丸腰になった汐に向かって、妓夫太郎は血の刃を両腕から放った。その真紅の刃が汐の身体に食い込む寸前。
汐は身体をくたりと曲げ、刃は肌を傷つけることなく掠めて飛んでいった。
だが、血の刃は妓夫太郎の意思で太刀筋を変えることができるため、身をかわしてもほとんど意味がない。
その事を汐は知らないのか、宇髄は慌ててそのことを伝えようとした。が、
「もう遅えよ」
妓夫太郎の言う通り、汐の死角から躱したはずの刃が迫ってきており、彼女の身体を穿とうとした瞬間だった。
汐はまるでその動きを読んでいたように、無駄のない動きで躱した。しかもそれだけではなく、四方から飛んで来る刃や堕姫の帯を、全て紙一重で躱していた。
武器も持たず、ひたすら攻撃を躱すその姿は、動きも相まってまるで踊っているようにも見えた。
海の底のような真っ青な髪を振り乱し、無数の刃の間を縫うようにして踊り狂う少女に、宇髄は思わず見とれそうになった。
だが、すぐに視線を戻し、鬼の目が汐に向いている隙に彼は思い身体を動かした。
(なるほどなあ。攻撃をすべて自分に集中させて、柱が動ける隙を作ったか。何ともまあ、浅はかでお粗末な策だ)
妓夫太郎は冷めた表情で小さくため息を吐くと、背後で動く宇髄に向かって血の刃を放った。だが、刃は彼の意思に反し、宇髄には向かわず再び汐に向かって飛んでいった。
(何!?)
確かに宇髄に向かって放ったはずなのに、何度念じても刃は汐の方ばかりに向かって行ってしまう。堕姫を操り帯を向けても、攻撃は全て汐に吸い寄せられるように行ってしまった。
(なんだこれは?どうなってやがる?なんであの女にばかり攻撃が行って・・・)
そこまで考えた妓夫太郎は、血鎌を操りながら耳を澄ませた。すると、微かだが汐の口から歌が零れている。
その歌声は妓夫太郎の耳を通り、脳に張り付く様にして響き渡っていた。
――ウタカタ 漆ノ旋律――
――
汐から奏でられる旋律が、妓夫太郎の脳をかき回し全ての神経伝達を狂わせ、いくら攻撃を放っても全て汐に向かうように仕向けられていた。
その歌を聴いたとき、宇髄は何故ワダツミの子の存在が謎に包まれていたのか、少しだけ理解できた。
(人間どころか鬼まで手玉に取るとは、無惨の奴が恐れるのも、存在が隠されてたこともなんとなくわかった気がするぜ)
その歌の恐ろしさを感じつつも、宇髄は汐が鬼を惹きつけているうちに、妓夫太郎の頸を取ろうと接近した。
「お兄ちゃん後ろ!!柱が来てるわ!!何やってんのよ!!」
宇髄の存在を認識した堕姫が叫ぶも、汐の歌に魅了された妓夫太郎には届かない。
(本当はあんたなんかに見てもらうなんて、まっぴらごめんだけれど。この状況をひっくり返すためにも、今だけあんたにはあたしだけを見てもらうわ)
汐は歌いながら攻撃を躱し続け、その隙に宇髄の刃が妓夫太郎の頸に迫った。
「お兄ちゃん!!」
堕姫が叫んだ瞬間、彼女の眼前で獣のような咆哮が響いた。
「うおおおおお!!!」
堕姫が視線を戻せば、伊之助が刀を後ろに持ったまま文字通り猪のように自分に向かって突進してきていた。
――獣の呼吸 捌ノ型――
――爆裂猛進!!
弾丸のように突っ込んでくる伊之助に、堕姫は彼を囲むように帯を四散させた。
だが、
――水の呼吸 参ノ型――
――流流舞い!!
――雷の呼吸 壱ノ型――
――霹靂一閃・八連!!
炭治郎の多方向に流れるような斬撃と、善逸の雷鳴のような鋭い攻撃が、伊之助の行く手を阻む帯を牽制した。
伊之助は咆哮を上げながら帯の森を突き抜け、身体にいくつか傷を負いながらもその刀を堕姫の頸に向かって刀を伸ばした。
「今度は決めるぜ!!陸ノ牙――」
首に伸ばされた日輪刀に、堕姫は一瞬狼狽えるも、その刃がガタガタに刃こぼれしていることを見抜いて小さく鼻を鳴らした。
(斬れないわよ、斬れるわけない。こんなガタガタの刃で・・・)
しかし伊之助は、瓦が砕ける程強く踏み込むと、二本の刃で堕姫の頸を挟み込んだ。
――乱杭咬み!!
伊之助は堕姫の頸に当てた歯を一気に引くことで、刃こぼれした刃は鋸の様に彼女の頸を引き切った。
そして、驚愕を張り付ける堕姫の頸を掴むと、そのまま体から離れるようにして跳んだ。
「頸、頸、頸!!くっ付けらんねぇように持って遠くへ走るぞ!!」
そのまま伊之助は堕姫の頸を持ったまま、全速力で駆け出した。
「とりあえず俺は頸持って逃げるからな!!お前らオッサンと歌女に加勢しろ!!」
伊之助の高らかな声に、炭治郎と善逸は素早くうなずいた。
一方、宇髄の刀が妓夫太郎の頸に迫る中、妓夫太郎は血の刃を真横に放つと、汐との延長線上に立ち、そのまま自分の両耳を斬り落とした。
「!?」
その行動に驚いた汐は、足元を滑らせ体勢を崩してしまった。それと同時に妓夫太郎は歌から解放され、振り返ると宇髄の左腕に向かって鎌を振りぬいた。
その刃は宇髄の左腕を縦に大きくざっくりと斬り裂いた。
目を見開く宇髄に、血の刃は容赦なく彼を襲い、背中をいくつも切り刻んだ。
「宇髄さん!!!」
汐の叫び声が木霊すると同時に、血の刃が弧を描きながらこちらに向かってきていた。
伍ノ旋律――
――爆砕歌!!!
爆砕歌の衝撃がギリギリで刃を吹き飛ばすも、零距離で放った汐はその反動で、瓦礫の中へ砲弾のように飛ばされてしまった。
それを見た妓夫太郎は、すぐさま踵を返し堕姫の頸を持って走る伊之助に音もなく近づいた。
そして、その猛毒の刃は伊之助の左胸を容赦なく貫いた。
「伊之助ーーーッ!!!」
炭治郎の悲鳴が響き渡り、伊之助は真っ赤な鮮血を吹き出しながら力なく倒れ伏した。その隙に妓夫太郎は堕姫の頸を取り返し、身体の元へ戻っていった。
(なんでアイツがここに・・・、汐と宇髄さんは・・・!!)
炭治郎はすぐに下て戦っていたはずの汐と宇髄の方に顔を向けた。
そこには、全身から夥しい量の血を流してうつ伏せに倒れている宇髄と、同じく全身から血を流して蹲っている汐の姿があった。
その悲惨極まりない光景に、炭治郎の体が強張った。
「炭治郎、危ない!!」
固まってしまった炭治郎の耳に、善逸の鋭い声が突き刺さった。慌てて目を見開けば、眼前には堕姫の帯がすぐそこまで迫っていた。
(しまっ・・・)
そんな炭治郎を庇うように善逸が前に飛び出し、炭治郎はそのまま屋根の上から成す術もなく落下していった。
(ああ、ああ!!みんな、ごめん・・・。禰豆子・・・、汐・・・)
自分と一緒に落ちる瓦礫のかけらを最後に見て、炭治郎の意識は闇の中に溶けていった。
* * * * *
どれくらいの時間が経ったのだろうか。頭に走った衝撃で、汐の意識は闇の中から覚醒した。
重い目蓋を空ければ、そこには自分を見下ろす堕姫の姿があった。
すぐさま動こうとするも、全身に鉛を着けられたように身体が重く、殆ど動かせない状態だった。
「あら、アンタまだ生きてたの?ゴキブリの生命力って凄いのね」
堕姫は思い切り嘲るように言うと、倒れ伏す汐に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「ねえ、今どんな気持ち?あれだけ大見得切ったくせに、アンタの仲間は全員死んだわよ。あ、あの目だけが綺麗な不細工は、かろうじて生きているみたいね。まあアンタももうじき死ぬだろうし、ここでみじめに苦しんで死ぬのを特別に見届けてあげる」
堕姫はそう言って汐の頭に足を乗せると、そのままじわじわと力を込めて踏みつけた。地面に触れた汐の顎が擦り切れ、血がジワリとしみだしてきた。
その痛みと屈辱感に、汐は唇をかみしめながら必死で耐えた。そんな彼女の姿を見て、堕姫は身体を震わせながら大きく笑いだした。
「アハハハハハ!!いい気味ね糞女。アンタが今の今まで生きてこれたのは、ただ運がよかったから。アンタみたいな塵屑が鼻を垂らしてのうのうと生きてこれたのは、アタシ達に出遭わなかった、ただそれだけなのよ」
堕姫はそう言って汐の髪を掴んで引き倒し、その腹を思い切り踏みつけた。汐の身体が跳ね、口から血が弾けるように飛び出した。
咳き込みか細い息をする汐に、堕姫は帯を伸ばしその中に汐の身体を取り込み始めた。
汐の身体は抵抗することもなく、帯の中にゆっくりとうずまっていく。
「このままアンタの身体をバラバラにするのは簡単よ。でもそれだけじゃあアタシの気が収まらない。お兄ちゃんがあいつの止めを刺した後、アンタをアタシの気が済むまで嬲ってから殺してあげる」
堕姫は身体の半分が帯に取り込まれた汐に向かって捲し立てた。すると、
「きひっ、きひっ・・・」
「ん?」
汐の口から笑い声が漏れたかと思うと、汐は突然全身を大きく震わせながら笑い出した。
「くひひっ、ひひっ、きききっ・・・けけけけけっ・・・・ヒャハハハハハ!!」
全身を痙攣させながら奇妙な笑い声を発する汐に、堕姫は苦虫を嚙み潰したような顔をむけ、その光景を堕姫の目を通してみていた妓夫太郎は、汐が遂に壊れたと認識した。
「な、なに笑ってんのよ。アンタ、やっぱり頭がおかしいわ」
堕姫は気持ち悪いものを見るような目で汐を見つめると、汐は一通り笑った後顔を伏せながら言った。
「ありがとう」
「はあ?」
「ぐちゃぐちゃだった頭から血が抜けて、少しだけ落ち着いたみたい」
堕姫は、汐の言っている意味が分からないと言った様子で首を傾げた。
「運がよかっただけ、ねえ。うん、確かにそうだわ。運がよかったのよ。ただ、それがあたし達だけに当てはまるとは限らないけれどね」
「どういう事?アンタの言っていること、全然わかんないわ」
「でしょうね。アンタはあたしが思っていた以上に脳味噌が足りなかった。あんた達が今まで生きてこられたのは、好き勝手出来ていたのは、幸運だったから。あんた達を殺せる鬼狩りに出遭わなかった。ただ、それだけだったことよ」
汐はそう言って顔を上げて堕姫を睨んだ。その目には怯えも絶望も一切ない、曇りのない刃のような決意と確信が宿っていた。
「何よその生意気な目。幸運だった?アタシ達が?ふざけるんじゃないわよ!柱は毒で、糞猪はお兄ちゃんが心臓を刺したし、黄色い不細工も瓦礫に潰されたわ。あいつだってお兄ちゃんが心を折ったし、アンタだって身動きすら取れないじゃない!!」
堕姫が声を荒げると、汐はふんと鼻を鳴らし、首を傾けて下から睨みつけた。
それは花魁に扮してた自分がよくやっていた、気に入らないことがあると無意識にする癖に酷似していた。
「成程、その目はやっぱりただのお飾りだったようね。あんた、人間に紛れて生きてきたくせに、一体今迄人間の何を見ていたの?」
――あんた達はわかっていない。
汐がそう言った瞬間。どこかで妓夫太郎の小さくうめく声がした。堕姫は肩を震わせ慌てて視線を向けると、そこには妓夫太郎に渾身の力で額を打ち付けている炭治郎の姿があった。
よろめく妓夫太郎に、堕姫はすぐに立つように叫んだ。しかし妓夫太郎は立つことができず、その場に崩れ落ちた。
よく見れば妓夫太郎の足には一本のクナイが刺さっており、それは炭治郎が雛鶴を守った時。彼女からこっそり手渡されていたものだった。
毒が回り倒れ伏す妓夫太郎の頸に、炭治郎は刃を振りかぶって叩きつけた。
「ちょっと嘘でしょ!!そんな奴に頸斬られないでよ!!」
堕姫が妓夫太郎を救出しようと帯を伸ばしたその瞬間。雷鳴のような轟音がほとばしり、黄色い閃光が帯を穿った。
顔を向ければ全身から血を流した善逸が、舞う瓦礫と共に堕姫の前に姿を現した。
(こいつ、あの瓦礫の中から抜けやがった!!)
善逸の一撃が汐を捕らえていた帯を斬り裂き、汐はそのまま飛び出すと堕姫の目に向かって何かを投げつけた。
「ギャアアア!!」
それは堕姫の目に突き刺さると、想像を絶するような痛みを彼女に与えた。それは、炭治郎と雛鶴が使ったのと同じクナイであり、汐も落ちていたクナイをこっそり拾い隠していたのだった。
「なんで、なんで、なんでよ!!なんでこんなになっているのに諦めないの!?弱いくせに、人間のくせに、不細工なくせに!これだけ痛めつけられているのに、なんでアンタの心は折れないのよッ!!」
堕姫は突き刺さったクナイを抜きながら、汐がいる方向にまくし立てた。汐はそのまま屋根の上に飛び移ると、今度は彼女が堕姫を見下ろしながら言った。
「なんでって、そんなもん――」
――大事な奴に、惚れた男に、幸せに生きて欲しいからに決まってんだろうが!!!!
そのまま汐は屋根から飛び降り、妓夫太郎の頸を捕らえた炭治郎の刀の上から、全身の体重をかけて思い切り踏みつけた。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神