態じゃないのよ?」
彼女にぶら下げられたクロエはそう言って重い息を吐く。
イリヤからの自分への一方的な感覚共有をしている彼女は、自分がレディに与えられた過負荷のみならず、イリヤのダメージさえも共有している。
本当はもうとっくに、転身など解いてのたうち回っているくらいしか出来ない状態だ。
彼女たちは徐々に高度を下げながら美遊たちの許へ辿り着き、ふらつきながらの着地でそのまま転がった。
「イリヤ、大丈夫……!?」
「お、思ってたよりは大丈夫……!」
クロを投げ出して倒れるイリヤの前に美遊が回り込む。
床と美遊。倒れ込む場所が明暗分かれて、クロが表情を引き攣らせた。
ルビーとサファイア、彼女たちが揃って展開する物理防壁。
それが落ちてくる瓦礫を弾き返す。
そんな彼女たちを見つつ、立香が虚空に浮かぶノイズがかった通信画面を見上げた。
「ソウゴの方は?」
『正門付近は依然、無事に押し留めています。ですが、侵食は止まっていません。
山岳を踏破したケイオスカカオはそちらに向かっています』
『―――ケイオスカカオの撃破には、まだ手段が足りない。相手の真名は分かったが、それを相手に自覚させて、海に溶けた概念から一個体に戻す方法がいまはない。もしかしたら術者であるお菓子の国の魔法少女になら、どうにかできるかもしれないけれど……』
「どうにか……説得すれば!」
イリヤの声に何とも難しい顔を浮かべるロマニ。
『まず、会話できる状況かどうかすら分からないが……いや、それ以前に移動手段が』
「……お菓子の国は、チョコに覆われていたりはしないの?」
『こちらで確認した限りでは、ケイオスカカオはお菓子の国には一切及んでいません。
恐らくケイオスカカオ自体が元はお菓子の国の一部で、お菓子の国を排除した場合にケイオスカカオ自身がどうなるか分からないからかと思われますが……』
「ある意味では安全地帯、ってわけね」
床に倒れた体を転がして、何とか上半身だけでも起こすクロエ。彼女は呆れたような顔でイリヤを見つめつつ―――不意に眉を顰めさせ、虚空を見上げた。
直後にそこに浮かぶ赤い魔法陣。
それがウィザードの力だと理解して、立香とツクヨミが顔を見合わせる。
『ねえ、こっち来れる?』
そこから響いてくるソウゴの声。
彼に対し、すぐに問い返す立香。
「お菓子の国の魔法少女に会いに行きたいんだけど、どうにかなりそう?」
『え? うーん……じゃあ先にそっちに行こうか。
直接飛んでいくからこっち来て』
ソウゴの言葉に頷いて、立香が周囲を見回す。
何とか力をこめ、立ち上がるツクヨミ。
美遊もイリヤを支えつつ息を整えて立ち上がった。
となれば、と。立香は座った状態のクロを抱え上げる。
抱えられたクロエが、大きく溜め息をひとつ。
「……悪いわね、これ以上動くのはちょっと無理みたい」
「このくらい大丈夫だよ。休めそうなら休んでいいけど」
「―――わたしが休んだらレディがここから先を見れないでしょ。
全部終わるまで休めないわよ、まったく……」
苦笑しながらクロエは立香に抱き着くように腕を回す。
その腕に力がまったく無い事を確認して、強く抱き締め返す立香。
そうしてみんなで揃って歩き出し、出現したままの魔法陣へと歩き出し―――
「ねえ、エクスカリバーはまだ出せる? 必要なんだけど」
潜り抜けた魔法陣の先で、そんな言葉をかけられた。
同時に竜の尾が振り抜かれ、吹雪が唸る。
周囲一帯に奔る寒波が、一息のうちにケイオスカカオを凍結させた。
直後に降り注ぐ朱い魔弾。
無数の魔槍がチョコの氷柱を微塵に砕いて撒き散らす。
ソウゴの言葉を聞いて、戦闘しながらスカサハも怪訝な顔をする。
何とも言えない顔で自分の抱き上げたクロエを見る立香。
そんな視線を受けて、彼女は弱々しく肩を竦めた。
「……レディみたくポンポン出せないわよ、わたしは。今は絶対無理」
「それじゃあ、
イリヤはそう言ってホルダーに手を伸ばそうとして。
しかし、それは先の戦いで焼き切られていたことを思い出す。
レディが拾ったカードを求めて、クロの方を見るイリヤ。
そんな彼女より先に、クロの腰に適当に縛られていたホルダーを、美遊が手に取った。
「必要ならわたしがやる。わたしはほとんど魔力を奪われていただけ。
転身すれば魔力はサファイアがどうにかしてくれる。
イリヤに比べれば消耗なんてしていないも同然だから」
「う、うん……ごめん」
「ううん、こっちこそ」
そうして美遊がカードを胸に抱き、翼の羽ばたきで突風を起こすジオウを見る。
「―――それで、どこに撃ち込めば……」
「撃つ必要はないよ、ここなら出すだけであいつは見つけるだろうし。
移動してる時に松明みたいに振っててくれるだけでいいかな」
「え?」
稲妻を伴う竜巻でケイオスカカオを押し返しつつ、ジオウが一歩退く。
そのまま彼はドラゴンテイルの周囲に魔法陣を展開。
尾を巨大化させて、足場として使用できるような大きさにしてみせる。
「確かに奴はエクスカリバーがあればそれを最優先で追うだろう。
だがそれでどうする? 状況は変わらんぞ」
「多分、そっちは大丈夫。
それより先に、お菓子の国の魔法少女をどうにかするんでしょ?
全速力で飛んでいくから乗って」
「分かった」
クロを抱く立香が真っ先に乗り込んで、他の者たちもそれに続く。
全員がドラゴンテイルに乗り込んだのを確認したら、すぐさま飛翔を開始するウィザードフォーム。
竜が上空へと舞い上がると同時、スカサハが朱槍の穂先を走らせる。
描かれたルーンが飛翔でかかる負荷を軽減し、楽になった腕を美遊が振り上げた。
「サファイア!」
「どうぞ、美遊様!」
弾いたクラスカードとマジカルサファイアが交差。
その姿を、紛れもない聖剣エクスカリバーへと変えていく。
「クラスカード・セイバー、
顕れた聖剣を空高く掲げ、その黄金の輝きを見せつけるようにする。
どうなることかと彼女が様子を伺えば、変化は劇的だった。
ケイオスカカオの軌道があからさまに変わる。
先程までレディの国へと一直線だった津波が、全て引き返し始めたのだ。
狙いは考えるまでもない。この聖剣の輝きだろう。
「エクスカリバーを狙っている、ということ……?」
「厳密にはアーサー王を、だろうが」
眼下で造り上げられる巨大な魔猪。
それが上空の獲物を求めて全力で跳躍し―――魔槍に串刺しにされ、砕け散る。
加速するディケイドアーマー・ウィザードフォーム。
一直線に地上を横断するチョコレート運河を逆行していく。
沸き立つ水面が何らかの反応を示す前に、振り切って突き進む竜の翼。
「……お菓子の国の隣はケイオスカカオの海のままなのよね?
このまま行ったら、到着した時点でその海ごと襲い掛かってこない?」
彼女たちに襲い掛かるはずの逆風などは相殺され、さほどの衝撃もない。
そんな中で尾に掴まりつつ、ツクヨミが目を細めて進む先を見据えた。
『それは……恐らくどうしようもないね。到着したら即座に目的を果たす、以外の方法がない。ある程度接近したら減速してくれ。お菓子の国のどこに魔法少女がいるかを探知する』
「オッケー」
ドラゴンウイングを細かに操作し、スピードを微調整するジオウ。
その尾の上。立香の腕の中でクロエが首を回し、イリヤの方を見た。
「見つけたら一気に突っ込んで、どうするの? 捕まえて離脱する?」
「…………えっと、どうしよう」
「これだもの」
どうしたものかと目を回すイリヤに、クロエが溜め息ひとつ。
そんな彼女に苦笑していた立香の耳に、マシュの声が届く。
『……これ、は。先輩、お菓子の国の中にサーヴァント反応です。
霊基パターン照合の結果、ロンドンで同様のものが記録されています』
「―――“物語”のサーヴァント、だよね?」
『はい』
神妙な顔をして頷くマシュ。
ここにきて感じていたものは、確かなものだったのだ、と。
立香もまた目を細めながら小さく頷いた。
「知ってる魔法少女、なんですか?」
「知ってる、っていうほどじゃないんだけど……」
見かけたのは確かだが、本当にそれだけだ。
アンデルセンに説明されていなければ、一切理解できなかったろう。
「彼女は本のかたちをした、“物語”の概念がサーヴァントになったもので―――
自分を何より愛してくれたらしい、一番大事な読者を探していたよ」
「……その人が見つからなかった、会えなかった。
だから、ここに来たんでしょうね」
立香の腕の中で肩を竦めるクロエ。
彼女の言葉を聞いて、美遊が僅かに顔を伏せた。
「一番大切な人と二度と会えない。大切な人との時間は、二度と戻ってこない。だから、忘れてしまいたい? 最初からその出会いがなければ、寂しさなんか覚えなかったから」
そんな少女の声に小さく視線を彷徨わせつつ。
クロエはイリヤへと問いかける。
「どうやれば説得できると思うわけ?」
「う……それは、ううんと……」
ぐるぐると目を回し、考え込むイリヤ。
そうして停滞した状況に、通信先からマシュの声が届く。
『―――ですが。その方にとって短くとも、確かに幸福だった出会いを……その方が感じた想いを、他の誰かに伝える手段になり得るものが―――本、物語なのではないでしょうか』
イリヤが通信先に映るマシュを見上げる。
『……他に何一つ共通点がなかったとしても。
“同じ物語を読んだ”という事実だけを通じて、繋がりは作れる。だから……多分』
“誰かに読まれ続ける事”が。
その物語にとって、何より強く“物語が望む一番の読者”と繋がる手段なのだと。
それを口にし切れず、マシュが言葉を濁した。
「―――それに、耐え切れなかったのよ。彼女も、もう」
ふと、クロエの口が動く。
彼女自身のそれとは別の声が混じった、魔法少女の言葉。
表に出てきたのはそれだけ。
自分の口が勝手に動いたことに、微妙な表情を浮かべるクロエ。
『……でも。お菓子の国の魔法少女が。“物語”の概念が。
何より“物語”として、誰かに愛されていたのなら。
だからこそ、ただ失われてしまうだけでは何も救われない。
その本が読者に愛された記憶こそ、“誰かに愛された物語”だと思うから』
「―――うん……伝えに行こう」
マシュの言葉を聞いていたイリヤが、そう言って拳を握る。
彼女が見せたそんな様子にぐるりと首を巡らせるクロ。
「……なにを?」
「えっと……なんて言えばいいのかな。たぶん、その―――あなたが読者を愛していたように、読者もあなたを愛していたに違いない、って」
「恐らく、言われるまでもなく自覚はあるだろう。
聞いた限り、そのサーヴァントは鏡のようなもの。
そやつにとって読者への愛の深さは、読者からの愛の深さの証明だろうからな」
竜の尾の上に立ち、眼下のケイオスカカオを眺めるスカサハ。
彼女はちらりと一瞬だけイリヤを見て、そう口にした。
まさかそっち側からダメだしが飛んでくるとは、と少女が口元をひくつかせる。
「あう……じゃあダメですか?」
「―――いや? いいのではないか。
自覚しているかどうかと、認められているかは別の問題だ」
悄然として肩を落とすイリヤに、しかしスカサハはすぐにそう返す。
「お前は魔法少女とやらなのだろう?
ならば子供らしく、とにかく言いたい事を言って来ればいい。
それがきっと、そこのレディや“物語”とやらのような奴には何より響く」
そう言って、クロエの方を見やるスカサハ。
そんな視線を受けて、自分の中で何かが浮上してくる気配を察知するクロ。
彼女が目を瞑り、相手に自身の体を一時的に譲る。
再び開いた瞳に菫色の光を灯し、彼女は憮然としながらイリヤに言葉を向けた。
「……なら知っていきなさい、彼女を彼女として。
誰かの夢を殻にした亡霊ではなく、多くの人たちが憧れた子供たちの英雄。
だからこそ魔法少女として判定された、彼女の本来の名前を―――」
そうして、ファースト・レディの口から告げられる英雄の名前。
“物語”の概念にして。一種の固有結界にして。魔法少女にして。子供たちの英雄。
その名を確かに受け取って、イリヤスフィールは強く顔を引き締めた。
―――飛来する竜。
それは一切減速せずに、地上に向かって墜落する。
着地などまったく考えない、代わりに全力の速度を発揮した突貫。
『地面に激突する寸前にスカサハが全員抱えて離脱、って。
この人数でできるのかい!?』
「このくらいの危機は自分でどうにかしろ、と言いたいがな。
まあ、アメリカでの借りを返すつもりで此度は全員抱えてやろう。
ただし全力で振り回される覚悟はしておけよ」
槍を手元から消して、スカサハが周囲を見回す。
そのまま地面に突っ込むジオウ以外。
立香、ツクヨミ、イリヤ、美遊、クロ。彼女たちを抱えて、着弾の瞬間に離脱するのだ。
流石に優しく抱え上げて、とはいかない。
グロッキーの中で更に振り回されることになるクロが、嫌そうに顔を顰めた。
「―――そのままわたしたちは、お菓子の国の魔法少女に接触」
「イリヤ様による説得を行います」
時間切れで聖剣からステッキに戻ったサファイア。
既に見せていなくても、聖剣がここにあると認識したケイオスカカオの追跡は止まらない。
もう彼女たちにケイオスカカオの追跡を止めさせる方法はないということだ。
相棒を握り直し、主従揃って手順を確認する美遊。
彼女の言葉にハッとして、イリヤは声を上げた。
「えっと、そこは別にわたしじゃなくて、同じ魔法少女なミユでも……?」
「ううん。きっと、イリヤの言葉が一番響く。わたしじゃきっと、ダメ」
だって、何よりそんな綺麗な言葉―――自分ではきっと、自分を疑ってしまう。
二度と会えない大切な人への執着に、共感を示してしまう。
そんな感情は言葉にせずに、美遊はイリヤを真っすぐに見据えた。
「ちょっと、いまさらビビんないでよ。もうすぐ地面なのよ」
「そうですよ、イリヤさん。
さっきまでの最終回ばりに燃え滾る全力全開の
「そんな力は知らないけど……!」
クロエとルビーの言葉に顔を顰めて。
ふと、イリヤが立香と視線を合わせた。
何となく居心地が悪くなって、すぐに顔を逸らしてしまうイリヤ。
そんな少女の姿を見て、立香もまた前に向き直る。
「―――大丈夫だよ、イリヤ」
「え?」
「さっきまでと同じ。あなたは、あなたが伝えたい事を伝えればいいんだよ。
何かを引け目に感じる必要なんてない。
だって、あなたは……
自分よりずっと長く戦い、苦しんできた先達たち。
勢い彼女はレディにも全力の啖呵を切り、ここまでやってきた。
それでも少し、引っかかるものはあった。
彼女たちの辛さへの共感も足りない自分に、そんな事を言う資格はあるものか、と。
レディに叩きつけた言葉に嘘はない。
これからも彼女は魔法少女として戦っていくだろう。
それでも、果たして。
「レディたちが積み上げてきたのと同じものが、今のあなたの中には確かに受け継がれてる。
だったら、誰が相手だろうと何かを迷う必要なんてない。あなたが一番正しいと思う事をする限り、あなたの背中は全ての魔法少女の想いに支えられている。だから迷う必要なんて、きっとない。彼女を助けてあげたい、って願いはどんな魔法少女だって否定しない」
そんな言葉を送られて、イリヤがクロエの方を見る。
レディは顔を出さなかった。
それでも、ここまで彼女が否定する事もなかった。
お菓子の国の魔法少女を救いに行こう、という言葉を拒否しなかった。
そんな事を口にしたイリヤに、怒ることはなかった。
「だから、今はとにかく前を見てぶつかりに行けばいいんだよ、きっと」
「―――――はい!」
「そろそろぶつからないように抱え上げるぞ、舌を噛むなよ」
元気よく返事したイリヤが、襟を掴まれて引っ張られる。
立香も、ツクヨミも、美遊も、クロエも。
ジェットコースターだってこんなに跳ねない、という軌道で彼女たちはぶっ飛ぶ。
彼女たちが離脱しても直進するジオウ。
彼が伸ばしたドラゴンクローがビスケットの地面を粉砕した。
着弾と同時に震撼するお菓子の大地。
視界に入る付近にあったお菓子の家が、瞬く間に残骸の山になっていく。
そんな大惨事の上を舞って、シェイクされる面々。
彼女たちが息を詰まらせている内に、スカサハがお菓子の残骸を蹴りつつ着地。
勢いを殺しながら、手にぶら下げた連中を放り投げる。
器用にも全員を別々に、マシュマロのような柔い菓子の中に投げ込むスカサハ。
それで何とか止まった彼女たちは、ちかちかとスパークする視界を上に上げる。
そこに浮いていたのは、一冊の本であった。
「あ……れ、が……!」
『―――ケイオスカカオの海が直接侵攻を開始!
そちらが呑み込まれるまで、1分もないぞ! 早急に行動を……!』
ロマニの声に歯を食い縛り、イリヤがマシュマロを跳ね除けた。
そのまま立ち上がり、宙に浮く本を睨み据える。
「あなたは……あなたは、そのままでいいの? 本当に、このまま消えてしまっても!」
彼女の声に反応してか。
―――お菓子の家の、窓代わり。きらきらと光を反射する飴細工の窓。
砕け散ってばら撒かれたそこに映った鏡の中の世界から、ごろりと怪物が転び出る。
ビスケットの地面を砕いて転がる化け物。
まるで悪魔のような姿をした、巨大な怪物。
それは血色の体を揺すって立ち上がると、イリヤに向かってその顔を向けた。
ごうごうという呼気に体を竦ませる暇もなく、彼女はただ本を見上げる。
「本当に全部を忘れてしまって、それで終わりでいいの!?
“
本に向かって語り掛けるイリヤに向かって―――
鏡の国から現れた、
立ち上がり、翼を広げ、四肢に力を漲らせ。
そうして踏み出そうとした化け物の直下。
ビスケットの地面が弾け飛び、螺旋を描く竜の爪が突き出した。
竜の爪は怪物の顎を貫き、そのまま頭部を吹き飛ばす。
その勢いで上半身を失ったジャバウォックが、しかし。
すぐさま体を再生させ、再び力を漲らせた。
だが当然のように、その前へと立ちはだかるジオウ。
彼は胸部にドラゴンの頭部。
ドラゴンスカルを浮かべ、炎を纏いながらジャバウォックに対峙する。
―――僅か、相性の悪さにジャバウォックが困惑するように唸り。
しかし。
疾駆するジャバウォック。羽ばたくドラゴン。
行われる怪物同士の激突。
それを背後にしながら、イリヤは叫び続ける。
「―――あなたを読んでくれた大切な人が、消えてしまって。それで、あなた自身も消えてしまいたいのかもしれない。でも……あなたの大切な人が、あなたを愛してくれたこと。
あなたが“
動かせる最大戦力を足止めされた本が、ぱらぱらと頁をはためかせる。
まるで苛立つように。
「あなたを好きになってくれた、あなたにとって大切な人がいた!
それをこの世界に残しておいてあげられるのは、きっとあなただけのはず……!」
だけど、もう逢えないのだ。
たった一つ、たった一度、彼女が巡り会ったしあわせには。
もう二度と会う事は――――
「きっと、いつだって……“
だからこそ。あなたを愛する人たちは、あなたを通じて見つけ合える。
あなたが見失ってしまった、あなたが大切に想った人。
その人の事だって、きっとあなたと向き合った誰かが、見つけ出してくれる!」
子供たちから子供たちへ。
やがて親となったものが、そのまた子供へ。
歌い継がれてきたわらべうた。
何百年前の昔から、何百年後の未来にまで。
違う時代で、同じ物語が子供たちにそれぞれの夢を見せる。
時代は違えど。環境は違えど。
それでも同じ物語に、同じ夢を見る人はきっと幾らかいるはずで。
―――“ああ、とっても素敵な夢だった”
そういって、誰かが彼女に夢を見て。
―――“きっとこの物語を読んだ他の人も、同じ想いを抱いたに違いない”
なんて。
彼女を通じて、他の誰かに想いを馳せる。
そんな小さな繋がりが、きっと。
同じ物語を愛しただけという小さな繋がりが、きっと。
誰にも見つけてもらえなかった少女にとっての、この世界で生きた証になる。
多くの人が読む“物語”を通じて。
ひとりぼっちでしかいられなかった少女が、どこかに繋がれる。
それが出来るのは、彼女に愛されていた……
他の皆からも愛される“物語”である彼女だけなのだと―――
「あなたが大好きになったその人の“物語”を、あなたの中に残しておいて!
―――お願い、“
―――ああ、ずるい。ずるい、ずるい、ずるい。
―――そんなの、そんなねがいは、ずるい。
ただ、
そんな願いは叶うはずもなかったけど。
ただ、
本当の自分など知らない。本物の自分など知らない。
それでも、
そうだと信じたまま、二度と開かれない本として消えてしまえれば良かったのに。
―――ひどい。ひどい。なんて、ひどい。
―――なんてひどいおはなしだろう。
ああ、きっとそうだろう。
誰とも知れないひとりぼっちの少女さえ、他の誰かと夢を共有できる。
―――ああ、なんて
時代も、場所も、世界さえ違っても、彼女たちに同じ頁を提供できるのはただひとり。
無視なんて、できるはずがない。
ナーサリー・ライムは子供たちの英雄。
いつかは終わる、夢の旅路の案内人。
頁を捲る手を止めない限り、彼女はいつだって夢を見せる。
誰にだって、同じ夢を見る権利を与える。
―――その時、やっと。
忘れられない。消えられない。
ひとりぼっちの寂しいあの子。
そんな彼女が想いを遺した場所にまで、他の誰かの想いが通る道。
彼女のところまで続く道を敷いてあげられるなら。
不思議の国のできごとを。
鏡の国のできごとを。
いつか、彼女が微笑みながら語れるようにしてあげたいから。
彼女と共に記した頁に栞を挟んで、いつかのためにまた捲り続けよう。
それが、悲しいけれど。
悲しいわたしが寂しいあなたにしてあげられる、最後の遊戯。
―――宙に浮かぶ本の頁がバラけ、人型になりつつ降りてくる。
黒いドレスに身を包んだ少女。
ゆっくりと舞い降りる彼女の前に、クロエがいつの間にか立っていた。
少女は足をつく前から、既に光に還り始めていた。
着地をしたら、そのまま解けてしまいそうな弱々しい体。
ふわふわと舞い降りてくる少女に、ファースト・レディが問いかける。
「……まだ、あなたは続けられるの?」
「―――ええ、ごめんなさい。ファースト・レディ。
あなたの世界にこんな事をしてしまってもまだ、わたしは続けたいみたいなの」
「そう」
なんて儚い笑みだろう。だって、そんなハッピーエンドは用意されていない。
彼女が何を夢見ても、そんな綺麗な結末は待っていない。
彼女には分かっている。レディにだって分かっている。
彼女たちはいつだって、バッドエンドを見届け続けてきたのだから。
「……いつか、“
最後の頁を読み終えて、ハッピーエンドを迎えた後で。ご本を閉じた、その後に―――
本から顔を上げた夢見る少女が集まるティータイム。あなたも一緒にね?
素敵なレディ。優しいレディ。
―――バッドエンドばかりを見送ってきた、始まりのひと」
「それはあなただってそうでしょう。それでも、まだ?」
微笑み、崩れていく物語。
そんな彼女に、眉を顰めてレディは何度だって問いかける。
そうやって心配尽くしの彼女にくすくす笑って。
ナーサリー・ライムは、困った風に首を傾げた。
「―――わたしたちってそっくりね。
夢見る子供の英雄で。夢見る子供の英雄でしかなくて。
子供をやめた大人たちや、夢見ることを諦めた大人たちには何もできないところ」
「だったら……」
「だから、わたしはもうちょっと続けるわ。夢見ることをやめることもできないまま、子供をやめることもできないまま、眠ってしまった子供がいる。
―――だからまだ、わたしはもうちょっとだけ誰かの英雄でいてあげなきゃ」
ファースト・レディは子供のまま魔法少女という英雄になったもので。
ナーサリー・ライムは子供のための物語が英雄になったもので。
子供の夢を叶えるものと、子供に夢を見せるもの。
その違いの分だけ、もうちょっとだけ頑張らないとと彼女は微笑む。
「わたしを受け止めてくれてありがとう。迷惑をかけてしまってごめんなさい。
―――いまの
……お先におやすみなさい、背伸びが得意な
いい子はそろそろ眠る時間よ?」
そう言ってめいっぱいに微笑んで、彼女の頁が解けていく。
光と還り、天上へと昇っていく魔力の残滓。
いつの間にかジャバウォックも倒れ伏している。
そちらも主人に会わせて、光に還り始めていた。
『……お菓子の国の魔法少女、ナーサリー・ライム。霊基の消失を確認しました』
「…………」
立ち尽くすクロエ―――レディの背中を見るイリヤたち。
そんな中でスカサハが踵を返そうとして。
しかし、そんな彼女をジオウの手が制した。
彼女を制してジオウは踏み出して、ケイオスカカオが来る方向へと踏み出す。
そうしながらソウゴは美遊へと問いかけていた。
「ごめん、もう一回エクスカリバー出せる?」
「サファイア」
「短時間であれば」
彼女たちの返答に頷いて、彼はディケイドウォッチをドライバーから取り外した。
基本形態へと姿を戻すジオウ。
そうして新たなウォッチを取り出して、彼は敵を待ち受ける。
「あいつが来たタイミングで出してみて。
スカサハはもしもの時、美遊を守ってあげてよ」
「よかろう」
軽く腕を動かして朱槍を呼び出し、美遊の隣につけるスカサハ。
『ケイオスカカオ到達まで5秒! 3、2、1―――!』
「クラスカード・セイバー!
雪崩れ込んでくるチョコレート。
その直前に溢れ出した聖剣の光に、そこに染み付いた恩讐が猛りだす。
構成されるケイオスカカオでできた巨大魔猪。
憎悪に塗り潰された眼が、聖剣を睨み据えて―――
「―――あんた、アーサー王にこてんぱんにのされて負けた王様なんだよね?」
特に感慨もなく、至極どうでもよさげに、その人間は彼の神経を逆撫でした。
ケイオスカカオに伝播する魔猪の嚇怒。
それが自然と魔猪の動きを変えさせて、その頭部をジオウにむける。
「それでさ、結局のところあんたはどんな王様なの?」
注意を引けたことに満足気に、ジオウは腰に手を当てながら彼に話し続ける。
「王様として自分を下に見た相手の王様の態度が許せない、っていうならあんただって王様なんでしょ? なのに自分の名前も、自分の国も、自分の民も覚えてないの?」
―――彼の中に何も残っていない事に呆れるように。
命も、名前も、それに付随する全てを。
何もかもを失った彼に対し、それはどうしようもないとばかりに呆れてみせた。
「それってほんとに王様?」
憎悪に怒れる。ケイオスカカオが凝縮し、強度を窮めていく。
ただの一撃でその不敬を粉砕するため、彼は感情の全てをそこに注ぎ込んだ。
「あんたが憎いのはアーサー王でしょ? そのアーサー王が自分を軽く扱ったから許せない、って事でいいんだよね、多分? 俺もアーサー王の事は知ってるよ。でもあんたの事なんか知らないな。それってさ、もしかしてあんたは他の人から見て、“アーサー王とちゃんと勝負した王様”にすらなれてない、って事なんじゃない?」
そんな事を気にもせず、ジオウは更に彼の感情に油を注ぎこんでくる。
ここにきて最高潮にまで燃え上がる憎悪。
ケイオスカカオの圧縮率が限界を超え、黒々とした肉体を研ぎ澄ませていく。
やっとそんな感情の嵐に気付いたのか、肩を竦めてみせるジオウ。
「へえ、そう言われて怒れるんだ。
――――だったら、自分で名乗りなよ」
呆れていたような声が、ただ低く。
全てを憎悪に燃やしている彼の感情を、真正面から見据えてくる。
「自分がアーサー王なんて目じゃないくらい偉大な王だって、他の誰より自分で自分を認めてるなら。せめて、自分で自分の名前くらい誇れるだろ。
もしあんたがアーサー王に勝ったとして、じゃああんたの民は誰を称えるのさ? 名前がない、姿も思い出せない。そんな王様、民にとっていないのと同じじゃん」
今のお前如きでは、仮にアーサー王を倒したところで意味がない。
だって、誰がアーサー王を倒したか分からないんだから。
―――そう断言されて、彼の憎悪が一瞬陰る。
意味がない、という言葉に同意できてしまったから。
自分を王として、真っ当な敵とすら見なかったあの小娘を憎んだ。
だが、では今の感情だけを遺した自分はなんだ。
体も、命も、名前も、自我も、何もない自分を、あの小娘は一体どう畏れればいい。
アーサー王は今の自分を前にして。
どんな王を恐るべき敵として見ればいい。
どんな名前を心胆に畏れと共に刻めばいい。
わからない。自分にさえ。
「自分の名前を忘れたままじゃ、王様なんてやってられないでしょ」
〈龍騎!〉
動きが凍った魔猪の前で、ジオウがウォッチを起動する。
そのままドライバーに装填し、ロックを外して一回転。
〈ライダータイム! 仮面ライダージオウ!〉
〈アーマータイム!〉
ジオウの周囲を炎が巻いて、彼の姿が変わっていく。
両肩に装着される、龍の頭部を模したアーマー。
赤と銀の追加装甲を身に纏って、ジオウは両の拳を強く握り締めた。
〈アドベント! 龍騎!〉
纏った炎を振り払い、姿を現す新たなジオウ。
それと同時、当然のように高らかに声が響く。
「祝え! 全ライダーを凌駕し、時空を超え過去と未来をしろしめす時の王者!
その名も仮面ライダージオウ・龍騎アーマー!
あらゆる時空において最新・最強たる魔王、常磐ソウゴが新たなる力を継承した瞬間である!」
「どちら様!?」
お菓子の家だった瓦礫の上で、高らかにジオウの名を叫ぶ乱入者。
それを見て咄嗟に叫ぶイリヤ。
そんな彼女の肩に手を置いて、ツクヨミがゆっくりと首を振る。
「一応、知り合いだから大丈夫」
「……あんな人と知り合いだっていう事実が大丈夫じゃないと思う」
「それは確かに……」
しかしツクヨミは美遊の意見に、心底同意して頷いてしまう。
そんなやり取りが聞こえていたのか、黒ウォズが大仰に肩を竦めた。
己の名を叫んだ臣下を背後に控えさせ、魔王は足を止めた魔猪を睨む。
「黒ウォズが俺の名前をあんたに知らせたよ。
―――だから、あんたも名乗り返しなよ。
王様を名乗る俺に、あんたが自分も王様だって言い返せるならさ」
ジオウが歩みを始める。
ケイオスカカオを吸い上げ、凝縮された魔猪に向けて。
名前のない怪物。姿を持たない怪物。
そんなものが相手ならば、注意を払う必要すらないのだと言わんばかりに。
「誰でもない誰かのままでいるなら、あんたに自分は王様なんて言い張る資格はないと思う。俺は俺の名前に誓えるよ。あんたなんか目じゃないし、アーサー王だってソロモン王だって越えた、最高最善の魔王になる。勝負したいなら、まずあんたがあんたに戻らなきゃ」
彼は肉体を失い、自我を失い、それでも気に留めない怪物だった。
その上で暴れるだけの化け物でしかなかった。
だからこそ。
アーサー王はそんな精神性のものを、敵対する王としてすら見なかった。
肉体を魔猪に変えられ気にもしない人など人ではなく。
名前を失って自我が薄れても変わらない人格に意味などなく。
「実はあんたも分かってるんじゃない? 自分じゃアーサー王には勝てないって。
だから名前を手放したままなんだ。名前が無きゃ、負けの記録も残らないもんね?」
そう言って小さく笑い、挑発するジオウ。
彼の指がドライバーへと伸びる。
〈フィニッシュタイム! 龍騎!〉
「負けたくないならそのまま逃げなよ。勝ちたいなら自分で自分を誇れよ。王様であることを相手と戦う理由にできないなら、あんたはとっくに王様である事を辞めてるってことでしょ」
―――天空から舞い降りる炎の龍。
炎を押し固めたその幻像は、しかし熱量ばかりは嘘などどこにもない。
そんなものを周囲に取り巻かせながら、ジオウは足を止めずに歩き続ける。
龍がそこにいるだけで襲ってくる熱波。
それによりケイオスカカオが溶け、まるで汗のように滴り落ちていく。
「―――答えはないの? 俺たちを倒して。アーサー王を倒して。
ここで、“俺が勝った”って勝利を叫びたいと思ってるのは誰なんだよ」
ジリジリと焼かれながら、ケイオスカカオが震えた。
自我を取り戻さなければ、負けることはない。そう本能が知らせてくる。
確固たるものを何一つとして持たなければ、壊されない。
絶対に、負けない。
だが。だが、代わりに勝利もない。
たとえ目の前の連中を全滅させたとして、勝者として叫ぶ名前が無い。
―――混濁した意識の中で、かつての光景がちらついた。
死に物狂いで海に身を投げ、遁走する自分。
そんな自分を、冷然とした碧眼が見据えている。
あの小娘は、相応の被害をこの身に与えられながら。
それでも、ただの一度も、この王を―――
「――――このトゥルッフ・トゥルウィスを、ただの一度も敵としてすら見なかった……ッ!!」
ケイオスカカオが固まる。
原初の混沌の類似として名をつけられた、確固とした姿を持たないもの。
それが不定形という性質を失い、たった一つの姿に固定される。
かつての筋肉の力強さ。かつての毛皮の堅牢さ。
それらを再現以上に顕わにした怪物が、黒々とした巨大な魔猪として確立した。
『トゥルッフ・トゥルウィス、存在核確立……!
っ、この魔力量、ほとんど神獣クラスだ! 気を付けてくれ!』
「そっか。うん、あんたはトゥルッフ・トゥルウィス。
じゃあ俺は、最高最善の魔王を目指す一人の王様としてあんたと戦うよ。
あんたのやり方を俺は見逃せない」
ロマニの言葉に小さく頷き、ジオウは目の前に君臨する巨大魔猪を見据えた。
バキバキと音を立てて逆立つ針のような毛。
チョコを血肉として成立していく、かつて謳われた伝説の魔獣。
「黙れ、小僧―――! 私は王! ならば、今から全てを取り戻す……!
あの小娘に奪われた、我が宝物、我が誇り、我が栄光――――!!」
「……国を食い潰して、自分のための力にするのがあんたのやり方。
あんたは王として認められなかったんじゃなくて、自分のために自分が王である国を使い潰したから、他の誰かから見たら王様じゃなくなっただけでしょ」
トゥルッフ・トゥルウィスが大きく足を振り上げ、大地を砕く。
全力の突進のための予備動作。
大地を震撼させるその足踏みを前にしながら、ジオウはドライバーを叩いた。
ロックが外れ、回転待機状態になるジクウドライバー。
「ここでも色んな国を巻き込んで、自分のものとして取り込もうとしてきたんでしょ? 全部ぶつけてきなよ。俺はそれを、王様として正面からぶち壊す。
俺が王様になったのは全ての人を守るため。だから、あんたが選んだやり方じゃ、何かを守るために王様になった王様には、何度やろうが勝てないって証明するだけ。
――――もう、あんたには何も壊させない」
ジクウドライバーが、ジオウの手に導かれて回転する。
腕を振るいながら彼は大きく腰を落とし、直後に足を揃えて地面を踏み切った。
同時に疾走を開始するトゥルッフ・トゥルウィス。
瞬時にトップスピードへと至る超常の巨体。
―――だが、その加速を追い越すものがひとつ。
両足で跳んだ体が、空中で回転。そのまま飛び蹴りの姿勢を整えた。
それに合わせて、彼の周囲に取り巻いていた炎の龍が顎を開く。
そこに溢れるのは大火炎。
龍の口から吐き出される灼熱の奔流が、ジオウへと叩き付けられる。
まるで、その勢いで飛ぶように。
龍騎アーマーが空を裂き、超常的な加速でトゥルッフ・トゥルウィスへと突っ込んだ。
〈ファイナル! タイムブレーク!!〉
「だぁああああああああ―――――ッ!!」
互いに繰り出すのは全霊の突進。
一切の小細工なしに繰り出す、全てを懸けた必殺の一撃。
それが紛れもなく正面から激突して。
―――全身に罅が入っていくことを感じながら。
トゥルッフ・トゥルウィスが、罅割れた視界で赤く燃える炎を見る。
まただ。また、赤き竜に負けるのか。
いや、いいや。前は、負けることさえできなかった。
トゥルッフ・トゥルウィスは王なのだ。
己の支配したものを奪うためにやってきた侵略者に、確かにこうして牙を剥いて―――
―――黒く染まっていたケイオスカカオの塊が、木端微塵に吹き飛んだ。
その中に溶けていたものが、完全に死に果てる。
完璧に敗北したことで、留まってはいられなくなる。
直後、ケイオスカカオだったものが雨となって降り注いだ。
内包していた全てを失った、ただの水として。
雨を切り裂き、トゥルッフ・トゥルウィスを砕いた勢いのまま着地するジオウ。
そのまま彼がゆっくりと体を起こし、直後。
ドライバーに装着された龍騎ウォッチが、ほのかに輝いた。
「これは……」
「わ、地面まで……!」
輝くジオウを見ていたイリヤが、足元まで突然の発光を始めたことに跳び退る。
が、その輝きは一か所二か所などではない。
地面―――のみならず、空から何から同じように輝きだしたのだ。
その事実に、誰よりレディが唖然とする。
「これ、って。そんな、はずが……!」
そんな彼女を窺いつつ、ツクヨミが黒ウォズに視線を向ける。
「ねえ、黒ウォズ。これ、何か分かる?」
「さてね……この世界に残っていた魔法少女の夢とやらじゃないかい?
鏡に光を集めて“こっちだよ”、とでも誘導しているのだろう」
「鏡?」
彼はゆるりとストールを振って、自分の頭の上で渦巻かせる。
まるで傘のようにそうして、濡れることを防ぐ。
「ナーサリー・ライムの残した“鏡の国のアリス”の力。
それと、我が魔王がいまここで発揮した仮面ライダー龍騎の力。
それによって鏡の中の世界の存在が、より強固になったんだろう」
「…………それで?」
「―――それを利用して、
しかし我が魔王を
そうやって黒ウォズが肩を竦めている間にも、光は強くなっていく。
―――そうして、最早完全に光に染まった世界の中で。
ゆっくりと、光の手―――光による導きが、レディへと伸ばされた。
体を震わせて、レディはその光の手を見つめることしかできない。
だって、そんな。
鏡を操る、鏡に光を集める魔法なんて。
そんなものを扱う魔法少女を、彼女はひとりしか知らなくて。
「あ―――ミ、ラー……っ!」
「おつかれさま、―――……もう。ずっと待ってたんだから」
震える彼女の手を、鏡から溢れた光の手が包み込む。
彼女自身さえも失った名前を、憶えていてくれた誰かが。
耐え切れなくなって、少女の瞳に涙が溢れる。
心の限界なんてとっくに擦り切れていた。
それでも、親友を犠牲にした時からレディに止まるなんて選択肢はなかった。
彼女は彼女を止めてくれるものを、自分で真っ先に切り捨てていた。
けど、こんな。こんな風に言われてしまったら。
―――もう、ここから動けなくなってしまう。
ふと、クロエが身動ぎした。
そうすれば、彼女の肉体だけがそこからするりと動き出す。
光の手が抱きしめているのは、もうレディの魂だけ。
レディが泣いていたから、クロエの体だって泣いていた。
自分の頬を伝うものに少しだけむくれつつ、彼女はそれを乱暴に拭ってみせる。
薄れていく鏡から溢れる光に導かれ、レディが共に消えていく。
最初の魔法少女が、やっとその使命から解放される。
泣きじゃくるレディを光の腕で抱きながら、鏡の魔法少女が小さく笑った。
「―――ありがとう、この子の面倒を見てくれて。
この子や、私みたいな魔法少女が重ねた歴史が、あなたたちに繋がったことが。
きっと何より、私が魔法少女として誇れることだと思うわ」
「―――うん。最後の最後になっちゃったけど……それでもレディは最後に、ずっと求め続けていた魔法少女から、手を伸ばしてもらえたんだね」
安堵の息を吐き、そう言ったイリヤスフィール。
彼女の言葉にはにかむように微笑んで、彼女たちは完全に消えていく。
薄れていく鏡の輝き。光の導き。
そうして、バキン、と。
どこかから致命的な音が響く。
まるで鏡が割れるかのような音で、とても不安になる音色だった。
「……レディが消えたらさ、レディの固有結界ってどうなるんだろうね」
「消えるよね、多分」
「今は我が魔王の存在で、この世界にもミラーワールドという裏側の世界が存在する、という事実に支えられているようだね。まあすぐに圧壊してしまいそうだが……」
濡れたストールをぱたぱた叩きながら、黒ウォズがそう言った。
さほど焦ってもいない彼のそんな台詞。
その直後に、更に何か拉げて潰れるような音がした。
それどころか、空にどんどん亀裂が広がっていく。
そんな地獄絵図を前にして。
『さ、最速で帰還処理を実行―――!』
「ル、ルビー! わたしたちも早くー!」
「サファイア!
「わたしを置いていくんじゃないわよ!?」
喧々囂々。
そんな様子を後目に、スカサハが当然のように影の国への帰路につく。
「まったく。お前たちは毎度、想像以上のものを見せてくれる。
――――では、命ある限り息災でな」
壊れていく世界からさっさと離脱するスカサハ。
いつ壊れてもおかしくない世界だったからこそ、常に準備はしていたのだろう。
そんな相手を涙目で見送りつつ、ようやっと転移の準備を完了させる。
―――悲しみを抱え続けた世界が割れて、沈んでいく。
最後にその世界を目に焼き付けて、魔法少女たちは転移を開始した。
「―――で、さ」
帰還したソウゴが首を傾げつつ、隣にいるロマニを見る。
同時に周囲を取り囲む面々もロマニを見る。
「どういう状況?」
彼らは既にコフィンを脱し、今いるのは召喚室だ。
帰還すると同時、カルデアにアラートが再び轟いたのだ。
内容は召喚室に異常発生。
そうして来てみれば―――
「あらら~、
「失敗って……!」
「姉さん、そんな感じではなさそうですが」
何故か召喚サークルが起動していて、そこに少女が三人折り重なって転がっていた。
イリヤスフィール、美遊、クロエ。そしてルビーにサファイア。
彼女たちが目を回して、召喚室に倒れているのだ。
そんな事実はどういう事なのか、と問いかける視線。
それを浴びせられて、ロマニはふと思いついたように踵を返す。
「よぅし、こういう異常事態はまずマギ☆マリに相談だ!」
「まずは所長さんだと思います」
ツクヨミにそう突っ込まれ、引き攣った笑みを浮かべるロマニ。
何が起こっているのかまったく分からないが、怒られずに済む方法はないだろう。
こうなったら怒られない方法をマギ☆マリに相談するしか……
そう言って肩を落とすロマニを見て、マシュの頭の上でフォウが小首を傾げていた。
イリヤが1万。NANOHAさんが53万。
なのでファースト・レディは125万くらいのイメージ(適当)。
ちっちぇえな。
こっちはこれで完結で続きを別枠にします。