ONE PIECE -Stand By Me -   作:己道丸

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海賊モリアvs鉄巨人バレット

 瓦礫の平原に叫びが響く。

 かつては華やかな商店街であったこの場所は、いまや残骸と断片を敷き詰めた人工物の荒野といっても過言ではない。そこかしこには店並みを破壊しつくした火山弾が点在しており、今もなおくすぶり続ける炎は生々しい傷跡を見るかのようだった。

 土煙と黒煙は濛々と青空に向かって立ち昇り、周囲は霞がかかったように判然としない。一帯は融解した岩と材木が焼ける臭いで充満していたが、聡い者ならば、その中に人肉の焦げる臭気も嗅ぎつけたかもしれない。

 戦禍がそこにはあった。

 戦場であるといっても良い。

 余人がたむろするような場所ではない。現に広々と広がる商店街跡地には、悠々と練り歩いていたはずの町民たちの姿は、それを迎えるはずの店員たちですら、一つとしてない。

 故に、その叫びを聞き届ける者はそう多くなかった。

 

「貴様は――」

 

 耳にした者は三つに大別される。

 まず一つ。めいめいの姿で正義を背負う5人の海兵たち。

 いわくその殆どは中将の位階にあり、例外であるただ1人にいたってはその上をいく大将であるらしい。この世の悪を討伐するために集められた幾千万の兵士たち、その最上位といっても過言ではない戦力がここにある。肩ではためく将校専用のコートが何よりの証拠だ。

 

『何だァ……』

 

 もう一つ。見上げんばかりの巨大な鉄巨人だ。

 それは人をかたどる兵器の集合体だった。剣や槍、銃、大砲、そういった数多の鉄器を束ねて練り上げたような、戦意の権化ともいうべきそれが立っている。悪魔の実の能力によって1人の海賊と合体しているそれは、煌々と輝く双眸で海兵たちと対峙していた。

 

「モ、モリア……?」

 

 そして最後の1つ。それはギーア自身である。

 赤い長髪を戦場の風になびかせたその顔は驚きで目を丸くしている。何故なら、ともに隠れていたもう1人が唐突に叫びを上げて立ち上がったからだ。

 立ち上がったその人物の姿に、戦場に残るすべての視線が集約された。

 ゲッコー・モリアという、この海で名を馳せる海賊の姿に。

 

「1人だけの力で海賊王になるだと……ふざけやがって……!!」

 

 見上げんばかりの大男である。

 さすがに鉄巨人と比べられるほどではないが、その頭ほどもある身長は、人間としては十二分に巨体であると言えた。屈強な肩を大きく怒らせ、憤然とする顔は赤く紅潮している。そんな巨漢の姿を、ギーアはその足元で跪きながら見上げていた。

 2人がいるのは、砕かれて捲れ上がった地殻の端だ。鉄巨人、よりただしくは鉄巨人を操る海賊、ダグラス・バレットによって生み出された地形だ。その圧倒的な破壊の余韻は今もギーアの体に残り、膝をついて形になってしまっている。

 しかし同じ条件に晒されたはずのモリアは、憤慨をもって仁王立ちになっていた。

 海兵たちを、鉄巨人をすら睥睨するような顔つきで、鬼のような凶相を怒りでより一層ゆがめた様は、まさしく地獄の悪鬼羅刹といった面貌といえた。

 頬まで裂けた口が、牙を晒して怒気を放つ。

 

「海賊王になるのはこのおれだ!!! 貴様ごときが、口にするんじゃねェ!!」

『……カハハ、こいつはとんだ対抗馬がいたもんだ』

 

 空気を震わすモリアの怒号を鉄巨人は、否、その中にいるダグラス・バレットは笑い声でもって迎えた。そこに明らかな侮りの色が滲んでいるのは、誰の耳にも明らかだった。

 対する海兵たちは、モリアの姿に心当たりがあるらしかった。

 

「大将センゴク、奴はゲッコー・モリアです」

「ゲッコー・モリア? カイドウに挑んで消息不明になった、ゲッコー海賊団のか?」

 

 フードの下に帽子を被った将校サカズキの言葉に、クザンは色眼鏡越しの視線を投げた。二人の会話に、センゴクと呼ばれたその男は頷き、

 

「ああ、まさかこんなところにいるとはな。どうやってワノ国から出国したのか……」

「大方カイドウに敗れて逃げ延びた、というところだろう。案外、あの娘が手引きしたのかもしれんぞ?」

(え、私!?)

 

 初老の中将、ガープがこちらを顎でしゃくってみせたので、つい身を竦めてしまう。その仕草でクザンはギーアの姿に気づき、途端に苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「あいつ……!」

「は、ははは……」

 

 思いもよらない再会であった。広場で出会った折は見逃してもらったが、さすがに今回もそれを期待するのは難しいかもしれない。あの時は単なる不審者で済んだが、今はもう海賊の協力者としての正体がバレてしまったのだから。

 しかしこの場においてギーアの存在は些事である。

 

「しかしこれはまた……面倒なことになったねェ~……」

 

 実際、最後に口を開いた中将ボルサリーノは、ギーアのことなど微塵も気に留めていない様子であった。面倒、と言いつつもそれを感じさせないひょうきんな顔と口調で、

 

「有象無象の海賊共が早々と退場したかと思えばァ~……今度は“億越え”の海賊が出張ってくるとはねェ~……」 

 

 ボルサリーノが見渡す先にあるのは、倒れ伏した数百人の海賊達だ。めいめいの姿で横たわる彼らは、バレットに対する恨みで結託し、彼を始末しようとした包囲網の成れの果てだ。数多の剣、幾多の砲を揃えて現れたが、あわれバレットの能力によって奪われ、返り討ちになってしまった。

 ギーアとしても、まったく愚かな連中だと思う。万全を期したつもりなのかもしれないが、結局は敵の利になることをしでかしてしまったのだから。

 

(こんなデカブツ、どうすりゃいいのよ)

 

 悪魔の実、ガシャガシャの実の合体人間だとバレットは言った。あらゆる武器と兵器を束ね合体する能力だと。地殻を割るほどの膂力を見せた鉄巨人はこけおどしではない。バレットは途方も無い強化を果たしているのだ。真っ向から挑んで勝機があるとは思えなかった。

 現に、こうして正面から向き合ったモリアを、鉄巨人たるバレットは圧倒的優位を確信して見下ろしている。

 ご丁寧にも人体ならざる金属の集合体である顔に、嘲笑のような変化を加えて、

 

『ちょっとは名の知れた海賊のようだが……貴様程度の強さで海賊王になるつもりか?』

「そうだ! だがおれは、てめェのように自分1人だけの戦力で挑むバカじゃねェ!!」

『何ィ……?』

 

 返された叫びに、はじめて鉄巨人は戸惑いを得た。苛立ちをにじませる戸惑いを。

 

「……おれは!!」

 

 モリアは宣言した。

 

「おれは最強の軍勢を率いて海賊王になる男だ!!!」

『……!!!』

 

 それをこの場で彼に対して言うことがどういう意味なのか、それは怒気によって膨らむ鉄巨人の様相をみれば一目瞭然だ。

 跪いていたギーアは急いでモリアの足に掴みかかり、

 

「ちょっと、モリア!」

「海賊王になるって野郎の前で言わねェでいつ言うんだ!!」

「だからって……海軍大将だっているのよ!?」

「丁度いいじゃねェか! こいつ等にも教えてやる、おれの再起をな……!!」

 

 もはやモリアが見るのは鉄巨人だけではない。

 中将たちを率いる大将さえも睥睨して、一歩も引くことなく胸を張る。

 だが目を向けているのはモリアに限ったことではない。鉄巨人も、海兵たちも、揃ってモリアの立ち姿に目を奪われ、意図せずに次の言葉を待ってしまっている。

 場の主導権を、モリアは奪っていたのだ。

 

「おれとカイドウの話をしたな海軍!」

 

 モリアは大将たちを睨む。

 

「ああそうさ、おれは奴との勝負に敗れ、従えていた部下も武器も全てを失った……! しかしおれは死んじゃいねェ! 生きて奴のナワバリから帰ってきた!!」

 

 ギーアは知ってる。それは彼にとって、今も記憶に新しい絶望であると。

 しかしそれから逃げようとはしなかった。その先を見据えて、再起のために明らかにする気概をモリアは示してみせたのだ。

 自分はすでに立ち上がっているぞ、と。

 

「おれは知った! 部下の力、数、統率……兵力で圧倒しなければ勝てない戦いがあると! あの日のおれ達はたしかに百獣海賊団を超えられなかった! だが今度はそうならねェ!! 今までを上回る強力な部下を従え……兵力を整え!! 奴の軍団に勝利する!!!」

 

 だから、とモリアは鉄巨人を指差した。

 明確な嘲笑をともにして。

 

「てめェの、たった1人だけの力で勝利するなんざ笑い話だぜ!! どんなに強かろうが所詮は1人、数の力を前にして生き残ることなど出来やしねェ!!」

 

 断言した。

 

「ダグラス・バレット!! お前の強さでは――海賊王にはなれねェ!!!」

 

 轟然とした名言である。

 遮るもののない平野の隅々まで叫びは波及し、朗々と聞く者全てに過たず届けられた。

 鉄巨人が、海兵たちが、空気を鳴動させる明朗な宣言によって、モリアへ向いたまま動けなくなっていた。

 隔絶といっても過言ではないほどの違いが、モリアとバレットの信念にはあった。

 誰よりも強い1人の力で勝ち残ろうとするダグラス・バレットと。

 強大で膨大な兵力を従えて勝とうとするゲッコー・モリアと。

 個か群か、対極の力を尊ぶ2人が、ここで対峙しているのだ。それをここまで明らかにたたきつけられて、何事もなく済ませられる者達ではないはずだ。

 何故なら2人は、海賊なのだから。

 

『……よくもそこまで吠えたもんだな、負け犬野郎』

 

 やがて沈黙は破られた。

 鉄巨人の中から、地獄の底から響くような声があふれ出す。

 赤々と燃え盛る炎のような、バレットの声だった。

 

『いいだろうゲッコー・モリア。てめェをおれの敵として認めてやる。世界最強の海賊王になるための道にはばかる石ころとして、認めてやる』

 

 不意に、鉄巨人が軋みを上げた。

 鉄と鉄のこすれ合う音、僅かに零れ落ちる粉塵。それは鉄の集合体が動き出す前兆だ。鉄巨人が数多の鉄器をこすり合わせ、巨人としての総体を大きく動かしているのだ。

 右腕がもたげられ、肘が引かれ、五指が握り締められる。そして胸を張るようにして腰をひねる姿は、溜め込んだ膂力を放出するための最適解とも言うべき動作だった。

 

(来る……!)

「てめェは下ってろギーア」

 

 モリアがギーアの前に手をかざすのと。

 ギーアが両脚の噴射装置を起動させるのと。

 鉄巨人が大きく引き絞った腕を2人に繰り出すのは。

 そして憤怒が激したのは、ほぼ同時だった。

 

『――だからくたばりやがれェ!!!!』

 

 鉄拳は放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一撃は大破壊と同義だ。

 鉄巨人の右腕は空気を突き破り、鋼鉄の隕石ともいうべき一打が砕けた地殻に追い討ちをかける。

 

「……!!!」

 

 轟音。

 クモの巣のように砕けていた地殻は今再び粉砕され、より多くの巨岩となって宙に舞う。猛烈な勢いで爆ぜる粉塵とあいまってそれは間欠泉か噴火のような有様で、荒野のようであった即席の廃墟はもはや渓谷に姿を変えようとしていた。

 細かく砕かれた、しかし一つ一つが人一人よりよほど大きな土塊どもが落下してしまえば、流星群が地に降るような二次災害が巻き起こる。激音に告ぐ激音、骨はおろか内臓まで震わせる大音響が何十にも重ねられる。

 

「……ぷぁっ!」

 

 土煙から飛び出してきたのはギーアだ。両脚から風を噴き、降り注ぐ巌を辛くも避ける。全身は既に砂と埃にまみれ、掠めた礫による細かな傷もあちこちにあった。

 余波ですらこの有様だ。鉄巨人と化したバレットの膂力を見せ付けられる思いがした。

 臆する気持ちがある。

 むしろその方が強くある。

 だが、それに立ち向かう者もいると知っている。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ!!!」

 

 雄叫びをもって粉塵を吹き飛ばしたのは、疾走するゲッコー・モリアであった。

 遮る土煙、はばかる隆起を蹴散らして、凶相の巨漢は眼前にそびえる鉄巨人のもとへと駆け抜ける。目指すは今まさに地面から引き抜かれようとしている鉄巨人の腕だ。

 拳に穿たれて捲れ上がった一際大きな地殻、その頂点にモリアは跳び、更にまた跳んだ。巨体は隆起した地殻を踏み台にして巨大な右腕の直上へと身を躍らせる。

 そして着地、では済まさなかった。

 

「“影法師(ドッペルマン)”!!」

 

 落下を始めたモリアの下、鉄巨人の右腕におちる影に異変が生じた。

 まるで水面から何かが這い上がるように、モリアの影が人型の闇として実体化する。彼が持つ悪魔の実の能力、カゲカゲの実の能力だ。

 鉄巨人の腕に立つ“影法師”はある姿勢を作った。腰を落として背を丸め、両手の指を組み合わせて開いた足の間に沈める形。まるで中腰で重いものを抱えたような姿だ。

 モリアが落ちるのは、その組まれた掌の上だ。

 

「かち上げろ!!」

 

 着地し、体重のままに沈み込み、しかし“影法師”はモリアを中空へと投げ上げた。

 “影法師”の膂力によって押し上げられた巨体は、モリア自身の跳躍と組み合わさることより、一人では成し遂げられない長大な飛距離を生み出した。矢を天に射るような鋭さと軌道で第二の跳躍を果たしたモリアは、今度こそ鉄巨人の上に着地する。

 鉄巨人の右肩へと。

 

『貴様!』

「“角刀影(つのトカゲ)”!!!」

 

 間髪入れない攻撃だった。

 

「……ッ!!」

 

 “影法師”は無数の蝙蝠となってモリアの手に集まり、叫ぶとともにまた一つとなった。だがそれは人型ではない。先鋭の柱ともいうべき、巨大な槍だ。

 蜥蜴をかたどる穂先が鉄巨人の顎を打ち抜く。

 

「やった!」

 

 思わず歓声をあげるギーアの見る前で、鉄巨人は大きく体をかしがせた。

 貫き抉るにはいたらなかったが、顎を横合いから打ち抜く一撃は鉄巨人であっても有効だったらしい。巨大な頭が回されるのに合わせ、バランスを崩した鉄巨人は膝をつく。

 武器の集合体といっても、やはりそれは悪魔の実の能力によって一人の人間を基礎とする体である。鉄巨人に対する衝撃、ダメージはバレットに繋がっているはずだ。一撃の瞬間、鉄巨人が漏らした苦悶はその証拠である。

 だが、

 

『……カハハッ! 効かねェよ!!』

 

 鉄巨人は体の揺らぎを制し、左腕をモリアへと伸ばした。

 

『合体によってこの兵器の群れはおれ自身となった! おれの覇気をまとわせた鋼の体が、おめェ程度に破れると思うな!!』

(……覇気!)

 

 武装色硬化、モリアがそう言っていた力だ。

 人が誰しもその身に宿す力。感覚を鋭敏に、または強靭にする生命の力。肉体を黒金のように変化させるほど覇気を凝縮させたものが武装色硬化だ。バレットはそれを鉄巨人の全身にまで通わせることにより、ただでさえ硬い鋼の体をより強靭にせしめたのだ。

 頑強な左手がモリアを握りつぶそうと、風を唸らせて迫っていく。

 だがしかし、影が形を変えるほうがより早かった。

 

「“影箱(ブラックボックス)”!」

 

 大槍は穂先に向かって縮み、一塊になったところで鉄巨人の頭を飲み込んだ。そうやって出来上がるのは巨大な影の立方体だ。光を一切通さない闇の小部屋を作り上げ、鉄巨人の視界を奪う。

 驚きからか、鉄巨人の動きが鈍った。その隙にモリアは立方体へと跳び、

 

 

「おらァ!!!」

『がッ!!?』

 

 その太い豪腕が唸りを上げ、黒影越しに鉄巨人の頭を殴りつけた。

 しかし黒いのは影だけではない。影の立方体から引き出されたモリアの拳もまた、黒金の色を得ていたのだ。

 

「オオオオオオオオオオォォォォォォォォ!!」

 

 轟音が影の箱から幾度も響き、しかし拳は止めない。

 二度、三度、四度。峻烈な連続攻撃が影を貫き、巨大な頭を滅多打ちにする。

 

『ぐォ……!』

「覇気の巨人だとォ……! だったら効くまで食らわせてやるよ!!」

 

 さすがに鉄巨人の全長とは比べるべくもないが、モリアもまた人間としては相当な巨漢だ。それこそ頭だけと比べるなら同程度の大きさなのである。それはつまり、モリアにとっては殴りやすい大きさをしていると言えた。故に一打一打は極めて重い。そこに覇気が加わるとなれば尚更だ。

 モリアもまた世界で最も過酷な海を往く大海賊。覇気を習得していたのだ。

 

「うおォ……!!」

 

 連打に次ぐ連打。鉄巨人の覇気を打つモリアの覇気は幾度となく打ちつけられる。断続的に響く激音がもはや一つの音として聞こえるかのような速度だ。

 そして一際強く引かれた拳。全身の膂力がそこに込められ、

 

「くらえ!!」

 

 抜き放つ、その瞬間。

 しかしそれは爆撃を持って迎えられた。

 

「ぐォ!?」

 

 烈火の炸裂と黒い硝煙がモリアの腕を押し返す。衝撃と炎熱にモリアはふらつき、一歩引いてしまう。

 何事か。モリアを迎え撃ったものは、彼の足元にある。

 

「何あれ!?」

 

 モリアが乗る鉄巨人の肩、その太い首まわりに幾つもの大砲が生えていたのだ。さながら歯車かたてがみのようなそれらが火を噴いた証拠に、薄く硝煙が立ち昇っている。

 

『カハハ、図体がデカくなるだけだと思ったか?』

 

 影の中からバレットの声がする。

 

「この体は兵器の集合体だぞ? 体に取り付けば細かな攻撃はできないと思ったか!?」

 

 鉄巨人の首元からはなおも砲台が出現し、モリアに向けて火を噴いた。

 爆音に次ぐ爆音。モリアは腕を交差して体を庇うが、本来人が耐えるような攻撃ではない。次第次第に肩の先まで押し返され、

 

「ぐァ!?」

 

 足裏から生えた剣に貫かれた時、ついに巨体は転落してしまった。

 

「モリア!!」

『くたばれ負け犬!!』

 

 落下していくモリアを狙うのは、今度こそ振りぬかれた鉄巨人の左腕だ。

 視界はいまだに影で封じられている。ならば狙わずともあたるような攻撃を繰り出せばいいということなのか、繰り出されたのは五指を開いた平手打ちだった。拳という点ではなく、掌という面。おまけに五本の指という線も加えて、広大な一撃が大気を押しのけて迫る。

 気流を生むほどの巨大な手がモリアを叩き潰そうとして、

 

「――代われ“影法師”!」

 

 鉄巨人の頭を包む影の立方体が形を変えた。

 直角を崩し、渦を巻くようにして練りあがるのはモリアの似姿、“影法師”だ。それは鉄巨人の頭頂部に立つ形で現れる。

 そして、黒一色であったその体に色付いていく。

 

『何ィ!?』

 

 それは平手の一撃を受けようとしていたモリアも同じだ。

 急に開けた視界の中で、鉄巨人はモリアの全身が黒く変わり果てるのを見た。全身が染め上げられてしまえば、そこにいるはゲッコー・モリアではない。“影法師”という影武者だ。

 

「“欠片蝙蝠(ブリックバット)”!」

 

 それが“影法師”であるという証拠は、その身が蝙蝠の群れに分裂したことだった。あるものは余裕綽々と、またあるものは気流に流されるように、しかしどれもこれもが鉄巨人の平手打ちから回避していく。

 そうして散らばった影の蝙蝠たちが集うのは、鉄巨人の頭上に立つモリアだ。

 

「おれと“影法師”はいつでも居場所を交換できる! 残念だったな!!」

 

 集合した蝙蝠たちはまたその形を変えた。

 かかげられたモリアの右手へと集約されていく数十匹の蝙蝠たち。一塊になった影はモリアの掌を包み込み、そして新たな形へと洗練される。

 それは五枚の長大な爪だった。弧を描いたそれは柄のない大鎌を束ねたかのようだ。色はやはり黒。しかしそれまでの影としての黒とは決定的に違うものがあった。

 光を照り返す、黒金のような光沢がそこにはある。

 バレットが本来の自分の体ではない鉄巨人に覇気を纏わせているように、モリアもまた、形にした影に覇気を加えたのだ。

 より強固となった影の巨爪が、鉄巨人の頭へ突き立てられる。

 

「“爪刀影(クロトカゲ)”!!!」

「!!!」

 

 鋼そのものの輝きを得た、しかして鋼以上の硬度を持つ刃が頭頂一点を突く。

 モリアが覇気を込めた五枚の刃と、バレットの覇気でより一層の硬度を得た鉄巨人の体が激突していた。一点に集約された覇気と全身に拡散した覇気、密度でいえば段違いのはずだ。だというのに、

 

「貫けない……!!」

 

 ギーアは見た。モリアの腕が、突きたてられたその時から数分も進んでいないのを。

 

「ぬォ……!!」

『このおれに、覇気で勝負を挑むか!!』

 

 覇気とは本来目に見えない力だ。

 だがそれでも、2人の覇気が鉄巨人の頭部で激突しているのが明確に分かった。

 種類の異なる二種類の威圧感が、鍔迫り合いにも似たせめぎ合いを起こしている。まるで突風がそこから吹き荒れているかのように、ギーアはモリアと鉄巨人のもとから突き放されるような圧力を受けていた。思わず腕で顔を庇い、腰を落として堪えてしまうほどの迫力だ。

 互いの意思そのものをぶつけ合っているといっても過言ではない。

 むき出しの戦意がそこにはあった。

 

「ウオオ……!」

 

 モリアの太い腕が一層膨れ上がった。

 鉄巨人の頭を突く巨爪が、僅かにその先端を表面に食い込ませる。

 膂力を乗せたモリアの覇気が、わずかに鉄巨人のそれを上回ろうとしているのだ。

 

(やっぱり全身を覆う覇気より、一点突破しようとする覇気の方が有利なんだわ!)

 

 覇気には詳しくないギーアだ。しかしそうした理屈の想像ぐらいはつく。

 少しずつ、少しずつ、モリアの腕が鉄巨人の頭へと沈んでいく。

 行け。

 行くのだ。

 このまま鉄巨人の頭を貫き、顔面を抉り取れ。

 その結果をギーアは想像し、言葉ならずともモリアを応援した。

 しかし、

 

「!!!?」

 

 その希望は、一発の砲撃によって燃え尽きてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 それは風を切る音とともにやってきた。

 口笛を吹くような甲高い音を鳴らしてやってきたのは、長い煙の尾を引きて宙を飛ぶ黒い点のようなもの。それが一瞬だけ視界を横切り、鉄巨人の頭部に命中するとともに、激音をともなって莫大な炎と黒煙を開花させる。

 吹き荒れた爆風がギーアの顔を打ちつけられ、長い髪が宙を泳いだ。舞い上がった砂利や微細な瓦礫が吹き荒れるが、呆然とする女にとってその程度は些事である。 

 

「――モリア!!?」

 

 爆裂した砲撃に呑まれた男の名を叫び、しかしそれは続く砲撃によってかき消えた。

 肩、胸、腹、脚、鉄巨人のいたるところで業火が花開く。

 遠雷のような音に始まり、鉄巨人の体で炸裂するまでが一括り。それが一体どれほど連発しただろう。十か、二十か、いやそんなものではきかない大量の砲撃だ。留まるところを知らない波状攻撃は鉄巨人を埋め尽くし、鉄の巨体は火と煙によって覆いつくされてしまった。

 度し難いほどの、圧倒的な爆撃がギーアの眼前で展開される。

 

「……!!」

 

 荒れ狂う熱風と塵芥が嵐のように襲い掛かり、ついにギーアの細身は押し倒された。油断すればそのまま横転し続けてしまいそうな烈風を、それでもどうにか堪える。

 爆発の連鎖は一体どれほど続けられただろうか。

 度重なる爆音によって耳が麻痺したギーアにとって、今も砲撃は続いているのかどうかを耳で判別することは出来ない。だから面を上げて、目で見なければならなかった。

 そしてそこには、爆風によって洗い流された不毛の荒野が広がっていた。

 目を閉じる前のそこには、何もかもが破壊されつくしたとはいえ、それでも隆起した地殻や商店街の残骸、瓦礫が残されていた。しかし今ギーアが見るところにはそれすらもない。何もかもが爆撃と爆風によって平らかに吹き飛ばされてしまっていた。

 

(何が……)

 

 何が起こったというのだ。

 モリアと鉄巨人の争うこの戦場を一体何が襲ったのだ。

 しかしギーアはそれを知っている。莫大な火力を持って地表にある全てを滅ぼしつくす攻撃を。そしてそれが今居るここに向かって発動されたことも、知っている。

 モリアたちはそれをおして闘っていたのだ。だから攻撃に晒されてしまった。

 バスターコールという名の軍事攻撃に。

 

「あれが……!」

 

 平らかになった地平の向こう、遠く並ぶ木々のそのまた向こう、水平線にそれらはいる。

 遠景ゆえにかすんだようにも見える、しかし確固としてその姿を浮かび上がらせるそれらは、10隻の軍艦であった。

 

「あれがバスターコール……!」

 

 海軍大将か元帥によってのみ発動される、中将5人と軍艦10隻による無差別攻撃。

 対象を焼き、巻き込まれる者を気にもせず、地表にある全てを焼き払い、最後には目的を海図の上からすら抹消する軍事作戦。冷酷なほどに徹底される大破壊ゆえに滅多に広まることのない作戦名だ、ギーアも噂程度にしか聞いたことがなかった。

 しかしそれが今現実のものとなって、目の前にある。

 鉄巨人と化したダグラス・バレットを討ち滅ぼすために、ここにある。

 

『――カハ』

 

 しかし、

 

『カハハハハハハハハハ!!』

 

 その相手は、あれほどの火力を持ってしても顕在であった。

 

『そうか! そうかこれがバスターコールか!!』

 

 薄れ始めた爆煙より現れたのは、いまだその巨体を誇示する鉄巨人であった。節々をほつれたように崩してはいたが、いまだに兵器の集合体は人の形として立っている。

 その巨躯を覆い尽くすバレットの覇気は、あの砲撃にすら耐えてみせたのだ。

 

「――そうだ! これがバスターコールだ!!」

 

 そして、哄笑する鉄巨人に叫ぶ者がいた。

 センゴクをはじめとする、5人の海兵たちである。

 

「この砲撃は狙いを定める初撃にすぎん! いかに貴様でも、一国を焼き払う火力を前にして生き延びられると思うな!!」

『面白ェ……!』

 

 しかし鉄巨人は、バレットは怯えない。

 むしろ歓喜しているようだった。

 

『海軍最大の軍事作戦! これを叩き潰せば、おれは海軍最強の軍事力すら超えられる!!』

 

 あれだけの艦隊に狙われて、しかし鉄巨人は一歩も引かない。はるか彼方の水平線に向けていた視線をセンゴクたちに移して、鉄巨人は豪語する。

 そうして一歩二歩と地響きをたてて硝煙から姿を現し、

 

『てめェらの横槍でこいつもくたばったからな……! お前等の相手に戻らせてもらおうか!!!』

「!!!」

 

 煙から現れたのは鉄巨人だけではなかった。

 風を引き、黒煙を振り払った鉄巨人の頭部には、まだその男が残っている。

 

「……モリア!!」

 

 軍艦の砲撃をもろに受けた体は黒く焼け焦げ、いたるところから硝煙を立ち昇らせていた。服は消し飛び、色白だった肌は火傷と流血によって赤黒く染められている。茫洋としてゆっくりとぶれる立ち姿は、今にも彼が意識を手放そうとしているからだと遠目にも分かった。

 やがて彼の巨躯は大きく傾き、

 

『まぁまぁ楽しめたぜ負け犬! だが、てめェとはここで終わりだ……!!』

 

 滑落したモリアを、鉄巨人の首から生えた大砲が追い討ちをかける。

 砲撃、そして爆撃。

 至近で放たれた砲弾は破壊力を遺憾なく発揮し、モリアをはるか遠くへ吹き飛ばす。

 

「……!!」

 

 ギーアが見上げる先で、モリアは地平の向こうへ身を隠してしまった。

 そうして後に残されるのは、結果的に勝者となった鉄巨人である。

 覇気のせめぎ合いでは、モリアに軍配が上がるかに見えた。しかし降り注いだ爆撃の前では、全身を強固な覇気でかためた鉄巨人が生き残り、一点を破ることに集中してしまったモリアは第三者の不意打ちを受けて敗れてしまった。その結果だけがここにある。

 そうなれば、次に何が起きるのかを選べるのは鉄巨人、バレットだけだ。

 そしてバレットは、鉄巨人の歩を進めることを選んだ。

 向かう先にあるのは、

 

「奴め、まさか艦隊を迎え撃つつもりか!?」

 

 鉄巨人の一歩は大きい。

 いまやその背を見上げる形となったセンゴクは、歩みを進めるバレットの目的を想像して驚愕を叫んだ。あの火力を前にして向かっていくことを想像していなかったのだ。

 だがバレットには、立ち向かうに足る力がある。

 

「大将センゴク! まさか奴は、バスターコール艦隊すら取り込むつもりなのでは!?」

 

 帽子で顔を隠したサカズキが、それでもなお分かる焦燥を叫んだ。

 

「野郎は覚醒した能力者。能力の範囲外がら焼き払う作戦だったが……」

「さっき見せられた能力じゃあねェ~……ひょっとしたら……届いちまうかもしれないよォ~……?」

 

 それに呼応してクザンが、ボルサリーノが次々と声を上げる。

 最後にはガープがセンゴクの肩を掴み、

 

「やるしかないぞセンゴク!!」

「貴様に言われんでも分かっとるわ!」

 

 大将の号令は、鉄巨人の背に向かって放たれた。

 

「――追え! 奴を軍艦に近づけてはならん! 防衛線を張って迎え撃つんだ!!」

「はっ!!」

 

 言葉も短く応答はなされ、そして海兵たちは姿がかき消えるような勢いで跳んだ。地響きの向かうところ、鉄巨人を先回りして迎え撃つために彼等は駆け出したのだ。

 それを追おうとは思わなかった。バレットより、海軍より、それらより優先することがギーアにはあったからだ。

 

「モリア……!」

 

 鉄巨人に吹き飛ばされた方へと、ギーアは飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もかもが吹き飛ばされた地表である。見つけることはそう難しくなかった。

 

「モリア! しっかりして!!」

 

 かつてはそこには大きな商店があったのだろう。あれだけの破壊と爆撃があったこの場所に今だ残る壁の名残。それを打ち砕いてモリアは倒れていた。

 ただでさえ深手を負ったところに追い討ちを受けた身である。半裸同然となったモリアの傷は深く、逞しい体は血と埃と泥で汚れきり、本来の肌の色が伺えるところがない。

 ワノ国で始めてあった時よりも更にひどい、満身創痍の有様だった。

 

「モリア!!」

「……うるせェ……聞こえてるよ……」

 

 しかしそれでも生きているのだから驚嘆すべき生命力である。

 鉄巨人との戦いで、バスターコールで、最後にとどめにも等しい形で砲撃を受け続けたはずなのに、しかもあの高さからここまで吹き飛ばされたというのに、それでもこの男は生きていた。

 そして起き上がった。

 だがそれはギーアに応えたからではない。

 もはや後姿を見ることも難しいところにいる、鉄巨人を睨むためだ。

 

「あの野郎、おれを無視しやがって……!」

「そんなこと言ってる場合!? あんた死にかけたのよ!?」

「死んでねェだろうが! おれは敗けねェよ!!」

「バレットだけじゃない、バスターコールが始まったのよ!? もう逃げましょうよ!!」

「おれは逃げねェ!!!」

 

 返されたのは、空気を竦ませる絶対の断言だった。

 

「奴は一人で海賊王になると言った男だ!! 奴を超えなきゃ……おれは海賊王になんかなれやしねェ!!!!」

「!!!」

「おれの力になれギーア!! おれは、従える力で海賊王になる男だ!!!」

「……!!!」

 

 ああ、と思った。

 これはこの男共の信念の戦いなのだ、と。

 ここで逃げれば勝敗を失う。そうなった時、モリアの中からは永遠にそれが失われる。

 勝つか。

 敗けるか。

 そのどちらかを必ず得なければならない、その場所にモリアは立っているのだ。

 そしてギーア自身も。

 

(ああ、もう……!)

 

 逃げよう、そう言っているのに。

 まったくどうしてこの男はそれができないのか。

 そんな男だから、

 

「付き合うしかないじゃないの……!!」

 

 この男が望むところへ行く、そこについていきたいと思う。

 その力になりたいと思ってしまうのだ。

 

「……策はあるんでしょうね? 相手はバスターコールの砲撃にも耐えた化け物よ!?」

「分かってる。奴の覇気は異常だ……今のおれじゃ、正面から覇気をぶち破って野郎をデカブツから引きずり出すのは不可能だ……!!」

「だから?」

 

 あるんだろう、策が。

 

「覆すんでしょう? その不可能は」

「そうだ! たとえおれ自身が奴の覇気を破れなくても、この場にある全てを使って奴を倒す!! 奴におれの能力を……カゲカゲの実の真骨頂を見せてやる……!!」

 

 モリアの言葉には確信があった。

 今は奴より弱くても、奴の方が強かったとしても、そんなものは関係ない。

 それを覆す力が自分にはある。

 ダグラス・バレットを乗り越えて奴に勝利してみせると。

 

「いくぞギーア!! 奴がどんなに強くてもおれ達は勝つ……!! ここで、革命を起こしてやる!!!」




本当は1話でまとめるつもりだったんですけど、前後編で分けることにしました。
若モリアはまだ若いのでとてもエネルギッシュ。

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