ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

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インペルダウン編
地獄の底に金獅子を見る


 朝日のない目覚めはこれで何度目だろうか。

 薄暗い天井を見上げていたギーアは、石造りの硬い床から身を起こす。

 せめて身を包む布の一枚も欲しいところであったが、牢屋にあってはそんな贅沢な代物は望むべくもない。レンガのように敷かれる石畳に接していた頭や背が痛みを訴えた。

 

(つくづく檻の中に縁があるわね)

 

 かつて捕らわれていた時も牢屋に入れられたことを思い出し、否応もなく溜息がこぼれる。

 そうして息をすると、この場に溜まる悪臭が鼻と胸をついた。

 濃厚な血と垢とカビの臭い。

 鼻が曲がるどころの話ではない。吐き気をもよおすほどの臭気で満たされているのは、それだけここが年季の入った牢獄であることの証明になるだろう。

 四角く切り出された石を隙間なく積み上げた壁は飾り気がなく、陰鬱なほどに重厚な存在感をもってこちらを囲い込む。そこには長く太い鎖が何本も打ち付けられており、床へと垂れ下がる様はまるで鈍色の大蛇が忍び寄っているかのようだ。

 そうした鎖のうちの2本は、ギーアを常に縛りつける手械へと繋がっている。

 

(……重)

 

 左右の手首にかかる腕輪状のそれらをひどく重く感じるのは、それが海楼石でできているからだ。

 悪魔の実の能力者であるギーアにとって、弱点である海と同じエネルギーを発するこの鉱物に触れていると、それだけで全身の力が失われてしまう。

 おかげで常に体のだるさに苛まれ、四肢は血の気を失ったように鈍重になっていた。

 

(まぁ、囚人を牢屋で快適に過ごさせてくれる訳ないか)

 

 そのことは、収監以来一度も着替えさせてもらえない囚人服が証明している。白黒の縞模様を描く服は汗と皮脂を吸い上げており、嫌になるほど肌によく馴染む。

 見たくもない自分の姿から目をそらす。

 しかしそうしたところで目に入るのは石造りの壁と、堅牢な檻だけだ。

 マス目状に隙間を空けた鋼鉄の格子からは淡い光が差し込んでおり、明かりのないこの牢屋においては、それだけが視界を拓く唯一の頼りであった。これがなければ、ギーアは暗闇の中で延々と寝起きを繰り返す羽目になっていたに違いない。

 だが当然、それは親切で設けられている訳ではない。

 むしろ、檻の外にある光景を見せつけるために敢えて用意されているのかも知れなかった。

「……いつ見ても代わり映えのしないこと」

 

 檻の向こうにあるもの、それはまた別の檻である。

 ここは、大小無数の牢屋がひしめく巨大な牢獄だったのだ。

 薄ぼんやりとした明かりに浮かび上がる檻の群れは、当然その全てが囚人を内包している。数多の同類を見せつけられることは、ギーアに辟易と鬱屈の思いを抱かせた。

 その者達が、檻に詰め寄ってこちらへと下卑た歓声を飛ばしてくるとなれば尚更だ。

 

「よォ、お目覚めかい姉ちゃん!」

「ちょっとこっち来いよ、可愛がってやるからさァ!」

「バカ、お前もあいつも出られやしねぇよ!!」

「ギャハハハハ! 違ェねェ!」

 

 誰がどの檻から叫んでいるのかも定かではない。

 それほどまでに牢屋と囚人は多く、声は閉ざされた牢獄に反響してしまうからだ。

 

(まぁ、あんな連中と同じ牢屋に入れられなかっただけマシ、か)

 

 ちらり、とギーアは自分がいる檻の奥を見た。

 光の届かないそこには、足枷をされた男が一人、壁にもたれかかるように横たわっている。

 一度として話したことのない、この牢屋の同居人だ。

 外の牢屋にいる、女に飢えた悪漢共のように囃したててくることもない。全くの無関心で亡羊と闇を見つめるその男は、ひょっとしたら長く閉じ込められたことで心を病んでいるのかも知れなかった。

 ともあれ、相手に関心がないのはこちらも同じ。むしろ積極的に関わってこないだけありがたい。

 これがギーアを投獄した連中の配慮だとしたら、それは不幸中の幸いであると言えた。

 もっとも、仮にも政府が誇る世界一の監獄ならば、この程度は当然だと主張したかったが。

 難攻不落の大監獄とも呼ばれる、このインペルダウンならば。

 

(まさか私が、ここに収監されることになるなんてね)

 

 それも、世間に存在が公表されないほど厳重な牢獄に入れられるとは。

 

(――Lv.6。そんな階層があるなんて知らなかったけど)

 

 インペルダウンは、大海に沈む塔型の監獄だ。

 五つの階層からなると以前聞いたことがあったが、それよりももっと下、海底に面したそこに、世間からもみ消したいほどの凶悪犯を収める第六の監獄があったのである。

 それがLv.6。“無間地獄”とも呼ばれる階層だった。

 

(あいつもどこかにいるのかしら)

 

 思い浮かべるのは筋骨隆々とした男の姿。ギーアとともに収監された男のことだ。

 ダグラス・バレット。

 海賊である。

 奴と海軍のあいだで戦いが勃発し、そこで発動した大規模殲滅作戦バスターコールにギーアは巻き込まれた。

 島一つを滅ぼし尽くす火力と、海図の上から存在を抹消するほどの政治力が働く強大な軍事作戦。軍の暗部と言っても過言ではないそれの発動が知れ渡れば、海軍にとって風聞が悪い。

 故にギーアは投獄された。

 政府機関が行った大破壊を隠すための口封じだ。

 とばっちりだ、とは思う。しかし一度無法者になると自らに定めた以上、ギーアに意見する権利はない。もはや自分は国や政府に庇護を求められる立場にはないのだから。

 

(そう、私は海賊になったのだから)

 

 その決意はバレットとの闘いでギーアが得たもの。

 海賊となり、一人の男を船長として支えていこう、と。

 男の名はゲッコー・モリア。

 軍勢の力で海賊王になると豪語した男。

 彼をこの海の頂点に押し上げるとギーアは誓った。それだけの器をモリアに見たのだ。

 仲間を滅ぼし尽くされてなお再起する不屈の精神。

 折れない心を支えにして戦い続ける屈強な肉体。

 その場にあるすべてを自分の利とする権謀術数。

 何よりも、心の折れた奴隷になり下がっていた自分を叩き直した恩義がある。

 だからこそギーアは彼を逃がすための足止めとなり、海軍に捕まった。ここに投獄されて随分時間がたったが、まだ来ないところを見るとモリアは逃げおおせることができたらしい。もしも捕まっていたなら、ギーアと同じ理由でこのLv.6に入れられるだろうから。

 彼は捕まっていない。ならば部下としてやることは一つだ。

 

「ここを出る」

 

 いつまでも監獄に囚われているわけにはいかない。

 絶対に生き延びると誓った。

 絶対に彼の下に戻ると誓ったのだ。

 彼がこれから率いる軍勢の、最初の一人として名乗りをあげた誇りを失う訳にはいかない。

 脱獄する。

 モリアと再会したい。

 しなければならない。

 

「……そろそろ行けるかな」

 

 バレットとの闘いで消耗した体も癒えた。今ならいけるはずだ。

 脱出の決意をもって拳を握れば、逃しはすまいと長大な鎖が音をたてた。ギーアの腕ほどもある太い鎖は、その身を縛る二つの手械がここにはあるぞと主張してくる。

 しかしそれに負けるつもりはなかった。

 力の入らない手足で、それでもギーアは立ち上がる。

 

「オイ何だ姉ちゃん! マジで来てくれんのか!?」

「ヒュー! 立つ姿も色っぽいねェ!!」

「おい貴様等! いい加減にしろ!!」

 

 留まることを知らない野次の嵐に、ついに牢獄の番をする看守が叫ぶ。

 軍服に似た制服とサングラス、手にライフル銃を持った二人組の男である。男達は檻の外を交代で定期的に巡回している。一人が歩いてくる時、もう一人が立つのは上層へと繋がる階段の入り口だ。

 このLv.6を出入りする方法は二つ。一つは階段、もう一つはリフトによる移動である。今は降りていないその出入り口はぽかりと口を開け、上層へ繋がる縦穴を覗かせていた。

 狙うならばこちらだろうか。

 

(枷さえなければ私は飛べる)

 

 圧倒的な科学力を戦争に費やす祖国、ジェルマ王国の部隊長だったギーアの体には、幾つもの兵器が移植されている。両脚が内蔵する、風を噴いて空を飛ぶ装置もその一つだ。この力があれば、リフトの縦穴を行く最短の脱出経路をとれるだろう。

 そのためにもまず、ギーアを檻に繋ぎとめる手械をどうにかしなければならない。

 立ち上がり、壁際へと向かうのはその第一歩だ。

 

「よっ、と」

 

 鎖を打たれたそこへ近寄れば、手械と繋がる鎖はあまってとぐろを巻く。その側にしゃがみ込めば、鉄の輪が違え違いになって噛み合う連なりをより明確に見ることができた。

 太い鎖だ。構成する輪一つとっても掌ほどの大きさがある。

 そのうちの一つをギーアは見つめ、

 

「――よし」

 

 意気込みを入れる。

 そしてギーアは、輪の一つへとおもむろに指を差し込んだ。

 いくら大きいとはいえ鎖を成す輪の連なりである。人の手がくぐれるようにはできていない。だが強引に五指を突っ込み、隣り合う輪とのあいだに挟むように無理やり押し込んでいく。

 鉄器に噛まれる痛みが指先に走る。

 しかし堪えて、鎖を掌に巻きつけた。

 鉄の輪に噛まれたまま巻きつかれる様は、さながら蛇に捕食された獲物のようだ。実際、これからギーアが行おうとしていることはそれと似たようなものだから、それも当然か。

 今一度深く息を吸い、これから来るものに対して覚悟を決める。

 その時だった。

 

「おい、正気か?」

 

 誰の声かと思った。

 うねるような低い声が牢屋の中にこだまする。

 それは今まで一度も口を開いたことがなかった、牢屋の同居人の声だった。

 

「お前が何をしようとしているかぐらい分かる。それをして、そこから先のことをどうにか出来ると思ってんのか?」

「どうにかなるんじゃなくて、どうにかするのよ」

 

 覇気のない、しわがれた声だ。

 一体どれだけの時間をこの牢獄で過ごしたのだろうか。薄暗い牢屋よりも陰鬱な声が投げつけられ、へばりつくそれをギーアは振り払うようにして答えた。

 今は初めての会話に感動している場合ではない。諦めてしまったのだろう男にかまって覚悟を鈍らせてはいられないのだ。

 看守が別の牢屋を見回っている今が好機。その間に事を済ませなければ。

 糸玉のようになった鎖の端を素足で踏み押さえ、締め付ける力とともに痛みが増す。

 しかしまだまだ、この程度ではすまない。

 

「おい」

「私ね、外で待たせてる男がいるの」

 

 答えるのは自分に言い聞かせるためでもある。

 これから自分自身に科す責め苦を受け入れるために。

 

「だから、いつまでもこんなところにいられない」

 

 鎖を踏む足に更なる力を込め、逆に鎖に巻きつかれた手からは力を抜いてその時を待つ。ここまで覚悟を決めても、自分の顔が青ざめているのが分かってしまう。

 しかし、それでもやらなければならない。

 全てはこの監獄から脱出するために。

 さぁ覚悟を決めろ。

 痛みの時間だ。

 

「――ふっ!!」

 

 発揮できる最大の力を振り絞って、ギーアは鎖の糸玉を締め上げた。

 それはまさに、蛇が捕らえた獲物を呑み込むために締め殺すのと同じこと。巻きついた獲物の骨を全て粉々にして形を失わせる所業を、ギーアは自らの手に下したのだ。

 圧搾。

 そして激痛。

 鎖に噛みつかれ、締め上げられる手が悲鳴を上げる。

 

 「う、う、ゥ、ウ……!!」

 

 骨がよじれる痛みに涙がこぼれ、しかしそれでも止まらない。

 鎖を引き絞る力に加え、巻きつかせた腕を引いて更なる負担を手にかける。

 耐え難い激痛が増す。しかしここで悲鳴をあげるわけにはいかない。声を上げて看守に気取られればすべては水泡に帰してしまう。

 噛み締めた歯が砕けそうになるほど食いしばり、ギーアは渾身の力で鎖を引く。

 自らの手を嬲り、甚振り、締め上げる。

 自身に対する加虐に耐えて、堪えて、辛抱する。

 その果てに結果はある。

 

「――!」

 

 水風船が割れるような音。

 鎖の中で、掌が形を失う。

 

「っっ!!!」

 

 最後は、湿った角砂糖が崩れるような呆気なさだった。

 達成された自虐に悲鳴をあげるのを堪え、両肩を震わせながらゆっくりと鎖を解いていく。

 血のしたたる鎖が開かれ、中から出てきたもの。

 それは、手首と繋がるひき肉。

 ギーアの手の成れの果てだった。

 

「さすがは海楼石の鎖……! ダイヤモンド並みの硬さっていうのは本当ね……!」

 

 大自然が生み出した強度の前には、ジェルマが開発した鋼鉄の兵器も形無しだ。

 破けた皮膚からこぼれる赤い血肉と骨、それに混じってささくれ立つように鉄片がはみ出している。腕に移植された科学兵器の残骸であった。

 体の末端が崩れる感覚に吐き気がする。

 しかし駄目だ。まだ止まれない。何のために自ら掌を砕いたというのか。

 手をひき肉にして手械から引きずり出すためではないか。

 

「ぎ、ぎ、ぎ……!」

 

 骨の髄まで粉砕された手だ。

 肉が削げ、手械の輪からまろびでるのにそう時間はかからなかった。

 

「ハッ……! ハッ……!」

 

 息も荒く、汗まみれになってへたり込む。

 途方もない苦痛の果てに得られた開放だけが、ギーアの心を支えてくれた。

 この痛みをもう一回繰り返さなければならない、という事実に立ち向かわせてくれる。

 そう、もう片方の手は繋がれたままなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、はは……! やってやったわ……!」

 

 かくして激痛は繰り返された。

 その結果は両手の開放。

 まさに血と汗と涙の結実として、ギーアは枷から抜け出したのである。

 

「やるじゃねェか。だがこれでお前の人生から両手が永遠に失われた訳だ。それでどうやって脱獄する?」

 

 そこへ男は無慈悲に問いかけてくる。

 こんな相手であるから、ギーアもまた愛嬌をもって返事はしないのだった。

 

「ご心配なく。海楼石さえなければ、私の能力でどうとでもなるわ」

 

 よろりと立ち上がり、海楼石の枷によって封じられていた能力を発揮する。

 

「“脱皮(スラフレッシュ)”」

 

 その瞬間、ギーアの全身がずるりとたるんだ。

 姿勢の問題ではない。全身の皮膚と服がもろともに、少しだけゆるんだのだ。さながら、ギーアと全く同じ形をした袋を頭の天辺からかぶっているかのように。

 

「はい、これで問題なし」

 

 答えた声には、もはや激痛にあえぐ震えはない。

 口調に余裕が蘇り、苦痛を堪えて屈み気味になっていた背筋が真っ直ぐに伸びる。

 しかも、砕けたはずの手が自らの肩を掴んだではないか。

 五指は服を握り締め、そのまま勢いよく引き裂いた。布を裂くというには少し粘質で生々しい音をたて、女の似姿が破り捨てられる。

 そうして現れたのは、傷も汚れもない完璧な姿のギーアだった。

 

「悪魔の実か」

「そう、私はヌギヌギの実の脱皮人間。傷ついた体を皮として脱ぎ捨て、より強い体として再生することができる」

 

 身につける囚人服すら新品同然だ。

 あらゆる不調を破り捨てた古い自分の姿に押しつけて、ギーアは完璧な姿に再生する。

 

「なるほど、どんな傷も後から帳消しにできるって訳だ」

 

 頷く男の言うとおりだ。

 手を砕いて枷から抜き出すなどという荒業も、この能力があればこそだ。そうでなければここまで無鉄砲な真似はできない。

 

(まぁ、二度はごめんだけどね)

 

 思い出すだけでも汗が吹き出る思いだ。必要だったとはいえ、もう繰り返したくはなかった。

 と、後悔するような思いでいたギーアの耳に声が届く。

 転げるような喜色の発露。

 初めて聞く、男の笑い声だった。

 

「――ジハハハハ! やるじゃねェのベイビィちゃん!!」

 

 抜け殻のように横たわっていた男から活力の火が噴き出す。

 

「今の海にはミーハーしかいねェと思ってたが、中々どうして、覚悟を決めてやがる」

 

 身を起こし、あぐらをかいて向き直った男が影の中から現れる。

 まるで滝のように長く荒々しい金髪をした、壮年の男だった。さきほどまでのうらぶれた気配は微塵もない。意気と欲で満ち満ちた顔は凶相といっていいほどの活気を放ち、獰猛な笑みをギーアに向けてくる。

 だがそうしたものとはまた別に、その男には他の誰にもない特徴があった。

 頭だ。

 まるで鶏のトサカのように、舵輪が頭に突き刺さっているのだ。

 

(いや何で生きてるのこの人)

 

 脳天に舵輪が食い込むなど、およそ人が生きていける傷ではない。

 だが男は平然として対面している。座してなおギーアと目線を同じくする巨躯は泰然として揺るがず、まるで巨大な獣と対峙しているかのようだ。

 しかも、笑みは更に獰猛さを増す。

 

「ベイビィちゃんにも出来たんだ。これをやらねェんじゃ、男が廃るぜ」

 

 男はおもむろに手を掲げた。

 平らかに伸ばした五指が手刀を形作り、太い腕が垂直に伸ばされる。

 そこで男は静かに、深く息を吐いた。その横顔には決意がある。手を砕くと意思を固めたギーアと同じ、筆舌に尽くしがたい苦痛を自ら選びとった者特有の顔がある。

 瞑目。そして開眼。

 振り下ろされた手が黒金に染まる。

 

(覇気!)

 

 武装色と呼ばれていた力だ。

 肉体を鋼のように硬くし、力を何倍にも高める、顕在化した“意志の力”。

 投獄されるきっかけになった闘いにおいても、モリアやバレットがおおいに使っていた力を、この男もまた使って見せたのだ。

 自らの拘束を切り落とすために。

 

「ぬんッ!!」

 

 黒金の手刀は断頭台の刃。

 圧倒的な瞬発力で振り下ろされた手刀は、あぐらをかく両脚を一撃の下に叩き切る。

 皮、肉、血管、骨。そのことごとくを一太刀のもとに寸断したのである。

 

「……!!!」

 

 脛を半ばから失った脚が猛烈な勢いで血を吐き出す。

 だが男は、汗の浮く顔で歯を食いしばり、悲鳴もなく哄笑する。

 

「ジハハ、これでおれも自由だ」

 

 およそ信じられる行いではない。

 悪魔の実の能力者は一世代に一人だけ。この男にはギーアのように傷を帳消しにする力など無いはずだ。それに類似する能力がないのも、犠牲を覚悟する表情から明らかだ。

 だというのに、束縛から逃れるためだけに取り返しのつかない欠損を受け入れた。

 度し難い覚悟だ。

 

「あ、あんた……!」

 

 一歩引いてしまうギーア。それを追って男も動きを見せる。

 ひとりでに宙に浮かび上がったのだ。

 足のない男が音もなく浮遊すると、まるで幽霊のようでますます及び腰になってしまう。

 

「おれは“金獅子”のシキ。海賊だ」

 

 そんなギーアとは正反対に、男の名乗りは堂々としたもの。

 ただでさえ大きな体は宙に浮くことで更に高いところへ身を置き、その顔を捉えるギーアはなされるままに見上げてしまった。大いなるものを仰ぎ見るように。

 そんな自分に反骨の情が湧く。

 自分が仰ぎ見ると決めたのはただ一人、長にすると定めた男ただ一人だ。

 

「……ギーア。海賊よ。なったばっかりだけどね」

「そうかいベイビィちゃん。よろしくな」

 

 張り合うように名乗ったところで、その眼光すら易々と受け止める。

 やはり只者ではない。悔しいが、格上の相手であることは間違いなかった。

 覇気を体得する実力は勿論、脚を切り落として枷から逃れる蛮行を即断できる度胸は、一角の人物でなければ持ち得ないものだろう。最深層Lv.6に投獄されるだけのことはある。

 モリアと同じかそれ以上、あのカイドウに並ぶかもしれない強大な海賊なのかもしれない。

 気圧されるまま、思わず息を呑み、

 

「おい貴様等、何をしている!」

 

 苛烈な問いが叩きつけられた。

 檻の外で見張りをしていた看守達がこちらに気付いたのだ。手にしたライフル銃をこちらに向け、二人の男が駆けてくる。

 

「おうおう、看守諸君は勤勉だねェ」

 

 そう言うシキは、相変わらず薄ら笑いを浮かべたまま。

 

「んで、ベイビィちゃんはどうするんだい?」

「……決まってるでしょ」

 

 試されていた。

 あらゆる手を使って枷を外す、ここまでは大前提。

 その先を突破する実力がお前にあるのかと、その眼差しが雄弁に問いかけてくる。

 上等だ。やってやる。

 いまだ反骨の火は胸にある。

 ナメられっぱなしでは、名乗ったばかりとはいえ海賊の名折れだ。

 

「囚人共、何をしているのかと……!」

 

 看守達は檻の向こう側にたどり着く。

 そこは間合いの内だ。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

「!?」

 

 再生した手は問題なく稼動し、赤熱する掌底は檻を穿つ。

 高熱の打撃が一瞬にして鋼鉄を溶解させたのだ。あわれな看守達は、赤々とした鉄の飛沫を全身で浴びる羽目になってしまう。

 

「ぎゃァ!」

「あ、熱ゥ!?」

 

 浮き足立った男達。そこに当身を叩き込む。

 

「……ふっ!」

「ゲフッ!!?」

 

 噴き出す苦悶も短く、看守達はカビ臭い石畳へと倒れふす。

 問題なく彼等を鎮圧したところで、まず一息。脱走は第一段階を終えたといえるだろう。

 枷から抜ける。

 檻を破壊する。

 看守を倒す。

 そして、出る。

 悪魔の実の能力を用い、無傷の体でこれを完了してのける。

 もっとも、両脚を失った男というおかしなおまけがついてきてしまったが。

 

「お見事だベイビィちゃん! あざやかなお手並みだったぜェ?」

「そりゃどうも」

 

 ギーアがそうしたように、シキもゆっくりとした動きで融解した檻をくぐってくる。利用された感も否めないが、もし彼一人だったとしても何某かの手を使って抜け出しただろう。

 空飛ぶ海賊は流石の上から目線。

 しかしそれは頼りになる相手がそこにいるということ。

 

「ねぇ、あんた……」

「ウオオオオオオオオオオオやりやがった!」

 

 シキに声をかけようとした時、怒号が津波となって押し寄せた。

 

「脱獄だ! 脱獄だァ!!」

「おいお前等ァ! おれもここから出せ! 出しやがれ!!」

 

 あたりの牢屋すべてに囚人が張り付いてくる。

 誰も彼もが目を血走らせて涎をたらし、檻の外へ吠えたてる様はまさしくケダモノ。叫び、檻を揺らす音、足を踏み鳴らす音、すべてが牢獄に反響して二倍三倍に膨れ上がり、渇望の大合唱を響かせる。

 とはいえ、ギーアに彼等を連れ出す義理はないのだが。

 

「やめときなベイビィちゃん。ここにいる連中は足並み揃えて一緒に脱獄できる連中じゃねェ。人に従うことが出来ない奴が寄り集まるとロクなことにならんぜ」

「随分知ったようなことをいうのね」

「経験があるもんでね」

 

 そう言ってシキは肩をすくめた。

 投獄される前に何かあったのだろうか。シキが多くの部下を従える姿を想像していたのだが。あるいは、そういう立場になる前に、何か苦い思いをしたのかもしれない。

 と、そこで、

 

「だがベイビィちゃんはちょっと違うようだ」

 

 喧騒を無視してシキは切り出した。

 

「どうだいベイビィちゃん。おれと一緒に、ちょっとシャバまでおでかけしないか?」

「……脱獄のお誘い、ってことね」

「そうさ。おれも海に用がある。いつまでもこんなところに閉じ込められている気がないのは一緒だろう? 何ならおれの足の代わりに部下になってくれてもいいんだぜ?」

「ご生憎様、先約がいるの」

「ジハハ、振られちまった! 氷のようだぜベイビィちゃん!!」

 

 軽口の耐えない男だ。

 しかしこの男と組めば、一人でやるよりよほど確実に脱獄できるだろう。

 傲慢な態度が鼻につくが、それが実力のある海賊の立ち振る舞いだと思えば納得もできる。ここは実力との差し引きで耐え忍ぶ場面だと判断できた。

 

「だが、脱獄の前にやんなきゃならねェことがある」

 

 哄笑を潜め、真顔になったシキは意見をする。

 

「例えば?」

「まずはおれの得物を取り返さなきゃな。手に馴染んだ名刀なんだ、奴等に渡すにゃ惜しい。それに……」

「脱獄した後のこと、ね」

「そうさ、分かってるじゃねェか」

 

 そうだ。無事脱獄できたとして、その後の事も考えなければ。

 何故ならインペルダウンは、怪物の巣窟に建てられた牢獄なのだから。

 世に“凪の帯”と呼ばれる海がある。常に凪いで波一つないそこは、巨大な海洋生物、いわゆる海王類が大量に生息する危険海域だ。

 インペルダウンは、その“凪の帯”に建造されている。

 ここが難攻不落の大監獄と呼ばれる最大の由縁は、この天然の要害にあるといっても過言ではない。

 

「おれは空が飛べるが、陸地がはっきりしねェとジリ貧で落ちちまう。都合よく永久指針が見つかればいいが……」

「それだったら私にビブルカードがあるわ。あれで陸地が目指せるはず」

 

 ビブルカードは、ある一個人の爪を原料にして作る特殊な紙だ。その人物の生死を反映させ、今どの方向の先にいるのかを示すので、時に指針代わりにもなる代物である。

 

「彼は能力者だから、陸地か、少なくとも船の上にいるはず」

「成程な。じゃあまずは、看守共に取り上げられた持ち物を取り返さなきゃならん訳だ」

 

 では、と二人してみるのは上層へと繋がる階段だ。

 

「囚人から取り上げた品をまとめる保管庫がどこかにあるはずだ。見つかるまでは、下からしらみつぶしに探すしかねェな。看守共から聞きだせりゃいいが」

「先は長いわ。聞き出すなら確実に、叩きのめしながら確認しましょう」

「おおう、容赦ないねェ」

「言ってなさい。自分だって、聞き出したら始末するつもりのくせに」

「ジハハハハハ! 確かになァ!」

 

 笑って肯定するシキへ振り向かず、ギーアはLv.6から出るために進み出る。

 勢いを増す囚人共の怒号は、いまや罵声すら含んでいる。しかしその一切合財を無視して、ギーアは浮遊する男とともに階段を目指す。

 その先にある上層、ひいては監獄の出口へと至るために。

 

「さァ! 世界最大の監獄、突破させてもらいましょうか!」

 

 狙うは脱獄。

 入る者は囚人のみ、抜け出た者のない世界最強の大監獄からの脱走劇が始まろうとしていた。




インペルダウン編の開始。
バレットに引き続き、劇場版キャラクターに登場していただきました。


そういえばちょっと質問してみたいんですが。
本作のタイトルを、もっと内容が分かりやすいものに変えようかなぁとか思うんですが、どうですかね。将来的にゾンビの元になる死体を集める旅になるから今のタイトルにしたんですが、まだ大分先のことになりそうですし。もっと内容が分かりやすい題名の方が良いかなぁ、と迷っております。
今のままで良いか、変えた方が良いか、もしよければご意見ください。
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