ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

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スリラーバーク編
影満ちる時、そこで会う


 ギーアは第三の音を聞きつけた。

 一つ。壁の向こうから響く、腹の底を洗うような海が波打つ音。

 二つ。波と風の間で揺れる船、それを構成する木材がきしむ音。

 そして三つ。夜陰に沈む通路に響く足音だ。

 

(来る)

 

 木造の床をたたく音は硬く大きく、何より等間隔で規則正しかった。

 音の硬さは堅固な装具を身に着けている証拠。大きさは装具と本人の総重量を予想させ、等間隔な足取りは相手が確かな鍛錬を積んでいることをうかがわせる。

 ならず者にはない、体系化された訓練で身につけた身体能力だ。

 かつて一国の兵隊長を務めたギーアにとって、それはまさに我が身のこととして分かる。

 

(隠れる場所は)

 

 ない。

 通路は前後に伸びる一本道だ。左には月明かりが差す小窓が並ぶ壁、右には腰ほどの高さで手すりが取りつけられた壁が続いている。道幅はお互いが壁際によればすれ違える程度、身を隠せるようなものなどあるはずもない。

 小窓から注ぐ月明かりの向こうに、うっすらと人影が浮かぶ。

 ギーアの手が拳を握る。

 細くも鍛えられた二本の腕は、祖国で移植された科学兵器を秘めている。鋼鉄に勝る強度と光熱を放つ機能は、ギーアが最も信頼する武器の一つだ。

 やるか。

 

(……ダメ)

 

 今この船の者に見つかる訳にはいかない。戦闘は、見つかってしまった時の最後の手段だ。見つかる前にこちらから手を出す愚を犯すわけにはいかない。

 ゆえにギーアはするどく息を吸い、

 

「ふっ!」

 

 跳んだ。

 それは相手が見える距離まで来る、その直前のことだった。

 

「む?」

 

 現れたのは屈強な鎧姿の衛兵だった。

 丸みをおびた装甲で肩幅の広い体を包み込み、円錐形の兜をかぶっている。手には槍を携え、それを垂直に構えたままふらつかせることもなくやってきた。

 衛兵は歩みを止め、左右を見回した。

 

「ぬ……?」

 

 だがそこには薄暗い壁道があるだけだ。窓から注がれる月明かりも暗がりの床に差し、そこには何もないと淡く照らし出している。

 そう、そこには誰もいないのだ。

 だからさっさと通り過ぎろ、という思いでギーアは衛兵を見下ろしていた。

 

「……っ」

 

 ギーアは天井に張りついていた。

 天井に接する壁の際に足をつき、左右の五指を後ろ手に天井板に食い込ませ、水平になった体が落下しないよう全身の筋力を総動員して支える。

さながら十字に張りつけになったような姿で、衛兵の直上へと逃げたギーアは息を殺す。

 衛兵はそこに相手がいるとは知らず、携えた槍の穂先を突きつける形となっていた。それをどうにかしたくても、最も有効な手段は、このまま何もしないでやり過ごすことだ。

 

(早く行って……!)

 

 目の前を、喉のあたりを、胸の先をすんでのところを穂先がかすめる。

 背負いこんだ荷物のせいで、ただでさえ大きな胸をのけぞるように突き出してしまっているのだ。あとわずかにでも槍を持ち上げられれば、当たる。

 冷や汗が出そうになり、しかしそれも許されない。

 辛抱の時はどこまでも続くのかと思われたが、

 

「……気のせいか」

 

 しかし衛兵はその一言をこぼし、また歩き始めた。

 よもや侵入者が一瞬で天井に跳びつき、息をひそめているとは思いもしなかったのだろう。嘆息するように息を吐くと、ふたたび規則正しい足音をたて、衛兵は薄暗い廊下の先へと去っていく。

 ギーアが降り立ったのは、それからしばらくのことだった。

 足音を殺して着地するその顔を、窓からの月光が照らし出す。そこには衛兵をうまくやり過ごした達成感の色はなかった。むしろ顔をしかめて、今にも舌打ちせんばかりの様相で通路の先を睨んでいる。

 

「急がないと」

 

 踏み出すのは衛兵がやって来た方向。

 足早に、だがゆれる船内にあって無音に等しい足取りでギーアは行く。二本の足はもてる最大限の慎重さの下で最高速度を発揮し、影と月明かりが交互に続く通路を駆ける。

 それは一度来た道だった。

 最初は手探りで無駄も多かったが、今はそれを整理して最短距離を導き出せる。

 目当ての物を手に入れた今、早急に戻らなければならない。

 

(早く手当てしないと)

 

 その思いに従い、両の手はあるものを握りしめる。

 帯だ。左右の肩からそれぞれの脇に伸びる一対のそれは、背にした白染めのリュックサックにしっかりと縫い付けられていた。幾つもの小物を厚手の布地で包み込んだそれこそが、ギーアが苦労を重ねて盗み出した品である。

 医務室から持ち出した、薬や包帯をまとめたバックパックだ。

 これを用い、早急に治療しなければ彼の命が危うい。

 しかし、

 

(……いえ)

 

 思いをすぐに考えを改めた。早いか遅いかで言うならば、もうすでに手遅れの段階をすぎてしまっているのかもしれない、と。

 なにせ彼は、両足を切り落としてから既に何日も放置し続けたのだから。

 

(——海賊、“金獅子のシキ”)

 

いまさら顔を青ざめさせ、辛くなってきたと言い出すあの男の体力が異常なのだ。

 

(さすが、大監獄の最奥に収監される大海賊だけのことはあるってことね)

 

 その強靭な生命力は、まさに獅子にたとえられるにふさわしい男だと思えた。

 だがそれもここまでだ。

 食った者に超常の力を与える果実、悪魔の実によって空を飛ぶ力を得た男。数多の海賊艦隊を従えた大親分。そんな大海賊であったとしても、世界最大の大監獄から脱獄するには両足を切り落とさなければならなかった。

 そんな重傷を放置してここまで逃げ続けたツケが、ついに表れてしまったのだ。

 

(それでも、船に遭遇したのは幸いだった)

 

 数日にわたる飲まず食わずの海上飛行、いよいよ危なくなってきたその時に出会ったのが、この船であった。

 大きな船だ。これほどの規模なら医薬品もあるに違いない、とシキを甲板に隠し、潜入したのが数時間前のこと。巡回する衛兵をかいくぐり、こうして目当ての品を盗み出すことができた。

 だが海を行く船においてそれらは線の一つだ、確認はおろそかにしないだろう。紛失に気付かれるまで、そう猶予はないはずだ。

 そうなれば、

 

「動くのは衛兵だけじゃすまないかもね」

 

 ギーアは窓の向こうにあるものをみた。

 夜空にまたたく星空と月、しかしその景観を阻む巨大な影がそこにある。

 軍艦だ。

 闇の中にあっても映える白く巨大な帆には、その船の所属がたったの二文字で明快に記されている。

 

「——海軍」

 

 それも一隻だけではない。船にもぐりこむ前、空から降りる時にギーアは見たのだ。

 三隻。

左右と進行方向、それぞれに一隻ずつ軍艦が一随行している。

 

(どんな警護体制しているのよ)

 

 大型船とはいえ、一隻の船を守るには明らかに過剰な戦力だ。

 それでもやるしかなかった。ここで逃せばシキは力尽き、海に落ちるのは目に見えている。夜陰に乗じて監視の目を抜き、船内の警備もあざむき、備品を盗んで発覚する前に脱出する。生きながらえるにはそうするしかなかった。

 ここで移動手段となる協力者を失うわけには、まして再び捕らわれて監獄に送り返されるわけにはいかない。

 ギーアには生きて再会しなければならない相手がいるのだから。

 

「……」

 

 ギーアは懐から一枚の紙片を取り出した。

 ビブルカード、人をたどる紙だ。個人の爪から作るそれは、元になった人間のいる方向を示す性質がある。手の平を水平にすれば、その上で紙片は這いずるように一方へ進みだす。

 その先に、約束の相手がいる。

 

「……モリア」

 

 感情が熱を上げた。あとどれだけ行けば再会できるだろうか、と。

 ゲッコー・モリア。

 自らの船長と定めたその男。

今は亡き彼の仲間から託され、奴隷同然に折られた心を彼が立ち直らせたその時から、彼はギーアにとっての主となった。彼と最後に交わした約束は、大監獄での日々、そこからの脱獄においても幾度となく立ち上がる力をくれた。

 絶対に生きて戻る、と。

 

「よし」

 

 誓いを思い起こし、決意を新たにする。

 そうしてギーアはビブルカードを再び懐にしまおうとして、

 

「え?」

 

 それの異常な動きに気付いた。

 

「何、この動き」

 

 掌の上のビブルカードが、小刻みにブレた動きを見せたのだ。

 

「彼が傷ついてる、訳じゃないのよね」

 

 ビブルカードにはもう一つ、示す相手の生命の危機を表す性質がある。しかしそれは危機に応じて焼け落ちるような形で表される。手の内にあるビブルカードが示す異常は、そういったものではない。

 動きに変調を来しているだけ。そう、まるで、

 

「指す相手を迷っているような」

 

 どういうことだろうか。

 思った時だ。船に激震が走ったのは。

 

「——!!?」

 

 船自体が太鼓とするような轟音と揺れ。

 津波か、ギーアは思った。しかしそれをすぐに否定する。轟音は海が波打つ音ではなかったし、自然現象であれば予兆があるはずだ。何よりその大きな揺れは下からではなく、頭上で発生したように思われた。

 まるで甲板で大きな力が起き、船を殴りつけたような。

 そこまで考えて、ギーアの脳裏に予感がひらめいた。

 

「……まさか!」

 

 思わずつぶやき、ギーアは駆け出す。忍ぶことをやめた全力疾走で甲板を目指した。

確かめなければならない、そう思ったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る勢いをそのままに、ギーアの足が甲板への扉を蹴破った。

 そこに広がっているのは闇夜にさらされた広大な甲板だ。頂点に月をいただく全天の星明りが照らし出すその場所は、船内の通路よりよほど明るいのではないかと思われた。

 それだけにそれらは良く見えた。

 甲板にうずくまり、肩を震わせてうめく者どもの姿が。

 

「ぐ、ぉ」

 

 夜陰でも見て取れる白い服は、海軍の軍服だ。

 ある者は肩を、ある者は胸を切り裂かれて、割れた体からあふれる血潮を抑えようと必死に手を当てている。だが噴き出す流血は合間をぬってこぼれ出し、白い軍服を染め、甲板に赤黒い水たまりを広げていく。

 誰も彼もが切り伏せられる鮮血の庭。そこに立ち続ける者がいるとしれば、それは彼らを切り伏せた刃の持ち主をおいてほかにいない。

そう、うずくまって震える彼らの先に立つ、一人の巨漢のことだ。

ギーアは、その猛々しい金髪の持ち主が誰か知っていた。

 

「シキ!」

 

 ギーアは叫ぶ。もはや隠れることを諦めた、その声で。

 早足の勢いでシキへと詰め寄り、こちらへと振り向く男の太い腹に指を突き立てた。にやけ面で見下ろしてくる相手の顔を引き絞った目つきで睨み上げ、

 

「どういうつもり!?」

 

 身長さえ合うなら、胸ぐらをつかんで揺さぶってやりたい気持ちだった。

 

「戻るまで隠れてろって言ったでしょ!」

「ジハハ、気にするなベイビィちゃん!!」

 

 しかし当の男、シキはこちらの怒りにもどこ吹く風。

大仰に肩をすくめて、

 

「——手当てなら済んだぜ!!」

 

 シキはしわの深い顔に壮健な歯を輝かせ、ドラを鳴らすような声で宣言する。

 そこに、別れ際に見た半死半生の弱弱しさはみじんもない。両足の流血により蒼白になっていた顔と唇、冷や汗で首まで濡れそぼっていた姿はどこにもなかった。

 赤ら顔とは言わないまでも、活力のある笑みを向けてくるではないか。

 

「手当てって……」

 

 薬や包帯の類はなかったはずだ。だからギーアはそれを盗みに行ったのだから。

 彼にあるのはご自慢の得物、二振りの剣があるだけ。それでどうやって手当てをしたというのか。

 そう思い、そう問おうとして、

 

(待って)

 

 疑問を得た。

 どうして今、自分はシキを見上げているのか、と。

 

(いくら大柄だからって、足を無くした体でそこまで大きいわけない)

 

 否、シキには宙に浮く能力がある。

 この船に逃げてくるまでも存分に使っていた力だ。そうだ、今もそれを使って両足があるのも同然の高さにまで浮いているに違いない。そうに違いない。確信を持って言える、それ以外にあり得ない。

 だというのに、この胸騒ぎは何だ。

 心の奥でささやく、疑念の声はなんだ。

 本当に彼は、そんなことで済ますのか、と。

 

「考えてみりゃ簡単なことだったぜ、傷口を塞げば良いんだからな!」

「……」

 

 聞くな、考えるな、よぎる想像を否定しろ。

 だというのに、するべきではないと分かっているのに、どうして首は勝手に動くのだろう。首の骨が錆びついたような動きで、ギーアはシキの足元を見てしまう。

 そこにあったのは、

 

「え」

 

 刃だ。

 人の足というにはあまりに薄く鋭くきらめく一対の白刃が、シキの膝下から生えている。

 ギーアはそれらに見覚えがあった。他に何があろう、それはシキが自らの得物として大監獄からの脱出時に取り戻した二振りの愛刀に他ならない。

 その剣が、両膝の先から生えている。

 

「あ、あんた」

 

 声がふるえるのを禁じえなかった。目をこぼれ落ちそうになるほど見開き、ふるえる唇は信じがたいものへと声をかける。

 ふたたび見上げたシキの顔は、やはりにやけ面だった。

 

「どうだ! 足ができたぜ!!」

「バカじゃないの!!!?」

 

 切り落とした足に剣を突き刺して義足とした男へ、ギーアは一世一代の罵倒を叫んだ。

 それは奇しくも、甲板に衛兵の部隊が踏み込むのとほぼ同時のことあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでだ密航者ども!!」

 

 ギーアが通った扉から、シキの背後にある別の扉から、あるいは他の扉から、それを勢いよく開いて現れた男たちが甲板をまたたく間に埋め尽くす。

彼らの多くは衛兵だったが、中には海兵もいた。突きつけられた槍の穂先に混じり、軍服の男たちがライフルの銃口を向けている。

 敵意と警戒に突き動かされた彼らは、一瞬にしてこちらを囲む円陣を作り上げた。

 

「貴様ら何者だ! ここが誰の船か分かっているのか!?」

 

 衛兵の一人が兜越しに怒声を響かせる。腰を落とした構えは、何かあれば即座にこちらへと突撃する準備に他ならない。同じ構えが、実に十数人分。くわえてライフルまで狙いをつけているとなれば、そのすべてを避けることなどまず不可能といえた。

 ギーアとシキは、それらの得物が囲む小さな空白地帯の中心にいた。

 

「……ねぇ、ちょっと」

「あぁん?」

「どうすんのよこの状況。船中を駆けずり回った私の苦労を返してよ」

「ジハハ、下らねぇ。だったらこのカスどもをまとめて蹴散らしてやるよ」

「無駄にやりあうだけの体力が、今のあんたにあんの?」

 

 包囲網を前にしても変わらずにやけていたシキが、ここではじめて表情を変えた。

 わずかに細められた眼差しが滲ませる威圧感。それは、次に放つ言葉によっては逆鱗に触れかねないという、言外の警告だった。

 誰に向かってものを言っている。

 音もなく伝わってくる彼の意図に、首を絞められるような思いがした。しかしここで及び腰になることもまた彼の満足する答えにはならないだろう。

 腹に力を込め、続く言葉を絞り出す。

 

「ここでやりあう意味がないわ。退きましょう」

 

 包囲網は面倒だが、戦って敗ける相手ではない。

 だが槍を弾き、弾を避け、あと何人控えているかも分からない衛兵と海兵をすべて始末して、そこで得られるものはその戦闘と消費に相応しいものといえるだろうか。

 シキは手当てをしたとのたまうが、足に剣を突き刺して義足にするなんて無茶な処置をして、まともな体調のはずがない。ただでさえ飲まず食わずで空を飛び続けた後なのだ、戦闘による消費も、戦った後の疲弊も、並みならぬものとなるだろう。

 何より、いざ戦うとなれば相手は衛兵や海兵だけではすまない。

 

「下手したら、軍艦が動くわよ」

 

 今はまだ動いていないが、戦いが長引けば軍艦からの増援が来るだろう。最悪、砲撃によって甲板ごと吹き飛ばされるかもしれない。これほどの護衛がつく重要な船を吹き飛ばすとは考えにくいが、こと正義に徹底した時の海軍がとる行動は常軌を逸しているのだ。

 これらの危険をふまえて、このまま戦う意義がここにはあるのか。

 

「……いいだろう。ここでカスどもの相手をしてもつまらん」

 

 シキは賢い男だ。理が伴う諫言を受け入れるだけの度量もある。男は鼻を鳴らし、こちらの言葉にうなずいた。

 

「能力で船をゆらす、その隙に飛べ」

「了解」

 

 ひそめた男の言葉にギーアもうなずき、静かに腰を落とした。

 その様子に気付き、衛兵たちはにわかに殺気立って武器を構える。

 

「おい、動くな!」

 

 包囲網を狭めようとする。だがそれももう遅い。

 

「どっこいしょォ!!!」

 

 衛兵が駆けるより、海兵が銃の引き金を引くよりも早く、シキの掌底が甲板を突く。

 そして彼の力は駆け巡り、ここにいる者たちにとっての天変地異が果たされる。

 世界が横転したのだ。

 

「!!!?」

 

 地が、否、船がかしぐ。

 さながら首をかしげるように、巨大船が傾いていく。それは緩やかな動きであったが、しかしこれほど大きな船であれば乗る者への影響は計り知れない。

床だったはずの甲板は壁同然となり、何もかもが眼下に広がる海原へと落ちていく。

 

「う、うあああああああああああ!!」

 

 衛兵や海兵たちが、一斉に転がり落ちた。

 幸運な者は網や柵、帆柱にしがみついていたが、大半は宙に投げ出され、夜より暗い海面に水しぶきをあげて落下していく。

 誰もが転がり落ちる中、ギーアは鋼仕込みの指を甲板に食い込ませ、耐える。

 

(こういう時便利よね、フワフワの実の能力!)

 

 自身と一度触れた無機物を自在に浮かせる力。一人で一軍を崩せる力だ。

 だが、ギーアはいつかそれを破らなければならない。

 

(シキとモリアは必ずぶつかる。その時までに……)

「おいベイビィちゃん、何してる!」

 

 強大な力を前に思索へ沈んだ意識を、頭上からの声が呼び覚ました。

 シキだ。見上げた先、月を背にして空に浮かぶ男が、険しい顔でこちらへ声を飛ばす。

 

「とっとと来な、ズラかるぞ!」

「分かってる!」

 

 ギーアは甲板を蹴り、それとともに足が秘めた化学兵器を起動した。足にうがたれた排気口から突風を噴き、砲弾にも等しい大跳躍が果たされる。

 疎ましくもある祖国の遺産は、空中にいる協力者との合流を確実のものとした。

 この男が将来の敵になるとしても、今はなくてはならない協力者だ。脱獄も半ば、まだ彼には力を貸してもらわなければならない。内心の敵愾心は、努めて秘めるべきだ。

 だから伸ばされたシキの手をとるべく、ギーアも手を伸ばし、

 

「……!?」

 

 悪寒。

 気迫が首筋を削った。

 

「——させん」

 

 いる。

 いた。

 男が宙で身をひるがえしている。

 

「な」

 

 長く細い刀身を月光にかざされ、

 

「“野伏魔《のぶすま》”!!!」

「!!!?」

 

 滝に等しい斬撃が降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣圧の瀑布がギーアを撃墜する。

 体が両断、否、四散してもおかしくない重圧だ。そうならなかったのは肉体が強化改造されていたから、何よりこらえるところのない空中で受けたからに他ならない。もしいたずらに堪えられる地上で受けていたら、ひとたまりもなかっただろう。

 威力に乗ってダメージをできる限り受け流す。

 しかし叩き落されるという事実は、それはそれで新たな危機に向かう。

 海だ。

 船が傾いている今、眼下には大海原が広がっている。

 

「ベイビィちゃん!」

 

 一瞬で遠のくシキの呼び声。

 直後、巨大船が揺り戻してギーアを受け止めた。

 

「ぐぁ!!」

 

 甲板の強固な材木に正面から激突した。

 最初にぶつかった右肩が食い込み、周囲を一瞬で陥没させ、砕けた破片を飛び散らせる。叩き付けられた衝撃で全身の骨が震え、内臓はすくみ、筋肉が痙攣した。強い揺さぶりに思わず脳が意識を手放しそうになってしまう。

 上からの斬撃、下からは甲板の殴打。ギーアの余力はまたたく間に削られる。

 それでも、海に落ちなかったことを幸いに思わなければならないだろう。

 ギーアもシキと同じ、海に嫌われた悪魔の実の能力者。一人で海に落ちれば助からない。シキがとっさに船を操り受け止めていなければ、今頃海中深くに没していた。

 代わりに得た甲板への墜落は、十分な痛みとなったが。

 

「ぁ、ぐ」

「しぶとい」

 

 身を起こそうとするギーアに声が降る。

 刀を携えたその男は、ギーアを撃墜せしめた者にほかならない。

 

「お、まえ」

 

 精悍な男だ。

 鷲を思わせる鋭い眼光、彫りの深い顔は長い口ひげを蓄えている。頭は高波を描くようなモヒカンヘアで、そこから続く太い首筋は屈強な胸板へと繋がっていく。広い肩幅、分厚い胸板、長く太い手足は鍛錬の結晶だ。

彼がいかに屈強であるかは、身につけているもので分かった。

 縦じまのスーツの上、肩に羽織る大ぶりなコートがはためいていたのだ。それはある組織において、実力と功績を認めらえた者にのみ与えられるものだ。

 正義の二文字を背負うコート、それを持つ者をギーアは知っている。

 

「海軍将校……!」

「モモンガ准将ォ!!」

 

 かろうじて甲板にしがみついてた海兵の一人が声を上げる。

モモンガ、それがこの男の名前か。

 

「海賊シキ、それに連れ立つ女。……貴様ら、インペルダウンの脱獄者だな」

 

 将校、モモンガの眼光が鋭さを増す。

 どうやら大監獄が脱獄者を出したという情報はすでに出回っているらしい。准将を動員したこの警備体制はそのせいだとでもいうのだろうか。

 苦虫を噛む思いでギーアはモモンガを睨みつけ、

 

「な……!」

 

 奴は眼前にいた。一拍のうちに踏み込まれたのだ。

 白刃が振り下ろされ、辛くも右腕で受け止める。

 

「ぬ」

 

 モモンガの目がわずかに見開かれた。

 だが驚きたいのはこちらの方だ。鋼仕込みの腕に武装色の覇気を加えて、ようやくこらえられる剣撃とは、一体どれほどのものだというのか。

 こちらは未だ甲板から半身を起き上がらせたばかり。両膝と左手を甲板について、そこまで堪える姿勢をかためて、なおモモンガの一刀は圧倒しようとする。

 

「覇気、……しかし練度があまい!!」

「うァ!!」

 

 押し切られた。

 モモンガの膂力は右腕を押し退け、長大な刃が首筋に迫る。

 

「ううゥ!」

 

 ギーアは首と肩も武装色で硬化させ受け止めた。

 しかしそれは、首筋のすぐ隣に敵の刃を置くことに他ならない。こちらの覇気ごと切り裂こうとする敵の力に、食いしばった歯から苦悶がもれる。

 敵は歴戦の勇士。覇気に目覚めたばかりのこちらでは一時しのぎがせいぜいだ。

 

「ベイビィちゃん!」

 

 シキの声が遠い。ダメだ。空にいる彼では間に合わない。

 断頭台にも等しい海軍将校の刃が押し切る方が早い。

 

「これで終わりだ!!」

 

 モモンガの喝に、刃が重みを増す。

 覇気が割れる。

 

(……う、ぁ……!)

 

 もたない。

 ダメだ。

 死ぬ。

 そして、

 

「!!!?」

 

 モモンガが真横に吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 剣圧が失せ、まるで体が浮き上がるような思いがした。

 ふらつき、刃をこらえていた腕を甲板につき、こうべを垂れるようにしてうずくまる。それから刀が当てられていた肩を撫で、一つの思いを得た。

 助かった。

 

(でも、どうして)

 

 迫る死をまぬがれた体が一気に弛緩し、震えとともに汗が噴き出す。だが心まで浮足立つわけにはいかない。ここはまだ戦場なのだ。

 この状況下でどうして助かったのか。

 否、誰が助けたのか、それを確かめなければならない。

 

(今、私を助けてくれる人なんて)

 

 シキは遠い。

 目前には敵。

 海上にあるこの船に駆けつけてくれる味方など、

 

「ぁ」

 

 いた。

それはギーアの眼前にいた。月明かりに映える、闇夜よりも黒いものがそこにいた。

 それは巨大な人型の影だ。

 見上げるほど大きなそれは、その太い腕を持ってモモンガを殴り飛ばし、今こうしてギーアとの間を遮るように立ちはだかっている。

 

「何者だ!!」

 

 モモンガの問いに影は答えない。

 しかしギーアはその正体を知っていた。

 この場でただ一人、それが何であり、誰の力であるのかを知っていた。

 

「“影法師”」

「……キシシ、約束通り生きて戻ったな」

 

 やがて人影が色づき始めた。

 頭の先から、まるで染み込んだ墨が抜け落ちるようにして影は正体を現していく。

 そこに、鬼を思わせる巨漢が出現した。

 それまでの闇色とは正反対の、血の気もない色白な肌。炎のように逆立つ髪。額から生える二本の角。鋭い歯に縁取られた口は頬まで裂け、凶悪な三白眼があざけるように細められている。

 袖を通す黒革のジャケットは開襟され、たくましい胸板と腹筋をさらしている。同じ色のレザーパンツを履き、腰にはその巨体に相応しい長大な刀を帯刀している。

 そして今、刀は抜き放たれた。

 ギーアへの万難を断ち切るために。

 

「どうして、ここに」

「バカ野郎。てめェがビブルカードを作れって爪を寄こしたんだろうが。それでいざ作ってみれば、何べんも死ぬような目に遭いやがって」

 

 だが、

 

「——よく生きてた。だからおれも、間に合った」

 

 そうか。

 自分がそうであるように、彼もまたそうであってくれたのだ。

 ギーアが彼のビブルカードで辿るように、こちらのビブルカードを作った彼は、それを頼りに“影法師”を飛ばしていたのだ。見つけ次第、“影法師”と入れ替わる力を使って合流するために。

 そうして理解する。さっき見たビブルカードのおかしな動きの意味を。

 指す相手を迷うような動き。あれは人と影、本来なら分かれるはずがないそれらが大きく別れて動いていたから、それゆえの動きだったのだ。

 それはきっとこの世で彼だけが起こせる現象。

 悪魔の実、影を操るカゲカゲの実の能力者である彼だけが。

 

「——モリア!!!」

 

 ギーアが定めるただ一人の主。

この大海原に名を馳せる大海賊が、そこにいた。




ご無沙汰しております。長らく間を開けてしまい、すみませんでした。

オリ主も一章間をおいてご主人様と再会。
“影法師”が空を飛べる設定については、作中でルフィに捕まえられた後にモリアの下まで飛んで行ったので、そのあたりを拡大解釈をしています。

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