双龍、綿津見へ還りて   作:moco(もこ)

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後編

 

 厚い雲が太陽を覆い隠し、海が一層暗く色を変える。びゅうと風切り音が定期的に聞こえるくらいには風も強く、そして海はその鉛を溶かしたかのようなその灰色の水面を不気味に蠢かせていた。晴れた日にはあんなに綺麗な青に染まって見ていて心が洗われるというのに、どうして荒天時の海はこんなに不安をかき立てるのだろう。

 

「よぉし、お前ら、航行訓練だ」

「こんな悪天候でですか!?」

「何言ってんだ雨降ってねぇだろ?」

 

 そしてこちらのそんな不安など意にも介さない様子で今日の指導役、嚮導艦である天龍さんが振り返る。

 

「で、でも風が!」

「おう、全然許容範囲の強さだな」

 

 艤装を背負って数週間。丁適性だからとビクビクしていたけれど、実際背負ってみればなんてことなく動かせ、ホッとしたのも束の間。初めて穏やかな海の上へと一歩踏み出して盛大にすっ転んだあの日が懐かしい。一見穏やかな海でもどうにも水面に立つ感覚というものは慣れなくて、立つことすら慣れるのにしばし時間を要した。丁適性だから下手なのかと思ったけれど、隣で参番も同様に盛大にすっ転んでいたので適性なんて実はあまり関係ないのかもしれない。

 そんな私達がようやっと格好がつくようになってきた頃だというのに。いきなりこの海に出るという。

 

「オラ、波に横っ腹晒すな! 横転すんぞ!!」

 

 おっかなびっくり、そろりと海へと出ると前を行く天龍さんがそう声を張りあげた。今日は指導役が三人、私の指導に天龍さん、参番に不知火さん、そしてフォロー役の陽炎さんのオールスターである。

 独特な波のうねりに立つことすらままならなかったけれども、しばらくすると少し慣れてきた。そして、思ったより波が高くないな、とほっとした時だった。目の前の海面が、気づけば静かにせり上がってこちらに迫ってきていた。

 え、なんで、さっきまではこんなに高くなかった。今にも飲み込まれるのではないか、という恐怖心から思わず減速しようとすると。

 

「──違ぇな。こんくらいの波はなァ、全速力で突っ込むんだよ!!」

 

 いつの間にか後ろに回りこんでいた天龍さんにぐいっと背中を押され、増速しながら大波へと突っ込んでいく。予想外の出来事に声にならない悲鳴をあげて目を瞑った。

 

「今日の波はちっと物足りねぇなァ」

 

 天龍さんが楽しそうにそう言うのと、ぐわっと体が波に乗り上げた感覚が襲ってくるのは同時だった。

 た、たっか! 思わず目を見開くと、今度はひゅ、と体が落ちていく。内臓が持ち上がる独特な浮遊感に視界が滲んだのは決して飛沫が目に入ったからだけではないはずだ。

 

「無理無理怖い怖い!!」

「はっははぁ! 次が来るぞォ!!」

「わー!!」

 

 すでに私を追い抜いていた天龍さんが高らかに笑いながら次の高波に突っ込んでいってその向こう側に姿を消す。パニックを起こして操舵にまごついているうちにその波にさらわれすっ転んでいると、陽炎さんが助けに来てくれた。

 

「ゲホ、ゲホ!」

「あー、航行安定装置があるからもう少し力抜いて大丈夫よ?」

「そんな事言ったって……!」

 

 たしかにこうやって一旦波に飲まれても体勢さえ整えばまるで地にそうするかの如く海面に手をついて身を起こせる、沈むことはない。そうはいっても怖いものは怖い。半ベソで陽炎さんに抗議の声をあげていると、無線から不知火さんの声が聞こえてきた。どうやら参番の指導を無線越しにしているようだった。

 

『視線は足元に落とさない、失速、衝突の原因になります。そして目線を自分が乗りあげる波頭の先へ先へと向ける、そうすれば波の変化を一早く察知でき、落ち着いて次に対応ができます。あと晴天時の波ならば普通にしていて構いませんが、こういう波を乗り切るためには膝を曲げて、柔らかく──』

「めっちゃ指導丁寧!!!」

「不知火は教えるのうまいのよねー、あ、その波は」

「私もあっちがい──ガバゴボ!!」

「避けないとー……遅かったか」

 

 波に飲まれる。視界が、青く、青く染まる。叫んでいた影響で、口の中に海水が入ってきた。ごぼり、と口から酸素の泡が逃げていく。

 

(──?)

 

 その感覚に、何かが引っかかる。なんだっけ、と思考を巡らせる間もなく力強く海面へと引き上げられた。

 

「──ぷは!」

「どっちにしろ最後は体で覚えるしかないんだから。私が助けてあげるから吹っ切って波に乗ってみなさい」

「天龍さんは!?」

「あっちでハイになってる」

「あの人嚮導艦向いてない!!」

「いやあれでいて駆逐には人気あんのよあの人」

「私には絶賛不人気です!!」

「まーあの荒っぽさは空母向きではないかもねぇ」

 

 離れた所で高笑いをしている天龍さんを指差して鬱憤をぶちまけると、私の手を引きながら陽炎さんが頬をかいた。

 

「あの人からはね、見て盗むのよ。──天龍さん」

『なんだー?』

 

 陽炎さんが無線で呼びかけると、ご機嫌な天龍さんの声が返ってくる。

 

『伍番がねー、天龍さんの華麗な航行をもっと見たいってー。せっかくだしちょっとかっこよく不知火とやりあってみてくれませんか?』

「え、私そんなこと言ってな」

 

 思わず陽炎さんを見、そして天龍さんを見る。ちょうど天龍さんがこっちを振り返っていた。

 

『……しょーぉがねぇーなァ!! そこまで言うんなら見せてやるよォ!!』

 

 とてもいい笑顔だった。

 

「ね? こうやって教えてもらうのよ」

 

 褒めて褒めて、うまーく使いなさい、と涼しい顔をして陽炎さんがさらりと言う。

 

『不知火もいい? 反航戦で一回やりあう感じでさ』

 

 そう陽炎さんが後ろにいた不知火さんに話しかける。それにつられてちらりと見やれば、不知火さんが手袋をぎゅっとはめ直しているところだった。

 

『……別に、沈めてしまってもいいのでしょう?』

『上等だコラァ!!』

『模擬弾! 模擬弾だからね!?』

『冗談です』

『わかりづらい冗談やめろつってんでしょ!!』

 

 なんでこの人達いっつも喧嘩腰なんだろう。よたよたと脇の方に参番と避けながら事の成り行きを見守る。

 

『はぁ……じゃあ、始め』

 

 審判を務める陽炎さんがそう言うと、二人ともこの荒波など気にする風でもなくお互いめがけて全力で突っ込んでいった。

 

『あれね、ただ突っ込んでるだけに見えてきちんと波読んで動いてんのよ。追い波の下り斜面は加速にもってこいだけど舵を切ると転覆するから。天龍さんの動きよく見てて』

 

 ただただ二人が動く様子を見ていることしかできない私達に陽炎さんが解説を入れてくれる。言われてみれば斜面で加速、底から登りで方向を微調整しているような気がする。

 

『波浪と、うねり。風の強さ、敵の動き……全部考えた上であの動きなのよ』

『す、すごいですね……』

『水雷屋だからね、どんな天候でも動けなきゃ話にならないし。 空母はこんな波じゃ戦えないけど、まぁ接敵時の回避行動の参考にはなるんじゃない?』

 

 ほぅと参番と二人して思わず感嘆の息をこぼす。空母は荒天時、発着艦もままならなくなる。雲の切れ目を見つけ、波の穏やかな海域にいち早くたどり着き、敵の攻撃範囲外から艦載機を飛ばすのが基本。だからこういう状況下で戦闘に巻き込まれるということは相当なピンチを意味する。反撃もろくにできない、そして万が一飛行甲板に被弾したら艦載機を飛ばすことすらできなくなってしまうからだ。だから、こんなとき。こうやって護衛の巡洋艦や駆逐艦が体を張って守ってくれるのだ。

 

『お互い被弾二、小破。引き分けかな』

『ざっけんな認めねぇぞ!』

 

 交戦は一瞬。すれ違いざまの砲撃の様子をしっかりと把握している陽炎さんの目にも驚くけれど、あんな荒れた波の中お互いに命中弾を出している二人もおかしいと思う。

 

『延長戦だ!!』

 

 そう叫んで反転しながら天龍さんが懐の刀を抜いた。……刀? 

 

『……!』

『っ、ははぁ!! いーい反応だ!』

 

 不知火さんが振り返りざま、魚雷発射管のアームを動かして天龍さんの斬撃を弾いた。そしてそのまま二人の姿が波の向こう側へと消えてゆく。

 

『ああー……まーた始まった』

 

 荒波の中、ただの喧嘩の様相となり殴り合いを続けている二人の様子を見て陽炎さんがぼやく。

 

『あの二人はね、頭に血がのぼりやすいから……大抵は最後ああなるんだけど……うん、真似しちゃだめよ』

 

 しません。無言で参番と全力で首を振る。

 

『いい、空母は一人で突っ込んじゃダメだからね、護衛がいるならまだしも。あれは反面教師よ。どんな状況でも、冷静に──』

 

 陽炎さんが反面教師達を指差して注意をしている最中、パァン!! と小気味のいい音がして陽炎さんの頬にペイント弾がクリーンヒットした。

 

『フハハ!! 油断したなァ、陽炎!!』

『余所見とはいい度胸ですね天龍さん』

 

 どわー! と遠くから天龍さんの悲鳴が聞こえる。恐らく不知火さんの一撃が入ったのだろう。しかし私達二人は、陽炎さんから目を逸らすことが出来ないでいた。微かに俯いている彼女の表情はよく見えない。嵐の前の静けさ、という言葉がふと浮かんだ。陽炎さんは、ゆっくりと手袋越しに自身の手の甲でその汚れを拭い。

 

『……ぶっ潰す』

 

 普段より二オクターブくらい低い声で呟いたその言葉が無線越しに聞こえて、心臓が縮み上がった。

 

『いいぜ来いよ! 二人まとめて相手してやらぁ!!』

『ほざけ』

『ぼっこぼこにしてやるわよ!!』

 

 陽炎さんの右ストレートが天龍さんの顔面に決まる。軽く引き気味にその様子を見ているうちにどんどんその乱戦が激しくなってきた。

 

「ちょっと! 流れ弾!! まって実弾混じってないこれ!?」

「や、やだやだぁ!!」

 

 最終的に私達も巻き込まれ、涙目で荒波を転げ回るはめになった。

 

 

「……申し開きを、聞こうか」

 

 いつもはわりと温厚なおやっさんが地を這うかのような声で怒りをあらわにしている。般若だ、般若がいる。

 

「魚雷がなければ、魚雷発射管で殴ればいいじゃない」

「だから訓練なのにこんな艤装がひしゃげてんのかオイ!!」

「やはり自身の拳の方が力がのりますね、今後は自分で殴ることにします」

「反省しろ!!!」

 

 全員整列して正座。陽炎さんがピンと無駄にキレイな挙手と共に悪びれもせずそうのたまうと、おやっさんの怒りが爆発した。その後に顎に手を当てながら思案顔で淡々とコメントを述べた不知火さんの発言がまた火に油を注ぐ。私も負けじと手を上げて主張した。

 

「ハイ、ハイ! 私達巻き込まれただけです!」

「うるせぇ、連帯責任だ!!」

 

 とばっちりだ!! 

 首を捻って当の問題を起こした三人を見れば、そっぽを向いていて知らぬ存ぜぬという態度を取られた。

 

「いいか、別に訓練中にちょっと白熱するくらいなら、まぁ、いい。だけどな?? 頼むから、艤装を訓練の度にどこの海域で戦闘してきたんだ?? ってくらい壊すの、どうにかなんねぇか……」

「「「善処しまーす」」」

「こういう時ばっかり息ぴったり合わせやがって!!!」

 

 もうその言葉は聞き飽きたわ!! とおやっさんは顔を真っ赤にしてキレた。そろそろ血管も切れそう。

 

「そこで全員一時間正座ァ!!」

 

 今日は軽いな、艤装、見た目より壊れてないからじゃないですか、不知火が予算きちんと通したからちょっと資源潤ってるのもあるんじゃない? という会話を耳に捉えながら。ああ、ダメだ、この人達常習犯だ、と悟った。ちらりと隣の参番を見やれば全てを諦めたかのような顔をしていた。うん、わかる、その気持ち。

 じんじんと痺れ始めた足に悶えていると、妖精さん達が同情するかのように周りに集まってきた。ありがとう、でも足には乗らないで……。

 

 

 ようやっと正座から解放され、お風呂でベタつく髪などをさっぱりさせて宿舎へと繋がる廊下を歩いていると、ちょうど中庭に見知った人を見かけ、縁側から声をかけた。

 

「まだ訓練するんですか?」

「ん? なんだ伍番か。あれはお前らの訓練だろ」

 

 顎からしたたり落ちる汗を手の甲で拭いながら、さも当然という風に天龍さんがそう言った。

 私にはそこまで必死に体を鍛えようとする熱意はない。だから、彼女がそこまでする理由が純粋に気になって質問をした。

 

「なんで、そんなに頑張るんですか?」

「……前の部隊に戻るためだ」

 

 ひゅ、と刀を振って鞘に戻しながら淡々と天龍さんが答える。

 

「ちょうど左目に怪我した頃に運悪く配置転換が来てな。お払い箱ってワケだ」

「……そんな風に扱われたのに、戻りたいんですか?」

「配置変えは上の指示だからなァ。提督は悪くねぇ、最後まで抵抗してくれたしな。それに」

 

 そこで水筒の水をあおり、一息をつく。よくよく彼女の体を見れば、引き締まった体もそうだけれど、何より体に刻まれる傷の数々が歴戦の戦士であることを物語っていた。

 

「龍田が待ってるからな」

「龍田?」

「妹だ。実のな」

 

 そう言って水筒を近くのテーブルに置いてこちらを見返す彼女の目は、どこまでもまっすぐだった。

 その目を見て、なぜか。理由のわからない焦燥感を覚えた。

 

「……頑張ったら、戻れるんですか?」

「さぁなァ」

「……わからないのに。なんで、頑張れるんですか」

 

 この人は、口も悪ければ態度も悪い。手はすぐ出るし、教え方も下手くそだけれども。それでも、その根底にある心がまっすぐだ。

 質問を投げかける私の口は、なぜか妙に乾いていた。なんでこんなに焦っているのだろう。なんで、こんなに。

 

「なんもしなかったら可能性はどこまでもゼロだ。何をすれば戻れるかなんて知らねぇ。それでもオレは諦めない」

 

 そう言い切れるこの人を。

 

「たった一人の、妹だからな」

 

 羨ましく思ってしまうのだろう。

 

 ──ぱたた。

 

 雨が、地面を叩く音がした。それにつられて天龍さんが空を見上げる。

 

「ち、雨か」

 

 ものたりねぇ、と呟きながらこちらに上がって来てすれ違いざまに、

 

「湯冷めすっぞ、気ぃつけろ」

 

 と言って去っていく彼女に、何も言うことができず。首からかけていたタオルを、ただ、ぎゅっと握りしめた。

 

 

 ここに来てから。いや、養成学校に入ってから、もしかしたらそれよりもずっと前から。ずっと、自分に問いかけていることがある。

 

「索敵線はもう少し刻んだ方がいいんじゃないかな?」

「でも艦戦が足らなくない?」

 

 ──なんで、私は。ここにいるんだろう。

 

「艦攻を、魚雷とか外して流用すれば」

「そんな事したら攻撃がおろそかになるじゃない」

 

 食堂のテーブルで海図を広げ、図上演習を二人でやりながら。私の心は、どこかここにあらずだった。

 

「でもきちんとした情報を得ないと。索敵機を減らせばそれだけ一機当たりの責任が重くなる。もし、誤認をしていたら? その索敵機しか敵を捉えてなかったら?」

「それは……」

「索敵を怠れば。……敵の、思うつぼだよ」

 

 いつの頃からだろう。彼女の考えていることが、よくわからなくなった。いつの頃からか彼女の表情に陰りが差して。どうしたの、と問いかければ困ったように笑ってごまかすようになった。それを繰り返すうちに、ああ、私がこんな顔をさせているのだな、と理解した。

 

「……なんでそんなことわかるの?」

「え?」

「だって。図上演習するの、初めてなのに」

 

 どうして、深刻そうな顔をしてそんなことを言うのだろう。

 

「……あー、あのね。提督に頼んで、蒼龍の資料を見せてもらって。そのときの海戦の状況を見てね、そう思っただけ」

 

 ああ、やってしまった。どうやらここは踏み込んではいけないところだったらしい。

 

「……ふぅん」

 

 今のどこに嘘をつく必要があったのかわからないけれど。こうやって私は、彼女といる限り彼女の地雷を踏み続ける。

 ──なんで、私はここにいるんだろう。

 そうしてその質問を繰り返す。

 ──ずっと、傷つけることしかできないのに。どうしてそばにいるの? 

 ……本当はわかっている。彼女から離れられないのは、私のわがままだ。どんなに傷つけてしまっても、それでも離れたくないという私の、わがまま。本当は艦娘にだってまるで興味などなかった。でも、あそこで引いてしまったら。きっともう二度と会えない、そんな予感がして気づいたら食い下がっていた。

 ──なんで、ここにいるの? 

 ……私、は。

 ──彼女の本当の気持ちを知る勇気も、ないくせに。

 

「……じゃあ、もう一回それでやろ」

 

 ぐるぐると同じところを巡り、身動きが取れなくなる自分の気持ちを追い払うように、くしゃりと髪をかきあげて図上の駒をざーっと全て払った。

 私は、臆病だ。まっすぐ相手にぶつかることができる陽炎さんも、離れ離れになっても相手を想い続けてただひたすらに努力を重ねる天龍さんも。眩しくて、眩しくて、それでいて。とても、羨ましかった。

 

 

「どう?」

「んー、見つからない……」

「私も、ダメ」

 

 ここに来てしばらく経った。航行にも馴れ、発着艦もどうにか形になってきた私達は、より実戦的な訓練をするようになってきていた。

 今日は敵艦役の不知火さんの居場所を索敵して、攻撃をするところまでの訓練だった。

 

「ええー……あと索敵してないの、どこよ?」

「敵がいないと踏んで飛ばしてないのは、ええと」

「あ、索敵網から漏れた可能性もあるのかな?」

「……ううん、と」

 

 いかんせん初めての実戦に近い演習である。実戦経験のない私達は、ああでもないこうでもないと周りの様子も気にかけずに呑気に次の行動について話し合っていた。

 

『──索敵ばかり気にかけて』

 

 突如、不知火さんの声が響く。それにハッとして辺りを見回せば、島影から飛び出してこちらを狙っている彼女の姿を捉えた。

 

『周囲の警戒を怠ると、こうなるんですよ』

 

 そう淡々と述べながら不知火さんが放った模擬弾は、キレイに参番へと飛んでいった。彼女が自身を庇うように腕を動かしたことによって、逆にその弾は飛行甲板へと吸い込まれるように直撃した。

 あれは、大破判定だな。そう思って無線で呼びかけようとした、そのとき。

 

「やだやだ、やだぁ!!」

 

 急に彼女が悲鳴に近い声をあげて狼狽え始めた。その尋常ではない取り乱しように思わず立ちすくむ。

 

「やだ、誘爆しちゃう!」

 

 ──赤い、赤い炎。荒れ狂う大蛇のごとくそれは艦橋と甲板を飲み込んでゆく。

 

「……っ」

 

 泣きじゃくる子供のようにうずくまってしまった彼女に声をかけようとして息が詰まる。視界が、ぶれる。

 ──おおきな誘爆が起こって人々が海へと放り出される。なおも続くその音と、彼女の叫び声にも近い悲鳴が重なって、私は。

 

「──()()!!」

 

 気づけば、そう叫んでいた。

 カッと頭に血がのぼり、喉がひりつく。揺れる、揺れる。視界が、揺れる。ここは、この戦場は、地獄は。息苦しくて酸素を求めるように息を吸えばひゅ、という音を喉が奏でた。

 そして私の叫び声を聞いて。ぴたり、と動きを止めた彼女が、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……、?」

 

 喉の奥から絞り出すように発されたその声は、あまりに頼りなく、私に届くことはなかった。それでも。縋るように、こちらに視線を向けた彼女を正面から受けて。

 ──何度も何度も振り返る。左舷に大きく傾きながら、なおも黒煙を吹き上げて苦しみ悶える彼女をその場に置いて。

 あおい、あおい。空よりも深くあおい視界の端に彼女を捉える。何かを叫ぶ彼女に何か言おうとして、ごぼり、と肺にその漆黒よりもなおも蒼い、まるで()()が流しているかのような海の(なみだ)が流れ込む。

 ──ああ。

 私は。

 ──最後の最後に。大切な大切なあの子を。

 

 ──ガチャン!!! 

 

「……いっ!!」

 

 何かが激しい音を立てて崩れ去るような、そんな音が聞こえた。それと同時に頭をガンガンと金槌で殴るかのような痛みが襲い、膝を折った。

 ざりざり、ざりざり。砂嵐のような耳鳴りが響く。ざりざり、ざりざり。視界はどんどん狭く狭く、白く白くなっていく。

 息ができない、ここはどこだ、私は誰だ。

 ──違う違う、こんなものは私にはもう関係ない! 

 思考が混ざる、ぼやける。そして、最後に一際大きな耳鳴りが頭に響いて。私は、私を見失った。

 

 ──ザリザリ、ザザ、ザ。

 

 一瞬の出来事だった。敵艦爆隊の姿を捉え、探照灯信号にてそれを加賀さんに伝え、それによって敵雷撃機を狙って低空射撃をしていた彼女が上空射撃へと切り替えようとしたそのとき。彼女に最初の一弾が、命中した。

 飛行甲板上に並べられた飛行機の爆弾や魚雷。外されたまま置きっぱなしになっていた陸用爆弾が次々に誘爆していく。私の左舷を走っていた彼女のその姿は。私から、よく見えた。

 

「三空母炎上中!!!」

 

 誰かが、叫んだ。それにつられて呆然と辺りを見回す。

 ──洋上では。高く高く、天まで届かんとする猛煙が三柱、ごうと上がっていて。その一柱は、確かに。私の後ろを走っていたはずの、彼女のもの。それは、もう一人の自分自身のように思っていた。いつ、いかなるときも常に寄り添ってきた頼りになる相棒の、変わり果てた姿だった。

 

『──蒼龍!』

 

 そう叫んだ私の声は。その時ちょうど、何かに誘爆した彼女の悲鳴によって、かき消された。

 

 ──ザザ、ザ。

 

 ミッドウェー攻撃の際に被弾した彼の機体の右翼の主燃料タンクの修理は、等々第二次攻撃隊の発進に間に合わなかった。先の第一次攻撃から帰ってきた機体はあまりに少なく、その様を見て思わず絶句してしまった。敵の抵抗は苛烈なものとなるであろうことは、容易に想像出来た。

「かかれ」の号令を発して、ボロボロの愛機へと彼が向かう。

 

「友永隊長!!」

 

 後ろから大声で名前を呼ばれ彼が振り返れば、整備兵曹長が彼の元へと駆け寄ってきていた。

 

「隊長、片道分の燃料しか入っていない破損機など飛ばせません! 考え直してください、友永隊長!!」

 

 目に大粒の涙を浮かべ、必死に彼を引き止めようとする。それを、彼は黙って静かに見返していた。それは、この熾烈な海空戦を前にして。自身の命が燃え尽きることを覚悟した男の静かな闘志の表れだった。

 

「いいよ」

 

 片道だけで、と言外に含み、泣きじゃくる曹長を軽くたしなめて。彼は、今まで苦楽を共にした愛機へと乗り込んでいった。

 そうして、一人、また一人と。共に過ごした頼もしい仲間達は、海の向こう側へと消えていった。

 

 ──ザザー……ザッ。

 

 私の上空をゆっくりと旋回していた複葉の艦上機が、ハンカチを振りながら飛び去っていく。ああ、鳳翔さんには悪いことをしてしまった。娘のように可愛がってもらったのに、最期を看取ってもらうことになるなんて親不孝もいいところだ。

 艦首は水中に沈み、艦尾のスクリューが高々と上がる。……ここまで、か。

 後悔なんてしていない。私は確かに最後に生き残った空母として、敵に一矢報いたのだ。だけれども。だけれ、ども。

 

『──飛龍』

 

 いつも一緒だった蒼龍と。最後の最後に離れ離れに、なってしまった。

 後悔なんてない。自身に言い聞かせるようにしながら、月灯りにうすぼんやりと船体を照らされ、漆黒の海へと沈んでゆく。

 月を見上げれば。頬を冷たいものがつたった。

 負けるということはこういうことだ、勝者がいれば敗者がいて。勝ちに勝っていた私達はそのことを忘れていたのだ。

 後悔なんて、ない。どうにもこうにも覆すことのできないこの状況で、私は、私達は勇敢に戦ったのだ。だから。

 ──最後に、蒼龍に会えなくても。後悔なんて。

 

 ──ザ、ザ…………ザリッ。

 

 あおい。あおい、記憶。

 なんで泣いてるの? 

 ──この悲しみを、誰からも。自分自身からも忘れ去られつつあるから。

 誰も、覚えてないの? 

 ──なんで、あんたが泣くの。

 お姉ちゃんが泣いているから。

 ──。

 あのね、悲しいことは半分こすればいいんだよ。みんなに忘れられちゃったなら。わたしが、覚えててあげるね。

 

 ──ザッ……。

 

「ごめんな、さい」

 

 誰かが謝る声がする。

 

「わたしが、誘わなければ。わたしが、見えるわたしが、しっかりしてなかったから、だから」

「違うさ。どっちにしろこうなってたよ、この子は昔っから優しいからのぉ」

 

 懐かしい声が聞こえる。これは、そう、もう死んでしまったおばあちゃんの声だ。それと、いつもの聞き慣れた声。

 

「なに、大丈夫だよ。今はこうするしかないけど、大きくなったらきちんと折り合いつけて生きていける」

 

 私は、あのとき。海に落ちた後、救助されて、それから。

 

「だから、今後もこの子と仲良くしてやっとくれ」

 

 そうだ、これは入院中のベッドで夢うつつに聞いた会話だ。ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら謝り続ける彼女に声をかけたくて。でも落ちる意識には勝てなくて、そのまま。そのまま、私はこのことも。あの海で起こったことも、忘れ去ってしまったんだ。

 

 

 真っ先に目に飛び込んで来たのは病室のくすんだ天井だった。夢の断片とこの状況があまりに酷似していて、一瞬混乱する。

 私は、ええと。そうだ、もう小さな子供ではない。かんむす、艦娘を目指して、訓練をしている候補生で。

 

「起きましたか」

 

 ぱたん、と何かが閉じられる音と共に、静かに声をかけられる。首を巡らせると、ちょうどベッドの横の丸椅子に座っていた不知火さんが本を小脇に抱えて立ち上がったところだった。

 

「……しら、ぬいさん」

「丸一日寝ていたんですよ。ここがどこで、あなたが誰か。わかりますか」

 

 淡々と質問を投げかける不知火さんに、寝起きの回らない頭でゆっくりと答える。

 

「ここは、──泊地で。私は、ええと」

「……」

「空母候補生、伍番、でいいですか。それとも本名の方ですか?」

 

 自分が誰かと問われれば、名前を取り上げられたこの身はなんと言えばいいのかわからずそう尋ねると。

 

「……大丈夫そうですね。主任を呼んできます」

 

 私の投げかけには答えず、静かに不知火さんは病室を出て行った。

 

 

 昔から、普通の人には見えないものがよく見えた。物心がつくまでは生きているのか、死んでいるのか。人なのか、そうでないのかの区別がつかなくて何度も危ない目にあった。神職の家系のせいかなんなのか。私は取り分け、幽霊とかそういった類いのものを見分ける能力が高かったようだった。

 目をあわせてはいけない。彼らの声に、応えてはいけない。幸い見えるだけで声は聞こえなかった私は、そうやって見て見ぬ振りをすることによってどうにか普通の人のように生きてきたのだ。そんな風に生きる私とは違って。彼女はいつもまっすぐだった。

 

「なんかねー見えないけどさ、憑かれてるのはわかるよ!!」

 

 彼女にわらわらと色々な雑霊が取り憑いていてぎょっとした私にあっけらかんとそう言った彼女は、私とは逆で見えないけれど声を拾える体質だった。その優しさゆえか、あるいは憑かれやすい体質なのか。幽霊はよく彼女の元に集まった。

 

「悲しい時はね、半分こすればいいんだよ」

 

 そのおぞましい幽霊の姿を捉えて固まる私に彼女がそう言ってぼろぼろと涙をこぼしていると、いつの間にかその霊は消えていた。

 

「悲しいからね、忘れようとするんだけど忘れられないんだって。だからわたしが半分、泣くんだ」

 

 ぽろぽろ、ぽろぽろ。彼女の流す涙はとても綺麗で、だからこそ危うく感じられた。

 きっと彼女のその優しさに救われた存在も多くあるだろう。私も、その一人だった。おねーちゃん、と呼んで慕ってくれる彼女は人の心に敏感で、だからこそ私の心の柔らかく、脆い部分を温かく包んでくれた。

 守らなきゃ。この子はこの世で生きていくにはあまりに純粋すぎる。きっとそのためのこの目なんだ、そう思っていたのに。

 

「──!」

 

 あのとき。私が、甲板に出てみようと言わなければ。()()に、いち早く気づいていれば。そうしたら彼女にこんな枷をはめることも、なかったのに。何度も何度も、変えられぬ過去なのだとわかっていても後悔する、自責の念が薄れない。

 

『……だよねー』

 

 いつからだろう。彼女は自分の気持ちを飲み込むようになっていった。いつからだろう。守りたくて足掻いているのに。私の存在が彼女を一番傷つけるようになってしまったのは。

 艦娘適性検査を受けたとき。蒼龍の適性がある、と告知を受けたとき。私はうっすらとだろうな、と思った。検査時に見えた、彼女の意識の断片。彼女の核となっている、魂の深いところに刻み込まれた悲しみ。

 ──あまりにもそれは。私が抱えるものと、似通っていた。

 

 

 ──私が、あんな顔をさせたんだ。

 けぶる視界の先に捉えた彼女の、その顔。灼熱の炎に焼かれる苦しみよりも、何よりも。最後に見てしまった飛龍のその表情が私の心を抉った。

 ──あんな顔をさせたまま。私は、沈むの? 

 火の回りが、早い。こんなときばかりは脆弱な己の(からだ)を恨めしく思った。

 ──私が、いけないんだ。

 一人で、行かせてしまった。きっと彼女は一人でも獅子奮迅の働きをみせ、敵の喉元に喰らいつくだろう。それでも。

 

『──どぉよ!』

 

 どんなときも一緒だった、常に切磋琢磨してきた。私に勝った時の飛龍のあの誇らしげな笑顔がまた一層悔しさを煽って。それでいて同時に、あの笑顔が私にとっては眩しくて。あの、笑顔を。ずっとずっと見ていたかった。

 これは、戦争だ。悲劇は至る所で起こり、きっと後世では私達のこともそのうちの一つとして徐々に徐々に埋れてゆくのだろう。きっとこれは、戦争という悲劇の中ではどうしようもないほどちっぽけな悲しみ。

 私から避難して近くまで来ていた救助用カッターに拾われた乗組員のうちの一人が、鎮火したか? と呟いた。

 ──違うよ。私にはわかる、これは今際の際のひと時の静謐だ。うつむいた私の顔から涙が伝って、海へとこぼれ落ちる。

 ──ずっとずっと後悔している。一緒に笑いあっていた相方に、最後にあんな顔をさせてしまったことを。最後まで一緒に戦うことができなかったことを。無力で、驕り昂っていた浅はかな自分を。

 ──ずっと、ずっと。

 

 

 今日は、泊地に停泊中の敵への奇襲を仕掛けるという想定での訓練。敵役の不知火さんと天龍さんが泊地に見立てた島影で待機しているので、そこに攻撃を叩き込むといったものだった。まだ伍番は謹慎処分が解けていないから一人スタート地点の指定海域まで航行をしていた。

 海の上を進みながら、ぼんやりと数日前に交わした会話を思い起こす。

 

『検査結果は異常なしです』

『……』

『ねぇ、参番。こんなものはね、君のような甲適性の娘の安全を保証するものではないんですよ』

 

 伍番が倒れたとき。君は、どうしたんですか。そう提督に聞かれて、ついに答えることはできなかった。あの時の記憶は、どこかあやふやで。それでいて、私の心の奥深く。ずっとずっと見て見ぬ振りをしていた、じくじくと痛む柔らかい部分を抉っていったという確かな感覚だけが残っていた。

 最近、何かうまくいかない。うまく誤魔化せない。徐々に徐々に、何かがかけ違っていくかのような感覚に焦燥感が募る。

 

『──大丈夫?』

 

 あの子が目を覚ましたというので、心配で様子を見にいったとき。私が口を開くよりも先に彼女がそう声をかけてきた。

 

『……なにが?』

 

 うまくいかない。あのとき、私はどんな顔をしていたのだろう。あんな顔をさせてしまったのだから、きっとひどい顔をしていたのだろう。

 あの子の本質は変わらない、ずっとずっと優しいまま。いつだって私が心の奥で悲鳴をあげているときは彼女が真っ先に気づくのだ。だからこそ、心苦しい。嘘をつけばつくほど、傷ついた顔をさせてしまうことが、心苦しい。

 それでも、私は。彼女に枷をはめてしまった私は。その枷が、外れていることに気づいてしまった私は。彼女がそのことに気づいたときにどんな顔をするのかを見るのが、怖い。ずっとずっと、その優しさにつけこんで全てを覆い隠してそばにいた愚かな私のことを知られてしまうのが、怖い。

 ずっとずっと後悔している。もしあのとき私が誘わなければ。私達は、今も屈託なく笑いあえていただろうか。ずっとずっと。私の心は、過去のあの一点に囚われたまま。

 ──ずっとずっと後悔している。あの子を傷つけてしまった愚かな自分を。一人にしてしまったことを。変えられない、その過去を。

 

「……、う」

 

 思考がぼやける。疲れが溜まっているのだろうか。くしゃりと髪をおさえて、は、と浅い呼吸を繰り返す。集中しないと、訓練中だ。

 ──もしやり直せるのなら。あのとき、爆撃をその身に受けることなく敵機を撃滅できていたのなら。

 矢筒の中の矢の一本に手をかける。敵、泊地に。

 ──敵をこの手で全て滅ぼしてしまえたのなら。あの子の背中を追えただろうか。

 

「……て、き」

 

 ──敵だ。敵はやっつけないと。全部全部落として、撃沈させないと。敵が残っているからいけない。敵は全てやっつける。じゃないとまた燃える。また、あんな顔をさせる。

 矢を弓につがえる。今日はなんだか体が軽い気がする。思った通りに。理想の通りに、体が動く。どこか夢うつつだった私は気づかない。じわり、じわりと矢が黒く染まってゆくその様に。足元からゆらり、ゆらりと広がっていくその漆黒の波紋に。

 

「……敵、は」

 

 ──全部全部。やっつけてやる。

 

 

 カーン、カーンと工廠内に金属を打つ甲高い音が響き渡る。ここはいつでも忙しそうだ。それは、きっと艦娘が万全な状態で戦えるように常にその準備を怠っていないからで。この工廠の責任者は、常に汗水を垂らしながら忙しそうにしている。

 

「おやっさん」

「……あ? なんだ、伍番か。どうした」

「あれ、今使っていい?」

 

 奥に設置されている対話装置を指差してにっこりと笑いかける。

 

「……いいけどよ。お前、まだ謹慎っつーか、療養中じゃなかったか?」

「検査結果問題ないから今日からまた訓練戻っていいって」

 

 嘘だ。本当は意識を失った原因が不明だからもう少し様子を見ましょうと言われている。それでも、どうしても今。これを使いたかった。

 

「そうか、いいぞ、ちょっと待ってろ。今仕事の一区切りがついたところだからよ」

 

 ごめんね、と心の中でおやっさんに謝りながら早く早くとせっつく。私の事情を知っている誰かに見つけられたら全ておじゃんだ。

 

「だー! 急かすな!!」

「ごめんごめん」

 

 今なら。いや、今だからこそ。あいつに、会える気がした。

 

 

 そこにはいつもと違う風景が広がっていた。穏やかで、楽しい記憶の断片とは明らかに異なる、飛龍のもっと深くにある心象風景。

 私は海の上に立っていた。夜の帳が落ち、青白い月が優しく海を照らす。その、淡い光源によってそれのシルエットが浮き彫りにされる。

 艦尾を上にして。今にもゆっくりと静かに沈んでしまいそうなほど傾いたまま静止している、航空母艦。

 

「──()()()()

 

 その艦尾に。ゆるりと腰かけている人影を見つける。その顔は薄暗いせいでよく見えない。それでも、そいつが私が探し求めていたやつなのだと、分かった。

 

「……」

「もしかして覚えてない? ああ、あれはあんたじゃないんだっけ」

「……知ってる、もう」

 

 静かにそいつが口を開いた。突如、ざぁと風が吹く。それと共に視界がほんのりと明るくなり、そいつの色鮮やかな橙色の道着が揺れているのが見えた。

 

「──飛龍」

「……」

「……あーっと、さ」

「なんで」

「ん?」

「なんで、拾ったの。なんで放っておいてくれなかったの。あのまま、()()()が消えていれば、私は」

「そんなの、知らない」

 

 胸元の服を握りしめて恨めしそうにそう言う飛龍に、ぶっきらぼうに言葉を返す。

 

「子供の頃の言動なんか、普通の人間は覚えてないもんよ」

「……」

「子供ならではの好奇心か、なんなのか。覚えてるのはあんたの一部に取り憑かれたって事実だけ」

 

『この子にこの悲しみは、今はちぃと荷が重いからのぉ』

 

 鮮明に思い出せたのはおばあちゃんとあの子の会話だけ。内緒な、とあの子とおばあちゃんが言葉を交わす。この子がもっと大きくなったら。それと──

 

「……そうやって。私達の苦しみや悲しみをいつしか人々は忘れていくのに。なんで私だけ、こうやってずっと苦しまなきゃいけないわけ?」

「でもこの悲しみを受け取ったのは、あんた自身じゃない」

 

 ──この悲しみに暮れる魂を。飛龍様が、受け止められる準備ができたときに、なぁ。

 

「これは私だけじゃ解けないものだった。蒼龍を前にして、手を伸ばしたのはあんたよ」

 

 とん、と自身の胸を親指で叩く。幾重にも幾重にも重ねられた封印。いやびっくりなんだけど。おばあちゃんこういうこと出来たの? もっと生きてるときに色々話せればよかった。

 ──神様も幽霊も、いるわけないじゃん。

 いつしか私はそう言ってそういう類いのものをせせら笑うようになった。むき出しの感情を表に出すのを馬鹿らしいと思うようになった。喧嘩なんかしないにこしたことはない。嘘をつかれていてもどうでもいい。これくらいの距離で一緒にいられるのなら、なんの不満があると言うのだろう。そうやって、ずっとずっと。この世のものではないもの達の声が聞こえなくなった私は、自分の心の声すら拾えなくなっていたことに気づかなかった。

 

「……」

「怖い?」

 

 飛龍の悲しみに暮れる魂に飲み込まれたとき。朧気な記憶の最後にあんな顔をさせてしまった、あの子。

 

「……私が、ずっとずっと苦しませていた。それなのに、ずっとそばにいてくれた」

 

『内緒だで』

 

 私に何も言えない苦しみを抱え。そんな私から微かな苛立ちを向けられて困ったように、悲しそうに笑っていた彼女。そんな顔をさせたかったわけでは、なかった。

 

「なんでだろう。なんでそばに居てくれるんだろう。ずっと、傷つけてきた。……どんな気持ちで、そばにいてくれたんだろう」

「……」

「私はさぁ、怖いんだ。もしかしたら私のこと、もう嫌いなのかもしれない。でも、優しいから。勝手に負い目を感じて、罪悪感からそばにいるんじゃないかって」

 

 ただ一緒に笑っていたかった。でも何をやっても傷つけるだけで。結局何もしない方がいいんだと諦めた。

 

「だからさぁ、もういいよって。嘘つかなくても大丈夫だよって言いたかったのに。なんであんな顔するかなぁ、なんでまた、嘘をつくのかなぁ」

 

 わからない、彼女の考えていることが。あんなに苦しそうにしているのに、それを和らげるすべが、わからない。それでも。

 

「──だから、喧嘩しにいこう」

 

 失いたくない、離れたくない。だから手を伸ばす。臆病な自分を、思いっきり蹴っ飛ばす。

 

「……」

「わかってんでしょ? 私が感じてるんだから飛龍もさ。あの子も、蒼龍も苦しんでる。……ここで動かなかったら、取り返しのつかないことになる」

「……私は」

 

 それはとてもか細い声だった。三空母がやられ、たった一隻で反旗を翻した勇猛果敢と名高い彼女と、今の彼女は似ても似つかない。

 

「後悔なんて、していない。あそこであの場所に残る選択肢なんてなかった。……それ、でも」

 

 泣いているのだろうか。微かに震える声が海風に乗って、私の耳に届く。

 

「……私は、皆を。……燃えて、苦しむ、あの()を。置いて、いったんだ」

 

 ──何度も何度も振り返る。まだ止まってはいなかったけれど、艦橋は炎と煙につつまれて見えず。前甲板に集まっていた蒼龍の乗組員に多聞丸が極力母艦の保存に努めよ、と連送してくれた信号を届け届けと祈りながら自身は東へと針路を変えてゆっくりとその場を離れる。

 それを、私は知っている。そのときの飛龍の気持ちを、状況を。私は見ている。

 

「見捨て、たんだ。いま、さら。どんな顔をして」

 

 会えば、いいのよ、と今にもかき消えそうな声でそう言って。飛龍は俯いてしまった。

 

「……過去は、過去でしょ」

「っ、あんたに、私達のなにがっ」

「……って言えたらさぁ、私もここでうじうじしてないって」

 

 喧嘩すればいいじゃない。そうあっけらかんと言い放つ陽炎さんほど私は強くない。なんもしなかったら可能性はゼロだ、と結果がどうなるかもわからないのに努力を続けられる天龍さんと私は違う。私はどうあがいても私にしかなれない。かっこいいヒーローのようにはなれない、それでも失いたくないと惨めにあがく。

 

「だから取引をしようよ。私が怖じ気づいたら、あんたが私を蹴飛ばす。あんたが逃げそうになったら、私がどつく」

 

 きっと私とこいつは似ている。大切なものほど臆病になって前へ進めなくなるという、その一点においては。だから、その点だけはお互いにお互いがイラつく、嫌悪する。これぞまさしく同属嫌悪というやつだ。それでいい。きっと艦娘と艦艇の付喪神の関係性は千差万別で、これが私達のあるべき姿だ。

 

「──行こう。臆病者の、共同戦線ってやつよ」

 

 

 至近距離で大きな水柱が上がり、吹っ飛ばされる。大きくうねる波の底の、一点。そこに着水すると同時に頭上で割れた波の飛沫を被りながら波の下り面を利用して加速し、そして。

 

『──オレ、もしかして滅茶苦茶参番に嫌われてンのか!?』

 

 その場を急速離脱して次の攻撃を避けながら、無線機に吠えた。

 

『その理論でいけば不知火もですね──冗談は置いておいて』

 

 ひゅ、とこちらを嘲笑うかのように艦攻や艦爆の護衛をしている参番の艦戦が傍をかすめた。その、機体は。見たこともない色、墨汁を垂らしたかの如く真っ黒に染まっていた。

 

『こんな状態の艦載機を見たことがない。参番が心配です、暴走している可能性がある。一刻も早くみつけないと』

『ンなこと、言っても、よ!!』

 

 これは、本当に参番が操ってんのか!?

 空母と共に出撃したことがある、もちろん演習でその攻撃を受けたことも。だからこそ、この艦載機達の異常なまでの飛行技術、練度の高さが目についた。爆撃の際の高度が異様に低い、こいつら墜落が怖くねぇのか!? 

 

「……やっべ!」

 

 直撃弾コース、投下された爆弾を見て悟る。ここで死ぬわけにはいかない、どうすればいい、どうすれば被害を最小限に。

 

『──天龍さん』

 

 無線で呼びかけられ、反射的に不知火の方を見た。

 ──やつの砲塔が、こちらを向いている。コンマ一秒、いやそれよりも早く。己の直感に従って、刀を抜く。

 

「──っでぇ!」

 

 不知火の砲弾を刀で受ける。その勢いを殺しきれずに体が元いた場所から流される、直撃弾の軌道から外れる。そして、自身の体の真横へと爆弾が吸い込まれ、それによる巨大な水柱によって遠くへと吹き飛ばされた。

 

『ありがとよ後で覚えてろよ!!』

 

 体勢を立て直してその場を離脱しつつ、口に入った海水を吐き捨て無線機へと怒鳴りつける。

 

『いえ、それほどでも。日頃の鬱憤が若干晴れました』

『ブッ殺す!!』

『生きて帰ってからにしてくださいね』

 

 くっそ、さっきからちらちらと。太陽を背にした高高度で、司令塔らしき投弾を終えた艦攻がゆっくりと旋回している。間違いねぇ、初撃オレにぶち込んできた機体だ。

 

『さすが艦上爆撃機の神様なだけはあります』

『アァ!?』

『二航戦、蒼龍、飛龍には。名だたる爆撃、雷撃の名手が揃っていますから』

 

 妖精は神仏の一種とされている。その中で、特に艦載機乗りの妖精については諸説ある。

 ──曰く、艦載機乗りの妖精は、先の大戦で散っていった名もなき海鷲達の意識の集合体である。

 ──曰く。先の大戦でその名を轟かせた英霊そのものである。

 

『気を抜かない方がいいですよ。特に、爆撃には気をつけてください』

『ンなこたぁついさっき身を持って知ったってんだよ!!!』

 

 高角砲をがむしゃらに撃ちながら、面舵一杯まで叩きこんで急速旋回するもそのすれすれを爆弾がさらっていく。これにもあわせてくんのかよ!! 

 

「クソ!!」

 

 恐ろしく正確に、各艦載機へと指示を出しているであろう隊長機と思わしき機影を睨みつける。

 

『──江草、隆繁』

 

 それと同時に。不知火が無線でその名を、呟いた。

 

 

 崖から、海の遥か向こうを見つめる。そこにいる、索敵機なんて飛ばさなくてもわかる。ずっとずっと、もう一人の自分のように思っていた。ずっとずっと。何かに苦しんでいることに気づいていたのに、真正面から向き合うのが怖くて逃げてきた相方。蒼龍が、あそこにいる。

 ぎゅう、と胸元の服を握りしめるのと、後ろから慌ただしい足音が聞こえるのは同時だった。けたたましい警報と提督の声をバックに駆逐艦、陽炎が現れる。

 

「伍番!? なんでこんなとこに……警報聞こえるでしょ、早く戻……」

 

 異常事態発生。C‐2海域にて不知火、天龍両名が空母候補生参番からの攻撃を受けていると報あり。待機中の艦娘の出撃要請。彼女らの援護及びD‐1海域を中心とした空母候補生参番の索敵及び鎮圧をせよ。

 繰り返し流れる放送。それは早くも三周目になろうとしていた。

 

「……あんた、なんで艤装」

「……」

「何考えてんの」

「D‐3」

「は?」

「そこにいるから。蒼龍」

 

 私の言葉に不審げに陽炎が眉をひそめる。

 

「……あんた、誰?」

「蒼龍は、私がやる。手、出さないでね」

「は? あんた今謹慎中──はぁあああああ!?」

 

 とん、と地面を蹴って崖から飛び出す。自由落下による浮遊感、風圧。うん、足りる。

 体を捻って流れるように艦戦を放った。ああ、初めて使うというのに妙に馴染むこの体が無性に腹立たしい。

 真っ逆さまに落ちていった艦戦達が次々とその合成風速を利用して海へと羽ばたいていくのを着水して見届ける。うん、これくらいお手のものだよね、私達にはさ。

 

「──そこで見てなさいよ、ど素人。二航戦の戦い方、見せてあげる」

 

 

 洋上を蒼龍のいるところを目指して一直線に全速で駆け抜ける。そして、すでに放った第一次攻撃隊の報を待たずに第二次攻撃隊の発艦準備にとりかかった。兵は勢いなり、時間差攻撃で一気に決める。索敵をしなくて済むのは本当に助かる。

 ……あちらもこちらの存在に気づいているだろうか。いや、ないか。今の彼女にはきっと何も見えていない。私達が囚われて身動きが取れなくなっている、あの、忌まわしい過去以外はなにも。

 カラン、と音を立てて矢筒の中の一本の矢が手におさまる。……今日は万全の状態で飛ばせる、あの時とは、違う。

 

 ──喧嘩のやり方、教えてあげようか。

 

 頭に響くその声に微かに苛立ちを覚えた。大切な人のそばにずっといたくせに、なにも出来ずに諦めていたそいつ。蒼龍が、そばにいるのに。あの記憶を思い出すのが嫌で嫌で、ずっと殻に閉じこもっていた自分のように臆病な、こいつ。

 

「はぁ? 喧嘩したことないやつがなーに言ってんのよ」

 

 ──大丈夫、ちゃーんと教わったから。

 

 そうして一本の矢を掴んでいた私の腕が私の意志に反してす、と前に伸び。矢先が、蒼龍のいる方向をまっすぐ指し示す。

 

 ──まっすぐ、一直線。あの子(蒼龍)の顔面に(艦載機)を、叩き込む。

 

「……それをやるのは、私なんだけど」

 

 ──よろしくね。

 

「こいつ……」

 

 ひく、と頬がひきつる。腹が立つ、結局のところ他人任せなのに偉そうに。ああ、もう。色々考えるのが馬鹿らしくなってくる。ガシガシと頭をかいて、矢をつがえる。

 ──兵は勢いなり。なら、喧嘩も勢いだ。

 

「──友永隊、頼んだわよ!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合と共に。かつて共に海を翔け、共に笑い、共に生きた海鷲達を。今一度、この大空へと羽ばたかせた。

 

 

 さっきから、うるさい。

 頭上の直衛機が、また一機撃墜される。第一次攻撃隊、帰ってこないなぁ。微かな苛立ちと共に新たに現れた敵の周囲に飛ばした艦載機達に意識を合わせ、急降下爆撃を仕掛ける。ああ、もう。いいところで舵を切る、操艦、うまいなぁ。

 

『──■■!!』

 

 ノイズが、頭に響く。うるさい、うるさい。私の攻撃を邪魔するこの敵の艦載機も、空母の癖に視認できる範囲まで迫ってきているその敵も。煩わしくてしょうがない。

 ──敵だ、敵だ。一つ残さず落とさなきゃ。じゃなきゃまた燃える。また、後悔する。そんなのはもう嫌だ。

 

「……、は」

 

 浅い呼吸音が漏れる。意識が曖昧な中、敵を倒さねばならないという原動力だけで動き続ける。

 ……しつこい、なぁ。邪魔しても落としても、残りの艦攻が諦めずに突っ込んでくる。それをまた一機撃ち落とした。あと何機だろう。これを、全部落としたら。敵を全部沈めたら。そうしたら彼女に今度こそ追いつけるだろうか。今度こそ、私は。

 

『──いい加減、目を覚ませバカ蒼龍!!』

 

 爆音。艦載機達の奏でる轟音に耳が慣れ切っていた中、その一機の音が嫌に耳についた。そして、それと同時に。誰かの声がして顔を上げる。

 ──海面をなめるように。それが飛翔する姿はさながら海面をかすめる飛び魚のよう。

 

「……あ」

 

 あえて。私の顔の横すれすれを飛翔して魚雷をあらぬところに投下して飛び去った艦攻。それは、その、飛び方は。

 

『──いいか、投雷の際は海面を腹這う気持ちで飛べ』

 

 血の滲むような努力で。何度も何度も繰り返した。

 

『何も命中精度、それだけのために無茶を言っているわけじゃない。砲煙と水飛沫だらけの海面すれすれに飛べば敵は照準がつけにくくなるだろう。……生きて、帰ってこい』

 

 中型空母がなんだ。俺ら二航戦の練度は世界一だ。なぁ、そうだろう。

 

『──さすがにそれを見間違えはしないでしょ。……ずっと、ずっと。一緒に、鍛えてきたんだから』

 

 見間違えるわけがない。

 だって、これは。私達のかけがえのない、誇り高き海鷲(なかま)達にしかできない芸当なのだから。

 

『いつまでも寝ぼけてんじゃないわよ、蒼龍』

 

 雑音しか捉えなかったはずの耳にその声が届く。視界が、開ける。その先に。

 

「──ひ、りゅう」

 

 最後に。あんな顔をさせて後悔しかなかった、彼女が、いた。

 

 

 は、と息をつく。無我夢中で戦っていたから気づかなかったけれど、この体は大分前から悲鳴をあげていたようだ。ぎし、ときしむ体を無理矢理動かして、前へ。

 ──会いたくて。それでいて、会いたくなかった彼女がもう目の前にいた。

 海の上でへたりこんでいる蒼龍の顔は、俯いている関係でここからはよく見えなかった。しゃがんで目線を合わせようとすると、びくり、と蒼龍が肩を震わせた。

 

「……」

 

 勢いに任せてここまで来たけれど。声が出ない。言いたいことは止めどなく溢れ、結局それは形にならず消えてゆく。どれほどそうしていただろうか。その静寂を打ち破ったのは、私でもなく、蒼龍でもなく。

 

 ──ここまで来てうじうじすんな!! 

 

 ──ゴッ!! 

 

「……い゛っ!!」

「ったい!!」

 

 鈍い音を立てて私と、俯きっぱなしだった蒼龍の頭が衝突する。いわゆる頭突きである。思わず蒼龍と同時に悲鳴を上げ、尻もちをつく。じんじんと痛む頭に怒りを覚えてそいつに罵声を浴びせた。

 

「何すんのよこのバカ! しんっじらんないんだけど!!」

 

 まさかこの場面で手を出してくるとは思ってなかった。デリカシーってもんはないのかこいつは!! 私の怒声に反応することもなく無視を貫いているそいつにもう一度文句を言おうとしたら。

 

「……へ、へへ。 飛龍が憑いてる子、ほんと、石頭……」

 

 ぽろぽろと涙をこぼしながら。頭をおさえて蹲っていた蒼龍が笑った。

 

「艦の頃じゃ、こんなのあり得なかったよねぇ。ふ、ふふ、お互い轟沈しちゃうもん」

「……そうね」

「頭突き、頭突きって……人って、本当に面白い、ねぇ」

「……うん」

 

 昔からそうだ。その小さな体に燃ゆる魂。その煌めきは刹那の瞬間でしか捉えられない。時には突拍子もないことをしでかす、だからこそ惹かれる、憧れる。いつだって人の生き様は、眩しい。

 人に大切にされ、仲間として扱われ。だからこそ私達は今ここにいる。また、人と手を取り合うために。

 

「……蒼龍」

「うん」

「……見捨てて、ごめんね」

「……私も、ね。最後まで、一緒に、戦えなくて。一人にして、ごめん、ね」

「……うん」

 

 ぼろぼろと蒼龍の目から溢れる涙を指先で拭ってやる。

 

「……泣き虫」

「うるさい、なぁ」

「お姉ちゃんのくせに」

「飛龍は飛龍型一番艦じゃない」

「そうだっけ」

 

 拭っても拭っても溢れる涙に面倒臭くなって抱き寄せた。

 なんでまたこの世に生まれ落ちたのか。どうしてこの悲しみの記憶を抱えたままここにいるのか。私がいるこの世界がうらめしくてしょうがなかった。

 けれど、その悲しみを切り離してわかった。どうしたってこの悲しみの先には蒼龍がいて。どうしたって苦しいこの気持ちの、その先に手を伸ばさなければ。今、この腕の中の大切な存在を捕まえることなど、できなかったのだから。

 

 

「──」

 

 名前を呼ばれ、彼女の腕の中に閉じ込められていた私は、びくりと身をすくませた。

 

「やっぱ、そうだ?」

「……」

「あー、なんかさぁ。目の前に反面教師がいるとくるもんがあるよね」

 

 あーうるさいうるさいこのヘタレ、と、おそらく飛龍と言い合いをしながら私に話しかけ続ける。

 

「全部、思い出した」

「……」

「昔から、ずっと守っててくれたのに。それを忘れるとか、さぁ。どうしようもないよね」

「……ち、が」

「違わない」

 

 ぎゅっと腕に力を込めながらそうきっぱりと言い切られ。胸が苦しくなる。

 

「あれは、そっちのせいじゃない。謝らないでよ、もう」

「で、も」

「でもじゃない」

「……くるしい、よ」

「知りませーん」

 

 そして、より一層力を込めてくる。さっきまでの戦いのせいか、うまく力が入らないようだったけれど、まるでそんなことは知らんといったように、強く強く。

 

「まー、ここ数年でこんなにスレちゃったわけだけど。私は、私だよ。こんなん憑いてるけど、なーんにも変わってない」

 

 知っている。昔のように屈託なく笑いかけてくることはなかったけれど。それでも、ずっと。どんなに隠し事をされて傷つこうと私のことを気にしてそばにいてくれたその優しさ。

 

「それとも今の私のこと、嫌いになっちゃった?」

 

 あはは、と乾いた笑い声と共にそんな思ってもいないことを言われ、カッとなって大声を張り上げた。

 

「そんなことない!!」

 

 なんでそんなことを言うの、どういう気持ちで。こういう風に笑っているときはいつだって何かに傷ついている。それを知ってて見て見ぬ振りをしてきた。感情の爆発に身を任せてその顔を見ようとぐいっと腕に力を入れれば、いとも簡単に体を引き離すことができた。

 

「ずっと昔から変わらない! ずっと、ずっと大切な」

 

 そこまで言って。その表情を見て言葉を失う。

 

「……そっかぁ」

 

『おねーちゃん!』

 

 いつからだろう、その手を引かなくなったのは。いつから、私はこの子の顔をきちんと真正面から見据えることができなくなっていたのだろう。

 変わらない。ちょっとわがままで、甘えん坊で。それでいてまっすぐな、あの頃から。あの頃から、この子の心を置き去りにしてきたのは、私なんだ。

 

「よかったぁ……」

 

 ずっと震えていたこの手も。ずっとずっと泣いていたこの子の心も。そんなことにも気づけなかった自分にも。今日でさよならだ。

 

「ごめん、ごめんね」

「う、ん」

「もう、これで謝るのは最後にするから」

「うん」

「大好きだよ、嫌いになったことなんて、一度もないよ」

「……う、ん」

 

 ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、子供のように泣きじゃくる彼女を抱き寄せて。私も、もう泣くのはこれで最後にしようと決めて、しばし時も忘れて二人でわんわんと泣くのだった。

 

 

「つまり、これは。どういう状況なんだ……?」

「うーん」

 

 全てが終わって海の上で大の字に伸びていた天龍さんを担ぎあげて双眼鏡にて遠くの二人の様子を伺う。

 

「不器用な二人の一世一代の大喧嘩、ってところじゃない?」

「……オレは、それに巻き込まれてこんなボロボロになってンのか……?」

「よかったですね、名誉の負傷ですよ」

 

 天龍さんは息も絶え絶え、といった感じだけれど不知火も中々ひどい。ギリギリ致命傷を避けているあたりは二人共流石だけれど。どうにか自力で航行が出来ているレベルの不知火が、少々おぼつかない足取りでこちらに寄ってきて天龍さんの背中をぺちんと叩いた。

 

「いっでぇ!! ゲホッ……!」

「アバラいってますね」

「わざ、とか……このやろ……」

 

 いつものキレが天龍さんにない。どうやら相当参っているようだった。

 

「勝手にこっちの敵機を引き付けるからですよ」

「……ハ、ァ?」

「気づかないと思ったんですか?」

「……うるせぇ紙装甲」

「大して変わらないでしょうに」

 

 そしてよいしょ、と天龍さんのもう片側の肩を不知火が支える。自分もへろへろだろうに。おそらく直接感謝の言葉を伝える代わりの、なんとも不器用なお礼。

 

「……駆逐の、面倒みきれねぇ軽巡なんざなぁ……軽巡じゃねぇンだよ」

「この状態じゃ格好がつかないですよ、ボス」

「泊地に帰るまでが戦闘よ、ボス」

「くっそ……ホント、お前ら可愛くねぇ……」

 

 これ実質私が二人を支えて帰るようなもんじゃない。はぁ、とため息をついて無線に呼びかける。

 

『鳳翔さんもありがとうございます』

 

 不知火と天龍さんに襲いかかっていた艦載機を抑えていた鳳翔さんの艦載機が、参番と伍番の遥か上空の雲の影に隠れながら様子を伺っていた方と合流して編隊を組んで飛び去る姿を見送りながらお礼を言う。

 

『いえ。何事もなくてよかったです』

『このまま帰投して大丈夫デスかー? 手伝いいりマスかー?』

 

 鳳翔さんの護衛にあたっていた金剛さんから呼びかけられる。

 

『大丈夫です、ゆーっくり帰るわ』

『もー、なにが、なんだか……』

 

 盛大なため息と共に最後に提督がそうぼやく。うん、私も何が起こっていたのか実のところよくわかってないけれど。ここにいる全員は無事なのだし。

 

『ま、細かいことはいいじゃない』

 

 きっとおそらく。これはハッピーエンドというやつだ。ちらりと遠くでわんわん泣いている二人を見ながらそう言って、もう一度よいしょ、と天龍さんの肩を担ぎ直した。

 

 

「うーん……」

「大分、よくなったと思うけど」

「なんか、違う」

 

 あれから数週間が経った。事件当初は反動でろくに体は動かせないわ、私の前代未聞な状態に試行錯誤で艤装を弄るはめになるわと何かとゴタゴタしていたけれど、ようやっと落ち着いて普通の訓練が出来るようになった。

 詳しいことはわからないけれど、私の艦魄艤装回路は他の娘のものとは全く違うものになったらしい。そして参番の艦魄にも試行錯誤の末、他の娘のものよりもより暴走抑制機構がしっかりとした術式が組み込まれた。おやっさんの目の下のくまはすごいことになっていた。

 

「あいつがやったときは、もっと、こう……すいーって」

「ああ、海面滑ってるみたいだったよね」

「そう、そう」

 

 もっと、もっと投雷の時の高度下げて。もっと、とやっていたらついに新米の艦攻乗りの妖精さん達が涙目で震えだしたので妥協して今に至る。でもなー、あれ見ちゃうとなー。あいつに負けるのも悔しいし。

 

「友永隊、禁止されちゃったし……」

「私も江草隊禁止された」

「ううん、あれ、もう一回生で見たいなぁ……」

 

 すい、と手を泳がせてあの時の感覚を思い起こす。不思議な感覚だった。全ての艦載機の動きが手に取るようにわかる。動かしたいところに艦載機がくる、そして取り分け最後の、友永隊長機の投雷シーンが脳裏にこびりついているのだ。

 

『なるほどね……丁適性なわけです』

 

 あなたは多分、本来は適性すらないのだと思います、と私の今までの経緯と今の状態を見て提督が推論を述べてくれた。

 

『おそらく君と飛龍の魂は全く似ていない。多少の類似性はあれど、別の形をしている』

 

 適性はね、いわば心の相性。そんな喧嘩しながらなんてね、普通艤装は動かせないはずなんですが……と苦笑いをして、手元のコーヒーを不味そうに啜っていたのをよく覚えている。その目の下にはおやっさんほどではないけれどうっすらとくまが出来ていたから、提督も色々と奔走してくれたのだろう。

 

『そこを、まぁ。君の類い稀なる共感能力と、十数年間かけて君の体に馴染んだ飛龍の一部が繋いでるんじゃないですかねぇ』

『……私は艦娘になれるんですか?』

『いやぁ、これを落とすんなら上は節穴すぎますね。戦力的には甲適性みたいなもんですよ、あなたは』

 

 ぱさり、と書類を机に置いて目頭をおさえてまたコーヒーを啜って。笑いかけるその表情は疲れで弱々しかったけれど。

 

『何分君も、甲適性のあの娘もデータが無さすぎるので訓練期間は通常より長めにさせてもらいますけど。まぁまず二人共技能試験は落ちないと思いますよ』

 

 そうこちらを安心させるように柔らかく言う提督を見て。ここに来てよかったなぁと、心から思った。

 

『ま、とりあえず。まずは自分の力で戦えるようになること。それまで友永隊も飛龍も禁止、いいですね』

『……これ、いりますか? 中身空っぽですけど』

『必要です、そのうちわかりますよ』

 

 何かを含むような笑顔と共に渡された私の艦魄は、今は私の飛行甲板の内側にしっかりとはめられている。あの後、訓練中に無意識にあいつの影を追って同調率を引き上げた際、ばち、とそこから電流が流れて悶え転げ回ったことであの笑顔の意味を理解した。同調率の変動を体で覚えろ、ということらしい。ちなみに参番にも同じ仕組みが組み込まれ、あの時は二人してまともな訓練なんか出来る状態ではなかった。

 ……皆が、私達のことを考えてくれている。支えてくれている。ここまでされているのに、艦娘としてはまだまだ半人前な自分が報いることができるのはいつになるのだろう。

 

「あー、もう疲れたー」

 

 うまくいかないもどかしさに嫌気がさして、そのまま後ろに倒れ込む。そしてそのまま海面に寝転がってぼんやりと空を見上げた。

 

「……もうちょっと、頑張ろ」

 

 そうやって不貞腐れいると、参番がひょこ、と大の字になっている私を覗き込んで柔らかく笑いかけてきた。

 ……ひさしぶりにこの笑顔見たなぁ。これに、弱いんだよなぁ。

 

「……そーゆーのさぁ、ずるいよね」

「え?」

「ん、起こして」

「もー……」

 

 呆れながらも手を差し伸べてきた彼女のそれをとって、思いっきり引っ張り込んだ。

 

「そりゃ!」

「ひゃ!」

 

 ばしゃん、と威勢のいい音と共に倒れこんだ彼女を見て、してやったりとけらけらと笑う。

 

「もー、何するの……びしょびしょ……」

「へっへっへ、慢心はダメ、絶対」

「意味わかんないし……」

 

 参番が身を起こして恨めしそうに手でぱしゃり、と海水をひっかけてきた。夏の日差しにほてった頬に気持ち良くて、きゃっきゃと喜んでいると、それを見て諦めたかのように彼女は隣にごろんと寝転んだ。最初はおよび腰だった海にも大分慣れて、今ではこうやって身を委ねると一種の心地よさを感じるまでになってきていた。

 

「このままお昼寝しよっか」

「流されちゃうでしょー……顔が日に焼けるからやだ」

「あ、やっぱり気にしてるんだ……」

「紫外線はお肌の敵」

 

 たわいもないことをつらつらと話す。頭上をカモメがゆるりと飛び去っていった。

 

「いい天気ねぇ」

「そうねぇ」

「……いよっし!」

 

 ガバリ、と身を起こして立ち上がる。そんな私をきょとん、と見上げている参番に笑いかけながら主機を動かし始める。

 

「今からどっちが早く全部発艦できるか勝負よ!」

「え!?」

「負けたら今日のデザートを寄越すこと。それでは第一次攻撃隊、発艦っ!」

「あ、ずるい!」

 

 わたわたと身を起こしてこちらを追いかける彼女を背に笑う。これくらいのハンデならむしろ彼女といい勝負だろう。どんなことにも真剣に取り組む彼女は、今まではいつだって私の一歩先を歩いていた。

 

「ちなみに今日のデザートはあんみつでーす」

「知ってて仕掛けたわね!?」

「ご明察!」

 

 いつだって手をひかれて歩いてきた。でも、これからは違う。手をひかれなくても同じ速度で歩いていけるように。時には私が手を取り、引っ張っていけるように。二航戦、飛龍、蒼龍として。お互いがライバルで、大切な相方として。

 

「急降下爆撃!」

「発艦の邪魔するのはなしじゃない!?」

「勝つためなら何だってやるわよ!」

「あんみつそんなに好きだったっけ!?」

 

 この海を翔けてゆく。どこまでもどこまでも。二人、一緒に。

 

 

 

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