此岸ノ鬼   作:夜十喰

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超絶お久しぶりです。
ここしばらく私用とモチベーションの低下により更新を行えておりませんでした。気づけば年も明け、2020年に突入しました。またボチボチとではありますが、小説を投稿していこうと思います。


遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も夜十喰をよろしくお願いします。


悪夢に沈む月は微かな音に手を引かれる

 

 

「オェ....まだ気持ち悪ぃ...」

 

 

朝から特盛カツ丼という中々の試練をなんとか切り抜けた月彦。案の定、普通ならありえない朝の満腹感と襲い来る胃もたれにすでにグロッキー状態となっていた。普段から血や死体に触れている月彦だが、こればっかりはどうにもならないらしい。なんとか通う高校に着いたは良いものの、授業を受ける気にはなれず、彼は屋上で持って来た鞄を枕に仰向けに寝そべり顔を真っ青にしていた。

 

 

「ま、自業自得か....あいつらにはまだ【掃除】をしてもらう訳には行かないし。頑張れ、俺の胃袋....まだまだ重朝飯からは解放されなさそうだぞ...」

 

 

【掃除】というのは、月彦が当主を務める『鬼掟七家』の1つ、『戒血』の稼業の事で、内容は“掟を破った鬼人の抹殺”。情報の漏洩はもちろん、一般人に対して力の行使したり、むやみに深い関係を持つ者もこれに当たる。これが彼に与えられた使命、代々戒血家当主が全うしてきた責務である。

 

 

「ふぁ〜あ....それにしても、ここしばらく任務が多いな....」

 

 

大きな欠伸をしながらそう愚痴をこぼす月彦。彼の言うように、彼が戒血としての任務を行うのはここ1ヶ月で既に3人目となっているのだ。加えてまだ詳しい調査を行なっている件も複数存在している。

 

任務が多いと言う事は、数いる鬼人の中からその自覚や責任を忘れている者たちがいると言う事と同義。月彦はそんな状況になりつつある現状に、一当主として頭を捻らせる。

 

 

「ここ数年で喰魔の出現率とその戦闘力が増してきているし、被害に関しても日々対策が練られてるとはいえ、民間人の被害が無くなって無い。主力の『淵上』、『緋蜂』、俺たち『戒血』の三家の中から戦闘に自信のある奴らは出来るだけ各地に散らばるようにはしてるが、それだけじゃ民間人への被害抑えるのはやっぱり厳しい。特に『淵上』の連中に任せると最悪喰魔以上に被害が出るかもしれねぇし....はぁ、考えるだけでもめんどくせぇ....寝るか....」

 

 

柄にも無く考えてみたが、結果これという打開案は見つから無かった。月彦は早々に考えるのを止め、気持ち悪さを紛らわせようと腕を枕にしてゆっくりとまぶたを閉じる。その時校舎には朝のチャイムが鳴り響いた。

 

そんなことお構いなしに、月彦の意識はゆっくりと遠退いていく。次第にチャイムの音は小さくなり、閉じたまぶたを照らしていた日の光はその光を失うように消えて行った。

 

 

・・・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・

 

・・

 

 

 

 

(・・・ん、ここは─────)

 

 

気がつくと、月彦は見知らぬ場所に茫然と立ち尽くしていた。辺りを見渡すがそこには一面深い闇が広がるばかりで何もない。

 

 

(何処だここ……)

 

 

 

───ビチャッ!!

 

 

 

月彦が歩き出そうと足を一歩前に出した時だった。不意にそんな不快な音が足元から聞こえてきた。顔を歪ませる月彦。彼は()()()()()()その音に歪ませた顔を保ったまま、彼は音が聞こえたのと同時に突如重みを感じ始めた右手へと視線を向けようとゆっくりと顔を動かし始める。

 

 

 

ピト....ピト....ピト....

 

 

 

すると、今度は水滴が落ちる様な音が暗闇に響いては消えて行くのが分かった。

 

 

 

ピト......ピト!.........ピト!!!

 

 

 

視線が右手に近づくにつれ、水滴の音はその間隔を広げて行くが音はより鮮明に耳へと届く様になってくる。

 

ようやく視線が右手に辿り着く。すると手に黒い刀の柄の部分が握られているのが見えた。視覚で刀を握っているのを認識してようやく、月彦の手には刀を握る感触、刀の重みが伝わる。

 

 

今度は視線を柄から前、刀身へと移して行く。刃は良く砥がれており、ギラリと銀色に輝いている。

 

 

しかし、その美しい銀色は地面に向いた切っ先に近づくにつれ、赤黒い液体に濡れて汚れてしまっていた。その赤黒い液体は刀身を流れ、滴り地面へ落ちる。

 

 

ようやく視線が足元へ向くと、そこには大きな赤黒い水溜りが出来ており、月彦はその中心に立っていた。そんな異様な光景の中で、月彦は「やっぱりか...」と小さく呟き、足元に大きく広がる赤黒い液体に視線を落とす。鼻につくこの鉄の様な匂い、それは彼がこれまで何度も嗅ぎ、浴び、触れ、染まってきたもの。それもおそらく動物や魚の物ではない、獣臭さも生臭さも無いこの液体は間違いない。

 

 

 

人間の血液だ……───

 

 

 

 

(………………)

 

 

 

気づけば先ほどまで刀に滴っていた血は流れるのを止め、暗闇の中で赤く映える血溜まりは揺れることなく見下ろす月彦をまるで鏡の如く映し出していた。まるで自分自身を踏みつけている様に、真下に映る自分の姿にじっと視線を送る月彦。しかし、血溜まりに映る月彦は見下ろす彼とは違う姿でそこには映っていた。

 

 

血溜まりに映る月彦の身体は血でびっしりと汚れ、衣服はボロボロ、顔や破れた衣服の隙間からは生めかしい傷が顔を覗かせ、その瞳はまるで闇に何度も漬け込んだの様に暗く、()()()()()()()()()()()()

 

 

そのことに月彦は動揺の一つさえも見せない。姿の違う自分自身に視線が吸い寄せられる様に彼はただ茫然と見下ろす。

 

 

 

(ああ...やっぱり俺はどう足掻いても()()()の俺からは逃げられねぇみたいだな....)

 

 

 

彼は暗闇に小さくそう零すと、刀を持つ手とは反対の左手を血溜まりに映る自分に差し出す様に伸ばし始めた。当然、血溜まりに映る月彦も同じ様に手を伸ばし、月彦の瞳は次第にその瞳を血溜まりに映る月彦と同じような光の無い瞳へと変化させていった。

 

 

ゆっくりと2人の月彦の手が合わさろうとした正にその時だった

 

 

 

『……ジーー………ジーー……ぱ……い……』

 

 

 

突然頭の中にノイズが響き渡る。ノイズの遮りにより、血溜まりに映る自分に伸ばされていた月彦の手が止まる。月彦は無意識のうちにノイズに意識を集中させていた。すると微かだが何かが聴こえる。ほんの微かだが、それは間違いなくノイズとは別のもの。今度は意識してノイズに耳を傾ける。

 

 

 

『………ジーー…ん……ぱ……い………』

 

 

 

やはり微かだが確実に聴こえる。これは“声”だろうか、途切れ途切れだがそれは間違いなく人の声だと月彦は理解する。やがてその声はノイズを掻き分け、ハッキリと月彦の鼓膜を揺らした。

 

 

 

『……せ…ん……ぱ……い…………せん、ぱ…い……』

 

 

 

“せんぱい”、未だ途切れ途切れだか、その声は確実にそう言葉を連ねていた。次第に声は色を持ち、月彦は声の高さから声の主は女性であると理解する。

 

 

(………………)

 

 

声の主が女性であると月彦が理解した途端、月彦がいる暗闇から微かな光が極小の隙間から漏れ出した。月彦は血溜まりに伸ばしていた手を引き、何か言葉を発する訳でもなく、ただ導かれる様にその小さな光へと手を伸ばす。手が光に重なった瞬間、突然光がその輝きを強める。その光は次第に暗闇を払い、光を失いかけた月彦の瞳に再び光を灯す。

 

 

 

『…せん、ぱい………先輩!!』

 

 

 

今度は途切れも無くハッキリと聴こえた“先輩”という声。その声は暗闇を染めた光の中で、伸ばされた月彦の手を掴み、光の輝く方へと強く引き寄せた。

 

 

・・

 

・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・・・

 

 

 

 

「…………空」

 

 

目を開けて飛び込んで来たのは、青と白に彩られた鮮やかな空模様だった。同時に背中や尻からは硬い感触を感じる。月彦は自分の記憶を辿り、自分が学校に来て早々サボりをきめて屋上で眠っていたのを思い出した。月彦は「しまった...」とかなり深く寝ていた事を少し後悔しながら、今の時刻を確認しようと上体を起こしスマホの時計を確認しようとした時だった。

 

 

「やっと起きましたか。随分と優雅に眠っていましたね、先輩?」

 

 

時刻を確認する間もなく、隣から呼びかけられる。月彦は声の主へ目線を送る事なく、顔を少しバツの悪そうな表情へと変える。次の瞬間、月彦は高速で起き上がり、その場から退散しようと脚に力を込める。

 

 

「どこに行こうとしてるんですか〜?まだ話は終わっていませんよ?」

 

 

が、それは無駄な抵抗だと思い知らされた。月彦が起き上がった瞬間、声の主は月彦との距離を詰め、彼の肩に手を置き動きを固定する。月彦と声の主との距離はわずか3、4歩程度だったが、月彦は相手が()()()の生徒なら逃げ切るには十分すぎる距離だと思っていたが、生憎とその相手は俗に言う()()には含まれない生徒だった。

 

 

「………そろそろ授業が始まる頃だから戻ろうかなーと」

 

「始まるどころかもう既に昼休みですよ?」

 

「………そういや先生にプリント配っとけって頼まれてたんだ」

 

「朝から教室に居なかったくせにいつ先生に頼まれたんですか?」

 

「………あ、そうそう。今日昼一緒に食べようって言わr───」

 

「先輩友達いませんよね?」

 

「ハイ。申し訳ございませんでした」

 

 

完全に逃げ場を失った月彦はいとも簡単に自らの敗北を認めた。我ながら相手を間違えたと後悔しながら肩を押さえつけている人物を見上げる月彦。

 

そこにいたのはその名の通り宝石と同じ色をした琥珀色の瞳に黒縁の眼鏡をかけた、艶やかで鮮やかなストレートの長髪を風に靡かせた美少女と言って間違いようが無い顔立ちをした女生徒がこれでもかという清々しく恐ろしい笑顔で月彦の肩に手を置きながら腰を曲げて立っていた。靡く女生徒の髪は時々地面と並行になりながら風に吹かれていた。その髪色は焦げ茶色という表現が一番正しいだろう。焦げ茶色の髪は日の光を反射しキラキラと輝いている。しかし反射した光は毛先に近づくにつれ次第にその輝きを強めていた。それはなぜか、それは彼女の太ももの辺りまであるであろう髪の色が腰と背中のちょうど中間辺りから徐々にその色素を無くしていき、腰を超えた辺りから完全な純白に変わっているからである。

 

 

「全く先輩は...もう少し真面目に学生という立場でその本分を全うされてはどうですか?」

 

「授業をサボることも学生の本分だろ」

 

「そんな本分ありませんよ!以前も言いましたよね!貴方は事情はどうあれ当主なんですから、ピシッとすべきところはそうするべきですよ!」

 

「当主だから真面目に生きるべきってのは固定概念に囚われすぎじゃないか?」

 

「当主とは家の代表なんですから、まずその代表がしっかりしていないと部下の方々に示しがつきません」

 

「ならその代表の1人である俺にそんな口の利き方で良いのか?」

 

「当主といっても先輩ですから。私も敬う相手は自分で選びます」

 

「そうですかい....」

 

 

これはいくら口論を交わしても勝ち目がないと判断した月彦は早々にこの無駄な論争から手を引いた。月彦が白旗を上げると、その女生徒はスカートを整えて月彦の隣にすとんと正座で腰を落とした。

 

 

「それで?わざわざのこの素行不良生徒の俺に注意しに来たのか?ソナタ」

 

「えぇ。先輩の様な駄目当主には私のようなお目付役が必要ですから」

 

「おっふ....そーですね」

 

 

月彦が口にした“ソナタ”という名。これが彼女の名である。“叶ソナタ”、彼女も月彦と同じ鬼掟七家の1つ『叶家』に在する鬼人の1人である。『戒血家』と『叶家』、家元は違えど共に喰魔との死闘に身を投じる者同士、特に【治療】を稼業とする叶家はいわばゲームでいうヒーラーの役目を担う戦闘において重要な役割を持つ家系。叶家の力無くしては喰魔討伐の難易度は何倍にも跳ね上がる。

 

 

「まぁ理由はそれだけでは無いですが」

 

「?なんだよ」

 

「人に物を頼むときは?」

 

「……教えて下さい」

 

「はい、よく出来ました」

 

「お前....」

 

この2人の口論は今に始まった事では無いのだが、結果はいつも決まっている。月彦が身を引いてのソナタの勝利。これが2人の口論のお馴染みの結末である。屁理屈など吐こうと思えば湯水の如く湧いてくる月彦ではあるが、彼は彼女、ソナタにだけは強く当たれない。もちろん、それは彼女の押しの強さと物怖じしない性格ゆえにでもあるが、1番の理由はそれでは無い。

屁理屈を返す月彦に対し、ソナタは袖をまくって徐に右腕を見せつける。その右腕には少なくとも前腕からまくられた袖から顔を出している上腕部分までギッチリと包帯が巻かれていた。

 

 

「卑怯だろ.....それは」

 

「あら?『卑怯、汚いは敗者の戯言』が先輩の座右の銘じゃなかったでしたか?」

 

 

ソナタは肩を縮める月彦にニヤっと笑うと、まくった袖を元に戻した。そう、この包帯が月彦がソナタに強く出れない最も大きな要因である。この包帯の下には、数年前に月彦がつけた大きな傷が残っているらしい。稼業が【治療】である叶家にかかれば傷など綺麗に消す事は容易なのだが、ソナタはあえて消さずに今回のように月彦に対する脅しとして活用しているのだ。

 

 

「お前、ここ数年で性格歪み始めてねぇか...?」

 

「それはもちろん、性格も根性も性根も歪みに歪みまくってるどうしようも無い歳上の男の人と一緒にいる事が多かったですからね」

 

「はぁ...」

 

「あら、ため息なんて失礼ですね。ふふ、まあお遊びはこの辺りにしておきましょうか」

 

 

どこまでも自分を追い込んでいくソナタに深くため息を吐く事で反応を返す月彦。しかし、そのセリフを最後に、先程まで煽る様な笑みを浮かべていたソナタの顔から突然笑みは消え、その表情は真剣な面持ちとなって月彦を強く見つめた。

 

 

「月依ちゃんに聞きました。昨晩も任務があったそうですね」

 

 

ソナタの言う任務が指すのは考えるまでもなく月彦の稼業(掃除)に関する事だと月彦は理解する。彼女にそう切り出された月彦は特に顔色の変化も少しも反応する様子も見せず、ただ単にめんどくさいなと言った感じでそれはそれは深いため息を吐いた。

 

 

「はぁ〜〜....またあいつか。いちいち報告するんじゃねぇよ」

 

「そんな風に言ってあげないで下さい。それだけ先輩を心配してるって事ですよ」

 

「まさか、ただ任務に連れて行って貰えないからその腹いせだろう」

 

「もう、またそんな風に考えを捻くれさせないで下さい」

 

 

そこから少しの沈黙が2人の間に流れた。月彦はこれ以上踏み込んで来て欲しくなさそうにソナタと視線を合わせず、対するソナタは一向に自分と視線を合わせようとしない月彦を心配するように視線を逸らす事なく見つめ続ける。

 

 

「.......大丈夫ですか?」

 

 

沈黙を破ったのはソナタのその一言だった。なんの飾りもなく、シンプルに投げかけられた問いに対し、月彦はソナタに背を向けたまま立ち上がった。月彦のその行動に、言葉を間違えたと思ったソナタは、背中を丸め、顔を伏せ、太ももの上に置いた両拳を強く握りしめた。彼が他人からの干渉を好まない性格なのは理解していた。だから彼はいつも必要な事しか他人に話さないし、必要が無いと判断した事はめんどくさいと他人に話す事はない。それはソナタ自身も良く分かっていた。でも、そう言葉をかけずにはいられなかったのだ。いつも彼を見ていたソナタだったから。彼の抱える闇も光もどちらも知ってるソナタだったから。彼が誰よりも無理を重ねた結果を見に染みて知ってるソナタだったから。さっきもそうだ、さっき月彦は寝ている間にすぐそばまで近づいて来ていたソナタに気づかなかった。普段の彼であればいくら寝ているとはいえ、その隙に近づく気配を察知出来ないはずがないと知っていたから。

 

 

すると突然、下がった頭に何かが触れる感触がソナタに伝わった。その感触は頭全体を包んでいるかの様にとても大きく、そして何より、その感触には確かな温かみがあった。

 

 

「え....」

 

 

あまりに唐突な事に反射的に顔を上げるソナタ。上げた先には、自分に向かって手を伸ばしている月彦の姿がすぐ近くにあった。そこでようやくソナタは自分の頭に月彦の手が触れられている事に気がついた。撫でると形容されるであろう行動を起こす月彦の表情は、かなりぎこちない微笑みと共にソナタに安心を与えようとしている事が理解できた。

 

 

「あー、なんだ…そのー、えーっと...まあアレだ。心配しなくていい、俺は大丈夫。悪夢も()()()()見れてるしな。まぁこう言うと心配させちまうかもだけど、大丈夫だ」

 

 

悪夢を見ると言う事は自分の中に罪悪感が存在し、それが無意識のうち、寝ている間に脳がそれを定着させようとしている事だと月彦は自分なりに解釈していた。昔、自身の父親に言われた『1番いけない事は殺す事に慣れる事だ』、この言葉は現在の月彦を構成する言葉の中でも特に重要なもので、つまりは悪夢を見る=殺す事に罪悪感を持っている、という事の証明であるから。

 

過去に月彦はこの言葉を忘れた事があった。度重なる不幸、窮地、厄災に見舞われ、当時まだ中学生だった月彦の心は闇に埋もれてしまった。そんな彼を救ったのが、今現在彼の目の前にいるソナタなのだ。だから彼は、恩人である彼女に悲しみや後悔を抱いて欲しく無いと、慣れない手つきで彼女の頭に手を伸ばしゆっくりと撫で始めた。ではなぜ起こした行動が頭を撫でる事だったのか、それは月彦自身も理解していなかった。ただ何となく、反射的に起こした結果こうなっただけ。別段理由があった訳ではなかった。

 

 

「「・・・・・・・」」

 

 

撫でる者と撫でられる者、そんな2人の間になんとも言えない沈黙が流れる。月彦は1度開始してしまったため、どうにも自分から手を引くのは忍びないと躊躇して動けない状態におり、対するソナタは不意に向けられた月彦の優しさとぎこちなくも温かな微笑みを受け、恥ずかしさのあまり言葉が出ず、同じく動けない状態になっていた。

 

 

そこから何分、何十分ほど経っただろうか、いやもしかしたら60秒も経っていないのかもしれない。2人には経過する時間を気にしていられる余裕は無く、無言のまま、ただただゆっくりと時間だけが過ぎていった。

 

 

しかし、そんな2人の沈黙は月彦のポケットから発生した電子音によって破られる。

 

 

 

Prrrr....!!Prrrr....!!

 

 

 

「うぉっ⁉︎」

「きゃっ⁉︎」

 

 

ポケットを震わせる振動と高い電子音に声を上げて驚く2人。月彦はソナタの頭の上に乗せていた手を反射的に離し、すぐに立ち上がってポケットに入れていたスマホを取り出した。

ソナタに背を向けて少しだけ距離をとり、画面に映った相手の名前を確認してから通話ボタンを押す月彦。そんな月彦の背中をソナタはどこか名残惜しそうに見つめていたが、月彦がその視線に気づくことは無かった。

 

 

「莉月か、なんだ?」

 

 

通話をかけて来たのは昨夜同様、妹の莉月だった。莉月は慣れた口調で月彦に迅速に報告を行う。

ちなみに莉月が今月彦に通話をかけて来ているのは彼らの住む戒血家の宗家から。本来は莉月も学校に通う歳なのだが、彼女はとある理由により学校には通っていない。故に喰魔出現の情報をいち早く入手し、瞬時に月彦へと報告できるようになっている。

 

 

『ご報告です…ご当主さま。現在、ご当主さまのいる地点より北東へ約4里の地点に喰魔が出現、しました』

 

「....すぐ向かう。結界は?」

 

『既に発動済み、です。民間人への被害も、今のところ、確認されていません。近くにいた他の家の鬼人も数名、既に現場に向かっています』

 

 

莉月の言う結界とは、七家の1つ【防衛】を稼業とする『蜜芭家』が開発した人の五感による認識を断つ効果のある結界の事で、結界が発動している範囲にいる鬼人及び喰魔は民間人から認識されなくなるのだ。

 

 

「分かった。逐一状況の報告を頼む」

 

『了解、しました』

 

 

そこで一度通信を切った月彦は、制服の上着を脱ぐと、屋上の床に置いてあった鞄に手を入れ、なかからあるものを取り出した。それは真っ黒に染まったモッズコート、そして2本の角が生えた不気味なペストマスクだった。

 

 

「先輩、喰魔の出現ですか?」

 

「ああ」

 

 

月彦の行動を見て通話の内容を理解したソナタ。自分も急いで出動の準備をしようと持って来ていた鞄に手をかけるが、月彦に呼びかけられてしまう。

 

 

「おい、ソナタ」

 

「はい、なんですか──って、おっと⁉︎」

 

 

名前を呼ばれ月彦の方へ向いた瞬間、ソナタの目には月彦がこちらに向かって何かを投げて来ているのが映った。咄嗟にその何かをキャッチしたソナタは、自分の腕に収まった物を確認すると、それが月彦の鞄だという事が分かった。

 

 

「お前はここに待機。後それ預かったといてくれ」

 

「え⁉︎私も行きますよ!」

 

「ここから現場までの距離なら俺1人の方が速い」

 

 

月彦はそう結論だけ言い捨てると、脚に力を込めて跳躍。軽々と屋上を囲っていた3mほどの高さのフェンスの上に着地し、先程鞄から取り出したモッズコートを見に纏う。更に手に持ったペストマスクを付け、右耳の辺りを少しいじる様な動作をしたのち、そのままフェンスを足場に助走をしながら現場の方角である北東にあった建物の屋根へと再び跳躍した。

 

 

「ちょっと先輩!!.....もう!またそうやって」

 

 

そう愚痴をこぼしている間にも、月彦は次々と建物の屋根や屋上を伝って一直線に現場に向かっていった。その姿はまるで物語の中の忍者の様に軽やかで素早く、あっという間にその姿は小さくなっていった。

 

 

対して1人屋上に残されたソナタは、月彦の制服の上着と鞄を抱きしめていた両腕に、ギュッと更に力を込めた。そんな彼女の表情は、置いていかれた切なさや怒りを孕みながらも、懸念の色が濃く現れていた。

 

 

「月彦先輩....」

 

 

ソナタは小さく自身の脳内を埋め尽くす人物の名前を口ずさみながら、真っ直ぐと彼が消えていった先を見据えていた。

 

 

 

キーンカーンカーンコーン!!!

 

 

 

その時、授業の始まりと月彦の闘いの始まりを告げるチャイムが、学校中に響き渡った。




※追加解説

・月彦達が通う学校は“私立大江杜(おおえもり)高校”と言う学校です。偏差値は63と平均より高めで、生徒の自発性を尊重する学校となっております。周りには住宅地や商店街の他に、廃工場や空き地が広がる開拓予定地、少し離れたところに山があったりします。

大江杜高校には月彦とソナタの他にも鬼人は何人か在籍しています。基本的に1つの学校に鬼人は3人〜5人ほど在籍しており、戦闘時のバランスを考えて七家から各1人ずつ通わせるのが基本となってます。

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