ウタカタノ花   作:薬來ままど

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窓越しから洩れる光が、夜が明けたことを知らせる。目元に降り注ぐ光に誘われるように、汐の瞼が小さく震えた。

ゆっくりと目を開くと、ぼやけた視界に映るのは見知らぬ天井。

 

(ここはどこだろう?)

 

そんなことを考えながら起き上がった汐は、ふと、自分の頭が妙にすっきりしていることに気づく。

そう。あれだけ彼女を苦しめていた悪夢を見ていないのだ。

これほどゆっくりと眠れたのは本当に久しぶりだった。

 

汐はゆっくりと体を起こし周りを見回した。木でできた質素な小屋で、生活のための最低限のものしか置いていない。

汐は記憶を探り起こし、意識を失う直前を思い出した。

 

(確かあたし、山を下って帰ってきて、それから鱗滝さんが認めるて言ってたような・・・)

そんなことを考えていると、扉ががたりと音を立てて動いた。

汐が視線を向けると、そこには山菜が入った籠を抱えた。見知らぬ少年が一人立っていた。

 

少年は汐を見るなり目を見開くと、瞬時にうれしそうな表情に変わった。

 

「よかった!目が覚めたんだな」

 

彼は籠を下に置くと、汐のところに駆け寄ってきた。赤みがかかった髪に、額にはやけどのような傷跡。耳には日輪を模したような耳飾り。そして、髪と同じく赤みがかかった目。

その目を見た瞬間、汐の心は大きく震えた。

どこまでも澄み切った、汚れも曇りも一切無い目。それはまるで、汐が一番好きな夕暮れ時の海と似た色をしていた。

 

(なんて・・・なんて綺麗な目なんだろう。ううん、綺麗なんて簡単な言葉じゃ言い表せない・・・。こんな、こんな目をした人がいるなんて)

 

汐が文字通り目を奪われていると、少年は困惑したように眉根を寄せた。

 

「あ、あの。俺の顔に何かついてる?」

 

その声を聞くと、汐ははっと我に返り慌てて彼に謝った。そしてそれと同時に腹の虫が盛大になる。

顔を真っ赤にして布団に潜り込む彼女に、少年は朗らかに笑った。

 

少年は竈門炭治郎と名乗り、半年前からここ鱗滝の下で修行をしていると言った。彼もまた、汐と同じく鬼殺の剣士を目指しているためだ。

汐も名を名乗り、食事の支度をし始めた炭治郎を手伝おうとしたが、寝起きを考慮したのか彼はそれをやんわりと断った。

 

炭治郎は慣れた手つきで食事の支度をする。今日の献立は朝どれの山菜で作った雑炊だ。

生まれてこの方海しか知らなった汐にとって、山菜入りの雑炊は未知の食べ物だ。だが、空腹には勝てず誘われるように雑炊を口に入れる。

その瞬間に広がる芳醇な風味と、かむたびにあふれ出すうま味。そのあまりのおいしさに、汐は夢中で雑炊を味わった。

 

「きちんと食べられてよかった。覚えてる?君、あの日から丸一日眠っていたんだ」

「丸一日!?」

「ああ。鱗滝さんが言うには、極度の寝不足と疲労だって。心配していたけれど、目が覚めて本当に良かった」

 

そういってほほ笑む炭治郎に、汐の心は温かくなる。だが、そんな状態であの山に放り込まれたかと思うと、ひょっとしたら鱗滝というは男は、自分の師よりも鬼なところがあるんじゃないか、と勘繰ってしまった。

 

すると、そんな汐を見透かすように炭治郎が口を開く。

 

「確かに鱗滝さんは厳しいけれど、でも決して間違ったことはしていない。していない、と思う」

しかし、最後のほうは自信がないのか声が小さくなっていく。その目を見るに、彼もまた似たような目にあったのだろうと汐は思った。

 

その時、扉が開いて鱗滝が入ってきた。挨拶をする炭治郎に、汐もつられて挨拶をする。

鱗滝はそんな汐に顔を向けると、着物の着心地を聞いてきた。

そこで初めて、汐は今着ている着物が自分のものではないことに気づく。炭治郎はそんな彼女から、なぜか頬を染めつつ目をそらした。

 

食事を終えた後、汐は鱗滝、炭治郎両名と改めて顔を合わせた。

 

「改めて名乗ろう。儂は鱗滝左近次。そしてこちらが、半年前からここで修行を積んでいる竈門炭治郎だ。もう知っているとは思うが、儂はお前の養父と同じく『育手』だ」

 

育手。それは文字通り剣士を育てる者たちのこと。山ほどの数がいて、それぞれの場所、それぞれのやり方で剣士を育てているのだ。

そして鬼殺の剣士たちが身を置く組織『鬼殺隊』へ入隊するには、『藤襲山』で行われる『最終選別』で生き残らなければならないのだ。

厳しい声色に汐は勿論、炭治郎も身を固くする。

 

「だが、二人が最終選別を受けていいか否かは儂が決める。まずはそこで生き残るための術を、お前たちに叩き込む」

 

それから二人の(地獄のような)修練が始まった。

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

まず初めに、山に慣れていない汐のために、鱗滝は山の基礎知識を叩き込む。歩き方から食べられるものの見分け方などのを一から教えた。

あまり頭を使うことがなかった汐に乗って、これは出鼻をくじかれる。だが、それも海の知識を覚えることが楽しかった時を思い出しながら、山の知識も覚えていった。

次に行ったのは、なんと炭治郎との組手である。二人は戸惑った。汐は素人相手に拳を振るっていいのか、炭治郎は女である汐に拳を振るっていいのか。

 

だが、鱗滝からは容赦はするなとお墨付きをいただいた。そしてその結果、汐は炭治郎を完膚なきまでに叩きのめしてしまった。

そんな汐を見て、鱗滝は少しやりすぎかもしれなかったと、僅かながら悔やんだ。

 

そしてその後、汐は鱗滝と炭治郎両名の前で海の呼吸を披露することになった。

以前玄海が言っていたが、海の呼吸というのは玄海自らが生み出した独自の呼吸法で、まだまだ未完成のものだ。それ故鱗滝もどのようなものかはあまりよく把握しておらず、一度見てみたいというのがその意図だ。

 

目の前には刀を振るう鍛錬のために用意された巻き藁がある。それを型を使いすべて切り落とせというのが今回の課題だ。

二人は下がり、その場には汐だけが残る。汐は右わきに指してある刀を抜くと、大きく息を吸った。

 

低い、地鳴りのような音が響き、炭治郎が目を見開く。

 

全集中・海の呼吸

壱ノ型 潮飛沫(しおしぶき)!!

 

汐が目にもとまらぬ速さで巻き藁との距離を詰め、一気に切り裂く。そのまま彼女は方向を変え、再び息を吸った。

 

――弐ノ型 波の綾!!

 

今度は先ほどとは異なり、緩やかな動きで巻き藁の間を泳ぐように動く。そしてそのまま、すれ違いざまに巻き藁を切っていく。

その鮮やかな動きに、炭治郎は縫い付けられたように動けなくなっていた。

 

「なるほど、相分かった」

その時、鱗滝が突如口を開いた。汐はこれから別の型を出そうと身構えていたのだが、急にそれを中断されよろめく。

 

「確かにお前は海の呼吸なるものを扱えるようだ。だが、完全に使いこなせているといえばまったくもってそうではない」

「え!?」

「お前は刀を握ってまだ浅いだろう。太刀筋にかなりの粗さが見える。玄海は、お前に刀を用いた訓練をしなかったのではないか?」

 

その言葉が、汐の心を深く打ち抜いた。まさしくその通りだった。たった短時間でここまで見抜いてしまうとは、やはり彼は只者ではなかった。

汐の沈黙に肯定の意味を感じた鱗滝は、深く深くため息をついた。

 

「あやつめ。肝心なことを省く癖は治っておらんかったようだな。それで苦労をするものがいるとなぜわからんのか」

鱗滝は独り言のようにつぶやくと、これからは炭治郎同様に修行をつけると改めて宣言したのであった。

 

 

*   *   *   *   *

 

その夜。炭治郎が明日の食事の材料を探しに行っている間に、汐は部屋の中を片付けていた。といっても、物は少ないため簡単に箒をかけて終わりなのだが。

ふと、汐はいつもしまってるはずの炭治郎の部屋の扉が少し空いていることに気づいた。好奇心が疼いた汐は、そっとその隙間から中をのぞく。

そこにいたのは、竹の口枷をつけたまま眠る、見知らぬ少女だった。

 

(だ、誰!?)

 

思ってもみなかった邂逅に、汐は思わず声を上げそうになる。ここにいるということは鱗滝か炭治郎の身内なのだろうが、何故口枷などしているのか。なぜ今の今まで眠ったままで起きていないのか。

そのいろいろな疑問が渦巻き、気が付けば汐は少女の顔を覗き込んでいた。と、その瞬間。

汐は少女にただならぬ気配を感じた。そして瞬時に、目の前の少女が人ならざる者だということに気づく。

 

(なんで・・・?なんでここに、こんなところに鬼がいるの!?)

 

鬼。自分の故郷を奪い、一番大切な人を殺させた憎い存在。今までも何度か斬ってきた鬼が、目の前で眠っている。

汐の心がみるみる黒いものに覆われていく。そしてその左腕は、何かを求めるように震えだす。

 

――殺さなくては・・・!

――鬼は、殺さなくては・・・!

頭の中に低い声が響く。そしてその声に突き動かされるように、汐は一歩踏み出した。

 

だが。

 

「何をしている!」

 

背後から鋭い声が飛び、瞬時に汐の左腕をつかむ。反射的に振り返ると、鱗滝が自分の腕をつかんだままこちらを見ていた。

振り返った汐の匂いに、鱗滝はわずかながら戦慄する。

あの日、初めて会った汐からにじみ出る、殺意の匂い。身を滅ぼさんほどのどす黒く、悲しく、痛々しい殺意。

 

「どう、して?」

 

汐の口からは零れるように声が漏れる。なぜこの人は止めるのか。理解ができない。

 

「話していなかったが、この少女は竈門禰豆子。炭治郎の、妹だ」

汐の腕をつかんだまま、鱗滝は話し出した。

 

炭治郎が鬼殺隊を目指す理由。それは鬼となってしまった妹を人に戻すためだということ。

そして今のまままで、禰豆子という少女は人を襲わず眠り続けているということだった。

 

だが、その話を聞いて、汐の心は鎮まるどころかますます殺意が膨れた。

 

――なによ、それ。それじゃあおやっさんは何だったの?

――それができるなら、おやっさんだって人間に戻せたじゃない

――あたしが、おやっさんを斬ることも、こんな思いすることもなかったじゃない

 

――ふざけるんじゃねぇよ

 

一瞬にして膨れ上がった殺意に、さすがの鱗滝も戦慄した。まだ年端もいかぬ少女が、こんな恐ろしい目をする。それはまるで、鬼よりも恐ろしくて――

 

「禰豆子!?鱗滝さん!?」

 

突如背後から聞こえてきた声に、汐はびくりと肩を震わせる。驚愕と焦燥をまとった炭治郎と目が合った。

 

「あ・・・あ・・・」

 

その目を見た瞬間、汐の殺意がみるみるうちに収まっていく。まるで、波が引くように汐の中からどす黒いものが消えていった。

 

(あたしは、あたしはなんてことを考えていたの・・・?炭治郎に、あの人にこんな目をさせるなんて・・・)

「ごめん、なさい。ごめんなさい」

 

そう何度もつぶやきながら、汐はへなへなとその場に座り込んだ。そんな彼女を、炭治郎は呆然と見ていることしかできなかった。

 

 

 

*   *   *   *   *

汐を寝かしつけた後、鱗滝は炭治郎と向き合い話をしていた。その内容は勿論、汐のことだ。

 

「炭治郎。先ほどの汐を見て、どう思った?」

炭治郎はしばらく考えていたあと、言葉を選びながら話し出した。

 

「汐からは、すさまじい程の憎しみと痛みの匂いがしました。特に鬼に対して、激しく憎んでいる。一体彼女に、何があったのですか?」

 

炭治郎からの問いかけに、鱗滝は少し迷ったが息をついて話し出した。

 

「玄海から文が届いたその数日後。お前の時と同じ冨岡義勇からも文が届いた」

「え?冨岡さんからですか?」

「そうだ。奴の文によれば、ある村で鬼による大規模な襲撃があり、村人は全滅。そして奴は、玄海は鬼になった」

 

炭治郎の目が見開かれ、音が聞こえるほどに息をのむ。それはまるで、自分自身が体験した地獄のようだった。

それを見据えながらも、鱗滝はつづけた。

 

「そこに居合わせた義勇が鬼殺を試みたのだが、奴が玄海の頸を斬ることはなかった。頸を切ったのは、ほかでもない。汐だったそうだ」

 

炭治郎は完全に言葉を失い、汐が眠っている布団を思わず見つめる。初めて汐の匂いを感じた時に読み取れた、悲しみと憎しみの匂いの訳が分かった気がした。

村が鬼に襲われ、養父は鬼に。そしてその引導を自らの手で渡し生き残った。そんな重すぎる過去を、自分と同じくらいの年の少女が背負うにはあまりにも辛すぎる。

 

「酷い、酷すぎる。そんなの、そんなのあんまりだ」

 

炭治郎の口からこぼれた言葉が、すべてを物語る。まるで自分のことのように痛みを感じる彼を見て、鱗滝はつづけた。

 

「だから正直なところ、儂はあの娘が鬼殺の剣士に向いているとは思えない。あの強すぎる殺意は、周りだけでなく自らも滅ぼしてしまいかねない。しかしそれでも、汐は選んだ。この道を」

だから一つ、お前に任せたいことがある。と、鱗滝は炭治郎を見ていった。

 

鱗滝の言葉が、炭治郎の耳に入る。そして彼は眠っている汐を見てある一つの思いを感じるのであった。

この作品の肝はなんだとおもいますか?

  • オリジナル戦闘
  • 炭治郎との仲(物理含む)
  • 仲間達との絆(物理含む)
  • (下ネタを含む)寒いギャグ
  • 汐のツッコミ(という名の暴言)

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