数日、あるいは数週間ぶりに雨が降った。霧雨や通り雨みたいなちゃちなものではなく、結構まとまって降る雨。オプションとして雷が鳴ったり、突風が吹くこともない純粋な雨。
久々の雨ということで、大洗の戦車道メンバー―――特にウサギさんチームだが―――は大いに盛り上がっていた。ここのところ日照りが続いていて、暑さもいい加減限界間際だったから、まさに水を得た魚のようだ。
もちろん、雨が好きな村主とナカジマは表情には出さなかったが、内心ではとても嬉しい。連日猛暑日で整備も汗だくだったし、いまいち気分も乗らなかった。この天気は、良いリフレッシュになるだろう。
尤も、今日大洗に来る訪問者にとっては嫌な天気なだけだろうが。
「とりあえず、あんまり目につかない場所にいた方がいいね。その方が、あまり厄介なことにはならないだろうから」
「それなら、俺は戦車の下にいるよ。どうせエンジンの整備もしなきゃいけないし」
「うん、それじゃそういうことでお願い」
作業前にナカジマと相談をし、その訪問者が来る時どうするのかを決める。
悪事を働くために大洗にいるのではないが、それでも厄介ごとをできる限り避けたいという生徒会の意向により、訪問者が来る間は姿を隠すように、と言われたのだ。
「西住ちゃん、来たよ~」
「あ、はい!」
そこで、近くにいたみほに杏が話しかける。その訪問者は桃が乗船口まで車で迎えに行ったので、連れてきたということだろう。
村主は早速、打ち合わせ通り戦車の下に潜ってやり過ごすことにする。
それでもほんの少し、どんな人が来るんだろうと興味ができて、ポルシェティーガーの履帯の隙間からその訪問者の様子を伺うことにした。
来訪者は3人。1人はえんじ色の傘を差し、2人は焦げ茶色の雨合羽を着ていた。
「お初にお目にかかります!知波単学園より参りました、西絹代と申します!以後、お見知りおきを!」
やたらと張りのある声で挨拶をしたのは、傘を差していた、土色の詰襟と赤いプリーツスカートの制服を着る、艶やかな黒髪ロングヘアの女子だ。
「同じく、知波単学園副隊長・玉田!」
「右に同じく副隊長・細見であります!」
隣に控える2人の女子が、合羽を脱いで元気よく挨拶をする。後ろに編み込んだおさげの子が玉田、頭の上で髪をぐるぐる巻いている子(後で調べたらビクトリーロールという髪型だった)が細見と言うらしい。
大洗側から案内をすることになったみほと桃が、軽い挨拶を交わしてから知波単から来た3人にガレージを案内する。それを見て、村主も見えないように引っ込んだ。
「この戦車で全国の頂に・・・素晴らしいです」
「恐縮です・・・知波単の皆さんも、黒森峰相手に善戦したじゃないですか」
「いえ、我々もまだまだこれからですから。これを機に、大洗の皆さんの戦い方を勉強させていただければと思います!」
みほの多少社交辞令が混じった言葉に、西は敬礼をして決意表明をする。
そしてしばらくの間、知波単の3人は戦車を見学してから、みほたちと共に『話し合い』を行うための生徒会室へと向かった。
みほたちの姿が見えなくなったのを見計らって、村主は戦車の外へと一度出る。
「行った?」
「うん、生徒会室にね」
ナカジマが答えるとほっとする。一応、見つからないように、という使命は果たされたようだ。ちょっとしたスパイ映画のようにも思える。
「知波単学園ねぇ・・・」
質素倹約を掲げ、属する生徒は誰もが生真面目で誠実かつ文武両道という知波単学園。茶道や華道、剣道などのあらゆる日本古来の文化に傾倒しているらしい。
戦車道のカリキュラムもあるらしいが、その戦い方は『突撃』。過去には全国大会ベスト4まで上り詰めたこともあったが、その時の勝因が『突撃』だったせいでそれに拘ってしまっている。全国大会の常連だが、初戦落ちが続いているのが現状だった。
そんな知波単の生徒がこの天気の悪い中わざわざ大洗まで来たのは、見学をするためではない。
「まさか知波単と組むことになるとはね・・・」
来る8月24日、大洗町で全国大会優勝を記念したエキシビションマッチが開催されることが決まった。その試合で、大洗は知波単とタッグを組んで試合をすることになったのだ。
そもそもどうしてタッグを組むのかは、このエキシビションマッチのルールによる。
まず優勝校が試合に参加するのは確定。その相手となるのは、優勝校及び準優勝校が準決勝で戦った2校のタッグだ。大洗が戦ったのはプラウダ高校、黒森峰が戦ったのは聖グロリアーナなので、この2校と戦うことになる。
そして大洗は、準優勝校が1回戦で戦った学校とタッグを組んでそれに挑む。それが知波単学園なのだ。
さらに、準優勝校が2回戦で戦った相手も助っ人として呼べるのだが、該当する継続高校が出場を辞退したため、助っ人なしでプラウダと聖グロリアーナに挑むことになる。
知波単の3人は今日、そのエキシビションマッチの打ち合わせをするために来たのだ。
「この雨の中、ご苦労なことだね」
「ああ、確かにな」
ナカジマと共に、外で降る雨を見る。結構勢いが強く、バタバタとガレージの屋根にも強く打ち付けている。傘を差していた西はともかく、合羽の玉田と細見にはこの雨は堪えるだろう。久々の雨なので涼しいことだけがせめてもの幸いだろうか。
「もしかしたらチハに触らせてくれるかな?」
「それは難しいかもな・・・」
どうやらナカジマにとっては、触れたことのない知波単学園の戦車をいじることが楽しみらしい。しかし知波単の戦車は知波単側で整備するだろうし、試合後は戦車道連盟が整備を代行してくれるはずだ。だから触れる機会もないだろう。
「そういえば村主って、大洗の試合を観るのはあの決勝戦以来かな?」
「ああ、そうだな・・・」
全国大会の決勝戦以外の大洗の試合は、戦車道の公式サイトで調べて知った。大洗の試合の生観戦は、ナカジマの言う通り決勝戦以来だ。
「じゃあ、ちゃんと勝ってみせないとね」
「おお、期待してるぞ」
ナカジマがぐっと腕を構えながら笑って見せると、村主も親指を立てる。
久々に大洗の試合を観られるし、その試合に参加する大洗の戦車は村主も整備する。自分が整備する戦車が試合に出るとなれば、気合が入らないわけがない。
まだそのエキシビションマッチは先のことだが、それでも整備をする腕に自然と力が入る。
その日の訓練が終わった後、村主は生徒会室に呼び出されていた。
部屋は広々としていて、入って右手には応接スペースが設えており、杏の座る生徒会長の席の傍には、あの戦車道全国大会の優勝旗が飾られている。近くの棚には何かのトロフィーが飾られていた。窓からは大洗の街並みと海を見渡すことができる。しかしながらあいにく雨で、景色はさほど良くはない。
村主は応接スペースに通されるわけでもなく、杏の座る席の前に立たされて話を切り出されると。
「無理です」
即答した。
「いやー、そこを何とか頼めないかな~?」
「いえ、流石に会長の頼みといえどそれは・・・」
「おい!会長が直々に頼んでるんだぞ!聞いてやらないか!」
「そうは言ってもですね・・・」
いつものような軽い調子で頼んでくる杏と、それに乗っかり厳しく言ってくる桃。しかし、それでもまだ村主は首を縦には振れない。
話とは、明後日の校内模擬戦でヘッツァーの操縦手をしてほしいという依頼だった。
発端は、本来ヘッツァーの操縦手である柚子が、明後日はどうしても実家に戻らなければならなくなったということだ。柚子は結構な大家族の長女で、その日は曾祖母の誕生日らしい。大家族が一堂に会して祝うことも少ないので、どうしてもその日はずらせないという。それだけ柚子が家族を大事に思っているということなので、責めることはできなかった。
そこで肝心なのは、柚子が実家に戻るとヘッツァーが動かせないということだ。
加えて、明後日は外部からの教官も呼んでいるため模擬戦の日程もまた変えられない。
そこで杏は、村主にヘッツァーを操縦させようと提案したのだ。
「ほかのチームから誰か借りるってのも難しいしさ~。戦車のことは勉強してるんでしょ?それならできるって、今回だけだから」
「ですが、戦車道の規定では男は試合に参加できないのでは?」
「あくまでうちの敷地でやる試合だし、模擬戦だし、そんなにルールに拘ることはないでしょ」
あくまで今回の模擬戦は、訓練の一環に過ぎない。だから、規定に厳しい公式戦とは違うし、公的な記録も残らないので問題は無いと、杏は言っているのだ。
それは一理あるが、それでもまだ村主は納得がいかない。
「実際に戦車を動かしたことは無いです。それに、動かし方自体分からないですし・・・」
「小山~、教えてやって?」
「それは構いませんが・・・」
「ほらー、小山もこう言ってるんだしさ~」
「ですけど・・・」
村主はなおも渋る。
村主が戦車が好きなのは確かだし、それなりに勉強も自分でしてきた。それでも戦車の操縦をしたくないのは、戦車が女性の乗り物だということをよく理解しているからだ。その戦車に乗るのは、タブーを犯しそうな気がして気が進まない。
それをやんわりと伝えたが、逆に桃を怒らせてしまった。
「いいからつべこべ言わずに乗れ!エキシビションマッチの重大さが分からんのか!我が校の力を見せるいい機会なんだぞ!」
「・・・まあ待って、桃ちゃん」
「だから桃ちゃんと呼ぶな!」
ヒートアップしてきた桃を窘めてきたのは、当の柚子。
柚子は困ったような顔で村主を見ると、目を閉じた。
「・・・うん、分かった。ダメもとだったし、仕方ないね・・・」
「柚子、でも・・・」
「大丈夫だよ、桃ちゃん。何とかなるから」
柚子の言葉に、村主はもう一度頭を下げる。
そして、踵を返して生徒会室を出ようとしたが。
「まあ・・・結果エキシビションマッチで負けるかもしれないけど、その時は気にしないでね、村主君」
村主の足が止まる。
「来年度まで大会とかはもう無いし、私たち3年生にとっては最後の公式戦になっちゃうかもしれないけど、負けちゃうのは実家の都合で参加できなくなっちゃった私の責任だから」
村主の目元がぴくぴく震えだす。
「それにもし、模擬戦に参加できれば桃ちゃんも練習できて本番で命中させられるかもしれないけど、それができないと桃ちゃんは1発も当てられないまま卒業になるし・・・でも、参加できないんじゃ仕方ないね」
生徒会室に微妙な空気が流れだし、桃も冷や汗を流しだす。
「だから気にせず、村主君は実習に集中してくれればいいから」
「・・・・・・」
「場合によっては大洗がこの先試合で勝つことはもう無いかも―――」
「やります。やりますからその話し方止めてくださいお願いします」
重くのしかかるような柚子の言葉に耐えられなくなり、村主は振り返っていやいや承諾する。途端、柚子は『ありがとう!』と満面の笑みで喜んでくるものだから、先ほどの話し方は演技だろう。
「・・・あの巧みな話術、なかなか侮れないな・・・」
「話術って言うか純粋に脅しじゃない?」
桃と杏がそんなことを言っているのは、聞こえていた。
柚子は口が上手いということを、村主はその身をもって思い知った。
「それは・・・何とも言えないね・・・」
「ああ、全くだ・・・」
そのあと細かい調整を終えてから、村主はガレージに戻った。レオポンチームと合流して事の顛末を伝えると、ナカジマたちも驚いた。まさか村主が戦車を実際に動かして戦うなどとは。
「副会長もやるね~。村主をその気にさせるなんて」
「口が上手いんだよ、あの人は」
実際、生徒会と折衝を行うほかの部活動や委員会も、柚子の話術で言いくるめられてしまったことが何度もあるらしい。大洗の生徒でさえそうなら、一介の外部実習生の村主が敵うはずもなかった。
「でも戦車の操縦なんてやったことないんでしょ?どうするの?」
「副会長から教わる。だから明日は・・・実車訓練の後でヘッツァーの操縦を教えてもらうことになるから、整備にはすぐには参加できないけど・・・それでいいか?」
「うん、そういう事情があるならもちろん」
ナカジマたちも同意し、明日のヘッツァーの整備は練習が終わった後そのまま村主が担当するということになる。
「じゃあもしかしたら、明後日の模擬戦は村主と戦うことになるかもしれないのか」
「あ~言われてみればそうかも」
気づいたようにホシノが言う。まだ試合形式は分からないが、場合によってはヘッツァーとポルシェティーガーが違うチームに配属され、敵対することになるのかもしれない。
「それじゃ、その時はお手柔らかにな」
「ああ、善処するよ」
冗談を言い合って、それぞれは整備を再開する。
翌日の訓練後、予定通り解散してから村主はヘッツァーに乗り込み、柚子の指導を受けることになった。
ちなみにこの日の訓練は、Ⅳ号戦車とポルシェティーガーを仮想敵として、聖グロ・プラウダ連合との戦い方を確認した。練習弾を結構撃ったので凹みや掠り傷などが割と多い。
「それじゃあ今日はよろしくね」
「はい、こちらこそ」
他の車輌の整備はナカジマたちに任せて、村主は柚子と共に練習に入る。
乗り込む前に挨拶をすると、後ろからホシノたちが『頑張れ~』とエールを送ってくれた。村主は手を挙げてそれに応える。
さて、いざヘッツァーに乗り込もうという段階で気づいたが、実際に戦車に乗り込むのは村主は初めてだった。自分が操縦するのはもちろん、動いている戦車に乗ることも経験したことはない。
それを今さら認識し、急に緊張感が高まってくる。
「どうかしたの?」
「いえ、実際に戦車に乗るのが初めてで・・・」
「緊張しなくても大丈夫だよ?ちゃんと教えるから」
素直に明かすと、柚子はふんわりと笑った。操縦を覚えられるかが心配なわけではないのだが、ひとまず厚意に甘えてヘッツァーに乗り込む。
ヘッツァーの中は、前方から操縦手、砲手、装填手、車長が着く仕組みになっており、車体自体が小さいために狭く感じる。村主は最初は後ろから柚子の操縦を見学することとなり、まずは砲手席に座る。
「それじゃあ、後ろからでいいからよく見ててね」
「はい」
柚子が手慣れた手つきでエンジンを点けると、エンジン音と共に戦車が振動を始める。そして操縦桿を動かして、ヘッツァーは前進しだす。
ヘッツァーを見送るナカジマは、どこか寂しかった。
その理由はもう、深く考えなくても分かる。
「村主のこと、心配?」
「・・・・・・うん」
ホシノが訊くと、ナカジマは躊躇ってから答える。
『心配』というのは事故を起こさないか、というのはもちろんある。しかしながら同時に、戦車の中で柚子と2人きりの状況が心配でもあった。
それはホシノも分かっていたらしく。
「大丈夫だって、きっと。村主はたぶん戦車の操縦を覚えるので手一杯だろうし、そんな意識する暇もないでしょ」
「そうだと思いたいけど・・・」
ホシノの言い分も分かるが、それでもナカジマの不安は尽きない。
そして、その不安を煽るような言葉が後ろから聞こえてくる。
「でもさー、副会長って下級生の子たちに人気なんだよね~」
「そうなの?」
「ウサギさんチームが、性格とかスタイルが憧れだって言ってた」
「あー、まあ確かに気持ちはわかるかも」
ツチヤとスズキの会話に、ナカジマは体が硬くなるような気がした。
ツチヤの言っていたように、柚子はそのスタイルの良さとおっとりした性格で下級生には人気だった。それはナカジマも知っている。
そんな柚子と狭い戦車の中で2人きりなど、今のナカジマには悪い予感しかできない。
「さて、それじゃこっちも整備を始めようか」
ヘッツァーが練習場に向かうのを見届けてから、ホシノが宣言する。
この日ナカジマは単独で整備ではなく、ホシノと共にポルシェティーガーのモーターを整備することになっている。それを言い出したのはホシノで、1人で作業をしていて村主のことが気になり、またこの前みたいに怪我をするのを避けるためだ。ポルシェティーガーとヘッツァー以外の残りの戦車は、ツチヤとスズキで分担する形となった。
色々な意味で心配をされているとはつゆ知らず、村主は柚子にヘッツァーの操縦を教わる。
ヘッツァーは他の戦車と違い、目の前にある電車のマスコンのようなレバーで操縦するのが特徴で、これには慣れるのに大分時間がかかる。
戦車に乗ること自体初めてなので、興奮しつつ四苦八苦しながらの練習となったが、柚子はちゃんと懇切丁寧に教えてくれた。自分の都合で村主に苦労を掛けてしまうことを後ろめたく思っているのかもしれない。
「うん、いい感じだね」
「そうですか?」
そんな形でレクチャーを受けること数十分ほどで、ようやく操縦に慣れてきた。
戦車の勉強は、独学と今回の実習で学んできたつもりだったが、操縦の仕方は今日知ったばかりだ。それでもこうして適応できたのは、ナカジマが言っていたように筋がいい方だからかもしれない。
「うんうん、これなら安心して任せられるかな」
「それは良かったです・・・」
「ありがとうね」
しばらく適当に練習場内を走って慣らし、問題がないのを柚子も確認する。そして、村主の操縦でガレージへと戻ることにした。
「昨日はごめんね、変な形で頼むことになっちゃって」
「いえ、家族の事情があるのなら仕方ないですし・・・」
「でも、最初に会長がそう提案した時は私も驚いちゃって・・・」
苦笑する柚子。
そんな彼女、そしてカメチームの3人を見ていると村主は思うことがあった。
「生徒会の皆さん、仲がよさそうですね」
「入学して以来の付き合いだから」
「そうなんですか」
てっきりカメチームの3人の仲が良いのは、生徒会で培われた信頼関係からと思ったが、そうでもなかったのか。
それにしても、仲の良い友達が3人揃って生徒会に入ったというのも珍しい。生徒会に入るのだって簡単ではないだろうに。
「元々大洗って、イベントとか学校行事には積極的だったから。それで杏が、『生徒会に入ったらもっと色々楽しいことできるんじゃない?』って」
「結構、軽い気持ちだったんですね・・・」
「あはは・・・そうだね。でも、生徒会に入ってみたら意外と楽しくて。書類作業とか辛いこともあるけど・・・」
そこで、柚子が言葉を選ぶように口を閉ざす。
「・・・楽しいこともたくさんあったから」
「・・・」
「・・・・・・だから、学校を守れてよかった」
最後の言葉は、恐らくは独り言のつもりだったのだろう。
しかしその言葉の真意は、以前ナカジマから話を聞いたので理解できた。
「・・・・・・廃校の件ですか」
「え!?なんでそれを・・・!?」
「ある人から聞きしました。その人のことは話せませんが・・・校外の人に話してはいません」
それは言わなくてもよかっただろうが、柚子がそれを避けて話そうとすると色々と厄介だろうから、知っていることを明かした。これで少しは話しやすくなるだろう。
「・・・うん、その通り。大洗はあの全国大会で優勝しないと、廃校になるところだったの。それは戦車隊の皆は全員知ってる」
その事実は最初、生徒会の中でもカメチームの3人と、学園長など学校上層部しか知らなかった話だ。だが、全国大会の準決勝で窮地に陥った際に桃が思わず明かしてしまい、なし崩し的に戦車道メンバーの全員がそれを知ることとなった。
「騙すような形で戦車道を始めて申し訳なく思うけど・・・みんな頑張ってくれて大洗を守れたから・・・」
「・・・・・・それなら、良いのではないでしょうか?それだけ皆も大洗を好きだったってことですし」
柚子は、未だ嘘を吐いて戦車道を皆に促したことに罪悪感を抱いているらしい。
だが、『終わり良ければ総て良し』とも違うだろうが、こうして大洗の廃校がなくなった今、それを気に病むこともないだろうとは思う。結果的に戦車道メンバーの結束力は強まり、大洗も再び平穏な日々を取り戻せたのだから。
「・・・・・・そうだよね、そうかも」
柚子もどうやら、村主の言葉で少しだけ気が楽になったのか、ふっと笑う。
そして、戦車のガレージが見えてきた。
「ナカジマ、ラジオペンチ貸して」
「ん・・・・・・」
「・・・・・・これ、ニッパーだよ」
「あ、ごめん・・・」
ホシノと共にポルシェティーガーのモーターを一緒に整備するナカジマだが、どうも集中できていない節がある。先のようにホシノが工具を要求しても、かれこれ4回も違う工具を渡してしまっていた。
改めてラジオペンチを受け取ったホシノは、小さく息を吐きながら配線を確かめつつ整備する。
「そんなに気になる?」
「・・・・・・うん」
集中できていない自分を奮い立たせようと口数を減らしているが、ホシノの言う通りやはり村主のことが気になる。
柚子の個別指導が始まってから1時間ほどが経過し、もうすぐ陽が落ちようとしている。時間が経てば経つほど、不安は大きくなってきていた。心が押しつぶされそうになるぐらいに。
村主がナカジマのことをどう思っているのかは分からない。だが、今回のことがきっかけで万が一、村主が柚子のことを好きになってしまったとしたら、ナカジマ自身どうすればいいのか。推測の話であっても頭につきまとう。
「お、戻ってきた」
ホシノが言うと、ナカジマはすぐにそちらを見た。確かにヘッツァーが、バックでガレージに入ってきたところだった。ヘッツァーが停止すると、キューポラから柚子と村主が出てきて、一言二言話してから柚子は帰っていった。
「すまん。待たせた」
「いや、大丈夫だよ」
いつもの調子で村主が手を挙げるとホシノが答える。村主は『ヘッツァーを整備するよ』と言いながら自分用の工具箱を持って、ヘッツァーの下に潜り込んで整備を始めた。
「いつも通りじゃない。心配することなんてないでしょ?」
「ん・・・そうだね・・・」
一見、村主に変わった様子はない。変ににやけている様にも見えないし、後ろめたさを感じている風でもない。それに関してはひとまず安心だった。
だが、それでもナカジマの不安は尽きることがない。
「・・・心配ならさ、ナカジマ」
「?」
そんなナカジマに、ホシノが1つアドバイスをした。
そこまで不安なら傍にいればいいと。
その日の整備が終了すると、ナカジマは村主に話しかける。
「あのさ、村主」
「?」
「今日、一緒に帰らない?」
「ああ、いいよ」
元々ナカジマとは一緒に帰る間柄だったので、こうして改まって約束をするようなこともなかったのだが。ともかく村主は、特に気にせずOKした。
帰り際、村主に向かってホシノたちが親指を立てていたのについては、言及しなかった。
「戦車の操縦はどうだった?」
「いやー、なかなか難しかった・・・」
「まあ、ヘッツァーは他とは操縦の仕方が違うし、仕方ないね」
夜道を2人で歩きながら話すことは、やはり先ほどの操縦練習のことだった。柚子のことはともかくとして、初めての操縦がどうだったのかは気になる。
「でも、結構楽しかった。最初は緊張したし、苦労もしたけど・・・それでも戦車は好きだったから」
「そっか・・・それならよかった」
苦痛となる体験にならなかったのは幸いだ。これでもし戦車が嫌いになった、なんてことになったら流石に胸が痛む。
しかしながら、それとは別にもう1つ大事なこともあって。
「副会長が教えてくれたから、どうにかなった」
あっけなく、ナカジマの心配なんてお構いなく、その大事なことを言ってのけた。
整備をしている間、村主が練習している間、ずっとナカジマは不安だった。その不安の根底にあるのは、村主を想うが故の嫉妬だ。
そんなナカジマには気づかず、村主は嬉々として練習のことを話していた。初めて戦車を操縦することができて興奮しているのは分かるが、それでも自分のことを見ていないような感じがして、不安だった。
「おっと・・・雨か・・・・・・」
そこでタイミング悪く、パラパラと降ってくる雨。そこそこ強くて、傘が無ければあっという間に濡れ鼠になりそうなほどだ。
村主は即座に鞄から折り畳み傘を取り出して差す。雨に対して用意周到なのは変わらないようだ。
「ナカジマ、傘は?」
「あ、持ってなくて・・・・・・」
「じゃあ入ったほうがいい。風邪ひくから」
言って村主は、躊躇もなくナカジマに傘を差しだした。
ナカジマを案じているようなその表情に、ナカジマの中の不安は少しだけ晴れた。
ちゃんと村主は、ナカジマのことを見てくれているんだと実感できたから。
それが少しだけ嬉しくて、ナカジマはひょいっと傘の下に入る。
実習が始まったばかりの日の帰り道でも、相合傘はした。しかし今は村主もナカジマも、それぞれに対する気持ちがあの時とは違う。特にナカジマは、今は村主に対して不安な気持ちを抱いていた。
「村主、肩濡れてるよ」
「ん、これぐらいなら大丈夫だ」
ナカジマが濡れないように、村主は左肩が傘の外に出るぐらいに位置をずらしている。そのせいで、村主の左肩は雨で濡れてしまっていた。
しかし、それはナカジマも黙って見過ごせない。
「ダメだよ、それこそ風邪ひいちゃうよ?」
そう言ってナカジマは、村主の右手を引いて傘の中に引き入れる。
途端、村主はナカジマと身体が密着することになってしまったが、ナカジマはたじろぎもせずに寄せてくる。
この一瞬でナカジマとの距離が縮まったことに、村主の心臓が跳ね上がる。そしてなお、ナカジマは村主の手を握ったまま離さない。
「ナカジマ・・・その手は・・・」
「・・・いいでしょ?少しの間」
ナカジマは笑って村主のことを見る。
「・・・・・・少しだけでいいから、このままでいさせて」
握る手にほんの少しだけ力が籠る。体温を直に感じて、村主の体も強張る。
そう言われては、そんなことをされては、反論できない。
その手の温かさや、柔らかさを確かに感じながら、2人は雨の中を歩いていく。
結局、雨はナカジマの住む寮まで止むことはなく、それまではずっと2人は手をつないでいた。
ナカジマも、この突然の雨に向けて『ありがとう』と心の中でお礼を告げた。