ガリガリと、ペンを走らせる音が真夜中の部屋に響いている。学校に通い出した辺りに両親から与えられた勉強机に向かい、備え付けられたライトの寒々しい光に手元を照らされながら一心不乱にノートに何かを書き付けていくのは、Lilyだった。
ふと、Lilyは手を止めて、壁に掛けられた時計を見た。時計の針は十二を過ぎた所を指しており、随分と長い間机に向かっていた事をLilyは漸く気付いた。ずっと同じ体勢していたからか、体が少し怠い。Lilyが一つ伸びをすると、バキリと体の軋む音がした。
伸びをしたLilyは、ぼんやりと先程まで書いていたノートを見る。日記と思わしきそれのページには、びっしりと文字が書き込まれていた。
『妹を救うには、どうしたらいい』
ここ最近彼女が考えている其れに関する記述だらけだった。
「……………くそう」
だが、膨大な文字の中にも、彼女が求める具体的な答えは見つからない。それは、どれだけ熟慮しても、これと言う案が見つからないのだという事に他ならなかった。彼女は悔しそうに一言呟き、机を苛立ちに任せて叩いた。そのままLilyは机に突っ伏し、どうしようもない、誰にもぶつけようのない苛立ちを抱えたまま目を閉じる。
これじゃ堂々巡りじゃないか、と彼女は思う。具体的な案も見つからず、時間と紙だけが無駄になっていく。そうして今日もベッドで眠って朝を迎えて、何時来るか分からない脅威に怯えながら日々を過ごすのだろうと考えると、また苛立ちが募った。
………いや、本当は彼女は分かっている。さっさと自分が行動を起こせばいいことなどは。電車を乗り継いでEbot山の麓に行って、穴に落ちて、自分が主人公を演じればいいなどという最適解は、とっくのとうに出ている。だが、その一歩が踏み出せずにいた。
仮に彼女が妹であるFriskの、『Undertaleの主人公』という立場を奪ったとして、物語の通りに話が進むのかというのは保証されている訳ではない。何故なら、彼女に物語を決める権利はないのだから。この世界は、あくまでも誰かの手に操られるものなのだから。
脇役が主役の座を奪って本物を気取ったところで、台本が知らぬ間に変わってしまったらどうする。この世に数多に存在する創作物のように、全てが救われるような、そんなありふれたハッピーエンドへと向かうならばいい。だが、もし、その台本の先が
そう考えてしまうと、どうしても足を踏み出せないのだ。
「………………くそう………っ」
『妹を救いたい』と考えておきながら、結局は自分の臆病な部分がどうしても足を踏み出すのを拒む。その事に、Lilyは悔しくて、腹立たしくて、恨めしくて、情けなくて仕方がなかった。思わず、涙が出てくるほどには。こうして悔し涙を流すのも、一体何度目なのか。結局また繰り返しているのか、と、彼女は自嘲する。
「…………寝よう」
今の暗くドロドロとした思考では何も考え付かない。だから気持ちをリセットをするためにも、寝よう。寝なくては。明日こそ、きっと何か思い浮かぶはずだから。
そう自分に言い訳して、彼女はライトを消し、ベッドに潜り込む。そうして目を閉じて、眠りについた。
彼女自身、これ現実逃避だということは、無駄な事だとは分かっている。だが、今は早く、こんな世界から切り離されたかった。そうでもしないと、自分が壊れてしまいそうだったから。
早く朝になれと念じながら、彼女は眠りに落ちていく。
……………そんな現実逃避の代償は、重かった。
―――――――――――――――――――――
時は流れて、彼女が十五歳、Friskが六歳になった年。
突然、両親の訃報が彼女達に届いた。
死因は、交通事故だったという。居眠り運転の対向車に轢かれ、押し潰され、病院に運ばれた時にはもう息は失くなっていたとのことだった。
夕食もシャワーも済ませ、あまりにも帰りの遅い両親の帰りを二人で待っていた所に、泣きながらやってきた親戚の伯母の口から告げられたあまりにも突然訪れた両親の死に、Lilyは茫然とした。両親ともう二度と話すことも会うことも出来なくなってしまったのだと理解して泣き叫ぶFriskを抱き締めて宥めている間も、何処かぼんやりとしていた。
何とか自分を奮い起たせ、彼女は何とかFriskの姉として振る舞い続けた。やがて、両親の葬式が終わり、もしもの時の為にと備えていた両親から遺された遺産を狙って擦り寄ってくる親戚達の甘い言葉をはね除け、欲望を丸出しにして罵詈雑言をぶつけてくる大人達からFriskの心を守り、漸く家に帰って来た。未だに泣きじゃくるFriskをどうにか寝かし付け、水を飲もうと一階に降りてリビングにまで来た所で、Lilyは月明かりが窓から差し込むがらんとした部屋を虚ろな目で見つめた。
―――――………ついこの間まで、ソファーの端に父さんが良く座っていた。
ついこの間まで、そこのキッチンで母さんが料理を作っていた。
ついこの間まで、四人でテレビを見ていた。
ついこの間まで、他愛のない話をしていた。
ついこの間まで…………此処で、生きていた。
そう考え出したら止まらなかった。家族の思い出が止めどなく溢れ、笑顔の家族の顔が浮かんでは消えていく。そんな日常はもう二度と訪れる事はない、と改めてLilyが認識した途端、足に力が入らず、上手く立っていられなくなってしまい、その場に崩れ落ちてしまう。
「…………わたしの、せいだ」
冷たいフローリングの床に座り込み、ぼんやりと部屋を眺めたままLilyはそう呟く。その何も見ていない虚ろな目から、涙が零れた。
「わたしのせいだ」
譫言のように、またその一言がLilyの口から滑り出る。ぼたぼたと、彼女の瞳から流れる水滴が頬を流れ落ちて、床に落ちていく。
――――――私が、行動さえしていれば。
そんな重い後悔が、彼女の頭を占めていた。
――――――分かっていた筈だ。もしかしたら、こうなるかもしれないことぐらい。可能性として、日記の何処かに書いていた筈だ。私が事前に行動していれば、母さんと父さんが死ぬことは、『Friskが主人公として成長するために死ぬ』なんてことは、防げた筈だ。なのに、自分は臆病風に吹かれて行動しなかった。Friskを救いたいなんて言ってた癖に、結局、どうしようともしなかったんだ。だから、母さん達は死んだ。
これは、私の所為だ。分かっていたのにずるずると言い訳して行動しなかった私が、二人を殺したんだ。Friskから両親を奪ったんだ。
言葉に言い表せない後悔と自分自身に対する激しい憎悪が、彼女の心に重くのし掛かっていく。
―――――――どうして両親を殺して、私を殺してくれなかったんだ、カミサマ。
そうして彼女は、何時しか居るかも分からない神へと問い掛ける。
―――――――私が死ねば、この世界の秘密を知る人間は消えるし、Friskにダメージも与えられるはずだ。効率が良かったはずだ。なのに、どうして両親を殺したんだ。まだあの子には、素直に甘えられる存在が必要なのに。どうして両親を殺したんだ。私が、私が死ねば良かったのに、どうして………
その場に座り込んだまま、『どうして』と、ただ自問を繰り返す。答えてくれる相手も誰もいないまま。
………そうしているうちに、ふと、彼女はある答えに辿り着く。
―――――――いや、まさか。まさか、そんな筈はない。そんな筈は………
心の中では、その考えを拒みたかった。認めたくなかった。信じたくなかった。だが、彼女の頭では、それしか考えられなかった。
「………私が『転生者』だから、私は死ななかった……?」
ぽつりと、浮かんだ考えを彼女は口に出す。言葉にした事で、彼女の中では尚更そうとしか考えられなくなっていく。
そもそも、『転生者』とは、彼女の知識の中では一般的には仏教に存在する概念であるものの、良く創作の小説などで使われる設定でもあった。前世の彼女が存在していたような現代から、ゲームの中などの世界に生まれ変わる事を意味していた。その転生者という設定は、よく物語の主人公に設定される。そうして、神様からもらった特典と呼ばれる異能力や知識を駆使し、無双していく事が多かった、と彼女は記憶している。
ここで彼女が注目したのは、この『転生者』という肩書きは、あくまでも
…………じゃあ、今、現在『転生者』としてこの世界に存在している自分は。
―――――――…………誰かの、操り人形なんじゃないのか。
「………………………あは」
そこまで想像が出来た。出来てしまった。
「ははは、はははっ」
自分はただの人形で、昔の記憶も、今この瞬間でさえも造られたものなのだと、感付いてしまった。納得してしまった。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ」
もう、彼女には嗤うことしか出来なかった。
全て自分の意思で選んできた道だと信じていた筈だったのに、全て誰かに選ばされていただなんて、もう嗤うしかない。
「私の苦しみも、家族で過ごしたあの時間も、両親の死も、Friskの涙も、全て用意された演出にしかすぎないってことかよ………はははは、ははっ」
泣きながら、彼女は笑っていた。
自分の後悔も、憎悪も、怒りも、恨みも、無力感も、願いも、愛も………感じていた何もかもが造られたもので、偽物。今嗤っているのも、きっとそうだ。誰かに造られたものなんだろう。
結局自分を含めた誰も彼も、誰かの掌の上で踊る道化なのだ。
そんな考えが、彼女の頭に刷り込まれていく。変わらない絶対のものとして刻み込まれていく。口に出せば妄言と取られるであろうその考えを、否定できるような人間は周りに居なかった。誰も、彼女の考えを狂言だと証明出来なかった。止められなかった。
「あぁ、そうか。私が行動に移せなかったのも、原作を変えるのが怖いんじゃなくて、動かれちゃ困るからか。そうだよなぁ、物語が始まる前に動かれちゃ堪ったもんじゃないよな、物語が狂っちゃうもんなぁ」
クスクスと笑いながら、彼女はそう言った。その言葉は、自身を操る
「ははははははは、はははは………はー、可笑しい」
狂ったように、いや、この瞬間を以て狂ってしまった彼女は嗤い続ける。
唯でさえもしかしたら死ぬかもしれない未来に絶望しながらも、何とか正気を失わずに、失わないようにと狂気の淵でギリギリ踏み留まっているような精神状態で生きていた。
それなのに、彼女の知らぬ間にも生きるために抱いていた希望そのものになっていた両親の死に、心に大きな亀裂が入り、今まで恐れながらも前を向こうとしてきた全てを否定され、今まで恐れてきたFriskを主人公としてではなく人として愛し、『妹を救いたい』という願いを成そうとしたこと、その為に成してきたことの意味を打ち砕かれ、両親の死すらも仕組まれたものである事に気づいてしまった。
そこで、彼女の張り詰めていた糸がブツリと千切れた。
壊れないようにと守ってきた心が、バキリという音を立てて壊れてしまった。
彼女は立ち上がり、鼻唄を歌いながら窓辺に立つ。
「憎らしい程綺麗な満月だなあ」
彼女が窓越しに見上げた夜空には、ぽっかりと空に孔を穿ったかのように丸い満月が昇っていた。その満月に背を向け、Lilyは父譲りの黒く長い髪を揺らして二階へと上がる。Friskを起こさないように静かに部屋に入ると、勉強机の中にあった鋏を取り出した。そうしてそのまま嗤いながらハサミを後頭部へ持っていくと、
ジャキリ。
ジャキリ、ジャキリ。
ずっと伸ばしていた黒い髪を、ばっさりと切り落としてしまった。
母親に『お父さんそっくりの綺麗な髪ね』と言われて、それが嬉しくて手入れしていた艶のある髪がばさりと床に落ちる。すっかり短くなったショートカットの頭を振り、細かい切り屑を払い落とすと、Lilyは満足そうにそれを見つめ、また嗤い始める。
「あっははははははッ!!!!」
そして鋏をナイフを持つように持ち替え、机へと振り下ろした。刃先の鋭いその鋏は机に突き刺さり、ガタン、という大きい音を立てる。その音を最後に、部屋は水を打ったように静かになった。
「―――………壊してやる、こんな世界」
少し間が空いてから、彼女はぽつりと呟いた。
「この世界を壊してやる」
顔を俯かせたまま、Lilyは月明かりに照らされながらそう言った。
今の彼女の頭の中には、最悪と呼んでいいであろう選択肢が一つだけ浮かんでいた。
「これなら、この世界を壊せる」
この世界を壊し、在りし日の自分の願いを叶え、より良い世界に出来る選択肢が。
「これなら、Friskを、皆を救える」
何時かの自分が『これだけは選んではならない』と禁じた、最悪の選択肢を、彼女は選び取った。
それが誰かの意思によるものだとしても、彼女はその道を選んでしまった。
そう言いながら顔を上げた彼女の顔には、背筋がゾッと粟立つほど美しく、どんな怪物よりも恐ろしい笑みが浮かんでいた。
2019/9/16 誤筆修正