ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

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“鬼の跡目”と呼ばれる男

 人が濁流をなす光景がそこにはあった。

 誰も彼もが顔を青ざめさせ、おぼれたように手足を振り抜き駆けていく。いずれの顔も恐怖と焦燥で塗り固められ、それは走るほどに砕けて周囲に及び、隣り合う者、すれ違う者へ不安という病を伝染させてしまう。

 恐れは焦りを、焦りは不安を、そして不安は逃亡へと至る。状況が個人を汚染し、さながら一塊の存在であるかのように融け合わせる。

 混乱だ。

 混沌といってもいい。

 つい先ほどまで賑やかだった商店街は騒然と荒れ狂い、来客と町民はその区別を失い、ただとにかくこの場から一刻も早く逃げ出すことしか考えられない、烏合の衆と化していた。

 

「――逃げろ!」

 

 男も女も、老いも若きも関係なく、誰もが口にする言葉。

 あるいは走る以上の速さで、その言葉は町中に広がっていく。

 

「船着場へ! 早く海軍の避難船に逃げるんだァ!!」

 

 周囲に対する精一杯の善意だったのかもしれないし、あるいは叫ぶ者が自らに言い聞かせるため口にした鼓舞だったのかもしれない。ただいえることは、この人の波が向かうところを示す言葉は、まさしく一方へと迸る濁流の音そのものに思えたということだ。

 

「くそ……っ! 何だってこんなことに!!」

 

 誰かが怒りを露わにした。

 しかしそれは、併走する数多の声によってすぐさま説き伏せられる。

 

「仕方ねェだろ! 海軍中将が暴れるってんだぞ!?」

「敵は巨人族をぶっとばすような化け物っていうじゃねェか!」

「そうだ、おれは見たんだ! 商店街の広場に巨人が降ってきた!!」

 

 何度も繰り返されるこのやり取りは、そして最後にはその一言で結ばれる。

 

「巻添えをくう前に、逃げるんだよォ――!!!」

 

 その叫びがあがるたびに遁走は加速した。

 一方通行の恐慌が、町から海辺へ向かって人々を押し流す。濁流は一路、町の端にある船着場へ向かって流れる。そこに停まる、一隻の巨大船へと。 

 

「……ひどいわね」

 

 そうし光景を、ギーアは屋根の上から見下ろしていた。

 俯瞰した遁走の濁流は、同じ高さにたって見るのとはまた違った理解があった。誰も彼もが自分のために動いているのに、結果として一緒くたになり個人が失われる。意思が一斉に暴走して巻き起こるこの状況に対して、身の毛もよだつ何か恐ろしいものを感じた。

 あの流れにいては目的を達成できない。ゆえにギーアは屋根の上へと上がったのだ。

 ギーアは走る。

 濁流に逆らう方へ向かって。

 平らな屋上を、屋根の峰を、時に建物と建物の隙間を大きく跳び越え、速やかに。

 その掌には、一枚の紙切れが乗っていた。

 

(やっぱり貰っといて良かったわね)

 

 紙切れの名はビブルカード。

 個人の爪を材料とし、その主の安否と居る方向を確かめることができる、特殊な紙片だ。

 ギーアが持っているのは、ここまで一緒に航海してきた男のもの。この町で別行動するにあたり渡された物だが、良くも悪くもこうして早速役立つ羽目になった。

 鍛えられた体は風を切り、いったい幾つの建物を跳び越えていっただろうか。紙片の向くままに走り続けてた先に、ギーアはその姿はあった。

 

「――モリア!!」

 

 人と人の区別が失われた濁流にあって、それでも目立つその男。何故なら彼は巨躯だからだ。さながら押し寄せる波を割る大樹のように、ゲッコー・モリアの体は人波を左右に二分していた。

 

「ギーアか!」

 

 呼びかけに気づき、モリアはこちらが立つ屋根の方へと近寄る。

 

「これは一体なんの騒ぎだ!? まさか……」

「ええ! 残念だけど始まったわ!!」

 

 2人はこの町で騒乱が起きることを予期していた。

 ダグラス・バレット、その男が狙われると知っていたからだ。

 かつて海賊王ゴールド・ロジャーの下にいた、今は行く先々で海を荒らす凶悪な海賊。正義を標榜する海軍はもちろん、同じ海賊ですら彼を憎み、その両勢力は武力をもってこの島に集結していると、聞き及んでいたからだ。

 だからそれらが動き出す前に逃げたかったのだが、間に合わなかった。

 

「さっき海軍に会ったわ! “自然系”の能力者と、中将が2人! ぶっ飛ばされてきた巨人の海兵を受け止めて、どっかに跳んでいった!!」

「巨人族の海兵……!? ジョン・ジャイアントか!!」

 

 それは確かに、あの広場で中将の一人が口にした名前であった。

 

「鳴り物入りの海軍中将だぞ!! それをぶっ飛ばしただと……!? やはりダグラス・バレットか!!」

「こうなったらもう無理よ! 近海に逃げるだけでもいいわ、早くこの島を出ましょう!!」

 

 別の島へ行くのに必要な永久指針も見つけられなかった。

 戦場となる島の圏内から出られないのは不安だが、それでも爆心地にいるよりは大分マシだ。次善の策ではあるが、もうそれにすがるしかない。

 

「早く船に――……」

 

 行こう。

 ギーアがそう言おうとした瞬間であった。一閃が奔ったのは。

 

「――――」

 

 誰も反応できなかった。それがこの世で最も速い力の集約であるが故に。

 人々が逃げ惑う商店街の道、その一角を突如して一条の光が貫く。

 

「うあああああああああ!!?」

 

 家屋が内側から破裂し、破断した材木や硝子が逃げ惑う人々へと降り注いだ。貫いた光線によって焼かれたのだろう、飛来する建物の瓦礫には、火を伴って落ちてくるものも少なくない。

 雨のように注がれた硝子から人々は頭を庇い、しかし幾人もが瓦礫に押し潰され、停まれなかった後続を走る者たちに踏み潰される。唐突な災害によって、濁流をなす人々は更なる混乱に陥ってしまう。

 人々に混乱をもたらしたその光に、ギーアは心当たりがあった。

 

「レーザー……!?」

 

 科学技術に秀でた国で育った彼女には、その知識がある。なんらかの技術によって光を圧縮して放ち、あらゆるものを焼き貫くエネルギーの矢だ。

 しかし理論上はありえても実現する力が今はない、そのはずだったのに。

 

「どうしてそれがこんなところに……」

「おいギーア! そこを下りろ!! ――まだ来るぞ!!」

 

 え、とモリアの叫びに疑問を漏らしたとき、確かにそれはやってきた。

 ギーアが立つ商店街の向こう側で、再び光が発せられる。

 

「……!?」

 

 しかし今度の光は、今しがた建物を貫いた光線とは質が違った。赤みを帯び、周囲の景色を陽炎によってゆがめる、膨大な熱量を持つ光だったのだ。否、光が本体なのではない。光と熱をともなう巨大な塊が、そこに現れているのだ。

 赤と黒を含む、炎と岩の混合物。

 その呼び名もまた、ギーアは知っていた。

 

「溶岩……!!?」

 

 火山などない。起伏すらないこの拓かれた町中で、それは突如出現する。

 遠くからでもよく見えるほど巨大な溶岩の塊が、ギーアの視界を右から左へと飛び抜けていく。奇異なことにその塊には造形があり、拳のような形をしているように見受けられた。

 塊は軌道上にある全てを焼き払い、一直線に飛んでいく。

 だがある一点に差し掛かった時、突如として進みを止め、そして、

 

「嘘でしょ――――――――――!!!?」

 

 崩壊した。

 一山はあろうかという溶岩の塊に亀裂が走り、一瞬にして数十の断片となって四散する。断片といっても元々が大きいのだから飛び散るものもまた大きい。人の二倍三倍はあろうかという融解した岩石が、炎をまとって四方八方に降り注いだのだ。

 それはまさしく噴火というべき惨状だった。

 

「……!」

 

 急いで飛び降りた屋根にもまた、溶岩の断片は到来した。

 飛び散った溶岩は屋根を押し潰し、打ち砕かれた家屋は瓦礫を宙に吹き上げる即席の火山となる。新たに舞い上がった瓦礫が更なる破壊となって降り注ぎ、商店が密集する一帯に甚大な被害をもたらした。

 家屋が、人が次々と失われていく。

 連鎖する倒壊によって商店は次々と失われ、地面を舗装しようとするかのように降り注いだ瓦礫は、地を走る町人たちへと襲い掛かった。

 ある者は頭を砕かれ。

 ある者は肩を抉られ。

 逃げ惑う背に無慈悲な脅威があますことなく突き刺さる。

 しかしそれでも逃げ続ける人々にできることは、隣で起きる隣人の悲鳴に耳を塞ぎ、脚を交互に繰り出し続けることでしかない。

 逃げ延びることが一体何割程度だっただろうか。逃げられなかった者たちの亡骸はどこに埋もれてしまっただろうか。瓦礫の平原と化したこの場所ではもはや定かではない。華やかですらあった商店街は、瞬く間に焼け野原へとその姿を変えてしまったのだ。

 

「い、一体、どうして……」

「決まってんだろ、能力者だよ!!」

 

 屋根から跳び下りる僅かな間に、景色は飛来する炎と岩に平らげられてしまった。その現実にギーアは竦み上がるしかない。

 そんな彼女を受け止めたモリアは、燃え盛る廃墟を睨みつける。

 

「光と溶岩、“自然系”が2人もいるのか……! 」

 

 商店街を更地に変えた力を悪魔の実の能力だとして、その使い手が何人いるのかをモリアは予想したのだ。

 しかしギーアはそれが間違っていると気づいた。何故なら、もう一人の“自然系”の能力者と出会っているからだ。

 

「違うわモリア、3人よ!!」

 

 その瞬間だった。球状の氷塊が天に打ち上げられたのは。

 投石器で放られたかのように山なりを描くそれは、上りつめるのもそこそこに、ゆっくりと降下を開始する。落ちるほどに速度は増し、いまや風を切って甲高い音をたてるほどになった氷塊が向かうところは、

 

「こ、こっちに来る……!」

 

 息絶えた者と逃げ延びた者、そしてギーアとモリアしか残らないこの一帯にそれが落ちたのは、幸いであったのか不幸であったのか。おそらく逃げおおせた者にとっての幸いであり、こうして生きて残されたギーアたちにとっての不幸であるといえるだろう。

 鉄球が打ち付けられるような音がして、瓦礫と粉塵が吹き上がる。ギーアは不発弾が真横に落ちてきた心境で、降ってきたそれを見つめていた。

 

(氷……まさかクザンが……?)

 

 商店街で出会った海兵のことを思い出す。一瞬で建物より大きな氷像を作り出す彼なら、この程度の氷塊を撃ちだすなど造作もないだろう。

 流れ弾だろうか、とギーアは思い、

 

「……違う!」

 

 間違いだと気づいた。

 

「氷の中に、何かいる……!」

 

 とっさに呟いてしまったギーアだったが、しかしそれさえも間違いだった。

 氷塊は流れ弾ではなかったし、中にいるのも、何かではなく、誰かだったのだから。

 

「……!!」

 

 氷塊の中にギーアは人影を見た。

 身の丈にしてギーアの二倍以上はある、逞しい体つきをした大柄な影である。膨れ上がった肩と腕は、その人物が身の内に秘めた凄まじい膂力を、姿によって物語っている。しかしそれもいまや氷のうちに封じられていた。このままなら放置すれば、内臓にいたるまで凍てつき果てるはずだ。

 だがその時、氷が亀裂を刻んだ。

 

「――伏せろ!!」

 

 モリアがギーアを地面に押さえつけるのと、氷塊が爆ぜたのはほぼ同時だった。

 岩が砕けるような音がして氷塊は炸裂し、飛び散った断片が瓦礫や廃墟へ撃ちこまれる。

 信じがたいことだ。氷の中にいた男は、その腕力だけで内側からあの氷塊を砕いたのだ。そして自らの力を持って自身を解放せしめた男は、残る氷塊を踏み砕いて地に下り立つ。

 筋骨流々な肉体に凶相を掲げた男が、ギーアの前に現れる。

 

(まさか……)

 

 あの氷はきっとクザンのものだ。

 海兵である彼が力を振るう相手は、海賊をはじめとする犯罪者に他ならない。そして、彼の力を持っても封殺できない力を持つ者など、ギーアは多く知らない。

 その数少ない心当たりの一人が、脳裏を過ぎった。

 海賊王ゴールド・ロジャーの部下。

 世界で最も過酷な“新世界”の海を荒らす者。

 海軍中将が何人も集まらなければならないほどの猛者。

 この男こそが、それなのだ。

 

「――ダグラス・バレット」

 

 “鬼”の跡目と呼ばれる海賊が、今、ギーアの目の前に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 粉微塵になった氷を男は踏み躙る。

 内臓の全てを筋肉に置き換えたのかと思うほどの逞しさを誇る、赤々とした肌の屈強な男であった。太い腕、逞しい肩、巨大な体、隆起する強靭さによって軍服は張り詰め、うちにした逞しさを隠すところがない。峻険な巌から削りだされたような、厳然とした体躯がそこにはあった。

 そして氷の中でも死ななかった眼差しが、憤然と世界を睥睨する。

 

「……………………」

 

 男、バレットは無言であった。

 筋肉で膨れ上がった腕は微動だにせず、息を漏らすこともなく、ただ黙って自分が飛んできた方角を鋭い眼差しで見つめている。

 彼は待っていたのだ。自分を攻め続ける追っ手の到来を。

 それらは一瞬の後に現れた。

 

「……バレットォ!!」

 

 廃墟を蹴散らしてバレットに迫る3人の影。

 それは広場で出会った男たち。一瞬にして巨大な氷像を作り出した海兵クザンと、その同僚と思しき2人の中将、サカズキとボルサリーノだった。

 視界の外から一瞬で現れた3人は、めいめいに腕をふるってバレットに迫る。

 

「“天叢雲剣(あまのむらくも)”」

「“アイスタイム”!!」

「“冥狗(めいごう)”!!!」

 

 右から迫るサカズキが煮え立つ溶岩の掌底を繰り出した。対する左からはクザンが氷塊のような掌を突き出し、中央上段からはボルサリーノが光の塊のような長剣を振り下ろす。

 一つとってしても致命傷は避けられない攻撃だ。それが三方から同時に迫る絶対の布陣。只人であれば次の瞬間に絶命させられる、ギーアはそう思った。

 しかしそれを破るからこそ、ダグラス・バレットという男は怖れられているのだ。

 

「!!?」

 

 ギーアが目の当たりにしたのは、クザンとサカズキの攻撃を躱し、ボルサリーノの腹を打ちぬくバレットの姿だった。

 

「え……?」

 

 彼の拳は黒金のように変色していた。否、実際に鋼鉄そのものになったのかもしれない。中将に至るほどの男が、ただの一発で身を折るほどの威力があったのだから。

 

「は、覇気ィ~……厄介だねェ~……!!」

「……悪魔の実の能力に頼りすぎだ」

 

 たった一言の応酬、それを経てボルサリーノの体は地面へと叩きつけられた。

 

「ボルサリーノ!」

「てめぇもだ!」

 

 中空からバレットの蹴りが放たれる。

 殴り飛ばされた彼へと振り返るクザンの顔が刈り取られ、ボルサリーノとは真逆の方向へ吹き飛び、燃え残った商店の壁をその身でもって粉砕した。

 後に残るのはサカズキだけだ。

 

「貴様ァ――――!!」

 

 噴煙を引く溶岩の左腕が再び振りぬかれ、

 

「ぬん!!」

「ぶ……!!!」

 

 交差する互いの左腕、しかしサカズキのそれを紙一重で躱し、バレットの拳がサカズキの顔面を真っ向から打ち抜いた。

 それでも尚倒れまいするサカズキ、ぐらつく足を一歩引いて踏み止まり、

 

「オオオオオオオオオオオオオオォォォォォ!!!」

 

 はじめてバレットが雄叫びをあげた。

 そして放たれる峻烈な一撃。控えていた右の正拳がサカズキの胸を穿ち、はるか彼方まで突き飛ばして山積する瓦礫に埋没させた。

 一瞬だ。

 刹那の交錯だった。

 ただそれだけの時間を持って、3人の海軍中将は一蹴されたのである。

 

「……嘘でしょ」

 

 見ているしかできなかったギーアは、ここに至ってようやく口を開くことができた。

 クザン。

 サカズキ。

 ボルサリーノ。

 揃いも揃って悪魔の実最強といわれる“自然系”の能力者、それも海軍中将に上り詰めるほどの実力者だったはずだ。そんな彼らが、たった一人の手によって一瞬で叩き伏せられる。

 我が目を疑う光景であった。

 それを事も無げに成し遂げる男、それがダグラス・バレットという男なのか。

 

「信じられねェ……!」

 

 隣のモリアも同じ心境だったらしい。思わず息を飲む彼は、海軍の戦力やバレットについて自分以上に知っている分、ギーア以上の衝撃を受けているのかもしれない。

 

「ぐ、ぐぉ……!」

 

 そんな中で、サカズキは苦悶しつつも立ち上がった。ボルサリーノも、クザンもだ。降り積もっていた瓦礫を払いのけ、腕をついて自らの体を起き上がらせる。

 それを見るバレットは、狂犬そのものといった風の獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「そうだ、立ち上がれ! この海は戦場だ、死ぬ瞬間までこのおれに挑み続けろ!!」

「ほざけ“悪”め……! 正義の、名の下に……!! 貴様を……!!!」

 

 血の泡をこぼすサカズキは呻き、決起するように再び腕が溶岩へと変貌する。

 そのときだった。

 

「そこまでにしとけ」

 

 彼の肩に手が置く者が現れたのは。

 

「!!!」

 

 初老の男である。

 顎ひげをたくわえ、髪は左右から白く染まりつつあったが、左目の縁に三日月形の縫い傷を刻むその顔は溌剌として陰るところがない。太く逞しい胴と腕は、今を持ってその男が現役であることを如実にしめしていた。

 男の肩にあるのは将校専用のコート。彼もまた、海兵であった。

 

「ガープ中将!」

 

 サカズキはその名を呼んだ。

 位は同格、だが呼び声に含まれる敬意は、彼をはじめとする3人とその男の間に、埋められない差があることをギーアに伺わせた。

 ガープ、その初老の男はサカズキを押さえて前に出る。

 

「若ェもんのやり合いに手を出すのは性分じゃないが……! 奴相手にはそうも言ってられん!!」

「何を言っているガープ。何のためにお前たちを揃えたと思っとるんだ」

 

 更に新たな人物が現れた。

 ガープに続いてサカズキの背後からやってきたのは、玉のような髪を蓄えた眼鏡の男だ。謹厳実直を絵に描いたような顔はガープと同世代、だが彼と同じく、歳を感じさせない屈強な体はただ歩くだけでも威圧感を漂わせている。

 彼も類に漏れず将校のコートを羽織っていた。しかしその位階は、他の面々と同じものではなかった。

 

「嘘だろ……!」

「モリア? あれが誰か知ってるの!?」

 

 廃墟と瓦礫に身を隠す中、驚愕のあまり口を閉じられないといった風の彼に問いかけた。

 

「大将センゴク……! 海軍最大戦力の一角、“仏”のセンゴクだ!!」

 

 大将。

 中将を超える海兵が、ついに現れたのである。

 それに対するバレットは、獰猛な喜色をより一層深めていた。

 

「“海軍の英雄”モンキー・D・ガープと、最大戦力“三大将”の一人、センゴクか……!! ようやくそれらしい敵が現れてくれたじゃねェか!!」

「だ、そうだぞ」

「狂犬め……イカレとる」

 

 ガープとセンゴクに対し、バレットは拳を固める。

 歳にして倍以上の開きがあるだろう2人に、しかし男は怯むどころか戦意を煮えたぎらせていた。揺らぐところのない双眸は闘志で燃え盛り、眼前にそびえる敵を打ち倒すことしか考えていないことが、全身から溢れ出る闘争心で伝わってくる。赤々とした肌はより色を深くし、赤熱する鋼鉄と見まごうばかりだ。

 対するガープとセンゴクも、肩に羽織るコートを脱ぎ捨てることで戦意に応える。首もとのネクタイを緩め、青年を迎え撃つべく意気を吹き込まれた筋肉は大きさを増し、包み込むスーツは張り裂けんばかりに膨れ上がった。

 

「…………」

 

 無言で進み出るのはガープだ。

 赤鬼ともいうべき青年に対し、頑健な初老の男は臆することなく歩みを重ねる。

 一歩、二歩、地を踏むほどに失われる両者の距離が大気を竦ませ、痛いほどの緊迫がギーアにのしかかってきた。

 固唾を飲んで見る中、ついにガープとバレットの距離は十歩にも満たないところまで迫り、

 

「……え?」

 

 消えた。

 激突はその直後だった。

 

「!!!!」

 

 両者の間は一瞬で失われ、互いの拳が衝突する。

 圧倒的な威力の相殺は周囲を薙ぎ払う衝撃波となって打ち寄せた。

 恐ろしいまでの打撃力の交差、だがそれは幕開けに過ぎない。幕開けの余波でさえ、ギーアにとっては必死に身を伏せ耐えなければならないほどの威力を持っているのだ。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ!!!」

 

 雄叫びが重なる。

 互いの拳が握り締めた威力は拮抗し、鍔迫り合いのように軋んで競り合う。

 突き出された腕は膨張を続け、譲るところのない男たちのせめぎ合いは臨界点を迎えた。

 

「ぐ……!!」

 

 ガープとバレット、2人の拳が弾かれる。

 激突の狭間で凝縮された威力はついに両者の膂力を超え、両者を弾き返したのだ。

 しかしそれを認める男たちではない。

 

「ぬん!!」

「だァッ!!」

 

 ガープの右拳がバレットの脇腹を貫き、バレットの左拳はガープの顔面を打ち据える。初撃が終わるやいなやの、一瞬の交錯。

 どちらも食いしばる歯から血をこぼし、

 

「うお……!!」

 

 しかし止まらない。加速する。

 人に拳は二つある、ならば敵を打つ間に次を打て。

 

「お!」

 

 打て。

 

「お!!」

 

 打て。

 

「お!!!」

 

 打て。

 

「お……!!!」

 

 打て打て打て、打ち抜いてしまえ――!

 拳は空気を穿ち、音を置き去りにする幾百の打撃へと進化する。

 数多の残像が男たちの間を疾走し、その最先端にある一打が敵を打つ。

 肩を、胸を、腹を、時には相手の拳を迎え撃ち、一撃必殺の連撃が応酬される。

 いまやガープとバレットは多腕の修羅、眼前のそれを倒すことだけが腕を振るう理由。

 その腕に力と速度がある限り、男たちの殴打は止まらない。

 

「……あれは……」

 

 いつしか拳が黒く染まっているのにギーアは気づいた。

 さっきバレットがボルサリーノを破ったときにも見た、黒金のごとき拳の輝きだ。

 

「――覇気だ」

「覇気?」

 

 問い返しにモリアは頷いた。

 

「体内を巡る意思の力だ。気迫や威圧……そういった類の、人間が誰しも持っている“力”。それを引き出した時、相手の気配を読み、体は鉄のように硬くなり、変化する悪魔の実の能力者も確実に捉える」

「あの黒い拳が、それ……?」

「武装色硬化だ。強い覇気を集約させた拳。あれだけの覇気で殴られて、どっちも倒れねェとはな……!!」

 

 モリアの顔には戦慄が浮かんでいる。今目の前で応酬されている力は、それほどの高みにある力なのだ。 

 今や両者は黒い嵐となっていた。

 唸る疾風には武装色の輝きが走り、相手が倒れぬ限り止ることはない。 

 

「……カハッ!」

 

 暴風に混じる声。

 風を切る音で連続する中、ギーアは確かにそれを聞く。

 

「カハハハハハハハハハ……!!」

「――笑ってる」

 

 それは哄笑だった。

 狂気に等しい狂喜が起こす、闘争に沸き立つバレットの歓喜。

 未だもって倒すことができない敵の存在に、“鬼”の跡目は歓喜しているのだ。

 

「やるじゃねェか“海軍の英雄”!! 久しぶりだぜ、殴っても倒れねェ奴はな!!!」

 

 歓喜で加速した一撃がガープへと叩き込まれる。

 

「お前に勝てば……! おれの強さはまた一歩、奴に近づく……!!」

「――ぬかせ小僧!!!」

 

 だが男が倒れることはない。

 額からしとどに血を流し、それでもガープの拳は繰り出された。

 狙うは突き出されたバレットの拳。横から打ち抜かれ、巨大な腕が払われる。

 腕を強制的に広げさせられ、開かれた胸へとガープの追撃が叩き込まれた。

 

「ウ……!」

 

 ついに両者の対峙が崩れた。ガープの一打が敵の巨体を後方へと吹き飛ばしたのだ。

 しかしバレットは踏み止まった。突き立てられた二本の脚が地を削り制動をかけ、

 

「退けガープ!!」

 

 そこにセンゴクが飛んだ。

 ガープの頭上を通り抜け、海軍大将はバレットへとその力を下す。

 

「何!!?」

 

 それは黄金の巨体であった。

 一瞬で膨れ上がった体躯は三倍以上、半裸になった体は金色に光り輝き、玉のようだった髪は螺髪へと変わる。その姿はまさしく仏、しかしバレットを睥睨する顔には、仁王もかくやという憤怒の相が刻まれていた。

 そして大いなる掌底が放たれる。

 

「ぬん!!!」

 

 鐘の鳴るような音とともに、大地は砕かれた。

 掌から放たれたのは衝撃波、球状の力場はバレットを飲み込み、土と瓦礫を粉砕する。

 

「オォ……!!」

 

 内臓まで震わす痛打に、さすがのバレットも苦悶した。

 だが攻めの手は緩まない。掌底を放つとともに引かれた左腕は既に力を込められている。

 連撃がバレットを襲う。

 

 

「”悪身打打(アミダブツ)”!!!」

 

「!!!!」

 

 輝ける拳がバレットを叩き伏せた。

 衝撃波によって浮いた男に堪える術はなく、その強固な体をもって地を割ることとなる。

 さながら板を割るように地殻は砕け、即席の谷間へとバレットは身を落とす。

 信じがたい光景だった。

 つい先ほどまでクザンたち中将を一蹴していたバレットが圧倒される。それだけの力を示す男たち、ガープとセンゴクの存在に、ギーアは驚愕を禁じえなかった。

 しかし、もっと信じられないのは、

 

「――カハハ」

 

 それでもなお立ち上がる、バレットであった。

 

「まだだ! まだおれはくたばっちゃいねェぞ……!!」

 

 男は傷だらけだった。

 身に着けていた軍服はすでに破れ、筋骨流々な肉体が露出している。赤々とした体はいたるところから血を流し、およそ人間が立ち上がれるような状態ではない。少なくともギーアにはそう見えた。

 しかしバレットは立ち上がる。

 

「これが、“鬼”の跡目」

 

 我知らずとギーアの唇はその名を呟いていた。聞くに勝る、とてつもない強さだと。

 しかし最も恐ろしく思うのは、強靭な腕力でも屈強な肉体でもない。自分の全身全霊をかけて徹底的に相手をねじ伏せ、それを果たすまで決して折れようとしない、妄執に等しいその闘争意欲が恐ろしかった。彼が見せた戦闘力は、それを振るう男の精神を示す一端に過ぎない。

 戦争に明け暮れる祖国ですら、敗けないための計略と軍備を整える知性があった。

 しかしあのダグラス・バレットという男にはそれがない。ただ一途に、自分の強さのみをもって相手を正面から打ち破ることに固執している。

 闘争自体にここまで執着する男を、ギーアは未だかつて見たことがなかった。

 

「……あれを受けてなお立つか」

 

 黄金の巨体を収め、本来の姿に戻ったセンゴクもまた同じ心境だったらしい。

 ガープとあれだけの応酬を交わし、地を砕くその力で真っ向から叩き伏せて、それでも立ち上がってくる男に対し、驚嘆の表情を浮かべている。

 

「まったく、ゴールド・ロジャーも厄介な奴を残してくれた」

 

 その名を口にした瞬間、バレットの気配が変化した。

 喜悦から憤怒へと。

 

「……黙れ」

「貴様が奴の死をきっかけに暴走を始めたのは分かっている」

 

 背から炎が噴き出したのではないかと思うほどの、峻烈な怒気がそこにはあった。しかしそれに動じる大将ではない。地鳴りのような返答に臆することなく言葉を続ける。

 ガープもまたそうだ。

 顎ひげを濡らす血を拭い、一対の拳を構え直す強靭な男。だがその顔には、あるいは憐れみとも呼べるような悲哀の情がにじんでいた。

 

「“金獅子”にも言ったが……! お前との勝負なら奴の勝ち逃げだ!! 死んだ者の影を追って、今を生きる者達の世を乱すのはよせ!!」

「黙れェ――――――――!!!」

 

 空気を破砕せしめる怒声が爆発する。

 烈火のごとき怒気が、彼の叫びとともに噴出したのである。

 

「貴様等が……!! 奴を語るなぁ!!!」

 

 大気が萎縮するのをギーアは感じていた。

 激昂によって染め上げられたバレットの体は、もはや赤黒いほどだ。嵐にも等しい憤慨は周囲を震わせ、降り注ぐような気迫によってその場にあるもの全てを圧倒していた。

 ギーアは必死でそれに耐える。

 きっとモリアもそうだ。3人の中将たちも、きっとガープやセンゴクですら、その威圧を前にしては、耐えることに力を注がなければならなかっただろう。

 ゴールド・ロジャー。その名を口にしただけで、彼の怒りは頂点を極めたのだ。

 

「おれは強い……! おれの強さは、やつを超えるんだ……!!」

 

 激憤の赤鬼は放つ眼光は、2人の男を射殺さんばかりだ。

 しかしそれを受け止めるガープとセンゴクには、そんな彼を哀れむような気持ちすらあるようだった。

 

「死んでしまった者にどうやって勝つ?」

「諦めろ! お前が奴を越えることは、もう出来やしないんだ……!」

「黙れ……! 黙れ黙れ黙れ……!!」

 

 憤怒はとどまるところを知らない。

 バレットは燃え盛る烈火の炎と化していた。人の形をとってはいたが、もはや彼を人としてみることはできなかった。その姿は吹き上げる激情が埋もれ、直視しがたいものとなる。

 怪物だ。

 怒りと焦燥に突き動かされた人ならざるものに、バレットは成り果てていたのである。

 

「おれは! おれ一人の強さですべてに勝つ……!! ロジャーにも、お前たちにも、おれは勝つ!! おれは、世界最強の存在になる……!!」

「そのためにいつまで闘うつもりだ! お前は、世界中を戦争に巻き込むつもりなのか!?」

「この海は戦場だ……! 強さことが全て……弱い奴は生きていけねェ……!」

 

 そしてバレットは叫ぶ。

 

「おれはおれ一人の強さで勝利する! そうだ! おれはロジャーを超えるんだ!!」

 

 彼が爆破されたのは、その瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!!!」

 

 猛るバレットの顔面に爆砕の花が咲いた。

 顔だけではない。肩に、腕に、脚に、その周囲に次々と炎と黒煙が吹き上がる。耳をつんざく轟音が連鎖し、幾重もの爆撃は濃厚な硝煙の匂いを爆心地に充満させた。

 砲撃だ。

 降り注ぐ砲弾である。

 数多の戦場で用いられる最も一般的な兵器。鋼の殻に火薬を詰め、筒より撃ち出して目標地点を焼き払う破壊兵器がこの場にある。それも、こうして絶え間なく降らせるほどの数が集結しているのだ。

 

「ぐ……!」

 

 両腕を交差し、吹き付ける砂礫から顔を庇った。

 しかしそんなものは気休めにしかならない。いまギーアの目の前で行われている爆撃は、そこに砦があろうとも更地に帰してしまうほどの、莫大量の破砕が重ねられているのだ。嵐に等しい暴風と瓦礫が、爆心地の周囲で巻き起こっている。

 そして爆心地に立っているのはバレットだ。

 そう、いまや数百を数えようという爆撃の雨は、彼を狙って注がれているのだ。

 

「モリア! これ!!」

 

 誰がこの爆撃を行ったのか。ギーアには思い当たるところがあった。

 

「ああ……間違いねェ……!」

 

 それはモリアも同じだ。

 吐き捨てるように苛立ちをこぼし、空を見上げて砲弾が放たれるところを追えば、

 

「いた! クソ、おれ達も巻き込みやがって……!!」

 

 モリアが、続いてギーアが見るところにそれはいる。

 バレットをなぶる爆撃を中心して、地平線を隠す巨大な円陣がいつの間にか広がっていたのである。バレットも、海兵たちも、ギーアたちすら飲み込んで、数十台に及ぶ迫撃砲から砲弾を撃ちあげ続けるのは、凶相に笑みを浮かべたならず者の集団であった。

 数にして数百人、誰も彼もが剣や銃を手に携え、舌なめずりをして爆撃を見守っている。

 

「あいつらは……!」

 

 自分たちと同じく爆撃の余波に晒されるガープたちも、円陣に気づいたようだった。

 ひょっとしたらその中には彼ら海軍が知る顔もあったかもしれない。何故なら円陣を組んでいるのは、この“新世界”で活動する海賊たちなのだから。

 

「やめェ――――――――――い!!!」

 

 やがて円陣の最前線に立つ男の一人が、剣を掲げて声を張り上げた。それを合図にして砲撃は静まり、あとには濛々と上がる爆炎と残響音だけが残された。

 合図を出した男が、一歩前へ進み出る。

 

「いい様だなァ! ダグラス・バレットォ!!」

 

 いまだ晴れぬ爆炎に身を沈めるバレットへ、その男は叫び続けた。

 

「おれ達を覚えてるかバレットォ――!! お前に礼をしたいってお友達が、こんなにたくさんの仲間が集まってくれたぜェ――――――!!?」

「ギャ――――――――――ハッハッハッハッハッハ!!!」

 

 男の宣言に、円陣を組む海賊達の哄笑が一斉にこだまする。

 やはりそうだ。

 奴らこそバレットへの復讐を誓う海賊たち、この島で起こるだろう大きな争いを予告した海賊連合である。バレットがガープやセンゴクと闘っている隙をつき、この包囲網を組み上げたに違いなかった。

 それにしても凄まじい人と兵器の数である。ギーアとモリアによって百獣海賊団という増援を失ったにも関わらず、これだけの迫撃砲と弾薬を揃えるとは。

 それだけに、彼らがいかにバレットを仕留めようと執心しているのか、その程が伺えた。

 

「海賊の包囲網だと……!?」

「まさかこれほどの兵器を揃えてくるとは!」

 

 ガープとセンゴクも焦燥の声を上げた。当然である、自分たちもまた、その包囲網にくくられてしまったのだ。これほどの兵力差を前にしては当たり前の反応に思われた。

 しかし、

 

「――バカな!! その力で、ダグラス・バレットを倒せると思っているのか!!?」

 

 続いた言葉は、自分たちの危機を案じてのものではなかった。

 センゴクが叫んだのは、これだけの兵器群の力をもってしてもバレットを倒せないという確信だったのである。

 そして彼の叫びは現実のものとなった。

 

「……カハハ」

 

 濛々と土煙がのぼる中、それをかき分けて現れる姿があった。

 ダグラス・バレットである。

 

「あれだけやられて、まだ生きてるの……!?」

 

 軍服は消し飛び、露出する赤々とした肌からはおびただしい量の血が流れている。しかしそれでも確かに、バレットは土を踏みしめて進み出た。

 血みどろのかんばせに獣の笑みを乗せて、

 

「ザコなんざ……覚えちゃいねェよ……!」

「何ィ!?」

「闘った奴の息の根も止められねェとは……おれもまだまだだな……!」

 

 笑みが、力を増した。

 

「だが……いいもん持ってきてくれたじゃねェか……!!!」

 

 予感が走った。

 いけない、何かがある。バレットは何かしようとしている。

 

「やめ――……」

 

 予感のままにギーアは叫ぼうとして、しかしそれが間に合う筈もなかった。

 バレットの両腕から紫紺の輝きが放たれ、

 

「――”鎧合体(ユニオン・アルマード)”!!」

「!!!?」

 

 光る両腕が地を打ったとき、それは津波となって大地を食い潰す。

 岩とも鱗ともつかない、鋭角な結晶片の群れは波を打って周囲に放出され、またたく間に包囲網まで広がっていく。

 

「な、なんだこりゃァ!!?」

 

 結晶片の津波は海賊達を押し流し、しかし彼等が持ち込んだ武器を侵食した。剣、銃、金棒、武器という武器に結晶片は群がり、掴み取るように巻き上げていく。ついには迫撃砲さえも飲み込み、紫紺の奔流は武力を余さず掴む貪欲な大海となった。

 そして円陣の全てを飲み干したとき、波は引き潮を迎えた。

 まるでバレットが結晶片の海をすすり上げているかのように、兵器群を掴んだまま波が引いていく。さかしまの激流ともいうべき輝きはバレットの巨躯を包み込み、しかし何倍にも膨れ上がらせていった。

 

「武器と兵器を飲み込む力……ガシャガシャの実の能力だ!!」

「愚かな海賊共め、これがあるから我々は直接奴と対決していたというのに!!」

 

 膨張するような結晶の塊を、ガープとセンゴクは苦々しく見上げる。

 しかし悔やんだところでもう遅い。すでにバレットはその力を発動させてしまったのだ。

 やがて結晶片は人の形に集約し、一際強い光を放って一塊の存在へと変形する。光が静まったとき、そこに立っているのはバレットではない。

 バレットの数倍はある、巨大な鉄の巨人がそこには立っていた。

 

『カハハハハハハ!! さぁここからが本番だ海軍!! この力こそがおれだ! あらゆる武器を飲み込み、おれの下で合体し、変形させる!! この力で……おれは誰よりも強くなる!!』

 

 軋みを上げて鉄巨人が腕を振りかぶる。

 顔の傍に拳を添えるような構え、鋼の拳はより黒く硬いものへと変質する。覇気が、その拳を覆ったのだ。

 

(あの姿でも覇気をまとえるの!?)

 

 ギーアの二倍三倍はある巨大な鉄製の拳に、バレットの覇気が伴えばどうなるか。その結果は一撃をもって証明された。

 

 

『“グレイテスト・ファウスト”!!!』

 

「!!!」

 

 地殻を粉砕する一撃が炸裂した。

 一瞬のうちに渓谷を生み出す豪腕、極大の亀裂が四方八方へと走り抜ける。轟音があらゆる悲鳴を飲み込み、バレットを取り囲んでいた数百人の海賊たちが塵あくたのように飛散する。

 破壊だ。

 あらゆるものを粉砕する力が奮われた。

 

「――モリア!」

「死にゃしねェよ!! この程度!!」

 

 ギーアは空を跳ぶ機能によって被害を抑えたが、モリアはそうもいかない。砕かれめくれあがった地殻に張り付き、姿勢を低く保ってどうにか吹き飛ばされないように耐えていた。

 ガープやセンゴク、クザンたち中将も同様である。海賊達が宙に投げ飛ばされる中、強靭な肉体をもって地面にしがみつき、地を穿った鉄巨人を見据えている。

 

「大将センゴク! もはやここまでです!!」

 

 ガープとセンゴク、2人のもとまで戻ってきたサカズキは、轟音に負けじと叫んだ。

 

「どうか、ご決断を!!」

「……そうだな」

 

 彼の叫びに厳かに頷き、センゴクは懐へ手を忍ばせた。

 取り出したものは、

 

(金色の電伝虫……!?)

 

 掌ほどの小さな個体だ。通信機は備わっておらず、ただ殻の天辺に一つだけスイッチがついているだけだ。まるで、たった一つの目的にのみ使われるためだけにあるかのように。

 そしてセンゴクは、それを押した。

 

「……センゴク」

「諦めろガープ、もとよりその予定であっただろう。何のためにお前たち中将を5人そろえたと思っている」

「………………」

 

 懐に電伝虫を戻したセンゴクは、無念そうにうな垂れるガープに振り向かない。ただ肩越しにその言葉をかけるだけだ。

 

『カハハハハハハハ!! なんだ、増援要請か!? それまで生き残れるつもりか!?』

「増援要請とは少し違う……これは攻撃要請だ。この島を犠牲にしてでも目的を果たすためのな……」

 

 センゴクの瞠目は決意の表れ。

 そして再び目が開かれた時、渓谷と化した大地に立ちはだかる鉄巨人へ届くように、確固とした宣言を放った。

 

「大将の権限においてバスターコールを発動した!! お前の暴走はここで止める!!!」

「…………!!!」

 

 ギーアは息を飲んだ。

 センゴクが口にしたその言葉の意味を知っていたからだ。祖国の軍隊にかつて所属した折、噂同然のそれとして伝え聞いた軍事作戦のことを。

 

「モリア、逃げるわよ!!」

「何ィ!!?」

「バスターコールがくるわ!! 海軍はこの島ごとバレットを消し去るつもりなのよ!!」

「何なんだ、バスターコールってのは!!」

「――海軍中将5人と軍艦10隻による無差別攻撃よ!!」

 

 それは国家戦争クラスの大戦力を意味している。

 過去幾度か行われた事があるらしいその攻撃は、しかしその証拠が一切無い。海軍は基本的にそれを公にしないし、攻撃対象は完膚なきまでに破壊され、対象となった土地は海図の上からその名を消されてしまうからだ。

 あらゆる意味で相手を滅ぼしつくす海軍の最大級軍事作戦、それがバスターコールだ。 

 

「ここにいたら、巻き込まれる!! だから早く!!」

「お、おう……!」

 

 発令されたばかりの今なら逃げ切れるかもしれない。だからギーアはモリアを急かし、早くこの場を去ろうとして、

 

『カハハハハハハ! 面白ェ!! この島ごとおれを殺すつもりか!?』

 

 しかしその発動を前にして、なおもバレットは哄笑した。

 それは超えるべき目標を目の前にした者だけが持つ、活力ともいうべき感情の発露だ。

 ゆえにバレットは、燃えたぎる激情のままにその言葉を叫んだ。

 

『ならばバスターコールに打ち勝ち……!! 貴様等も全員葬ってやる!! その時おれはロジャーを超える――世界最強の海賊王になるんだ!!!』

「……!!!」

 

 この、ゲッコー・モリアの前で。

 

「海賊王、だとォ……!?」

「モ、モリア……?」

 

 砕かれた大地を飛び降りようとしたところで、モリアの動きが止まった。何かを堪えるように肩を振るわせ、しかし、抑え切れないままに男は振り向いた。

 宣言を遂げた鉄巨人へ向かい、その胸に秘めた怒号を解き放ったのである。

 

「……海賊王になるのは、このおれだァ――――――――――――――!!!!」




今回は難産でした。
まだ結論を出す前だったので、ちょっとぶれやすい拙作のバレットさんです。

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