雨恋   作:プロッター

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雨明かり

 エキシビションで盛り上がった昨日とは打って変わって、大洗の町は静かだった。日中でも車の通りはまばら。商店街に人気はほとんどなく、まるでゴーストタウンの様相だ。

 そして、昨日まで掲げられていた大洗女子学園の優勝を称える横断幕や幟は全て撤去されている。大洗が廃校になってしまったのを聞いて、とても祝う気分になどなれないのだろう。

 KV-2によって半壊させられたホテルにはブルーシートが張られている。ホテル関係者は狂喜乱舞していたが、今となっては逆に寂れた感じしかない。

 大洗女子学園という学校が無くなってしまったことで、町の印象もガラッと変わってしまっていた。

 

 そんな廃校になってしまった大洗の生徒は、一時待機場所で転校手続きが終了するのを待つことになる。戦車道メンバーとそれ以外の一部の生徒は、町内にある廃学校を利用した研修施設で待機ということになった。見た目はボロだが、研修施設として民間に貸し出されているので中は小綺麗に整備されている。

 基本的には、教室を再利用した宿泊室で生徒は寝泊まりをする。しかしあんこうチームは、優花里がテントとその他野営用具一式を持ち込んできて、外でテントを張って泊まることになった。優花里が生き生きと夕食の準備をしていたのは、割と印象に残っている。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 村主がポルシェティーガーに腰掛けて溜息を吐いたのは、その日の夜だった。

 大洗の戦車が戻ってきたのは夕方。サンダースのスーパーギャラクシーが、約束通り届けてくれたのだ。最初は近くの大通りに空挺落下されて、今はグラウンドの隅に停められている。

 溜息を吐いたのは、無力感を味わっていたからだ。村主は以前から大洗に深い関りがあるわけではないが、今回の廃校を前にして何もできない自分が、小さく感じる。

 一実習生の学生にできることなど無いも同然なのは分かっているが、それでも何かできたのではないか、と模索している。そして『結局何もできなかった』という結論に達する堂々巡りだった。

 

「・・・村主」

 

 不意に声をかけられて振り返る。

 いつの間にか、戦車の脇にナカジマが立っていた。着ているのはずっと見てきたオレンジのつなぎ、どうやら寝間着の代わりらしい。

 

「眠れないの?」

「・・・ナカジマこそ」

「まあね・・・正直、気持ちの整理がついてないよ」

 

 言ってナカジマは、『隣、邪魔するね』とポルシェティーガーに上って腰掛ける。

 夜空に見える星は、空気の澄んだ海の上とは違ってまばらだ。

 

「・・・これから、どうなるんだろうな」

 

 夜空を見上げて村主がぽつりと洩らす。主語のない言葉だったが、ナカジマにはそれが大洗のみんなのことを指しているのを分かっていた。

 

「・・・・・・さあね」

 

 ぼかしたのは、()()()()()()()()だ。

 ここで転校手続きが滞りなく終了すれば、正式にナカジマは大洗の生徒ではなくなり、どこかの学校に転校することになる。そして大洗の仲間とは高い確率で散り散りになり、寂しく残りの高校生活を過ごすことになるのだろう。

 それを伝えれば村主は余計に傷つくのが予想できたから、ナカジマはぼやかして答えた。

 尤も、どうなるかが分からないほど村主も馬鹿だとは思っていないが。

 

「ナカジマは、これでいいのか?」

「・・・今はどうすることもできないよ」

「・・・・・・何だそれ」

 

 ナカジマの答えに、村主はわずかに苛立ちを見せた。

 そんな声を聞くのは、今が初めてだった。

 

「・・・俺はこんなの、納得いかない。できるわけがない」

 

 視線は下に向くが、その声は『怒り』よりも『困惑』という表現が似合う。

 

「俺は大洗の人間じゃないし、大洗には1か月ちょっとしかいなかった。だから、全部分かったような口は利けない。けど、こんな無理矢理なのは間違ってる」

「・・・・・・」

「大洗で色んな人の話を聞いて、それだけでも皆にとって大洗が大切な場所だって分かった」

 

 大洗の戦車道チームのみんな、学園艦で店を営んでいた人たちは、誰一人大洗を貶していなかった。

 あの場所を愛していた人がいれば、あの場所で自分たちの目的を達成させようとする人もいたし、大洗という場所で仲間と共に戦いたいと願う人もいた。その言葉だけでも、誰もが大洗という場所を大切に思っているかが伝わるには十分だった。

 だというのに、そんなみんなの思いを無下に、あの場所を取り上げるということが許せない。

 

「あんな風に脅してまで取り上げて、みんなを追い出すなんて、俺には理解できない」

「村主・・・」

「だって、みんなのことを何も考えてないじゃないか。それに学園艦が大洗を離れる時、ナカジマだって泣いてて、それで余計許せなくなって・・・」

「村主」

 

 少し強めに村主の名を呼び、その肩に手を置く。

 湧き上がってきていた村主の中の感情が、落ち着いてくる。

 

「・・・許せないっていう村主の気持ちは分かるし、正直私も同じ気持ちだよ。今も悔しいと思ってる」

「・・・だったら」

「でも・・・そんなことを言っても、大洗は戻ってこないよ」

 

 責めるわけではなく、言い聞かせるような話し方に、村主も口を閉ざす。無意識に握っていた拳が解かれる。

 怒りに任せて言葉を連ねて学園艦が戻ってくるのなら、いくらでもそうする。

 だが、ナカジマの言う通り、そんなことをしてもあの学園艦はもう帰ってこない。そう考えると、口調を荒げて感情を吐き出すことも惨めに思えてきた。

 村主が悔しそうに鼻で息を吐くと、ナカジマは肩から手を離す。

 

「どうして急に廃校になったのかは分からない。気持ちの整理も、まだ私はできてない」

「・・・・・・」

「だけど悲しいかな、もう過ぎたことなんだ。今更何かを言ったところで、変えることはできないよ」

 

 ナカジマのその言葉は、村主からすればナカジマ自身にも言い聞かせているように感じる。現にその表情は、目が慣れてきてようやく分かったが、少し暗かった。

 

「・・・でも、村主の気持ちが聞けて良かった」

「え?」

「私たちのために怒ってくれてるんだもの。だって村主は・・・元々、大洗の人じゃないのに」

 

 大洗に深い関わりがあるわけではない。だが、短い時間の中で大洗の人の思いを汲み、その人たちのために村主が怒ることは、ナカジマにとっては嬉しいことだった。それだけ村主も、人を含めて大洗のことを好きになっていたということだから。

 あの廃校の話が会長から明かされた時、村主が何を思っているのか不安だったが、今こうしてその本音を聞くことができて、安心もしている。

 

「それに、多分このままじゃ終わらないと思う」

 

 何を根拠に、と村主が眉を顰めるが、ナカジマは今自分たちが座っているポルシェティーガーを軽く叩く。

 

「会長がこうして戦車を残したってことは、きっとまだ何か策があるんだと思う」

 

 サンダースに戦車を預けるという作戦は、杏が発案したことだった。サンダースの隊長・ケイがフレンドリーな性格なのもあって、杏の頼みはあっさりと通り、計画通りに事は運んだ。

 杏が『思い出を残すために』こうしたのは確かだろうが、ナカジマはそれだけとは思えない。

 

「でもそんなこと・・・」

「分かってるよ、全部推測だって」

 

 それでも、とナカジマは、消灯時間を過ぎて明かりの消えた校舎を振り返る。

 

「結局口約束だったけど、文科省から『優勝すれば廃校は免れる』って話を引っ張り出したのも会長なんだ。だから会長なら・・・って思ってる。河嶋さんも小山さんも、会長を信じてる感じだった」

 

 村主の知っている杏は、いつも干し芋ばかり食べていて、掴みどころがない。模擬戦で操縦士の代理を村主に頼んだ時も、緩い感じがした。もちろん、廃校を伝えたあの時の心の底から辛そうな声と顔だって覚えている。

 その2つの正反対な面を見ると、そうなのかもしれない、と村主も少しだけ思えてくる。

 

「・・・・・・ねぇ、訊いてもいい?」

「・・・?」

「昨日、会長から廃校って言われた後、村主に電話がかかってきたでしょ?あれは・・・?」

 

 あの時の電話の相手が誰だったのか、シチュエーションも相まって気になっていた。電話の最中で村主とナカジマの目が合ったのだからなおさらだ。

 

「・・・学校の担任から。『大洗が廃校になったって連絡がきた。実習は中止、学園艦に帰ってこい』って」

 

 大洗が廃校になったという話は、今はまだ大洗の関係者と大洗町の住人、そしてサンダースの一部の生徒以外は知らない。

 もしこのことを意図的に公にした場合は、抵抗した場合の処置同様、元学園艦の住民への再就職を斡旋しないと警告を受けている。村主も同様の警告をその電話で聞いていたから、このことは誰にも話していない。

 

「じゃあ、どうして村主は残ろうと思ったの?」

 

 だが分からないのは、どうして村主は残ろうとしたのかだ。

 村主は、空を見上げる。

 

「・・・俺は大洗でみんなの世話になったし、いろんな人の話を聞いてきた。けど、やっぱり俺は大洗の人じゃないから、今回のことも本当は無関係なんだろうとは思う」

 

 そこで村主は、小さく首を横に振った。

 

「でも、『それはなんか違う』とも思った」

 

 ナカジマが、表情で疑問を示す。

 

「他人だから、『実習先の学校が無くなったからおしまい。さようなら』。それは、大洗で色々と世話になった立場の態度としては、違うだろって思った」

 

 ナカジマを見る。ナカジマは笑いもせずに、真剣に話を聞いてくれている。

 

「大洗で学んだこと、みんなと関りが持てたこと、話を聞いたのは、俺にとっては全部かけがえのないことだと、俺自身は思ってるんだよ」

 

 膝の上で、広げていた手が握られる。まるで、そのかけがえのないものを掴み取るように。

 

「だから・・・そんな大洗から後味悪いまま帰るのが嫌だった。どうなるにしたって、せめて最後の日までは残りたいと思ったから、自分で『残りたい』って言った」

「・・・・・・・・・そっか」

 

 それだけ返すナカジマ。

 村主の気持ちは伝わっただろうか。少しでも伝わってくれれば嬉しいのだが、ナカジマが少しだけ笑っているのを見て、伝わったのかもしれないと感じる。

 

「・・・そろそろ寝よう。明日から、また忙しくなるだろうし」

「そうだな・・・」

 

 ナカジマは危なげなくポルシェティーガーから降り、村主はキューポラからポルシェティーガーに乗り込もうとする。

 

「悪いね、そんなとこで寝泊まりさせちゃって」

「野宿じゃないだけ十分だ。ありがとうな」

 

 年頃の女子ばかりが寝泊まりする校舎で村主も一緒とは到底不可能だったが、戦車の中なら問題ないと桃、そしてナカジマから言われたのでその恩恵に与っている。もし戦車がなければ、民宿に泊まるつもりだったが。

 それでも桃からは、『変な気は起こすな』と言われたが、こんな状況ではその気など起こしたくても起こせない。

 

「それじゃ村主、お休み」

「ああ、お休み」

 

 ナカジマが校舎に帰っていくのを見送ると、村主もキューポラを閉める。

スマートフォンのライトをつけて戦車の中を見渡すと、戦車の中は広々とした感じはした。

 だが、すぐにライトを消して目を閉じる。昨日今日と色々なことがありすぎて、眠って気持ちを落ち着かせたいと思ったのだ。

 中々寝付けなかったのは、戦車の寝心地が悪いだけではないだろう。

 

 

 翌日以降のスケジュールは、基本的に『自由』だった。

 朝礼で出席を取ってから朝食で、その後は夕食の時間まで自由行動となる。自由時間中は町に出るのも可能だし、外泊申告をすれば別の場所で泊まることもできる。また、食事は栄養科、農業科、水産科の有志による炊き出しで、昼食のみ各自で用意することになっている。

 朝礼では待機生徒全員がグラウンドに出るので、村主はその前に起きていてもポルシェティーガーの中にいた。事情を知らない他の生徒に見られて面倒なことになるのを避けるためだ。

 それにしても。

 

「出欠をとりまーす。全員いるわねー。はいしゅーりょー」

 

 点呼を取るそど子たちカモチームは、悪い方向に変わっていた。朝礼には遅刻、身だしなみも雑、点呼だってあんなにアバウトだ。普段のきっちりした様子は欠片も残っていない。

 生徒たちがその変わりようにショックを受けながらも朝礼は終わり、それぞれ行動を始める。

 最初に動いたのはウサギチームだった。

 

「すみません、戦車をお借りしてもいいですか?」

 

 整備に取り掛かろうとしたレオポンチームを呼び止めたのは梓。その後ろには、テントやタープなどのキャンプ用具を持ってウキウキしている桂利奈やあゆみたち。

 

「はいはーい。ちなみにどこへ行くの?」

「えっと、川沿いの公園へ。キャンプがしたいなぁって」

「了解。外泊届は出した?」

「はい、河嶋先輩に。鍵も貰っています」

「オッケー。それじゃ気を付けてね」

 

 ナカジマが応対して、ウサギチームはM3に乗り込んで、その公園へと向かっていった。

 ちなみに、戦車の鍵は生徒会が一括して預かっているので、桃か柚子を通さなければ戦車を持ち出すこともできないのだ。

 その後もアリクイチームが筋トレ、カバチームが(戦略ボードゲームの)気分転換のために、それぞれ戦車を借りて外出する。残りのチームはバレーの練習だったり雑務だったりで戦車を使わないので、残りの戦車をレオポンチームと村主が空いている時間に整備することとなった。

 時間がたっぷりあるからこそ、こうして戦車を入念にチェックする。昨日のナカジマの言っていることが本当だとすれば、この戦車が活躍する場面がいずれ来る。その時を信じ、その時に備えて、万全な状態にするのだ。

 

「・・・・・・ん?」

 

 そして12時過ぎ。村主が昼食の買い出しから戻ってくると、丁度校舎から杏が出てきたところだった。背中にはリュックサックを背負っていて、遠出するつもりなのが分かる。

 杏も村主に気付くと、緩い感じに手を挙げて挨拶をしてきた。

 

「お疲れ~」

「お疲れ様です。会長、どちらへ?」

 

 村主が挨拶を返して訊ねると、杏は背中越しのリュックを見て。

 

「・・・ちょっと、野暮用」

「・・・・・・そうですか」

 

 それ以上は深く訊かない。

 どうやら、動くつもりらしい。

 

「お気をつけて」

「うん。それじゃ」

 

 そして杏は、町へ向かって歩き出した。。

 村主はそれを見送って、ナカジマたちの下へ戻る。戦車はすでに空いていた駐車場へと移動させていた。

 

「お待たせ。買ってきたぞ」

「おー、ありがとー」

 

 コンビニ袋を掲げると、ナカジマたちが作業を止める。

 戦車の近くに地べたに座って、袋からおにぎりやパン、飲みものを取り出して昼食を始める。

 そんな中で村主が、先ほど杏が外出したことを言葉を選びつつ慎重に話すと、皆は『うーん』と唸り首を傾げる。

 

「何するつもりなのかな」

「文科省に直訴するとか?」

「聞いてくれるかな・・・」

 

 色々と予想するが、これといって確実性のある予想は立てられない。

 それにしても、とツチヤが切り出す。

 

「こういう時って会長、行動力がすごいよね」

「ここぞってところで思い切りがあるのは、確かに羨ましいなぁ」

「普段は干し芋食べて遊んでるだけなのに」

 

 スズキが言うと、小さな笑いが起こる。

 

「だからだろうね。生徒会長に選ばれたのって」

 

 ナカジマが言うと、皆は確かにそうだ、と頷く。

 普段は大らか(というよりもおおざっぱ)で緩い、だけどやる時はきっちりやる。指導者としては理想的なのかもしれない。上の人間が普段から肩肘張って真面目なようでは、その下に付く人たちも委縮するだろう。だから、上に立つ者として必要なのはああいう感じの『程よい緩さ』なのだろう。

 村主も杏の普段はあまり知らないが、確かに今日の様子は少し違った。だからこそ、何とかしてくれるという信頼もあるのだろう。

 今もまた、ナカジマたちは少し杏に期待をしていたのだ。

 

 

 

「・・・あれ?」

「どうしたの?」

「ルノーがいない」

「え?」

 

 休憩の後で生徒会から力仕事を任されたのでそれを手伝い、戻ってくると村主の言う通り、確かにルノーがいなかった。直前まで作業をしていたホシノの工具は、全部地面に揃えられている。

 もしや、カモチームが入用になって使ったのだろうか。

 

「レオポンチーム、ちょっといいか?」

 

 そこへ桃と柚子がやってくる。

 

「ルノーの鍵が見つからないんだが、どこにあるか知らないか?」

「いや、分からないです・・・。こっちもルノーがいつの間にか消えてて」

「え?」

 

 村主が戦車がいた場所を指さすと、桃と柚子は怪訝な表情になる。戦車を持ち出すには、生徒会を通して鍵をもらわなければならないはずだが。

 

「もしかして、カモさんチームが勝手に持って行っちゃったのかも?」

「全くあいつらは・・・」

 

 柚子が言うと、桃は額を押さえる。朝礼に引き続き、戦車の無断持ち出しまでするとは風紀委員の名が泣くだろう。

 戻ってきたら生徒会室(元職員室)に来るように伝言を頼むと、桃たちは戻っていく。彼女たちも書類整理などで忙しいのだ。

 

「・・・工具をきっちり揃えてるのが、そど子さんたちらしいって言うかだけど」

 

 地面に丁寧に並べられていた工具を見て、ホシノが苦笑する。腐っても元風紀委員と言ったところか。

 そして作業を再開するが、ナカジマがぽつりと呟く。

 

「・・・反動だろうね。そど子さんたちが荒れてるのって」

「反動?」

 

 これまでそど子達は、自分たちの仕事に責任を持って職務に忠実でいた。それは皆からの信頼を預かっているからであり、学校を愛していたからでもある。その支えである学校が無くなった今、そど子達もどうすればいいのか分からないのだろう。

 そして、風紀委員を務めている中で積もっていたであろうストレスが、ここにきて抑えられなくなった。そういう意味でも、『反動』ということなのだ。

 

「どうする?」

「今はそっとしておいた方がいいよ。無理に連れ戻そうとすると、余計荒れかねないし」

 

 悲しいが、ホシノの言うことにも一理ある。ここは一度、ガス抜きをさせた方がいいのかもしれない。

 胸の中に引っかかりを抱えたまま整備の時間は過ぎていき、やがて夕方になると外出していたカバチームとアリクイチームが戻ってきた。ウサギチームは予定通り外泊なので、心配はない。

 しかし結局、その日カモチームが帰ってくることは無かった。

 

 

 陽が落ち、夕食の時間が過ぎてもレオポンチームだけは活動を続けている。

 神社の裏手にある道路で決められたルートを一周し、動きを限界まで速める訓練をしていた。村主は時間計測係である。

 ポルシェティーガーの火力と装甲は大洗でもトップクラスだが、やはりその弱点は不安定な機動力。レオポンチームは常にそこに細心の注意を払いながら試合に臨んでいるが、何とかして動きの悪さを克服しようとしていた。

 ちなみに、学園艦なら遅い時間まで練習を行うこともできたのだが、ここは住宅地が近いうえ、すぐ近くの校舎で生徒が生活している。だから、遅くとも消灯時間の10時までと桃から忠告を受けていた。ここにも学園艦暮らしでなくなったことによる弊害が生まれている。

 

「1分8秒22、さっきより速くなってるな」

「うーん・・・もう少し速くできない?このルートなら1分は切りたいな・・・」

「後できるとすれば、ドリフトをもう少しインでやるくらいかな。やってみるよ」

 

 ポルシェティーガーが戻ってくると、村主はタイマーを止めて経過した時間を報告する。そして、操縦手のツチヤにどうした方がいいかをナカジマが伝える。この繰り返しだ。

 

「それじゃ村主、またよろしくね」

「分かった」

 

 ナカジマが頼むと、村主はタイマーをリセットする。そして、ポルシェティーガーがスタートするのに合わせて、再びタイマーを動かした。

 

(くよくよしてられないな・・・)

 

 夜道に消えていくポルシェティーガーを見ながら考える。

 学園艦が無くなり大洗の廃校が決定的になっても、ナカジマたちは諦めずに今自分たちができることに全力で取り組んでいる。

 本当のところ、村主は今もまだ今回の廃校については納得できていない。

 だが、村主がこれまで大洗で一番長く接してきたナカジマたちは、もう廃校を嘆いておらず、気持ちを切り替えている。なのに、自分がうじうじしたままなのは情けないとは思った。

 

(俺も頑張んないと・・・)

 

 頭を振って、自分の蟠りを振り払おうとする。

 廃校のことに憤って腐るのは、もうやめた方がいい。

 これからはナカジマたちと同じように、今の自分にできることをするしかない。腐って愚痴を吐くためにここに残ったわけではないのだから。

 

「っと」

 

 そこで、気付けばポルシェティーガーが戻ってきた。村主は慌ててタイマーを止める。

 時間は1分7秒01。さっきよりも早かった。

 

 

 翌日もまた、カバチームとアリクイチームは外出し、ウサギチームもキャンプを続けている。

 無断外出&外泊をしたカモチームだが、地元の生徒(小学生)と喧嘩をしていたところで桃が仲裁に入り、強制的に連れ戻された。現在はウサギ小屋という名の営倉に収容されている。落ちるところまで落ちるのかと、村主含め大洗の面々は心配になってきていた。

 さて、今日はレオポンチームにも変化があった。ナカジマとホシノが、転校手続きの書類に必要な保護者のサインをもらうために実家へ戻っているのだ。スズキとツチヤは交代で明日実家に戻るので、何かあった際に今動けるのは2人に加えて村主だけである。

 

「ねえ村主。今ちょっといい?」

 

 Ⅳ号の整備を村主がしていると、スズキに話しかけられる。整備は丁度きりが良いところだったので、『問題ないけど』と立ち上がって答える。そこへツチヤも合流してきた。

 

「エキシビション前日にさ、村主とナカジマ、2人で出掛けてたっしょ?」

「待て、何でそれを知ってるんだ」

「試合前にM3を診てる時にね。澤さんから聞いた」

 

 さも当然とばかりにスズキが切り出した話題に、待ったをかけざるを得ない。

 エキシビション前の最終チェックで、スズキはウサギチームのM3を整備していた。その際、雑談程度の気軽さで『昨日の休みに何してた?』とウサギチームに聞いたところ、梓は『水族館に行ってました』と答えた。

 そして、『ナカジマ先輩と村主先輩を見かけましたよ』とも言っていた。直後に口を滑らせたことに気づいたらしく、口を塞いでいたが。

 スズキはもちろん、ツチヤもそれは初耳だった。その休日は、それぞれが自由に休むということで予定を把握していなかったのだから。

 そして梓の反応を見るに、2人の間に言わない方が吉と言えるほどの何かがあったのかも窺えた。

 

「こんな時に訊くのもなんだけど、2人ってどういう関係なの?」

 

 ナカジマが村主にどんな想いを抱いているのかは知っている。

 だが、その反対は分からない。元々雨が好き、整備ができるなどの共通点があって、お似合いではあると思ってはいた。だが、実際のところどうなのだろうか。

 村主が大洗にいる時間も残り少ない。こうして時間がある時にそれは訊きたかった。

 

「・・・・・・今はまだ、友達同士だ」

「今は?」

「まだ?」

 

 スズキとツチヤが2人して訊き返す。あまりにも含みがありすぎる答え方だ。

 

「率直に訊くけど、村主はナカジマのことどう思ってるの?」

 

 ツチヤが訊く。ナカジマの時よりオブラートに包まれているが。

 村主は、周りに人がいないことを確認する。グラウンドからバレーの練習に励むアヒルチームの掛け声が聞こえるが、人の声はそれだけだ。

 村主は、1つ息を吐いてから。

 

「・・・・・・ナカジマのことは、好きだと思ってる」

 

 初めて、その気持ちを言葉にした。

 それを聞いてスズキとツチヤは『はー・・・』と息を洩らす。しかしながら、顔は嬉しそうに。

 そしてこの瞬間、スズキとツチヤは、ナカジマと村主が両想いであることを知った。

 

「そっかぁ・・・ナカジマをね・・・」

「何だよ、悪いか」

「いーや、全然?」

 

 全てを知っているスズキとツチヤは、可笑しくて笑いを堪える。村主もまさか、そのナカジマから想われているとは思ってもいないようで、愁いを帯びているような感じが逆に面白い。

 

「じゃあ、もしかしてこの前のお出かけも?」

「ああ・・・・・・まあ、デートのつもりだった」

 

 結果としては残念だったが、それでもあの日は一緒に出掛けられてよかったと思う。一緒に出掛けようと誘ったのも、デートみたいだと言う自覚はあった。

 

「それなら後は、告白するだけ?」

 

 スズキが興味津々に訊いてくるが、村主は首を横に振る。

 

「・・・今はそんな場合じゃないよ」

「え?」

 

 一転して暗くなった表情の村主に、ツチヤは『どうして?』と問う。

 しかしスズキは、何故村主が告白できないのか、その理由に心当たりがあった。

 

「・・・今は、ナカジマだけじゃなくて、大洗のみんなが大変なことになってる。学校が無くなってショックを受けてる時に告白するのなんて、弱みに付け込んでるみたいな感じがして嫌なんだよ」

 

 港から学園艦を見送っていた時、ナカジマが泣いていたことを忘れてはいない。

 村主がナカジマのことを好きでいることに変わりはないし、告白もできればしたいと思っている。だが、そう思うたびに、あのナカジマの涙が頭をよぎり、罪悪感が迫ってくる。

 とても告白する気になんてなれない。

 

「・・・真面目だね」

「真面目で結構」

「でも、告白できなかったらどうするの?」

「それでも別にいいさ」

 

 あっさりとした村主の答えに、2人は驚く。

 

「さっき言ったみたいに弱みに付け込んで告白して、OKしてもらえたとしても、俺は手放しに喜べない。そんなことになるのなら、告白なんてしない方がいい」

「・・・・・・・・・」

「それに、ナカジマが俺のことをどう思ってるのかは知らないけど、『そういう狡いやつ』って思われたくもない。ならいっそ、このままお別れの方が・・・」

 

 当たり前だが、村主はナカジマの正直な気持ちが分からない。そのデートの日でも『それらしい』ナカジマの言葉を何度か聞いたが、それだけで全面的に信じられるほどでも盲目的ではない。

 ナカジマの気持ちが分からない今、迂闊なことが言えなくて、村主は及び腰になっている。

 そんな村主を見かねて。

 

「あのさ、村主」

「?」

 

 スズキが話しかける。

 スズキ自身、自分がやろうとしていることは過ぎたお節介なのかもと思っている。

 しかし、お互いの気持ちを知って、そして目の前で苦悩している友達を見ている今、黙っていることができなかった。

 

「これって・・・私が言っちゃダメなことなんだろうと思うけどさ」

「え?」

 

 スズキが何を言おうとしているのか、ツチヤも気付いた。

 そして、スズキは口を開いて。

 

「ナカジマは村主のこと―――」

「レオポンチーム!」

 

 言いかけたところで、校舎から桃がやってきた。思わずスズキは言葉を切り、代わりにツチヤが応対する。

 

「何ですか?」

「物資が足りなくなってきたから、町のお店で貰ってきてほしい。お店の連絡先と場所はこのメモに書いてある」

「了解でーす」

 

 ツチヤが受け取ると、桃は忙しいのかまた校舎に戻っていった。ツチヤは、メモを見て『ふむふむ』と呟いてからスズキに話しかける。

 

「スズキ、手伝って。ちょっと一人じゃ厳しい量だから」

「・・・分かった」

 

 村主も行こうとしたが、『何かあった時のために残っておいて』とのことでツチヤに止められた。村主は言われたとおりにして、整備を再開する。

 

 

 学園艦から持ってきていたソアラで町に向かう合間に、ハンドルを握るツチヤが話しかける。

 

「・・・止めた方がいいよ、スズキ」

「?」

「ナカジマの気持ち、村主に教えるの」

 

 ツチヤに言われて、スズキは俯く。

 

「・・・村主もナカジマも両想いなのに、あんなに悩んでるのを見ると、放っておけなくて」

 

 お互いの気持ちは同じで、想いを伝えあえば2人は喜ぶだろう。

 なのに、今の状況がその想いを伝えることを妨げていて、素直に気持ちを伝えられない。このジレンマがもどかしかった。

 

「村主の言っていることも、スズキの気持ちも分かるよ。けど、今の村主にナカジマの気持ちを伝えたら、多分今以上に悩むだろうね」

「・・・・・・・・・」

「それに、誰かを好きだって気持ちは本人が言ってこそ一番響くし、それを他人が教えるのはダメなんじゃないかなぁ、って私は思う」

 

 ツチヤの言葉に、反論できない。

 ナカジマの気持ちを知っても、村主は諸手を挙げて告白するとは、今の村主を見ていると考えられない。聞いても、この状況で想いを告げてもいいのかと悩み、苦しむだろう。

 そして、これは大洗の全員に言える話だが、一緒に戦ってきた仲間、同じ学校の仲間ともうすぐ離れ離れになってしまうかもしれないのだ。それを考えれば、やはり辛いところはある。そんな中で告白するのは、空気が読めていない。

 今は、想いを伝えるのには最悪なタイミングだったのだ。

 

「どうしてこんなに、見てる側が辛いんだろうね・・・」

「全部廃校になったのが悪い」

 

 スズキもツチヤも、まだ初恋さえまだだった。だから恋をするとどうなるのかは分からないが、今が辛いのだけは分かる。

 そして、ツチヤの言う通り、大洗が大人たちの勝手な都合で廃校になったせいで、事態は複雑になったのだ。スズキも大きく首を縦に振る。

 恋愛とは、こんなにももどかしくて繊細なんだと、流れる景色を見ながら思う。

 

 

 その日の夜、レオポンチームの作業は少しだけ早い時間に終わった。

 だが、それはスズキとツチヤ、ホシノだけで、ナカジマと村主はまだ残っている。しかも村主は、直前でナカジマから『少し残ってほしい』と言われたのだ。

 村主としては、残ることは別に問題ない。自分が寝ている場所がポルシェティーガーだからだ。

 ちなみに村主は、戦車の中で寝泊まりしているからといって、中が汚くなるような真似は断じてしていない。

 

「・・・どうかしたのか?」

「いや、ちょっと村主に提案があってさ」

 

 提案、と聞いて村主は首を傾げる。

 ナカジマはポルシェティーガーに手を置いて、こう言った。

 

「レオポンに乗ってみない?」

「え?」

 

 その『乗ってみない?』の意味は、単に中に入るというわけではなく、操縦してみないか、という意味なのは分かった。

 だが、すぐには賛成できない。

 

「どうして急に?」

「理由は後で話すよ。だから乗ってみて」

 

 いつになく強引な感じがするナカジマに促され、村主は仕方なくポルシェティーガーに乗って操縦席に座る。

 ヘッツァーの操縦を頼まれた時は渋ったが、別にこれから試合をするわけでもない。それに、ナカジマがいやに真剣な表情だったのを見て、恐らく何か意味があることだと瞬時に悟った。これが普通の状況だったら、また村主は断っていたかもしれない。

 さて、ヘッツァーと違い、ポルシェティーガーの操縦席はそれよりも少しだけ広い。操縦桿も普通のレバータイプだ。だが、足回りが繊細なのを耳にたこができるほど聞いてきたので、迂闊に動かすことはできない。

 

「じゃあ後ろから失礼するね」

 

 ナカジマが後ろの砲手席に座り、指導を始める。

 何の意図があって村主を乗せたのかは分からないが、今は指導に集中するべきだ。今でこそポルシェティーガーの操縦手として頑張っているツチヤも、最初のころはエンジンを過負荷で炎上させてしまうことが多かったので、そんなことにならないように気を付けなければ。

 

「レオポンはナイーブだからね。慎重にいかないと」

 

 ヘッツァーの時よりも長い時間をかけて操縦の仕方を教わり、やがてそろそろとポルシェティーガーを前進させる。

 

「いい感じだね。しばらくはこのスピードを維持させようか」

 

 速度は果てしなく遅いが、とりあえずはこの速度で安定させることになる。

 そして操縦していると、分かることがある。

 

「・・・このモーターの振動とか音って、何かイイな」

「でしょー?それがレオポンの魅力だね」

 

 ポルシェティーガー特有のモーター。そこから発している低い音と振動が、妙に癖になる。普通の人からすれば聞いていて心地よいものではないだろうが、戦車が好きな村主にはこれも絶妙なスパイスだ。

 

「・・・・・・なんかヘッツァーもそうだけど、自分が整備した戦車がちゃんと動くのって安心する」

「そうだね。達成感、みたいな感じかな?」

 

 それは、戦車を整備して、そして操縦することで初めてわかる気持ちだった。自分たちが手塩に掛けた戦車がちゃんと動くことは、最も安心することであり、何より自分たちにとっての小さな誇りだ。こうして余裕ある時に戦車を操縦して、改めて理解することができた。

 そして、感慨深い気持ちになったところで、村主は前を向きながら、改めて訊ねる。

 

「なんで・・・急に俺を戦車に乗せようとしたんだ?」

 

 その質問にナカジマは少しだけ迷うが、やがて口を開く。

 

「・・・もう一度訊くけど、村主はどうして、大洗に来たの?」

 

 質問に質問を返される形になって戸惑うが、その答えと理由は考えるまでもない。

 

「戦車の整備実習のためだよ」

「その実習を受けるのはなんで?」

「整備士になるためだ」

「じゃあ、どうして整備士になろうと思ってるの?」

 

 ナカジマは、ずっと質問をしてくるだけで、何故ポルシェティーガーに乗せたのかを言ってこない。どういうつもりなんだと頭の隅で不安になるが、村主は答えた。

 

「戦車が好きだから」

 

 そして、その答えを告げた直後、ナカジマは笑った。

 

「だからだよ。それがレオポンに乗せた理由」

「え?」

 

 村主は思わずポルシェティーガーを止めて、ナカジマの話に集中する。

 

「最近村主、ずっと思い詰めてるような感じがしてさ。ちょっと前までは整備も張り切ってたし、楽しそうにしてた。けど・・・今は少し暗い感じがする」

 

 自分の顔に触れる。確かに村主も、ここ最近は色々大変なことがあって張り詰めているような気はしたが、こうして他人に指摘を受けるほど目立っていたのか。

 

「・・・多分、村主もショックを受けてるからかもって思ったんだ。大洗が廃校になって」

 

 それはその通りだが、それに加えてナカジマに対する気持ちを今後どうすればいいのか、という悩みも村主は抱えている。そんなことは本人には言えやしないが。

 

「それで、忘れかけてるんじゃないかって思ったんだよ。村主は、戦車が好きだってこと」

 

 言われて、思い出す。

 まだ廃校が決まる前は、整備がどれだけきつくても、自分の夢を叶えるため、そして戦車が好きだからと、自分を奮い立たせてきた。整備を楽しんでいるところもあった。

 だが、大洗の廃校が決まってから今に至るまで、そのことが頭から抜け落ちていた。大洗が理不尽に廃校になったことに対する困惑や怒り、そして今できることを必死にやる“しかない”、という思考のしがらみに囚われていたのだ。

 

「・・・村主の実習はあと少しで終わっちゃう。それまでに、私たち大洗がどうなるのかは分からない」

 

 振り返る村主の顔を、ナカジマは真っすぐに見る。

 

「だけど『戦車が好き』って気持ちは、どうなっても忘れないでほしい」

「・・・・・・・・・」

「もし、村主がその気持ちを忘れちゃったとしたら、それが一番私にとって悲しいことだよ」

 

 大洗の存続ももちろんだが、何よりも村主のことが気がかりだと、そう言ってくれた。

 それを聞いて、本当に自分のことを考えてくれるナカジマを見て。

 

「・・・ああ、そうだったな」

 

 自分の根底にある気持ちを、忘れかけていた。

 その『戦車が好き』という気持ちに気付かせるために、ナカジマは村主をポルシェティーガーに乗せたのだ。自分が整備した戦車が動くことの達成感を抱かせ、整備士としてのやりがい、村主が戦車が好きだということを改めて気付かせたのだ。

 

「・・・ありがとうな、ナカジマ」

 

 心からの感謝の言葉を、ナカジマにかける。

 

(・・・・・・言いたいよ)

 

 そんな村主を見て、ナカジマの心が締め付けられる。

 自分が村主のことをどう想っているか、今も口にしたい衝動に駆られている。

 だが、それはできなかった。

 今はナカジマたち大洗の全員が大変な時期にいる。廃校という理不尽な結末になり、ナカジマだって涙を流さずにはいられなかった。

 その時、隣にいた村主はナカジマの手を握ってくれた。その時の温かさは今も覚えている。

 その涙を見られたから、今が大変な時だから、告白することができなかった。

 

 ―――俺、ナカジマのことが―――

 

 あの時、水族館で村主が言おうとした言葉は、もう想像がついている。

 そして、たとえ自分と村主の抱く気持ちが同じだったとしても、今は伝えられない。

 廃校になった今、自分の想いを全て伝えてしまうと、村主の同情を誘うような形になってしまう気がしてならないから。実際、村主には励ますようなことを言ったが、ナカジマはまだ気持ちが落ち着いてはいないのだ。

 贅沢かもしれないが、この気持ちはお互いに何の不安もない状態で伝えたい。それができないのであれば、想いを告げることは無理だ。しかし、後ろめたさを感じながら付き合うよりもマシだ。

 廃校という問題は、村主とナカジマ2人の想いを遮るほどの重大な障害となっていた。

 

 

 事態が動いたのは、研修施設での待機4日目、村主の実習が終わる3日前だ。

 その日の午前中に、スズキとツチヤは実家に戻って転校手続きの書類にサインをもらい、昼過ぎに帰ってきた。それから、改良を加えるためにポルシェティーガーのモーターを取り出し、細部まで点検をしていたのだが、夕方になって変化は起きた。

 ぴんぽんぱんぽーん、と軽やかな音がスピーカーから聞こえたと思うと。

 

『非常呼集、非常呼集!会長が帰還しました!戦車道受講者は、直ちに講堂へ集合!』

『うわああああぁぁん!!うぇえぇぇぇえぇぇん!!うぇぁぁぁぁぁああぁ!!』

 

 招集を呼び掛けている声は、柚子のものと判別できる。

 だが、その後ろで聞こえるのは何だ?

 

「・・・何か変な音混じってるな」

「ノイズ?」

「泣き声?」

「雄たけび?」

 

 作業を止めてスピーカーの方を見上げる。今もなお非常呼集と謎の泣き声の不協和音は続いており、早いところ止めないと近所迷惑になりかねない。

 

「とにかく、皆行ってこい。あとは俺がやっとく」

「悪いね」

「助かる」

 

 クリップボードをホシノから受け取ってチェックを引き継ぐと、ナカジマたちも駆け足で講堂へと向かう。

 やがて、外出していたアヒルチーム、アリクイチーム、カバチーム、ウサギチームの戦車が続々と駐車場に戻ってきて、それぞれ素早く降りて講堂へと走って向かう。それを尻目に見ながら村主はモーターのチェックを続ける。

 ほどなくして、今度は誰かがすすり泣く声が聞こえてきた。

 

「・・・?」

 

 ちらっと見ると、今度は麻子に手を引かれているカモチームの3人が見えた。泣き声はカモチーム3人のもので、ゆっくり歩きながらも講堂へ向かっている。

 

(・・・何なんだ一体)

 

 先ほどの泣き声交じりの非常呼集と言い、あのカモチームと言い、今日はおかしい日だ。

 とはいえ、ああしてカモチームが泣いているということは、荒んでいたそど子達にも心境の変化があったのだろう。それが正しい方向への変化であることを願う。

 そして非常呼集とは、何だろうか?転校先が決まったのなら、戦車道履修生だけ集めるのも少しおかしい。それ以外だとすれば、一体どんなものがあるか。

 そんなことを考えつつ、モーターの状態チェックを進めていると。

 

『よっしゃああああああ!!!』

 

 講堂から歓びの声が聞こえてきた。建物自体古びた校舎なので、壁が薄く、大きな声は聞こえてくるのだ。

 思わず村主がクリップボードを落としてしまいそうになるが、何があったと尚更気になってくる。廃校が撤回になったという話なら嬉しいことこの上ないが、その可能性を無邪気に信じられるほどにはなれない。

 何があったのか確かめに行きたい衝動を押さえつつ、モーターのチェックを続ける。

 やがて、最初の非常呼集から30分ほど経つと、ホシノとスズキ、ツチヤが戻ってきた。嬉しそうに。

 

「何だったんだ?」

「いい?村主、よく聞いてほしい。大洗の廃校が撤回されるチャンスが来た」

 

 気がかりなことを訊ねると、有無を言わさずホシノがあっさりとそう告げた。

 

「・・・は?」

 

 あまりにも唐突で、ちらっと願っていたことに近い答えが返ってきて、思わずバカみたいな声が洩れた。

 改めて、3人の口から先ほどの講堂で何が起きたのかを教えてもらった。

 集まるや否や、杏は『試合が決まった』と告げたのだ。

 杏は留守にしている間に文部科学省、日本戦車道連盟本部へと赴き、日本戦車道連盟理事長、そして高校戦車道連盟の理事長に懇願し、今回の試合を取り付けることに成功したのだ。

 その相手は大学強化チームで、この試合に勝てば、大洗の廃校は今度こそ完全に撤回されることになったと言う。

 全国大会前の口約束ではない。これは正式な契約であり、文部科学省大臣、日本戦車道連盟、大学戦車道連盟、高校戦車道連盟の理事長のサインも入った念書もある。

 今度こそ、本物だ。

 

「・・・じゃあ」

「そう。この試合に勝てば、私たちの学園艦は帰ってくる」

「大洗も、もう廃校にならないんだ」

 

 嬉しそうにスズキが要点をまとめる。ツチヤも頷く。

 ようやく事態を飲み込むことができて、実感が湧いてきて、高揚感が心を満たしていく。

 

「すごいじゃないか!それ!」

「うん!だから、早く準備しないと!」

 

 ツチヤが笑って肩を叩く。

 試合が行われるのは北海道の大演習場。そこまではフェリーで向かうが、この数時間後に大洗を発つという急な話だ。なので、取り出していたモーターを急いでポルシェティーガーに戻し、ありったけの工具と代替用のパーツをまとめて出発の準備を整える。他のチームも必要な持ち物をまとめて出発の準備を急ピッチで進めていた。

 この場にいないのはカメチームの生徒会3人と、各チームのリーダーだ。彼女たちで、今回戦う大学強化チームのことを調べている。だからまだ、この場にナカジマはいなかった。

 そして、村主たちが出発の準備を終えたところで、話し合いも終わったらしく、準備を終えた人から順に車輌に乗り込んで出発する。

 だが、ポルシェティーガーに乗ったナカジマは、神妙な顔をしていた。学園艦が戻ってくるということを喜んでいるようには見えない。

 

「・・・どうかしたのか」

「その、戦う相手チームがさ・・・」

 

 村主が問うと、港までの道すがら、ナカジマが今回戦う大学強化チームのことをざっくりと説明した。

 相手は先日、関西地区2位の強豪社会人チーム相手に勝利し、所有車輌数は30輌と大洗の3倍以上。さらに全体的に性能の良い戦車を揃え、隊長車は強力なA41センチュリオン。

 しかもその隊長は、戦車道二大流派の一角である島田流の後継者・島田愛里寿ときた。彼女は弱冠13歳にして大学に飛び級した天才少女。彼女が隊長に就いてから、大学強化チームは無敗を誇り、その下にいる副官3人の実力も侮れない。

 総じて、大学強化チームはとにかく強いチームだと聞いて、不安な気持ちが頭をもたげる。

 

「・・・それ、大丈夫なのか?」

「それでも何とかするしかないよ」

 

 この機を逃せば、もう大洗が復活することは無いだろう。ならば、たとえ蜘蛛の糸のような望みであっても、それに縋らなければならない。

 

「それに、会長だってこの試合を取り付けるのにもすごい苦労したんだ。それを無駄にするわけにもいかないから」

 

 先ほどの打ち合わせで、みほもそう言っていた。

 そして、『戦車に通れない道は無い。戦車は火砕流の中も進む』という言葉。たとえ勝機が薄い試合であっても、必ず勝ち目はどこかにある。勝つための道のりは果てしなく困難だが、勝てる手を考えるのだ。

 ナカジマたちは笑い、村主も表情が引き締まる。

 そして、学園艦を降りた日以来となる大洗港へと到着した。

 

 

 フェリーでの移動中、レオポンチームと村主は車庫で戦車の整備を行っていた。本来、航行中は車庫に入ることができないが、頼み倒してどうにか入れて貰えた。

 フェリーは学園艦とは違い、船体が小さいので海の揺れも強く伝わってくる。だから、フェリーも揺れるし、そんな中で精密作業をするのは難しいため大した作業ができず、せいぜいが要所のチェックと調整ぐらいだ。

 村主たちは基本的に車庫にいたので、他のチームが何をしていたのかは把握していない。だが、後で杏やみほから聞いたところ、試合で使えるような欺瞞作戦用のパネルや、作戦会議用に戦車の映画を観たり、試合会場をネットで調べたりしていたらしい。

 なお、船外デッキでパネルを作っていたらカモチームに注意された、とカバチームのエルヴィンが言っていた。それを聞いて、そど子達も元の風紀委員としての職務と誇りを取り戻し、立ち直れたのだと思うと、安心した。

 時間にして1日半ほどの移動も、やることが多いとあっという間に感じてしまい、無事に苫小牧港に到着する。

 そして試合が行われる大演習場近くの宿舎まで移動し、到着したのは17時過ぎだ。試合が始まるのは明日の10時だから、もう半日と少ししかない。

 息つく暇もなく、村主とスズキ、ホシノ、ツチヤは、船上でできなかった戦車の本格的な調整に入り、ナカジマは残りのチームと一緒に試合の作戦を考える。

 ところが。

 

「殲滅戦?」

「うん・・・・・・さっき、文科省の役人が来て、そう言った」

 

 沈んだ表情のナカジマの言葉に、村主は何も言えない。ここまで露骨に大洗を追い詰めると、怒りを通り越して呆れる。

 殲滅戦は、相手チームの車輌を全て撃破すれば勝利する試合形式。だが、そのやり方で30輌に対して8輌で挑むなど、自殺行為もいいところだ。数に加えて相手チームは経験と知識も上、元々薄かった勝機がも一層薄くなった気がする。

 

「・・・・・・どうするんだ」

「どうするもこうするもないよ。やるべきことをやるしかない」

 

 ナカジマは、格納庫に停められている8輌の戦車を見渡す。

 試合の成否を握っているのは、戦車の整備をするナカジマたちと言ってもいい。自分たちが気弱になっている暇などないはずなのだ。

 

「・・・けど、今回はまた一段とキツそうだ」

 

 ホシノのこぼした言葉は、誰もが思っていることだ。

 これまでの試合もそうだったが、大洗は最初は常に劣勢を強いられていた。今回の試合はそれ以上にハードになるのは想像に難くない。

 だが、それでも後戻りはできないし、この機を逃せば次はもうない。

 

「だから、聞いてほしい」

 

 そこでナカジマが切り出して、4人はそちらを見る。

 

「レオポンのモーターを改造する計画を、今日やろう」

 

 村主も前に聞いた、ポルシェティーガー特有のモーターを利用し、グレードアップを図る計画。それを今ここで実行するのだ。

 だが、それには誰も反論しない。どころか、全員が『そう来なくちゃ』と不敵に笑っていた。それは選択の余地が無いからではない。燃えるからだ。

 それにはまず、ポルシェティーガー以外の戦車を整備して万全な状態にする。それだけで日没は軽く超えてしまった。

 そしてそれが終わると、残りの時間を全てポルシェティーガーに掛ける。

 

「さあ、始めるよ!」

『おー!』

 

 まず手始めに、ポルシェティーガーの電装系を全て分解し、モーターを取り出す。

 村主はナカジマ、スズキと共に改造設計図を開きつつ、モーターを分解していく。ホシノとツチヤは、戦車道のルールブックでレギュレーションを確認し、モーターはともかくとして他はどこまで改造できるのかを調べる。

 モーターの分解を終えると、銅線を一から巻き直し、操縦席でモーターを操作するパネルとそのモーターを繋ぐ機構を設計図を基に構築し、モーターとエンジンを接続する。

 言葉で書くのは簡単だが、実際これらを全てこなすのには繊細な技術、多大な時間と労力を要する。特にモーターの銅線を巻き直すのは根気が要るし、新しい操作パネルを作るのも簡単ではない。狭い戦車の中でケーブルを繋ぐのだって難しい。全体的にこの作業は、神経を酷使するものだった。

 

(・・・全然、まだまだだったな)

 

 文句の1つも言わず、コツコツと作業を進めるナカジマたちを見て、村主は感心する。

 こんな神経を使う作業を何時間も続けられることが、村主にとっては尊敬と羨望に値するレベルだ。

 おまけに、電装系を一新するのだって普通は1日以上はかかるはずなのに、それを数時間で終わらせようとしている。

 まだ村主は、彼女たちのポテンシャルを全部見てはいなかったのだ。

 感心しながらも作業は続き、気付けば日付を跨いでいて、試合をする当日になっている。時間は『まだ9時間ある』か、『もう9時間しか残っていない』かは疑わしいが、時間がないことは確かだ。

 

「・・・・・・まだみんな起きてるみたいだな」

 

 大洗に貸し与えられた宿舎の方を見ると、どこもまだ明かりが点いている。それぞれのチームが、試合に向けての作戦会議などの準備をしているのだろう。

 

「私たちも、まだまだこれからだけどね」

 

 ナカジマの言う通りだ。

 この後は、取り出したモーターを戻して、エンジン、操縦席へと接続・配線する。まだまだ寝る時間は遠い。

 

 

 会話らしい会話もなく、夜を徹してモーターの改造は続き、新しいパネルの設置が完了した時には、空は白み始めていた。

 

「・・・・・・・・・よし・・・できた」

 

 静かに、ナカジマが告げる。操縦席でツチヤが軽く操作をし、モーターとエンジンに問題がないのを確認する。全ての改造が、終わったのだ。

 そこでナカジマたちは声を上げたりはせず、大きく息を吐いて安堵を示す。他のチームはとっくに眠りに就き、これから始まる試合に向けて休息をとっている。

 ポルシェティーガーは、まだエンジン回りや履帯などの最終チェックが残っていたが、それは村主1人でもできる作業だ。

 

「後は俺がやっとく。だから4人は休んだ方がいい」

 

 ナカジマたちは、徹夜作業で油汚れが目立つし、フラフラだった。試合が始まるまでまだ5時間あるので、少しでも仮眠を取ったりシャワーを浴びたりして疲れを取った方がいいだろう。

 ホシノたちはその村主の厚意に甘えてすぐに宿舎へ向かうが、ナカジマだけは残っていた。

 

「・・・不安か?」

「まあ・・・そりゃね」

 

 2人きりになったところで、村主が問う。ナカジマは苦笑した。

 そうなるのも仕方がない。相手はプロにも匹敵する実力で、数的には大洗が圧倒的に不利。それをどうにかしようとポルシェティーガーを改造したわけだが、これもどこまで通用するかは分からない。

 そもそも勝てるかどうかさえ疑わしい今回の試合に、不安になるのは当然と言える。

 そのナカジマを、安心させるつもりで村主は笑いかける。

 

「ナカジマ、覚えてるか?俺に言ったこと」

「?」

「『勝ちたい』って気持ちと『周りを信じる』って気持ちを持てば、強くなれるって」

 

 ナカジマは、その言葉に気付かされたようだ。

 もう間もなくすれば、陽が昇る。北海道の広大な草原を横目に、改めて村主は訊く。

 

「今、ナカジマはどんな気持ちでいる?」

 

 問われて、ナカジマは小さく息を吐いた。

 

「・・・その通りだね。私もちょっと、それを忘れてた」

 

 どうやら、どちらか片方だけの気持ちしか持ち合わせていなかったようだ。自分の言葉を返されて気付くとは。

 気持ちは落ち着いてきたようで、ナカジマは笑う。

 

「それじゃ・・・村主。よろしくね」

「ああ、任せとけ」

 

 ナカジマがそこで、拳を向けてきた。村主も笑って、自分の拳をこつんとくっつける。

拳を離すと、ナカジマは軽く手を振りながら宿舎へと向かっていった。

 

「さて」

 

 それを見送ると、村主は首を回して戦車の下に入る。

 村主は、戦車に乗って戦うことはできない。だが、こうして戦車の整備をして、応援して、力になることはできる。

 村主もこれからの試合が不安で仕方ないが、それでもやるべきことをやるだけだ。

 

「・・・頼んだぞ、レオポン」

 

 エンジンルームを見上げながら、物言わぬポルシェティーガー―――レオポンに言葉をかける。

 太陽は、地平線から顔を出し始めていた。




次回で劇場版パートは終了です。
もう少しでこの作品も完結しますので、よろしくお願いいたします。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。

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