ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

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バレット編
海軍中将の集う町


 険しい沿岸に波が打ちつける様は、まるで陸と海の抗争であった。

 鏃を束ねたような岸辺に白波は押し寄せ、砂が崩れ落ちるような音ををたて喰らいつく。しかし岩石でできたそれはまるで動じるところがなく、まさに傲岸そのものといった体で波を蹴散らし、打ち破れた津波は飛沫を散らして海原に返された。

 頑健な巌が長く広がっていた。乾くことのない岩肌は黒く光り、朝の日差しを跳ね返す。

 およそ人のよりつく場所ではなかった。岸壁と高波がかき乱す海流を恐れて魚ですら近寄ろうとはしない。この広い海にどれほどの沿岸があるのかは分からないが、どう贔屓目に見ても、この岸辺が上陸に適していないのは明らかであった。

 しかし、だからこそ今求められる。

 

「よし、ここだ」

 

 延々と続く岩礁の中でも、とくに大きく抉れたところにそれはいた。

 船である。

 それも両脇に水車を備えたパドルシップだ。

 搭載した動力機関によって風もなく進むことができる科学の粋が、停泊しようとしている。知恵ある者なら誰もが避けるであろう、峻険な岩場ともいうべきこの沿岸にである。

 その光景を見る者がいれば誰もが口を揃えて止めただろう。しかし敢えてそれを強行するのは、まさにそうした者たちが寄り付かない場所を求めているからに他ならない。

 

「海軍の奴らも、ここまでは探しに来ないだろう」

「だと良いんだけど」

 

 船の甲板に立つギーアは、隣に立つモリアの言葉に肩を竦めた。

 慣れない操舵で四苦八苦しながら、なんとか寄せた天然の船着場である。それだけの成果があるはずだと、彼が期待をするのも分からないではない。

 しかしモリアは渋い顔でこちらを見下ろしてきたので、ギーアは早々に逃げることにした。

 両脚に埋め込まれた噴射装置が風を噴き、細い体が跳び上がる。

 

「よっ、と」

 

 拡張された跳躍があれば岸の上までひとっ飛びだ。

 祖国が生み出した科学技術の産物である。それだけの技術力を戦争にのみ費やす彼らを苦々しくも思うが、すでに脱走した身である。自分の身にもたらされた分ぐらいは、せいぜい思うままに使わせてもらおう、というのがギーアの思いあった。実際この力は、自分を狙う敵を迎え撃つのによくよく活躍してくれる。

 などと思う間に、モリアが岸壁をよじ登って来た。

 ギーアの倍以上はある巨漢だ。腕力もあるが体重もそれ相応、こちらの立つところまでたどり着くには苦労を要するだろう。まして彼は悪魔の実の能力者だ、一歩間違えて海に落ちれば浮かび上がってこられない。内心、緊張感で満ち満ちているのではなかろうか。

 だから無事に登りきった時は、ちゃんとねぎらいの言葉をかけてやった。

 

「お疲れ」

「うるせぇよ」

 

 この憎まれ口だ。鼻で笑ってしまうギーアである。

 しかしこの難所に船を停めた努力を笑おうとは思わなかった。モリアがそれだけの苦労をしているのは後ろから見ていたし、そうした努力が必要な状況であると聞きつけたのは、ギーア自身なのだから。

 

「本当に海軍がダグラス・バレットを追ってこの島に来てるんだな?」

「あの電伝虫の先にいる男は、そう言っていたわ」

 

 もう何日も前のことだ。

 ギーアとモリアを狙う百獣海賊団から逃れるため、奴等の船を奪い脱出した後のこと。

 奪った船の中にあった電伝虫に通信が入った。それは百獣海賊団と連合を組んでいた海賊からからの連絡で、相手が言うことには、海軍がダグラス・バレットなる人物を攻撃するので徒党を組んでそこを狙おう、とのことであった。

 ギーア達が奪った船は、その襲撃のために準備された船だったのである。

 

「ダグラス・バレットを狙うンなら将官以上の海兵が動いてるはずだ。連合を組んでる海賊とやらも、それまではどこかしらに隠れてるんだろうよ」

「……ダグラス・バレットって、そんなヤバい奴なの?」

 

 問いかけたモリアの横顔は、かつてないほど緊迫し張り詰めていた。ダグラス・バレットとは、海賊達の間ではそれほど知られた存在なのか。

 ああ、とモリアは頷いて、

 

「大海賊時代以前の海賊さ。――あのロジャー海賊団の船員でもある」

「……!」

 

 ギーアは言葉を失った。

 予想を超える大物が話題に上がったからだ。

 

「海賊王ゴールド・ロジャーの部下ってこと!?」

 

 世界一周を成し遂げた唯一の海賊、ゴールド・ロジャー。

 彼は世界のどこかに莫大な財宝を残し、それを探してみせろと言い残し、昨年処刑された。その遺言に端を発したのが、今の大海賊時代である。

 数多の競合する海賊達を退け、荒れ狂う海を制覇した、この海でもっとも自由であったという男。彼の冒険と戦いを支えた男の一人が、ダグラス・バレットということか。

 

「どうだかな。“鬼”の跡目と呼ばれるほどの男が、易々と人の下につくとも思えんが」

 

 モリアは渋面のまま腕を組み、思い返すように瞑目した。

 

「ロジャー海賊団に入る前も下りた後も、戦うこと自体を求めて暴れまわったって話しか聞かねぇよ、奴の事はな」

「強いってこと?」

「強いなんてもんじゃねぇ。奴に勝つことができたのは海賊王ロジャーだけ。奴の右腕である“冥王”シルバーズ・レイリーに匹敵するとまで言われた猛者だ」

「そんな……」

「ロジャーの処刑後、幾つもの海賊団を潰し海を暴れまわっていると聞いたが……そうか、遂に海軍が動いたか……」

 

 モリアは沿岸の先へと目を向けた。

 起伏のある坂を登った先にあるのは、この島の港町だ。

 

「――この島は間違いなく戦場になる。その前に出発するんだ」

 

 緩んだところのない彼の横顔に、ギーアもまた戦慄する思いがした。百獣海賊団からやっとの思いで逃れたというのに、その先で待っていたのは、それに勝るとも劣らない危機だったのだ。

 モリアがそれほどまでに危ぶむのであれば、早急に町へ向かう必要がある。

 

(永久指針を探さなきゃ)

 

 “偉大なる海路”を進む上で求められる、特定の島のみを指す特殊な羅針盤。この島へ向かうのにも必要となった品である。

 この島で新たに別の島を指す永久指針を手に入れる必要があった。

 

「行くわよ」

 

 と、ギーアは歩を進め、

 

「ちょっと待て」

 

 しかし歩みはほかならぬモリアによって止められた。

 出鼻を挫かれてつんのめり、思わず恨めしい顔で振り向いてしまう。

 

「……何よ。急がなきゃいけないんでしょう?」

「お前その格好で行くつもりか?」

 

 え、と自らの姿を顧みれば、なるほど確かに呼び止められる理由がそこにはあった。

 ギーアたちが脱出した百獣海賊団の根城、ワノ国は鎖国国家である。独特の文化と技術を持っており、それは当然衣類の形にも影響している。なのでギーアはそこにいる間、悪党から奪ったワノ国の服で活動していた。

 しかし今度は逆に、それが目立ってしまうのだ。

 

「ワノ国の格好のままじゃ目立つ。これを持っていけ」

 

 そう言ってモリアは数枚の紙幣を手渡す。

 

「船の中にあったもんだ。それでまず目立たない服を買ってから行け」

「……ありがと」

「金で物を買うなんざ海賊として業腹だが……海軍の目があるんじゃしょうがねぇ」

 

 一般人の常識は海賊の非常識。

 まったく悪党らしいこと言うモリアを受け入れてしまうのは、自分も海賊の流儀に染められつつあるからだろうか。それを悲しむべきかどうか、はっきりとはしなかった。

 ギーアは受け取った紙幣の額を数え、なるほどこれなら服も一新できそうだ、と計算する。上下の服に靴、あと永久指針も物によっては買えるかも知れない。

 と、めくる紙幣に1枚の紙切れが混じっていた。掌に乗る程度の小さな四角い紙だ。

 

「モリア、これは?」

「持って行け、おれのビブルカードだ」

 

 ビブルカード。

 それは今ギーア達がいる“偉大なる海路”の後半、“新世界”で作られる特殊な紙である。個人の爪の欠片を元に作られ、平らな場所に置くと爪の元になった人物の方へ進むという性質がある。しかも火や水を受けても失われないため、時に永久指針などに代わる道標として使用されることもある。

 ギーアに渡されたのは、モリア自身のビブルカードの一部らしい。

 

「ここでは二手に分かれる。もし合流する必要がある時は、それを辿って来い。だがもし燃えるようなことがあれば……」

「――急いで向かうわよ。あんたがいないと、船が動かないんだから」

 

 ビブルカードにはもう一つの機能がある。

 それは爪の元になった人間の生命力を表すという性質だ。紙自体は決して失われないが、元となった人間の生命が危うくなると、独りでに燃え始めて小さくなっていくのである。

 しかしギーアはそんな事態を許すつもりはなかった。

 

「貰っとくわ。でもどこかで一端区切りをつけて、一度集合した方がいいんじゃない?」

「……そうだな。いつ戦いが始まるかも分からねぇ。昼過ぎにはここに戻ってこい」

「了解」

 

 示し合わせたギーアは今度こそ歩き出した。

 モリアもそうである。こちらとは正反対の方向へ歩いていくのは、別の場所から街に入るためだろう。半日で街の中から見つけ出すのだ、探し始める場所は離れていた方が良い。

 巌でできた上り坂を進んでいくと、高台にある町の入り口が見えてきた。

 

「さてね。手早く見つけられると良いんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 危惧は現実となった。

 

「無いなぁ……永久指針……」

 

 長く伸びる商店街の中を、ギーアはため息交じりに歩いていく。

 その姿はすでに新調されている。永久指針を買うために金銭を温存したので安物にしか手が届かなかったが、今は目新しいキャミソールにワイドパンツという軽装を身に着けていた。袖がなく裾がゆるい服にしたのは、手足が秘める兵器を使った時のことを考えたからだ。

 だが新しい服で練り歩く楽しみも、目当ての品がなければ肩を落とすしかない。合わせて買ったサンダルの靴底を擦るように歩き、立ち並ぶ商店のショーウィンドウを流し見する。

 やはりなかった。

 道すがら様々な商店を覗き、店主に問い合わせたものの、誰も彼もが首を横に振る。

 彼らに曰く、

 

(誰も彼もが買い求める、か)

 

 少し前にこの町で永久指針の需要が高まったらしい。

 近場の島から遠くの島まで、この町で手に入るあらゆる永久指針が買われてしまっている。記録指針ですら完売する有様なのだから、相当に求められていたのは間違いない。

 原因はやはり、海軍とダグラス・バレットに絡むものだろう。

 

(すでに噂になっている、ってわけね)

 

 バレットはこの“新世界”各地を転々としながら暴れまわっていると言っていた。ならば彼が来たことを察するのはそう難しくはないだろう。危機に聡い者なら近づいた時点で買いに走る。そこへ海軍の姿が見えるようになったとなれば、危機感のある者も買い求める。

 永久指針の消失は、そうした聡い者達の手によるものだとギーアは思っていた。

 しかし原因が推測できても問題を解決できなければ意味がない。こうなってしまっては後の祭りだ。この街において、正攻法で永久指針を手に入れるのはもう不可能だ。

 となれば、また誰かから奪うしかないか。

 

(都合よく海賊が出てくれたらなぁ)

 

 この島に来ているのはダグラス・バレットと海軍だけではない。

 船に連絡してきた者のように、バレットへの強襲を画策する海賊達が来ているはずなのだ。そういった者達なら永久指針か、あるいは磁気を溜め終えた記録指針を持っているかもしれない。

 だが彼らも今は姿を見せようとはしないだろう。下手に動けば、先に海軍に見つかってしまうからだ。それに下手に動けないのはギーア達も同じだ。向こうがこちらを百獣海賊団と誤解している以上、ボロを出してしまえばその海賊達にすら避けられ、本当に永久指針を手に入れる手がかりがなくなってしまう。

 船に残した電伝虫からかけ返すのは、最後の手段にしたかった。

 しかし事態はすでに八方ふさがりである。

 

「どうしよっかなぁ……」

 

 困り果て、見るものも見ずに歩み続けていると、商店街を抜けて開けた場所に出た。

 そこは広場であった。

 円形に開けた空間には環状の花壇が敷かれ、淡い色の花々が彩りを添えている。花壇の環の中はパラソルに机と椅子を一組として幾つも点在する一角があり、この広場が憩いの場として造られているのが見て取れた。そのためだろう、広場の外縁にある店はどれも飲食店だ。

 広場の四方はそれぞれ商店街へと続いており、ギーアが通ってきたのもその一つのようだ。どうやら漫然と歩き続けるうちに商店街を抜け、終点というべきここに出たらしい。

 しかし、

 

(? なんだろ)

 

 広場には人だかりができていた。

 数十人にわたる人垣が広場の奥にできており、休憩のために設けられた机や椅子を使う者は一人もいない。人ごみからはどよめきのようなものが聞こえ、この広場が作ろうとしていていた交流は行われていないように思われた。

 何だろうか、と思い、ギーアは人だかり近寄っていく。最後尾から先頭を覗くように背伸びをしていると、群がる後姿の向こうに噴水があるのが見えた。そして噴水の前には、2人の男がこちらに向かって立っている。

 どうやらこの人だかりは彼等を理由にして集まっているらしい、と思ったところで、

 

「――町民に告ぐ!!」

「うわっ!?」

 

 銅鑼を鳴らすような声がした。

 思わず耳を押さえて腰を落とすギーア。人だかりの面々も似たようなものだ。驚いて目を瞑ったり肩をびくつかせたり、唐突な大声に誰もが一様に竦んでしまっていた。

 声の主は、人だかりの向こうにいる男の片割れだった。

 

「現在この島には凶悪な海賊が潜んでいるとの情報が入っている!! 然るに我々海兵は、絶対正義の名の下にこれを叩き潰し、拿捕しなければならない!!!」

 

 改めて見た声の主は、なるほど確かに海兵であった。

 海軍将校にのみ与えられるコートを肩にかけ、腕を組んで仁王立ちする姿は大柄で逞しく、鍛えられているのが一目で分かった。頭にはフードを被り、更にその下につばの長い海軍帽を被っているので目元ははっきりしない。だがそれでも、顎骨の張ったいかつい顔立ちをしているのは見てとれた。

 それにしても大きな声である。

 広場を囲う飲食店の壁に反響するほどの声量だ。腹からたたき出される声色は鋼鉄のように固く、いっそ悲痛な印象すらあった。大儀は徹底して行われなければならないと自らに重く課しているかのような、凄まじいまでの気負いがそこにあるからだ。

 真面目な人なのだろう、とギーアは思った。

 しかしその真面目が人に受け入れられるものかは、また別の問題であったが。

 

「よってこの島は! この町は戦場になる! 町民は身分を証明する物を持って即時、我々が用意した避難船に乗って退避せよ!!」

 

 矢継ぎ早に放たれる男の宣言に人だかりは口々に不安を訴えた。

 

「ひ、避難船? そこまで大きな戦いになるのか?」

「そういえば最近、急に町を出て行く人が増えたわよね」

「でも海軍が来てるんだろ、なら島を出るまでしなくても……」

 

 誰も彼もが青ざめた顔を見せ合い、降って湧いた苦難に不満をもらす。

 しかしギーアは口を押さえ、驚きの声をあげないようにするので精一杯だった。

 

(来たんだわ、ダグラス・バレットが)

 

 事態を知った上でこの島に来たギーアには、ことの進展が理解できた。

 モリアも恐れる大海賊、戦うことに執着して海を荒らしまわる凶悪な犯罪者を追って来た海軍が、本格的に動き出したのだ。それも、こうして公共の場で堂々と避難指示を出すほど大々的に。

 彼等は被害がでるのを理解した上で、戦おうとしている。

 

「か、海兵さん、そんなこと急に言われても……」

 

 人だかりの中から一人の男が歩みだしてきた。

 恰幅の良い男性だ。商店街の顔役か、あるいは町長だったのかもしれない。気圧されているのは目に見えて分かったが、それでも声を上げて将校たちに反発する。

 帽子の将校は息を吸い、再び銅鑼のような声で答えようとした。しかしそれを手で制し、脇から出てくる者がいる。彼の隣に立つもう一人の将校だ。

 

「オー……サカズキィ~、そんなに怖がらせることはないよォ~……」

「……ボルサリーノ」

 

 サカズキ、それが帽子の将校の名前だろうか。

 制止された彼は、苛立たしげに進み出た将校の名を呟いた。しかし呼ばれた当人、ボルサリーノという将校はどこ噴く風で手を掲げて見せ、

 

「ここはわっしに任せなよォ~……」

 

 そういって、人だかりから踏み出した男に向き合った。

 ボルサリーノは、黒い帽子を被った面長の青年であった。背丈はサカズキに勝るとも劣らない長身だが、彼に比べて細く、肩にかける将校用のコートが随分大きく見える。白に縦じまのスーツを着込み、広げた腕の先には黒い皮手袋をした手があった。

 

「わっしの同僚が怖がらせてすまんねェ~……。でもねェ~……わっしらも町民の皆さんを、海賊退治に巻き込みたくないって話なのさァ~……」

「で、ですが海兵さん」

 

 サカズキよりは話し易いと踏んだのだろう、男はボルサリーノになおも食い下がった。

 しかし、

 

「わっしら中将が何人も出張らなきゃいけないぐらいのォ~……オー……危険な海賊っていうのはいるモンなのさァ~……」

「――!!」

 

 海軍中将。

 海をまたにかけ、世界政府加盟国を守る正義の軍団において、上から三番目にあたる階位。それに上り詰めるほどの実力者が何人もこの島に来ているというのか。

 息を飲んだ男の眼前に、ボルサリーノの顔が迫った。

 

「だぁから~……」

「ひっ!」

「わっし等も全力で皆さんを守るけどォ~……ンー……近くにいたら危ないだろォ~……?」

 

 大げさなぐらいに長身を曲げて、男に向けられた顔はあくまでも笑顔だ。

 しかしそれは、見るものを威圧する陰った笑みであった。

 

「わっし等もねェ~……そういうのは本望じゃないんだよねェ~……」

「う……!」

 

 にっこりとしたままのボルサリーノだ。

 しかしそれに町民たちの心配を和らげる目的があったとは思えなかったし、この場にいる誰もが、本当に好意からくる忠告をされているのだとは思わなかっただろう。それどころか、人だかりには萎縮したような空気があった。サカズキの怒号によって竦んだ人々が、続くボルサリーノの忠告で臆し、誰もが一歩後ずさってしまっている。

 

(ほとんど脅しじゃない)

 

 将校たちの町民に対する言動は、いっそ高圧的であるとギーアには思えた。

 しかしだからといって人だかりをかき分け、彼等に反論するようなことはできない。海軍にはあの態度を押し出すだけの権威と力があったし、自分にも彼らに食って掛かって目をつけられるのを避けねばならない理由があるからだ。

 何せ自分は悪の軍団を抱えるジェルマ王国の出身、しかも今は海賊ゲッコー・モリアの相方である。下手に口を挟んで正体がばれれば、その場で拿捕されることもありえる。

 

(ここは引いた方がよさそうね)

 

 身を潜めてこの場を離れるべきだった。

 幸いにしてギーアがいるのは人だかりの一番後ろだ。身を低くしていけば将校たちに見つからないまま、来た道を引き返すこともできるだろう。そうしてこの場を撤収し、モリアと合流してことの推移を伝えるべきだ。

 だからギーアはきびすを返し、来た道を引き返そうとして、

 

「おっと」

「!?」

 

 サカズキたちを返り見たまま走ったのが災いした。人にぶつかってしまったのだ。

 

「ご、ごめんなさい」

 

 思わず謝り、ギーアは相手を見る。

 そこには長身痩躯の男がいた。手足は長く、上半身は黒いシャツ、下半身は白いズボンの簡素な出で立ちだ。目元には丸いサングラスをかけており、いかなる目つきを自分にむけているのか分からない。髪はアフロのように膨らんでいたが、上半分をバンダナが絞っていたので、頬骨の張った顔の傍でのみ広がっていた。

 そしてそのバンダナには、そしてシャツの左胸には、海軍の印があった。

 

(海兵!)

 

 サカズキ達とは違い、将校のコートはかえていない。一平卒なのかもしれなかった。しかしここであの2人を呼ばれてしまうようなら、彼の地位は問題ではない。

 

「…………」

「え、ええっと」

 

 眼差しの知れない男は、依然としてギーアを見下ろしていた。

 への字に結ばれた口は憮然として見える。なにか不信を買ったか、と頬を汗が伝い、

 

「あららら悩殺ねーちゃんナイスバディ! 今夜ヒマ?」

「いきなりナンパか不良海兵!!」

 

 腹に一発見舞ってしまうギーアであった。

 

「オゥフッ! なかなか良いモン持ってんじゃないねーちゃん、見直したぜ!」

「見直すほどの何を知っているというのか……」

「まあ良いモン持ってるのは一目で分かってたけどな」

「このうえセクハラかッ!!」

 

 サングラスは値踏みする眼差しを隠すためだったのだろうか。

 ギーアは両腕で胸元をかばい、身をひねって男から隠す。しかし男の方は一転してへらへら笑うばかりで、一向に反省する様子が無い。とんだ不良海兵だった。

 こんな男に関わっている場合ではない。こうして喋っていることで将校たちの目に留まってしまうかもしれないのだ。

 早く行かなければならない。

 

「次からはもっとまともな誘い文句を考えるのね」

 

 だからギーアは男の横を通り過ぎようとした。サヨナラ、そう言い残して去ろうとして、

 

「――まぁ待ちなよ、ねーちゃん」

 

 男の手に腕をつかまれた。

 

「ちょっと、あんまりしつこいようだと……」

 

 言葉を続けることはできなかった。

 ギーアの腕を握る男の手が、まるで万力のような力を発揮したからである。

 

「……!!」

 

 改造人間であるギーアの腕は鋼の硬度を持つ。たとえそれだけの力を受けようとも折れるようなことない。しかしその握力はただの海兵が持つには有り余るものであり、何より、町ですれ違っただけの女に向けるような力加減ではなかった。

 いけない、と思った時にはすでに遅かった。

 腕を引いても振ってもびくともしない。男の腕こそ鋼でできているのではないかと思うほどの、不動の膂力がそこにはあった。

 

「さっきの、良いパンチだったぜ? いや本当に」

 

 油断した。

 男の腹に見舞った拳、その感触だけで、ギーアの腕がただの腕ではないと見抜いたのだ。もしかしたら最初に体がぶつかった時から怪しんでいたのかもしれない。ならば唐突なナンパは挑発だったのか。

 だとしたらまんまと嵌ってしまったことになる。

 

「ただのイカしたねーちゃんじゃねェな。――何モンだ、あんた」

「く……っ!」

 

 そこに軽薄な笑みはなかった。厳格に引き締まった無表情が、焦るギーアの顔ただ一点に向けられている。

 しかも悪いことに、先ほど思った予想が実現してしまう。

 

「――どうしたクザン!!」

「ンー……またナンパかいィ~……?」

 

 轟くような声と間延びした声が、人だかりの向こうからやってきた。

 サカズキとボルサリーノに気づかれてしまったのである。

 

「ちょ、ちょっと……!」

「まぁ逃げなさんなって。あいつ等の思うようにはさせんから」

 

 クザンと呼ばれたその男は、腕を掴んで離さないまま温情めいたことを口にする。しかし逃げようとしていたこちらからすれば、まったく何の容赦にもなっていない。

 そうこうする間にもサカズキとボルサリーノはやってくる。人だかりをかき分ける長身の2人は頭一個分飛びぬけていて、近づいてくるのが如実に見せ付けられた。

 もしかしたらクザンはサカズキたちと同じ将校であり、またサカズキたちもクザン並みの力を持っているのかもしれない。もしそうだとしたら、そんな3人に囲まれてしまえばギーアには一たまりもなかった。

 逃げなければならない。

 しかしどうやって逃げろというのか。

 

(か、考えろ……!)

 

 サカズキたちが来る前にクザンを倒して逃げる。無理だ。片腕だけでギーアを封殺するこの男を一撃で倒すことなどできそうになかったし、そうなったらサカズキたちは走ってこちらに向かってくるだろう。 

 同様にクザンを抱えて飛び去るのも却下。クザンに空いているもう一方の手も使われ、こちらが取り押さえられるのが関の山だ。

 八方ふさがりであった。

 

(こ、これまでか……!)

 

 2人の将校が人だかりを抜けて来た。もうまもなくギーアを中心にした三すくみが出来上がり、自分は逃げ場を失ってしまうだろう。そうなればギーアにできる事など一つも無い。

 しかし焦れば焦るほど思考は空回りし、考えはまとまらない。

 どうにもならない、ギーアは目を瞑って諦めを抱いた。

 その時である。

 

「――――――!!?」

 

 轟音、そして地響き。

 サカズキの声がちゃちに思えるほどの凄まじい爆音が響き、凄まじい縦ゆれが広場を、いや町そのものを襲った。中将たちですら立ち姿を崩すほどの激震だ、ギーアは足をとられて膝をつき、人だかりを作っていた町民たちもめいめいに倒れてしまった。

 大気を叩き伏せた轟きの名残は未だ根強く、全身の肌を一時に叩かれたような痺れがギーアを襲う。周囲の商店では、硝子が砕けてしまった窓も少なくない。

 

「一体何が……」

 

 誰が呟いたのか、痺れた鼓膜では聞き分けられなかった。分かるのは、それはこの場にいる誰もが思っているだろうということだ。何せギーアもその一人なのだから。

 これだけの災害があったのに、クザンの手は未だに腕を離さない。

 しつこい、と思い、もう片方の手で額を押さえ、ギーアはかぶりを振った。まあここで解放されたとしても、未だ震えの残る足では逃げるのも難しいだろうが。

 だったらせめてクザンの腕を支えにして立ち上がってやろうと思った。だから彼の袖を掴み、膝に力を入れなおそうとして、

 

「――え」

 

 都合、上を向いたギーアの瞳はそれを捉えた。

 それは天蓋だった。

 

「は?」

「んん?」

「お?」

 

 それが落とす広大な影に気づいたのだろう。将校たちや町民たちも空を見上げ、太陽の光を妨げる蓋が突然現れたことに目を丸くする。

 あれは何だろうか。どうしてあんなに大きなものが宙に浮いているのだろうか。

 だが酔いが覚めるような心持ちで、その思いが間違いだと気がついた。

 それは浮いているのではない。

 それは、空から落ちてくるのだ。

 

「はああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ―――――――!!!?」

 

 天蓋の正体は巨大な人間の背であった。

 巨人が空から降ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 広場が阿鼻叫喚で満たされた。

 集まっていた町人たちの誰もが絶叫し、唱和する絶望が高く響き渡る。それも当然のことだ。振ってくるのは広場を優に越える巨大な体である、下敷きになれば一たまりもない。

 誰も彼もが逃げ惑い、しかし今更走ったところで間に合わない。すでに巨人は落下を始めているのだ。あれほどの大きさであれば重さも相当、ならば墜ちてくる速さもそれ相応だ。

 広場が、いやその周囲にある商店が、諸共に圧砕される。

 それはもはや不可避の未来だと思った。

 

「し、死んだァ――――――――――!!」

 

 突然現れた災害のごときものに命を奪われる理不尽に目を見開き、悲鳴があがる。

 そのときである。押さえられていた腕が自由になったのは。

 

(……え?)

 

 何故、とクザンを見れば、手を放した彼はゆっくりと歩いていく。

 この局面でのんびり過ぎるほどに穏やかな歩調。死を受け入れて頭がおかしくなったのか、とさえ思った。しかし彼の横顔は冷徹なまでに平静な顔のままで、とても狂ったようには見えない。

 そして、おもむろに両手を天に掲げた。

 巨人を両手で支えるかのような姿で、次の瞬間、

 

「“アイス塊「大暴雉嘴」(アイスブロック・フェザントビック)”!!!」

 

 冷気が広場を駆け抜けた。

 そして巨大な塊が出現する。

 

「!!!?」

 

 それは光を反射する多面の結晶体。白く、または青く、向こうにある景色を歪めてみせる、透明度のある鉱物のごときもの。そして周囲の空気を凍てつかせる低温の源。

 氷だ。

 氷塊である。

 それもただの氷の塊ではない。周囲の商店をはるかに超える大きさの、しかし翼を広げた鳥を象る氷像であったのだ。翼から伸びる羽根の一本一本、鎖にも似た輪郭の尾羽に至るまで、大きさに対して精緻を極める、芸術品のごとき結晶である。

 そして氷像の鳥は、その広げた翼で抱きとめるように、墜ちる巨人を受け止める。

 

「――――――!!!」

 

 山を叩き伏せるような音がした。

 凄まじい重量と氷塊が激突し、像がひび割れる悲鳴じみた轟音が響き渡った。全力を発揮した腕に血管が浮き出すように、太い亀裂が氷像のいたるところを駆け巡る。だとしたら割れ目から吹き上がる氷の粉塵は、氷像の血飛沫なのだろうか。

 歯軋りのような耳障りな音が広場を満たし、誰もが耳を塞いで体を伏せた。

 誰も理解できなかっただろう。

 何故空から巨人が降ってくるのか。

 どうして巨大な氷塊が生えたのか。

 天地から迫る理不尽な災害に対して、ギーアはあまりにも無力であった。

 

「う、うううう……!!」

 

 歯を食いしばって異音に耐え、ただことの成り行きを見守るしかない。巨人と氷の巨鳥が激突するという現実の先に、何が待っているのかを。

 一体どれほどの時間が経っただろうか。

 体のあらゆる部位を引き締めて耐えしのいだギーアからは、時間の感覚が失われていた。

 しかしそれでも、未だ自分が息をしているのは理解できた。 

 

「と、止まった?」

 

 白く膨れ上がった吐息は、氷像が未だ健在であることの証拠だ。

 見上げるギーアの視界には、家よりも巨大な氷の鳥が翼を広げて巨人を抱きしめる、そんな光景が広がっていた。

 

「は、ははは……」

 

 ギーアは引きつった笑いをこぼした。

 今は氷像に挟まれて見えないが、向こう側にいる町民たちも同じ気持ちを持っているだろうと思いたい。朝の陽気の下で、突然巨大な氷が出現するなど、理解の範疇を超えた現象だ。

 しかしギーアは、それを起こせる力がこの世にあると知っていた。

 悪魔の実である。

 

「あんた、能力者だったの……?」

「まぁな」

 

 氷像の根元からクザンが戻ってきた。

 半身を氷で覆い白い息をつく彼は、事も無げに歩いてくる。まるで氷が自分の皮膚であるかのような平然とした様子に、ギーアは底知れぬ恐れを抱いていた。

 食った者に自然現象へ身を変える力を与える悪魔の実、“自然系”の力だった。

 

「ジョン・ジャイアント中将! しっかりしろ!!」

 

 氷像の向こう側でサカズキの声がした。降ってきた巨人の安否を確かめているらしい。

 氷像を背もたれのようにして倒れている巨人は、重厚な軍服に身を包んだ厳しい男だった。面長で顎の割れた顔は大猿を思わせる険しさがあり、常ならば厳格な表情を一時たりとも緩ませないのであろうと、初対面のギーアにすら思わせる。

 しかし今は白目を剥き、呆けた口の端からは一筋の血をこぼして横たわっている。

 

「あらららら、海軍初の巨人海兵がなんつう様だ」

 

 恐ろしいことに、巨人の屈強な胸には大きく陥没していた。骨を折り、心臓を叩き伏せているのが一目で分かるほどの、深い傷跡だ。

 まるで何か、凄まじい力によって殴り飛ばされたかのように。

 

(まさか)

 

 信じがたいことだ。しかしそうとしか考えられない。

 このジョン・ジャイアントという巨人は、何者かによってここまで殴り飛ばされたのだ。

 

「嘘でしょ……」

「残念だけど本当」

 

 どうやらクザンも同じ結論に達したらしい。

 見上げていた彼の顔は、いつの間にかこちらを見ていた。

 

「聞いたろ? ヤバい海賊が近くにいるって。これ、間違いなくそいつの仕業なんだわ」

 

 クザンはその名を告げる。

 

「――ダグラス・バレット。おれ達は奴を止めるためにここに来た」

「……!!」

 

 やはりだ。クザンが、海軍中将が何人も一つところに集まった理由は、それだったのだ。

 ダグラス・バレット、奴は巨人を一撃で倒すほどの力を持っているというのか。

 

「こうなっちまったらねーちゃんへの職質は無しだ。これを幸運だと思うなら、幸運なうちにこの島を出な。巻き込まれたくねェだろ?」

「――おいクザン、何をしている!」

 

 クザンの忠告を怒声が切り捨てる。

 地を強く蹴る音がして、向かいに建つ商店の屋根に人が飛び移った。数は2人、はためいているのは将校専用のコート。サカズキとボルサリーノだった。

 サカズキが指差すのは、ジョン・ジャイアントが飛んできた方角だ。

 

「行くぞ! ダグラス・バレットは向こうにいる!!」

「分かってらァ! すぐ行くから待ってろ!!」

 

 相変わらずの銅鑼を鳴らしたような声に、クザンも声を張りあげた。

 そして最後にこちらを見て、

 

「じゃあな。生き延びてくれよ」

 

 それだけ言って、クザンは一瞬にして姿を消した。

 前もってサカズキ達が屋根の上へ飛び乗っていなければ消失したと思ったかもしれない。見上げれば2人の傍にクザンの姿があり、またすぐに姿を消してしまった。恐らく奥の建物へと飛び移っていったのだろう。

 そうして後には巨人と砕けた巨像、そしてギーアと町民たちが残された。

 

「お、おい」

「ああ、海兵が言ってたのは本当だったんだ……このままここにいたら、こんな戦いに巻き込まれるんだ……!」

「急いで島を出るんだ! 他のみんなにも声をかけろ!! 早く避難船へ!!」

 

 氷像の向こうからざわめくような声がする。誰も彼もが口々に叫び、あわただしく走り回る。見れば、周囲の商店街からも人が飛び出し、巨人と巨像を見上げて驚いている。きっと彼らにも話は伝わり、皆もろともに島から逃げ出すだろう。

 ギーアにしても、いつまでもここでじっとしてはいられない。

 

「モリアと合流しよう……!」

 

 事態は急を要する。こうなったら近海に退避するだけでも良い、とさえ思った。とにかく一刻も早く、彼らの戦いから遠ざかることが必要だった。

 そのための手立ても、今のギーアは持っている。

 

「そうだ、ビブルカード!」

 

 ズボンのポケットから取り出したのは一枚の紙切れ。町に入る前にモリアから手渡された、彼のビブルカードである。それを水平にした掌に置けば、糸で引いたかのように独りでに動きだす。

 モリアがその先にいるのだ。

 

「急がないと……!」

 

 震える足に力を込めて立ち上がり、ギーアは紙片の指す方へと走り出した。




新章突入、という感じで。
サカズキが方言じゃないのは、ロビン過去編で登場した時のサカズキに準拠してるからです。なまり始めたのって歳食ってからなんですかね。

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