鬼殺隊一般隊員は鬼滅の夢を見るか?   作:あーけろん

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遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした…。




鬼殺隊一般隊員は空に浮かぶ華を見る

 

「それにしても、あれだけ大掛かりな物を良く集めましたね。そこは本当に驚きました」

 

日の光が当たる蝶屋敷の縁側でお茶を啜っていると、ふとしのぶさんが口を開く。彼女の手に載せられた下駄を一瞥すると「あぁ、その事ですか」と湯呑みを横に置く。

 

「腕の立つ職人の技と見ましたけれど、どんなコネを使ったんですか?」

「コネなんてたいした物じゃありませんよ。少し縁があっただけです」

「少しの縁でこんなものは出来ませんよ。実際の所、どうなんですか?」

 

綺麗な瞳が覗き込まれ、これは隠しきれないなと肩を竦める。本当は言うつもりはなかったのだけれど…まぁ、この際仕方ないと割り切る。

 

「実を言うとですね。今回皆さんに用意した品物の殆どは、藤の花の家紋を掲げた家のものなんです」

「…と、言う事は––––––」

「えぇ。皆、自分が関わった鬼殺の関係者です」

 

 

『–––蝶屋敷の皆んなにお祭り様の着物を贈りたいんですけど、どこに依頼したら良いんでしょうか?』

『そんなの藤の花の家紋に頼めば良いだろ。お前の頼みだったら二言も無く喜んで引き受けると思うぜ?』

『それはちょっと…恩を利用しているようで申し訳ないです』

『馬鹿か。お前は着物を用意したい、相手はお前に恩を返したい。何方も利があるじゃねぇか』

『恩なんて感じる必要はないんですけど…』

『お前の価値観を相手に押し付けんな。取り敢えず俺から手紙を出しておくから、その返答次第で考えてみろ』

『そんな強引な…』

 

脳裏に宇髄さんとの会話が再現され、相変わらず強引だったなと苦笑する。

 

「…なるほど、道理で」

「そうしたら快く引き受けてくれる家がありまして、着物の方は京都に本店を置く光圀屋さんにお願いしたんです」

 

「代金なんて要らないからぜひ作らせて欲しいって、半ば押し売り見たいでしたよ」と若旦那さんが食い気味に現れたことを思い出す。本当に人が良いと言うか、何というか…。

 

「鬼殺隊って、こう言う人達の影からの支えがあるからあるんだなって事を思い知りました」

「鬼殺隊と言うより、権兵衛君個人が助けた結果ですけどね」

「自分は鬼殺隊の援助を受けて鬼を殺していたんですから、自分の戦果は鬼殺隊の戦果という事に間違いはありませんよ」

 

こうして縁台でゆっくりとお茶を啜る事が出来るのも、元を辿れば鬼殺隊の資金援助があるからだ。鬼殺隊の援助を受けているのに、自分が助けたのだから自分の戦果なんて宣うのは、些か以上に浅ましいと言わざるを得ない。

 

「蝶屋敷に届いた贈り物の一件で権兵衛君が助けた人達の多さは知っていたつもりで居ましたが、私が思っていた以上多くの人を救っていたんですね」

「たしかに、意外と多くの人を救えたんだなって気がします。といっても、あくまでも気がするだけですけどね」

「気がしたのではなく、実際に救ったんですよ。自信を持って下さい」

 

優しい声色で笑うしのぶさんに釣られ自分も笑う。過剰評価だとは思うけれど、彼女が思うのならそうなんだろうと、我ながら信頼を持ち過ぎた考えが浮かぶ。

 

「けれど、心配なのは代金です。高級品ばかりだったと思うんですけど…」

「代金なら大丈夫です。この前軍人さんから貰った金貨をそのまま分けてお支払いしました。と言っても、どの家からも要らないと突っぱねられたので、銀行の口座に振り込んで来ましたよ」

 

『素晴らしい技術にはそれ相応の対価が求められるんだよ』とは、師範の言だ。只でさえ無理を言って作ってもらったのに、代金まで支払わないとなれば正気で居られる自信が無い。

 

「この前の軍人さんって、話に聞いたあの人ですね。ですけど、その金貨は鬼殺隊に寄付したと聞いていたんですけど…」

「自分としてもそうしたかったんですけど、お館様から「権兵衛に使って欲しいと贈られたそれを全部は貰えないよ」と言われまして。結局、半分位は手元に残っていたんです」

 

お館様からの手紙の一文を、頭の中で反芻する。

『貰ったそのお金で何を為すかによって、人の価値とは分かるものだよ』との一文を見た時は、目から鱗の気分だった。

 

「さすがお館様、と言うところですね」

「えぇ、本当にそう思います」

「––––まぁ、贈り物について事情は大体把握しました。けれど、こんな事はあまりしないで下さいね?もしかしたら今後、権兵衛君につけ込む人が出兼ねませんから」

「大丈夫です。こんな事をやるなんて、しのぶさんや屋敷の皆さん位ですから」

 

心配そうに憂うしのぶさんに胸を張る。自分は屋敷の人達やしのぶさんにしかこんな事はしない、そして屋敷の皆は人の好意につけ込むような人ではない。

一瞬で完璧な論理が出来てしまった、自分の頭もまだ捨てたものではないのかも知れない。

 

「そう言う問題では無くて…もぅ」

 

何故か拗ねたように頰を膨らませる彼女を右目に湯呑みを呷って中身を空にする。自分の体感時間が確かなら、そろそろ朝餉の時間だからだ。

 

「–––––皆さーん!朝ご飯の時間ですよー!」

 

そんな自分の予想はピタリと当たり、屋敷にすみちゃんの元気な声が響く。

 

「それじゃあ行きましょうか、しのぶさん」

 

縁台から立ち上がり、しのぶさんの手を引っ張って立ち上がらせる。相変わらず蝶の様に軽いと思うが、年頃の女性は皆こんなものなのだろうか?

 

「所で権兵衛君。つかぬ事を聞くんですけど、今日のお昼過ぎは何か予定があるんですか?」

「お昼過ぎですか?そうですね…」

 

お祭りは夜からだから、当然昼にはなんの予定も入っていない。そう思い立って口を開く––––その前に、一つの用事を思い出して「あっ」と小さく声を漏らす。

 

「すいません…。実は一つ、外せない用事があるんです」

「そうなんですか?暇なら一緒にお茶でもと思ったんですけど…」

 

残念そうに目尻を下げるしのぶさんに「それはまたの機会ですね」と告げる。

 

「さぁ、朝ごはんが冷めないうちに早く行きましょう」

「それもそうですね」

 

自分には勿体ない程のいい朝が過ぎる。今日は忘れられない1日になると、そんな根拠のない確信を持ったのはきっと、気のせいではないのだろう–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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蝶屋敷に備えられた板張りの道場。かつて炭治郎ら三名の機能回復訓練を行ったその場所にて、二人の剣士が木刀を持って対峙していた。

 

「悪いね炭治郎君。訓練に付き合って貰っちゃって」

 

青の着物から隊服に着替え、普通の木刀よりも一回り長い木刀を肩に担いだ権兵衛が、正面に構える炭治郎を見据える。右腕には変わらず包帯が巻かれているが、しっかりと木刀を握っていることから感覚がある程度戻っていることが分かる。

 

「寧ろ、権兵衛さんとこうして稽古をつけて貰えるこっちの方がありがたい位です」

「相変わらず生真面目だねぇ、それが君の良いところとは思うけど」

 

凛とした顔で言い切る炭治郎に権兵衛が笑みを零すと、それに反応してから二つの別の声が道場に響く。

 

「炭治郎、大丈夫かなぁ…」

「早く終わらせて俺と変われ権八郎‼︎」

 

姿勢を正しハラハラと見つめる我妻善逸とあぐらで叫ぶ嘴平伊之助も見守るその最中、徐に権兵衛が懐から銅貨を取り出す。

 

「改めて確認するけど、俺がこの銅貨を放り投げて、音が鳴った時点で訓練を始める。特に縛りは無いけれど、呼吸は積極的に使ってきて欲しい」

「わかりました!」

「––––––それじゃあ、投げるよ」

 

権兵衛の左手から銅貨が放物線を描き、空に舞う。直後、空気を裂くような呼吸音が炭治郎から響き、ミシッと道場の床が音を鳴らす。

 

「––––––さて」

 

権兵衛も木刀を下段に構えて静かに息を吸い込み–––––––––そして、甲高い音が鳴った。

 

「ッ‼︎」

 

––––水の呼吸 壱の型 水面斬り

 

小さな炸裂音にも似た音と共に炭治郎が直進し、権兵衛の懐に入り込んで袈裟懸けに木刀を振るう。

 

(剣の間合いが違う以上、懐に入り込むしかない‼︎)

 

炭治郎と権兵衛の木刀には大凡1.5倍程の差が存在している。間合いの広さは同じ剣士相手では極めて有利に働く事を知っているからこその炭治郎の行動であり、その勢いの良さに権兵衛も「成る程」と小さく零す–––––が、それは当然権兵衛も把握しているのだ。

 

––––水の呼吸 漆の型 雫波紋突き

 

炭治郎の直進を見越し最小の動作から最速の付き技が放たれる。

 

(早い––––––––けど‼︎)

 

予想よりも初動の動きが早いそれに炭治郎は微かに動揺するも、僅かに姿勢を崩してそれを躱す。

 

「…見違えた。本当に、凄い成長速度だね」

 

突きが最小の動きで避けられた事実に権兵衛が微かに目を見開き、感嘆を漏らした後に鋭い呼吸音を響かせる。

 

––––––壱の型改 飛沫・水面斬り

 

突いて腕が伸びきった状態から振り回す様に型を放つ。大太刀とは思えない軌道に驚いた炭治郎はその場から大きく跳躍しそれを躱す。

 

(なんて初動の速さだ!それにこうも連続して技を使えるなんて…‼︎)

 

雫波紋突きからおよそ刹那の間に次の技を使った権兵衛に冷や汗を流す。その場の対応力の次元が違う事を只感じ、再び木刀を正面に構える。

 

(それでもまだ反応出来ている!行ける、俺は成長している‼︎)

 

木目の床スレスレの低い姿勢から突貫し、再び木刀の間合いに権兵衛を入れる。

 

––––肆の型 打ち潮

 

激流を思わせる剣筋が権兵衛の胴体を打ち付ける––––––瞬間、技の初動を大太刀によって小さく払われる。

 

「なっ–––––」

 

初動を崩されて大きくふらついた姿勢が権兵衛の前に露わになり、その襟首が左手に容易く掴まれる。対抗する事も出来ず流れる様にそのまま空に投げられ、一瞬炭治郎の思考が固まる。

 

(さっきは通用したのに、なんで突然–––––)

 

宙に投げられた僅かな時間に炭治郎の思考が回る。先程通用した技が歯牙にも掛からなかった事実に動揺しつつも、特有の諦めの悪さから鋭く権兵衛を見据える。

  

(考える事は後だ!取り敢えず今は着地した後–––––––ッ‼︎)

 

––––––水の呼吸 肆の型改 荒波・打ち潮

 

地面に着地する僅か前、刃渡りの長い木刀が炭治郎の木刀を強く打ちつける。空中で碌に受け流すことのできなかった木刀は瞬く間に木片に早変わりし、道場の床にパラパラと落ちる。刀を失って地面に着地し半ば茫然とした炭治郎の眉間に権兵衛の木刀が突きつけられ、僅かな静寂が道場に響く。

静寂の後、権兵衛が小さく「ふぅ」と息を吐いて木刀を降ろすと、木刀の刀身を左手に持ち帰る。

 

「…見たところ、はじめは通用した動きが全く通用しなかった事に驚いている様だね」

「は、はい…。はじめは技を打たせて貰った、という事ですか?」

「それは違う、君の初動には本当に驚かされたよ」

「それじゃあ一体…」

 

心底わからないと首を傾ける炭治郎に権兵衛が笑う。

 

「答えは今さっき君が言ったよ。同じ動きをしたから、これが答えだね」

 

粉々になってもなお残る柄を拾い上げると、それを炭治郎に渡す。

 

「君には意外に聞こえると思うけれど、俺はそんなに初見への対応力はそんなに高くない。けどね、その分適応力は相当に鍛えたんだ」

「適応力、というと…?」

「相手がこう動いたらこう動く、要は対策を立てる訳だね」

 

 

–––––––小屋内権兵衛の強さ。それは一重に、並々ならぬ実戦数による豊富な戦闘経験値から成り立っている。

地頭の乏しい権兵衛は相手の考えや行動を読む事は難しい––––けれどその分、一度戦闘で経験した事は決して忘れない様並々ならぬ努力を行った。

画期的な技を使って華麗に鬼を殺す事なんて出来ないけれど、鬼を一匹殺す度に、血を浴びる度に強さを増す愚直な剣士。それこそが権兵衛の本質なのだ。

 

「だから、俺には同じ動きは一切通用しないと思って良い。ゴリ押しできるほどの身体能力があれば話は別だけどね」

「それが権兵衛さんの強さの秘訣、と言う事ですか」

「端的に言えばね。君の場合は頭が回るから俺みたいな周りくどい事はする必要は無いけれど、経験に勝る知識無しとも言うしね」

 

「要は頭と身体をどっちも使えって事だよ。俺の場合、頭を使うのがどうも苦手なんだけどね」と肩を竦めて苦笑する権兵衛とは対象的に、炭治郎は背中に冷や汗を流していた。

 

(権兵衛さんの話は匂いから本当だ。それじゃあ権兵衛さんは、今程の強さになる迄に一体どれだけの死戦を潜り抜けてきたんだ–––––––?)

 

歴然と存在する剣士としての力量の差。それが権兵衛の鬼を殺してきた数なのだと言う事を直感的に理解した炭治郎は、改めて権兵衛と自分の差をまざまざと見せつけられたと感じ入る。

 

「それで、次は誰か相手して貰えるのか?」

「次は俺だ‼︎俺は紋治郎の様に簡単にはいかねぇぞ‼︎」

「成る程、それなら俺も気合を入れないとね」

 

意気揚々と立ち上がる伊之助を一瞥した後、権兵衛が炭治郎の肩に手を置く。

 

「–––––ゆっくりで良いんだよ、炭治郎君」

「えっ…?」

 

二人には聞こえない様な小さな声で権兵衛が呟く。

 

「君の事情を鑑みると、こんな言葉は無責任な言葉なのかもしれない。けどね、焦って力を手に入れたら最期、何かを犠牲にする事になる。掛け替えのない大切な物をだ」

 

普段の優しい声色とは全く異なる鉛の様に重い言葉だと炭治郎は感じる。そして、これは彼自身の教訓から成る自戒の言葉だと理解する。

 

「君は君のまま強くなるべきだ。それはきっと、何より大切な事だと思う」

 

最後に微笑む権兵衛の姿にどうしようもなく胸が痛くなるけれど、それを抑えて「はい」と頷く。

 

「大丈夫、君は確実に強くなっているよ。そこは自信を持ってね」

 

そうまとめた権兵衛は炭治郎を送り出すと「さて」と伊之助の方を見遣る。

 

「それじゃあ始めようか。始まりの合図はさっきと同じで良いよね?」

「おう!なんでも良いからさっさと始めようぜ!」

「良い気合だ、それでこそだね」

 

地面から拾い上げた銅貨が再び空を舞い–––––そして、甲高い音が道場に鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––しまった。包帯も数が少ない」

 

蝶屋敷の薬箱を確認していると、普段ならば一定数備蓄があるはずの包帯が無い事に気付く。貼り薬の材料も少なかったけれど、まさか包帯も在庫が少なかったとは。

 

「うーん…しょうがないかな」

 

お祭りが始まる前、開催場所である付近の街は人で混み始める。薬を買いに行くにはあまり適しているとは思えないけれど、この備蓄ではもしもの時に対応できない。そう思い立ち、薬箱をしまってから立ち上がり、割烹着を外して玄関に向かう。

 

「お祭り前だから混んでるだろうし、始まる前に帰って来れるといいけど…」

 

例年通りならばそこまで気にする事ではなかったけれど、今年は権兵衛さんの事もあり、屋敷の皆んなで行く事が決まっている。なるべく遅れたくは無いのだけれど……。

 

「–––––あれ?」

 

なるべく急ごうと早足で玄関に向かうと、ふと視界に権兵衛さんの姿が映る。

 

「アオイさんじゃないですか、そんなに慌ててどうしたんですか?」

 

権兵衛さんが私の方を見ると、パチパチと瞬きする。小豆色の隊服に藍色の羽織を羽織る姿からはどこかに出掛ける事がわかるけれど、お祭り前に一体どこに行くのだろうか。

 

「そういう権兵衛さんこそ、何処か出掛けるんですか?」

「えぇ。少し近くの街の茶屋に用事がありしまして。そう言うアオイさんは?」

「私は薬の在庫が少なかったので、それを買いに行こうかと」

「そうですか。でしたら、途中まで一緒に行きませんか?」

 

小さく微笑む権兵衛さんの誘いに「良いですよ」と一度頷く。別に断る理由もなく、不都合もないからだ。

 

「ありがとうございます。それじゃあ早めに済ませましょう」

「そうですね。遅くなると道が混みますから」

 

嬉しそうに笑う権兵衛さんに少し気恥ずかしくなりながらも、努めて冷静さを保つ。何処かホワホワとしている彼に連れられ、揃って玄関を戸を開けて外に出ると、疎に人が行き交っているのが見えた。

 

「この時間でも人がいるんですね」

「えぇ。大きなお祭りですから、この時間からでも開いてる屋台があるんですよ」

「成る程。道理で」

 

得心が行ったのか、小さく権兵衛さんが頷く。「夜が楽しみですねぇ」と目を細める彼に釣られて微笑み、揃って屋敷の門から大通りに出る。

 

「–––––それにしても、朝起きたら凄い驚きましたよ」

 

平に均された土手道を歩いている時、ふと口を開く。「驚いてくれたのなら、頑張って用意した甲斐がありましたね」と朗らかに笑うと、藍色の瞳が私を映す。

 

「採寸は合っているとは思いますけれど、一応確認してみて下さいね?自分の目が狂っていては事ですから」

「…そう言えば、特に採寸された覚えはないんですけど、いつ採寸したんですか?」

 

屋敷の誰も、すみやなほ達も特に身丈を測られた覚えないと言っていた–––が、実際に一度袖を通してみた所、一部の狂いだって無かった。

一体どうやって調べたのか、そう思っての質問だったが、「それはですね」となんて事ない口調で彼が口を開く。

 

「実は、特に採寸はしてないんです。座っている姿勢、歩いている姿勢、立っている姿勢、この三つを見れば大体目星が付きますから」

「–––化け物じみてますね」

 

思わず心からの言葉が溢れる。

てっきり柊さんが管理している健康診断表を盗み見たかと愚考したのだが、そんな陳腐な予想など平気で飛び越えた答えに苦笑いを浮かべるしかない。そんな私の心情を知ってか知らずか、権兵衛さんは穏やかな雰囲気のまま口を開く。

 

「誰でも出来る技ですよ。それに、よく見ることは剣士にとって重要ですから」

「そんなものですか…」

「はい、そんなものです」

 

そんなものと言われれば納得するしかない–––––というより、権兵衛さんには非常識な能力など他に山ほどある。今更一つ増えた所で何にもならない。

 

「…それにしても、随分人が多くなってきましたね」

「ですねぇ」

 

疎だった人も街に近づくに連れて徐々に多くなっていく。華やかな着物に身を包み、若い男性二人で歩く男女や、子供に手を引かれて歩く夫婦––––––特に、男女との連合いが目立つ。

 

(…私と権兵衛さんも、周りから見ればそんな風に思われているのかな?)

 

男女の逢引が多い中に紛れているためか、そんな思考が頭を過ぎる。権兵衛さんの方をチラリと一瞥するが、特に変わっている点が見当たらない所から、特に意識されていないことがわかる–––––別に、なにか思っているわけではない、ないったら無い。

 

「…アオイさん?何かありましたか?」

「いえ、なんでもありません」

「……そうですか?」

 

こちらを心配そうに見る権兵衛さんに小さくそっぽを向く。普段は機転が効くのに、他人の感情にとことん疎い彼に何かを期待する方が間違っていた––––––––瞬間、右手が何かに包まれる。

 

「––––––へっ?」

 

素っ頓狂な声を上げ、右手を見下ろす––––––そこには、権兵衛さんの左手が私の右手を優しく握って………って⁉︎

 

「なっ⁉︎何を…⁉︎」

 

バッと権兵衛さんの顔を見ると、頬を小さく掻いて「えぇと…」と言い淀み、やがて恥ずかしそうに笑って口を開く。

 

「人が多くなりましたし、逸れない様にと思いまして…その、迷惑でしたか?」

「め、迷惑なんて思ってませんけど、その、突然で驚きました」

「…ですよね。こういう時、気の利いた言葉でも掛けられば良いんですけど」

 

「宇髄さんの様には行かないな…」と頬を赤くする権兵衛さん––––––その姿は、何処にでもいる普通の、年の近い男性の様だった。

 

「…良いんじゃないんですか、それで」

「…アオイさん?」

 

小首を傾げる彼に、藍色の瞳と目を合わせてはっきりと言い切る。

 

「私は、そんな権兵衛さんの方が好きですよ」

 

意図せず言った言葉だった–––––そして、言い放った直後、まるで遅延性の毒の様にジワジワと恥ずかしかさが込み上げくる。

 

(私は何を言ってるの⁉︎これじゃあまるで––––––––⁉︎)

「––––––アオイさんは、本当に凄いですね」

「…へっ?」

 

–––––––その笑みはとても穏やかで、それでいて………いや、それ以上に、寂しそうな笑みだった。

 

「それじゃあ、そろそろ別れましょうか。自分は近くの茶屋にいるので、後で合流しましょう」

 

確かな熱を感じていた右手が離され、小さく「あっ…」と声を漏らす。

 

「––––敵わないなぁ」

 

誰に言った言葉だったのか、人混みの中にすっと消えていった彼を一人見送る。彼がどうしてあんな笑みを浮かべたのか。その意味を掴めない私はその場で立ち竦み、彼の消えていった方向を見ていた–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「遅かったじゃねェか。遅刻だぞ」

 

いつぞやと同じ茶屋の、これまた同じ奥張った個室。そこには前と変わらずおはぎを頬張って太々しく居座る風柱の姿があり、思わず肩を竦めてしまう。

 

「…久しぶりです、不死川さん」

 

座布団の敷かれた椅子を引き、机を挟んだ彼の正面に座る。相変わらず堅気には見えない三白眼に一つ嘆息すると「…それで」と切り出す。

 

「俺を此処に呼んだ理由は教えてくれるんですよね?用事もなしに呼ぶなんて、そんな事はしないとは思ってますけど」

「誰が用もないのにテメェと茶を飲むか–––––用事は二つある。それで、一つ目はこれだな」

 

そう言うと、傍に置いていた紫の風呂敷に包まれた少し長い棒の様な何かを差し出す––––と言っても、傍目からなんなのかわかるのだけれど。

 

「…まさか、不死川さんが持ってきてくれるとは」

「偶々里に居たからな。ついでだ」

 

風呂敷を小さくめくり、漆に塗られた鞘を確認する–––––間違いなく、自分用に作られた日輪刀だと分かる。

 

「この長さ…要望は聞いて貰えたみたいですね」

 

前まで使っていた短刀よりも一回り大きくなったそれを一瞥し、柄を握って重さを確認する。

 

「それは知らねェが、良かったのか?短刀より結構長いぞ?」

「構いません。上弦と戦うには、多少の間合いは必要ですから」

 

短刀を風呂敷毎懐に仕舞い込み、一息つく。…それにしても、彼が自分の短刀を届けてくれるとは思っていなかった。里長自ら届けに来るとは思っていなかったが、現役の柱が届けるとも思っていなかったからだ。

 

「ありがとうございます。短刀、確かに受け取りました」

「気にすんな。言っただろう?ついでだって」

「ついでですか…というと、不死川さんは刀を研ぎに行ってたんですか?」

「それもあるが、本命はテメェの刀について調べてたんだよ」

 

あっけらかんと告げる彼に小首を傾げ、疑問を口にする。

 

「俺の刀…鈴鳴り刀を?どうしてそんな…?」

「…アァ?胡蝶から聞いてないのか?」

「いえ、何も聞いていませんが…」

 

そういうと、途端に機嫌を悪くして舌打ちをする。「あいつ、まさか喋ってねぇとはな……」と忌々し気におはぎを口に放り込み、鋭い視線が向けられる。

 

「–––––お前は、お館様の額の痣についてどれ位知ってやがる」

 

––––––どうして、ここでお館様の痣の話が出てくるのだろうか。

 

「…何も知らない、と言って差し支えないかと」

「そうか……なら、端的に説明してやる」

 

「言っておくが、これから話す事は他言無用だ。無闇に言いふらしたら最期、お前を血祭りにあげてやるからな」と警告する彼に一度頷き、次の言葉を待つ。

 

「あれは、鬼舞辻の呪いだ」

「鬼舞辻の呪い、ですか…?」

 

鬼舞辻の呪い…という事は、鬼の頭目である鬼舞辻無惨の呪いという事だろう。しかし、それと自分の鈴鳴り刀とそれにどんな関係が…?

 

「お館様…というより、お館様の一族はその呪いのせいで定命を生きられねェ。…言いたくないが、お館様ももう長くは無い」

「呪いって…何か、重い病気じゃないんですか?」

「それが例え病気だとして、原因が分からなきゃ呪いと変わらねぇよ。…けど、鬼舞辻が関わっているのは確からしい」

「……何か、方法は無いんですか?」

 

悔しさを滲ませる声色の彼に、こちらも微かに震える声で問う。

 

「打開策はひとつだ–––詰まる所、鬼舞辻を殺さなければならないって事だな」

「鬼舞辻の討伐って………」

 

過去現在、そして未来に生まれる鬼殺隊員全ての悲願。邪悪の根源であり、自身が二番目に憎悪を向ける対象––––––鬼舞辻無惨。

…だが、その難易度は考えるべくも無い。少なくとも、彼に生み出された上弦の鬼にすら勝てていない現状では、夢物語と断ずる他にない。

 

「…けどな、実はそれ以外にもう一つ、可能性が生まれたんだよ」

「可能性––––––––それが、自分の鈴鳴り刀ということですか」

「そうだ。お館様がテメェの鈴を聞いた日の夜、僅かだが痣が薄くなったと言っていた。間違っても嘘偽りを言う人じゃねェ、まず間違い無いだろう」

「鈴鳴り刀の音……無限列車に赴く前の日か」

 

自らの決意を示す為のあの舞がまさか、そんな重大な事を引き起こしていたとは夢にも思わなかった。––––しかし、そうなると一つ疑問が産まれる。

 

「しかし、あれは鬼の血鬼術を弱めるだけの筈。それが、お館様の呪いを抑えるとは到底思えないんですが…」

「それは俺もわからねェ–––だが、お館様が助かる可能性が僅かでも残るなら、試さないわけにはいかねぇだろうが」

「…仰る通りですね」

 

彼の言う通り、大事なのは理由ではなく結果だ。お館様が助かるのであれば、その力の源流など些細な問題に過ぎない。

 

「それで、二つ目の理由だが…お前は、鈴鳴り刀の製法は知っているのか?」

「詳しくは知りません……ですが、陽光山の麓にある神社で清められた玉鋼を製造に用いる、とまでは聞き及びました」

「神社でお清めだァ?随分だな」

 

お清めという言葉に口元を歪ませる彼に同調し、一度頷く。

 

「自分もそう思います。…ですが、理由はともあれ、鬼殺に役立つのであれば構いません」

「それもそうだが…その玉鋼はいつ里に届けられるんだ?」

「わからない、としか言えませんね」

 

「お待たせ致しました」と置かれたお茶を啜り、一息入れる。

 

「悠長に構えてる暇はねェぞ。…ここだけの話だが、お館様の痣の進行が早まってる」

 

普段らしからぬ声色に、彼が心からお館様を案じている事が分かる。

 

「…本当ですか」

「あぁ。まだ歩く事は出来るらしいが、それも時間の問題らしい」

「––––それなら、調達を急がないといけませんね」

 

神道は秘密主義、師範はそう言っていたが、どうやら相手の出方を伺っている暇はないらしい。…今日の祭りを終えた後、すぐさま行動に移さなければならないだろう。

 

「お話、ありがとうございました。早急に鈴鳴り刀を調達する様、最大限努力を尽くします」

「…すまねェな。なんだか押し付けるような形になっちまって」

 

いつも通りの彼の口からは決して聞くことのない言葉に一度瞠目し、笑みを浮かべる。

 

「そんな寂しい事を言わないでください。自分も、お館様には色々とお世話になりましたから」

 

半分以上残っているお茶を一息で飲み干し、「ご馳走様でした」とお盆の上に置く。すると、自分の右腕の包帯に彼の視線が向けられる。

 

「その腕、まだ治りきってねェのか」

「いえ、怪我自体は完治しました。只、肌の色が変色しているので、剥き出しのままはあまり都合が良くないんですよ」

「…そうかい」

 

何か思う所があったのか、それ以降目を瞑って黙り込んだ彼に頭を一度下げ、静かに席を立つ。

 

「それじゃあ、また何処かで」

「……おう」

 

素っ気なく呟いた彼に微笑み、自分は茶屋の個室を後にした––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––人々の喧騒が遠くに聞こえる、町外れの蝶屋敷。燦々と輝いていた太陽が落ち、替わりに提灯の優しい光が土手道にポツポツと光るそんな中。ひとりの少年が、屋敷の前に提灯を持って佇んでいた。

 

「–––本当、晴れて良かった」

 

鈴の装飾が施された和服に身を包み、育ての親から授かった羽織を着込む少年–––––小屋内権兵衛が空を見上げて一つ頷く。

 

「権兵衛さん!お待たせしました!」

「こんな上等な着物着ても良いのかなぁ…?」

「ったく、なんでこんなの着なきゃいけねぇんだよ‼︎」

 

それから少し立つと、屋敷の玄関から三人の少年が揃って出てくる。普段の隊服とは違い、各々色の異なる着物に袖を通して歩くその姿からは、彼らが普段鬼殺隊として死線を潜っているとは露にも思わないだろう。

 

「良く似合ってるね、良かった良かった」

 

その三人を見ると権兵衛が嬉しそうに笑う。

 

「けど、本当に良かったんですか?こんな良いものを貰っちゃって…」

「良いんだよ。先輩隊士からの、細やかな贈り物さ」

「どう見たって細やかじゃないですよねコレ…」

「気持ちの問題だよ、それはね」

 

どこか震えている善逸君の肩をポンポンと叩き、朗らかに笑う。すると、再び屋敷の戸が開けられてパタパタと少女が走ってくる。

 

「フガフガ‼︎」

 

普段と変わらぬ出立で走ってきた彼女を炭治郎が「ねずこ‼︎」と抱き上げ、彼女がキャッキャと笑う–––相変わらず、とても仲のいい兄妹だ。

 

「あれ?ねずこちゃんには何も用意しなかったんですか?」

「うん。本当は彼女にも用意したかったんだけど、彼女が着物はコレが良いって言ってね…」

 

「あぁ…」と納得したように頷く善逸君と並んで権兵衛が苦笑する。実は結構気合を入れて選んだのだが、本人が要らないのであれば仕方ない。

 

「それよりも意外だね。伊之助君が着物に袖を通してくれるなんて」

「それはですね…」

「しのぶに怒られたんだよ‼︎なんで俺が怒られなきゃいけねぇんだ⁉︎」

「あぁ、成る程。道理で…」

 

袖を肩まで巻くっているものの、それでも着物を着ている彼が疑問だったのだが、彼女が関わっていたのかと納得する。半裸で猪頭の被り物をしていたら、まず間違いなく憲兵のお世話になる事は確定なので、権兵衛は心の中で彼女の行動に賛辞を贈る。

 

「それよりも、他の皆さんは遅いですね?」

 

抱き上げていたねずこちゃんを抱え、疑問符を浮かべる炭治郎に「それはね」と権兵衛が口を開く。

 

「アオイさん達がすみちゃんらの着付けをやってるからだよ。といっても、そろそろ来ると––––––ほら」

 

話していた口を途中で閉じ、屋敷の方に指を向ける–––––そこには、可憐な少女が佇んでいた。

 

「そ、その…お待たせしました」

 

桃色を基調とする下地に蝶と花の刺繍の施された着物に身を包み、髪を普段の蝶の髪飾りで纏めている彼女––––栗花落カナヲちゃんを見て、善逸がピタリと固まる。

 

「カナヲ!その着物すごい似合ってるよ‼︎」

「ぇ、えぇと…ありがとう」

「むーむー!」

 

淀みない炭治郎の賛辞に、離れていても分かるほど顔を赤くするカナヲを見て権兵衛がニコニコと笑う。炭治郎が、彼女の気持ちに気がつけば良いのにと小さな願いを込めて。

 

「えっ、ちょっと待ってください。あの子ってあんなに可愛かったでしたっけ?えっ?求婚して良いですかね?」

「うん。君は少し落ち着こうか。それと、気の多い男は異性から好かれないよ?」

「なんだ、只服が変わっただけじゃねぇか」

 

混乱のあまり錯乱し始めた善逸を宥めた後、「良かった、これで揃ったみたいだね」と提灯を善逸に手渡す。

 

「えっ?揃ったって…?」

「これも良い機会だし、今日は君達同期組でお祭りを回ってくると良いよ。俺はしのぶさんやアオイさん達と回るからね」

 

目の良い彼女にだけ分かる様、唇だけ動かして「がんばれ」と告げると、小さく頷くカナヲちゃんに微笑む。

 

「行ってらっしゃい。鐘が鳴ったら外れの観覧席に集合することを忘れないように」

 

五人の背中を押し、蝶屋敷の門から送り出す。

 

「それじゃあ、お先に行ってますね!後で合流しましょう!」

「俺様が一番乗りだぜ!」

「ねずこちゃーん!今日は目一杯楽しもうね!」

「むー?」

「そ、それでは」

 

和気藹々としながら街へと歩いていく彼等に手を振った後、「…さて」と屋敷に振り返る。

 

「後はしのぶさん達を待つだけだけど……」

 

一緒に待つ人も居なくなった為、手持ち無沙汰になった権兵衛が空を見上げると、透き通るような夜空に幾つもの星が瞬き、綺麗な三日月が地面を照らしている。

 

「……良い月だなぁ」

「えぇ、本当に」

 

いつのまに現れたのか、隣で権兵衛の言葉に同調するしのぶを権兵衛が一瞥すると「…せめて一声掛けてくださいよ」と肩を竦める。

 

「随分と熱心に見上げていたものですから。…夜空が好きなんですか?」

「…どうでしょうか。自分でも、良くわかっていません」

 

権兵衛は蝶屋敷にいる間、かなりの確率で夜空を見上げる事がある。それを知っての言葉だったのだが、歯切れの悪い言葉にしのぶが疑問符を浮かべる。

 

「良く縁台で夜空を見上げいると記憶していますけれど、それでも好きじゃないんですか?」

「えぇ。…まぁ、日課みたいなものですよ」

 

会話をそこで途切れさせると、改めて権兵衛がしのぶの方を見遣る。

端正な顔立ちにはほんのり頬紅と口紅が刺され、権兵衛の贈った着物を着た彼女は、男であれば誰もが一目置く程に可憐だ。そんな彼女を見た権兵衛は頰を小さく掻くと、「…はぁ」とため息を零す。

 

「綺麗なものを見るとため息が出るって言うのは、どうやら本当だったみたいですね」

「ふふっ、ありがとうございます」

 

はにかんだ笑みもこれまた綺麗で、まるで花が綻ぶ様だと感じる。

 

「…なんだか俄然自信が無くなってきました。やっぱり、今から顔のいい柱の人を呼んだほうが…」

「結構です。…それに、私は貴方とお祭りに行きたいんですから」

「–––そう言う言い方は、少し狡いかと」

 

どう考えても不釣り合いであるが、本人の希望ならば頑張ろうと一人意気込む。すると「権兵衛さーん‼︎」と快活な声が三つ響く。

 

「どうやら、終わったみたいですね」

「えぇ。そのようです」

「すいません、少し時間が掛かってしまいました」

「お待たせしました、兄さん」

 

お揃いの着物を着た三人を連れて、藍色の華やかな着物を着たアオイと白の着物を着た柊が玄関から現れる。それを二人で見ると一度頷き合い、権兵衛が口を開く。

 

「全然待ってないよ–––––それじゃあ、行きましょうか」

 

 

今日は間違いなく忘れられない1日になる。

そんな確信を持った権兵衛は嬉しそうに笑い、蝶屋敷の門を潜った–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––––––––––って、思ってたんだけどなぁ」

 

ガヤガヤと騒がしくも賑やかな街を端の茶屋から座って眺め、ぼんやりと呟く。そんな呟きは何処に届けたいと思うものでもないのだが、目敏い声が背後より聞こえてくる。

 

「んあ?なんだよ、気になる奴でも居たのか?」

「美味い!美味いな権兵衛少年‼︎」

「あぁ…甘露寺に会いたい…会いたい…」

(綺麗な夜空だなぁ……)

 

自分の周りにはニタニタと笑う音柱、団子をこれでもかと頬張る炎柱、恋柱に想いを馳せる蛇柱、それと空を見上げている霞柱が揃っている–––––いやほんと、どうしてこうなったんだろうか。

 

「別に、そんな人は居ませんよ…というより、なんで柱の皆さんは此処に?」

 

しのぶさんやアオイさん達とお祭りを回る筈が、何故か男性柱の方々に囲まれてこの場にいる事を改めて疑問に思う。すると「細かい奴だなぁ」とやや呆れた口調の音柱…宇髄さんが傍の酒瓶を一息に煽る。

 

「祭があるってお前から聞いてたからな。ちょうど良い機会だし、親睦会も兼ねて集まろうって提案したんだよ」

「成る程、そういう事でしたか。…ですけど、それなら尚更自分がいる必要がないのでは…?」

「権兵衛だって実力的には柱と同じ位なんだから、別に大丈夫でしょ」

「はぁ…」

 

相変わらずぼんやりとしている時透君に促されて不承不承に頷く。

 

「親睦会と言いましたけど、それにしては全員が揃ってませんね。ほかの人達はどうしたんですか?」

「冨岡は途中まで一緒にいたんだが、鮭大根の香りがするとか言ってどっか行った。不死川と悲鳴嶋さんは遅れて来るんだと」

「冨岡さん………」

 

相変わらずと笑えば良いのか、呆れれば良いのか。読めない彼の顔を思い出して苦笑し、傍にあるお団子を頬張る。

 

「しのぶさん達は今頃お祭りを楽しんでるかなぁ…」

 

つい先程まで一緒にいた彼女…天女と見間違う程に可憐だった胡蝶しのぶさんと瞠目する程に綺麗だったアオイさん達を思い浮かべる––––改めて思うが、自分では役者不足が過ぎる。

 

「甘露寺と一緒にいるんだから騒がしいだろうが、楽しんでんじゃねぇのか?」

「そうだと嬉しいですね。折角のお祭りですから」

 

『あぁ!しのぶちゃん久しぶり‼︎凄い綺麗な着物ね!新しく新調したの?』

『お久しぶりです、甘露寺さん。えぇ、この着物は––––––』

 

唐突に現れた甘露寺さんは瞬く間にしのぶさんと会話の花を咲かせ、それを見ていた矢先、これまた突然現れた宇髄さんに拉致されたのが此処までの軽い経緯と言えるだろう。…我ながら荒唐無稽な話とは思うが、事実なのでしょうがない。

 

「それにしても、襟元を引っこ抜いて連れてくることもないでしょう。俺はそこらにいる野良の子猫ですか」

「馬鹿言え。お前の様な狂気じみた子猫がいてたまるか」

「…さらっと罵倒しますね」

「それより、権兵衛少年は良かったのか?彼女達と一緒にお祭りを回る予定だったのだろう?」

 

団子の山を平らげた煉獄さんがこちらを見遣り、心配そうに首を傾けている。

 

「それはそうなんですが…まぁ、女性同士の方が気楽で楽しそうですし、自分はこの際居なくても良いかなって」

「そうだそうだ。普段蝶屋敷に篭ってんだから、今日くらい付き合ったって良いだろ」

「…まぁ、権兵衛少年はともかくとして、宇髄は大丈夫なのか?話を聞いた限り、胡蝶の許諾なしに権兵衛少年を攫って来たのだろう?もしかしたら報復があるやも知れんぞ」

「怖い事言うなよ。それに、幾らあいつでもそんな事はしないだろう」

 

空になったお猪口に「お代わりをお待ちしました」とやけに綺麗な声と共に新たに注がれた酒を宇髄さんが手に取り「おう、ありがとう」とこれまた一息に煽る–––––あれ?今お酒を注いだのって……?

 

「大体よぉ、胡蝶のやつは権兵衛に構い過ぎなんだ。偶には俺にだって––––––––」

「…宇髄さん?」

 

揚々と話していた宇髄さんの言葉が止まり、首を傾ける–––––その時、周りの柱の方々が揃って顔を背けている事に気づく。

 

「–––––––全く、権兵衛君を拐おうなんてふざけた真似をしてくれますね」

 

–––––その声は、とても綺麗な音色だった。

 

「し、しのぶさん…?」

「探しましたよ、権兵衛君」

 

宇髄さんを睥睨していた視線を戻し、こちらを見てふんわりと花の様に微笑むしのぶさんを呆気見る。その一方で視界の端では宇髄さんが「うぐぐ」と呻きながら、身体を動かそうと必死になっている。

 

「やれやれ…。だから言ったろう、宇髄?」

「………」

「おい胡蝶‼︎何も毒を盛ることはねぇだろ⁉︎」

 

動けないと解ると声を荒げる宇髄さんにしのぶさんがニコニコと笑う。

 

「いきなり権兵衛君を連れ去るからです。少しの間動けなくなるだけですから、少し反省していて下さい」

「…だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫に見えるか!お前からも何が言ってやれ‼︎」

「そ、そうは言いましても…」

 

どこか黒い感情を察し見る事のできる笑みを浮かべた彼女に、一体何を言えば良いのだろうか、とは口が裂けても言えない。–––何かとは明言できないが、トバッチリが来る事が目に見えるからだ。

 

「さて、それじゃあ柱の皆さん。権兵衛君は連れて行きますので」

「うむ。楽しんでくると良い」

「勝手にどうぞ」

「おい胡蝶。甘露寺はどうした?まさか一人で置いて来たのか?」

「まさか。今はアオイ達と一緒にいますけど、この後此処に合流すると言っていましたよ」

「そうか…!」

「おい胡蝶‼︎これ本当にすぐ治るんだよな⁉︎」

「えぇ。あんまり動くと良くないですから、安静にしていて下さいね?」

「どの口が言うんだよ⁉︎」

 

ガヤガヤと騒がしくなっている柱の方々を他所目に、残ったお茶菓子を一口で飲み込み「ご馳走様でした」と女中に頭を下げる。

 

「それじゃあ皆さん、お邪魔しました」

「ではな、権兵衛少年」

「えぇ、みなさんもまた」

 

席を立ち上がって柱の方々に頭を下げ、しのぶさんの方へ向き直る。

 

「それじゃあ、アオイさん達と合流しましょうか」

「えぇ。…それと権兵衛君」

「なんですか?」

「『女性同士の方が気楽で楽しそうですし、自分はこの際居なくても良いかな』って言葉、ちゃんと聞いてましたからね?」

 

–––––––どうやら、窮地に陥ったのは宇髄さんだけではないらしい。

 

「…お団子で手を打ちませんか?」

「打ちませんよ?」

「…ですよね」

 

長い小言が始まるなと辟易しながら、多くの人で賑わう街中を眺める。

 

「それにしたって、こんな人混みの中で良く見つけましたね」

「えぇ。鴉を使いましたから」

「–––––成る程」

 

鎹鴉の使用は公私混同なのでは、と思っても口には出さない。只噛み締める様に呟いた後、彼女の前を歩く様に街中を進む。

 

「それに、本当に心配したんですからね?この機に乗じて屋敷から出て行こうとしたんじゃないかって」

「…もしかして、屋敷を抜け出そうとした事、まだ根に持ってますか?」

「当然です。普通考えられますか?お腹に穴が空いた状態で鬼を殺しに行こうなんて」

「返す言葉もございません…」

「全くです。大体貴方は––––––」

 

微かに頰を膨らませて怒りを露わにする彼女に頭を下げる。そのまま彼女の小言を耳にしていると、ふと前から「権兵衛さーん!」と聞き慣れた声が聞こえる。

 

「漸く見つけました。どこに行ってたんですか、兄さん」

 

腰に手を当て困った様に嘆息する柊を相手に頰を掻く。

 

「いや、少し宇髄さんに拐われてねぇ…」

「拐われたって…。何というか、柱にはまともな人が少ないんですね」

「けど、こうして見つかって良かったですよ!」

「そうですよ!」

 

ぴょんぴょんと跳ねるすみちゃん達の手には綺麗な飴細工が握られ、頭には狐のお面を被っている–––なんだかんだ、お祭りは楽しめているらしい。

その様子を微笑ましく見ていると、ふと視界の横から一本のお団子が差し出される。

 

「これは権兵衛さんの分ですよ」

「アオイさん、わざわざありがとうございます」

 

差し出されたみたらしを受け取り、一口頬張る。「うまいうまい」と団子を食べ進めると「まだありますから、ゆっくり食べて下さいね」と彼女が笑う。

 

「あれ?そういえば甘露寺さんが見えませんけど?」

「あぁ、甘露寺さんなら…」

 

美味しい団子に舌鼓を打つと、一緒にいるはずの彼女が見当たらない事を疑問に思う。するとしのぶさんが人だかりが出来ている店を指差し、そこの人達が「おぉ〜」と歓声を上げていることがわかる。

 

「あれは……甘露寺さん?」

 

軽く背伸びをしてみると、店頭で蕎麦をおいしそうに頬張る彼女の姿が見える。傍には自分の背丈に迫る勢いの器の塔が聳え立ち、とんでもない量を食べていることが分かる。

 

「夜鳴きそばの大食い競争に参加しまして…因みに、挑戦者はあれで五人目です」

「はぁ…あっ、倒れた」

 

関取をも思わせる巨漢が地面に倒れ伏し、多くの人たちが歓声を上げる。–––––何というか、流石甘露寺さんだなぁ。

 

「彼女はあんな感じなので、私たちは私たちでお祭りを楽しみましょうか」

「ですね」

 

困った様に笑うしのぶさんに同調して微笑み、町並みを歩く–––その時、一つの体温が自分の右手を包む。

 

「––––えっ」

「人混みを多いですし、こうした方が良いですよね?」

 

横を向くと僅かに頰を赤くしたしのぶさんが見え、自分の顔も熱を持つ。

 

「それじゃあ、すみちゃん達は私と手を繋ぎましょうか」

「良いんですか!」

「えぇ。はぐれると大変ですから」

 

そんな自分達を見たからか、柊がすみちゃんとなほちゃんと手を取る。「ほら、アオイさんも!」ときよちゃんに促され、アオイさんも恥ずかしげに手を取る。

 

「それじゃあ行きましょうか、権兵衛君。私、実は行きたい屋台があるんですよ」

「私達もあるんですよ!」

「ほら、兄さん。時間は有限ですよ?」

「–––––そうだな」

 

手を引く皆んなに連れられ人だかりの中に脚を運ぶ。花火が始まるまで、後四半刻を切った––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––––––カーン、カーン。

 

騒がしい街中に二つの鐘の音が響く。それは花火が始まる事を告げる鐘であり、お祭りを楽しんでいた人達は揃って花火がよく見える場所を目指して動き出す。そんな様を見ていた音柱––––宇髄天元は傍にあるお猪口を一口に煽り、ふぅと一息吐く。

 

「もうすぐ花火が上がるか。どうする?俺たちも移動するか?」

「この茶屋からでも見えるのだろう?なら別に大丈夫だと思うが」

「却下だ。俺は人混みが苦手なんだ」

「僕はどちらでも良いよ」

「そうか。なら、此処で奴等を待機って事だな」

 

煉獄が団子の最後の一串を食べ終えて後に「…それで」と口を開く。

 

「結局の所、悲鳴嶋と不死川、後は冨岡はここに来るのか?姿が全然見えないが…」

「あぁ、それなら問題ないと思うぜ」

「むっ?」

 

宇髄が笑いながら奥の方向を指差す––––––そこには、不死川と冨岡両名を小脇に挟んだ悲鳴嶋行冥の姿があった。

 

「うわぁ…」

「オイ!そろそろ離して良いだろ⁉︎」

「………鮭大根」

「すまない、遅くなった」

「こっちこそ、回収してくれて助かったわ」

 

茶屋の御座敷に二人を放り投げ、謝意を述べる悲鳴嶋に宇髄がカラカラと笑う。

 

「ところで聞きたいんだが、そいつらは何してたんだ?」

「実弥はおはぎを食べている所を、冨岡は鮭大根を食べている所を見つけた」

「ブれねぇなぁ…」

 

簡単に予想が付くそれを聞いて苦笑すると「これで、後はあいつだけだな」と告げる最中、「遅くなりました〜!」と間延びした声が響く。

 

「噂をすればだな」

「甘露寺!そんなに走ったら危ないぞ!」

「お前はあからさまだなぁ…」

 

桃色の着物に身を包み、パタパタと走ってくる恋柱、甘露寺蜜璃の姿が見える。

 

「いや、遅れてねぇよ。これで全員揃ったな」

「胡蝶は来ないのか?」

「あいつは屋敷の奴らと花火を見るんだとよ」

 

 

–––––––––カーン、カーン、カーン。

 

三度鐘が鳴る。

それは花火が上がる直前を告げる合図であり、街の人々がこぞって夜空を見上げる。それに倣い、柱の面々も空へと視界を移す。

 

「––––来年も又、同じ花火が見れると良いな」

 

悲鳴嶋が呟いた言葉を最後に、白い光が空へと登る。天へと登る龍をも幻視するそれは遙か高く空へと昇り–––––そして、真っ赤な華を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

––––––––––綺麗なものを、見た。

 

「見事な花火ですね」

「はい、赤が良く映えます」

「とっても綺麗です‼︎」

 

空に打ち上がる花火を見上げる彼等の横顔は、見ているこっちが救われる程に晴れやかなものだった。

 

『––––––嫌な匂いだ』

 

一つの村を焼いたあの日以降、火を尊いと思う事なんて、二度と無いと思っていた。

 

「むー!むー‼︎」

「そうだな、凄い綺麗だな」

「立派な花火だなあ」

「…ほわぁ」

 

けれど、こうして色んな人達を魅了する炎の華は、結果として自分の視線を掴んで離さない。色取り取りに咲き誇る大輪を、食い入る様に見つめる。

 

「––––––綺麗だ」

 

一瞬の内に開き、一瞬の内に消えて無くなる泡沫の夢の様な儚い存在–––––それでも、自分にはそのあり方が、とても尊いものに思えた。

 

「…権兵衛君、泣いてるんですか?」

「–––––えっ?」

 

しのぶさんの言葉に目元を指で拭うと、透明な雫が付着している事が分かる–––––涙を流すなんて、一体いつぶりの事だろうか。

 

「大丈夫ですか?どこか痛むんですか?」

「いえ、違うんです。…只、花火があんまりにも綺麗で」

 

手を繋いで花火を見上げる夫婦、花火を見てはしゃぐ子供、懐かしむ様に目を細める老人、楽しそうに酒を煽る男性–––––––此処には、人の営みが溢れている。細やかだけれど、本当に尊いものが、溢れんばかりに広がっている。

 

––––––––どうして、忘れていたのだろう。

 

人には人の営みがあって、それが積み重なって世の中を作っている。俺は、そんな今が少しでも続く様に、誰にも邪魔されない様に、それを願って剣を握ったんだ–––––––誰も、幸せな営みを奪われない事を祈って。

 

『––––––ハハッ』

 

燃え盛る火を眺めて、乾いた笑みを浮かべた過去は変わらない。流した血は、殺した命は決して帰らない。ましてや、ドス黒く濁った自分の手が綺麗に雪がれるなんて事は絶対にない–––––それでも、そんな手でも、小さな営みを守る事くらいはできる筈だ。

 

「…もう、充分です」

 

俺が守りたかったものは、確かに『人』だった。

けれど、それは単に命が尊いからだけじゃない。その人がいつか作るであろう、小さくとも幸せな世界が見たいからだ。

 

「なにが、ですか?」

「思い出したんです。どうして自分が人を守りたかったのか、どうして、辛い思いをしてまで刃を振るうのかを」

 

本当に、居心地の良い場所だった。暖かな陽だまりがずっと続く、夢のような時間だった。蝶屋敷に来て、こうして皆んなで花火を見なければ、どうして人を救いたいと思ったのかの原点すら、思い出せなかっただろう。

–––––だからこそ、自分はずっと此処にいる訳には行かないんだ。

 

「唐突ではありますが、蟲柱、胡蝶しのぶへ。階級甲、小屋内権兵衛より一つの嘆願を述べさせて頂きます」

 

花火を見上げていた視線を彼女へと移し、悲しげに微笑む彼女の顔を見る。

 

「……行ってしまうんですね」

「––––はい」

 

耳には花火の炸裂音が響いているのに、どこか遠くの世界のように音が遠のいていく。

 

「本当に君は酷い人です。鬼のような人とは多分、君の事を指すのでしょうね」

「すいません」

「…大体、なんですか。もう充分って。貴方はまだ休んでいても良いんです。寧ろ、そうするべきなんです」

「すいません」

「……それで、蝶屋敷を出てまた無茶をするんですか?それで重傷を負ったとしても、私はもう治療しませんよ?」

「すいません」

「………蝶屋敷に残って欲しいと頼めば、残ってくれますか?」

「…………すいません」

 

とても、とても悲しそうな声だった。今にも涙が溢れそうな程に声は震え、目も潤んでいる…それでも、彼女は泣かなかった。

 

「わかりました。なら、今日付で貴方の蝶屋敷防衛の任を解きます。もう二度と、同じ役職に就けるとは思わない事ですね」

「––––––今まで、本当にありがとうございました」

 

目を伏せ、万感の想いを込めて心からの感謝を述べる–––本当に、しのぶさんには迷惑を掛けてばかりだ。

 

「さぁ、話は終わりですね。なら、花火を見ましょうか」

 

もう一度目をあげると、そこには花のように綻ぶ彼女の笑顔があった–––––強い人だと、改めて思う。

そのまま空を見上げると、一際大きな花火が空に打ち上げられる。赤や橙色に染められたそれはとても綺麗で、それでいて––––––––––。

 

「––––––頑張って下さいね、権兵衛君」

 

なにか、とても柔らかい感触が右頬に触れる。思わず右側を見ると、そこには笑みを浮かべたしのぶさんの顔が近くに映る。

右頬に触れたものが一体なんなのか、そして、しのぶさんの顔が赤いのは花火の光のせいなのか。その二つの答えを出せない俺は、肩を竦めて

困ったように笑みを浮かべる。

 

「––––––––本当に、敵わないなぁ」

 

 

––––––––花火の光が入り乱れる夜。溶け入るように呟いたその一言は花火の音に掻き消され、誰の耳にも届く事なく消えて行った–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛

お人好しの殺人鬼。人を救う為に人を殺すと言う極めて大きな矛盾を孕んだ行為を、彼は自身の精神を擦り減らす事によってそれを抑え込んでいた。
しかし、始まりの鬼殺を経て濁ってしまった彼の願いは、蝶屋敷の生活によって雪がれた。多くの人を救う事が目的ではなく、その人達が紡ぐ細やかだけれども幸せな世界を守る事が本来の願いの根源だったのだ。
その本質を思い出した所で、彼の行動は変わらないのだろう。人を傷つける人を許さず、人を喰らう鬼を赦さない。けれども、蝶屋敷での温もりは決して消える事なく、彼の心を灯し続けるのだろう。


胡蝶しのぶ

一つの鈴の音を送り出した少女。花火に当てられて微笑むとある少年の笑みを見た時、どうしようもない程に自分の想いを自覚した。彼女は彼を引き留めない。それが、彼への想いなのだから。


小屋内権兵衛(別側面)

一夜の内に三十余命から成る寒村を滅ぼした悪鬼。鬼殺と称して数多の市井を手に掛けた稀代の殺人鬼であり、その手で葬った人の数は百に登るとすら言われている。
性格は極めて希薄であり、人間離れしていると言える。自ら引いた線に極めて忠実であり、その線から外れた人の悉くを殺害する狂人。鈴の音を鳴らす長刀の扱いに長け、その刀をもって数多の命を奪ってきた。







作者からの謝罪

ここまでの読了してくれた事、誠にありがとうございます。そして、重ね重ねとは思いますが、投稿が遅れてしまった事、誠に申し訳ございませんでした。
今回投稿が遅れた原因は只一点、「権兵衛を蝶屋敷に残すか否かに悩んだから」に尽きました。当初の予定では権兵衛が蝶屋敷に残ったままの状態で物語を進行しようと画策していたのですが、そうなると描写が蝶屋敷に集中し、結果として焦点が当たるキャラクターが狭まってしまう事に気が付きました。
それから約三週間程度、書いては消して書いては消してを繰り返し、結果としてこのような結末となりました。描写が足りない中、次の展開に視点を移すのは、作者の力不足が祟った結果と言う他ありません。今後の展開的に蝶屋敷に焦点が当たる事は間違いなく、また、儚い恋模様も拙いながら精一杯努力する心意気なので、そこはお待ち頂ければ幸いです。
活動報告でも述べさせて頂いておりますが、作者は基本的にハッピーエンド主義者であります。その為、悲惨な結末や救いのない登場人物はなるべく避ける方向で行きます。そこはご了承下さい。
次の話なのですが、一度小噺か別の話を入れようかなと考えております。権兵衛が鬼になった場合とか権兵衛柱if、過去逆行編等色々と浮かんではいるので、それを短編で投稿するかも知れません。もし短編で何かご要望等がありましたら活動報告のコメントや個別メッセージで受け付けておりますので、其方にご連絡下されば幸いです。
長々となってしまいましたが、これにて作者からのコメントを終えます。改めまして、これまで拙作を応援して下さった方、本当にありがとうございます。これからも応援してくださると嬉しいです。






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