妓夫太郎と堕姫の頸が塵となり消えたのを見届けた炭治郎は、空を仰ぎながら一つ、息をついた。
「終わったな・・・、疲れた・・・」
そう呟くと、背後から風に乗って汐の匂いが届き、炭治郎は思わず振り返った。
汐は少し悲しそうな顔をしながら、覚束ない足取りで炭治郎と禰豆子の傍へ歩み寄ってきた。
「終わったのね、今度こそ」
「ああ、そうみたいだ」
汐の言葉に炭治郎が答えると、彼女は炭治郎の姿をまじまじと見てから、呟くように言った。
「ボロボロね、あたし達。ときと屋の女将さんが見たら卒倒しそう」
「ああ、でも、生きてるんだ。俺達」
「・・・そうね、生きてるのよね。あんな奴らを相手にして・・・」
上弦の鬼。多くの柱を葬った、無惨の血が濃い鬼。そんな奴らと対峙し生き残ったことは、おそらく奇跡に近しいのだろう。
しかしそれでも、彼等は勝った。この勝利はきっと無駄なものにはならない。
少なくとも、汐達はそう思った。
「さて、あたし達も戻りましょうか。どうせ善逸がまた喚き散らしているだろうし」
「そうだな。帰ろうか、皆の所へ」
頷きあう二人を、禰豆子はすぐに抱えると善逸達のいる場所へと戻った。戻ってみれば案の定、善逸は痛い痛いと泣き喚き、目を覚ました伊之助は喚く善逸に力なくうるさいと言い続けていた。
炭治郎は汐と共にそんな彼等をそっと抱きしめた。温かな体温は、自分たちが生きている何よりの証になった。
汐は炭治郎の胸に顔をうずめながら、規則正しく脈打つ心音を聞いていた。
自分が生きている以上に、彼が生きていることが何よりも嬉しかった。守れたことが嬉しかった。
ゆっくりと薄れていく意識の中、汐の脳裏に師範である甘露寺の言葉が蘇る。
『女の子が本当に強くなれるのは、大切な人を守りたいという気持ちだから・・・』
(ああ、そうか。そうだったんだ。みっちゃんや鯉夏さんに指摘されるずっと前から。そう、初めて出会ってあの目を見た時から、あたしは――)
――竈門炭治郎が、好きなんだ。仲間としてだけじゃなく、もっと特別な意味で。
だからこそ、彼の幸せを心から願った。心の底から守りたいと思った。
命と誇りと、そして笑顔を。
「炭治郎・・・」
段々と迫ってくる闇の中、汐は重い口を必死で動かし言葉を紡いだ。
「・・・・・す・・・き・・・」
その小さな言葉を最後に、彼女の意識は闇の中に吸い込まれていった。
一方、別の場所では。
「ふぅん、そうか。ふぅん。陸ね。一番下だ、上弦の。陸とはいえ、上弦を倒したわけだ。実にめでたいことだな。陸だがな。褒めてやってもいい」
おそらく宇髄達の援護に来たであろう、蛇柱・伊黒小芭内は、傷ついている宇髄に対して、褒めているのか貶しているのか分からない言い方をしていた。
その態度に宇髄は呆れ、三人の妻たちはそれぞれ顔をしかめながら伊黒を睨みつけていた。
「いや、お前に褒められても別に・・・」
「そうですよ!」
「随分遅かったですね」
「おっ、おっ、遅いんですよそもそも来るのが!!おっそいの!!」
あまりの言い草に抗議する須磨とまきをに、鏑丸は鎌首を擡げ威嚇の声を上げた。
それにたいそう驚き、須磨は宇髄にしがみ付いてしまい、彼はその痛みに悲鳴を上げた。
「左腕は使い物にならず、左目も失ってどうするつもりだ?
相も変わらずネチネチと責め立てる伊黒に、宇髄は静かに首を横に振った。
「俺は引退する。流石にもう戦えねぇよ。お館様も許してくださるだろう」
宇髄のこの言葉に、伊黒は目を剥くと先ほどよりも棘のある声色で言い放った。
「ふざけるなよ、俺は許さない。ただでさえ若手が育たずに死にすぎるから、柱は煉獄が抜けたあと空白のまま。お前程度でもいないよりはマシだ。死ぬまで戦え」
しかし宇髄は再度首を横に振ると、口元に笑みを浮かべながらはっきりとした口調で告げた。
「いいや若手は育ってるぜ、確実に。お前の大嫌いな若手がな」
宇髄の言葉に、伊黒は何かを察したように大きく目を見開き、微かだが瞼を震わせた。
「おい、まさか。生き残ったのか?この戦いで――。竈門炭治郎と、大海原汐が・・・」
「ああ。しかも上弦の鬼に止めを刺したのも、あいつらだぜ」
凄いだろ?というかのようにすごむ宇髄をしり目に、伊黒はその事実を理解するまで少しの時間を要するのだった。
そして、その知らせははるか遠くの鬼殺隊本部。当主である産屋敷輝哉の耳にも届いた。
「そうか、倒したか上弦を・・・。よくやった天元!汐!炭治郎!禰豆子!善逸!伊之助!」
輝哉は討伐に関わった者全員の名を呼ぶと、激しくせき込み夥しい量の血を吐き出した。
その体に救う病魔は、以前の柱合会議の時に見せた時よりも、明らかに彼の体を蝕んでいた。
「輝哉様!!」
妻であるあまねは、えずく彼の背中をさすり、使いの鴉たちは血まみれになった畳を見て慌てたように鳴いた。
「百年!!百年もの間変わらなかった状況が変わった。あまね!」
「はい!」
「わかるか、これは"兆し"だ。運命が大きく変わり始める。この波紋は広がっていくだろう。周囲を巻き込んで大きく揺らし、やがてはあの男の元へ届く」
輝哉は血を手ぬぐいで拭うと、どこか遠くを見るかのように顔を上げた。その目には、この世のどこかにいる男への憎悪が宿っていた。
「鬼舞辻無惨。お前は必ず私たちが、私たちの代で倒す。
そこまで言いかけた輝哉は、激しくせき込み先ほどよりも大量の血を吐き出した。それを見たあまねは、すぐさま子供たちを呼び集めると指示を出すのだった。
* * * * *
抜けるような青空が広がり、穏やかな風は青々と茂った木々を優しく揺らしていく。
そんな中、開けた場所で一人薪を割る斧を振るっている男がいた。
少し赤みがかった髪に、同じ色の瞳の男は、ある程度の薪を割るとそれに縄を結び所定の場所に保管した。
そして流れる汗をぬぐい、一息つこうとしたときだった。
何処からか、温かく優しい歌声が風に乗って聞こえてきた。彼はふっと優し気な笑みを浮かべると、歌が聞こえてくる方へ足を進めた。
その先には一軒の家があり、歌はそこから聞こえてきていた。男が近づくと、家の中では真っ青な髪をした一人の少女が、布団の上で眠る幼い少女に歌を聴かせていた。
幼い少女はすうすうと規則正しい寝息を立てており、それを見た青い髪の少女は優し気に微笑んだ。
『綺麗な歌だね。子守唄かな?』
男が青い髪の少女に声を掛けると、彼女は小さく肩を震わせ顔を上げた。そして男の姿をみると途端に深々と頭を下げた。
『おかえりなさいませ、旦那様』
少女がそう言うと、男は困ったように眉根を寄せた。
『前も言ったけれど、その旦那様と言うのはやめないか?俺は君を使用人としてここに置いているんじゃないんだ』
男の言葉に少女は顔を上げると、凛とした表情で首を横に振った。
『いいえ。旦那様と奥様は、行き倒れていた私を助けてくださいました。命の恩人である方に尽くすのは、当然の事です』
髪の色と同じ色の真剣な目でそう言い切られ、男は何も言い返すことができず頭を掻いた。
すると、
『あら、すみれを寝かしつけてくれたの?ありがとぉ』
森の奥から籠一杯の山菜を持ち、背中に赤子を背負った、男の妻らしき女がにこにこと笑みを浮かべながらやってきた。
それを見た少女は先ほどと同じように頭を下げると『おかえりなさいませ、奥様』と同じように言った。
『う~ん。やっぱりその"奥様"っていうのは何だか慣れないわねぇ。ねえ、その呼び方じゃなくて、もっと別の呼び方にしてくれない?」
『別の呼び方、とおっしゃいますと?』
『そうねぇ。できれば名前で呼んでくれると嬉しいわぁ』
彼女は屈託のない笑顔でそう言うと、少女は迷うように視線を動かした後、小さな声でつぶやくように言った。
『すやこ様と、炭吉様・・・』
少女の口から出た言葉に二人は顔を見合わせると、炭吉は困ったように笑った。
『ううん、まだ少し固いなぁ』
『でもいいじゃない。旦那様、奥様よりはずっとましよぉ!』
そんな夫の背中を叩きながら、すやこはカラカラと笑い、彼女につられるように炭吉も少女も笑顔になった。
だが、炭吉はそんな少女を見て、微かに表情を曇らせると意を決したように口を開いた。
『まだ、何も思い出せないのかい?』
炭吉の言葉に、少女は少し悲しそうに俯くと、深くうなずいた。
この少女が彼等と出会ったのは、今から数週間ほど前。
川に洗濯に行こうとしていたすやこが、家から少し離れた場所に倒れている少女を見つけ、慌てて夫を呼び連れて帰った。
彼女はあちこちに傷跡があり、栄養失調で死ぬ寸前だった。しかし、二人の献身的な看病の結果、今はこうして彼らと共にこの場所で暮らしていた。
だが、少女は名前を含めすべての記憶を失っていた。身分が分かるものも何もなく、体は回復したものの記憶は何一つ戻っていなかった。
『申し訳ありません』
『どうして謝るのぉ?あんたは何も悪くないじゃない』
哀し気な目で謝る少女に、すやこは首を横に振って言った。
『例え記憶が戻っても戻らなくても、今こうしてここにいるあんたは、私たちの家族よ。だから、あんたは何も気にしなくていいの』
『すやこの言う通りだ。だから顔を上げて。そんな顔をしていたら、俺達も悲しくなる』
二人の言葉に少女は、胸の奥から湧き上がってくる温かいものを感じ、悲しみとは異なる涙が青い瞳からあふれ出した。
そんな彼女の背中を、二人は優しくなでた。
『そうだ。この際だからこの子を呼ぶ名前を決めてしまわない?』
『名前?』
『うん。この子が本当の名前を思い出すまでの、仮の名前。いつまでもあんたとか呼ぶのも忍びないでしょう?』
すやこの提案に炭吉は、それはいいと言わんばかりに顔を輝かせた。
『でも、いきなり名前を付けようといっても、どんな名前にするんだ?』
『そうねぇ。やっぱり一目でその子だってわかる名前がいいわねぇ』
二人は少女を見ながら首をひねり、少女はぽかんとした表情のまま二人を見つめていた。
『やっぱり青い髪が綺麗だから、それにあやかった名前がいいんじゃないか。あおい、あやめ、りんどう、う~ん・・・』
炭吉は腕を組みながら、青を連想させる言葉を次々に口にするが、どれも決定打にはならず表情を曇らせた。
『意外と難しいな。君は、何か希望はあるかい?』
炭吉が尋ねると、少女は首を横に振り、『お二方が考えてくださるならなんでも』と答えた。
ますます困惑する炭吉だが、すやこはふと、何かを思いついたように声を上げた。
『そうだ。"うみ"というのはどう?』
『うみ?』
『うん。私は見たことがないのだけれど、国の外には真っ青な海が広がっているっていうでしょ?この子の髪の色は、その海の色ときっと似ているんじゃないかって』
見たことが無いのに何故そう言い切れるのか、炭吉は少し呆れた表情ですやこを見た。だが、"うみ"という名前は響きも悪くないし、何より少女がその名前の候補を聞いた瞬間、僅かに反応したのを炭吉は見逃さなかった。
『気に入ったみたいだね。これからは君の事を"うみ"と呼んでもいいかな?』
『はい、構いません。お二方が私に下さった、大切な名前ですから』
少女、"うみ"の言葉に、炭吉とすやこは満足げな笑みを浮かべるのだった。
* * * * *
パタンという音と共に、ツンと鼻につく消毒液の匂い。そんな空気に包まれながら、汐はゆっくりと目を開けた。
ぼやけた視界の中に、見慣れない天井がゆっくりと映る。
汐は、ニ三度瞬きをしながら大きく目を開くと、そこは医療器具があちこちに置かれた小さな部屋だった。うまく働かない頭で顔を動かすと、視界の隅で何かが動く気配がした。
「汐さん!」
それはパタパタと足音を立てると、部屋を飛び出し汐が目を覚ましたことを誰かに告げていた。
すると間髪入れずに部屋の中に別の者がなだれ込むようにして入ってきた。
「よかった、気が付いたんですね!」
汐の前には、三人娘とアオイが涙目になりながら立っており、嬉しさのあまりか泣き喚いた。
「ここ・・・は?」
汐が尋ねると、なほは泣きながら「ここは蝶屋敷ですよ」と答えた。
「汐さん、吉原の戦いの後二か月近くも意識が戻らなかったんですよ!しかも、眠っている間に二回も心臓が止まって、それで、それで・・・!」
アオイは我慢ができなくなったのか、汐の布団に突っ伏して泣き出し、きよとすみも、なほに抱き着きながらまた泣き出した。
そんな彼女たちを見て、汐は困ったような顔をして口を開いた。
「あの・・・。つかぬことをお聞きしますが・・・」
「はい。・・・え?」
いつもの口調じゃない汐に違和感を覚えた彼女たちは、弾かれた様に顔を上げた。だが、次に汐が口にした言葉に、皆は絶句した。
「あなた方はいったい誰なのですか?そして私は、誰なんでしょうか?」
汐の透き通るような声が四人の耳を通り抜け、あたりにしばしの沈黙をもたらした。
そして、数拍置いた後。
「「「「えええええええーーーーーっ!!!???」」」」
耳をつんざくような四人の声が、屋敷中に響き渡った。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神