ONE PIECE -Stand By Me - 作:己道丸
「“
叫ぶ時、すでに必殺はある。
ギーアの一撃がモモンガの胸に刺さっていた。
覇気により黒金色に染まった抜き手は、鋼鉄の槍にも勝る威力だ。それを胸に受けては、さしもの海軍将校といえどただでは済まない。
「ぐ、ぶっ」
眼球はこぼれんばかりだ。
目は見開かれ、たくわえられた口ひげをしとどに濡らして吐血があふれる。散ったいくつかの飛沫は、ギーアの顔をかすめていった。
筋骨隆々の体が震え、まるで巌のようだ。
明らかな決定打。生半可な兵士であれば、致命傷になっていてもおかしくない一撃を与えたのだ。むしろ、崩れ落ちない彼の頑強さに驚かされる。
(でも、これで)
倒した。
あとはまた縛りつけて日陰に放置すればいい。そうすれば後で部下の海兵が回収するだろう。その後は日の当たるところに出られない身の上だが、敵の不幸に同情するギーアではない。
すでに影をゾンビに仕込んでいるモモンガが死ぬのは困る。こちらのゾンビ、主力のリョーマが使い物にならなくなるからだ。
だから男から腕を引き抜こうとした。そうして倒れるだろうモモンガを捕えて寝かし、先行した仲間たちを追いかけよう、と。
しかし、
「!?」
抜けない。
男の胸から、突き刺さった手を抜きだせない。まるで岩に噛みつかれたようにびくともしない。
嘘だ、と思った。
指の根元まで埋まっているのだ、心臓に直撃していると言っていい。それは主要な臓器を痛めるだけでは済まない。全身の血のめぐりを乱されるからだ。
血を吐いているのだ、それは確実に起きている。
なのに、
「貴方!」
「ま、まだだ、まだ……!!」
男は倒れない。
男は立っている。
海軍将校モモンガは折れていない。
「まだ貴様が、倒れていない!!!」
男の形相は鬼のそれであった。
口とひげは赤黒く滴り、額は蒼白になって脂汗ばかりが浮かぶ。痙攣する首には極太の血管が浮かび上がり、崩れそうになる体を必死で堪えている。
血走った眼差しをつきつけられた。
ありあまる、燃え上がる殺意と敵意を。
「貴様は! 貴様らはここで討つ!!!」
膨れ上がる男の腕。残る全身の血を集めたような剛腕は、握る刀を絡めとったギーアの“皮”を引き裂いた。
そして掲げられる。
「ぐ……!」
「逃がざん!!」
手に食らいつく胸筋の力が一層強くなる。もはや指先がへし折れんばかりの力がかかり、ギーアの力をもってしてもびくともしない。
離れられない。
だから一撃は注がれた。
「“
「!!!」
滝にも似た一撃は、けれどかつてに勝る威力だった。
「あ、が……っ!!!」
両断されなかったのが奇跡だ。
刀でもって斬るには間合いが近すぎたこともあるが、何より激情の乗った一撃があまりにも重すぎたことが原因だった。
ギーアを呑む斬撃はすさまじく、捕らわれていた腕は引き抜かれ、木っ端同然に吹き飛ばされる。
荒々しく、それだけに多くを巻き込む一撃だ。
二人のいる家を半分消し飛ばし、それどころか延長線上の家屋を軒並み瓦礫に変えて散らしてしまう。
ギーアの周囲は一瞬にして瓦礫の荒野と化す。
「! ……! ……っ」
砕けた建材の身を埋めて、しかしなおも生きようとする本能が体を痙攣させる。けれど血を噴き、筋肉が竦むばかりで、身を起こすことすらできない。
「ゴフッ! ゴホッ!」
対するモモンガもまた、ただでは済まない。
咳に混じって血と唾液を吐きだし、突き立てた刀を杖代わりにしてようやく立っている有り様だ。
それでも、戦場を征したのはこの男だ。
「ハァッ! ハァッ! あれを食らわせて、切り裂くこともできんとはな……!」
「ぅ、ぐ」
「だが最早立てまい、そのまま倒れていろ。次に目を覚ました時は牢獄の中だ。貴様の仲間もろともな!」
「あああ……!」
「裁きを受けろ海賊!! 貴様ら全員、刑場に叩きこんでやる!!!」
睨むこともできなかった。
直後、ギーアは意識すら保てなかったから。
気が付くとギーアは闇の中にいた。
重い闇だ。指先にまでへばりついてくるかのように。墨かなにか、否、ヘドロの中に全身を沈めているような感覚であった。
(ここはどこ?)
記憶はあいまいだ。
何故こんなところにいるか。
そもそもここはどこかに実在するのか。
ひょっとしたら、生きているうちはいけないような場所なのではないだろうか。
(私は死んだの?)
そう思った瞬間、指先が崩れた。
全身がほぐれた糸か、あるいは溶け出す水になって、際限なく広がっていくのが分かる。その範囲は次第に広がり、体や頭にまで至ろうとする。
遠からずして、この意識すら失せるだろう。
(仲間を置いて死ぬの?)
その時差したのは思いだった。
(彼との約束を破って?)
主と定めた男との二度目の約束。
生きて帰る、その誓い。
破るのか。
(一度目は、地獄みたいな監獄からでも帰ってきた。なのに、こんなぬるま湯みたいなところからは帰れないの?)
思った時、薄まる意識に感情が注がれた。
これだ。そう思った。
これが闇の中にあって必要なものだと。
(思え、ギーア! 彼への誓いは死に勝る!!)
熱だ。感情がそれになる。
糸か水になって広がる自分に、それが通っていく。糸というならそれらを血管にしろ、水ならばそれそのものが血潮だ。自分の命を見せつけろ。
死よ。
まだ私には赤いものが通っているぞ。
(――死ねない!!!)
仲間を守る。
約束を守る。
生還は当然だ。それよりも大きな誓いがある。彼を海賊王にするという誓いが、まだ残っている。
立て。
生き返れ。
そして敵を討て。
持てるすべてを賭して勝利しろ。
(!)
瞬間、光が闇を裂いた。
(あれは)
さながら一本の剣だ。はるか高みからくる一筋のそれは、黒一色のものを掻き分けてギーアの胸に突き刺さる。
胸。
そう、それはある。自分は形を取り戻そうとしている。胸は胴となり、やがて肩や腕や足、指先となる。もはや意志だけのものではない、自分は正しく闇と分離した一人の人間だ。
そして、光の中に景色を見た。
(私の、記憶?)
これまで見てきたものが、映像となって光に投影されているのが分かった。
敵将たちとの対峙。
巨大船で得た新たな部下たち。
モリアと再会して約束を果たした時のこと。
それからシキとの脱獄、海軍大将との対決、ダグラス・バレッドとの戦い、ワノ国からの出国、次々と映し出されていく。
そうしてモリアとの出会いを過ぎて、
(これは)
それ以前のことも表れた。
大看板クイーンに囚われ拷問を受けた日々、数多の勢力から逃げ続けた日々、あの戦争で同格の軍隊長とともに脱走したが袂を分かった時のこと。
それも越えて映るものは。
(ジェルマ王家)
かつて心のない兵士として仕えた血族。
数百年に渡る怨恨と宿願に囚われる一族。けれどそれを笑うことはできない。かつて自分もそうだったのだから。
例外はたった一人だ。
(ソラ様)
自分に心をくれた、優しい王妃。
彼女がいなければ今もあの国で戦っていただろう。きっと、あの男の忠実なしもべとして。
(ヴィンスモーク・ジャッジ)
一族の野望を王位とともに継いだ王。
かつては輝く星のようにも思われた男。
そう思えばこそ、ギーアは自らの体を差し出した。複製人間の元にもなったし、改造人間の実験体にもなった。
だがやがて男は、育った人間への改造よりも、生まれそのものへの改造を思いつく。
(生まれながらに情緒を持たない、けれど強靭な肉体と強固な表皮を持つ天性の強化人間)
ソラがその母体となると、それを聞いた時だ。自分の中に叛意が生まれたのは。
だからこそ自分は軍を抜け、祖国を離れ、
(……ぁ)
ギーアは閉じていたものが開く音を聞いた。
改造人間。
強固な肉体。
それらは自分の原点だ。
今となっては悔いばかりが残る、憎しみによって捨て去ってしまった自分の原風景。しかしどうあっても否定しきれないもの。
(否定するものじゃないのかもしれない)
ギーアは天啓を得た。
(ジャッジへの恩讐、戦争ばかり繰り返す祖国と軍隊、これまでずっと否定してきた。でも、それがなければ今の強さは持ちえなかった)
そうだ。
(ソラ様への感謝と同じだったんだ)
あらゆる過去は今のためにある。
自分がどう思っているかの問題であって、過去はいつだって自分の力になってくれる。
だからこそ、
「――過ぎた日々よ、私を包め」
気がつけば立ち上がっていた。
思ってそうしたのではない。心が命じる前に、五体はそれを為していたのだ。体と心が同じことを望んでいる、そんな風にさえ感じられる。
「……フーッ……フーッ……」
痛まないところなどない。
流れ出る血潮に乗って命が漏れていくのが分かる。爪先にいたるまでどうしようもなく熱いのに、頭の中身だけは冷え切った鉄のように澄んでいる。
心身はもはや道理と手を切ったのだ。
決意が限界を凌駕する。
眼前の敵を倒せ、と。
「まだ立つか。やはり化物の将は化物だな」
立ち去りかけたモモンガが振り向いた。鞘に納められた刀、その白刃を再び輝かせる。
粉塵浅からぬ中にあって、その光はギーアの首を照らし出す。
そっ首落とす、その意思を表すように。
「……そうね」
血反吐を吐いてギーアは答えた。
言葉を紡ぐほどに、喉と肺の中から体が削れていく。それほどまでに体は傷ついていた。
しかし思いは止められない。
見たものを言葉にしたい、と。
闇に差す光が見せたもの、その尊さを。
「今に始まったことじゃない。私は昔から、化物が治める国に生まれた、化物だったから」
ジェルマ王国。
尽きぬ妄執を薪にして燃え盛る戦争国。個人の思いを離れ、血筋の系譜に意思をゆだねる様は、まさしく化物の有り様だ。
そこに生まれ、それに染まり、そう生きてきた。そのことを否定できはしない。
光熱を放つ鋼仕込みの腕。風を噴いて空を飛ぶ足。全身に埋め込まれた機械がその証拠だ。戦いに勝つため生来の肉体を捨てた。それを変えられはしない。
けれど、
「――この胸に決意がある限り、私は人間よ」
あの方が自分を人にした。
鉄の体に血を通わせてくれた。
情と意志の意味を教わったのだ。
だから今、自分は彼らのために立ち上がれる。
「仲間は死なせない。だから敵を倒す。そして」
そして、
「――彼を海賊王にする」
それが決意だ。
「これが私よ」
「ならば断とう、その我欲」
事ここに至って理解は不要。
自我と大義、相いれない目的のぶつかり合いだ。向き合う敵が刃を引くはずもない。
構えられた切っ先は的確にギーアを狙う。
「その意気や良し、敵ながら見事。しかしそれを目指す限り、貴様は討つべき“悪”だ」
「“正義”に興味はない。ただ、私たちは自分のために戦うだけ」
そしてギーアは構えた。
我流だった。胸に湧くものを象る、突き動かされた動きだ。
祓うように手刀を水平に薙ぎ、もう一方の手で空を握りしめ、結んだ拳を眼前に掲げる。そして誓いを捧げるために顎を引き、瞑目した。
この手に賭けて決意する。
(敵を討つ)
ここにあるのは化物の力。
闘争の産物、鋼仕込みの血肉。
けれど用いる意志が胸にある限り。
ギーアは違う。あの国のものどもとは。
だからこの技に、逆しまの名を与えよう。
「“ギーア
かくして我が身は黒金色に染まる。
「武装色の覇気。全身にか」
刃の先を微塵も揺るがさず、鷹の眼光が鋭く細められる。ただならぬ変容を前にしても、海軍将校の胆力は動じることがないらしい。
「窮したな。全身をにまとう力量は見事、だがその密度は一点集中に勝るものではない。それが分からぬ貴様でもあるまい」
「だったら来なさい」
黒く染まったかんばせでギーアは誘う。
眼前の拳は弧を描いて伸ばされ、一直線に敵将へと向けられる。その身を打ち抜くと予告するために。
「ここからの私は一段強い。もう貴方は届かない」
「ならば見せてみろ」
そう言ったモモンガの姿は眼前にあった。
「“
地を連打する高速移動だ。
距離を無意味にする脚力が発揮され、巨躯の男は眼前の壁となって立ちふさがる。
刃が降る。
「“
膨らんだ斬撃をまとう一刀が叩きこまれた。
肩だ。首の隣から反対側の脇へと抜ける袈裟斬り、骨もはらわたもなく断ち切る剛剣である。
必殺の業だった。
「!!?」
「言ったはずよ」
止まっていた。
斬撃が霧散する中で、女の体は刃を通さない。
「もう貴方は届かない。……薄皮一枚でね」
拳が唸った。
そうだ、一撃を刻め。
「“
「!!!?」
決戦・中編。次でvsモモンガは決着です。