雨恋   作:プロッター

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前回のあとがき通り、今回から劇場版パートに移ります。
ゆっくり読んでいただけると幸いですので、よろしくお願いします。


涙雨

 エキシビションマッチが始まるのは朝の10時。

 しかし、選手や審判など試合に携わる関係者は、戦車の運び出しやらなにやらの事前準備でその前から動き出すし、戦車の整備はさらにその前から始まる。

 

「はよー」

「おはよう、村主」

 

 無論村主もその1人で、夜明け前にガレージへ赴き、戦車の事前チェックを行っている。

 ナカジマたちレオポンチームもいるが、彼女たちはすぐに試合に参加できるよう、いつものオレンジのつなぎではなく大洗のタンクジャケットを着ていた。衣装マジック抜きでカッコいいと村主は思う。

 

「いよいよだね~」

「まあ全国大会とは違うし、胸を借りるつもりで頑張ろうか」

 

 整備を進めていると、ツチヤとホシノが軽い調子で、緊張など感じさせない様子で話している。全国大会のように、大洗の存続が懸かった瀬戸際の戦いと言うわけでもないから、プレッシャーもそこまでではないだろう。

 ただし、勝とうと言う意志はもちろんある。試合に対し『負けてもいいや』と考えたことなど一度もないし、それは自分たちを信頼してくれている仲間への非礼に当たるのだから。

 

「村主大丈夫?緊張してるみたいだね・・・」

「そりゃ緊張するって・・・」

 

 心配そうにナカジマが声をかけてくるが、確かに村主は動きがどこかぎこちない。それが緊張しているからなのは傍目でも分かる。

 自分が戦うわけではないのだが、自分の整備する戦車が大きな試合に参加するということが、改めて思うと大それたことだと意識するようになったのだ。その試合が刻一刻と近づいてきていて、緊張せざるを得なくなっている。

 

「模擬戦の前はそうでもなかったけど・・・。ナカジマたちは緊張しないのか?」

「うーん、あんまり」

 

 その問いに、ナカジマは笑って首を横に振る。

 

「むしろ、燃えるかな。私たちが整備した戦車の力を見せる時だー、みんなの力を見せる時だー、って。まあ、実際戦車に乗るのは私たちだけじゃないけど」

 

 もちろん試合はレオポンチームだけでするものではなく、大洗の全員でするものだ。

 それでも、自分たちが手塩に掛けて整備した戦車が試合で活躍することを、望まずには、楽しみにせずにはいられない。大洗の戦車は彼女たちが動けるように一から整備したのだから、思い入れはなお深い。

 

「・・・確かにな」

 

 その言葉で、緊張全てが消え失せたとわけではないが、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。

 そこで丁度、他の戦車道のメンバーが集まってきた。試合の事前準備があるので、集合時間は普段よりも早めに設定されていたのだ。

 しかし、陽はまだ水平線から顔を出したばかり。眠気から脱していない者もそれなりにいる。あんこうチームの麻子に至っては、華に背負われながら寝息を立てていた。

 

「整備の方はどうなっている?」

「もう大体仕上がってますよ。ガンガン走れます」

「よし」

 

 桃の質問に、ナカジマはアバウトな感じで答えたが、それでも桃は満足そうに頷く。それだけナカジマたちの腕を信じているのだろう。

 村主も自分を奮い立たせようとする。桃はもちろん、これから試合をする彼女たちは、戦車を整備したナカジマたち、そして村主の腕前を評価し、信頼しているのだ。その信頼を一応は預かっている村主が物怖じしてどうする。

 

「よーし、全員整列!」

 

 桃が手を叩いて集合をかけると、全員がてきぱきとチームごとに並ぶ。村主はいつも通り列から少し外れた場所に立つ。

 

「今日は我々にとって、大きな晴れ舞台だ。全国大会優勝校としての実力を、皆に知らしめるのだ!」

 

 力説する桃の言葉を、全員が静かに聞いている。

 

「全員で協力し、一丸となって戦うぞ!そして、必ず勝利を掴み取るぞ!」

 

 そして桃は、みほの方を見る。

 

「西住、何か言え」

「あ、はい!えっと・・・」

 

 突然話を振られたので、みほは少し面食らうがすぐにきりっと表情を戻す。

 

「今回戦う聖グロリアーナとプラウダは、どちらも以前戦ったことがある強力なチームです。この両校が手を組んだときの強さは・・・正直、未知数です」

 

 プラウダ高校は全国大会の準決勝、聖グロリアーナは練習試合でそれぞれ戦ったことがあるから、大洗はその強さは知っていた。それを差し引いても、両校とも戦車道四強校として強力と知られている。

 その場にいる全員の表情が引き締まる。

 

「ですが、今回私たちと戦う知波単の皆さんも、戦車道の経験が長く、頼もしい方たちです」

 

 『頼もしい』という言葉を聞いて、村主は今年の全国大会で、知波単学園が1回戦で黒森峰相手に無為な突撃の結果完封負けしたのを思い出す。

 

「そして皆さんも、今日までの練習を頑張ってきました。チームの連携も、錬度も上がってきています。私たちが力を合わせれば、必ず勝つことができます!」

 

 笑って、そして力強そうに告げると、大洗の皆の表情も自信に満ちたものに変わっていく。

 

「皆さん、力を合わせて勝利しましょう!」

『はい!』

 

 そう締めると、全員が頷いて答える。

 村主も拳を握る。自分は戦車に乗って戦うことはできないが、戦車を整備するという形で力を貸すことはできた。

 ナカジマの言った通り、整備した戦車と、皆の力を見せる時だ。不安になどなっていられない。

 

「それでは皆さん、戦車の最終チェックに入ってください」

「7時になったら出発する!事前の打ち合わせ通りだ!」

『了解!』

 

 解散して、それぞれが戦車に乗り込もうとする。最終チェックとは、戦車のエンジン回りの他、砲の照準器や無線機、搭載する砲弾などの確認作業だ。

 今は6時なので、丸まる1時間は確認作業に取り組める。村主はその時間、各チームのサポートに当たることとなった。

 まずは、先ほどまで整備していたカバチームのⅢ号突撃砲をチェックする。念には念、重要なエンジンルームの確認は何度やっても損ではない。

 そこで、カエサルたちが戦車に乗ろうとしていたので、村主は声をかける。

 

「何か調子が悪いところとかあったら言ってくださいね」

「ああ、ありがとう。けど、レオポンチームと村主さんが整備したのであれば、安心だ」

 

 しかし、カエサルが笑みと共に告げたその言葉を理解するのに、少しばかり時間を要した。

 だんだんと、その言葉の意味を理解することができるようになる。

 つまり、信頼してくれているのだ。ナカジマたちレオポンチームと、村主の整備の腕を。

 

(・・・・・・・・・やった)

 

 少し、唇が緩む。

 実際に戦車に乗っている者から言われたのは初めてだから、改めて自分の腕が戦車に乗る人から認められたことがとても嬉しい。

 逸る心を押さえながら、村主もチェックを始める。エンジンルームを開けて、目視点検と触手点検を行い、問題がないのを確認してからエンジンルームを閉めて次の戦車に向かう。各車輌がエンジンを始動し、そこで何か異常があれば逐一駆け付けるやり方だ。

 しかし結局、どの戦車にも問題は見つからず、最終チェックは滞りなく終了して出発の時刻を迎えた。

 

「よし、行くぞ!」

 

 桃の合図で戦車が動き出し、大型車両用の乗下船口へと向かう。

 村主は出1輌1輌に向けて『頑張ってください!』と声をかける。届いたかは分からないが、それでもキューポラやハッチから手を振ってくれる人はいた。

 そしてその中には、ポルシェティーガーから手を振るナカジマもいた。

 村主は『頑張れ!』と言い、ナカジマも腕をぐっと構えて返してくれる。その姿が見えなくなってから、村主は手を振るのを止めた。

 朝日と共に戦場へと向かう戦車は、村主にはものすごくカッコよく見える。まるで映画のワンシーンのような、美しさがあった。

 

「・・・俺も行くか」

 

 そして村主も、予定通り陸の観戦席へと歩き出す。

 

 

 今回の試合では、アウトレットモールとその近くの駐車場が観戦スペースとなっていて、安全面から発砲禁止区域になっている。そこには大型のモニターが1台ずつ設置されており、試合の様子をドローンと航空機から俯瞰的に、そして地形図を使って簡易的に観ることができる。

 村主が今観戦しているのは駐車場の観戦席で、ここも大勢の観客で賑わっていた。家族連れらしきグループや、酒や屋台の食べ物を片手に楽しむおっちゃん、パソコンを持ち込んだ同い年ぐらいの男子など、まさに老若男女揃って試合を楽しんでいる。

 

(人多いな・・・)

 

 観戦している人の数は、既に大洗町の人口を上回っているらしい。前日の大洗町内のホテル・宿はほぼ満室だったということで、それだけ今日の試合を誰もが楽しみにしているのが分かる。

 昨日は町も静かで雰囲気が味がしたものの、こうして戦車道ファンで湧き上がっているのも悪くない。活気に溢れているのを見ると村主も自然と嬉しくなる。

 

「さて・・・」

 

 肝心の試合だが、今は大洗・知波単連合が優勢だった。聖グロリアーナ・プラウダ連合の動きを察知して隊を分断させ、ゴルフ場のバンカーに敵フラッグ車のチャーチルと複数のマチルダⅡを追いこんでいる。

 大洗・知波単連合が優勢に立ち、激しい砲火を浴びせると観客たちは『押し込め~!』とか『突撃しろ~!』と歓声を上げて一斉にヒートアップしていく。マチルダを2輌撃破してからさらに白熱し、村主もその様子をじっと観ていた。

 しかし、突然知波単の戦車が前進しだしてから試合の流れが変わった。『出たぞ!知波単名物“突撃”!』と観客の誰かが声を上げ、周りもつられて『おお!』と声を上げる。

 しかし、仰々しい突撃はいいが、チャーチルとマチルダⅡの2輌に知波単の6輌が返り討ちに遭ってしまう。これには観客たちも打って変わって残念ムードだ。

 

(頼もしいって言ってたんだよなぁ・・・)

 

 朝礼でみほは知波単のことをそう評していた。だが、先ほどの突撃は失礼かもしれないが犬死だろう。多少のリップサービスもあったのかもしれない。

 戦車の数は逆転し、さらにゴルフ場脇の防衛線も突破され、プラウダと聖グロリアーナに挟まれそうになった大洗・知波単連合は、町に向かって撤退する。敵部隊を分断させようと挑発するが、聖グロリアーナ・プラウダ連合は中々挑発に乗らずまとまって追撃してくる。

 そこで、ウサギチームのM3が、プラウダの強力な重戦車IS-2を足止めしようと単身で前に飛び出してきた。それは丁度、今いる観戦席の近くだ。

 

「いいぞー!」

「やっちまえ~!」

 

 果敢にIS-2に立ち向かう様子に、沈み始めていた観客たちがまた盛り上がってくる。

 村主はそれを見つつ、あの中で梓や桂利奈たちが頑張ってるんだろうなと思いながら戦いをじっと見届ける。

 しかし、IS-2の長い砲身につっかえ棒のような感じで車体を押さえられ、ゼロ距離で撃たれて弾き飛ばされ撃破されてしまった。観客は頭を抱え、村主も『あらら・・・』と口の中で残念そうに言葉を転がす。

 一方、町役場付近に大洗の戦車は集結し、フラッグ車のⅣ号が引き付けてきた敵チームを撃破しようと防衛線を構築していた。そこで砲撃戦が始まり、Ⅲ突や三式が順調に敵戦車を撃破していく。

 Ⅳ号戦車は町役場を過ぎると、聖グロリアーナのクルセイダー4輌に見つかり追い回される。ここでやられてしまうのかと、観客たちはハラハラしだす。

 だが、やはりあんこうチームの練度は高かった。住宅街の細い道を素早く走り、店の駐車場で向きを変えると、まず1輌撃破。そして別の道へと入り、先回りしようとバックしていたクルセイダーをまた1輌撃破する。

 

『おお~!!』

 

 華麗にクルセイダーを立て続けに撃破したのを見て、歓声が上がる。やはり全国大会優勝校の名は伊達ではないなと、村主も改めて思った。

 だが町役場前で、村主にとって残念な出来事が起きた。

 M3と交戦して遅れていたIS-2が合流し、高火力に圧されて大洗の戦車も後退し始めて、頃合いを見て撤収しようとする。

 そこで、またしても知波単の九七式中戦車が敵陣に無防備に突っ込んで反撃に遭い、撃破されてしまった。

 どうやらそれは大洗にとっても不測の事態だったらしく、気を取られてしまい慌てて撤退しようした。そして、一番逃げるのが遅くなってしまったポルシェティーガーは、撤退する車両を守るように角度を変える。だが、敵チームから滅多打ちにされてしまい、撃破されてしまった。

 

「あ・・・・・・」

 

 村主はの口から、ぽろっと声が洩れた。

 自分にとっても思い入れのある戦車で、自分の想い人が乗っている戦車が撃破されたのを見ると、何も感じずにはいられない。残念だ、悲しいという気持ちが浮かび上がってくる。

 だが、そんな村主の気持ちを放っておいて試合は進んでいく。

 Ⅳ号はクルセイダーをまた1輌撃破し、商店街へと戻ってくる。そこへプラウダのT-34が2輌、さらにIS-2が登場して追撃を始める。

 Ⅳ号は追撃を避けつつ商店街を進み、やがて例の急なS字カーブに差し掛かる。みほが昨日の下調べで『フェイントに使おう』と言っていた場所だ。

 

「おおっ」

 

 その時、村主の前列に座っていたおっちゃんが嬉しそうに声を上げたのは、そこまで気にしなかった。

 Ⅳ号は速度を落とさずにカーブを曲がり切るが、後ろから来ていたT-34は曲がり切れずに宿に突っ込みそうになる。しかし、玄関前で急停車して事なきを得た。

 だがその後方から、倒れた信号機を踏んで制御できないのか、クルセイダーがスピンしながらT-34に激突。予備燃料タンク、砲弾、宿のプロパンガスが誘爆を起こし、宿が爆発四散して崩壊してしまった。

 

「ぃやったぁ!うっしゃああッ!!」

「またかよ」

「お前んところばかり羨ましい」

 

 宿が木っ端みじんになるところを目の当たりにして、前に座っていたおっちゃんが大喜びする。どうやら、この人こそあの宿の主人らしい。補償が下りるとはいえ宿があんな有様になったというのに寛容だなと、妙に安心した。

 

 カメラが切り替わって浜辺では、Ⅲ突とヘッツァーがプラウダのT-34に追われていた。大洗の2輌とも前面固定砲塔なので、追撃を振り払うには足で逃げるしかない。

 そこでⅢ突が、突然180度スピンして向きを変え、反撃に打って出た。観客たちも度肝を抜かれたようで驚きの声を上げる。その動きは、以前村主が特別措置で参加した模擬戦でやろうとしたものだ。あの時は安定せずに、道端に擱座したが、今度のは安定して向きを後ろに固定できている。

 しかし、T-34はⅢ突の砲撃をひょいっと躱し、横っ腹に1発撃ち込んでⅢ突を撃破する。カバチームのアイデアは良かったが、広々としている場所で仕掛けたのが悪かった。

 

『ただいま、アウトレットモール内に戦車が進入しています。進路上のお客様はお気をつけて観戦してください』

 

 突然そんなアナウンスが聞こえてきたかと思うと、モニターがアウトレットモールに切り替わる。アナウンスの通り、確かにモールの中をアヒルチームの八九式と、知波単の九五式軽戦車、そして聖グロリアーナのマチルダⅡが走っていた。周りにいる客は、暢気に写真を撮ったり手を振ったりしている。

 モール内は発砲禁止区域ではあるが、進入禁止というわけではない。そこを利用してアヒルチームは時間稼ぎをしようとしているのだ。随分と狡い手だなと村主は苦笑する。

 モールを抜けたアヒルチームと九五式は、立体駐車場でマチルダⅡの待ち伏せを狙った。

 タワーパーキングに隠れているように見せかけて、後ろの多段式駐車場に八九式が隠れる。その奇抜な作戦に、村主も思わず吹き出してしまった。

 

「前の練習試合と同じだなぁ」

「あー、あの時もそうだったか」

 

 前に座っているおっちゃんたちが話す。練習試合とは、大洗の戦車道が発足して間もないころに行われた聖グロリアーナとの試合のことだろう。

 

(それじゃ向こうも分かってるんじゃ・・・?)

 

 村主の頭をよぎった不安は、すぐに現実になった。待ち伏せを読んでいたのか、マチルダⅡは砲塔を後ろに向けていたのだ。

 だが、その隣の多段式駐車場に潜んでいた九五式は予想外だったらしく、薄い上部装甲に砲撃を喰らってマチルダⅡは白旗を揚げる。

 観客たちは、その奇妙な待ち伏せとコンビネーション技に、拍手を贈って称賛する。村主も同じように拍手をし、性能が低い八九式なりの戦い方なのかなと思った。

 

 そしてついに、敵フラッグ車を大洗・知波単連合の全ての車輌で追う最終局面に移る。

 敵フラッグ車のチャーチルは大洗の海岸を水族館方面に逃げようとするが、その途中で隠れていたプラウダのKV-2が海から姿を現す。

 KV-2は大洗の一団を狙って152ミリ榴弾砲を放つが、狙いは逸れてその後ろに建つホテルに直撃し、半壊・炎上させる。少し離れたところで万歳三唱しているのは、もしかしてあのホテルの従業員だろうか。

 さらにKV-2は大洗・知波単連合に向けて発砲するが、今度は別のホテルに直撃し、建屋を貫通して下層フロアを爆散させてしまった。すると今度は、観客席の前列で大人たちが両手を挙げて喜んでいる。『今年下旬リニューアルオープン決定!』などと冗談を飛ばしたりしていた。

 さっきの宿の主人もそうだが、彼らもタダでホテルを新築できるのだから嬉しいと言えば嬉しいのだろう。他の観客たちは、ホテルが派手に破壊された様と、ホテル関係者が喜んでいるのを見て苦笑気味。この辺りから、大洗町が戦車道に寛容なところが伺える。

 ちなみにKV-2だが、不安定な足場で砲塔旋回した結果、横転して走行不能となった。

 

「押せ押せ~!」

「突っ走れ~!!」

 

 さて、大洗の戦車は全速力でチャーチルを追撃するが、砂浜で足場が不安定なせいで思うように当たらない。

 その中でもヘッツァーだけは、掠るどころか全然違うところに着弾しているのだ。

 

(何やってるんだ河嶋さん・・・)

 

 あのヘッツァーの砲手・桃の砲手の腕は既に知っているので、村主も苦笑いを浮かべるしかない。

 やがて、全ての戦車が水族館の駐車場に集結する。両チームとも大分車輌数が減っていて、ここが最後の決戦の舞台となるだろう。先ほどまで大喜びだったホテル関係者も、観客も全員がモニターに集中し、試合の行く末を見届けようとしている。

 浜から駐車場に上がったⅣ号は、上れると思っていなかったチャーチルの不意を突いて横を狙おうとするが、IS-2に邪魔されて失敗。水族館に向かって逃げるチャーチルを追い、チャーチルの脇から離れないようにして撃破されにくくする。

 その後ろにヘッツァーが移動し、停止射撃でチャーチルを背後から狙おうとする。

 

「行け~!」

 

 観客の誰かだろう、子供が叫んだ。

 そして、ヘッツァーが発砲した。その砲弾はチャーチルではなく、後方からチャーチルを援護しようと小高い丘から飛び出したクルセイダー(宿の爆発に巻き込まれていた)に命中し、白旗判定となった。

 

(当たった!!)

 

 そこで村主は、桃が弾を当てたことに驚く。見事なクリーンヒットだ。

 しかし肝心なのは、フラッグ車同士で決着をつけようとしていたⅣ号とチャーチル。

 2輌は向かい合う水族館の階段をそれぞれ上り、先に上りきったⅣ号がチャーチルめがけて発砲すると、命中したのか黒煙が上がる。

 

「やった!!」

「勝ったぞ!!」

 

 気が早い観客が、判定の出る前に勝利の声を上げる。

 しかし煙が晴れて、撃破されたのはチャーチルではなく盾として前に出ていたT-34だと分かった。

 それを見たⅣ号が驚異的な速さで装填し、発砲するも狙いは定まらず。

 チャーチルの狙い澄ました砲撃がⅣ号の装甲を貫き、Ⅳ号に白旗を揚げさせた。

 

『大洗・知波単フラッグ車、走行不能!よって、聖グロリアーナ・プラウダの勝利!』

 

 主審の蝶野亜美が宣言すると、モニターの画面に聖グロリアーナとプラウダの校章、その下に『WIN!』という文字が表示される。観客たちは、『あー・・・』『うわ~・・・』とあからさまに残念そうな声を上げていた。悔しそうな声ばかりが聞こえてくるので、どうやらここにいるほとんどの人は大洗を応援していたらしい。

 

「ふう・・・」

 

 村主も同じく、残念そうに息を吐くが、皆は善戦したと思う。

 最初の方の知波単の突撃は少しいただけないが、クルセイダー部隊を返り討ちにしたⅣ号や、立体駐車場の八九式と九五式のコンビネーションは素晴らしいの言葉に尽きる。M3がIS-2を足止めしたのも、結果としては残念だったが勇敢な行動だったと思う。地味に良かったのは、ヘッツァーの桃が敵車輌を撃破できたことだ。

 そうこうしてるうちに、回収車が試合会場に散っていた選手たちを集めて、開会式を行った港のスペースへと連れて行く。

 つつがなく閉会式が執り行われると、モニターで観ていた観客たちも盛大な拍手を贈り、選手たちの健闘を労う。村主もまた同様に拍手を贈る。

 式が終わると、村主は立ち上がってある場所へ向かう。ここからは、村主も頑張る番だ。

 

 

 各校からは戦車の整備士も上陸して、試合を観戦していた。皆は交通規制が解かれる前に戦車が擱座している場所へ向かい整備に取り掛かる。

 大洗の整備士は元々レオポンチームの4人しかいないため、戦車道連盟から整備士を派遣してくれることになっていた。それは大洗を気の毒に思ってのことと、町中に長時間破損した戦車を置いておくのは都合が悪いかららしい。

 村主はナカジマに連絡を取って指示を仰ぐと、役場前で擱座しているポルシェティーガーに来てほしいと言われた。他の戦車は戦車道連盟に任せるらしい。

 小走りに役場の前に着くと、砲撃戦の影響でボロボロになった役場もだが、ポルシェティーガーも大概で、それを見て村主も渋い顔になる。プラウダの戦車にタコ殴りにされたので、凹みだの傷だのがあちこちにあって痛々しい。履帯まで切られている始末だ。

 

「お疲れ」

「お、来てくれたね」

 

 声をかけると、修理に取り掛かろうとしていたナカジマたちが振り向いてくれる。

 村主が買ってきたスポーツドリンクを渡すと、4人とも喉が渇いていたのか蓋を開けてぐびぐびと飲みだす。

 

「あぁ、生き返った~」

「ありがとうね」

「その様子だと、やっぱり戦車の中も暑かったんだな」

 

 8月も残り1週間だが、まだまだ暑さは厳しい。この調子では9月になっても残暑は長引きそうだ。

 そんな天気で通気性もさほど良くない戦車に乗れば、蒸し風呂状態になるのは目に見える。パンツァージャケットは厚手の生地で作られているからなおのこと。労いの品としては丁度良かった。

 

「残念だったな・・・負けちゃって」

「まあ、勝負は時の運って言うしね」

 

 なるべく癇に障らないように気遣って話しかけるが、ナカジマは大して悔しがる様子もなく履帯を直そうとする。ホシノたち3人も同じで、負けたことが尾を引いている感じはない。

 

「・・・意外だな。もっと悔しいのかと思った」

「いや、全く悔しくないわけじゃないよ?」

 

 履帯を直す器具を用意しながらナカジマが答える。村主も工具を用意する。

 

「確かに『勝ちたい』って気持ちはあったよ。でも、『勝たなきゃならない』って気持ちだけに縛られてると、それしか見えなくなるんだ」

「?」

 

 少し理解が難しい様子の村主を見て、ナカジマは『えーっと』と言葉を選びながらポルシェティーガーを見上げる。

 

「一緒に戦ってくれる仲間が、見えなくなるんだ。そうなると、勝つことは難しくなるかもしれないよ」

 

 切れた履帯の状態を確かめながら、必要な工具を手に取り修理しようとする。村主もナカジマの傍について手伝う。履帯の修理は1人だけでは難しいからだ。

 

「もちろん、『勝ちたい』気持ちは大切だ。でも、戦うのに必要なのはその気持ちと、『仲間を信じる』気持ちの両方だって、私は思う」

 

 戦車は1人では動かせない。集団で戦っている以上は1輌だけでも勝つことは難しい。だからナカジマは、『仲間を信じる』気持ちも大切だと言っているのだ。

 

「自惚れてるわけじゃないけど、だから私たち大洗は強いのかもね」

「え?」

「私たちレオポンチームはそうしようって意識してるけど、多分他の皆も同じじゃないかな。『勝ちたい』って気持ちと、『仲間を信じよう』って気持ちをバランスよく持ってるから、ここまで強くなれたんじゃないかって思うな」

 

 どちらかの気持ちだけが大きくても小さくても、上手く戦うことができない。その2つの相対するような気持ちをバランスよく持てば、強くなることができる。ナカジマはそう言っているのだ。

 そしてその言葉は、戦車道の強さとは、戦車の性能や個々人の練度だけではない、という意味も含んでいるように聞こえる。それは、お世辞にも強い戦車ばかりとは言えない大洗のこれまでの戦いを見て、村主もよく分かった。

 

「まあつまり、勝つことしか考えてない、勝利に執着してるってわけでもないから、負けた時にそこまで悔しくは思わないんだ。ちょっと残念には思うけど」

 

 軽くナカジマが笑うと、『さて』と仕切り直す。

 

「履帯を繋げようか。村主、手伝って」

「おう、分かった」

 

 ナカジマが履帯を持つと、村主はそれに合わせるように外れた履帯を持ち上げて、ピンをどうにか差し込む。

 作業の間で村主は、ナカジマの言っていた2つの気持ちを併せ持てば強くなる、という言葉を頭の片隅で考えていた。

 

 

 交通規制は予定通り15時に解除されたが、まだ路上で擱座している戦車もいた。ポルシェティーガーもそうで、仕方なく戦車の周りをコーンで囲う応急処置がとられる。

 そして作業を続け、16時過ぎ。試合に参加したナカジマたち4人に連絡が入り、急遽ポルシェティーガーを離れることになった。何でも、町の温浴施設で選手同士の親睦会を行うらしく、試合に参加した選手全員がそこへ行くらしい。

 当然村主はお呼びではなく、残って戦車の整備を続ける。

 そこへ、他の戦車の整備に回っていた戦車道連盟の整備士数名が手伝いに来てくれた。来たのは全部で4人だが、その中には男性も混じっていた。

 5人でポルシェティーガーを修理するが、やはり本職の整備士はレベルが違う。手際は良くて、てきぱきとしていて、申し訳ないがナカジマたちよりもスピードが速い。

 

「へぇ、大洗に実習を」

「はい、学校の担任のツテで。戦車の整備の勉強をしたかったんですけど、うちの学校は戦車道の授業がなくて」

「なるほどなぁ・・・。俺はサンダース出身で、戦車の整備もちょっとやってたから、戦車の勉強には苦労しなかったな」

「そうなんですか・・・サンダースで・・・」

 

 整備を行う傍ら、戦車道連盟お抱えの整備士の男性と話をする。年齢は30代前半といったところか。

 それにしても、サンダースは戦車隊の規模が国内一で設備も充実している強豪校だが、その代償として学費は高い。その都合で進学を諦めた村主としては、サンダースで勉強をしたその男が羨ましいの一言に尽きる。

 

「村主君だっけ?君は将来どういった形で整備士になろうと思ってる?」

「それは・・・まだ。大学に入ってから方針を固めようかなって考えてまして」

「そうか・・・けど、早いところ決めておいた方がいいかもしれないぞ」

 

 戦車の整備士、という夢は既に決まっている。

 だが、『戦車の整備士』といっても色々な形があるとその男は言った。彼のように戦車道連盟所属となったり、プロ戦車道チームの専属になるという手もある。また、社会人チームに整備士として入隊するというやり方もあると教えられた。

 

「ああ、そう言えば」

「?」

「最近、自動車メーカーが戦車道のチームを設立させるってニュースがあったのは知ってる?」

「ええと・・・はい」

 

 そのニュースは、確かに以前聞いたことがあった。国内でも有数の自動車メーカーで、もしチームが発足したらドイツ戦車を重点的に起用するチームを編成するとかなんとか。

 そのメーカーは、レーシングカーの開発にも携わっている企業で、前に自動車部のソアラをいじっていた時にナカジマたちがその名前を出していた記憶がある。

 

「今の専門学校で自動車系の勉強もしていたのなら、そういう企業も視野に入れると良いと思う。武器があるんなら、それは活かすべきだ」

 

 専門学校で学んだ知識を活かして、その手の企業への就職も考える。

 村主はその話を聞いて、そういう見方もあるのかと、見聞が広まった気がした。

 

 

 軽い話を交わしながらもポルシェティーガーの整備は順調にこなし、無事に終了する。

 全ての戦車はその親睦会が行われている温浴施設近くの砂浜まで運ぶことになっているので、ポルシェティーガーもまた戦車道連盟の整備士の手によって砂浜へと送られた。村主が操縦できるのはヘッツァーだけだったので、ここでできることはなく、整備士の厚意に甘えて砂浜まで連れて行ってもらう。

 

(結局、レオポンを操縦することはなかったな・・・)

 

 特例措置として模擬戦に挑む際、ヘッツァーの操縦は柚子から教わった。しかし、他の戦車を操縦したことは、あれ以来無い。

 こうしてポルシェティーガーという貴重な車輌が身近にいるのだし、ヘッツァーだけだが操縦できたから、と思っていた。操縦したいという気持ちが芽生えていたのだ。

 しかし現実は、そう上手くいかない。

 そして、操縦できなきゃ嫌だと駄々をこねるほど固執しているのでもない。それに、そもそも自分は男なのだ。そうそう何度も戦車を操縦できるはずがないと、すっぱり諦めがつく。

 溜息を吐いて、前を見る。1台のトレーラーとすれ違った。

 

(・・・何かトラックとか多い気がするな)

 

 その砂浜まで、アウトレットモール脇の大通りを通るのだが、どうにもトラックとすれ違う頻度が多い。交通規制が行われていたので、物資を運ぶトラックが溜まっていたのかなと適当に結論付ける。

 砂浜に無事に着くと、村主は大洗の戦車の最終チェックを始める。その温浴施設での親睦会(ぶっちゃけるとみんなでお風呂パーティ)がいつまでなのかは分からないので、正直暇だったからだ。

 戦車道連盟の整備士が修理したⅣ号やルノーなどを見ると、その出来栄えは新品同然だった。たった数時間でここまで直すとは、やはりプロは仕事のレベルが違うと思う。

 17時頃に戦車道連盟の整備士は撤収し、村主はお辞儀をして送り出す。

 やがて、陽が沈む前辺りで選手たちがやってきた。出てきたのは聖グロリアーナ、プラウダ、知波単生徒で、あれこれ聞かれて面倒なことになるのを避けるために、戦車の陰に隠れる。大洗の皆が最後に出てきたのを確認すると、隠れるのを止めた。

 

「おお、お帰り」

「ただいま~。戦車の整備は?」

「全部終わってる。やっぱり本職の人たちって仕事が早いな・・・」

 

 既にチェックを終えているので、問題ないはずだ。他のチームが乗り込んでエンジンを始動させると、どれも問題なく動き出す。

 そこで、村主はあることに気付いた。

 

「あれ、会長は?」

 

 背が低い茶髪のツインテールという目立つ容姿の彼女がいない。乗り込もうとしたスズキが答える。

 

「何か、至急学園艦に戻って、って放送が入って先に帰っちゃった」

「ふーん・・・」

 

 スズキも『どういうことかな?』と首を傾げていた。そんな放送が入るとは、何かあったのだろうか。

 だが、その疑問も置いておき、レオポンチームの4人も戦車に乗り込み学園艦へと進みだす。歩くのも大変だということで、村主も乗せてもらった。中に入るのではなく外に腰掛ける形で。

 さて、学園艦へ向かうまでの間に港の傍の道を通るのだが、そこでまたしてもおかしな光景を目にする。

 

「・・・何か、トラック多くないか?」

「そうだね・・・私も初めて見るかも。こんなにいるのは」

「さっきもトラックと結構すれ違ったけど・・・」

 

 駐車場を埋めるほどのトラックが停まっている。ワゴン車など普通の車も停まっているが、どれも大きな荷物を多く運べるようなサイズだった。

 村主たちの頭の中で、違和感が濃くなってくる。

 乗下船口から入って艦上の住宅地に出ても、その違和感は消えず、むしろ強くなる。

 日没間際だというのに、建物の明かりが点いていない。光っているのは道路脇の街灯だけ。しかも人っ子一人、誰もいない。

 

「・・・・・・」

 

 異変に気付いたのか、誰も何も言わなくなる。頭の中の違和感がチリチリと焼けるように際立ってくる。

 そして、校門にたどり着いたところで、その違和感、疑惑は異変に変わった。

 

「誰よ!勝手にこんなことするなんて!」

「まさか落書きとかしてないよね・・・?」

 

 門の前に立つそど子が怒りを露にする。

 理由は単純、校門が黄色いテープでがんじがらめに縛られていたのだ。それもテープには『KEEP OUT』の文字入り、刑事ドラマや映画なんかでよく見る立ち入り禁止の印だ。ゴモ代も他校からカチコミでも喰らったのではないかと不安そうにしている。他のメンバーも心配そうだった。

 

「あれ?『きーぷあうと』ってどういう意味だっけ」

「体重をキープする」

「してないじゃん、アウト~」

「ひっどーい!」

「あははは~」

「そういうこと言ってる場合じゃないよ!」

 

 ウサギチームの面々はこの異変を前にしても呑気なものだった。

 

「君たち、勝手に入っては困るよ」

 

 そこに、遠慮の無いような男の声が割り込んでくる。

 全員が一斉に振り返ると、暗い色のスーツに七三分けの黒髪という風貌の男が立っていた。まだ会ったことのない大洗の教師だろうか、と村主は思ったが。

 

「あの!私たちはここの生徒です!」

「もう君たちは生徒ではない」

「どういうことですか!?」

 

 桃とそど子の口ぶりからして、どうも違うようだと思った。

 

「君から説明しておきたまえ」

 

 スーツの男は質問に答えず、後ろにいた誰かに声をかけると、皆の前から姿を消す。この場にいるはずではない男の村主など、気にも留めていなかった。

 そして、その男の後ろに立っていたのは杏だった。神妙な面持ちで、いつも食べているはずの干し芋を手に持ってもいない。

 誰もが人気のない学園艦、塞がれた校門、そしてこの真剣そうな杏。

 

「どうしたんですか、会長・・・?」

「会長・・・?」

 

 不安げに桃が訊くと。

 

 

 

「大洗女子学園は・・・8月31日付で、廃校が決定した」

 

 

 

 

 その言葉に、私は驚きを隠せなかった。

 あの全国大会で優勝すれば廃校は免れる、という話だったはずなのに、なんでまた?

 その答えは、あの約束はあくまで『検討するだけ』だったのだと言われる。

 廃校になるにしろ、それは年度末のはずだったのに?

 それは『年度末では遅い』というだけの理由で前倒しになった。

 会長が淡々と伝える事実に、私だけじゃなくて、大洗のみんなが落ち込むのが分かる。さっきまでエキシビションマッチで一緒に戦って、温泉で楽しく話をしていたのが嘘みたいだ。

 

「じゃあ、私たちの戦いは何だったんですか・・・?学校が無くならないために戦ったのに・・・!」

 

 澤さんの言葉は、多分ここにいる全員が思っていることだ。

 私たちの居場所を守る為にあの大会で戦ってきたというのに、廃校にするのはその戦いの意味を全部『無かったことにする』のと同じだ。

 もちろん皆は納得できなくて、河嶋さんは学校に立てこもって抵抗すると言い出した。他の皆も口々に『絶対におかしい』『抗議しよう』と声を上げる。私だって、久々に冷静ではいられなくなって、ツチヤたちとどうしたものかと話をする。

 

「残念だが本当に廃校なんだ!!」

 

 だけど、初めて聞いた会長の悔しそうな荒っぽい声に、昂った感情が冷やされていく。

 私たちが抵抗すれば、この学園艦で生活していた人たちの再就職は補償せず全員クビだと文科省が警告をしてきたらしい。これでは何も手出しができない。

 そして何より辛いことは、私たちが一緒に戦ってきた戦車まで文科省に回収されてしまうことだった。

 私たちが整備して、動けるようにして、戦えるようにして、あの全国大会で乗った戦車まで取り上げられるなんて、本当にあの大会の意味を全部失くしてしまうようなものだった。

 

「・・・・・・すまない」

 

 最後の悲痛な会長の呟きには、もう誰も何も言うことができなかった。

 その時、静寂を破るように携帯の着信音が鳴り響く。

 

「・・・はい、村主です」

 

 今まで一度も言葉を発しなかった、村主のものだった。

 自然と皆の視線がそちらに向く。村主もまた大洗で整備をして、短い間とはいえ大洗の一員だったのだ。

 だけど本当は大洗の生徒じゃない村主は今、何を思っているんだろう。

 

「・・・・・・はい。自分も今、聞きました・・・・・・はい」

 

 その背中が、小さく見える。誰が電話の相手なのかは分からないけど、話している内容は廃校のことなのはなんとなく分かる。

 その声も少し元気が無さそうだった。やっぱり、村主にとってもショックだったのかもしれない。

 

「・・・・・・はい」

 

 そこで村主が、私たちの方を振り向いた。

 今の私たちの顔なんて、ちっとも明るくないのだろう。私もそんな顔をしている自覚はある。

 村主と目が合った。

 

「・・・・・・いえ、残ります」

 

 そして、その言葉にはほんの少しだけ強い意思が込められているように聞こえた。

 

「はい・・・・・・せめて実習が終わる日までは、残らせてください」

 

 電話の向こうで、誰かが何かを話す。

 

「・・・・・・はい、ありがとうございます」

 

 電話を切る。

 改めて私たちの方を振り返った村主は、会釈をした。それが何に対するものなのかは、私にもわからなかった。

 

 

 杏から鍵を受け取って校門を開け、戦車をガレージの前に移動させた後、大洗のメンバーは家に戻って身辺整理ということになり一旦解散となった。

 それぞれが部屋へと向かう足取りは重く、当たり前だが落ち込んでいる様にしか見えない。

 村主もまた、自分の荷物を回収するためにお世話になっていた宿へと向かう。

 既に太陽は完全に沈み、学園艦全体が暗くなる。どこの明かりも点いていないのだから、余計に暗く感じた。

 コンビニも、パン屋も、74アイスクリームも、ファミレスも、どこも明かりが点いておらず、人の姿もない。まるで廃墟のようだ。

 その場所を見るたびに、村主の中で大洗で過ごした時間がフラッシュバックする。溜息が同時に口を吐いて出てくる。

 やがて宿の前に着くと、案の定明かりは全て消えていて、誰もいないようだった。

 

「?」

 

 だが、宿の玄関の前に段ボール箱が置かれていているのに気付き、村主は自然とそれに近づく。

 開けてみると、中に入っていたのは村主が持ってきていた鞄だった。中を確認してみると、荷物が全て綺麗に仕舞ってある。

 箱には一緒に便箋が入っていた。

 

『突然の事態に、ご迷惑をおかけしてすみません』

 

 それを見て、村主も悲しい気持ちが込み上げてきて、あの温厚な宿の主人の悲しむ表情も目に浮かぶ。謝ることなんてないのに、ありがとうと自分が言いたいのに、と感情がかき混ぜられる。

 便箋を大事に仕舞って、鞄を抱えて学校へと戻ることにする。

 来た道では明かりの点いてない建物を見るたびに気持ちが沈んだので、帰りは別の道を通ることにした。しかし、どこを通っても明かりの点いている建物など全くないので結局は同じだ。

 だが、商店街に差しかかると1軒だけ明かりの点いたお店があった。その店先には軽トラックが停まっていて、丁度店を引き払うところらしい。

 親子らしき2人が協力して荷物を運び出しているが、その手伝いをしている娘は村主も知っていた。

 

「秋山さん」

「あ、村主殿・・・」

 

 声をかけると、癖の強いショートボブが特徴の優花里が顔を上げた。一緒に作業をしていた父親らしきパンチパーマのおじさんは、村主のことをキョトンとした顔で見ている。初対面だし、女子校の学園艦に同年代の男がいるのがおかしいのだろう。それもこんな時に。

 

「お父さん。この人は、戦車の整備の実習で大洗に来てた村主さん」

「あ、そうですか・・・どうも、優花里の父の淳五郎です」

「初めまして・・・村主です」

 

 丁寧に挨拶をしてくる淳五郎。そこで、店の中で掃除をしていた母の好子も出てくる。村主は挨拶をして、店を見上げる。

 

「・・・実家、床屋だったんですか」

「ええ、代々ここで床屋を営んでました」

 

 赤い幌に白く書かれた『秋山理髪店』の文字。その外見から見て、かなり年季が入っているように見える。恐らく、ここに店を構えた時からずっとこのままなのだろう。

 

「・・・大変なことになりましたね・・・」

「はい・・・エキシビションの観戦から戻ったら、こんな紙が貼られていて」

 

 淳五郎が見せたのは、『強制退去勧告』と書かれた赤い紙だ。12時間以内に立ち退くようにと威圧的な文章が書かれており、周りを見ると他の店や家にも貼ってある。

 

「全く急な話なもんで・・・なんで突然廃校になんて・・・」

「本当・・・もう何十年もここでやってきたのに、それが急に無くなるんだもの」

 

 淳五郎と好子は、切ないとばかりに首を横に振る。優花里の表情も沈んでいた。

 こうして学園艦で自営業をしているとなると、陸ではどうするのかが難点になるだろう。文科省は艦内の人間が抵抗しない限りは再就職先を斡旋するらしいが、自営業については不明らしい。同じように再就職先を用意するのか、それとも土地を与えるのか。

 

「この学園艦だったから、やってこれたんですけどねぇ・・・」

 

 どちらにせよ、生活がこの先上手くいく保証はない。自分たちの住んでいた場所こそが一番良い環境なのだから、そこから退くのは不可抗力とはいえ悪手だろう。

 手伝おうと思ったが、秋山一家は『お気になさらず』と無理して笑ったので、村主は片付けの邪魔をしないように、最後にお辞儀をしてその場を去る。

 暗い町を歩き学校に戻ってくると、ガレージの方から1台の車が走ってきた。自動車部がレストアしたソアラだ。向こうも村主に気付いたのか、傍で停車させる。

 

「村主、お疲れ。荷物は回収できた?」

「ああ、どうにか」

 

 助手席のナカジマが窓を開けた。ハンドルを握っているのはツチヤだ。

 

「どこか行くのか?」

「いやぁ、ちょっと学園艦をひとっ走りしようと思ってね」

「・・・そうか。気をつけろよ」

「もちろん」

 

 ソアラは軽快に走り出して、明かりの消えた町へと消えてゆく。

 それを見送りながら、なぜ今学園艦を走ろうと思ったのかが分かった。自分たちが暮らしてきた場所を、最後に見ておきたいのだと。ナカジマたちが学園長とのレースで走ったであろう道をまた走りたいと思ったのだろうと、それが分かった。

 村主は自分から『俺も一緒に』とは言えなかったし、もし誘われたとしても乗る気はなかった。学園艦を走る時間は、ここで暮らしていた時間が長い彼女たちだけで過ごした方がずっと良いはずだ。気持ちを整理するための時間に、たかだか1か月ちょっとしかここにいない新参者がいるのは無粋だろう。

 ガレージに向かうと、全ての車輌が外に並んでいる。初めて見た時や試合の前は、カッコよくて、頼もしく見えたのに、今となっては戦車でさえも落ち込んでいるように見える。

 

「・・・・・・ちくしょう」

 

 誰に、何に向けたわけでもない呟きが、村主の口から洩れる。

 そこへ、後ろから足音が聞こえてきた。振り向いてみれば、他のチームのメンバーが戻ってきていた。カモチームが校名のプレートを抱えていたり、ウサギチームがうさぎを抱きかかえていたりと色々おかしかったが、誰もそれを咎めたりはしない。

 やがて、一周走り終えたらしいナカジマたちも戻ってきた。

 

「いやー、やっぱりドリフトはいいね~!」

「もう4回もやってくれちゃって・・・こっちの身にもなってよ」

 

 ナカジマ曰く、最後ということでツチヤがドリフトをしまくって、同乗していたホシノたちはグロッキーだという。かくいうナカジマも多少疲れ気味だったが。ツチヤのドリフトを経験した村主も、なんとなく想像できたので苦笑する。

 

「あの、皆で寄せ書きしませんか?」

 

 そこで、梓が控えめに、しかしその場にいる皆に聞こえるように提案してきた。その後ろでは、あゆみとあやがガレージの中にあった黒板を引っ張り出してきている。ミーティングなどで使っていたものだ。

 

「・・・いいね、書こうよ」

「そうだね、もうこれが最後だし」

 

 アヒルチームの妙子とあけびが最初に乗っかり、他のチームもせっかくだからとチョークを取って思い思いの言葉と名前を書く。

 村主もナカジマから『どう?』と誘われたが、首を横に振る。やはり村主は、元々大洗の戦車道メンバーでなければ、生徒でもない。彼女たちに混じってメッセージを書くのも何か違う気がした。

 やがてあんこうチームのメンバーがやってきた。あとはカメチームだけだが、生徒会の書類整理に手間取っているらしい。

 寄せ書きを終えたメンバーは、それぞれの戦車に向けてお別れの言葉を贈っている。

 村主がその様子を静かに見ていると、夜の空から何かのエンジン音が聞こえてくるのに気付いた。

 

「・・・何だ?」

「え?」

 

 音のする方を見ると、夜の闇に混じるように緑と赤の小さなライトが空に浮かんでいる。ナカジマたちもその音に気付き、空を見上げる。

 よく目を凝らしてみると、その正体は巨大な輸送機だった。校内模擬戦で教官の亜美が乗ってきたものとは機種も違う。

 そして、いつの間にかグラウンドに並んでいたトラックのライトが一斉に点灯して疑似的な滑走路へと早変わりし、そこへ謎の大型輸送機が着陸する。

 その機体には、ある学校の校章が描かれていた。

 

「サンダース大付属の、C-5Mスーパーギャラクシーです!」

 

 優花里が嬉しそうに声を上げる。その言う通りで、あれはサンダース大学付属高校の航空科が所有している超大型輸送機だった。

 それがなぜこんな時に、こんな場所に。

 

「サンダースで、ウチの戦車を預かってくれるそうだ!」

 

 土煙が収まると、いつの間にここへ来たのか、通信用のハーネスを背負った桃が得意げに宣言する。その横で、スーパーギャラクシーの格納庫が開いた。

 

「えっ?」

「大丈夫なんですか?」

「紛失したという書類を作ったわ!」

 

 あんこうチームの心配そうな声に、柚子が得意げに『戦車紛失届』という書類を見せる。半ば強引な感じがするが、『向こう』だって一方的に大洗を廃校にしてきたのだ。これぐらいのことはお互い様だろう。

 

「これでみんな処分されずに済むね」

 

 先ほど廃校を告げた時と違い、杏の声にも心なしか嬉しさが見える。

 そして、スーパーギャラクシーのタラップが下りて、2人の少女が姿を見せた。サンダース戦車隊の隊長・ケイと、副隊長の1人・アリサだった。

 

「さんきゅー!さんきゅー!」

「こんなのお安い御用よ!」

 

 杏が嬉しそうにお礼を伝えるが、ケイは笑って手を振る。こんな大型輸送機を持ち出して、国に内緒で戦車を引き取るなどというリスキーな行動を、『お安い御用』で済ますケイの胆力と懐の深さが、村主には計り知れない。

 

「さあ皆、ハリアップ!」

『はい!』

 

 ケイが促すと、戦車の燃料を最低限まで抜いてから、スーパーギャラクシーに積み始める。やはり8輌もの戦車を1度に運ぶのは相当難しいようで、バランスなどを考えながら積み込むらしい。

 村主は大洗のメンバーに混じって作業をしていても、サンダース側に不審がられることはなかった。今は急を要する事態だからなのかもしれないし、村主が指示の伝達などで忙しそうにしていたからなのかもしれない。

 とにかく、戦車を全て収納し終えると、移動先が判明し次第戦車は返すということが決まる。そして、スーパーギャラクシーは大洗のみんなに見届けられながら夜の空へと飛び立っていった。

 

 その日、村主は戦車のいなくなったガレージで一夜を明かした。

 

 

 翌朝8時。

 戦車道のメンバーは、それぞれ最低限の荷物を持って港に立っていた。天気は晴れなのに、皆の表情は陰っている。文字通り天地の差があった。

 

「全員揃ってるな」

「はい・・・」

 

 点呼を取り、杏と柚子が再確認をしたところで、学園艦の太く低い汽笛が港に鳴り響く。まるでこの学園艦が、皆との別れを惜しんでいるかのようだ、

 ゆっくりと学園艦は動き出し、港を離れていく。こうなってしまってはもう誰にも止められない。本当に大洗が廃校になってしまうのだと、嫌でも実感させられる。

 しばらくの間、皆は黙って学園艦が離れていくのを見届けていたが、たまりかねてウサギチームが追いかけるように走り出す。

 

「行かないで~!」

「笑って見送ろうよ~!」

「ありがとー!!」

「元気でね~っ!!」

 

 妙に場違いな内容のものも混じっているが、そんなのは関係なかった。

 彼女たちは学園艦を追いかけるが、やがて足を止めて、精一杯の声をかける。

 

『さようならぁぁぁ!!!』

 

 学園艦の起こす波飛沫が、雨のように降ってくる。

 誰もが何も言わないで、港を離れていく学園艦を見送っている

 

 これは何だと、村主は思った。

 

 大洗に来て、彼女たちとそれなりの交流を深め、学校や仲間、大洗という場所に対する思いを聞いてきて、いかに彼女たちがあの場所を大切に思っているのかを理解していたつもりだ。

 寄せ集めの戦車と素人ばかりのチームで全国大会に臨み、無謀だったはずの優勝を手にして、廃校を阻止し居場所を守ることができたと確信していたはずだ。大洗という場所を愛していたからこそ、彼女たちは今まで頑張ることができたのだ。

 だというのに、この仕打ちは何だ?

 彼女たちの今までの戦いは全部無かったことにされて、有無を言わさず学園艦を追い出され、脅されて抵抗もできず、こうしてただ黙って学園艦がスクラップ置き場に向かっていく様を見ていることしかできない。

 

「・・・・・・っ・・・・・・ぅっ」

 

 隣を見ると、ナカジマが泣いていた。周りに心配をかけさせないようにと、声を押し殺して。

 村主が、ナカジマが泣いているのを見るのはこれで2度目だ。

 1回目は、村主の不甲斐なさが原因で倒れた時に、無事だったと知って安堵した時のこと。あの時のことは、ナカジマに心配をかけさせてしまったと、村主の中での後悔として突き刺さっている。

 だが今、ナカジマから感じられるのは、『悲しい』『悔しい』という想いだ。

 無理もない。戦車を見つけたのは彼女たちではないが、戦えるように直したのはナカジマたちだ。だから誰よりも戦車に愛着はあるし、そして自分たちが直した戦車で優勝できたのだから、喜びだって人一倍あるはずだ。

 その喜ぶべき全国優勝で残るはずだった大洗が、なくなってしまうのだ。悲しくないわけがない。悔しいと思うに決まってる。

 しかし、それに抗うことができなくて、ただ泣くことしかできない。

 

「・・・・・・」

 

 そんなナカジマを想い、村主はそっとその手を握る。自分から握るのは初めてだったが、ナカジマの手は震えていた。力を籠めると、壊れてしまいそうなほどに。

 そして、ナカジマはその手を強く握り返す。その力だけで、本当に落ち込んでいるのが分かった。

 周りを見ると、普段はクールなホシノも、明るかったスズキも、笑みを崩さなかったツチヤも、泣いていた。

 そんな彼女たちを見て、自分の中にふつふつとした感情が浮かび上がってくるのが分かる。

 それが怒りだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

(・・・・・・ふざけんな)

 

 こんなことになって黙って見過ごせるほど、村主は達観できていない。仕方ないと処理するほど大人にもなれてない。

 何とかしてやりたい、と強く思う。

 だが、自分に何ができる、と同時に問う。

 自分はあくまで実習生。正直な話では、この件については赤の他人だ。ただの一介の学生に何ができるんだと、同時に自分が情けなくなる。

 水平線に消えていく学園艦のように、自分もまた小さくなっていくような感覚がした。


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