ONE PIECE -Stand By Me - 作:己道丸
安穏とした風景がここにはあった。
天高く午の刻越ゆる今にあって日差しはおだやか、澄み切った青空には鱗雲が広がり、ゆるやかな風に木々がそよいだ。葉はどれも赤く色付き、時にそれらは枝を離れて宙を舞い、さながら深紅の桜吹雪といった風情で景色に彩りを添える。
木々と道の間にはすすきが群れをなしていた。枝葉とともにうねる様はまるで海のよう、ひらけた場所だけに遠くまで見通せる風景は壮観であった。
そんなすすき野の中、丘ともいえぬゆるい坂道の上で、ギーアは広がる風情に心を休めていた。少し乾いたそよ風に踊る長髪を押さえ、
「川をまたいだだけで、随分気候が違うのね」
「ワノ国の特徴だ。川で分けられた六つの土地それぞれに四季があるんだよ」
そう答えた連れは、ギーアの後ろを通り過ぎてしまった。下駄をならす足はよどみなく、慌ててその後を追うギーアである。
駆け足で男の隣並べば、彼の異様な姿が目に映った。一振りの刀を佩く着物は年代物、裾から伸びる手足に生気はなく、褪せた土色を浮かべている。何より、笠と襟巻きで隠していたが、その顔はおよそ生ける人間の顔ではなかった。干乾びて骨の浮いた、死体の面立ちがそこにあったのである。
動く屍、リューマだった。
「じゃあこないだまでいた鈴後は冬で、この白舞は秋ってこと?」
「そういうことだ」
リューマは、正しくは悪魔の実の力で寄生するゲッコー・モリアの影は頷いた。
しかしそれさえも正確とはいえない。モリア自身がそうさせたという訳ではないからだ。
カゲカゲの実の能力で実体化したモリアの影は、リューマの死体に入り込むことで、より深く考えて会話する力を得た。しかしそれはモリアと全く同じ性格や判断力を持っているというだけで、モリア本人がリューマを操作しているという訳ではないらしい。
こうして持ち前の知識を披露していても、モリア本人は今ここで自分の影がそれを口にしているとは把握していないのだ。
「白舞はワノ国で唯一正規の港を持つ郷だ」
モリア本人は、今や遠く離れた鈴後の地に残り、その大きな図体を懸命に隠している。その目立ちすぎる巨体では、満身創痍の体では、これから行う作戦を遂行できないからだ。
百獣海賊団が巣食う港から船を奪い、出国する作戦を遂行することは。
「内海に出る刃武港と、地下にある潜港。潜港は内地にあるから、もうすぐ見えるだろうよ。――地下の潜港へ通じる、大縦穴がな」
「そこにあるゴンドラに乗らないと潜港へは行けないんでしょ? 厄介ね」
と、ギーアは向こうから人がやって来るのに気づいた。
男の二人組だ。武器の無い、変わったところのないごく普通の町人であるようだった。男達は歩きながらも互いの顔を向いており、抑えた風もなく声高に言葉を交わしている。
「聞いたか、九里のバカ殿の話」
「ああ、毎週都に現れては城の前で裸踊りしてるってんだろ? みっともねぇ」
「奴が都の城に乗り込んだ時は期待したんだがなぁ」
ギーアは怪しまれない程度に顔を背け、リューマもまた笠を深く被りなおす。だが男達は雑談に夢中なようで、すれ違ったギーア達に気づいた様子すらない。
「野郎、強さだけなら白舞の侍にも負けないと思ってたのによ」
「無駄無駄、臆病者だったんだよ。オロチとカイドウに腰を抜かしちまったのさ」
人は誰かを謗るときほど周りが見えなくなるものだ。
荷もない男女二人組をいぶかしむこともなく、姿が見えなくなるまで雑談に勤しんでいた。
「……何、今の」
「さぁな」
ああも声高に話されてしまえば、誰のことかと気になってしまうギーアである。
リューマは、くだらねぇ、と吐き捨てて、
「力もねぇザコってのは陰口を叩くもんだ。特にこの国の王はカイドウと組んでいやがるからな。歯向かう気概もない連中が、誰かを槍玉に挙げて気を紛らわせてんのさ」
「よくある話ね」
「ああ、国を閉ざそうが、人の性は変えられねぇ」
世の日向を歩かずに生きてきた二人だ。そういう者達を、あるいは期待に添わなかった隣人を、集団というものがどう扱うのかは身を持って知っている。
群れをなした人間は、どこまでも人間に対して残酷になれるのである。
「そんなことより……オイ、見えたぞ」
「!」
すすきで覆われた地平線の向こうに、それは広がっていた。
穴だ。野原を切り取る巨大な穴がある。
地面を穿つ大縦穴であった。
陽の光によって穴の縁は厳しい岩壁を見せているが、下るほどに影が色を増し、闇で満たされる穴の底がどれほど深くにあるのか、想像するこはできなかった。
だがそんな断崖に迫り出す家が一つあった。
家は柱のようなもので左右から挟み込まれている。しかし柱は地面に建つのではなく、大縦穴の内壁に沿うに取り付けられ、底知れぬ闇の中へと伸び続けていた。
そしてよくよく見れば、2本の柱は履帯のような形で、家の側面にある巨大な歯車をくわえ込んでいた。どうやら柱の見えた物は、垂直に伸びるレールであったらしい。
だとしたら、線路と噛み合う大歯車が回ることで、あの家は移動するということか。
大縦穴に添って昇降するという建造物。つまり、
「――あれが、ゴンドラね」
「“
左右に果てなく続く竹の柵を、ギーアは軽々と飛び越えた。
脇に抱えたリューマはひたすら軽い。やはり数百年かけて干乾びた死体だけに、人が生きていく上で必要な体重を失ったらしい。帯に佩いた刀の方がよほど重いとさえ思えた。
この先入るべからず、の書付を無視し、二人は大縦穴の外縁ともいうべき敷地に忍び困む。
柵の内側には蔵が立ち並び、その合間では木造のコンテナが塔のように積み上げられていた。コンテナに捺された焼印は、百獣海賊団の海賊旗にあるのとおなじもの。この荷を誰が持ち込み、蔵に仕舞い込んでいるのか。ギーアは渋い顔で納得した。
「本当に、国と海賊が結託しているのね」
国が有する数少ない正規の港に、こうも堂々と海賊の積荷が積まれている。王がまともな治世をしていれば、許されることではなかった。
「……行くわよ」
蔵の裏手を行くギーア達は、足音を殺してひそかに走る。
人の声、人の気配は多い。しかしギーアも百獣海賊団に捕まるまでは、国や組織を追われ続けた身の上である。これだけ蔵とコンテナが立ち並んでいれば、身を隠しつつ行くことは造作も無いことであった。
やがて建ち並ぶ蔵の端までたどり着き、幅の広い通用路に差し掛かった。
道の反対側にはやはり蔵とコンテナが並んでおり、そして道が伸びる方を見れば、その先には柵で縁取られた大縦穴と、レールの上端まで上り詰めたゴンドラが目に入った。
大縦穴の周囲は環状にひらけた広場であった。そこでは痩せ細った人足たちがせわしなく行き来し、またそんな彼等へ鞭を振る凶相の男達、百獣海賊団の構成員がたむろしている。
「ゴンドラへは、あそこを越えなきゃいけない訳ね」
「そうだ。ワノ国から潜港にいくには、あれに乗るしかねぇ」
リューマもまた笠に手をかけ、目玉を失った眼孔でゴンドラを睨みつけている。
「今のおれ達がこの国を出るには潜港の船と――永久指針が必要だ」
永久指針。
それは外海で用いられる品で、ギーアも良く知る物だった。
ギーア達がいるワノ国は“新世界”と呼ばれる海域に存在しているが、これは“偉大なる海路”という帯状の海域の後半にあたる。この“偉大なる海路”にある島々は特別な磁気を帯びており、異常な気候と海獣が跋扈する海域ということもあり、ただの羅針盤では航海することなどできない。
“偉大なる海路”を往くには、滞在地とする島の磁気を溜めて別の島を示す特殊な羅針盤、記録指針が求められる。
モリアが言った永久指針とは、一度磁気を記録した島のみを指す、記録指針の一種である。
「都合よく磁気が溜まった記録指針があるとは思えねぇ。どこ行きでも良いから、永久指針が必要だ」
「あるとしたら、ここじゃなくて潜港の方でしょうね」
ここも潜港の一部かもしれないが、あくまでも積荷を仮置きする倉庫街でしかない。船から下ろしたのかこれから積むのかは定かではないが、船そのものの航行に必要な機材を置く施設とは思えない。
船の中か、あるいは船着場を有する潜港の本部にこそ、羅針盤は置かれているだろう。
「そうと決まれば話は早ぇ」
干乾びた顔に、なにか笑みのようなものが浮かんだ。
(果てしなく嫌な予感が……)
その勘働きは正しいことはすぐに証明された。
リューマの手が、腰に差す刀の柄を握ったからである。
「待てぇい!!」
刃が光を放つ前に、ギーアはリューマを押し留めなければならなかった。
「どういうつもりよ、あんた!」
「剣豪と呼ばれた肉体と、この名刀『秋水』の力を試す良い機会だ。あそこにいる奴らをぶった斬り、ゴンドラまで突っ走る!!」
「アホ! これまで何のために隠れてきたと思ってるのよ!? 見つかったらお終いでしょうが!」
「一人も逃がしゃしねぇよ! 皆殺しにしてやる!!」
「そしたら誰がゴンドラ動かすのよ! 言っとくけどゴンドラ動かすために残るなんて、私しないからね!?」
「おれもやらねぇよ!!」
「じゃあ行くな!!!」
ここまで全て蔵の影での押し問答、声を潜めた大喧嘩であった。
「……いい? 慎重に行きましょう。潜港でも動かなきゃいけないんだし、わざわざここで見つかるような真似はできないわ」
そう言われれば、リューマも不承不承に刀を納めるしかない。
舌を打つような彼に、ギーアは思わず目頭を押さえ、深々とため息をついてしまう。
「このまましばらく待ちましょう。奴らがゴンドラを動かすのを待って、その屋根の上にでも飛び乗れれば乗員に気づかれずに潜港までいける。待つ間に、ゴンドラまで近寄る方法を考えるのよ」
リューマが、いやモリアがここまで粗野だとは思わなかった。
いや所詮は海賊、百獣海賊団の連中がそうであったように、この男もまた暴力と残酷の巷で生きる無法者なのだ。策よりも腕っ節で事を解決しようとするのは、ある意味当然なのかもしれない。
手綱は握っておいた方がよさそうだ。下手に自由にさせれば共倒れしかねない。
問題は、どうやれば協力関係を崩さないままモリアを誘導できるかということだが、
「……?」
その時、ギーアの耳が音をとらえた。
「太鼓?」
陽気な旋律であった。
打楽器を中心として笛や弦の音がとりまく、聞く者を高揚させる音楽だ。見ればゴンドラの前には百獣海賊団の連中が集まり、腕をかかげて歓声を上げている。
なにか祭りを始めたのだろうか。
否、それにしては妙だ。奴らに使われているはずの人足達が、逆に泡を食って離れていく。
そうこうしている内に、人垣へと合流する一団があった。
自分たちが飛び越えた柵の先、きっと正門があってそこからやってきたのだろう。そいつらもまた百獣海賊団であったが、この倉庫街にいる連中に比べて屈強な体格の者が多く、どうやら精鋭であるらしいことが伺えた。
この音楽は百獣海賊団の精鋭に対する歓待の演奏だったのだ。
そして、一団の中に一際巨大な塊があった。野太い排気音の唸る音、どうやら車か何かにそいつは乗っているらしい。
(……まさか)
予感がした。
信じたくはなかった。
しかしギーアの勘が鋭いのは、今しがた証明されたばかりだ。
「――QUEEN!!」
歓声が唱和した。
「QUEEN! QUEEN! QUEEN! ……QUEEN!!!」
それはギーアにとって呪わしい名前。
二度と会いたくない、もう会わないために行動してきたといっても過言ではない。
だというのに、
(なのに……!!)
どうして恐怖というものは追いかけてくるのか。
「待たせたなゴミクズ共ォ――――――――――――――!!!」
巨大な塊が立ち上がった。
極太の辮髪を振り回す丸々とした巨大な肉体、百獣海賊団の印を刺青で刻んだ右腕と機械仕掛けの左腕は、忘れられるはずも無い。
百獣海賊団の大幹部、“災害”と世界に仇名される凶悪な男。
「クイーン……!!!」
ギーアを数ヶ月に渡ってなぶり続けた男が、そこにいた。
「やせちまったらモテるから! あえてやせないタイプの!!」
「“FUNK”!!」
広間の中央、ゴンドラを前にして公演が始まった。
手下の団員達が垣根を作る中で、バックダンサーを従えたクイーンは踊り狂う。
「丸く見えるが筋肉だから! 歌って踊れるタイプの!!」
「“FUNK”!!」
拍子を合わせて足を踏み鳴らし、腕を突き上げる度に観客達も拳を突き上げた。叫びは熱を伴って立ち昇り、その一帯には陽炎が揺らめいているようにさえ見える。ある者はついには剣を抜き、掲げて振り回し自らの熱狂を大いに主張した。
男もなく、女もなく、そこにいる誰もが黄色い歓声をあげていた。
「エキサァ――――――――――イト!!!」
「ウオオオォ―――――ー!!」
舞台に上がった花形を見る観客達のように、広場に熱狂的な活気が満たされる。
やがてクイーンは、そんな団員達に向かって高らかに叫んだ。
「野郎共ぉ聞いてくれェ――――!! 最近困った事ランキングTOP3――――!!」
「なぁぁぁにぃぃぃぃ――――!?」
宣言に合わせて団員達が声をそろえた。
クイーンは何度か軽く頷き、
「第3位! おれ達のナワバリを荒らしやがったクソ野郎がいる!!」
「えぇ――――!?」
「第2位! そいつにブチのめされたどこぞのザコ共に話かけられた!!」
「えぇ――――――――!?」
「第1位!! そのザコ共としたくもねぇ連合を組まなきゃならねぇって事だ!!」
「ええええぇ――――――――!!?」
「急げゴミクズ共ぉ!! クソ野郎もザコ共もまとめてぶちのめすぞぉ――――――!!!」
「ウオオオオオオオォォォォォ――――!!!」
数多の雄叫びが一つとなり、巨大な咆哮となって広場に轟く。
それに合わせて機械の駆動する音がした。ゴンドラの扉が開き始めたのである。人垣を作っていた団員の誰かが操作したのだろう。
クイーン達を囲んでいた団員達は左右に割れ、広場へ入ってきた一団が行く道を開いた。先頭を行くのはクイーンだ。野太い歓声に機械の腕を掲げて応え、ゴンドラに乗り込んでいく。
その髭面は紅潮とし、まだ見ぬ戦いを期待してか獰猛な笑みを浮かべている。
冷え切った心に竦みあがり、青ざめた顔で震え上がるギーアとは正反対に。
「なんてこと……!」
戦慄した面立ちから汗が伝い落ちた。
怯え昂ぶる気持ちを宥めようと肺は激しく収縮したが、呼吸が荒くなるばかりで落ち着きが戻ってくることはない。体内に埋め込まれた兵器の重さなど気にしたことはなったが、今この時ばかりは二倍三倍になってのしかかってくるかのようだった。
強張る肩をリューマが押さえた。
「まさか奴らも潜港に用があったとはな」
「最悪よ……! あいつ等の目を逃れてここまできたのに!」
どんな不運に見舞われれば、この局面で鉢合わせてしまうというのか。
不幸中の幸いは、まだこちらの存在に誰も気づいていないこと、そして公演に団員達が集まったので見回りをする奴がいないということか。さっき離れていった人足達も蔵やコンテナの元に逃れ、もっともらしく働く風を装い、クイーン達の登場を遠巻きに見ていた。
彼等もクイーンを恐れ、その襲来から少しでも距離をとろうとしたのだ。それほどまでに恐れるべき存在がクイーンなのだ。そのことをギーアは身を持って知っている。
「ウゥ……!」
思わずえずいてしまう。
ようやく離れることができた、という希望が、また出会ってしまった、という絶望によって踏み潰され、胸の奥で澱のようになった感情を吐き出しそうになる。
数ヶ月前、幾つもの組織が送り込む追っ手に迫られて疲弊したギーアに、とどめを刺すように現れたクイーンの姿を否応もなく思い出してしまう。見上げるほどの体躯が更に人外の巨体へと変じた時の驚愕、そして追っ手達ごとギーアを薙ぎ払った衝撃。
そして気がついた時には檻の中だった。
ジェルマの技術を教えろ、お決まりの台詞がくるのだと思った。
しかしその言葉がギーアにかけられたのは、何日もしてからだった。
――よぉし、盛り上がるやつ、考えた!――
奴の余興で叩きのめされ、朝晩に宛がわれる保存食も食えない日々が始まった。捕らえた理由もほっぽりだして、嗜虐心を存分に満たしてから、奴等はようやく動き始めたのだ。
イカレてる、と思ったことは数知れない。
虐待は、ギーアが悪魔の実の能力ですぐに傷が癒えるとバレてから、更に激しさを増した。体を蹴る足は銃弾に、背を打つ鞭は剣になった。さっさと脱皮してみせろと、皮膚を肉ごと引き剥がされたのも二度や三度ではない。ワノ国に着く前は、首を縄で繋いだまま海に落とされ、そのまま航海を続けるということも多かった。
殴られ、抉られ、斬り付けられ、擦り切れ果てたものがギーアである。
それでもジェルマ66の技術を漏らさなかったのは、祖国に誇りがあるからでも、操を立てたからでもない。こんな凶悪な連中にジェルマ66の技術を教えればどうなるかを悟ったからだ。持っていない今でさえこうなのだと、身を持って体験させられたからである。
(ジェルマは戦争しか知らないクズだけど……! クイーンも人間やめた最低のゴミだけど! クズの力をゴミに垂れ流したんじゃ私はゴミクズ以下よ!!)
それは、恩人を見捨ててなお生き続けるギーアの意地であった。
ヴィンスモーク・ソラ。
戦争国家ジェルマ王国の王妃にして、唯一人道を説いた心優しい女性。非情な戦士であったギーアが抱いた些細な気づきを、それは人間として当然の感情であると教えてくれた恩人。
やがて王を恐れたギーアは、国から逃げ出すことを選んだ。
しかしソラは王妃として責務があるからと、国に残った。
彼女の手をギーアは引くべきだったのだろうか。分からないし、今となっては果たすことのできない過去のことだ。
そんなギーアにも分かることはある。
もう自分は、死ぬまで戦い続けることを望む非人間ではない、ということだ。
「……別の日を、狙いましょう」
どうにか搾り出した声は、思いのほか力なく震えていた。
「今行ったらクイーンと乗り合わせてしまう。それに、あれだけの海賊が増員された潜港の目をかいくぐって船と永久指針を奪うのは、不可能よ」
自分たちはまだ見つかっていない。
奴と鉢合わせた不運を、クイーンの出国を知ることができた幸運と考え直すべきだ。奴がこのまま出発すれば、ワノ国の百獣海賊団は手薄になる。そうなればワノ国からの脱出もしやすくなるだろう。引き返し、機を伺うのが当然の判断だ。
だからギーアはきびすを返した。
再び柵を飛び越え、どこか身を隠す場所を探さなければならない。リューマとモリアは直接繋がっているわけではないから、この作戦変更を伝えなければならなかった。一度鈴後まで引き返す必要がある。
だが鈴後からまたここまで戻ってくれば、今度こそ潜港に潜入するのに良いタイミングになるだろう。
ぶち当たった危機はチャンスに変えられるものだった。そう胸をなでおろして、
「……え?」
足が、止まった。
腕が引かれていた。
リューマの手が、ギーアを掴んで引き止めた。
「何よ?」
「――駄目だ」
屍の口が声を紡いだ。
「……え?」
耳を疑った。
否、理解したくなかったのかもしれない。
体は侍でも、それを動かすのはモリアの影である。たとえ粗暴な海賊であったとしても、一団の長として、知恵のある冷静な判断をするのは当然だと思っていた。
しかし、
「――今しかける!! あのカス野郎に一撃を叩き込むんだ!!!」
モリアの人格が宿るリョーマが口にしたのは、ギーアの判断とは全く正反対のものだった。
「な……!!」
絶句する。考えられないことだった。
この状況にあって強行する意味が分からなかった。
「何を言っているの! クイーンが、あれだけの海賊達を引き連れて港に行くのよ!? 目を掻い潜るのは不可能よ!!」
「あれだけの海賊が出たら、船や永久指針が残るか分からねぇじゃねぇか!!」
互いの手が相手の胸倉を掴みあげた。
ギーアの険しい眼差しとリューマの空ろな眼孔が直面する。
「出航した後にご主人様と入れ替わるんだ、相応にデカい船じゃねぇとならねぇ!! そもそもただの小船じゃこの“偉大なる海路”を渡ることはできやしねぇ!!」
リューマの中身はやはりモリアそのものだ。死体で失ってしまう、余人では持ち得ることができない気迫が、ギーアに正面から叩きつけられる。
「今なんだ!! クイーン共が出るために準備を整えられた港! それなら乗る船も永久指針も見つけられる!! 今しかねェんだ!!」
「だ、だから、それを使うクイーン達からどうやってそれを奪うのよ……!」
「決まってる。――あのゴンドラを落とすんだよ!」
「!!!」
は、となってギーアは振り向いた。
口を開けたゴンドラにはもう過半数の海賊達が乗り込んでいる。それだけの巨大な昇降機を支えているのはゴンドラを左右から挟みこむ長大なレール、そしてゴンドラとレールを繋いでいるのは、ただの歯車でしかない。
ギーア達の力を持ってすれば破壊するのはたやすかった。
「奴らが乗り終え、ゴンドラが下り始めたタイミングでレールと歯車を破壊する! クイーン共はゴンドラごと墜落し、潜港も混乱するだろう。……その隙を狙う!!」
「そんな……!!」
なんて凶暴な計画だろうか。
綿密さなど微塵もない。強襲し、不意をつき、混乱に乗じて狙いのものを掻っ攫う。ギーアがこれまで経験してきた、祖国で行ってきた精緻な作戦とはまるで正反対の、行き当たりばったりと言ってしまいたくなるほどの杜撰な計画だった。
リューマの手がギーアの腕を握った。
「レールは2本、一度に壊すにはお前の手が要る!!」
冷たい死体の手の筈なのに、どこか熱いと感じるのは錯覚か。
「来い!! 奴に逆襲するチャンスだ!! ――クイーンをたたき落とせ!!!」
これが海賊の流儀ということか。
「で、でも……」
気圧され、思わず顔を背けてしまい、
「おれを見ろ!!!」
顎を引っ掴まれて、無理矢理リューマの顔に向き直された。
干乾びた死者のかんばせが眼前に迫り、しかしもう目を逸らすことはできない。収まるものの無い眼孔の影に、モリアの眼差しを見る思いがした。鋭く、険しく、見上げる者が身を竦ませるほど威圧する、凶悪な眼力を。
「――怖いか? クイーンが」
「……!!」
核心が痛みを上げた。
「百獣海賊団で何があったのか、クイーンに何をされたのかは知らねェ……。だが今のお前みたいな奴は、この世に掃いて捨てるほどいるぜ……!! そういう奴らを何ていうか知ってるか……?」
それは、
「――奴隷だ!!!」
「!!!」
「心を折られ……逃げ出し! 後姿を見ては竦み上がる! それでてめぇは首輪を外したつもりか!? 心を折られたままの奴はな、どこへ走ろうが繋がれたままなんだよ!!!」
顎から手を離し、リューマの手が拳を握りギーアの胸を突いた。
体が揺れる。
心が揺さぶられる。
「今勝てなかろうが! 奴の方が強かろうが!! ぶん殴って奴の鎖をもぎ取らなきゃ、てめぇは一生そのままだ!!」
「……!!」
魂が、鼓動する。
「選べ! 奴に怯えたまま引き下がるか……ブチかまして奴の向こうに走り抜けるか!!!」
男も、モリアも一度は心を折られたはずだった。
挑んだ相手に仲間を皆殺しにされ、しかし落ち延びさせられ、自分の生以外の全てを失った。戦場で出会ったとき、確かにモリアの目は一度死んだ。
しかし立ち上がったのだ。
自分を逃がした仲間が、自分たちを滅ぼしてなお貶める龍の嘲笑が、モリアを再起させた。
たからこそ、ギーアもここにいる。
「私は……」
答えなければならなかった。
リューマの、否、モリアの問いに、ギーアという人間は答えなければならない。
「わ、わたし、は――」
すがりつく恐怖は未だに喉を締め付ける。
心は立ち上がったはずなのに、それでも畏怖が取り付いて離れない。
もう時間はないというのに。
「下ろせェ――――――!!」
ついにゴンドラへの搭乗が終わり、開かれていた扉が閉まった。
クイーンの号令の下、レールに組み込まれた歯車が動き出し、奴らを乗せたゴンドラが下降を始める。送り出しの歓声に混じって機械の駆動音は響き、刻一刻とそれは遠のいていく。
ゴンドラの屋根は大縦穴の縁を過ぎようとしている。
これ以上、迷う時間はない。
「…………!!」
「あっ!」
ギーアを押しのけ、リューマが駆け出した。
隠れていた蔵から通用路に姿を晒し、まっすぐに広場へ、そしてゴンドラを目指す。下駄が地を蹴る甲高い音を連発し、聞きつけた海賊共の幾人かが振り返る。
「オイ! なんだテメェは!!」
開けた場所での愚直なまでの突進、見つかるのは当然だ。
だが笠で顔を隠したリューマは走りを止めず、いやむしろ加速する勢いで突っ込んでいく。
ゴンドラを見送っていた百獣海賊団の誰もが声をあげ、銃を取り出し、剣を鞘から引き抜いた。数にして数十人、それに向かっていくのは、たった一人の後姿だ。
「駄目……!」
多勢に無勢そのものだった。海賊たちは土煙をあげてリューマへ殺到する。
獣のような雄叫びが幾重にも重なって、海賊たちは接敵するリューマへ剣を振り下ろす。
笠が、宙を舞った。
「――“
「!!?」
そしてそれ以上に男共が吹き飛ばされる――!
「すごい……」
一太刀。
抜き放たれた黒い一振りの刀が、リューマを切り裂こうとした有象無象を斬り飛ばした。襲ってきた一団は中央を失い、生まれた空隙を侍はそのまま走り抜ける。
その横顔を見る海賊達の悲鳴。
「げぇ!? 何だコイツ!!」
「化け物だ!! ゾンビだぁ――!!」
リューマが走り抜けた左右の海賊達は怯え、浮き足立つ。恐怖はすぐに伝播し、掲げた刃を鈍らせた輩を侍は相手にしない。
ただ一直線に、ゴンドラへ。
(行ってしまう……)
置いていかれてしまう。
立ち上がり、走り出したその男の背が、遠のいていく。
繋がれたままでは、その背に手は届かない。
「――おれは!!」
走るまま、振り向かぬまま。
リューマは叫びを上げた。
「――海賊王になる男だ!!!」
「!!!」
「この海の支配者になる男だ! 他の誰にも支配なんぞさせやしねぇ!!」
それでも叫びは、ギーアに向けられていたのだ。
「このおれに!! しっかりついて来やがれェ――――――!!!」
「う……!!!」
これは、リューマであってモリアの叫びだ。
その熱は、確かに届いた――!
「“
ギーアよ、飛べ。
すべては鎖を断つために。
「今度はなんだぁ――!?」
「飛んでる! 人間が、飛んでるぞォ――!!」
両の脚が突風を放ち、ギーアの体を飛翔せしめる。
蔵の影を飛び出し、海賊達の頭上を抜け、一瞬でリューマへと追いついた。
「……ノロマが! 来るのが遅ェんだよ!!」
「勝手に飛び出して偉ぶるんじゃないわよ!!」
憎まれ口を受け、ならばとギーアは加速する。負けじとリューマの脚も速さを増した。
狙うはゴンドラを支える二本のレール。
ギーアは大気の壁を突き破り、風は凍てつき頬を叩いた。
しかし彼女の感情は、そして両腕はそれ以上の熱を持っている。
「合わせなさい!」
「テメェがな!」
同時だった。
「“
「“
巨大な斬撃を伴う黒刀が。陽炎を引いて赤熱する手刀が。
番いのレールを叩き割る――!
片や大小無数の断片を撒き散らして。
片や融解して液状化した鉄が飛沫をばら撒いて。
ゴンドラを抱える2本のレールが、完膚なきまでに破壊された。
大縦穴の縁に繋がっていたレールの基部は形を失い、2本のレールはひどい軋みをあげて反り返り、大縦穴の岩壁から剥落し始めた。垂直に伸びる細い履帯のようであったそれらは、いまや枯れたすすきがうな垂れるように、大縦穴の中央に向かって剥がれ落ちていく。
そうなれば墜落するしかないのが、ゴンドラの宿命である。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ――! 何だ!! 何が起きてやがる――!!?」
既にレールを噛んでいた歯車は砕け落ち、巨大なゴンドラが大縦穴を落下していた。
乗り込んでいたクイーンの、百獣海賊団の悲鳴を置き去りにして、巨大な家屋のごとき昇降機は闇に向かって墜ちていく。
悲鳴と破砕音が洞穴にこだまして、何重何倍にもなる大音響を轟かせた。
「キシシシシ! ざまぁみやがれェ――!!」
振り抜いた黒刀を携えて、一足遅れて大縦穴を落下するリューマの姿があった。自らもまた飛ぶ術なく投げ出されているというのに、どうしてこうも笑っていられるのか。
海賊の考えることは分からない、とギーアは思った。
「捕まって!」
両脚から放つ突風で姿勢を整えて、宙を進んでリューマの空いた左手に手を伸ばす。
そのまま腰に手を回し、脇に抱えるような形をとって、落下の速度を緩めていく。リューマが死体でなければ、人ならざる軽さでなければできない芸当だった。ギーアに搭載された飛翔装置は基本的に一人用、並みの人間を二人三人と抱えて飛び続けるほどの出力はないのだ。
加えて、未だ上から飛来する瓦礫や破片に注意しなければならないのだから大変だ。
「うおっと!?」
今もまた、砕けた岩と鉄がギーアの傍を通過した。
弧を描いて剥がれていった2本のレールが、大縦穴の対面する側の岩壁に突き刺さり、新たな粉砕を生んだ。粉塵が降り注ぎ、人よりよほど大きな岩石が幾つも放たれる。
レールの剥落は止まったが、大縦穴は橋が架かったような形となってしまった。復旧には相当な時間がかかるだろう、とギーアはそれを見上げて思う。
そうして落下速度を調整しながら大縦穴を降りると、
「……!!」
途方も無い轟音が地の底から吹き上がってきた。
ゴンドラが地に降り、しかも降り注ぐ岩塊が追い討ちをかけた音だった。
乗っていた者達と諸共に、間違いなく大破しただろう。
しかしリューマはギーアの手を叩いた。
「おい! とっとと降りろ!」
「はぁ!? どこまで続いてるか分かんないのよ!? そんな速度出せるわけないでしょ!」
「早くしねぇと、奴が這い出してきちまうだろうが!!」
その言葉に、ギーアの思考は固まった。
「……あいつら生きてるの!?」
底の見えない闇を見つめたまま、リューマは確かに頷いた。
「“新世界”の海賊をナメんじゃねぇよ。何人かはくたばったかもしれねぇが……少なくとも億越えの海賊は、この程度じゃ死なねぇよ」
この高さをゴンドラごと墜落する事を、この程度と言ってしまうリューマに頭が痛くなる。
理解し難い連中だった。しかし億越えとやらが誰を指すのかは、嫌でも理解する。
クイーンだ。
確かに奴なら、この惨状でも起き上がってくるのではないかと思えてしまう。
「早く行け!」
「分かったわよ……!」
脚を下にした空中で直立するような姿勢から一転、頭から下に向かってかっ飛んだ。
自ら落下の速度を速めるような飛行、どんどん遠のいていく大縦穴の、その入り口から差し込む陽の光だけが頼りだった。目を凝らし、濛々とあがる粉塵が次第に濃度を増して、
「ぅおっと!!?」
地の底が迫った。
どうにか宙返りを間に合わせ、風を吹く両脚を地に向けて落下の勢いを相殺する。どうにか激突することは避けられたが、それでも重い音をたてて着地する羽目になり、反動で投げ出され地面を転がった。
「ぐぇっ!」
リューマもまた同じだ。
ギーアの腕から投げ出され、顔面から地面に突っ込んだ。
それでも全身の骨が砕けるような憂き目に遭わなかっただけ上等だ。下手をしたら地面にめり込み、自らのシルエットそのままの陥没を刻みつけかねなかった。
転がる痛みを我慢して身を起こし、
「……何だお前らは!!」
そこへ険しい誰何が突き刺さった。
見れば、人相の悪い男達が遠巻きに自分たちを囲い込んでいるではないか。誰も彼もが手に武器を持っていたが、しかしその顔は混乱と不安の情を露わにしている。
男達の姿は、地上で見た百獣海賊団の連中と似たようなものだ。
「じゃあここが……潜港なのね」
大縦穴の底に広がる港、そこに待機していた百獣海賊団の一群が奴らであった。
凶相の男共の向こうには波打つ海原が広がっており、岸から伸びる桟橋の先には何隻もの巨大な帆船が停泊している。岸沿いには木造のコンテナや樽が幾つも並んでおり、積み込む備えを整えようとしているのが分かった。
広いとはいい難かったが、確かに港というべきものがここにはある。
「さあ、ここからが勝負だぜ……!」
隣で立ち上がったリューマは、粉塵の向こうにある惨状を横目にする。
そこには無数の岩塊に押し潰された、哀れなゴンドラの残骸が積もっていた。家屋にも似た造りの面影はなく、いまや岩の下敷きになった瓦と木材の集積地と化している。
とても乗っていた人間が生き残っているとは思えなかったが、しかし歴戦の海賊を宿すリューマが言うならば、それは警戒して事に当たるべきだと判断した。
「リミットはクイーンがここから這い出すまで!! さぁ、船と永久指針を奪い取れ!!!」
若い頃のモリアは、「冷酷で傲慢なルフィ」のイメージで書いてます。
オリジナル技は、原作で使っていた技を鑑みて「影・闇・夜を連想させる単語」「動物の名前が含まれている」「北欧神話の用語を意識してみる(シャドーズ・アスガルドとか)」というルールで考えてみました。あとモリア自身は剣が得物だった、という想定。回想でも剣持ってたしね。