後編の投稿は予約投稿がうまくいけば7月10日の22時頃を予定しています。
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God, grant me the serenity to accept the things I cannot change, courage to change the things I can, and wisdom to know the difference.
Serenity Prayer
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足りない。何かが、足りない。
幸せなはずだ、私には大きな苦しみも悲しみもないのだから。
──これで、よかったはずだ。
何も、問題はないはずだ。
──あんなモノは、私には必要ない。
幸せだ、幸せなはずだ。穏やかな時を過ごしている私は、誰が見たって。
──あの呪縛から解き放たれて。私は自由なはずだ。
なのに。
──どうして。
こんなに心が渇いて、いるのだろう。
※
長い長い階段を、ゆっくりと登っていく。うちの神社と違って小高い山の上にあるこの神社の境内に辿りつくためには、この一段一段が不揃いで傾斜のきつい階段を登って行かねばならない。私くらいの年齢なら問題ないだろうけど、おじいちゃんおばあちゃんはちょっと大変だろう、手入れをしてあるといっても所々苔が生えていて滑りやすいし。
途中一息をついて空を見上げると、風が吹いてさらさらと階段の両脇の竹林が音を奏でた。深海棲艦が現れて数十年。ちょっと前までは沿岸部の町なんかは深海棲艦による空襲で焼け落ちたところも多数あったらしいけれど、今は戦線が落ち着いているのもあり、内陸部にあるここは特に穏やかなものだった。元より海とはそこまで関わりのない人生だ。今この瞬間も海の上で激しい戦いが起きているなんてどこか絵空事、他人事であった。
気合いを入れて足に再度力を込める。そしてようやっと夕日に染められた境内にたどり着くと、少し離れたところにあるベンチで作務衣を身に纏い、箒を脇に立てかけたままぼんやりと木々を見上げている彼女を見つけた。少し青みがかった黒髪は和装によく映える。私は生まれつき髪の色素が薄くてほぼ茶髪に近いから、作務衣を身につけるとその髪の明るさがどこかしっくりこなくて地味に気にしている。
「──」
名前を呼ぶと、ゆっくりとこちらに顔を向け、ひらひらと手を振りかえしてくる。こちらもひらりと手を振ってから彼女の隣へと腰掛けた。
「掃除サボり?」
「違うよ! 終わったからちょっと休憩してたの」
私達は神職一家だ。私が本家、こっちが分家の長女でそれぞれ別の神社を代々受け継いでいる。お互いの家は少し離れたところにあるけれど、今では同じ学校に通っているし、元々幼い頃からよくこうやって遊びに来ていたのだ。神職一家といういわゆる普通の一般家庭とは異なる生まれ同士の共感もあったのか、元々相性が良かったのか、私達は仲が良い、と思う。ただ。
「上に何かいるの?」
「もういないよ」
「じゃあ何がいたの?」
「んー……」
ああ、まただ。また、この顔。いつの頃からだろう、彼女はこうやって私の質問に対して曖昧に笑って誤魔化すことが多くなっていた。この態度が時々無性に私を苛立たせる。
仲はいいはずだ、幼少の頃からよく一緒にいた。同い年といえど私よりもほぼ一年ほど先に生まれていたのもあって、彼女をおねーちゃんと慕ってべったりとくっついていたのは私だったし、そんな私に目をかけてくれたのは彼女だった。
それがいつの頃からか私がおねーちゃんと呼ばなくなり。いつの間にか私たちの間には見えない、薄いベールのような隔たりができてしまっていたのだ。それは取っ払おうとしてもひらりひらりと私の手をすり抜け。結局私はそれを見て見ぬ振りをすることでなかったことにしていた。
「あ、そう言えば明日だよね、艦娘適性検査」
きっと彼女は木の上の何かを見ていた。そしてそれを私に教えてくれることもないということを長年の付き合いで知っていた私は無理矢理に話題を変えた。
艦娘適性検査。それは国民の義務。日本国の女子は、生涯最低四度の適性検査が義務づけられている。一度目は十三歳のとき、二度目は十六歳、そして十八、二十一歳時に検査を受けなければならない。
どういった原理なのかはまだ判明していないが、艦艇の元々の規模が小さい駆逐艦などの適性はまだあどけなさが残る少女に現れやすく、逆に戦艦などは体が成熟しきった頃に適性が発現することが多いようだった。私達は最初の適性検査では二人共陰性だった。
「やだなぁ。あれ時間すごくかかるし、内容もよくわかんないし」
「……うん」
「どうかしたの?」
話題を変えたというのにまだ歯切れが悪い彼女の横顔を覗き込む。彼女は、視線を自身の手元に落としたまま。微かに膝元の服を握り締めていた。
「……うん、そう。私も面倒くさいなぁって思ってたところ」
そう言ってふにゃりと相好を崩した彼女を見て、ああまた嘘をついているなと思った。彼女は嘘をつくとき決まって眉尻を下げ、力なく私に笑いかけるのだ。きっと本人はその癖に気づいていない。私もあえてそれを指摘するつもりもなかった。ただ、その顔が嫌いなだけで。
「……だよねー」
いつの頃からだろう。昔は心から笑いあえていたのに。どこでボタンをかけ違えたのだろう。何度自問しても答えがわからない問いを繰り返すのをいつしかやめて、今日も私は適当に相槌を打つ。
なんで嘘ばっかつくの、と怒るのなんて面倒くさい。悲しみに暮れたところで現状が変わるわけでもない。怒ったって、泣いたってしょうがないじゃない。だから。
「あーあ。明日学校サボろうかな」
「だーめ」
「わかってるわよ、冗談よ、じょーだん」
適当に、楽しく。きっとこれが私達の正しい距離感なのだとうそぶきながら過ごしていく。今までも、これからも。そのはずだったのだ。
※
旅行用の大きめのショルダーバッグに必要最低限の衣服、生活必需品を詰めて。今現在玄関で靴紐を結んでいる我が子の背中を見つめる。
思えば小さな頃に母を亡くしてからこの子には迷惑をかけっぱなしであった。だというのに、この子は家事全般や神社の仕事まで率先して手伝ってくれ、文句の一つすら零すことはなかった。
「……火傷の具合はどうだ」
「うん、大丈夫。痕も残らないよ」
「そうか。それは、よかった」
「私いなくてもだらしない生活しちゃダメよ、お父さん」
「わかっている」
「……跡継げなくてごめんね」
「そんな事は気にするんじゃない。それよりも、お前と、あの子の事だ」
なぜ、こんな年端もいかぬ我が子を見送ることしかできないのか。なぜ、この戦いには年端もゆかぬ少女達しか参加できないのか。いっぱしの大人だというのに何もできない自分が情けなくてたまらない。それでも泣き言をこぼすわけにはいかない。
「……元気で、な」
「うん、お父さんも。私お父さんが幸せに暮らせるように頑張るから。ちゃんと健康に気をつけて長生きしてね」
最後まで泣き言の一つもこぼさずに笑顔で別れを告げる我が子を前にして、親が取り乱すわけにはいかない。左手の指が手のひらに食い込むほど力強く握りしめ、右手で何事もないかのように手を振る。見送りは玄関まででいいからという彼女の願いを聞き入れ、別れの言葉はそれだけ。それだけであった。
「……これも、定めか」
あの海難事故を経て、我が子もあの子も変わってしまった。そして、行き着く先はきっと艦娘という道であろうことも、逃れられぬ運命なのだろうということも。覚悟は、していたのだ。
だから、どうかせめて。あの子達の行く先々に輝かしい未来を。どうか、無事に生きて戻って来てくれと。無力な自身は神に祈ることしかできないのであった。
※
艦娘候補生として選ばれた者は、まず大湊、舞鶴、横須賀、呉、佐世保にひとつずつ存在する艦娘養成学校にて二ヶ月の短期教育を受ける。そのほとんどが座学であり、その内容は艦娘とはかくあるべしとか艤装運用理論とか、どれもこれも普通の女子高生とは縁遠い世界の話ばかりだ。それを朝から晩まで延々とこの施設で叩き込まれる。そして座学が終わればひたすら基礎体力の訓練をして、最後は備え付けの寮に帰って泥のように眠る。
女の子にしては少ない荷物と共にここを訪れた私達は人としての名前を奪われ、番号をふられて。今日も今日とて机にかじりついてよくわからない話を聞きつづけるのだ。
水雷術とかはまだいい。話の内容は難しいけど、まだ理解の範疇を超えない内容だ。だけれども、私達が今後艦艇の神様、というものと付き合っていく存在だからだろうか。普通の女子高生ならばおおよそ学ばないであろう内容の数々の中で、一際異彩を放つ授業があった。
「古来より日本の霊観は三元論、つまり三つの要素から成り立つとする考えが多かったようです」
落ち着いたやわらかな声と共にさらさらと黒板をチョークが滑る音が響き渡る。日本神話学概論。神社の娘が言うのもあれだけど、なんとも胡散臭い授業である。
「
さらさら、と霊=魂+魄+直霊、と黒板に書いて、教官がこちらを振り返る。
「うーん、なんて言えばいいかな。魂はたましい、と呼ぶ時と意味が少し違って霊的な遺伝子みたいなもの、守護霊、先祖霊とも呼ばれるものって言えばいいかな」
内容にあんまり興味ないのもあるんだけれど、そもそも教官のこの声がいけない。ゆっくりと噛み砕いて聞かせるようなこの声が耳に心地よく──つまりとても眠くなる。現に前の席で数人うつらうつらと船を漕いでいる生徒が見受けられた。
「魄は結構わかりやすいかも。いわゆる人の想いです。この残留思念が幽霊とか、精霊とか言われます。で、直霊は霊の本質部分。生まれ変わるのはこの部分だね、神様で言うところの分け御霊。いくつか集まって合体したり、分散して小さくなったり。本質はそのまま、あくまでこれは表現体なので形は色々と変わります」
教官が伝わっているだろうか、と言わんばかりに眉をハの字にしながら教室全体を見回す。最近気づいたんだけれど、この人、左目の色素が薄いのか日の当たる角度によって若干琥珀色に見えなくもない。片目だけって珍しいな、とぼんやりと思いながらあくびを噛み殺す。
神社の娘という肩書きを持っているけれども、実のところ私は幽霊だとかの存在を信じていない。艦艇の神様を宿す? この科学技術が発展した現代で? まぁそれを考えたらミサイルだなんだと兵器も進化しているこの時代に一昔前の兵器、艤装で人が化け物に挑んでいるという現状がそもそも時代錯誤だと思うけど。なんだか時代が逆行しているようだな、と思いながらちらりとあの子──候補生となった今ではお互いを番号で呼び合わなければならない──空母候補生参番の後姿を覗き見する。どうやら熱心にノートを取っているようだった。真面目か。
「でね、ここで魄に戻るんだけど。これから長い付き合いになる艦艇の付喪神ってこの魄なの。だから神様とは名前についているけれど厳密には違って、どっちかって言うと精霊とか……あるいは妖怪、と分類されることも、ね」
そう言って教官が苦笑いをする。確かにこれから共にするのが実は妖怪です、と言われたらちょっと引く。いや神様ってのも十分あれだけど。
「日本人は昔から物を大切にしてくれるから……だから神様、なんて名前をつけてくれたのかもしれないね。日本の艦艇に対する徹底的な清掃・整備は他の国と比べても突出していると思うし……あとは国とは関係なく、乗組員のみんなは艦艇のことを家族のように想ってくれていたから。そういう人々の想いの形が、付喪神として現れたのかも」
そう言って教官が少し遠い目をする。その表情はどこか懐かしむような、あるいは少し寂しげな。情感を込めた物言いは起きていられる人限定ではあるけれど、惹きつけるものがあった。
「想いの集積が、付喪神となります。善も悪も内包している。だから一概にこの付喪神はいい悪いとは括れない、皆の心と同じだね。あ、そういえば──」
先生が話を続けようとしたところでチャイムが鳴った。それを聞いて先生が慌てて時計を見る。
「あ、脱線しすぎちゃった。ごめんね、次は二十七ページからね」
これ、もしかして授業計画通りにいかなかったら後は各自自習してテストに臨むこと、とか言われるんだろうか。こういうところは普通の学校と変わらないなぁと内心げんなりしながら机に突っ伏する。
ああ、ホント。私、こんなところで何してんだろ。
※
──カシャリ!
「わっ、何?」
休憩時間。急にシャッターを切られて思わず右手で顔を庇いながら抗議の声を上げる。
「どもども、恐縮です」
すると、当の本人はしっかりとしたカメラをパッと自身の視界から外しながらニコニコと話しかけてきた。
「えーと……」
「重巡玖番ですぅ、以後お見知りおきを〜」
「はぁ」
年齢別にざっくりと三クラスに分けられた私達のクラスメイトは思ったよりも多くはない。それでも、艦種もごちゃ混ぜ、しかも名前は番号とくれば中々覚えられるものではない。重巡玖番と名乗りを上げたその子は私の気のない返事にもめげずにずずいっと体を寄せ、目を爛々と輝かせながら言葉を続けた。
「で、今日は空母伍番さんに取材したくて突撃しちゃいました!」
「取材ぃ?」
「こういった新聞を書いてまして」
がさごそと肩にかけていたポーチから取り出されたそれを受け取り、しげしげと眺める。どうやらこの養成学校内の生徒や教官のこと、ちょっとした出来事などを取り上げているようだった。
「……いいの、こんなの出して」
「ちゃんと許可はもらってますよぅ!」
「ふーん」
はい、と新聞を返すと、それでは本題と言わんばかりに玖番は手元のボールペンをまるでマイクのようにこちらに突き出してきた。
「それでは! 史上初の飛龍候補としてちょっとした噂になりつつある伍番さんに突撃インタビュー、です!」
「げっ、なにそれ知らないんだけど」
「人の口に戸は立てられぬ、ですよぅ」
面倒くさい。一応は正規空母の飛龍候補としてここにはいるけれど、ちょっとした問題を抱えている私としてはなんとも知りたくなかった事実だ。
「じゃあまずはー、その足の!」
「ん?」
「訓練の時見かけてかわいいなって思ってたんです、それ。なんですか?」
ひょいと距離をあけて私の右足首に結ってある組紐を差してそう質問してきた玖番にああ、と答える。
「これお守り。うちの」
「うちの?」
「うち、神社だから」
「ほほぅ! じゃあなんかすごい霊能力者だったり実は飛龍の生まれ変わりだったり!?」
「するわけないでしょ。下手な小説の読みすぎ」
「えー……」
つまらなさそうにぶーたれている玖番に呆れながらため息をつく。
物心ついた頃から魔除けみたいなものだから、とこれをつけさせられていた。別に効果とかは信じてないんだけれど、これ、菊の花などがあしらわれていて結構可愛いし。毎回切れる度に新しいのをもらっていたけれど、少しずつデザインが変わっていてちょっとした楽しみになっていた。
「何か飛龍っぽいエピソードないんですか?」
「めちゃくちゃ言うわね……そもそも私、飛龍のことそんなに知らないし」
大体普通の女子高生が艦に詳しいわけがないのだ。そもそも生まれも育ちもどちらかと言えば山。先の大戦のことなんて歴史の教科書で読んだくらいで、普通の学校の教科書内で艦について詳しく言及することもない。海の上での艦娘の活躍はほとんどが報道規制されており、詳しく知る事も出来ないようになっている環境でどう知れと。
「じゃあなんかもう海に関するエピソードならなんでもいいですから! 面白おかしく脚色するので!」
「……それ、本人の前で普通言う?」
日本よ、これがマスメディアだ。養成学校内の娯楽の一種として提供しているようだけれど、行き過ぎた脚色はよくないと思う。
「そうねぇ……小さい頃」
「ほう!」
「船から落ちた」
「ほうほう! それで!?」
「それだけだけど」
「えー!?」
「なんでもいいって言ったのそっちじゃない……」
もう一声! とよくわからないかけ声と共になおも粘ろうとする玖番に若干うんざりしていると、思わぬ助け船が現れた。
「それ以上つついてもなんにも出てこないと思うよ、その時のこと覚えてないらしいから」
「参番」
「お? お?? 何か知ってるんですか!? というか二人はどういった関係で!?」
「ただの親戚だよ、ね」
「うん」
「えー! 言ってくださいよ!」
「いやわざわざ言わないでしょ、こんなこと」
取材対象の標的が参番へと移ったことでホッと息をつく。助かる、という意味を込めて参番に手を振ると、玖番の猛攻に少し困りながらも笑って手を振り返してくれた。
後日、玖番から海への逃避行!? 一夏のアバンチュール! というタイトルの記事を渡され、内容も読まずに速攻握りつぶしてそれで頭を叩いてやった。
やりすぎ。というか、ちっちゃい頃だっつってんでしょ。
※
横須賀鎮守府内の会議室。そこでは各鎮守府が有する主要な養成学校及び訓練所の責任者達が顔をつきあわせて長時間話し合っていた。
「ここまでは予定調和ではあるが」
室内唯一の女性である彼女はそう言うと既に冷めきっているコーヒーを啜った。
「じゃー、そろそろ本題ですねぇ。これを、どうするか」
彼女の向かいに座るパッと見冴えない男がそれを受けて書類の中から一枚を抜き出し長机の中央、全員に見えるようにそれを置いた。
「……呪われた空母、か」
「私は嫌ですよ、何かあってからでは遅い。呉は中枢機関が集まる重要拠点です。ごめん被りたい」
「それを言ったら何処だって大事な拠点には変わりないでしょうよ」
白髪混じりの髪をかきあげて神経質そうな男がそう続けると、のんびりと冴えない男が茶々を入れる。ギロリ、と睨まれ男は肩を竦めた。
「……いっそ適性難ありとして落としてはどうだ」
「甲適性でそれは上が納得せんでしょう。貴重な貴重な大戦力サマなんですから」
女が徐に口を開くと、また男が水を差す。
問題となっている娘は適性・成績だけで見れば断然優等生。ただ、その適性を示している艦艇が少々厄介なのだ。過去二人。適性を示しながらも、そのどちらも艦娘になるには至らず。候補生時代に例外なく暴走事故を引き起こして消えていったいわくつきの艦艇で、こうやってお互いに押し付け合おうとするくらいには厄介な。
「……そもそも私は、甲適性を採用したくありません」
この室内では比較的若く、真面目そうな男が渋い顔でそう続ける。
「あの娘達は扱いがデリケートすぎる。川内教官を見てください、あれが甲適性の末路です」
川内で今教官になっているのはただ一人。それは、先の戦いで下半身不随となった彼女を指した。
「……あれはそもそもその事を気にしているようなタマではない」
ひやり、と室内の温度が一気に下がる。それは、この中で唯一の女性の。件の川内と戦場を共に駆け抜けたこともある元艦娘である彼女から発せられた言葉だった。
それは恐らく若く正義感に溢れ、何より艦娘の行く末を案ずる彼の優しさから溢れ落ちた言葉だったのかもしれない。だが、それはあまりにも無神経な言葉だった。
「彼女がいなければ切り抜けられなかった戦場がいくつもあったのもまた事実。甲適性の扱いが難しいのは認めよう、だがな。彼女の生き様を侮辱するような物言いはこの私が許さん」
「……失言でした」
「いや。こっちも感傷的になりすぎたな、話を戻そう」
そうして再度皆で黙って件の娘の書類を見つめる。しばしの沈黙を経て、それをうち破ったのは冴えない男であった。
「あそこがいいんじゃないですかねぇ。この娘と一緒に」
そう言ってよれたスーツの懐から一枚の紙を取り出して横に並べる。それを見て先の若い男がこれまた渋い顔で抗議の声をあげた。
「この娘こそ落とすべきでしょう。そもそもなんで丁適性なんて拾い上げたんですか、空母の最低適性値は乙でしょう」
「いやまぁそうなんですがねぇ」
じょり、と無精ひげをなでながら間延びした声で男が続けた。
「適性艦が飛龍だったから。つい」
「つい!?」
「いやだって史上初ですよ?」
「艦娘はコレクションアイテムではない!」
「ははは、面白いことを言いますなぁ」
「なにが面白いんですか!」
「まぁ待て。他にも何か理由があるのだろう? でなければ貴殿が拾ってくるとは思えんが」
熱くなる若い男を制して女性が促す。それに対してうーん、と考え込みながら男が続けた。
「これといった確固たる理由はないですよ? 強いて言えば飛龍候補が必死に食い下がってきたのと──」
そこでわずかに言葉を切って、にやりと笑いながら。
「しがない元提督の勘、ですかね。姉妹艦は一緒にいる方が安定する。厳密には違うが二航戦はお互いがもう一人の自分みたいなもんです。だから──」
「飛龍の存在が蒼龍の呪われた連鎖を断ち切るかも知れないと?」
「さて、ねぇ。だからもう一つ安全策を打っておきたい」
そう言って隣に広げられている海図の一点、南方のとある島を差して。
「ここの訓練所ならいるのは大抵引退艦娘か何かしら問題のある艦娘。戦略的にもどーでもいいところですし。今までのように蒼龍候補が暴走事故を起こしたとて、被害はそんなにひどくなることもないでしょう」
そうしてまた。にっこりと笑うのであった。
※
同日、同時刻。某泊地にて。
「ぶえっくしょーい!!」
「汚っ!」
「こっちに寄らないでください、提督」
「うう……うちの駆逐艦、冷たい……」
執務室の大掃除をしていたところで、盛大にくしゃみをしたら陽炎と不知火から冷ややかな視線を向けられた。最近私の扱いひどくないですか? 特に不知火。
「敬って欲しいのならそれ相応の威厳を見せて頂きたいものですね」
「勝手に心を読まないで欲しい……」
「顔に書いてあるんですよ」
私の事務処理能力に見切りをつけてからは色々早かった。もはや不知火に縄でふんじばられるのにも慣れつつある。このまま話し続けても不知火に勝てる気がしないので、鼻をかみながら話題を変えた。
「そろそろ候補生が来る時期ですねぇ」
「そうねぇ、なんだかんだ毎回ちゃっかり来るわよね、候補生。こんな僻地の訓練所なのに。最近は駆逐艦ばっかりだったから次は別の艦種来ないかしら」
「そうは言ってもここは教えられる人が限られますからね。軽巡、空母……戦艦なんてまず来ないでしょうし」
「空母がいいなぁ……おしとやかで穏やかな人が多いんですよねー艦種的に。なんたって艦載機達の母ですから」
「おしとやか……?」
「穏やか……?」
「誰を思い浮かべてるかまるっとお見通しなんですが失礼ですよ、瑞鶴に」
「そこで名前出しちゃうあたり提督も同罪よ」
だってうちで担当した空母は今のところ瑞鶴だけだし。風の噂で佐世保の航空部隊で中々の戦果をあげているらしいということを聞いた。空母っぽいかはともかく、いい空母娘なのは間違いあるまい。
「まぁほら、妹艦はちょっと妹っぽさがでるんですよ」
「異議ありです」
「そーよ、不知火全然妹っぽくないし」
「そもそも同い年でしょうが」
「私のが三ヶ月おねーちゃんよ!」
「ええいうるさい」
ヘイカモン! とでも言いたげに両手を広げにじり寄る陽炎を鬱陶しそうに不知火が押し退ける。仲良きことは美しきかな。まぁ不知火は次女として考えればそつなくなんでもこなす辺りがらしいっちゃらしい。そうすると瑞鶴なんて一航戦も含めて考えたら末っ子のような存在だし。あ、ぽいぽい、なんだかんだ皆にかまわれる愛され末っ子。
「ともかく。候補生の配属通達が来たら速やかに予算申請してください。候補生が空母なら尚更」
「う」
「大体今までのここの資源難は主に資源予算案の提出順が毎回ビリであるのと、そもそも書類が不備だらけなせいで結局余った分だけ配られていたのが原因なんですよ。いいですか、腹が減っては戦はできぬ。資源なくして良質な訓練ならず。そもそも──」
い、いかん。不知火のスイッチが入ったぞ、こうなると長い、逃げねば。
「う! 持病のストレス性胃腸炎が!」
「はい、どうぞ」
「……」
「胃酸分泌抑制薬です」
「……な、なんだか頭も痛い気が」
「頭痛薬です。鎮痛剤による胃腸障害が不安でしたら胃粘膜保護剤もおつけしましょう」
「……えっと」
「では話を戻します」
不知火、とても優秀で仕事ができていい娘ではあるんだけど、なんでしょう、長年あいつの秘書艦やってたからでしょうか。隙が無さすぎてつらい。
「大体提督は自身の資源管理の杜撰さを棚に上げすぎです。皺寄せが全部おやっさんに行ってるんですよ、ああ見えて節約の鬼です彼は。提督のお陰でしょうね。いいですか──」
くどくどと説教を続ける不知火の手からそっと雑巾を引き抜いて洗う陽炎。わぁ、気が利く、さすがネームシップ。ついでにこの説教も止めてくれていいんですよ? あれ? バケツ抱えてどうしたんです? ひらひら手を振っちゃってまさかこの状況で逃げる気──
「聞いているのですか」
「ひゃい!」
不知火の鋭い眼光に射抜かれ私が身を竦めると同時に、陽炎がそっと執務室から出て行った。う、裏切り者めぇ。陽炎はなんだかんだ人付き合いがうまい。最初の頃、とがりにとがっていた不知火といち早く打ち解けたのも彼女であるし、候補生達もよく懐く。最近なんてこうやって不知火の怒りが爆発する一歩手前で巻き込まれる前にするっと抜けていくし。なんだあの絶妙な距離の取り具合。
「よろしい。では艤装開発における資源管理の重要性から──」
あ、そこまで遡っちゃう? 参ったなー。どうあがいても逃げられなさそうなこの状況。かといってなぁなぁに返事をすればもれなく延長戦に突入するため、私はこの説教が終わるまで全自動頷きマシーンと化すのであった。
※
窓から差す西日がちょうどぽかぽかと気持ちよくなる頃。ハードな基礎体力向上のための訓練に慣れてきたとは言え、この時間帯になるとついうつらうつらとしてしまうのはしょうがないと思う。だから、この時間に彼女の授業があるのは恐らく居眠り対策を兼ねているのだろう。
「──このように、現在艦娘が使用している艤装は大戦時準拠のものだ。一部その時代に構想があって実現しなかったものなどは艤装として使えるが、大戦以降の武器──所謂、アスロックやハープーンミサイルなどは一切深海棲艦には通用しないことがわかっている」
彼女が教室に入ってきた瞬間、空気がピリッと引き締まる。その物腰も態度も特段怖いわけではないのだけれど、彼女がこの教室に存在するというだけで空気がこうも変わるものか、と最初は思ったものだ。
「なお、言葉の都合上12.7 cm連装砲などとは言っているが、実際の砲弾はそんなに大きくはない。人が背負うのだから当たり前と言えば当たり前だが。モデルとなった大戦時の艤装の名前をそのまま使っているので少々ややこしいがな。ちなみに威力は同等であるとされているからある意味では最新技術で作りあげられたものが艦娘の艤装とも言える」
左にまとめられた長く垂れるサイドテールを揺らしながら教官が振り返る。モデルのようにすらりと伸びた肢体と整った顔立ち。艦娘って美人が多いって聞くけど、確かになぁと思う。もっとも、彼女に関して言えばその瞳に宿る意志の強さが目を惹くせいで、美人というよりかはなんとなくそう、凛々しい女性と言った方がしっくりとくる気がする。
「艤装を背負うとどうなるか。例えば、視力が向上する。駆逐艦が視認で遠く数十キロ先の敵影を見つけられるのは艤装のおかげだ。空母なんかもっと顕著だな。索敵時は基本的には無線で艦載機達とやりとりをするんだが……やろうと思えば彼らと意識共有もできるらしい」
ぺらり、と教科書のをページをめくれば私の適性艦種である空母の概要が載っている項目が目に飛び込んできた。
空母はその形態から主に二つに大別される。陰陽道をベースとして形代を艦載機へと変じて飛ばす者と、弓にて矢を放ちそれを艦載機へと変ずる者。どっちにしろ一番現実離れした艦種のように思える。この教室の最年長の軽空母龍驤適性を示している空母壱番は、なんや、この歳で御伽噺の世界にでも紛れ込んだみたいやなぁ、と関西訛りのある口調でボヤいていた。
「艤装を背負えば我々は確実に人ではない何かになるということをまず認識することだ。その上でいくつか注意点がある」
次のページ、と端的に指示を出して教官が言葉を続けた。そのページには過同調という言葉が載っていた。
「付喪神、というものは人々の想いが宿ることで存在している。だからなのかはわからないが、彼女らはどうにも人臭くて意識が混じりやすい」
「混じる?」
「ああ」
思わず合いの手を入れた空母壱番に相槌を打ちながら教官が話を続けた。
「まるで、自身が艦艇の生まれ変わりであるかのように。知らず知らずにな、錯覚してしまう事がままある。この程度がひどいと──」
そう続けようとする教官の声にチャイムの音が重なった。その音を聞いて、続きは次の授業で、と那智教官が言うや否や。
「夜戦の時間だー!!!」
教室の扉がけたたましい音をたてて開かれた。そっちの方を見なくても誰かわかる。この養成学校で一番うるさくて、一番陽気なその人。足が不自由なのか車椅子に乗り、それを器用に軽快に操りながらするすると中に入ってくる。
「お前の担当は水雷術だしそもそも隣の教室だぞ」
「あれ?」
トントン、と教卓の上で資料を整えながらそのやかましさを特に気にする風でもなく那智教官がそう言うと、すっとぼけた声を出しながらその人が頭を掻いた。そしてその後ろ。音もなくぬっと現れた小柄な女性が手に携えていた出席簿を振り上げて。
「川内うっさい邪魔」
「いだっ!? 」
ごす、という鈍い音がこちらまで響いてきた。あれは痛い。
「ちょっと阿武隈ぁ! 角はやめてよ角は!!」
「部外者はさっさと出てってくださーい」
頭を手で押さえながら猛烈に抗議する川内教官を意にも介さず、トントン、と出席簿で自身の肩を叩きながら冷めた態度でそう続ける阿武隈教官。そしてそれを見て那智教官が深いため息をついた。
元来、提督も教官も実の名前で呼び合うことはない。それは艦娘から人の名前を奪っているという負い目からなのか、あるいは個を消し、組織へと身を捧げよという意味なのか。なんにせよ、提督同士は所属地域の名前からとって横須賀の、と呼んだり階級で呼びあったりするらしい。旧海軍では提督という肩書きも階級の一部だったけれど、今では艦娘の運用適性のある者の総称として使われているからややこしい。
話は逸れてしまったけれど、艦娘養成学校の教官はほとんどが退役軍人だ。だからなのか、こちらもお互いをただ教官と呼び合うことが多いのだけれど、一部例外がいる。それがこの人達のような退役艦娘である。
「……お前達はいつになっても変わらんな」
「心外です那智さん、変わらないのはこの夜戦バカだけです」
「なによぅ、いいじゃん夜戦しよ阿武隈!」
「ホント話が通じなくてイラつく……!」
まだ軍属の身だからと名前が返されない彼女達だけは、こうやって元の艦名でお互いを呼び合うことが許されるのだ。中にはあまり自身の艦について言及しないため、謎が多い人もいるのだけれど、彼女らは元同期同士という事もあってか割とオープンである。
「ふむ、いいだろう」
「お?」
「ちょっと那智さん!」
「昨日いい酒が入ってな」
「……ん?」
「あ、あたし忘れ物したすみません失礼します」
「ちょ、阿武隈ぁ!?」
「ふふ、久々の
そそくさと逃げる阿武隈教官に追いすがろうとして那智教官にがっしりと首元のマフラーを掴まれ、川内教官の頬がひくつく。どうでもいいけど、あの長い……マフラー? ストール? よく車椅子に巻き込まれないな。
「最近なぜか誰も付き合ってくれなくてな」
「それは那智が……って、い、いやいやあたしあんまりお酒飲めないし、ほら、ね?」
「なに、付き合ってくれるだけでいい。一人酒にも飽きてきた頃だ」
そう言って教材を片手に教卓を離れながら、くいっとマフラーを引いて。不敵に笑う那智教官には末恐ろしいものを感じてしまうのだけれど、きっとそれは川内教官もそうなんじゃないだろうか。
「夜更かしは得意だろう?」
そう言い残して颯爽と去っていく彼女と、それを聞いて有罪判決を受けた被告人のように項垂れる川内教官。なんとなく。今も昔もあの三人の関係性は変わっていないんじゃないかと、そう思った。
※
どうやら地雷を踏み抜いてしまったらしい。
「大体昔っから気に食わないのよ。知ってる? あのバカ昔はにこりとさえしなかったんだから」
「……誰がですか?」
「川内」
今日は担当教官との面談の日である。現在の習熟状況や適性、艦娘に対する意欲などを確認していくという建前で行われるのだけど、実際はそんな堅苦しいものではなく、大半は雑談に終始することが多い。だから、つい阿武隈教官ってホント川内教官達と仲がいいですよね、とポロリとこぼしたのがいけなかったのか。先ほどからこのマシンガントークを浴び続けているのである。
「うっそだぁ」
「本当だってば、すっごく感じ悪かったんだから。那智さんいなかったら多分会うたびに殴りかかってたもん」
殴りかかるとは比喩表現だとは思うけれども。大真面目な顔して言われると反応に困るからやめてほしい。
「でもわざわざ二人を追っかけてここに来たんですよね?」
「は?」
ごそごそと先ほど無理矢理渡された新聞の記事をポケットから取り出し、教官の目の前に広げる。
「タイトル、熱き女三人の織り成す友情秘話。著、重巡玖番」
「青葉ァ!!!」
「教官、まだあの人青葉じゃないですよ」
私からひったくるようにして新聞を読み始める教官に人差し指で一文を示しながら言葉を続けた。
「ここの涙ながらに阿武隈教官がお二人にあたし……教官に、なりたいです! って言うシーンが」
「そんなこと言ってないわよ!! 川内か、川内ね! 取材受けたの!!」
「さぁ」
ビリビリと新聞を破り捨てて阿武隈教官がいきり立つ。ああもったいない、しっかりと丸めれば玖番を叩くいい武器になるのに。
「ここに来たのは借りを返すためよ」
「借り?」
「そ。借りっぱなしは性に合わないの」
塵と化した新聞の残骸をゴミ箱へと投げ捨てて再度席について。阿武隈教官は大きなため息をつきながら手元の資料をパラパラとめくり出した。
「あたしのことはいいの、本題本題」
「はぁ」
自分で振っといて、とは突っ込むまい。
「適性は相変わらず丁だね。艤装背負ってから適性値が上がる例もあるからあまり気に病まないよーに」
丁適性というイレギュラーな状態だった私は、定期的に適性検査を受けていたのだけれど、今のところ丁判定が覆る兆しは見えない。丁判定のままでは、まず艦娘にはなれないらしい。
君にチャンスをあげよう。食い下がる私を面白そうに見つめながらそう言った冴えないおっさんのお陰で今ここにいられるけれど。果たしていつまでチャンスをくれるのか、内心気が気でない。
「本当は養成学校で習うことなんてあんまり必要ないんだよね。ただ伍番は丁判定だから。艤装の操作手順書、あれくらいはよく読んでおきなよ」
「う……」
「気持ちはわかるけどね。丙以上の子ならとやかくあたしも言わないんだけど」
そう言いながら手元のクリップボードに留められた私に関する書類を机にカタン、と置く。ボールペンを一回くるりと回してちょっと考え込み、教官が言葉を続けた。
「艤装を背負えば全てわかる。……本来なら、ね」
これは授業中にもよく聞いた言葉だった。お前達はどうやって手足を動かそうと一々考えているか? 艤装を使うとはそういうことだ、と。まだ一回も背負ったことのない私にはいまいちピンとこない。そもそも丁判定の私にそんな瞬間なんか訪れるのだろうか。
「後一ヶ月かぁ。そろそろ配属先が決まる頃だけど」
「配属先って、この近くの鎮守府じゃないんですか?」
「大抵の子はそうなるかな。でも例外も結構あるし」
「ふーん」
まぁ頑張りなよ、という締めの言葉と共にその日の面談は終了した。
そろそろあっちも終わる頃かなぁ。教室で待っていよう、どうせ寮の同じ部屋に帰るんだし。
※
頭の後ろで手を組んで、のんびりと間延びした声で川内教官が言葉を続けた。
「同じ甲適性って言っても艦種違うしなー。成績も優秀だから何も言うことないし。なんか聞きたいことある、参番?」
ともすれば非常に投げやりな彼女の言葉。聞く人が聞けばなんと無責任な、と言われるかもしれない彼女の言動はいっそ清々しく、逆に好感が持てた。だから、雑談の中にするりとそれを忍ばせた。
「教官は、後悔とか。したことはありますか」
「後悔ばっかりだよー」
からからと笑いながらあっけらかんと教官がそう答える。それを聞いて続けざまに質問をしようとして。ふと彼女の目が笑ってないことに気づいた。
「あたしの心はね、艦娘になる前に一度死んでんの」
声に温度がなかった。それは普段の彼女からするととても想像もつかないような、ひやりとしたもので。
「あたしの住んでた町はさ、沿岸部の港町だったの。あの日、あの時。防衛網を抜けて深海棲艦が空襲を仕掛けてきた。虚を完全に突かれたからね、ひどいもんだった」
そしてその内容は。
「あたし以外の家族は皆死んだ。あの時、あたしは全てを失って。艦娘という手段を見つけてようやく生きる希望を見つけたってわけ。──復讐っていうね」
想像を遥かに絶するものであり、思わず言葉を失ってしまった。
「──神よ。私に変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる忍耐力、そしてそれらを見分ける知恵を授けたまえ」
「え?」
「へへ、あたしっぽくない言葉でしょ? 那智がこの言葉好きでさぁ。事ある毎に言うから覚えちゃった」
へらり、と川内教官が相好を崩したことで、張り詰めていた空気が緩んだ。
「それが簡単に出来たら苦労しないよねー。まぁでもなんの因果か教官なんてやっているあたしがいるわけで。憎しみが消えたわけじゃないけど、ま、こんな今も悪くないと思ってるよ」
「……」
「何に悩んでるかは知らないけど。話、聞くよ?」
なんとなく、見透かされているように思えた。それは彼女なりの優しさなのだろう。
「いえ、大丈夫です」
「そう?」
「はい」
これは、この人に関係のない話だ。私は、いつもそうしているように曖昧に笑って誤魔化した。
「ま、いいけど。悩みがあるなら極力溜めない事だよ、あたしら甲適性はもってかれやすいから」
「もってかれやすい?」
「うん」
そう一呼吸を置いて、真剣な表情で。
「艦艇の負の記憶に、ね」
と。川内教官はそう続けた。
※
教務室へと戻ってくると、そこの簡易休憩スペースにいつもは見かけない人を見つけて声をかける。
「戻ってらっしゃってたんですか」
「ええ、まぁ。候補生の配属が決まったんで」
新聞に目を落としたままのんびりとした声で、ここの養成学校の責任者である彼が答えた。
「……それ」
「拾ったんですよ。いやなに、結構面白いですねぇ」
「八割は嘘ですよ、それ」
「はは、でしょうなぁ。でもこういったものは馬鹿にならんですよ」
そこでようやっと新聞から顔をあげてこちらを見る。相変わらず身なりがぞんざいだ、会議に参加するならもっときちんとしたものを身につけてほしいところではあるけれど、この人は昔からそうなのだ。
「二割の真実がエンターテイメントとしてのスパイスになる。そしてその元となっている真実はもしかすると核心を突いているものかもしれない」
「……」
「と、思うとより楽しめますねぇ。まぁこの子の記事はまごうことなくゴシップ向きですけどね」
そう言ってぱさり、とテーブルに新聞を置くと、懐からしわくちゃの封筒をこちらに差し出してきた。
「書類は、もっと丁寧に……」
「読めればいいんですよ、こんなもんは」
「はぁ……」
ため息をついてそれを受け取る。昔から話を聞いてくれないのだ、この人は。
「空母はいつだって人手不足ですからね。それに甲適性だ、この段階で落とすのは難しい。ま、そこがいい落としどころじゃないですか」
「……そうです、ね。少なくとも数ある訓練所の中でここが一番可能性があると思います」
とある空母候補生の配属先を見つめて、そう会話を交わす。
「……元気かな」
「お二人の見送りついでに会ってくればいいじゃないですか、旧友に」
「いえ、あそこは遠いですし。それに大丈夫」
始まりの四隻と呼ばれている昔馴染みの顔を思い起こす。あの頃は戦力もろくに整っていなくて苦労をした。その中で、どれほどあの三人に支えられただろう。今はそれぞれ別の道を歩んではいるけれども。
私の教え子を彼女達に託す。教えた子達が例え数十人でも、その子達が大きくなったとき、誰かを導く存在となったとき。それはこの戦いを切り開く大きな力となる。そう、例えどんなに離れていても私達は繋がっている、人と人によって。
「私達は、この海で繋がっていますから」
そう言って笑いかけると、ロマンチストですよねぇ古鷹さんは、と呆れるようにそう言って彼は肩を竦めた。
※
ぱたぱたぱたと廊下を駆ける音がする。その音だけで誰がここを目指して疾走しているのかわかる。どうにも落ち着きのない彼女の、生活音。一秒、二秒。
「ヘーイ、テイトクー! 新しい候補生の情報ダヨー!」
バァン! と勢いよく執務室の扉を開けて、金剛が嬉しそうな顔でこちらに駆け寄ってきた。
「お〜、どれどれ」
封筒を受け取り、中の書類を取り出す。さてさて。
「あ」
「どんなコデスかー?」
「空母だ、それも二人」
「Wow 、鳳翔が喜びマスネー!」
念願の、というのもおかしいが、空母候補生ということで若干浮つく心を抑えながらぺらりぺらりと書類を捲っていく。
ぺらり……ぺら、り。そのスピードは私の心情を反映するかのごとく、徐々に落ちていく。そして段々自身の眉根が寄っていくのも感じられた。
「……What's up? 」
黙ってそれを金剛に渡す。
「いくつか気になることがあります……まずは歴々の蒼龍候補生の項目」
二人とも甲適性。それも珍しいけれど、それよりも目を引くのが。
「最後は二人共暴走事故を起こしています」
「……Wow」
「わざわざこのデータを載っけるというのは、そういうことなんでしょう」
普通の候補生にはこんな情報は載せてこない。これは、注意せよという警告だ。
「それでいて事件後の調査で蒼龍の艦魄に異常は認められていない」
「ムムム……」
「おそらく暴走を引き起こす何かしらのトリガーがあるんだとは思いますが……それがわかっていないのが現状なんでしょう」
甲適性は確かに管理が難しい。彼女達は普通の艦娘とは一線を画する。同調率を意識的に操作することが出来るからだ。
普通の艦娘なら、同調率は基本的に一定の数値を示す。過同調の状態も徐々に徐々に進行するか、あるいはショッキングなことに巻き込まれて急激に上昇し、その後なにもなければ緩やかに低下していく。だからこそ過同調というものが精神面の異常を表す指標として扱われている。
だが、彼女達は違う。人によっては一時的にもう戻っては来られないと言われる同調率九十パーセントすら平気で超えてくる。そして戦いから戻ってきて検査をすると、けろりとした顔で正常値を叩き出す。だからこそ同調率だけでは精神面の管理がしきれない、戦力として使うにはリスクがある。それでも、そのリスクを目をつぶってあまりある強大な力の持ち主となり得る。それが、甲適性。
「心を燃やせ。我々は心で戦う、死地を切り開く」
「……」
「私が唯一、一緒に戦ったことのある甲適性の艦娘の言葉です。でも、だからこそ甲適性は脆くもある」
適性とは即ち魂の類似性。まるで艦艇の付喪神のその心はもう一人の自分のよう。だからわかる、どうすれば自分が強くなるのか。だから、引きずられる。その心の根底にある、深い深い傷に。
「──ミッドウェー海戦」
「……一航戦の娘達も、苦しんでましたネー」
「ええ。甲適性は他の子より艦艇の負の記憶に引きずられやすいですから、なおのこと心配です」
トラウマの共有、暴走。それはいつ何時爆発するわからない地雷原を駆け抜けるようなものだ。しかもこの娘は適性検査時に過同調が原因と思われる軽度の火傷を負っている。不安は尽きない。
「こっちの娘はどうなんデスかー?」
「ん?」
考えることが山積みだ、と頬杖をついてため息をつくと、金剛がその娘の書類をひらりとこちらに見せて尋ねてきた。
「あー、うん。その娘もなぁ」
「丁適性の娘が来るのも初めてデスネー」
「はぁ。どうしてこう、両極端な娘が来るんでしょうねぇ」
ずず、と冷めたコーヒーを一気に流し込みながら。また盛大にため息をつくのだった。
※
「左遷だ……島流しだ……」
「ち、違うと思うけど……」
「じゃあなんで私達だけこんな僻地の訓練所なのよぉ……」
同じクラスの他の候補生は近隣の鎮守府直属の訓練所だったのに。なぜか私達だけ別の、しかもこんな遠方の訓練所の配属を言い渡された。
聞いたこともない地名にどこよそれ、と思ったら壱番がどこやねん、そこ、と私の心の声を代弁してくれた。それに対する川内教官の答えがあたしも知らない! とくれば拗ねてもいいと思う。私の適性が丁だからかなぁ。でもそうすると参番の理由がつかない。
はぁ、とため息をついて手すりに頬杖をつく。甲板に出れば頬をなぜる海風が気持ちよくて幾ばくか沈んだ心も慰められた。
「……また落ちないでね」
「落ちないってば」
ぼんやりと空を見上げながらたわいもない会話を続ける。南方特有の積乱雲が遠くに見えた。船の後方を見やれば、白い航跡がこのキレイな青い海というキャンバスに線を引いていた。もう出発した島の影すら見えない。
「初夏だねぇ」
「うん」
「日焼け、艦娘になってもするのかなぁ」
「心配するところ、そこ?」
「女の子にとっては大事なことじゃない?」
「うーん……」
日に焼けたらそのままな私と違って、彼女にとっては大問題のようだった。
「いい人達だといいね」
「……うん」
目を閉じれば潮の香りが、海を切り裂き進んでいく船の音が鮮明に捉えられる。
どうしてだろう。海に出ることなんて今までの人生で一、二回程度しかなかったはずなのに。その匂いが、音が。この、海が。妙に懐かしいもののように思えた。
※
訓練所は規律が厳しいからきちんとわきまえた行動を心がけるように。養成学校でそう最後に言葉を送られ、そして遠路遥々こんなところまで来たのだ。目をつけられないようにしないと、と気合いを入れて緊張と共に執務室の扉を開いたのがつい先刻。
「……あの」
だというのに、なんだろう、この状況。
「ワタシはここの秘書艦の金剛デース!!」
「それは、さっき聞きました。そうじゃなくて……」
ぺたぺた、ぺたぺた。え、なんだろうこれ。なんかこの人変な日本語訛りあるし。外国人なんだろうか、これは、その国流の歓迎方法なんだろうか。
「ナイスな触り心地デース!」
「人の顔ぺったぺた触らないでくれます!?」
初対面は無難にいこうというつい先ほど執務室に入る前に固めた私の決意は、五分もしないうちにガラガラと崩れ去った。
「ま、まぁまぁ」
「初対面で何やってるんですかこのスカタン」
参番ともう一人、この泊地の艦娘だろうか、目つきが鋭い小柄な女の子が割って入ることによってようやっとこの意味のわからない状況から脱することができた。
「アー」
「名残り惜しそうな顔をするな。見てくださいドン引きですよ彼女達」
よ、よかったあっちは良識がありそうだ、顔怖いけど。先ほどの未知との遭遇で心臓がばくばくしている。これ以上変なのは勘弁だ。
「……」
若干私を庇うかのように横に並んで立っていた参番が自らを秘書艦と名乗った女の人をじっと見つめている。や、やめなよ目を合わせると餌食になるよ? という意味も込めて服の裾をくいっと引っ張るとこちらを見返した彼女がちょっと困ったかのように笑った。
「秘書艦補佐の不知火です。セクハラ、パワハラ、何かありましたらお伝えください、とっちめますので」
「ヘイ! 最近の不知火はワタシに対する尊敬の念が足りないと思いマース!!」
「……だったら書類業務しっかりやってくれませんか?」
眉間に青筋をたてながら不知火さんが書類の束を金剛さんの頬へと押し付ける。ふぉお……と顔を押し潰されて金剛さんが変な声を上げた。
「……えーと」
「提督もですよ、これが終わったら仕事をして頂きます」
「……ハイ」
今まで蚊帳の外にいたこの泊地の提督がようやっと口を開くと、ぴしゃりと不知火さんがそう言い放った。……うん、わかった、ここのヒエラルキーの頂点は不知火さんだ。一人頷き、提督に視線を向ける。
その、真っ白な髪が目についた。結構な歳なのかと思えば顔つきは若々しく、ついでにその中性的な顔が不思議な雰囲気を醸し出している。なんだっけ、アルビノって言うんだっけ。確か肌が弱いんだ、こういう人は。そう考えればこの暑い南方で長袖の制服を身にまとい、革の手袋をはめているのも頷ける。
その人が薄茶色の瞳を少し細めながら笑いかけてきた。その柔和な態度にホッとする。うん、艦娘は個性的だけどこの人は優しそうだし、やってけそう──
「不知火ィ!! オレのデザート食っただろ!!」
バァン!! と後ろからけたたましく扉を開ける音と怒声が響き渡り、思わず飛び上がる。
「食べ残しがテーブルに置き去りにされていましたので。腐る前に処理を」
「ざっけんな! ちょっと席外してただけだぞ!!」
「いつも食事をかたし忘れる方が悪いのでは?」
「鳳翔さんの手作りプリン!!」
「美味でした」
無表情で両手にピースサインを作って不知火さんがその──ヤンキー……? を、煽る。
「ブッ殺す! 表出ろ!!」
「……そういうことは実力が伴ってから言いましょうね、天龍さん」
「その哀れみの目やめろォ!!」
同情するかのような視線を向けて、ぽんと不知火さんが肩を叩くとその人が吠えた。
「この左目さえなぁ! 見えてればお前なんかボッコボコなんだよ! つーか最近は互角だろうが!!」
「駆逐艦の不知火と張り合ってて恥ずかしくないんですか?」
「ぐぁー!! 海に沈めてやる!!」
やだ、ここ、怖い。参番と二人してその様子にドン引きである。二人で執務室の隅で身を寄せ合い、こっちに飛び火しないように祈りながらことの成り行きを見守る。
二人が言い合いをする傍らでは、いいぞー不知火をけちょんけちょんにするデース! と金剛さんが囃し立てていた。そして、その奥では。提督が話が進まない……と両手で顔を覆ってさめざめと泣いていたのであった。
※
一段落ついて息をつく。最終的に収集がつかなくなったので陽炎を召喚してその場を収めたけれど、候補生達の顔はすでに引きつりまくっていた。陽炎、頼みます。フォローは一重にキミにかかっている。
「あー疲れた」
「テイトクは何にもしてないデショー?」
「気疲れってやつです。そもそも金剛が悪いんですよ」
はぁ、ともう一度ため息をついて執務机に突っ伏す。息抜きをしようと思っても去り際に不知火にロープで椅子にくくりつけられて動けない、悲しい。
「Sorry! なんとなーく伍番の傍は居心地がいいんデスヨ。気がつくと吸い寄せられてるというか」
「……なんじゃそら」
「うーん?」
「浮気ですか?」
「ワタシはいつだって提督一筋デース!!」
バーニングラァブ!! と金剛が叫びながら飛びついてくる。それをそのままにしながらそっぽを向く。
「ふーん」
「アレ? テイトクー、もしかして妬いてるー?」
「はいはい、嬉しそうな顔しなーい」
ぺちんとデコピンをかまして本題へと移る。
「で。あれ、なに?」
「……サァ?」
じゃらり。彼女達が入ってきた瞬間、微かに鈍く響いた金属音につられて右目をこらした。金剛が突拍子もない行動に出てくれたお陰で悟られることはなかったと思うけれど、それが見えた瞬間、思わず頬を引きつらせてしまった。
幾重にも巻きつく鎖と、その中心にある南京錠。素人目でも厳重な封がされているとわかるそれ。
「……クーリングオフできないかな」
「無理じゃないデスかー?」
「ですよねー……やだなー、なんかあれ、私のこれと似たようなにおいがするんですよねー。迂闊に触れない感じの」
トントン、と左の人差し指で自身の右腕を叩く。ここまで禍々しいものではないとは思うけれど。興味本位でつつけばそれこそ鬼が出るか蛇が出るか。
「もー……次から次へと」
一難去ってまた一難。ちょっとした隠居気分でここに流れついたというのに不知火の件といい、天龍の件といい、ずーっとバタバタしっぱなしだ。
「……甘いもの、食べたい」
「ちょっと鳳翔に聞いてきマース、ホラホラ、元気出してヨー!」
「……うん」
ついでにいうと縄も解いてほしいけれど。以前それをやってもらったら二人して不知火に簀巻きにされたので大人しく書類業務へと取り掛かるのであった。
※
「ごめんねー騒がしくて。ちょっとガラは悪いけどいい人達だからさ」
「……は、はぁ」
ようやくまともな人に会えた、と信じたい。私達は今、陽炎と名乗りをあげたこの人に連れられ各種施設の説明を受けていた。
「ま、あれがあの人達の自然体だから。そのうち慣れるわよ」
「……だと、いいんですけど」
「フランクにいきましょ、堅苦しいの苦手なのよね、私含めここの皆は」
陽炎さんは、私より年下だろうか。艦娘になると成長速度が緩やかになると聞いたからもしかしたら同い年か、年上か。どっちにしても見た目よりその中身は大人びているように思えた。それは死地を何度も乗り越えてきたが故なのか。
「あ、そうだ
「神衣?」
「制服みたいなもんかなー、艦娘としての」
私のはこれ、と陽炎さんが自身の服を指さす。言われてみれば、どことなく学生服のようでもある。
「空母は和装で可愛いわよね、私ちょっと羨ましい」
「はぁ」
ここでも和装か。まぁ着慣れているからいいっちゃいいけど。ぽりぽりと頬をかいていると、いつの間にか隣に居たはずの参番がふと足を止めて外を眺めていた。
「参番、どうかしたー?」
「……ここは、空気が綺麗ですね」
「そう?」
「はい、過ごしやすそうでよかったです」
陽炎さんの呼びかけにそう答えてこちらに歩み寄ってきた彼女に話しかける。
「喘息とかもってたっけ?」
「そうじゃないけど。うん、ここでやってけそうかなって、なんとなくそう思っただけ」
「ええ~? 私はあの三人とうまくやっていけるか不安」
「あ、金剛さんもダメなんだ……」
「初対面で顔を撫でくり回されて好きになんてなると思う??」
そう小声でやりとりをしていると、少し先を歩いていた陽炎さんが着いたわよ、と声をかけてきた。
「ここが自室ね。空母は広々とした部屋でいいなぁ」
「陽炎さんは違うんですか?」
「駆逐は基本的に数多いからさー、二段ベッドに机二つだけの簡素で狭い部屋が普通なのよね」
中を覗き込むと畳が敷かれたこれまた和室。とことん空母は和、で統一されているらしい。陽炎さんが中に入っていき、きちんと畳まれた布団の上にのっていた二つの服をとってこちらに手渡してきた。
「はい、これが参番でこれが伍番、かな。瑞鶴さんのは白だったけど色がついてんのね」
「瑞鶴さん?」
「前にここにいた空母よ」
会話を交わしながら服を受け取り、そして。その色にぎょっとする。
「……オ、オレンジ」
「可愛いじゃない」
「ちょっと、派手じゃないですか……?」
ちらりと参番の服をみた。あっちは深めの緑色だ。ああ、きっと似合う。元々和装が似合う彼女だけど、その深い緑は彼女の髪色に映えるだろう。
「可愛いね」
陽炎さんとのやりとりでもごもごしていた私と、私の手元の服を見て参番がそっと呟いた。
「伍番は、髪の色素が薄いから。きっと似合うよ」
そう言って小さく笑う。
「……ぉう」
それを見てどうリアクションをすればいいかわからず、結局ぶっきらぼうに返事をしてしまった。
「とりあえず今日はもうゆっくりして。で、それ着てなんかおかしいところあったら言ってね、調整するから」
「わかりました」
「明日はー……あー、確かあのヘンテコな機械使うんだっけ。そう言えば集合時刻とか聞いてないや、聞いてくるから寛いでて」
そう言い残して陽炎さんが早足にこの部屋を出ていき、二人残される。寮でもそうだったけどここでも相部屋なんだな、と今更ながらに思いながら。
「……あのさ」
「ん? なぁに?」
「……あー、その。その服、も。きっと、似合うと思うよ」
しどろもどろと、さっき思ったことを口にする。
「……えへへ、ありがと」
「うん」
「着てみよっか、着方わかる?」
「うーん、多分」
そうしてようやっとこの泊地に来て初めてゆったりとした時間を過ごす。まぁ、なんか色々やばそうな人もいるけれど。陽炎さんは普通っぽいし、なんとかなるかなと思いながら。気が緩んで疲れが出てきたのか、あくびを一つ噛み殺してごそごそとそれを着てみるのだった。
※
「ハァイ! では今からお二人には飛龍達と対話をしてもらいます」
パァン、と両手の平を打ち鳴らしながら爽やかな笑顔で提督が言う。
あ、この人もなんか変。頼みの綱は陽炎さんだけだな、と思いながらきゅ、と口を結んだ。
「……あれ? 反応薄くない?」
「いきなりそんな事言われてもわかんねぇだろ」
「え、そう?」
奥に設置されている機械の向こう側から壮年の男の人が声をかける。土方の親方っぽい雰囲気だ、と思っていたら、艤装技師の若い男の人がおやっさん、と呼んで駆け寄ってきたことでなるほど、と頷いた。あだ名は体を表す。
「えーと。簡単に言えばこの機械を使うと艦艇の付喪神のことをちょこっと知ることができて、それによってちょこっと親近感が湧いてちょこっと同調率があがるんですよ」
「……」
「うん、伍番は正直ですね、胡散臭そうな顔をありがとう!」
あ、ごめん顔に出てた? もう一度口をしっかり結んでにっこりと誤魔化す。それを見ながら提督が言葉を続けた。
「艦娘は艦艇の神々を降ろす巫女のような役割をします。この状態はどうしても受け身で、彼女らと対等な会話が難しい。本来は
丁寧に説明してくれたけれど、なるほど、わからん。
「たまに適性が弱陽性、偽陰性となることがあるんですが。これはお互いの共通点などに気づかずスルーされてる時にね、起こるんです。だからもしかしたら伍番がこれを使えば適性がぐぐーんと上がるかもしれません!」
さささ、とぐいと背中を提督に押される。
「え、ちょ」
「だーいじょうぶ寝てるうちに終わるから、ね?」
「いやちょっとそんな説明だけじゃ怖いんですけど!!」
「あ、参番は伍番の後ね〜」
「なに!? なにそのヘルメットみたいなの! コードがいっぱいついてる!!」
「ははは伍番は元気があってよろしい、それ拘束具」
「この人見た目ひょろひょろなのに力強い!!」
じたばたと拘束された椅子の上で暴れていると、提督がそのヘルメットを片手ににじりよってきた。
「人体実験だぁー!!!」
「なぜか最初、皆そう言うんですよねぇ。はいはい、怖くないですよー」
がぽ、とそれを被せられ、恐怖のあまりもういっちょ喚こうとしたところで。ばち、と衝撃を頭に受けて気を失ってしまった。
※
──揺れる、揺れる。意識が、揺れる。
ぼんやりと目を開く。私は、この航空母艦飛龍そのもの。その意識は艦全体をふわりと包んでいたり、あるいはこうやって人の形を模して集まることによって緩やかに、まるで本当の人のように意識を形作ったりすることができた。
日の光が刺すように照りつけ、目を細める。夏のこの真っ青な空も、その空いっぱいに広がる入道雲が刻一刻と形を変えていく姿を眺めるのも好きだった。
甲板上では汗だくで乗組員達が飛行甲板の掃除をしていた。今日も今日とて、彼らの掃除は夏の暑さにも負けぬ威勢のよさだ。
一人の男が息をついて顎から滴り落ちる汗を拭った瞬間だった。突如として辺りに満ちる轟音。自身にとっては慣れ親しんだ心地の良いこの音も、つい最近配属された士官候補生であるこの男のド肝を抜くには十分だったようで、ハッとした様子で彼は空を見上げた。
その視線の先。
「……あっぶないなぁ!!」
艦攻が飛び去った後、思わず、といった感じで素っ頓狂な声を上げた男に指揮をとっていた一等兵の叱声が飛ぶ。それを聞いて慌ててその男は掃除へと戻っていった。
さやさやと流れる風を受けて目を閉じる。いい、天気だ。これからの戦いのことなど忘れてしまいそうなほどに。この瞬間の穏やかさが、何よりもかけがえのないもののように、思えた。
──意識は薄れ、分散して。また、より集まる。
艦載機が一機、
ヘルメットを外しながら、一人の男がその機体から降りてきた。
「どうかね、うちの隊は」
下で待っていた多聞丸が彼を歓迎しながら問いかける。その言葉を聞いて、彼は日焼けした顔をにかっと綻ばせながら答えた。
「二航戦の諸君が一番勇猛果敢に思えます、お世辞やなしに。疾く、大胆に。照準の精度もいっちばん優秀や。負けん気の強そうなのがよう揃っとる」
「私に似たかな」
「一航戦も負けてられへんわ」
あっはっは、と楽しそうに二人で笑い合っている。ああ、そうか、あの人は一航戦の。
それはそうだ、私と■■はなんたって多聞丸の鬼のしごきに喰らいついて、喰らいついて、それこそ血の滲むような努力を重ねている。一航戦にだって早々負けてなどやるものか。
今度の戦いは色々と不安が尽きないけれど。それでも、私と■■、二人が揃っていれば──ザ、ザザザ。
※
「──ぷは!」
「……あれ?」
覚醒したその勢いのまま、頭につけられていたヘルメットを外して息をつく。
「な、なん、な……なにこれ……」
「……おやっさん、シャットダウンしました?」
「いや、俺はいじってないぞ」
私の言葉など耳に入ってないのか、おやっさん、と呼ばれていた人と提督が計器を見ながらあーだこーだと話し合っている。……え、なんか異常でもあったの?
「異常、なし」
「うーん。でもなんか最後、不自然に落ちませんでした?」
「おい伍番、それもっかい被れ。脳波見るから」
「脳波!?」
「あー、大丈夫だからよ」
わしゃわしゃとぞんざいに頭を撫でられ、またがぽ、とそれをはめられる。今度は意識を失うことはなかった。
「ん、大丈夫だ。安全性を確保するために俺達が見てんだ、そう心配すんな」
「えー……じゃああれなんですか?」
「こいつの意識の落ち方が浅いんじゃないか? ……つーか、こいつ変な値出してるな」
「変!?」
「あーホント。適性は丁のままの癖にいっちょまえに同調率基準値クリアしてますね」
「つ、つまり……?」
「飛龍と心の相性は滅茶苦茶悪いのに、体の相性はバッチリなセフレみたいな関係──もが」
「……お前、なんつー表現すんだよ」
おやっさんが呆れた顔で提督の口を手で塞いだ。
「普通は適性が低けりゃ同調率も低い。同調率が低いと艤装が動かしにくくなる、動作の瞬発力も落ちる。戦場では致命的だろ、だから基本は適性が基準値クリアしてなきゃ落とすんだが……」
「これは判断に困りますねぇ」
「養成学校では同調率まではチェックしねぇからなぁ……お前ラッキーだなぁ」
はぁー、とよくわからないため息をつきながら二人がこちらを見ている。……え、つまり、どういうこと?
「うーん。とりあえず機械に異常はないし。伍番のことは後でもうちょっと詳しく調査するとして。参番、いきましょうか」
その言葉につられて参番を見る。憔悴しきった私を見て、彼女はひく、と頬を引きつらせていた。うん、こんな様子を見せられれば怖いだろう。でも私だけこの恐怖を味わうのは癪である、道連れよ。椅子から降りて、じり、と後ずさる参番の腕をがっしりと掴む。
「……や、やだぁー!!」
「大丈夫! ちょっとチクっとするだけだから!!」
「説得力ないよ!!」
そうして今度は提督と二人がかりで参番を機械へと押し込むのだった。
※
げっそりとしながら食堂へと向かう。参番は同調率の詳細なチェックだなんだでもう少し時間がかかるからということで、一人力なくその扉をカラカラと開いた。途端にふわりと食事のいい匂いが強くなり、ぐぅとお腹が鳴った。
あそこで食事を受け取ればいいのかな。厨房と思われるところで動き回っている女の人に声をかける。
「あのー……」
「あら。はー……い」
その人は振り返って穏やかに私に笑いかけようとして。言葉を、一瞬詰まらせた。
「あの」
「……ご、ごめんなさい、新しく来た子ね」
「はい」
「これからよろしくお願いしますね。……その服、似合っていますね」
そう、どこか懐かしむように。彼女が目を細めた。
「そうですか?」
「ええ、とても。自己紹介が遅くなりました、航空母艦の鳳翔と申します」
「え」
「今後、訓練で指導することもあるかと思いますから。よろしくお願いしますね」
そう言って笑いかける彼女に、あたふたと自己紹介をする。彼女は私のご飯をよそいながら弓の経験はありますか? と聞いてきた。
「いえ、全く……」
「そうですか。それでは最初は大変ですね、弓を引くときは普段使わないところを使いますから」
「そうなんですか?」
「ええ。ふふ、前に指導していた子達がいたのだけれど。その子達も最初はぐったりしていたわ」
「うえー……」
トレイを彼女から受け取り、思わずそう声を漏らすと。くすくすと笑いながらすぐに慣れますよ、と鳳翔さんが励ましてくれた。
……なんだか落ち着くな、この人の笑顔。思わぬところでまともな人、もとい癒し系と出会ってほっこりとしながらテーブルに座って食事をとる。まだちょっとお昼には早いのか、人はまばらだった。
「だから、なんでここで間違えるんですか」
「好きで間違えてるわけじゃないデース!」
「好きとか嫌いとかそういう問題ではないんですよ、いいでしょう今日のお昼は秘書艦としての自覚についてみっちりお話しましょう」
「ご飯がまずくなるネー!」
「知ったことではありません」
しばらく一人で食べていると、ガラガラと扉が開く音がして途端に辺りが騒がしくなる。金剛さんと不知火さんは食事を受け取った後もぎゃあぎゃあと言い合いをしながら同じテーブルについた。こちらには気づいてないようだ。
「ここいい?」
「陽炎さん」
そしてちょっと離れたところでその様子を苦笑いしながら見ていた陽炎さんがこちらに気づいて目の前に座った。
「……あの二人は、仲が悪いんですか?」
「えー、そんなことないわよ?」
「……私にはとても険悪に見えるんですけど」
ちらりとあっちのテーブルを見やると、不知火さんが金剛さんの頬をつねって金剛さんが悲鳴をあげているところだった。
「あれはただのじゃれあい。金剛さんは、まぁ懐が広いから。不知火がそこに甘えてるとこもあんのよ」
「甘……?」
「うーん、今日も不知火が楽しそうでよかったわ」
「楽し……??」
陽炎さんと私の見えている世界があまりに違いすぎて、思わず目をこすった。うん、私の目はおかしくない。今度は金剛さんがデザートの桃を不知火さんから奪ってチョップされていた。
「あれ、本気の喧嘩にならないんですか……?」
「まぁ、なることも、あったり、あったり……」
「なるんですね……」
食事をしながら、言い合いをしながらお互いの食事の奪いあいをしている二人を見て器用だなぁと変なところで感心しつつ、なんとなく言葉を続けた。
「なんで止めないんですか?」
「んー?」
「喧嘩なんてしないに越したこと、ないじゃないですか」
ひょいひょいぱくぱくとものすごい勢いでご飯を平らげながら陽炎さんがこちらを見上げた。……結構早食いだなぁ。
「喧嘩したっていいじゃない」
「え?」
「喧嘩してみないとわからない本音とか、あるじゃない? お互いがきちんとお互いを見ていれば気まずくなっても元通りになるわよ」
そう、なんてことはないという様子で言い切って水を一気にあおる。
「……」
「伍番だって喧嘩の一つや二つ、したことくらいあるでしょ?」
「……ないです」
「でしょー……は?」
そこでぴたり、と高速で動き続けていた彼女のスプーンが止まった。
「……なんて?」
「ないです、喧嘩したこと」
小さい頃のことはあまり覚えてないけれど。思い出せる範囲ではそういったことは見当たらず、きっぱりと言い切ると陽炎さんが目をまんまるにしてはー、と声を漏らした。
「そういう子もいるのねぇ」
「……」
「まぁ、いいけど。たまには喧嘩したって死にゃしないわよ」
そう言ってもう一口、口に運んでじっとこちらを見つめるその視線に妙な居心地の悪さを感じた。それを誤魔化すかのように言葉を続ける。
「……喧嘩って、どうやるんですか」
「へ?」
「やり方、知らないです」
なぜ自分でもこんな不貞腐れた物言いになるのかわからない。それでも、陽炎さんはそれに気を悪くした風でもなくうんうんと考え出した。
「ええ……? やり方……? えーと、まず」
「まず?」
「相手の顔面に拳を叩き込みます」
ぐっ、と拳を握りこんで目の前で掲げながら真剣な表情で陽炎さんが言い切った。……いきなりハードルが高い。
「……」
「あれ? なんか引いてる!?」
「艦娘って、皆そんな感じなんですか?」
「今なんかすごい馬鹿にされた気がするんだけど! わ、わかったわ。えーと、じゃあ頭突きでもいいわよ!」
「物理攻撃から離れてください! あとなんでさっきからダメージ大きそうな攻撃方法ばっかなんですか!!」
「だって艤装背負ってる時に喧嘩するとダメージ入りにくいし……」
やるからには勝ちたいじゃない? と真顔で同意を求められても困る。やだ、怖い。
「……私が丁適性なの、平和主義で闘争本能が欠けてるからかなぁ」
「ちょっと。あんた結構失礼じゃない?」
「ソンナコトナイデスヨ」
「目を見て言いなさい、こら」
やいのやいのと言い合いをしながらご飯を頬張る。うん、これくらいのじゃれあいは私だって出来るし。別に、本気の喧嘩なんて必要なければないに越したことはないよね。
そう結論を出して。先ほどのもやもやを、忘れることにした。