※残酷な描写がございます
――――暫くして。
ふと、人間は目を覚ます。窮屈に屈めていた体を伸ばし、ゆっくりと起き上がると、ベッドから出た。靴を履き直し、薄暗い部屋の中を見渡す。枕元の灯り以外にももう一つ灯りがついていた筈だが、消えていた。どうやらTorielが訪れたらしい。何もないを見た後、人間はベッドから立ち上がり、玩具箱の前へと移動する。ガサガサと音を立てて中の玩具を退け、先程隠したナイフをまたパーカーのポケットへとしまった。ゆらり、と、立ち上がる姿は、酷く不気味だった。
ドアノブに手をかけ、廊下に出ると、人間は右に曲がる。廊下にある植物達などには目もくれず、リビングに足を踏み入れた。
「……あら、おはよう。よく眠れたかしら?」
暖炉の前で安楽椅子に座って本を読んでいたTorielが、人間がリビングにやってきたのに気付いて顔を上げる。にっこりと微笑んで声をかけると、人間も俯き気味だった顔を上げ、わらう。
「おはようございます。あの、灯りつけっぱなしで寝ちゃってすみません……。お腹いっぱいになったら眠くなっちゃって、つい横に……」
「いいのよ! きっと、此処まで来るのに疲れちゃったのよ。仕方ないわ」
Torielの前にまでやってきた人間が申し訳なさそうに頭を下げたのを見て、Torielは笑って首をゆるく横に振る。
(そんなこと気にしなくてもいいのに。本当に良い子ね)
改めて人間に感心し、ふと、人間の様子を見た時に体を小さく丸めて眠っていたことを思い出した。そして、人間の体の大きさに比べて少し小さく感じたことも思い出す。
「そういえば、ベッドが少し小さかったように見えたのだけれど……狭くなかったかしら。ごめんなさいね」
「いえ、大丈夫です」
Torielが逆に謝ると、人間も頭を緩く横に振った。そして、何を言うわけでもなく俯き、黙り込む。何かを言おうとしているのか、口を開いては閉じる。
Torielはその仕草を見て、嫌な予感がした。
「そうだ、おすすめの本があるのだけれど、読んでみない? あ、それとも、外で体を動かす方が好きかしら。なら虫取りスポットがあるから、案内するわよ?」
人間に口を出させないように、Torielは会話を投げ掛ける。
「あなたの為にお勉強のカリキュラムも考えてあるの。びっくりするかもしれないけれど、私、先生になるのが夢だったの。って、何言ってるのかしらね」
「へぇ、そうだったんですか」
「えぇ」
矢継ぎ早に、人間に相槌以外の言葉を言わせないように。
「とにかく、一緒に暮らしてくれて嬉しいのよ。あ、そうだ、何かほしいものはある?」
最後に人間に対して問いかけをしてから、Torielは墓穴を掘ったことに気が付いた。話を逸らすつもりなら、この話をするべきではなかった。
「………はい。一つだけ、ほしいものがあるんです」
「そう、なの。何かしら?」
暫く間を開けて、人間が小さく声を上げた。声はTorielの耳にも届き、Torielは本から目線を上げずに聞き返す。
「………出口って何処ですか」
―――ぴしり、と。
その言葉を人間が発した瞬間、暖かかった筈の空気が凍り付いた。
「え? ………な、何を言っているの? 此処があなたのお家よ」
あまりにも早すぎるその言葉に、全く心の準備が出来ていなかったTorielは、思わず目を見開いた。冷えた空気を誤魔化すように咄嗟に口にした言葉は、動揺しているのが自分でも分かるほど震えていた。
「ねぇ……私が読んでいるこの本、気にならない?」
顔を上げない人間に、Torielは別の話題を振る。
「『72のカタツムリ活用法』っていうの。どうかしら?」
Torielの口から苦し紛れに出た言葉は、静まり返った空間によく響く。
「………Torielさん、どうやって此処を出るんですか」
問い掛けには答えず、人間はTorielに話を続ける。その言葉に、Torielは耳を塞いでしまいたくなる。
「えっ、と………カタツムリの面白い話をしましょうか! カタツムリはね、成長すると消化の仕方が変わるのよ! どう? 面白いでしょう?」
引き吊った笑みで、Torielは人間にカタツムリの話を続ける。聞きたくない、言いたくない、というTorielの気持ちを、この聡い人間は察してくれると思ったから。
………だが。
「Torielさん。……誤魔化さないで下さい。Ruinsの出口は、どこですか」
Torielの期待を裏切って、顔を上げた人間は、Torielをきちんと見て、そう訊ねた。その顔に浮かぶ苦しそうな表情を見て、Torielは人間が本当にここから出ていきたいと考えていることを嫌でも理解する。
(………そう、もう、あなたは此処から出たいと言うのね)
いつか、そう言われることはTorielも分かっていた。だって、此処に来た誰もがそう言って此処を去っていったのだから。
そうして、この手からすり抜けて、取り零してしまったのだから。
(………でも、私ももう……嫌なのよ………)
じっと此方を見つめるその瞳から目を逸らし、Torielは一つ息を長く吐き、眼鏡を外した。
「……用事を思い出したわ。ここに居てちょうだいね」
それだけを人間に言うと、Torielは安楽椅子から立ち上がる。そうして眼鏡と本をそっと机の上に置くと、人間に背を向けて歩き出す。地下へと続く階段を降りるその足取りは、随分と重かった。
(………あの子が来る前に、壊しておくべきだった)
そう考えながら階段を降り、薄暗い廊下に降り立つ。そうして歩き出したところで、後ろの階段から誰かが降りてくる音がする。振り向かなくても分かる、人間だ。
「Torielさん」
名前を呼ばれて、思わず立ち止まる。その間に人間はTorielへと追い付いた。
(………あぁ、やっぱり来てしまったのね。でも……待っていて、ほしかったわ)
言ってもどうせ聞いてもらえないだろうというのは分かっていた。だが、Torielは身勝手だと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
「お家に帰る方法が知りたいのね、我が子よ」
「……はい」
振り向かずに尋ねたTorielに、人間は頷く。それを聞いて、Torielは人間に尚更振り返れなくなった。
「……この先に出口があるわ。外の世界に繋がる一方通行の出口が。……私はそれを、取り壊そうと思うの」
そう告げると、後ろから、ヒュッ、という空気が押し出される音がする。
「ここからまた誰かがいなくなってしまう事がないように……だから、いい子にして上で待っていてちょうだい」
自分が今から人間にとって一番残酷なことをしようとしているのは分かっている。だが、Torielの足は止められなかった。
彼女はもう、誰も死なせたくない。誰も失いたくないから、だから、壊すと決めた。二度とここから出られないように。それが、人間が一番望まないことだとしても。
せめて気持ちだけでも分かってほしいと微かな希望を込めて思いを告げ、Torielはまた歩みを進める。泥に絡み付かれた時のように重い足を急かして、無理矢理早足で歩く。その後を、人間は黙って着いてきた。どんな表情をしているのかは、Torielには分からなかった。
「ここに落ちた人間はみんな同じ運命を辿っていくわ。私はそれを何度も何度も見てきたの。
やってきて。去っていって。……死ぬ」
黙って着いてくる人間にどうか上に戻ってほしいと願いながら足を進めているうちに、Torielは心の内にしまい込んでいた感情を口にしていた。
「あなたはこの世界のことを何も知らないわよね。……なら、教えてあげましょう。もし、Ruinsから出たりしたら……あいつが……ASGOREが……あなたを殺すわ」
脅す目的もあったが、名前を口にするのも嫌な、元夫の名前を出した所為だろうか。自分が考えていたより随分と冷たく、低い声がTorielの口から出る。その声を聞いたからか、後ろから着いてくる足音が途切れた。
「私はあなたを守っているだけなの、わかってちょうだい?
………部屋に戻りなさい」
(お願いだから、部屋に戻ってちょうだい……分かってちょうだい………)
どうか止まってほしいと切に願うTorielの祈りは、直ぐに届かないと知る。止まっていた足音がまた聞こえたからだ。
「私を止めないで。これが最後の警告よ」
角を曲がったところで視界に映った人間に、最後の、本当に最後の警告をする。これ以上来てしまったら、彼女は傷付けることになる。それは、Torielとしても本意ではないのだから。
だが、後ろから聞こえてくる足音は鳴り止まらない。
(…………やはり、あなたも……ここで諦めてくれはしないのね)
扉の前までやってきたTorielの後から、足音も追いかけてくる。そして、Torielの直ぐ後ろまでやってきて、漸く鳴り止んだ。
(あぁ……私の言葉は、届かないのね)
ぎり、とTorielは強く唇を噛んでから、口を開く。
「そんなにここから出たいの?」
「……はい」
Torielの問い掛けに、人間は頷いた。その声を聞いて、Torielは一つ息を吐いた。
そして、覚悟を決めた。
「……はぁ、まったく。あなたも、他の人間と変わらないのね」
ここでどれだけ言葉を重ねても、きっと人間は止まってくれないだろうとTorielは分かってしまった。
なら、力ずくでも、縛り付けてでも止めなければならない。
それが、『母』として出来る精一杯なのだから。
「一つだけ方法があるわ」
ぽつりと、Torielは言う。そして振り返って、緩慢な動作で右手を肩の高さまで持ち上げた。そのまま人間の前で、開いた掌の上で魔法で炎を灯して見せる。魔力で作られたその炎の玉は、空気を焦がし、ぼうぼうと燃え上がる。
それはさながら、Torielの決意のようだった。
「私に証明してみなさい。……生き残れるだけの強さがあると」
勝たせる気は毛頭無いが、Torielはそう言って人間を睨み付けた。
そして、相対した人間は、というと。
「…………」
わらっていた。
(え?)
あまりにもこの場に似つかわしくないその表情にTorielが目を見開いた、次の瞬間だった。
とんっ、と、軽い衝撃がTorielの体に伝わり、
ザシュッ
そして、何かが布を切り裂く音を聞いた。
「えっ?」
――――一瞬、何が起きたのか、Torielは理解が出来なかった。
衝撃が走った腹部を恐る恐る見ると、大きな傷が一閃、深く走っていた。
「………あ、うッ………あ、ああああああ!!!!!」
その傷を認識した途端、そこが熱したように一気に熱くなり、鋭い痛みがやってきた。一生の中で経験した事のない激しいその痛みに、Torielは思わず傷を押さえて踞り、絶叫を上げた。
そんなTorielを、人間は見下ろす。
そして、その背中にナイフを振りかざし、突き立てた。
ドシュッ
「あッ、が、は……」
ザシュッ
「アァッ」
ドシュッ
「あ、あ、ああああああ!!!」
ざくり、ざくり。
痛みで動けないTorielの背中に、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もナイフを突き刺しては引き抜き、その度に壁や床に赤い染みを作っていく。
漸くそのナイフの攻撃が止んだ時には、Torielの背中はどす黒い赤で染まり、その身体は床に崩れ落ちていた。
あまりの痛みに冷や汗が浮かび、息が荒くなる。
「あ、かは、ぐ………」
息をする度に体が悲鳴を上げる。
「ひゅ、う、ぅ……」
浅く繰り返される呼吸では酸素が巧く取り入れられず、視界が霞む。
「げほっ、はっ、はっ………」
痛い。
痛い。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い…………
全身の感覚が痛覚で支配され、それしか考えられなくなる。
「……くく、ははははっ」
痛みに悶えるTorielを見て、人間はたまらず吹き出し、わらいごえを上げた。
「はははははははははははははははははははっ!!! やっと、やぁーっと殺せた!!!」
人間のわらいごえがRuinsに響く。そのわらいごえに、傷の痛みすら忘れてTorielは呆然としてしまう。
この攻撃は、明確にTorielを殺すための一撃だったということを理解しても、心が受け入れられなかった。
「……ど、どう、して………」
何故。
思わず、その真意を訊ねてしまう。
「………」
カッターナイフを握ってTorielの前に立つ人間は、わらってはいたものの、答えなかった。
「あ……あなた……そんなに私のことが嫌いだったの……?」
あまりの痛みに息も絶え絶えになりながら、Torielは訊ねる。だが、人間はまたも答えない。ただTorielの荒い息遣いだけが静かなRuinsに響く。
(何故? どうして? そんなに私が嫌いだったの? 私が何か嫌いになるようなことをしたの? ねぇ、どうして、どうして……?)
混乱する思考に浮かんだまま言葉を発しようとしても、痛みが邪魔をし、空気しか吐き出せなかった。
そして、それと同時に、自分の体から、急速に何かが抜け落ちていく感覚がする。
―――――死が、近付いてきている。
Torielがそれを理解するのに、時間はいらなかった。
「あ、塵になってきてる……やっぱりこうなるんだ」
痛みで顔を上げられないが、上からたのしそうな声が降ってきた。Torielの体が攻撃に耐えられずに塵になっていくのを、心の底からたのしんでいる声だった。それを聞いて、ぞっとする。
この人間の本性は、こんなに残虐なものであったのかと。
「あー……ふふ、ふふふふ……ここに来るまでに皆を殺してきた甲斐があって良かったぁ!」
顔を覆った人間は、くすくすとわらって、肩を震わせながら信じられない言葉をその口から吐いた。
「あ、言ってませんでしたっけ? 私、Ruinsに住むモンスター全員、殺してからここに来たんですよ」
(……え?)
わらって口にされたその言葉を聞いて、今度こそTorielの思考は停止した。その言葉を信じられなかったから、その言葉を理解したくなかったから。
「う、そ………うそよ……!!」
「あっはは、残念ながら本当でーす。だって、貴女を殺すために必要だったんですもの。だって、レベルが上がらなきゃ
くすくす、くすくす。
目を見開くTorielを見て、何が面白いのか、人間は顔を覆ったままわらっている。そのたのしそうな声が、本当に心の底からたのしそうにしているように聞こえた。
(嘘、嘘よ、嘘嘘嘘嘘…………)
信じられない現実を突き付けられ、Torielの思考が混濁する。
(だってこの子は、いい子だった! Dummyともちゃんとお話しして、私の言うことに従ってくれた!! そんな子が、誰かを、殺した? そんな、そんな訳……)
「あは、信じられないみたいですね」
人間の言った言葉を信じられないTorielの心を見透かしたように、人間はそう言った。
「じゃあ、皆がどんな風に死んだか教えて差し上げましょうか」
そして、唐突にそんな事を言い出した。Torielが何を言っているのか理解できないうちに、人間は追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「えーっと、まず蛙みたいなモンスターは、逃げようしたんで体を足で押さえつけて首を掻っ切って殺しました。蛙が潰れた時って本当に『グエッ』って言うんですね! 驚きました」
「………え」
わらいながら、まるで自慢でもするように、たのしそうに、人間は言う。
『蛙のモンスター』とは、Froggitのことだろう。たくさんの家族と一緒に、このRuinsで暮らしていた。たまに合唱を聞かせてくれたこともあった。
足で踏まれて押さえつけられ、逃げたいのに逃げ出せずに恐怖の表情を浮かべて死んでいく彼らが浮かぶ。
「次に滅茶苦茶泣き虫なモンスターは羽根をもいでから殺しました。ビービー泣いて五月蝿かったので直ぐに殺しちゃいましたけど、今思うとちょっともったいなかったですね。地上の虫と同じ構造だったのか良く見とけば良かったなぁ。あと、あの羽根綺麗だったんで欲しかったんですけど、消えちゃって残念です」
「なにを、いって、」
『泣き虫なモンスター』とは、まさか、Whimsunの事だろうか。泣き虫ではあったけど、羽ばたく度にきらきらと綺麗に透ける羽根を褒めると、花が咲いたように笑うあの子を、あの子の一番の自慢だった羽根を奪ったというのか。
「その次は、何かゼリーみたいなやつが纏わり付いてきて気持ち悪かったんで踏み潰しました。えぇ、それは完膚なきまでに。最初は気持ち悪かったんですけど、割りと楽しかったです」
それは、Moldsmalのことだろうか。ただ端で大人しくしているだけのあの子達も、ただ足に纏わり付いただけで殺したのか。
「あぁ、何か人参みたいな子も殺しましたね。固かったんですけど、ちょっとずつ皮を剥いて色んな切り方をしてみたら、一番乱切りが切りやすかったですかね。五月蝿かったんでみじん切りにしましたけど」
「………や、めて」
思い出したように言った『人参みたいな子』、とは、Vegetoidのことだろうか。会う度に料理で嫌いな野菜をどうやって食べさせるか、どう野菜を取ったらいいか、なんていう自分の悩みを最後まで聞いてくれた優しい子を、みじん切りに?
思わず、Torielの口から拒絶の言葉が出る。だが、人間は尚も口を開く。
「そうそう、命乞いしてきた虫モンスターもいたっけなぁ。『子分になるから見逃してくれ』だなんて言うから、『じゃあその隣の気味悪いギョロ目殺してよ』って言ったら『友達だから無理だ』なんて言うんですもん。面倒くさかったんでどっちも殺しました。あぁ、ギョロ目の方は目玉が気持ち悪かったんで思いっきり潰しました」
「やめて!!!!!!!」
ギョロ目、とはLooxのことだと直ぐに分かった。そして、もう一匹はMigospだろう。彼等は、よく一緒に遊びに出掛けていたから。そんな彼等の友情も否定するのか。
気付けば、Torielは傷が痛むのも気にせずに絶叫していた。つらつらと語られる彼等の死に様が、ありありと目に浮かんだからだ。
「あーぁ、そんなに叫んだら傷に響きますよ? って言ってもまぁ、その体じゃもう助からないでしょうけど」
そうして、嫌でも理解させられた。
今目の前でわらっているこの人間は、紛れもなく皆を殺してきたのだ、と。
それを頭が理解した瞬間、目の前にいる人間が『守るべき子供』から『憎むべき敵』へと変わる。
だが、それに気付くのが、彼女は遅すぎた。
(あぁ、ああ、何てこと……!! 私は、また間違えてしまった……!)
自分がとんでもない思い違いをしていたことに気付き、Torielは最後まで気付けなかった自分の愚かさを呪った。
思えば、確かに、傷を手当てした時から違和感はあった。このRuinsに住むモンスターでは付けられない
それを、『いじめられたのだ』なんて考えて、手当てをしてしまった。
皆が足掻いた証を、見逃してしまった。
(ごめんなさい、ごめんなさい………!!)
それに気付いた途端、深い後悔がTorielを襲う。
その傷の意味に気付けなかったことに。
皆がこの憎ましい敵に殺されていく間、その敵を歓迎するためにパイなんて焼いていたことに。
甲斐甲斐しくも世話を焼いていたことに。
『娘として育てよう』となんて、考えていたことに。
その容姿に『娘』を重ねて見て、残虐で恐ろしい、狂った本性を見逃したことに。
こんな人間は、娘などではない。娘と重ねて見ていた事すら憎い。
そして、Ruinsにいた全てのモンスター達の事を思い浮かべ、涙する。
止められなくてごめんなさい、守れなくてごめんなさい、と。
痛かっただろうに、苦しかっただろうに、その痛みに気付けなくてごめんなさい、と。
彼等を思って流す悔し涙も、もう出てこない。少しずつ塵になっていく体では、涙も流せなかった。
「………私が、あなたを匿って、誰を守っていたか……ようやく分かったわ………」
最後に、顔を上げたTorielは、残った力を振り絞って、口を開く。そして、涙に濡れた両目を吊り上げ、ギッと敵を睨み付ける。
「みんなよ!!!!!」
「………」
Torielは死の直前に叫び、人間を憎悪に染まった瞳で見た。
守るべき仲間達を殺し、そしてこれから先も殺そうとしているのであろうその憎ましい敵を、『絶対に許さない』という怒りと、憎悪を籠めて。
……だが。
(………どうして)
だが、死の間際にようやくちゃんと見えた、掌を退けた先にあった人間のその顔を見て、Torielは目を見開いた。
(なぜ、あなたが………そんな顔をしているの………)
わらっていたはずの人間のその顔は、ひどく歪つだった。
それを最後に、Torielの意識は闇に沈んだ。
―――――――――――――――――――
Torielの身体が完全に崩れ落ち、その場に残されたのは、Torielだった塵の山と、Torielが着ていた紫色の服だけだった。不意に、その塵の山から、ふわりと何かが浮かび上がる。
それは、真っ白なハートだった。
人間が知っているそれとは違い、逆さになっているその純白のハートは、その場で浮遊し、そして。
ぴき。
ぱき。
少しずつ少しずつ罅割れ、ついには、
――――ぱりん。
粉々に砕け散り、消散した。
そして、その場に残ったのはTorielを殺した張本人である、人間だけだった。
人間は何も言わずに、だらりと腕を下ろした。そのまま塵の山の前に座り込むと、人間はTorielの服を拾い上げた。
「……」
手で服に付いた塵を払うと、人間は服を抱き締め、顔を埋めた。暫くそうした後、顔を上げた人間は、何を思ったのか、その服の腹部に走る傷の下にナイフを突き立て、もう一度切り裂いた。ビリビリ、ビリビリと、無理矢理切り裂かれる音を立てて紫色の布を切り取ると、人間はその布を、ポケットにしまった。
そして、人間は塵の山の横を通ると、目の前にあった扉を押し開ける。その先にあった暗い廊下を進んでいくと、広い空間に抜けた。
「あっ、Chara! 待ってたよ!」
その空間のちょうど真ん中辺りに、少しだけ草が育っている部分があった。そこだけ天井から太陽の光が降り注ぎ、燦々と草花を照らしている。その小さな明かりの下で、Floweyが佇んでいた。
Floweyは人間が姿を現したのに気が付くと、ぱっと顔を明るく綻ばせた。
「見てたよ、ちゃんとママを殺せたね! まさかあそこまでやるとは思ってなかったなぁ。ちなみにね、僕も一回やったんだよ!」
「……へぇ、そうなんだ。その時も、あんな感じだったのか?」
「うん!」
にこにこと笑いながらぺらぺらと捲し立てるFloweyに、人間は言葉を返す。その言葉が何処か冷たかったのは、Floweyは気付かなかった。
「で、そっちは? ちゃんとやったんだろうな?」
「当たり前じゃないか! もうばっちりさ!」
人間がFloweyに尋ねると、Floweyは笑いながらそう答えた。
「………そう。じゃあ、お願いした通りに頼んだよ、親友」
「! うん、任せて、Chara!」
人間が最後に付け加えた『親友』という言葉に、Floweyはより一層笑顔になると、大きく頷いた。そして、うっとりと人間を見つめる。
「ふふふ。あと、もうちょっとだね……」
「早く行け」
「はーい。じゃあ、またね、Chara」
恍惚とした表情のFloweyを急かすと、Floweyはくすくすと笑い、地中へと消えていった。そうして、その場には沈黙が下りる。
「……」
ふと、人間は先程までFloweyが居た地面に立ち、天井を仰ぎ見た。そして、遥か上の地上から降り注ぐその光に、手を伸ばした。
「………」
そして、ゆらゆらと何も掴めないまま彷徨うと、力無く手を下ろした。
そのまま暫くぼんやり天井を見上げ、人間は顔を下げ、足を動かした。ふらふらと動くその足は、人間の体を進むべき道へと運んでいく。
暗い廊下を抜けた先には、重厚な扉が佇んでいた。
その重たい扉を全身を使って押し開け、人間はRuinsを出ていった。
とある日記より抜粋
『Torielを殺すに当たって、注意しておく事が一つ。それは、「Torielに私に対しての憎悪を持たせる」ということ。これは、私がGenocideルートを完遂する上での第一関門だ。
一周目では、Neutralルートにしか行けない。でも、私にやり直す為の力はない。この世界を巻き戻せない。なら、一周目でGenocideに行くためにはどうしたらいいか。そう考えた結果、「Torielに憎悪を抱かせる」ことを思い付いた。
一周目では、どんなにLOVEを高めて殺しても、Torielは主人公に憎悪を抱かずに死んでいった。だが、二周目以降の彼女は、主人公に憎悪を抱き、死んでいる。なら、私もTorielに完全に恨まれてしまえばいい。
そうすればきっと、私の心も、完全に狂ってしまえるだろうから。』
※2020/7/19 加筆修正