ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

4 / 33
ワノ国を出国せよ

「侵入者たった2人だ! とっとと討ち取れェ――――――!!」

 

 ひりつくような雄叫びがあげられた。

 数十人に及ぶ凶相の一群が迫ってくる。革のジャケットを着た男、ハーネスベルトを巻いた男、肩当てからマントを翻した男、中には水着同然の格好をした女もいたが、誰もが目を血走らせて声を張り上げて駆けてくる。

 ある者は剣を構えていた。ある者は槍を突き出し、またある者は金棒を振り上げた。凶悪を形にした鉄の群れが、こちらを餌食にするべく唸りを上げる。

 対するこちらはどうであるか、ギーアは隣に立つもう一人を見た。

 それは着物を着た男、手には一振りの刀を携えている。そして自分は、形の上では無手。

 物量の差は歴然だった。迫る鋼の持ち主たちも、勝利を確信して舌なめずりをする。殺意の包囲網は急速に狭まり、二人と一群の間合いは失われた。

 そしてついに暴力が吼える。

 

「“夜刀ノ咬蛇(ヨルムンガンド)”!!」

「!!?」

 

 力に晒されたのは一群の方であった。

 男が携えた刀を奮う時、波打つ斬撃が解き放たれる。大蛇もかくやという極太の波動は、一群の先頭を走る者達を十把一絡げに切り捨てた。

 

「ええええええぇ――――――ッ!!?」

 

 続くはずの第二波が足を止めた。

 眼前にいた筈の味方が頭上を吹き飛べば、次は我が身というのが分かろうというものだ。

 

「おいおい何だこの男!!」

「侍だ! 黒い刀を使う侍だ!!」

「いやそれより……何だよあの顔!?」

 

 残された一群は戸惑いの声を上げた。口をつくのは、刀を携えた男の姿だ。

 

「見ろあの顔! まるで死体じゃねぇか!!」

「バカ言え! 死体が動くか!!」

「ゾンビだ……!! 侍のゾンビが出たぞォ――!!」

 

 竦み上がる者、戦意を鈍らせた男、そういう者から順に男は切り捨てていった。

 

「……ふん、百獣海賊団もピンキリだな。こんなザコに負けたと思うと反吐がでる!」

 

 まさしく侍のゾンビであるその男、リューマは苦々しげに吐き捨てる。

 一群は、このワノ国を拠点とする百獣海賊団の中の、潜港に詰める一部の者達だった。たしかに海賊としては下働きともいうべき分担だ。それに従事するのだから、彼らが全体の中でどれほどの位階にあるのか、どの程度の実力と士気を持つのか、想像することはできる。

 しかしギーアはそれを戒めた。

 

「油断しないでよ。こいつらはザコでも、私達の後ろにいるのはそうじゃないんだから」

 

 ギーアが顎でしゃくるのは背後、岩石と瓦礫の集積地である。

 人の倍以上はある無数の巌は、かつて家屋のようであったものの残骸を踏み躙っている。周囲には砕けた屋根からは瓦が飛び散り、岩塊の隙間からはへし折れた材木が突き出していた。そこには機械も含まれていたようで、歯車や配管も所々からはみ出している。

 ギーアがリューマとともに撃墜したゴンドラの成れの果てであった。

 ここに乗っていた百獣海賊団は、今ギーア達を囲う一群とは違う。大幹部が引き連れて同乗させた、強力な精鋭達なのだ。

 恐ろしいことに、そういった者共はこれほどの被害を受けても死を受け入れないらしい。

 信じがたい。しかしそうかもしれない、とも思う。

 彼らを率いた大幹部、クイーンの強さを知るギーアには、そう思えるのだ。

 

「あいつが這い出すまでが勝負! それまでに船を……永久指針を見つける!!」

 

 それが一体どれほどの時間なのか。

 ギーアには、きっとリューマにも分かりえないことだ。ただ言えることは、なるべく早くとっととやれ、ということだ。

 

「行け! 永久指針を見つけて来い! ……船はおれがやる!!」

「分かった!!」

 

 示し合わせ、二人はそれぞれの方向に走り出した。

 リューマは正面、囲う一群を蹴散らしてその向こうにある船着場を目指す。ギーアが走るのはリューマが進んだ方向に対して直角、木造のコンテナや樽が立ち並ぶ貨物置場だ。その奥には岩壁に埋め込まれた扉があり、ギーアにはそれが港の詰め所であるように思われた。

 

(詰め所になら永久指針だってあるはず!)

 

 この“偉大なる海路”を渡るために必要な羅針盤の一種、永久指針。ワノ国から出国して百獣海賊団から逃れるために、奴らからどうしても奪わなければならない代物だ。

 

「ま、待ちやがれ!」

「邪魔!!」

 

 幾人もの男が立ち塞がるが、ギーアにとって物の数ではなかった。両腕が内臓する兵器を作動させ、両の手が輝きを放って赤熱する。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!」

 

 鎧袖一触だった。

 

「熱ィ――――――――ッ!!?」

 

 光熱の発露、爆ぜる熱風が男達を吹き飛ばす。

 屈強な体躯がコンテナに突っ込み、別のある者は波止場の上から海へと突入した。焼けた体を冷やせるかもしれないが、海水は大いに沁みることだろう。

 敵は一蹴で散る三下、しかしそれらをいちいち相手にするわけにもいかなかった。

 ギーアは両脚の機能を発動する。

 

「“旋風飛脚(ジェットジャンブ)”!!」

「えぇ――!? 飛んだぁ!!」

 

 目を丸くした海賊達を置き去りに、コンテナの山を跳び越える。

 

「ち、畜生! 追えぇ――!」

 

 コンテナ越しに野太い声が届くがもう遅い。貨物置場は人より大きなコンテナが所狭しと並べられ、高く積み上げられた迷路のような場所だった。ましてや海賊の作る置場である。整頓されているとは言いがたかったし、奴らが道筋を把握しているとは思えない。

 追っ手を大きく引き離し、ギーアは詰め所へと駆け出した。

 そして、

 

「……あった!!」

 

 先ほど見つけた岩壁の扉の傍、乱雑な並びの椅子に囲まれた机の上、酒瓶や食いかけの肉がまだ残るその場所に、ギーアが求めるものがあった。

 『ETERNAL PORSE』の焼印が押された、一抱えほどの木箱である。

 ギーアは走る脚に力を込めた。

 戦争国家で軍人として鍛えられた健脚は、機械の力を借りずとも自慢の走力を発揮して机との距離を一気に詰める。あとは箱に詰まった永久指針を取り出し、リューマのもとにとって返して加勢すればいい。

 そうして船を奪って奪取すれば終わる。

 その筈だった。

 

「!!!」

 

 風の裂ける音がした。

 鍛えられた五感と勘の冴えは混じり合い、もはや予知という第六の感覚として発動する。

 咄嗟に伏せたギーアの頭上を鉄塊が奔った。

 そして、爆発。

 

「うあ……!?」

 

 間一髪だった。

 直線状にあった貨物や岩壁を炎が砕く。まごうことなき、爆薬を内蔵した砲弾による破壊だ。

 恐るべきはその速度、精度、火力。

 砲弾が飛ぶ音で速度や射線のブレは読み取れる。爆発の大きさから火薬の量や砲弾の大きさも予想できるが、大きさに対して速度と精度が高すぎる。

 武器の精度だけならジェルマ王国に比肩しうる。

 

「こんな閉じた国が、ここまでの技術を持つなんて……!」

「ハオハオハハハ! よくぞかわした侵入者!!」

 

 銅鑼を鳴らしたような声がした。

 その気がなくても振り向かせる無遠慮な声に、眉をひそめたギーアは響いてきた方へと向き直る。

 男がいた。

 巨漢である。

 屈強な筋肉で覆いつくされた胸板を誇張するかのように、服や鎧をまとっているのは両腕と下半身だけだ。染まり切った筆を思わせる髭と髪は黒々と蓄えられ、するどい牙と相まって鬼の形相である。

 担いでいたバズーカ砲を放り捨て、男は憤慨した顔のままで笑い声を轟かせた。

 

「だがここで終わりだ! この潜港の警備長、ババヌキに見つかったんだからなぁ!!!」

 

 どうやらこの男、ババヌキはここを守る百獣海賊団の戦闘員らしい。

 実力主義の百獣海賊団にあって、満ち満ちた自信を保っていられるのは実際に実力があるからだろう。つまりあの体格は見掛け倒しではないということだ。

 しかも役職を任されるとなれば、

 

(——真打ち!!)

 

 緊張を禁じえず、我知らずと息を吞んだ。

 百獣海賊団総督カイドウは部下集めに余念がない。自らこうべを垂れた者はもちろん、逆らった者の心を折り、従えることも少なくない。そうして百獣海賊団に組した者のうち、特に強い者は“真打ち”と呼ばれ、主力として幹部に近い待遇を受けているらしい。

 

(そりゃいるわよね、ここにも!)

 

 敵は軍備に力を入れる武闘派集団だ。

 ワノ国に根城をかまえた当初ならいざ知らず、将軍と手を組んで地盤を固めた今、擁する実力者の数は想像することも出来ない。

 今この瞬間に、強力な増援が来るかも知れないのだ。

 

「貴様、ギーアだな?」

「……!」

 

 隠していたかった事実が見破られてしまった。

 

「クイーン様がご執心の女。このあいだの戦闘で死んだって話だったが……生きてたのか」

「できればそうと思っててほしかったわ」

「ハオハハ! クイーン様なら向こうにいる。会いにいったらどうだ?」

「絶対、イヤよ!!」

 

 厳として拒否を放ち、ギーアの身が素早く跳んだ。

 全身を一本の矢として奔る先は、奴の懐。

 

「せいッ!!」

 

 打点は胸の合間、心臓の守りが最も薄い部位だ。いかな真打ちでも、最も重要な臓器の一つを打ち抜かれれば、動きを止めざるを得ない。

 そのはずだった。

 

「ヌゥエエエエエエエエエエエイイイッ!!!」

「!?」

 

 ギーアの全身が叩き伏せられた。

 何か平らで広いものが、真横からギーアの全身を全く同時に打ったのだ。

 受け身をとれないまま地面に墜落したような感覚。何だ、という思いで、吹き飛ぶギーアはそれを見る。

 コンテナだ。

 

「な……!」

 

 ババヌキは恐るべき腕力と握力でもって、掴み上げたコンテナを振り抜き、ギーアに叩きつけたのだ。

 貨物は一つ一つがババヌキに勝るとも劣らない大きさである。中身だって相当な重量物のはずだ。それを片腕でやすやすと振り回すとは。

 

「これが、真打ち!」

 

 背を地面で削りつつ、転がり続ける体に制動をかけた。攻撃は食らったものの、まだまだ戦える。

 敵の武器は屈強な腕力と周囲のコンテナ。コンテナは辺りに山ほど積まれているから、代わりはいくらでもあると言える。

 今度はそれに気を付けて挑まなければならない。

 

「む? ……ハハ、運が悪かったな侵入者。お前は今、まさに“ババ”を引いた」

 

 不意に、ババヌキが含み笑いをこぼした。

 

「何?」

「勝ち目がなくなったということだ。このおれと、この武器が揃ったんだからなぁ!」

 

 直後、ババヌキは手にしたコンテナを引き裂いた。

 端と端を掴み、まるで綿を裂くかのような気軽さで木材の構造物を引き裂いてしまう。粉々になった破片は梱包材とともに地面へと落ちていく。

 その中に、一際固く重い音があった。

 重厚な鉄器である。

 

「……鎧?」

「そう見えるだろうな。だがこれは兵器だ。人間一人が持てる火力の限界を求め、武器工場に造らせた逸品。威力の反面、すさまじい反動で使えるヤツが限られてしまうのが難点だが」

 

 だが、

 

「——このおれが!! その中の一人さ!!!」

 

 ババヌキの巨大な胸にそれは取り付けられた。

 肩と胸全体を覆う金属部品の羅列、その中央には巨大な砲門がぽっかりと空いている。まるでババヌキ自身が一つの大砲になったかのようだ。

 大砲と鎧が一つになったそれが、やがて駆動音をあげる。

 

「さあ避けれるものなら避けてみろ! こいつの弾速を見切れるならなぁ!!」

「く……っ」

 

 まずい。

 軍備に精通した知識と予感が警鐘を鳴らしている。

 アレは、まずい。

 

「避け……」

「遅いわぁ!!」

 

 男の胸が火を噴いた。

 

「“象の進軍(エレファンティネ・アクション)”!!!」

「!!?」

 

 直後にそれは来た。

 速い。

 発射音と着弾がほぼ同時だった。

 発砲の光が一瞬で全身を包む砲火となる。痛みと熱さが、全身を余すことなくなぶり尽くす。

 

「が……っ」

 

 体中が煙を吹く消し炭で覆いつくされてしまう。衝撃が意識と体のつながりを寸断し、受け身もないまま、ギーアは倒れ伏した。

 

「ハオハオハハハ! どうだ、ワノ国製の兵器は! 労力はいくらでもある、大量生産も技術の向上もお手の物だ!」

 

 撃ち終えた武器を脱ぎ捨て、悠々とした歩みでババヌキがやってくる。

 丸焦げになったギーアにはただその姿を睨みつけることしかできない。

 

「ふん、まだ心は折れんか。大した女だ」

 

 横たわるギーアをババヌキは嘲笑する。

 

「どうだ? ――クイーン様の下へ連れて行ってやろうか?」

「!!!」

 

 牙だらけの口が弓なりを描く。

 クイーン。このババヌキよりもはるか上に位置する最高幹部で、恐竜に変身する悪魔の実の能力者。

 それを思った瞬間、心が激しい熱を発した。

 

「お前をクイーン様の前に連れて行ったら、褒美がもらえるかもな」

「ナメるなぁ!!」

 

 両脚が突風を噴き、ババヌキの頭上高くへと飛び上がる。

 “脱皮”している時間はない。炭化した皮膚が剥がれ、焼き切れた肉が血をにじませるが、それよりもこの男を倒さなければならない。

 

「“旋風断頭(ジェットダントン)”!!」

 

 噴き出す烈風で威力を増した踵落とし。

 交差したババヌキの太い腕がそれを防ぎ、男の嘲笑を崩すことができない。

 

「随分可愛がってもらったそうじゃないか。何ならおれもやってやろうか!?」

「黙れぇ!!」

 

 烈風の蹴り。

 赤熱する掌底。

 激するままに放たれるギーアの攻撃は、一拍のうちに数多打ち込まれる猛攻だ。

 

「無駄だぁ!」

 

 それでも男の強固な体を貫くには至らない。

 

「ゴンドラを落としたのもお前等だろう? あの程度でクイーン様がくたばると思ったか!? じきに出てくるだろうよ!」

「…………!!」

「そうなった時、ズタボロにしたお前を手土産にするのも悪くない!!」

 

 ババヌキの言うとおりだ。

 このままこの男に時間をとられれば、あの男は岩塊と瓦礫の下から復活する。そうなれば自分もリューマも太刀打ちできない。再び捕らわれる。

 そうなる前に、ババヌキを倒さなければならない。

 ギーアは胴をひねり、右腕を大きく引き絞り、

 

「うあああああああ――――!!」

 

 渾身の一撃を放った。

 

「“閃光火拳(フラッシュヴァルキリー)”!!」

「!!!」

 

 光熱の掌底がババヌキの腹に叩きこまれた。

 筋肉の鎧に食い込むほどの攻撃、巌のような体が威力に押されて後ずさる。遂にギーアの一撃はババヌキを捉えたのだ。

 巨漢の巨体はたしかにゆらぎ、

 

「ああぁ――――……」

 

 しかし、

 

「今のは効いた」

 

 それだけだった。

 

「ヌウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!」

「!!!」

 

 激烈が来る。

 空気をえぐる振り上げの拳であった。弧を描いて風を打ち破る一打がギーアを叩きのめす。

 

「……!!」

 

 つぶてのように体が飛んだ。

 風を切る音、痛打のままに頭から弾き飛ばされる。

 

「ハオハオハハハハハハ!! くたばらねぇ能力者なんだろ! だったら手加減はいらねぇよなぁ!!」

(どいつもこいつも……!!)

 

 好き勝手言ってくれる、とギーアは思う。

 確かに傷は癒える。しかし傷を負った時に痛みを感じないというわけではないのだ。鍛えられた自分が常人並みだとは思わないが、それでも打たれれば痛いし、斬られれば血が出る。

 何より、このヌギヌギの実の能力は、使おうと思って使わなければ発動しない。ある程度の傷を受けたら自動的に発動するというものではないのだ。

 身動きがとれなければ人を頼らねばならないし、気絶してしまえば傷はそのまま。即死ならそこで終わりだ。

 だから今、ギーアは必死で意識を体にしがみつかせていた。

 

(ここでオチたら終わる……!)

 

 ババヌキの一撃で全身が軋み、内臓が悲鳴をあげている。諦めていいのなら諸手を上げて諦めたかった。

 しかしそうする訳にはいかない。闘志を投げ出すわけにはいかない。痛みが無くせなくても、それでも傷をなかったことにできるのはギーアのアドバンテージだからだ。

 痛みと向き合う事、耐え忍んで勝つまで殴り返す事。

 それがギーアの戦い方なのだ。

 もう心を折りはしない。

 

「……っ!!」

 

 威力のままに吹き飛ぶギーア、しかしそこで姿勢を直し、地面に脚を突き立てた。

 

「こんのぉ――!」

 

 鋼を仕込んだ両の脚で踏ん張り、勢いを止める。

 だがそこは真打ちの一撃、途方もない威力で吹き飛ばされていた体は、たかが2本の脚程度では止まらない。足裏は地を抉り、地面に軌跡を刻み込むばかりだ。

 このままでは岩壁に背中から衝突する。

 故に、両の手が赤熱を放った。

 

「んぎぎ……!!」

 

 光熱と爆風を後ろ手に放ち、その反発を利用して踏み止まる。

 後退しようとする体と前進しようとする両手、その板ばさみにあう肩が千切れそうだ。祖国での鍛錬、そして改造人間としての強化手術がなければ耐えられなかっただろう。

 どうにか激突を免れ、負荷を逃がすように荒く息を吐く。

 

「ふん、まだやるつもりか? 諦めれば良いものを」

 

 ババヌキはまだまだ余裕だ。

 膝をつき、肩で息をするギーアを嘲笑い、

 

「叩き潰してやる!!」

 

 巨体が駆けだした。

 大男の疾走だ、ギーアとの間合いなどすぐ詰まる。地響きが聞こえそうなほどの轟きは、その圧倒的重量を幾度となく主張した。

 拳をふるうまでもない。あれほどの疾走と体重が乗っていれば、ただの体当たりでもギーアを打ち破ることができるだろう。

 鋼さえ潰す体躯が迫る。

 

「とどめだ!!」

「…………」

 

 対するギーアは、

 

「ああん!? 命乞いかァ――――!?」

 

 直上を指差した。

 まるでそこにある何かを見ろ、というかのように。

 

「私達が今どこにいるか、分かってないみたいね」

「何ィ!?」

 

 ギーアとババヌキの立ち位置。

 女は男の一撃を受け、しかし岩壁に激突する寸前で爆風を放ち踏み止まった。そこへとどめを刺そうと疾走し、男は今まさに女を岩壁との間ですり潰そうとしている。

 つまり二人は今、この潜港の端にいる。

 端には一体何があったか。

 

「まさか……!」

 

 詰め所の扉。そしてその傍にあったもの。

 

「――永久指針!!」

 

 ババヌキが見上げたところにそれらはあった。

 ギーアの放った赤熱と爆風により机や木箱は四散し舞い上がる。いまや木片の群れでしかないそれらに混じって、砂時計型の小さな羅針盤が幾つも宙に浮いていた。

 無数の永久指針だ。それらは方々へ放物線を描き、落下しようとしている。

 

「貴様、あれが目的じゃないのか!? 全部ぶち壊す気か!!」

「私達は1個あれば十分。あんなにあったんじゃ、あんた達に追いかけられちゃうじゃない」

 

 不敵に微笑み、

 

「1個だけ回収する。あれらが落ちきるまでに、――あんたをぶっ飛ばす」

「貴様ァ――――!!!」

 

 激する竜の一撃が降ってくる。

 しかしババヌキが永久指針に気を取られた隙に、ギーアは反撃の準備を整えていた。

 

「ぜぇりゃああぁぁぁ――!」

「!?」

 

 ギーアを襲う擦り潰しの一撃、その軸足を光熱の手刀が薙ぎ払った。

 いかな巨体とて、いや巨体だからこそ、足首という弱点がそこにはある。それは相手よりはるかに小さい体をしているギーアにとって、たやすく狙える一点であった。

 内から外に向けて、水平に奔る一打がババヌキの姿勢を崩す。

 男の巨体が傾き、一瞬宙に浮く形となり、

 

「ぶっとべ!!!」

 

 ひっくり返った巨躯をギーアは狙い撃つ。

 

「“閃光放火(フラッシュフローラ)”!!!」

「!!!」

 

 最大出力だった。

 空中でゆるやかに回転するババヌキの体を、光熱が吹き飛ばす。

 

「き、貴様ぁ――――!!」

 

 ババヌキの怒声が響き渡る。

 全身を火に包まれた巨漢の形相は、まさに地獄の悪鬼といっても過言ではないものであった。

 

「熱ィ!! 意趣返しのつもりか、この女ぁ!」

「言ってる場合? 今どこに向かってるか分かってないみたいね」

 

 火の粉を散らしながら、ババヌキは走ってきた方向に吹き飛んでいく。その先にある、壁のように積まれたその場所へ。

 大量の武器を内包したコンテナの群れへ。

 

「ぬぅおおおおおおおおおお――――――!!!」

 

 コンテナを砕き、材木と粉塵の中に巨体が沈む。

 直後。

 

「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ――――――――!!!!」

 

 巨大な爆発がコンテナの群れを消滅させた。

 男を、その爆心地に呑んだまま。

 

(ヤツはコンテナの中から武器を取り出した。つまり、あそこにあるものは武器。それならあると思ってたわ。……爆薬や、それを内蔵した兵器がね)

 

 ならばそこに火を注げばいい。

 最大出力で火だるまにした敵を、その真っ只中へと叩き込めばいい。巨体はコンテナという外装を砕き、火気厳禁の中身に火を注いでくれるはずだ。

 男が突っ込むあたりに兵器があるかは賭けだったが、あの巨体なら狙える範囲は広い。分は悪くないとギーアは思っていた。

 そして後にはギーアだけが残され、

 

「――おっと」

 

 落ちてきた永久指針を受け止めた。

 手に取るのは1個だけ。降り注ぐ十数個の永久指針は次々と地面に打ち付けられ、あえなく木っ端と硝子の破片に形を変える。

 この“偉大なる海路”で特に信じぬくべき重要な道具が、一気にその数を減らした瞬間だった。

 永久指針に印字された地名をギーアは見る。

 

(マガジン島……それが目的地になるってことね)

 

 どうやら他の永久指針も揃って同じ場所を示す物だったらしい。周囲に転がる永久指針だった物にも、その名を見ることができた。

 それにしても、とギーアは痛む体を押さえて先を見た。

 コンテナは今や炎の壁といってもいい有り様だ。あれだけの量の出荷品を焼いたならば、百獣海賊団にも痛手を与えられただろう。

 ババヌキは火に溺れ、その影すら見えない。

 

「私が、いつまでも私がクイーンに怯えると思わないことよね。そんなのは、あのゴンドラを墜とした時に振り払ってやったんだから!!」

 

 まったく、

 

「女がいつまでも男に囚われると思うなんて……考えが古いのよ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永久指針を手に入れ、迫る追っ手も退けた。となれば後はリューマとの合流だ。

 急いで船着場に向かわなくてはならない。クイーンの復活が刻一刻と迫る中、真打ちとの戦闘という不運に見舞われてしまった。ともすればリューマの方にも真打ちが行っている可能性すらある。もしそうなら早急に手を貸さなければならない。

 再び積荷置場を飛び越えるべく、両脚の機能を作動させようとして、

 

「――おい、ギーア!!」

 

 横合いから声がかけられた。

 一度聞けば忘れられない甲高い声、しかしこの場においては本人以外の口から出る声だ。

 

「リューマ!」

 

 ゲッコー・モリアの声を宿す男は、波間を行く船の上にいた。

 港湾にあって波がうねる海上を行くのは、両脇に水車を備えたパドルシップだ。大きさは中型程度、水車を回すのに蒸気機関を使っているのか煙突からは煙が立ち昇り、船はみるみる間に沖を目指して進んでいく。

 舵は固定してきたのだろう、船の最後部にリューマは立っている。

 

「船は奪った!! ……お前は!?」

「こっちもいただいたわ!」

 

 手にした永久指針を掲げれば、大きく手を振り返された。

 ギーアは跳ぶ先を海上に変え、両脚が秘める機能を作動させた。突風に押し上げられ、波打つ海原を飛び越えれば、そこは中型パドルシップの甲板の上だ。

 ギーアとリューマは合流し、腕を高く掲げ互いの掌を叩きあった。

 

「よくやった、上出来だ!」

「ええ、このまま出国しましょう!」

 

 目的のために必要なものは全て奪った。もうこれ以上ここに留まる理由はない。むしろ追撃の手がかかる前に、早々に出て行かねばならない。

 潜港から続く洞穴は一本道、遠く見える出口にらは荒れ狂う海原と空が見えた。

 

「リューマ! 早くあそこまで――」

 

 行かないと、と言おうとした。

 しかし突如として炸裂した轟音はそれを許さない。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ――――――ッ!!!」

「!!」

 

 離れつつある港の上に無数の岩石が舞い上がる。

 打ち上げられた岩塊が周囲に降り注ぐ衝撃と響き、しかしそれをかき消すほどの轟音は、信じられないことに人の喉が発するものであった。

 奴が、立ち上がったのである。

 

「何してやがるノロマ共ォ!! とっととガキ共を捕まえねェか!!!」

「……クイーン!」

 

 本当に生きていた。

 乗っていたゴンドラごと墜とされ、幾つもの岩塊と大量の瓦礫に押し潰されて、しかしそれらをはじき返して奴は立ち上がった。恐ろしいまでの強靭さである。これが百獣海賊団の大幹部、“新世界”を根城にする海賊の実力か。

 

「ムハッ! ムハハハハ!! ゴンドラで姿を見たぞギーアァ!! やっぱり生きてたんだなァ! 侍を引き入れゴンドラを落とすとは……あじな真似をしてくれるじゃねェか!!!」

 

 遠目にも見て取れる巨体を揺らし、クイーンが部下の海賊達に指示を飛ばす。

 

「――滝を閉じろ!! 袋のネズミにしちまえ!!!」

「は、はいッ! ただちに!!」

 

 そうだ。

 この潜港が最も安全にワノ国を出入りできる場所でありながら、百獣海賊団がそれを独占している理由。それは外海と潜港を分かつ、滝の開閉にある。

 パドルシップが走り続ける洞穴の先に海原が見えていたのは、洞窟の出入り口へと流れ落ちる滝が分けられた状態だったからだ。言うなれば開門している状態、これからクイーン達が出航するために開け放っていた。

 だがその操作は、滝の内側で行うもの。やはり潜港で操作できるらしい。

 

「……リューマ!」

「無理だ! これ以上の速度はでねぇ!!」

 

 かくいう間に、洞窟の口が閉じ始めた。

 両端から次第に迫ってくる激流は、左右に二分されていた瀑布に他ならない。開門として滝を切り裂いていた仕掛けが、百獣海賊団の操作によって動き始めたのだ。

 降り注ぐ膨大な水は海面を乱し、踊らされたパドルシップが速度を鈍らせる。

 

「駄目! 間に合わない!!」

「ムハハハハハ! 捕まえたらまた可愛がってやるぜェ! 今回のことも含めて、念入りになァ!!」

「…………!!」

 

 克服したはずの恐怖が首をもたげた。

 クイーンに痛めつけられた過去が追いすがってくる気配に、背筋が凍るようだ。

 やはり自分は奴から逃げられないのではないか、そんな思いが胸をつき、

 

「何をビビッてやがる」

 

 隣のリューマが、刀を抜いていた。

 荒波にもまれる船の上、下駄をはいた足でゆっくりと先頭へ。

 

「未来の海賊王と組んだのなら……情けねぇ面晒してんじゃねェ!!!」

 

 徹頭徹尾を黒くする一振りの刀、『秋水』が構えられた。

 大きく、大きく、更に大きく、背後へ刀身を送るようにして、そして二本の腕が太く張る。刀に巨大な力が集約されるのをギーアは確かに感じた。吹き荒れるような威圧感、剣気とでもいうべき侍の力が発揮されようとしている。

 向かうところは、閉じたる瀑布の壁。

 

「まさか……!」

「おれは海を支配する男だ……! たかが滝一本が――道を塞いでんじゃねェ!!!」

 

 打ち破れ。

 

「――“樹陰大蛇(ネグロ・ニドヘグ)”!!!!」

「!!!」

 

 それは途方もなく巨大な斬撃であった。

 侍の膂力をもって放たれる刃が、莫大な激流を斬り飛ばす――!

 

(嘘でしょ……)

 

 兵器でもない。

 科学力でもない。

 ただ一人の実力が自然に打ち勝つ瞬間を、ギーアは間近にしたのだった。

 降り注ぐ滝が、莫大量の飛沫となって外海へ降り注いだ。流れ落ちる瀑布が欠損し、空隙になった隙をついてパドルシップは駆け抜ける。

 

「――――――!!!」

 

 潜港ももはや遠い。降り注ぐ瀑布が欠損を埋めようと再び降り注ぎ、激流は新たな壁となってクイーンの怒号の断ち切った。

 

「は、ははは……!」

 

 ギーアは我知らずと笑っていた。

 滝を斬り裂いてくぐり抜けるというバカげた現実に、笑ってしまうしかなかったのだ。

 

「あははははははは……!!」

 

 ギーア達の乗る船が滝を抜けたのである。

 2人は、ワノ国を脱出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滝を文字通り切り抜け、しかしだからといって無事に逃げおおせた訳ではない。

 巨大な高台ともいうべきワノ国の近海は、その特異な地形ゆえか、滝が流れ込むこともあって異常な海流が入り乱れる迷路なのだ。おまけに切り立つような岩礁もそこら中で顔を出し、幾度となく衝突の危機に晒される。

 

「ちょっと右! いや左ィ――!!」

「黙ってろ! 操舵なんて久しぶりなんだ、茶々入れんじゃねェ!」

「はぁ!? あんた航海技術あるって言ったじゃない!!」

「あるとは言ったが専門じゃねぇ! あくまでおれは船長だったんだ、自分自身で船を動かしてたのは、随分昔なんだよ!」

「騙されたァ――!! こんな奴信じるんじゃなかったァ――――!!!」

「黙れっつってんだろうがァ――――――――――ッ!!!」

 

 そんな問答をどれほど繰り広げただろうか。

 ワノ国の滝も岩礁海域もいまや遠景、ようやく落ち着いた海原まで辿り着くことができたのだった。

 

「はァ――……、はァ――……」

 

 甲板で大の字になるギーアである。

 手足が弛緩し、立ち上がる気力も湧いてこなかった。汗と海水で全身は濡れ鼠となっていたが、骨の髄まで火照って寒さなど微塵も感じない。何かとてつもなく大きなことを成し遂げたような感慨に満たされ、そのほかのことなど些細なことに思えてしまう。

 否、確かに自分は確かに成し遂げたのだ。

 自分を捕らえていた百獣海賊団に一矢報い、その魔手から逃れ、自由の身になったのだ。

 リューマと、正しくはゲッコー・モリアと力を合わせて。

 

「そういえば」

 

 リューマはどうしただろうか、と思った。

 ひとまず安全なこの海域まで彼は操舵していたが、こうして船を落ち着かせると、操舵輪から離れて静かになってしまった。

 どこに行ったのだろうか、と思い首を回すと、

 

「あ……」

 

 いた。

 パドルシップの中央にある船室、その外壁に背中を預け、刀を抱えて座り込んでいた。

 ギーアのように息を抜いているのだろうか。いや、そうではない。

 リューマはその役目を終えたのである。

 

「“影法師”」

 

 リューマの傍にそれは立っていた。

 全身黒塗りの影の塊。ここにいないゲッコー・モリアの姿そのままの巨体は、これまでリューマに宿ってその体を動かしてた動力源ともいうべきものだ。

 そうだ。もとよりそうする予定だった。これまでリューマがギーアと共闘してきたのは、モリア本人が傷ついていたため、そして巨体が目立つためだ。ワノ国脱出という目的を達成した今、リューマが動く理由は無い。

 “影法師”は、本体であるモリアといつでも居場所を交換することができる。

 こうしてワノ国を脱出した後はリューマの体から“影法師”が抜け出し、本体と入れ替わるというのは、すでに前もって話していたではないか。

 だがそれでも、

 

「もう、動かないのね」

「そうだ」

 

 寂寥を込めたギーアの呟きは肯定された。

 

「侍リューマが動いていたのは、あくまでおれの影が寄生していたからだ。こうして抜け出てしまえば……抜け殻でしかない」

 

 答えたのはモリアだ。

 照り返すところの一切無い、黒い影でしかなかった“影法師”に色がつく。まるで布が水を吸うように、頭の天辺から黒色が引き、人間としての姿を表していく。

 一拍の間に、“影法師”はゲッコー・モリアと入れ替わっていた。

 

「よくやったギーア。お陰でおれはこうしてワノ国を脱出することができた」

「助けられたのはお互い様でしょ」

 

 最後に見た時と変わらず、モリアの全身は傷だらけだった。それどころか、雪降る鈴後で身を潜めていたせいか、皮膚は赤く腫れ、ところどころが凍傷になりかけているようだった。

 自分達が戦い続けている最中、モリアもまた、耐え忍ぶという戦いを続けていたのだ。

 

「……ねぇ」

 

 甲板に寝そべり、天を見上げたままギーアは問いかけた。

 

「やっぱりあんたは、リューマに入ってた“影法師”とは別物なの?」

「そうだ。おれと“影法師”は一心同体だがおれ自身ではない。おれとまったく同じ性格と記憶を持っているだけであって、おれが“影法師”を通して見聞きし操ってた訳じゃねぇ」

「そっか」

 

 つまり、リューマとともに戦った記憶は、もうギーアの中にしかないということか。

 “影法師”はリューマから抜け出し、再び入ることがあるかは分からない。入ったとしてもそれ以前の記憶を持っているかも分からない。

 彼にかけられた言葉で動かされた自分がいる。

 その事実は、声を放った本人ですら失ってしまうということか。

 

「………………はぁ」

 

 幾ばくかの感情を抱き、しかし飲み下すようにため息をつく。前もって分かっていたことを今更蒸し返すようなことはしない。ギーアも子供ではないのだ。

 だからモリアにワノ国で交わしたことを求めまい、と心に誓い、

 

「――だが」

「?」

 

 モリアは続けた。

 

「おれ自身ではないが、しかし一心同体なんだ。いま“影法師”はワノ国からおれの元に飛んで戻ってくる途中だが……戻ってくれば、“影法師”が体験したことはおれに還元される」

 

 ギーアは言葉を失った。

 

「“影法師”があんたの影に戻れば、ワノ国でのことを思い出すってこと?」

「思い出すわけじゃねえ、二つに分かれたものが一つにまとめ直されるんだ。おれが他人の影を切り取った後、それが戻った時に影が体験したことを本体が漠然とだが知っていることがあった。能力者本人であるおれは、それがもっと明確なんだ」

「……そっか」

「今はまだ知らねェが、“影法師”が戻ってくれば、お前とワノ国でやったことは分かるようになるだろうよ」

「うん」

 

 よかった、とは言わなかった。

 それをモリアに言ってしまえば、きっとモリアは自分を笑うだろうから。

 

(だからこの言葉だけは……私だけが知っていればいい)

 

 この感謝は自分だけのもの。

 折れた心を救い、本当の意味で自分を奴隷から解放した感謝は、胸のうちに隠していこう。

 ギーアはそう思い、空を見上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてモリアの下に“影法師”が帰ってきて、少し経った時のことだ。

 直上にあった陽は傾き、赤みを増して水平線を目指している。海原は未だに平静、ワノ国近海のような、荒れ狂う海模様は今のところ無い。

 モリアが永久指針を片手に操舵輪を操る一方で、ギーアは船の動力を確認することにした。脱走したとはいえジェルマ王国出身の元兵士だ、この程度の機関を理解することは難しくない。向かう島にいつ着くか分からない以上、船のことはなるべく多く把握する必要があった。

 そうして船室の中で動力系を調べていると、

 

「ぷるるるるるる……ぷるるるるるる……」

「……?」

 

 囁くような声がした。

 モリアのものではなく、ましてやギーア自身の声でもない。くぐもった声は、何か密閉さあれたところで喋っているようだった。ギーアは配管の隙間から顔を出し、声のする方を向く。

 そこには机と、その上に置かれた小さなトランクボックスがあった。どうやら声はその中からしているらしい。

 

「ひょっとして」

 

 煤けた手を着物で拭い、トランクボックスの鍵を外す。蓋を開けて中を見れば、

 

「やっぱり電伝虫」

 

 トランクボックスの中にいたのは、一匹の電伝虫だった。

 一抱えほどもある大きなカタツムリは、人が手を加えることによって通話装置となる家畜の一種だ。草食でおとなしく、人と共存することを種として受け入れているため、世界各地で広く飼われている。

 ワノ国では別の種が使われていたが、外海に出るこの船には電伝虫を乗せていたのだろう。

 ということは、

 

(これは百獣海賊団宛の連絡ってことね)

 

 このパドルシップは百獣海賊団から奪ったものだが、それはついさっきのこと。この電伝虫の向こうにいる人間がそのことを知っているとは思えなかった。

 無視する、という手もある。

 だがギーアは敢えて出ることにした。

 ここで出なくても、脱走者がでたということはすぐに伝わるだろう。それにもし既に伝わっていたとしても、相手にもこちらにも話をする以上のことはできない。であれば、通話の相手が前者であることに賭け、なにか情報を引き出す方が幾分かマシだと思えた。

 鎖国するワノ国に捕らわれて数ヶ月、外部の情報は少しでも手に入れておきたかった。

 

「……こちら、百獣海賊団」

 

 電伝虫の受話器を手に取り、なるべく低い声を作って応答する。

 その瞬間、電伝虫が口を開いた。

 

『遅ェぞクソったれ! 待たせるんじゃねェよ!!』

「わりぃ、ちょっと手間取っちまった」

『オイオイそんな調子で大丈夫かよ。百獣海賊団だろう、しっかりしてくれよ』

 

 どうやら通話先の相手は百獣海賊団ではないらしい。かといって敵対しているという風でもない。察するに、同盟か何かを結んだ外部の海賊といったところか。

 

(そういえば……)

 

 クイーンがゴンドラに乗り込む前、配下の海賊達に向かって出航の目的を話していた。不本意な連合と言っていたが、この相手が連合を結んだ海賊団なのだろうか。

 だとすれば自分たちは彼らにとって不都合な存在である。港で奪い、その他の殆どを破壊した永久指針は、きっと彼らとの合流地点を示すものだったのだ。だから同じ場所を示す永久指針がまとめて置いてあったに違いない。

 

(でもそうなるとマズいわね)

 

 これから自分たちが向かう島には、百獣海賊団と協力関係にある海賊団が待ち構えているということだ。自分たちが百獣海賊団を出し抜いてやってきたと知れば、牙を剥くに違いない。

 少しでも相手の情報を知る必要があった。

 

「そっちの具合はどうなんだよ。ちゃんとやれるのか?」

『バカ言え! この日のためにどれだけ準備したと思ってやがる!』

 

 それは怒声であったが、すぐにほの暗い喜びに変わった。

 

『へへ、あの野郎に痛い目を見た海賊は多いからな……声をかけて回るのに苦労したぜ』

 

 どうやらこの連合は、何者かに対する逆襲を目的として集められたものらしい。百獣海賊団もナワバリを荒らされたと言っていたから、その人物は相当の荒くれ者のようだ。

 果たしてそれは何者なのか。

 通話先の相手は、恨みがましい口調でその名を告げた。

 

「とっとと来い!! 海軍が奴を狙っている今がチャンスなんだ。今度こそあの化け物を……ダグラス・バレットを仕留めるんだ!!!」

 




これにてひとまずワノ国編は終了です。
しかし一難さってまた一難がこの世の常、次からはあの劇場版キャラを相手取ることになります。本編はこのように、作中の時系列において「過去にあった事件」を拡大解釈しながら繋げていく形をとっていければと思っています。

感想や評価をいただけると喜びます。おもに私が。よろしくお願いいたします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。