ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

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モリアの“ふるい”

「来たわよ、モリア」

「ああ、見えてる」

 

 夜空を見上げるギーアにモリアは応じた。

 それから間もなく、見上げるほど大きな塊が甲板に降りてくる。

 闇夜を飛行してきた黒塗りの人影だ。その正体は、

 

「よく戻った、俺の“影法師”」

 

 モリアに宿る悪魔の実の能力により実体化した、彼の影だ。言葉こそ発さないが、その姿はモリアと瓜二つである。

 主であるモリアの出迎えに、“影法師”は肩を揺する。

 どうやら笑っているらしかった。

 

(本体と違って陽気よね)

 

 だがその手にあるものを見れば、余人は不気味さに恐れをなすだろうとギーアは思う。

 土色に干乾びた死体が握られていたのだから。

 

「よしよし、忘れずにリューマの死体を持ってきたな。お前との“入れ替わり”でここに来たおれでは持ち込めなかったからな」

 

 “影法師”から手渡された死体を掴み上げたモリアは、凶悪な顔に残忍な笑みを浮かべた。

 死体の風体は独特だった。

 色あせた髪でマゲを結い、薄布で作った着物をまとう姿は、遠い異国、ワノ国の格好だ。

 しかも腰から下げた一振りの刀は、その死体がワノ国の代名詞と言うべき存在だと証明している。

 

「ワノ国の戦士、サムライは強大な戦力。使わない手はないものね」

「ああ、しかも今は丁度よく強者の影が手元にある」

 

 モリアはかたわらに控える者を見た。

 みにくい男がそこにはいた。血の気の失せたぜい肉をローブに包んだ男は、よどんだ瞳で押し黙っている。

 モリアの能力で作られたゾンビである。

 生前は天竜人という特権階級として横暴にふるまった者のあわれな末路であった。

 

「いつまでも雑魚の中身にしておくのは宝の持ち腐れだからな」

 

 そう言ってモリアはリューマの死体をかかげ、声高に命令を下した。

 

「――出てこい、ゾンビの中の影よ! お前の新たな入れ物はこのサムライ・リューマだ!!」

 

 その瞬間、天竜人のゾンビが跳ねた。

 

「アッ!!」

 

 背をのけぞらせ、大きく開かれた口が天をあおぐ。その奥から這い出すものがあったからだ。

 漆黒のものである。

 モリアの能力で実体化した影だった。

 はらわたを引きずり出されたように震えるゾンビ。影はゾンビの原動力なのだから、そのような反応がでるのも当然なのかもしれない。

 

(ゾンビは、切り離された影によって動く)

 

 モリアが持つカゲカゲの実は、本来投影にすぎない影を形にし、時として本体から奪うことができる。そうして分かたれた影を死体に仕込めば、ゾンビという動く死体の完成である。

 ゾンビは支配者であるモリアに従順だ。

 だからこそ、下された彼の命令を忠実に実行する。

 

「ア……ッ!!」

 

 ついに影が死体から引き剝がされた。

 飛び上がった影がリューマの死体に吸い込まれるのとほぼ同時に、支えを失った天竜人の死体が甲板に倒れ伏す。

 そして中身を得た死体は動き出した。

 

「オォ……!!」

 

 干乾びた喉が雄叫びをあげ、モリアの手から解き放たれる。

 甲板を打つ下駄の音。振り返ったサムライのゾンビはきびきびとした立ち振る舞いでこちらへと敬礼した。

 手の平を相手に見せない、海軍式の敬礼だった。

 

「お呼びですか! ご主人様!!」

 

 リューマの佇まいはまるで一流の海兵のようだ。

 当然だ。この肉体を動かしているのは、先日ギーアたちを追い詰めた海軍将校の影なのだから。

 

「……やっぱり性格は海兵のものになるのね」

「仕方ねェだろ。ゾンビの性格と技は中身の影によるからな」

「まぁ、従順みたいだからいいけど」

 

 ともあれ、

 

「これで完全復活ね、モリア」

 

 モリアの傍にいた“影法師”は、今は彼の足元で元の影に戻っていた。

 ギーアを助けるべくこの巨大船に乗り込んだ時、手放していたものを取り戻した証拠だった。みずからの影と奪い取った影で動くゾンビを従える、これこそカゲカゲの実の能力者であるモリアのあるべき姿だ。

 

「おう。あとは、兵力の頭数を揃えるだけだな」

 

 そう答えたモリアは、凶悪な笑みでするどい牙をむき出しにした。

 眼下の光景が彼にとって愉快なものだったからだ。

 

「ぐォ……!」

 

 そこには大量の海兵が苦悶しながら這いつくばっていた。

 

「う、うげェ……ッ!」

「オェ……ウプッ!」

 

 屈強な男たちが、誰も彼も顔を青くして脂汗を流し、太い腕で腹や喉をおさえている。食いしばった歯からは泡立つほどの唾液がこぼれ、中には吐しゃ物に顔をうずめる者さえいる。

 ギーアには、凄惨を通り越してあわれな光景に見えた。

 

「……本当にいいの? ステラ」

 

 モリアのような笑みを浮かべられなかったギーアは、隣にいるもう一人の仲間の様子をうかがった。

 長い金髪の少女、ステラである。

 

「……いいんです。せめて私が見届けなくちゃいけない」

「ペローナは?」

「船室で寝ています。あの子には背負わせられません」

「殊勝だな。だが影を差しださない以上、それぐらいの気概は欲しいところだ」

 

 悲壮な表情のステラにモリアは鼻を鳴らす。

 そんなこちらを見て、うずくまる海兵たちが顔をあげた。

 

「き、貴様ら、先日の海賊……!」

「我々に、何をした……!?」

「簡単よ。あなたたちの食事に一服盛ったの」

「……バカな!!」

 

 短く答えたギーアに、海兵たちはがなり立てる。

 

「料理長たちがそんなことを許すはずがない!」

「悪いわね。彼と……あと船医さんには、先にゾンビになってもらったわ」

「なんだと!?」

 

 大量の海兵を相手取るならいざしらず、ほんの数名を不意打ちで仕留めるのは難しくなかった。

 コックと船医をひそかに討ち取ったギーアとモリアは、彼らの姿と職務を利用して乗組員たちを罠にはめた。

 医務室の薬品を彼らの食事に混ぜたのだ。

 

「ゾンビ!? まさか貴様ら……!」

「うるせェ海兵だぜ。これからくたばるお前らがそれを知ってどうする」

「何……!?」

「おい、出てこいてめェら!」

 

 放たれた号令に、姿をあらわす者たちがいた。

 

「な、なんだお前たちは!?」

 

 ギーアたちが解いた元奴隷たちだ。

 彼らは海兵に応えない。

 やせ細った手にナイフや銃を持ち、落ちくぼんだ目をらんらんと輝かせる様はまるで餓えた狼だ。

 後から後から出てくる元奴隷たちは、倒れている海兵一人一人の前に立ち、感情のない面持ちで哀れな姿を見下ろす。

 無言の彼らに海兵たちが顔色をことさら青くした頃を見計らい、モリアは高らかに宣言した。

 

「さァお前たち! 試させてもらうぜ!!」

 

 それは彼から解放奴隷たちに向けた“ふるい”だった。

 

「一人につき一人! 自分の影が入る死体を作ってみせろ! それができた奴だけおれの部下として連れ出してやる!!」

「!!!」

「くたばり損ないの海兵にとどめもさせねェヤツに、どのみち海賊はつとまらねェ!! さァ、奴隷をやめて生き延びてェなら覚悟をみせろ!!!」

 

 叫ばれた宣言を聞き、ある海兵は息を呑み、また別の海兵はぽかんと口を開けて呆けてしまった。

 だが武器を構える音が重なった瞬間、震えあがったのはどの海兵もが同じであった。

 

「こいつを……こいつを殺せば自由になれる……」

「や、やめろ……やめてくれ……!」

「こんな事をして、どうなるか分かってるのか!?」

 

 海兵たちも必死だ。誰もが涙を浮かべて目の前の元奴隷に命乞いをする。

 しかしそんなものは余命を縮めるだけであった。

 

「――うるせェ!!!」

 

 次の瞬間、甲板の一角で血しぶきが舞った。

 そこには元奴隷の一人が海兵にまたがり、喉にナイフを突き立てている光景があった。

 

「おれたちを助けなかったくせに……見捨てたくせに! なんでおれたちは助けなきゃなんねェんだよ!!」

 

 絞り出すような声だ。

 それは同じ境遇にある者たちの決起を促す。

 

「……そうだ……そうだよ!!」

「こいつらは誰も!! おれたちを守ってくれなかったじゃないか!!!」

 

 そこからは凄惨な時間であった。

 

「やっちまえ!!」

「ギャッ!!」

 

 一人死んだ。

 

「くたばれ!!」

「ヒギ……!」

 

 また一人死んだ。

 

「くたばれ海兵!!!」

「ウギャアアアアァ――――ッ!!」

 

 何人もが同時に死を迎えた。

 

「なにが海軍! なにが正義!! 天竜人なんてクズを守ってるクセに!」

「奴隷にされたおれたちを無視しやがって! お前たちなんか誰も助けねェよ!!」

「や、やべで……ガァッ!」

「助けて……助げで……」

「こんなところで死にたくない……! 死にたく……アァッ!!」

「イヤだああああァァァァァ――――――!!!」

 

 悲鳴はことごとく無視された。

 かつて海兵たちが、自分に向けられた元奴隷たちの視線をそうしたように。

 

「………………ッ」

 

 ギーアの隣で、ステラは唇を噛みきらんばかりの顔をしていた。

 彼女にかける言葉をギーアは持っていなかった。優しく賢い彼女を慮る気持ちはある。しかし、彼女もまた海賊として生き延びる道を選んだのだ。

 境遇に同情はあったが、業を背負うと決めた以上、下手な情けは彼女への侮辱となる。

 そうして幾ばくかの間が過ぎて、

 

「ハァ……! ハァ……!」

 

 後に残ったものは何もかもが血まみれだった。

 赤く染まった甲板の上には、返り血を浴びて立つ者たちと、全身の血を溢れさせた者たちだけがある。

 伏した海兵たちが悲鳴をあげることはもうない。恐怖も苦しみも、もう感じることのない体になったのだから。

 やがて元奴隷たちは、誰からともなくこちらを見る。

 そこに怯えや挫折の眼差しはない。あるのは、譲れないもののために一線を越えた修羅の眼光だけである。

 彼らが本当の意味で奴隷から脱却した瞬間だった。

 

「――よくやった、てめェら」

 

 そんな彼らをモリアは称賛した。

 

「今からてめェらは! このゲッコー・モリアの部下だ!!」

「ようこそ海賊の世界へ」

 

 ギーアもまた彼らを迎え入れた。

 無法者の世界に彼らを引きずり込んだこと、その責任が自分にはあると思っていたから。

 

「今からてめェらの影をそこの死体に移す! 月明かりで自分の影がよく映るようにしろ!」

 

 新たな部下たちはモリアの命令に従った。

 夜空と足元を見比べ、夜陰にみずからの影が隠れないように立ち位置を改める。全員がそうしたのを見届けて、モリアは声高に能力を発動させた。

 

「“影の集合地(シャドーズ・アスガルド)”!!!」

 

「!!」

 

 その瞬間、モリアの影が無数に枝分かれしてするどく伸びた。

 さながら獲物に跳びつく蛇の速度で元奴隷たちの足元に伸びた影の先端は、彼らの影と一体化を果たす。

 そして、

 

「オァ……ッ!?」

 

 元奴隷たちの影が吸い上げられ、それとともに彼らは白目を剥いてその場に倒れた。

 先日の戦いと同じだ。影を奪われた者は数日間意識を失う。

 そうやって部下の影を切り離したモリアの影は、新たな標的へと飛びつく。

 転がっている海兵の死体だ。

 

「さァ目覚めろ海兵のゾンビ! おれの部下として立ち上がれ!!」

 

 大きな鼓動が響くようだった。

 枝分かれしたモリアの影が張りついた海兵の死体が地を打つ鞭のように跳ね、

 

「……アァ~~~~~……ッ!」

 

 声をあげた。

 元奴隷たちと入れ替わるように起き上がったそれらは、まさしく気怠そうなうめき声を上げ、白濁した目をギーアたちに向ける。

 無数の死相に注目される光景は、まったくもって異様であった。

 

「お呼びですか、ご主人様」

 

 しかしゾンビは従順だ。それこそが彼らの特性なのだから。

 

「最初の仕事だ。お前らのもとになった影の、もと主たちを船内に運び入れろ」

「はい」

「その後は残党狩りだ。まだ残っている海兵と、あと衛兵どもを探し出して捕らえろ。リューマ、てめェが指揮をとれ」

「はっ! 了解しました」

「よし行け!!」

 

 モリアの指示を受け、リューマに率いられたゾンビたちは、めいめいに元奴隷を担いで船内へと消えていった。

 影を失った人間は太陽の下に出られないからだ。あのまま朝になるまで甲板に放置すれば、せっかくの部下をまとめて失ってしまう。

 そうして甲板にはギーアとモリア、ステラだけが残される。

 そこへ新たな人物が加わった。

 

「段取りはついたようだな、若造」

 

 シキだ。

 舵輪の埋まる頭と双剣を義足にした異様な風体を持つ男は、音もなく空から舞い降りる。

 

「おかえりなさい」

「てめェこそしくじってねェだろうな」

「誰にものを言ってやがる。このおれにぬかりはねェよ」

 

 顔を合わせればまたたく間に衝突する二人である。仲裁できるのは自分しかいなかった。

 

「これで兵力は確保できたわね」

「他の軍艦にいる海兵まで手は回らねェがな」

 

 ギーアが間に立つと、モリアはしぶしぶといった風に矛先をおさた。シキもまたあごひげをしごき、一時考え込むようにしてから頷いてくれる。

 

「これでこの巨大船は制圧できたようなもんだな。兵力はどれぐらいになる?」

「解放した彼らと海兵のゾンビ、全部合わせて1000人ってところね」

「対して海軍は軍艦三隻と乗組員が2400人。さらに目的地には同等以上の兵力があるだろうから、これは倍増するだろう」

「……兵力差は五倍かそれ以上ってことね」

「目的は皆殺しじゃねェ、会場にある宝と船をいただいて逃げることだ。来場客も多いだろうから、混乱させりゃ目はある」

 

 モリアはそう締めくくると、押し黙っていたステラにするどい眼差しを向けた。

 

「おいステラ。通信の改ざんはしくじってねェな?」

「……はい、問題ありません」

「よし。――それでギーア、本当に影をなくした連中も兵力にできるんだな?」

「大丈夫よ。私の能力ならできる」

「頼むぜ、兵力差を少しでも埋めにゃならん。……おい、ジジイ」

「ジハハ! 仕切ってんじゃねェよ! 問題ねェ、せいぜいひっかき回してやるさ」

 

 その答えにモリアは腕を組み、にやりと満足そうな笑みを作った。

 そりの合わない二人であったが、互いに相手の実力は認め合っている。できると言った以上、それを疑うことはないだろう。

 

「……やるぞ、てめェら」

 

 モリアのうなるような声に一同は頷く。

 やりとげる、四人の意思はすでに一つになっていたからだ。

 

「――海軍を出し抜き、宝と船を奪ってやろうじゃねェか!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 船が目的地に着いたのは数日後のことだった。

 広くもない陸地の大半を港と港町にした、まさに会場のためにあるような島がそこにある。

 中央には海をのぞむ扇形のコロシアムとでもいうべき施設があり、露天の客席には王冠をかぶった男や豪奢なドレスをまとう貴婦人が席につき、隣り合う者と談笑しているのが遠目にもわかった。

 しかしそんな者たちはどうでもいい。

 今ギーアが目を離せないのは、港湾に停泊する巨大な船である。

 

「……大きい」

 

 まるで海に浮かぶ城だ。

 雲をさえぎる壁のような帆の下には、塔をいただく大舘がある。横に取りつけられた巨大な滑車は、まさか舵輪だろうか。これほどの規模なら舵輪も比例して大きくなるのかもしれない。

 館の外縁は生い茂る木々で囲まれているが、ということはあの下には土があるのか。森を載せる船の存在に、ギーアはおどろきを禁じえない。

 なるほど、これは天竜人も目をつけるに違いない。

 とはいえ、

 

「キシシ、いいじゃねェか! こいつは奪い甲斐がある獲物だぜ!」

「ちょっとモリア、声が大きい」

 

 隣にいる船長のように、歓声をもらすことはできなかった。

 何故なら今、自分たちは天竜人の奴隷に扮しているのだから。

 

「まぁ見て、天竜人様よ」

「すごい行列だな。さすがだ」

 

 先頭に立たせた天竜人がゾンビだとも知らず、港にたむろする来場客たちの遠巻きな声がする。

 一度影を抜いた天竜人の死体であったが、あれから確保した別の影を入れてある。ゾンビ特有の忠実さを発揮するそれは、黙って前を進んでくれていた。

 そのすぐ後ろに続くギーアは、いかにもな踊り子装束を着込んでいる。四つん這いなって隣に並ぶ巨漢はモリアだ。世に知られた顔を隠すため、天竜人の印を捺したズタ袋をかぶっていた。

 

「……お姉ちゃん……」

「大丈夫、あともう少しだから……」

 

 背後でおびえた声をもらすのは、ステラにしがみつくペローナだった。周囲の好奇の視線に震える少女をステラは撫でて励ましている。

 天竜人のゾンビに続くギーアやステラたち、更にその後ろには行列が伸びている。

 あるいは、幼いながらに一行の緊迫した空気を感じているのかも知れない。

 

「ごめんね、ペローナ。でも私たちの傍にいた方が、きっとまだ安全だから」

 

 この面々を含む行列の大半は、奴隷や衛兵のふりをしたゾンビだ。それらはいくつもの巨大な木箱をかついで運んでいる。周囲には天竜人の奴隷が貨物を運び込もうとしている様子に見えるだろう。

 オークションの運営側にも、木箱の中身は天竜人からの出品物だと説明していた。

 

(本当は“とっておき”の兵力なんだけどね)

 

 出品物を運び込む、という体裁で会場深くに入り込み、他の出品物を奪って船も奪取する。多少の無理は天竜人の権力によって押し通す。

 普段から強権を振りかざしているのが、この時ばかりは役に立ってくれた。

 港を行き来する誰もが天竜人を恐れて近寄らず、一行は会場の搬入口をまっすぐに目指す。

 

(あともう少し……)

 

 たどり着ける。そのはずだった。

 

「――天竜人様に! 敬礼!!」

「!」

 

 その時、横合いからはじけるような声がした。鍛えられた者特有の、実によく通る響きである。

 そこにいたのは、一様に白い軍服を来た男たちの隊列だ。

 

(海兵!)

「長旅お疲れ様でした、天竜人様! 乗り物をご用意してあります、どうぞ貴賓室においでください」

 

 海兵の声に合わせ、大柄な人影が進み出た。

 それは四つん這いになってなお見上げるほど大きい、半裸の男であった。顔にはモリアと同じく、天竜人の印があるズタ袋がかぶせられている。

 背中に椅子がくくりつけられた様は、まるで鞍の乗る馬のようだ。

 

(海兵が奴隷を用意するなんて……!)

 

 そうまでして天竜人におもねりたいのか。腐敗の二文字がギーアの心を占め、煮え立つ怒りが胸を焦がす。

 だが今、彼らに怪しまれるわけにはいかない。忍び込むまで、天竜人のゾンビにはそれらしい振る舞いが必要だ。

 

「……行け」

 

 モリアはゾンビに耳打ちする。下された命令に天竜人は頷き、

 

「気が利くな下々民。これは中々の乗り物奴隷だえ」

 

 列から離れた天竜人のゾンビは巨体の奴隷に歩み寄っていく。奴隷はしつけられた犬のように伏せ、ゾンビを背中に乗せた。

 そうして背中の椅子に腰かけるところまで見届けて、ギーアはモリアに押し殺した声を送った。

 

「ここからはゾンビ抜きね。急ぎましょう」

「ああ、これ以上呼び止められちゃかなわねェ」

 

 矢面に立たせるゾンビが離れた以上、そうされる可能性は高くなる。

 だから一行は足早に進もうとして、

 

「……あの」

 

 不意に、ステラが声をあげた。

 

「ゾンビの様子がおかしくありませんか?」

「……え?」

 

 言われて、目を離したばかりのゾンビを見る。

 そこにあったのは、まるで煮詰めた水のように体を震わせるゾンビの姿だった。

 

「な……」

「オ、オォ……オアアアァ……!!」

 

 椅子に腰かけたままのけ反るゾンビは、口を大きく開いて天を仰ぐ。やがてその口から、空に向かって這い出すものがあった。

 ギーアはそれに見覚えがある。

 ゾンビに仕込まれた影だ。

 

「モリア!? 何をして……!」

「違う、おれじゃねェ! 勝手に抜け出そうとしてやがる!」

「何ですって!?」

 

 予期しない事態だった。

 だが対応するよりも早く結果は果たされる。

 口から這い出した影が、ついにゾンビの体から千切れて空へと飛び上がったのだ。

 

「な……!」

 

 ゾンビと繋がっていられなくなった影の行先は、本来の主の足元だ。背後にある巨大船の方に向かって飛んでいくのは、切り離した主を目指すからだろう。

 そして後には、単なる死体だけが残される。

 

「……え?」

 

 それが地面に崩れ落ちるのと、周囲の人間がどよめくのはほぼ同時であった。

 

「お、おい、あれ……!」

「天竜人が倒れたぞ!?」

 

 ぴくりとも動かない姿に、周囲のざわめきはまたたく間に広がった。

 それは計画の瓦解を意味している。

 どういうことだ。

 言葉にもならない一語がギーアの頭を満たす。何故天竜人のゾンビから影が抜け出したのか、と。

 その答えは、思いのほか近くから生まれた。

 

「海楼石を敷いた椅子が効いた。やはり何らかの能力の犠牲になっていたか」

「あなた……!」

 

 声の主は、ゾンビを背に乗せていた奴隷だった。

 二本の足で立ち上がった巨体は、それまでとは見違えるような偉丈夫だ。くくりつけられていた椅子を外し、脱ぎ捨てたズタ袋の下から精強な顔が現れる。

 固い意志が光る眼差しがこちらを見据えた。

 

「モモンガは責任感のある男だ。奴本人からの連絡が途絶え、ここに現れないのはおかしいと思っていた」

 

 男の断言にギーアは失策を悟った。

 おそらくこの男は会場側の海兵を仕切る将校だ。その立場にある者が、仲間への信頼だけで疑念を正す行動に出たのだ。

 

「すみません、まさかここまで警戒されていたなんて……!」

「ステラのせいじゃないわ。どのみち改ざんじゃこの事態は避けられなかった」

 

 震えあがる彼女をギーアは慰める。この事態を予期しなかったのはこちらも同じだ、責める気はない。

 しかし何者だ、この男は。

 海楼石は貴重品だ。杞憂かもしれない判断に持ち出すなど、その優れた洞察力と同じぐらい権力が必要になるだろう。

 それほどまでの権威を持つこの男は、

 

「――ゼファー教官!!」

「!!」

 

 期せずして、男の名はすぐに知れた。

 

「無茶苦茶ですよ! 奴隷のフリをして天竜人に海楼石を触れさせるなんて!!」

「おれの行動が無意味だった時、責任を負える男がやらねば意味がない」

 

 傍にいた海兵の苦言も男はどこ吹く風だ。

 しかし彼を見る周りの海兵たちには、感嘆と畏敬の眼差しがある。厚い信頼がある証拠だった。

 それも、今しがた呼ばれた名を思えば当然だ。

 

「まさか、“黒腕”のゼファー!? 元海軍大将が何故こんなところに!!」

「天竜人が来るイベントの警備。現役の大将にやらせることもないと代わったが、こんな事態になるとはな」

 

 かつて海軍の大戦力として知られた男の名をギーアは叫ぶ。しかし男、ゼファーはそれに取り合わず、周囲の海兵たちに合図を送った。

 この不審者たちを逃がすな、と。

 海兵たちがこちらに銃を向けるのに時間はいらなかった。

 

「お嬢さん、いや、その行列もどうやら不幸な奴隷たちという訳ではなさそうだ。話を聞かせてもらおうか」

「……ヤバいわよ、モリア……!」

「分かってる! どうやらここでやるしかねェようだな……!」

「暴れるか? できると思うか?」

 

 会話を聞きつけたゼファーの体が、あふれ出す威圧感で膨れ上がった。

 その重圧に、ギーアは彼が銃などよりもはるかに大きな脅威だと改めて理解する。

 やれるだろうか。

 

(やるしかない!!)

 

 次の瞬間、ギーアは体に力をみなぎらせた。

 モリアもそうだ。頭にかぶっていたズタ袋とともに、奴隷の真似を脱ぎ捨てる。

 背後の者どももまた、戦うための姿勢をとろうとした。

 しかし、それよりも圧倒的に引き金を引く方が早い。

 撃たれる。

 そう確信した瞬間、

 

「イヤアアアアアアアァァァァァァァ――――――――――ッ!!!」

「!!?」

 

 悲鳴がこだました。

 

「おじさんたち!! こわいィ~~~~ッ!!!」

「ペローナ!?」

 

 振り向けば、ステラの腕の中で幼い少女が泣きわめいていた。

 いや、それだけではない。

 彼女からあふれ出すのは涙と絶叫だけではない。

 

「これは……!」

『ホロホロホロホロホロ……』

 

 落書きじみた人型だった。

 半透明の細長い人型の群れが少女の体から出現し、音もなく空を飛ぶ。

 向かうのは、銃を構えた海兵たちだ。

 

「な、なんだこれは!」

 

 驚愕する海兵たち。思わず構えを解いてしまった彼らの胸を、人型どもは貫いた。

 

「うおォ……!?」

 

 そこに負傷はなかった。

 人型は海兵たちの胸から背へと透過し、ふたたび空へと舞い上がっていく。何一つケガを負わせることもなく。

 しかし後に残された者たちの変化は劇的だった。

 

「……おれなんかゴミだ……」

 

 海兵の手から銃がこぼれ落ちた。

 一人ではない。次々に銃が地面に転がり、それを追うようにして海兵たちの膝が落ちる。

 そして、ほの暗い声を流れ落ちた。

 

「そうだ……おれなんか海の藻屑になればいい……」

「ナマコになりたい……海底で這いずっていたい……」

「どうしたお前たち!」

 

 突如としてうずくまった部下たちにゼファーの声が飛ぶ。だが打ちひしがれる誰もが答えられず、ただその場で丸くなるだけだ。

 間違いなく、彼らの体を貫いた人型の影響だった。

 

「これは……」

「この子の能力です!」

 

 ステラが叫んだ。

 

「ペローナはホロホロの実の幽霊人間! この子から生まれるゴーストに触れた人間は、極端にネガティブになって心が折れる!!」

「ほう、そんな便利な能力だったとはな。おかげで隙ができたぜ!」

 

 そう言ったモリアはにやりと笑い、続いてギーアに向かってするどい声を飛ばした。

 

「やれギーア! ここで戦闘を始める!!」

「分かった!!」

 

 船長の命令に逆らうことはない。

 事ここに至ってはこれ以上忍び込むことは不可能。

控えさせていた“とっておき”を持って突破するしかなかった。

 ギーアは叫ぶ。行列が担ぐ木箱に隠れた彼等へ向かって。

 

「出番よ!! “ブギーマンズ”!!!」

 




遅くなりました。オークション襲撃編、やっと決戦までこぎつけました。

“影の集合地”が一度にたくさんの影を奪ったりゾンビを作り出したりできる、というのは独自解釈です。あと海楼石でゾンビに効く、っていうのも。前者はともかく後者はありえると思うんだけど、どうですかね。

次からは戦闘回。
オリジナル戦闘員グループを投入です。

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