金曜日、整備が終わった後のファミレスで。
「この前は本当に、心配をかけた。ごめん」
席に着いたところで、村主がその場に座る全員に向けて頭を下げた。
徹夜で整備をしていた時に起きた脱水症状と、それに伴う気絶。その場に居合わせていたレオポンチームには、大きな心配と迷惑をかけてしまった。それを今、村主は改めて詫びている。
同じテーブルに座るナカジマたちは、村主を糾弾することもなく、厳しい表情でもなく、ただ安心したように笑っている。
「最初はヒヤッとしたけど、こうして元気になって安心したよ」
「ああ、大事にならなくてよかった」
スズキとホシノが笑ってくれる。ツチヤも頷いてくれた。
そして、村主の隣に座るナカジマも、本当に安心したように笑ってくれている。
「今日は俺が奢るから、みんな好きなもの食べていいからな」
『やった~!』
宣言すると、ホシノたちは無邪気に喜んだ。もともと彼女たちは、肉体労働が多くてお腹を空かせることが多いので、まさに渡りに船というべきか。
注文すると、早速ツチヤはドリンクバーへと軽やかな足取りで向かう。ホシノとスズキも嬉々とした様子でグラスを取りに行った。
しかし、ナカジマはすぐには立ち上がらずに話しかける。
「・・・ホントにいいの?みんな奢りだなんて」
「ホシノたちに心配と迷惑をかけたのは事実だしな。これぐらい、安いもんだ」
村主は笑って首を横に振る。出費が想定以上になっても、明日から節制すればいいだけだ。
それと、村主はもちろん、ナカジマのことも忘れてはいない。
「特に、ナカジマには心配かけたし・・・。だから、行ってきていいぞ」
そう促すと、ナカジマもにっと笑って立ち上がる。
「村主のも持ってくるよ。何がいい?」
「じゃあ・・・オレンジのソーダ」
「了解~」
ドリンクバーへと向かうナカジマ。その後ろ姿を見ながら、村主は小さく息を吐く。
村主は当然、あの時ナカジマに大きな心配をかけてしまったことを覚えている。涙を流させてしまったことも村主の不手際によるものだから、忘れてはならないことだ。女の子を泣かせてしまうなど、汚点と言っていい。
そしてあの時、村主の中には1つの大きな気持ちが宿った。その気持ちを抱いた時から、村主は心に誓ったのだ。もう二度と、ナカジマを泣かせるような真似をしないと。
だからこの前のようなことは、ナカジマのためにも、そして村主自身のためにも起こしてはならない。
「いよいよ明日だね。レース」
「ああ」
気づけばスズキとホシノがグラスを持って戻ってきていた。その中身は、ツチヤと違って見る限り普通のドリンクらしい。
それより村主が気になったのは、『レース』という言葉だ。
「レースって、どこで誰と?」
「もちろんこの学園艦で。学園長とね」
「学園長・・・あー、そういえばレース好きなんだっけ」
以前ナカジマから、学園長がレース好きという話を聞いたことがあった。今レオポンチームが使っているブルドーザーも、学園長とのレースの戦利品のようだとも聞いている。
「レースって、どれぐらいの頻度でやってるんだ?」
「んー、2か月に1回ぐらいかな」
スズキの答えに、村主は『意外と多いかな』という印象を抱く。
それは恐らく、レオポンチームとその学園長がそれだけレースが好きだからだろう。
「何、明日の話?」
そこへツチヤが、またしても複数混ぜたらしき形容しがたい色のドリンクを持って戻ってきた。スズキとホシノは、その中身を一瞬だけ見たがすぐに目を逸らす。
「何時からやるんだ?」
「朝の7時。何せ学園艦の道路だし、車の量が少ない時間帯じゃないといけないからね」
答えてからツチヤは、自作のミックスドリンクを飲む。が、すぐに『んぇ』と舌を出して渋い顔をした。どうやら味の配分が間違っていたらしい。
「飲んでみる?」
「やだよ、そんな美味しくなさそうな顔で」
ツチヤが差し出してくるが、先ほどの反応を見た後では飲みたくない。
そこへナカジマが戻ってきて、村主の前にオレンジスカッシュを置いてくれた。村主は手を挙げて『ありがとう』と伝える。
「誰が明日走るんだ?」
「明日は私だよ」
誰が走るのかは予め決めていたようで、即座にナカジマが名乗り出た。レースをする人はいつも同じではなく、基本はローテーション、あるいはコースや天気などで決めているらしい。
「まあそれよりも前の時間から、クルマの整備は始めないとだけど」
ホシノがふぅ、と息を吐く。
戦車道の試合もそうだが、試合前に徹底的に整備をして万全の状態にして、改めて試合に臨めるようにしている。マシンの状態で試合が大きく左右されるのは、クルマも同じだ。
そこまで聞いて村主は、『あのさ・・・』と話しかけて。
「俺もそのレース、観てもいいか?」
「もちろん。別に秘密にしてるわけでもないし」
「できれば整備も手伝ってくれると嬉しいかな」
「ああ、ぜひとも」
彼女たちの言う『レース』がどれほどのものかは分からないが、興味ができた。それに、ただ観るだけでなく整備も手伝いたい。スズキの頼みも願ったり叶ったりだ。
また、村主は学園長に挨拶もしておきたかった。事前面談で挨拶はしていたが、それでもコンタクトが取れる機会があるのなら、積極的に会っておきたい。
(・・・よし、頑張らないと)
その傍ら、ナカジマは明日村主が来てくれると聞いて、声には出さずに喜んだ。初めからベストを尽くすつもりでいたが、村主が来てくれるのであればより一層頑張れる。モチベーションも上がってくるものだ。
自然とナカジマは、拳を握る。
それからは村主の奢りで夕食会が始まったが、代金は村主の予想よりも少し低かった。学生の財布事情を知っているからなのか、皆手加減をしてくれたらしい。
ちなみに、一番多く料理を頼んだのはホシノだった。
翌日は、日が昇る前からガレージに集合し、以前レストアを終えた白い車―――ソアラの整備を始める。自動車部からすれば、これから始まるレースはこのソアラの初陣となる。だからと言うわけではないが、それでも念入りに整備を行う。その緊張感も、普段よりも強い。
自動車の構造は村主も学校の実習で知っていたので、今回は大いに協力することができた。
そして、着々とメンテナンスを続けて、日の出の時刻を迎えた。
空が白み始めるも暗い雲が所々に広がっていて、その色合いは一雨降りそうな感じを醸し出している。しかし、それはあまり気にせずに整備を続ける。
やがて日の出から少し経ち、ガレージの外から自動車のエンジン音が聞こえてきた。それに釣られて村主たちが振り返ると、1台の赤い車がガレージの前に停まっていた。流線型のフォルムで車高が低い、赤い自動車だ。
「フェラーリか・・・」
「学園長だね」
車のエンブレムを見て、タイプは分からなくてもどこの車か村主には分かった。
ドアを開けて降りてきたのは、白髪と少し皺のある顔が年齢を感じさせる女性。彼女こそ、ナカジマの言った通り大洗女子学園の学園長だ。村主も顔合わせはしたことがあるので、言わなくても分かってはいたが。
「おはよう、自動車部の皆さん」
『おはようございまーす』
学園長のあいさつに、ナカジマたちは間延びした感じで答える。既にレースを何度もやっている間柄だからか、両者の間の空気は実に和やかだ。教師と生徒という隔たりもなさそうに見える。
しかし、村主は別だった。
「お久しぶりです、学園長。村主です」
「あら、お久しぶり。あなたの学校の面談以来かしら?」
「多分、そうですね。覚えている限りでは・・・」
記憶している限り、村主が学園長と話をしたのはその事前面談1度きりだ。それだけでは打ち解けたとも言えないため、やはり畏まってしまう。
「どうかしら?実習の方は」
「自動車部の皆さんが丁寧に教えてくださるので、頑張れてます」
お世辞を言ったつもりはない。
しかしナカジマたちは、普段村主が砕けた口調で話すので、今のように敬語を使っているのが少し可笑しく見える。
「あなたたちから見て、村主君はどんな感じ?」
話を振られて、口を開いたのはナカジマだ。
「やっぱり専門学校である程度学んでいたからか、結構筋はいい方ですね。一通り教えたこともできているので、整備も大分助かってます」
「そう・・・流石はあの昴の教え子ね」
昴とは、村主の学校の担任の女性教師、大洗のOGのことだ。事前面談の時も、学園長と昴は結構打ち解けた様子で話していた。
「私ね、昴の担任をしてたのよ」
「あ、そうでしたか」
どうやら学園長は、元々はヒラの教員だったらしい。その時自分が受け持っていたのが、村主の担任の昴ということか。
「あの子、意外と勉強ができててねぇ。成績も結構上だったと思うわね」
「そうなんですか・・・」
昴は割とフランクな性格だと村主は思ったが、意外と頭も良かったらしい。教師も馬鹿では務まらないが。
ともかく、担任の身の上話は興味深かったが、今日のメインはあくまでもレースだ。
「今日は誰が走るのかしら?」
「私です」
ナカジマが一歩前に出ると、学園長はふむ、と顎に指をやる。
「・・・そろそろ雨が降りそうだし、あなたにとってはいいコンディションかもね」
改めて空を見ると、今にも雨が降り出しそうな暗い雲が近づいていた。
どうやらナカジマが雨が好きなのは、自動車部だけでなく学園長も知っているようだ。
「勝ったら部費アップ、お願いしますね」
「ええ、分かったわ」
ホシノが腕を組んでニヤニヤ笑う。以前は中古の重機を賭けていたようだが、最近は部費を賭けているのかと、村主は苦笑する。予算案の意味もなさないだろうに。
時刻は6時45分、レース開始時刻が差し迫っている。早速学園長が車に乗り込む。
「それじゃ、ナカジマ。頑張って」
レースに参加しないホシノたちは、カメラ付きのドローン(自動車部所有)を飛ばしてレースを観戦するつもり『だった』。
「村主」
「?」
だが、ガレージに向かおうとした村主をナカジマが呼び止めた。
振り返ると、ナカジマはソアラを指差して。
「一緒に乗ってくれる?」
『え?』
それに反応したのは村主だけでなく、レオポンチーム全員だ。フェラーリに乗り込もうとした学園長も、動きを止める。
「ちょっと待って、ナカジマ」
そして、声をかけられた村主よりも早く、ホシノが声を出す。
「レースで鍵になるのは集中力だってことは、当然分かってるよね?」
「もちろん」
「・・・なら、その集中力を欠くような要因は持ち込まないべきだってことも、分かってるはずだけど?」
ホシノが暗に、『村主は足手まといだ』と言っているのは、その場にいる誰でも分かる。
これはレースに限った話ではない。勝負の世界において、勝敗を左右するような要素はできる限り取り除いておくべきだ。そんな要素は自分から取り入れるべきではない。
村主もそれは分かるし、ナカジマだって何度もレースをしてきたから分かっている。
「ホシノの言う通りだ。でも私は、村主がいてくれればもっと頑張れる」
だが、それでもなおナカジマの意思は揺るがない。
そしてその意思を聞かされて、ホシノたちは意表を突かれたような顔になった。
村主など、自分の心が一段と跳ねたように錯覚する。
「・・・分かった。それなら」
ホシノに背中を押されて、ナカジマが運転席に、村主は助手席に乗り込む。スズキとツチヤは、『頑張ってね~』と声をかけてから、ドローンを準備しだす。
学園長もその様子を最後まで見届けてから、フェラーリに乗り込んだ。
「・・・なんで俺を乗せようと?」
コースは学園艦の外周道路1周。スタート地点はその途中にある交差点だ。
そこまで向かう間に、村主はそう訊ねる。さっきは断りはしなかったし、なすがままの感じでの同情となってしまった。それに、ナカジマの言っていたことは断片的過ぎて、村主自身でもわかっていない状態だから、聞いておきたかった。
「・・・言った通りだよ。村主がいてくれると、私も頑張れるから」
しかし、ナカジマの返した答えはさっきと同じ。ますますもって分からず、村主は首を傾げる。
「大丈夫、特別なことをしろってわけじゃないよ。ただ見てくれているだけでいいんだ」
「ふーん・・・?」
角を曲がり、スタート地点に到達する。サイドブレーキを下ろして、アイドリング状態にした。既に右隣には学園長のフェラーリが停まっている。
話題を変えるように、ナカジマが話しかけてきた。
「村主は、クルマのレースって観たことはある?」
「ないな」
生観戦はもちろん、テレビでも観たことがない。映画でカーチェイスのシーンを見たぐらいだった。そして当たり前だが、レースをする車に実際に乗ったこともない。
「すっごく楽しいよ」
「・・・そうか」
生き生きとした顔で、ナカジマが告げる。やはり、レースは好きらしい。
そこで村主は、このソアラをレストアしたすぐ後の試乗会を思い出す。あの時はレオポンチーム4人のハイスピード+ドリフトによって、精神を思いっきり削られた。
しかし、今日は正真正銘のレースなのだから、その程度では済まないだろうことは想像がつく。思わず苦笑する。
「・・・学園長って、レース強いのか?」
「んー・・・どうだろ?たまに壁とかにぶつけたりしてるし・・・」
おいおい、と村主は思う。学園長が学園艦の設備に傷をつけてどうすんだと、別の意味での不安が湧いてきた。
そこで、時刻が7時になった。目の前にある信号は未だ赤。この信号が次に青になった時が、スタートだ。
サイドブレーキを上げて、エンジンをふかし始めるナカジマ。学園長のフェラーリも、エンジンを低く唸らせる。
このレース直前に集中力を高めているような今の状況は、容赦なく村主を緊張させる。
「さあて、行くよ・・・しっかり掴まっててね」
「ああ・・・」
その時、ガラスにぽつぽつと雨が降ってきた。空模様がそんな感じだったので驚きはしないし、むしろ雨が好きなナカジマにとっては好都合だ。
そこでナカジマは、ふっと笑う。
「村主」
「?」
ナカジマの視線は、前を向いたまま、信号を捉えたままだ。
それでも、まるで村主のことを見ているかのように話しかけて。
「初めてのレース・・・しっかり楽しんでね」
その瞬間、信号が青に変わる。そして、勢いよく2台の車はスタートした。
「・・・っ!?」
走り出した直後、村主の体がシートにめり込むように後ろに押される。乗用車の急発進でも似たようなことにはなるが、それとは段違いだ。
それはさておき、肝心のスタートはナカジマの方が一歩勝っている形だ。ただ、学園長も負けてはおらず、引き離されてはいない。
そこで、急に雨の勢いが増してきた。こんな短時間で勢いが増すということはただの雨ではない。それでも空を見る限り雲がそこまで広がってはいないので、ゲリラ豪雨だろう。
「いいねー!」
雨で視界が悪いにもかかわらず、ナカジマはスピードを落とさない。どころか、むしろスピードが上がってきている。
それでも不思議と、村主の中に不安や恐怖と言った気持ちは浮かばなかった。
きっと、雨が好きだと言うナカジマがハンドルを握っているから、安心しているのだろう。
「スタートはいい感じだな」
「そうだねぇ」
「結構勢いが良い気がするよ」
ゲリラ豪雨に見舞われるが、ホシノたちはガレージの中でドローンの空撮映像を観ている。ちなみにドローンを操縦しているのはツチヤで、雨にもかかわらず腕は結構良かった。
雨で視界が悪い中、最初のカーブをドリフト気味に曲がる。横にGがかかり、加えて雨で路面が滑りやすくなっていて、村主の体がドアに押し付けられそうになるが、何とか体勢を保つ。
そこで、少しだけナカジマの横顔を見てみた。
その目に映るのは、先ほどまでの笑顔も、普段見せる穏やかささえ一かけらも感じさせないほど真剣な表情。さながら戦車を整備している時と同じようだが、今は状況のせいかそれ以上に真剣に見える。
カーブを終えて、再び直進すると体の位置も戻る。
「フー!」
思わず村主が声とは言えないような声を上げると、ナカジマは軽く笑った。
激しい雨が降りしきる中、学園艦の外周道路を突っ走る2台の車。やはり土曜日で、交通量が少ない朝方だからか1台もすれ違わないし、見かけもしない。ジョギングをしていたらしき少女が、走り去る2台を『何事!?』とばかりに振り返ってはいたが。
その2台だが、ついに結構距離が離されてきていた。ソアラがフェラーリをリードする形で。つまり、今のところはナカジマが勝っている
2つ目の角を勢いよくソアラが曲がったところで、スズキが呟く。
「・・・なんか、普段よりもスピード出てない?」
「ああ、だけど安定感もある」
ホシノも同じことを思っていたらしい。ドローンを必死に操縦して追いかけているツチヤも、同じことを思っているらしく頷いていた。
「こんな雨だから?」
ガレージの外の猛烈な勢いの雨の音を聞きつつそう言うが、ホシノとスズキはレースに集中しているのか答えなかった。
ソアラの中で村主は、目まぐるしく後ろに流れていく景色と、ガラスに打ち付ける雨粒の音、エンジンの音と振動を五感をもって体感しながら、自然と笑っていた。
これだけのスピードを出す車に乗ったことはない。前に行われた試乗会でも、ここまでのスピードは出ていなかった。だから、レースの世界を体感したのは正真正銘今日が初めてだ。
その初めてが、雨の日に、ナカジマと、というのは運がよかったと今では思う。
なぜならば、自分のすぐそばで、自分が大切に想う人が頑張っているのだから。
これが楽しくなくて、何だというのだ。
そうして3度目のドリフトを受けるが、その時はもう怖さなど抱いていなかった。
スタート地点の信号を通り過ぎると、ナカジマはブレーキをかけてゆっくりと停止した。少し遅れて学園長のフェラーリも到着する。
ナカジマの勝ちだ。
「・・・おめでとう、あなたの勝ちよ」
「ありがとうございます~」
窓を開けて学園長が話しかけると、ナカジマは普段のように柔らかい口調で返事をした。先ほどとは打って変わって、いつものように和やかな雰囲気を纏っているナカジマは、レース中が嘘のようだ。
「普段よりもスピードが出ていたし、動きも洗練されてたわね」
「そうですか?私はそんな感じはあまりしませんでしたが・・・」
学園長の評に、ナカジマは首を傾げる。レースに集中しすぎて気付かなかったが、それはホシノたちに聞けばいいだろう。
そんなやり取りの傍ら、村主はレースが終わった今も心臓がやかましく高鳴っているのを感じていた。
初めてレースを体験して、自分の知らない新しい世界が開かれたような感じがした。怖さとか、不安とか、そんな気持ちはどこにもない。あるのはただ、興奮と、達成感だ。自分が運転したわけでもないのに、こんなにも心地よくなれるとは。
「さて、それじゃあ戻ろうか」
「あ、ああ・・・」
ナカジマが再び車を走らせる。スピードは普段通りだったが、レースの後だと何だか物足りない感じがした。
「やったね!これでまた部費アップだ!」
「新しいパーツ何買おっかな~?」
ガレージの前に戻ると、ホシノたちがナカジマを温かく出迎える。ハイタッチをしたり、拳を合わせたりして健闘を讃えていた。
レースの興奮で忘れかけていたが、そういえばこのレースは自動車部の部費アップが懸かっていたのだった。
「本当に部費上げるんですか?」
「約束だからねぇ」
村主が訊くと、学園長は苦笑いだ。
「学園長、レース好きだったんですね」
「ええ。子供の頃に生でレースを観て以来、とりこになったわ」
最初はクルマのおもちゃやプラモを集めていたが、大人になって自分の車を持つことに憧れるようになったらしい。その結果、こうして速い車を買ったとのことだ。
「・・・彼女たちには感謝してるのよ」
「?」
学園長がナカジマたちを見ながら、感慨深そうに頷く。
「ああして年寄りの娯楽に付き合ってくれるんだもの」
「・・・」
「部費を上げるぐらいのお礼はしてあげなくちゃ」
果たして公道でのガチンコ(?)レースが年寄りの『娯楽』の範疇に含まれるのかは疑問だが、確かにこの学園艦でその相手が務まるのは自動車部ぐらいだと思う。
「だから、そうね・・・部費を上げるのはお駄賃ってところかしら?」
「でも勝負はするんですね」
「じゃなきゃ楽しくないじゃない」
いたずらっぽく笑う理事長。やたらと茶目っ気のあるお人だと、村主は笑う。
「私も大洗の出身だけど、この学園艦はいい場所よ」
「?」
「さっきみたいに公道で堂々とレースができるのなんて、ここぐらいよ」
サンダースは自前のレーシング場があり、黒森峰には速度無制限のアウトバーンがある。それでも、今日のように町の中を走れる場所はそうないらしい。よくクルマを題材にした映画だと街中でレースをする場面が多く、学園長はそれに憧れているらしいので、うってつけなのだ。
「それだけじゃなくて、見て回ると色々と魅力が詰まってるのが分かって。温かい場所なのよ」
レースの賜物だけではないが、長年この場所で生活しているからこそ、この学園艦の魅力を分かっている。年長者ならではの感想だろう。
村主も以前、ナカジマと一緒にこの学園艦を少し見て回って、ここがいい場所だというのは賛成だ。
「レースを観たのは初めてだったのかしら?」
「ええ、まあ・・・初めてでいきなり乗るとは思いもしませんでしたけど・・・」
話題が変わり、村主は頭を掻く。その答えに、学園長は小さく息を吐いた。
「・・・聞いたかもしれないけど、レースは基本的に集中を削ぐような要素は、できる限り取り除くのが基本よ」
「・・・ええ、それはホシノも言ってました」
「でも結果的に、ナカジマは私に勝ったわ。それも、普段よりも良いペースでね」
それを聞いて、村主は驚いた。あの時は村主自身、自分はただ邪魔になるだけだと思っていたのだが、逆にナカジマの調子が上がっていたとは。
「それは、雨が降っていたからでは?」
しかし冷静に考えてみれば、レースの時には雨が降っていた。今はもう止んでしまったが、雨が好きなナカジマは、雨が降っていると気持ちも落ち着くと言っていた。それが理由ではないかと思う。
「どうかしらねぇ?」
そう言って、学園長はナカジマのことを見る。そのナカジマは、パーツのカタログをホシノたちと一緒に眺めて、何を買おうかと話し合っていた。
だがこの時、学園長は、ナカジマがどうして村主に同乗を申し出て、そしていつもよりいいスコアが出たのかが、分かるような気がした。
分かる理由は、『年の功』と言ったところだ。
その後はレース後のマシンの整備と共に改善点を―――乗っていた村主には改善点などないように感じたが―――話し合って、今度はレースほどではない速度で試走。
結局、その日解散したのは夕方頃だった。
「いや~、有意義な一日だったなぁ~」
「そりゃよかったな・・・」
帰り道で、ナカジマが実に嬉しそうに、キラキラした表情でそう言う。
一方で村主は、話し合い自体はそこまで苦ではなかったが、時間が長引いたことと、レースの緊張感で少しだけ疲れていた。元居た学校で自動車の勉強と整備実習はしていたが、あそこまで本格的に話を突き詰めたことはないし、いかにレースが面白かったとはいえ体は疲れているのだった。
「今朝はごめんね、いきなり一緒に乗ってほしいって言っちゃって」
「いや、謝らなくていいよ。俺も結構楽しかったから」
「本当?」
それは確かなことだった。最後の方で村主は、自然と笑っていたのだから。
「でも、どうして俺がいると頑張れるんだ?」
しかしやはり、その疑問だけは晴れない。レースに参加させてもらったことで得られるものはあったが、どうしてもそこだけは気になった。
「・・・ああ、えっと・・・」
ナカジマは頬を掻きながら、天を仰ぐ。答えに迷っているようで、村主は『あまり深く考えてなかったのか?』と思ったが、どうも違うらしい。
「言っても・・・怒らない?」
「怒らない」
確認を取るが、村主は間髪入れずに答える。
ナカジマは、少しだけ考えた。
自分の気持ちを包み隠さず言うのではなくて、伝えたいことだけを伝えられる言葉を。
すぅっと息を吸って、村主の顔を見て。
「・・・何かね、村主が傍にいてくれていると頑張れるような、力が湧いてくるような・・・安心するんだ。そんな感じがしたから」
その答えには、上手く反応できなかった。
村主の脳裏に、レース前のナカジマの穏やかな表情と、レース中の真剣な表情が蘇ってくる。
あの表情の裏付けとなっていたのは、自分?
そう考えると、顔が熱を帯びてくる。
答えた本人も恥ずかしいと自覚していたのか、鼻の下をこする。ナカジマとしては、自分の奥の奥の気持ちも素直に伝えるなんてことは、まだできない。
そしてナカジマは知らないが、村主もまたナカジマに対し特別な感情を抱いている。その言葉が、村主の気持ちをより一層強くした。
「・・・ごめんね、なんか変なこと言っちゃって」
「いや、謝ることないけど・・・」
恥ずかしさに耐え切れずについ謝ってしまうが、村主は謝ることなんて、と手を振る。
何か話題を変えなければと、村主は頭を働かせる。
「でも、あの時一緒に乗れてよかった。レースの楽しさが分かったから」
村主もまた、夕焼けの空を見上げる。
「何か、クルマが好きになる理由も分かる気がする。俺も、ああいうレースが好きになりそうだ」
「・・・それは、嬉しいな」
レースを間近に観て、すっかり心は染まってしまいそうになっていた。今だって、ナカジマのこともそうだが、レースで感じた多くの感覚はずっと残っている。それだけ好きになってしまっている。
ナカジマは、それが嬉しかった。自分の走りで、村主の心を引き寄せることができたことが、嬉しいのだ。
村主は、『嬉しい』と言われてしまったことで、つい。
「それに、ナカジマもすごいカッコよかった」
本音が洩れてしまった。
数秒して『あ』と気付いた時には、時すでに遅し。
「・・・・・・・・・」
ナカジマは赤面してしまっていた。
村主も結局、自分でもカッコつけたことを言ってしまったのと、先ほどのナカジマの言葉を思い出して、黙り込む羽目になってしまう。
お互いに自分の中の相手に対する気持ちの大きさを、あらためて思い知った。
同時刻、校外の自動販売機の前で、ホシノとスズキ、ツチヤの3人はジュースを片手に神妙な面持ちで立っていた。
ツチヤが口を開く。
「あの2人、やっぱり何かあるよね」
「ああ。こんなこと、今まで一度もなかったからね」
ホシノの言う通り、ナカジマがこれまでレースをする際に、誰かを同乗させることなんて一度もなかった。
前にも言ったが、レースでの重要な鍵はドライバーの集中力だ。だからその集中力を乱す要因となるようなものは極力取り除くべきだし、同乗者などもってのほかだ。
にもかかわらず、ナカジマは村主を招き入れ、そのレースの結果はいつも以上に輝かしいものとなった。
「・・・あの時雨が降っていたから、マシンが違うから、って言うのは違うかな」
「それもあるだろうけど・・・それだけじゃないんだろうな」
スズキの推測に、ホシノは素直に頷けない。あのソアラがレースをするのは今日が初めてで、それ以前は別のクルマに乗っていた。雨のレースも今日が初めてではない。
新しいクルマとの相性が良くて、またナカジマの得意とするコンディションだったから、と言うのもあるだろうが、ホシノの言う通りそれだけとは思えない。
ミルクコーヒーを飲むスズキは、『やっぱり・・・』と切り出す。
「・・・村主が、大きな要素なんだよね」
「何だろう、何があったんだろう・・・?」
オレンジジュースを呷るホシノは、考えても答えが出てこない。
一方で、レモンスカッシュを飲み切ったツチヤは、『ふぃ~・・・』と息を吐いてから。
「っていうかさ、多分だけど・・・」
一つの仮定を示した。
だが。
「「まさか」」
ホシノとスズキは、笑ってそう言った。ツチヤも『だよね~』と苦笑する。
が、すぐに3人とも真顔になって考え直す。そのツチヤが示した『仮定』こそ、一番考えられるものだった。
「・・・それがホントだったらどうする?」
「・・・いや、どうするもこうするも・・・」
「応援・・・すればいいのかな・・・」
3人はそれぞれ飲み物を飲み切った後も、しばらくの間このことについて考えることになった。
学園長もレース好きなんだろうなぁ、と思いました。
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