時間は少しだけさかのぼり
『兄ちゃん、兄ちゃん助けて。姉ちゃんたちが危ないよ・・・!!』
闇の中誰かの声を聞いた気がして、炭治郎ははっと目を覚ました。だが、背中の激痛と貧血で酷い眩暈を起こして膝をつく。
(俺は・・・?そうか、あの時汐を庇って鬼に背中をやられて、それから・・・)
炭治郎はふらつきながら頭の中周りを見渡すと、汐と禰豆子の姿がない。それどころか二人の血の匂いがどこからか流れてきた。
(汐と禰豆子の血の匂い・・・!二人が血を流している・・・!行かなければ・・・、俺の大切な家族が・・・!!)
炭治郎は何とか身体を起こし、立ち上がろうとするが足に力が入らなかった。自分の見えない場所で二人の少女が血を流しながら戦っている。
それなのに男である自分が動けない不甲斐なさに、炭治郎の心に焦りが生まれた。
だが
「無理に動くんじゃないよ!」
背後から鋭い声が飛び、倒れそうになる炭治郎を誰かが支えた。視線を動かせば、黒髪に前だけが金色の髪の見知らぬ女性が自分を支えていた。
誰だと聞く前に、彼女の背後から別の悲鳴のような声が上がった。
「ヒィッ!!ひ、酷い怪我です!!ど、どうしましょう!?」
「喚くんじゃないよ須磨!さっさと手当てを始めるよ!」
女性が口にした名前に、炭治郎は思わず目を見開いた。
「須磨・・・?ひょっとして、あなたたちは宇髄さんの・・・」
「はい、妻の須磨です。そしてこっちがまきをさんで・・・」
「のんきに自己紹介なんかしている場合じゃないでしょ!!ああもう!アンタは周りの怪我人の手当てをしな!!」
まきをと呼ばれた女性はすぐさま炭治郎の傷の応急手当てをし、須磨はその周辺の怪我人の手当てを始めた。
「皆さん、無事だったんですね・・・、よかった・・・」
宇髄の妻が生きていたことに安堵する炭治郎に、まきをは手を動かしながら言った。
「猪みたいな頭の子が助けてくれたんだ。後、アンタの仲間の金色のへんてこな子も生きているよ」
「伊之助が・・・、それに善逸も・・・。みんな無事でよかった・・・」
「人の事よりあんたは自分の心配をしな!全く、どいつもこいつも・・・」
まきをは唇を噛みながら、手早く炭治郎の傷に包帯を巻いていく。
それから彼の前に一粒の丸薬を差し出した。
「これを飲みな。痛み止めと造血作用のある薬だよ」
まきをが差し出した丸薬からは、すさまじい程の薬の悪臭がしたが、炭治郎は一切ためらうことなく口の中に放り込んだ。
途端に口中に強烈な苦みと渋みが広がり、炭治郎の意識は霧が晴れるように一気に引き戻された。
(うわぁぁ、あの薬ってものすごく苦くて渋いんですよね・・・)
涙目になり咳き込む炭治郎を、須磨は複雑な表情で眺めていた。
意識が鮮明になった炭治郎は、改めて周りを見渡し顔を歪ませた。建物は無残に崩れ去り、あちこちから血のにおいと血痕が見える。
そして傍らには空っぽになった霧雲杉の箱が落ちていた。
(禰豆子、汐・・・。どこだ?どこにいるんだ・・・!?)
何とか二人の姿を捜そうと上を向いた、その時だった。
――助けて・・・!助けて炭治郎!!禰豆子を助けて!!!
「えっ・・・!?」
何処からか汐の声が聞こえた気がして、炭治郎は弾かれるように立ち上がった。するとある方向から二人の血の匂いがはっきりと流れてきた。
「どうしたんだい?」
怪訝そうな顔をするまきをに、炭治郎は険しい表情のまま告げた。
「すみませんが俺はもう行きます。助けていただいてありがとうございました」
炭治郎はそれだけを言うと、風のようにその場を後にした。あれほどの怪我を追っているのにもかかわらず、あれだけの動きができることにまきをは驚いたが、遠くで泣きごとを言い出す須磨の声を耳にしたときその驚きは怒声に変わっていくのだった。
一方その頃。暴れ続ける禰豆子を、汐は必死で押さえつけていた。
身体のあちこちは禰豆子の鋭い爪で引っ掻かれて血が滲み、のたうち回ったせいかあちこちに青あざができているうえに、体力も限界に近かった。
「禰豆子・・・!お願い・・・だから・・・!」
何度も歌を歌ったせいか、汐の声はすでに枯れてかすれてしまっていた。しかしそれでも汐は禰豆子を放さなかった。放すわけにはいかなかった。
例え命に代えても、禰豆子に人を傷つけさせるわけにはいかない。
だが、汐の身体は確実に悲鳴を上げ、力もだんだんと弱まりつつあった。そしてついに・・・
「あっ!!」
禰豆子は身体を大きく捩り、汐の手を無理やり引き剥がすと倒れている人間に躍りかかった。
「禰豆子ーーッ!!!」
汐の叫びも虚しく、今まさに禰豆子の爪が振り下ろされようとしたその時だった。
「禰豆子!!!」
聞き慣れた声と共に、緑色の羽織が目の前を翻った。
「だめだ!!耐えろ!!」
炭治郎が暴れる禰豆子に、汐同様鞘のついた刀を噛ませ押さえつけていた。
「炭治郎・・・ッ!!」
汐は安堵から涙を流すが、すぐさま振り払って叫んだ。
「炭治郎、どうしよう!ウタカタが効かないの。何度歌っても禰豆子が眠ってくれないの!あたし、あたし・・・!!」
だが汐が訴える間も、禰豆子は激しく暴れ炭治郎を押しつぶすように倒れこんだ。
「炭治郎・・・!」
「来るな汐!大丈夫だ!!俺が、俺が必ず何とかするから・・・!!」
禰豆子を必死で抑えながら、炭治郎は汐を一瞥して顔を歪ませた。汐の身体はたくさんの傷がつき血を流していた。
周り中あちこちから汐と禰豆子の血の匂いを感じ、二人がそれだけ傷ついたことを表していた。
(ごめん・・・ごめんな二人とも。戦わせてしまって・・・!!二人とも痛かっただろう、苦しかっただろう・・・!)
「禰豆子、禰豆子!!ごめんな。でも大丈夫だ。兄ちゃんが誰も傷つけさせないから。眠るんだ禰豆子、眠って回復するんだ、禰豆子!!」
炭治郎は禰豆子の名を何度も呼び続けた。しかし禰豆子はそれが聞こえていないのか、強く踏み込むと炭治郎ごと天井を突き破っていった。
「炭治郎!禰豆子!」
汐もあわてて二人の後を追い、穴の開いた天井に向かって飛び込んだ。
上の階では突然現れた闖入者に、人々は驚き逃げ惑った。
「禰豆・・・子!!眠るんだ!!」
先程薬を飲んだとはいえ、傷が治ったわけではないため炭治郎の身体は悲鳴を上げた。しかしそれでも、炭治郎は必死で禰豆子に呼び掛けた。
何度も、何度も。
しかし、そんな二人に追い打ちをかけるかのように、部屋の襖が音を立てて吹き飛んだ。追いついた汐が二人を庇うようにして刀を構えると、そこから堕姫の大きな影がぬうっと姿を現した。
「よくもまぁ、やってくれたわね。そう、血鬼術も使えるの。鬼だけ燃やす奇妙な血鬼術」
堕姫の地を這うような恐ろしい声が汐の耳を穿ち、そして顔の半分と身体の一部が焼け焦げた姿で、堕姫は禰豆子を睨みつけた。
「しかもこれ、なかなか治らないわ。もの凄く癪に障る、もの凄くね」
堕姫の顔にはいくつもの青筋が浮かび、激昂しているのが一目でわかった。
(まずいわ。周りには逃げ遅れた連中もいるし、炭治郎は禰豆子を抑えるので手一杯。あたしが、あたしがなんとかしないと・・・)
「へぇ。中々いい姿になったんじゃないの。流石、吉原に名をはせた花魁は違うわね」
汐は思い切り皮肉を込めてそう言い放つが、堕姫は汐にはもう興味はないと言った様子でその視線を合わすことなく禰豆子だけを睨みつけていた。
もはや汐の挑発すら、堕姫の耳には届かなかった。
堕姫の帯はグネグネとうねり、今まさに建物ごと切り裂こうとしたその時だった。
「おい、これ、竈門禰豆子じゃねーか。派手に鬼化が進んでやがる」
この場に似つかわしくないような声が響き、汐が思わず振り返るとそこには炭治郎と禰豆子の傍に音もなく近寄った、宇髄の姿があった。
彼は暴れる禰豆子をまじまじと見ながら、呆れたように鼻を鳴らした。
「お館様の前で大見栄切ってたくせに、なんだこの体たらくは」
いきなり現れたその男から、堕姫はとてつもない気配を感じ、彼が柱であることを見抜いた。
「柱ね、そっちから来たの。手間が省けた・・・」
「うるせぇな。お前と話してねーよ、失せろ」
だが、堕姫の言葉を宇髄は静かに遮り言い放った。
「お前。
その言葉に堕姫だけではなく、汐も驚いた顔で宇髄を凝視した。が、次の瞬間。
堕姫の頸がごろりと落ち、彼女自身の手の中に納まった。
「え?」
堕姫はそのまま呆然とした表情で、自分の頸を抱えながら座り込んだ。その速さに汐と炭治郎は唖然とした表情で堕姫と宇髄を見比べた。
(何が起こったの!?全然見えなかった。っていうか、刀いつ抜いてたのよ!?)
(斬った!!頸が落ちてる!!宇髄さんが斬ったのか!?すごい・・・!!)
二人が呆然とする中、禰豆子が再び咆哮を上げながら暴れ出し、炭治郎は慌てて手に力を込めた。
「おい、戦いはまだ終わってねぇぞ。妹をどうにかしろ」
宇髄は淡々と言葉を紡ぎながら、炭治郎に顔を近づけながら言った。
「どうにかって、あたしたちにできることは全部やったのよ!だけど、だけど駄目なのよ!」
「うるせえ、喚くな。ぐずりだすような馬鹿ガキは、戦いの場に要らねぇ。子供には地味に子守唄でも歌ってやれや」
「だからそれはさっきやって――」
汐が宇髄に文句を言おうとしたとき、禰豆子はひときわ大きな声を上げるとそのまま炭治郎と共に窓を突き破って外に落ちていった。
「炭治郎!」
汐は慌てて追おうとするが、宇髄が腕を掴み制止させた。睨みつける汐に、彼はため息を一つつくと首を横に振った。
「お前にできることはもう何もねえよ」
その言葉が、汐の心に小さな棘となり突き刺さっていった。
俯く汐に宇髄は再びため息を吐くと――
手を振り上げその手刀を汐の頭に叩きつけた。
「いっ・・・たあ・・・!!なにすんのよっ!!」
汐は走った衝撃と痛みに呻き、頭を抑えながら宇髄を睨みつけた。
「戯け。お前が無茶をしたせいで迷惑する連中がいるのがわかんねえのか?自分ひとりで自己完結してんじゃねえって俺に派手に啖呵を切ったのはお前だろうに、言ってることとやってることが全然違うだろうが阿呆」
彼の言葉に、汐は先ほど殺意におぼれそうになり自分の限界を見誤ったことを思い出した。
禰豆子が居なければ、あのまま鬼に全身をズタズタにされていただろう。そして、自分ひとりが突っ走ったせいで禰豆子をあんな目に遭わせてしまった事に、汐は心から悔やんだ。
「落ち込んでいる場合じゃねえぞ、癇癪娘。まだ俺たちにはやることがごまんとあるんだ。そんな暇があるならさっさと立て」
「・・・そうね。って、今あんたあたしの事癇癪娘って言った!?騒音より酷いことになってるじゃない!!」
「うるせー、耳元で騒ぐんじゃねえよ。それとも騒音阿呆娘の方がいいか?」
「あんた絶対、いつかぶっ飛ばしてやるからね・・・」
青筋を立てながら自分を睨みつける汐に、宇髄の口元が微かに緩んだ。
その時だった。
「ちょっと待ちなさいよ、どこ行く気!?」
宇髄と汐が立ち上がろうとしたとき、頸が落ちたままの堕姫が甲高い声で喚いた。
「よくもアタシの頸を斬ったわね、ただじゃおかないから!」
「まぁだ、ギャアギャア言ってんのか。もうお前に用はねぇよ、地味に死にな」
そんな堕姫に、宇髄は興味がないように一瞥すると汐に先に行くように促した。
「ねえあんた、さっきこいつが上弦の鬼じゃないって言ったのはどういう事?こいつの目にちゃんと数字が刻まれてるじゃない」
「あー、あれはそのままの意味だ。こいつは上弦の陸なんかじゃねえ」
「アタシは上弦の陸よ!!」
宇髄の言葉を聞いていたのか、堕姫は金切り声を上げながら言い放った。しかし頸を斬られているせいか、何を言っても負け惜しみにしか聞こえなかった。
「だったらなんで頸斬られてんだよ。弱すぎだろ、脳味噌爆発してんのか?」
相も変わらず歯に衣着せぬ物言いに、汐も呆れたように宇髄と堕姫を見比べていると、堕姫はさらに声を荒げた。
「アタシはまだ、負けてないからね、上弦なんだから!」
「負けてるだろ、一目瞭然に」
「アタシ本当に強いのよ。今はまだ陸だけど、これからもっと強くなって・・・」
「説得力ねー」
堕姫の言い訳じみた言葉に、宇髄は冷静に言葉を返していくと、次の瞬間。彼女は突然火のついたように泣き出した。
「わーーーーん!!」
大粒の涙を流し泣き喚く堕姫に、汐は勿論、宇髄ですらぎょっとした表情で凝視した。
「本当にアタシは上弦の陸だもん、本当だもん。数字だって貰ったんだから、アタシ凄いんだから!」
まるで子供のように泣きわめく堕姫に、汐は段々と苛立たしさを感じながら睨みつけた、その時だった。
汐は苛立たしさの他に、大きな違和感を感じた。落ちたままの頸が、涙を流して叫んでいる。
頸が落ちているのに、未だに喚いている。
(あれ?そう言えば、なんでこいつ死んでないの?日輪刀で頸を斬ったはずなのに・・・!)
汐の感じた違和感は、宇髄も感じたらしく引き攣った表情で堕姫を凝視していた。
そんなこととは露知らず、堕姫は喚きながら何度も畳に拳を打ち付けた。
「死ね!!死ね!!みんな死ね!!うわああああっ、頸斬られたぁ、頸斬られちゃったぁ!!お兄ちゃあああん!!」
堕姫がそう叫んだ瞬間。堕姫の背中から何かが生えるように這い出してきた。
「うぅううん・・・」
うめき声のようなかすれた声と共に這い出たそれから、汐は強い別な鬼の気配を感じた。
だが、間髪入れずに宇髄がすぐさま鬼に日輪刀を振るった。しかしその刃は空を切り、あたりには堕姫の帯が小さく待っているだけだ。
「!!」
汐と宇髄が辺りを見回すと、部屋の隅に移動した鬼は泣きじゃくる堕姫の頸を元に戻しながら頭をなでていた。
「泣いたってしょうがねぇからなぁ。頸くらい自分でくっつけろよなぁ。おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ」
そう言って堕姫をなだめる鬼を、汐は睨みつけながら状況を整理した。
(どういう事?あの女は頸を斬ったのに死んでない。それに、後から出てきた鬼は別の気配がする・・・それにさっき、派手男の剣よりも早く動いた。反射速度が馬鹿みたいに速いわ)
汐が刀を構えると、お兄ちゃんと呼ばれた鬼はゆっくりと振り返った。その悍ましい眼に、汐の身体が強張る。
「俺の妹をいじめたのはお前かぁ~」
その尋常ならざる気配に汐はすぐさま口を開いた。だが、その瞬間。
「・・・え?」
汐の目の前に鬼が迫って来たかと思うと、彼は何処からか取り出した鎌を汐の喉笛に突き刺していた。
そして悲鳴を上げる間もなく、一気に喉ごと汐を切り裂いた。
「大海原ーーッ!!!」
崩れ落ちる汐の身体に向かって、宇髄の叫び声が部屋中に響き渡った。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神