ウタカタノ花   作:薬來ままど

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「いい?あなたは意識が戻ったとはいえ、まだ本調子ではないのだから、くれぐれも無茶はしないように」

 

ベッドに横たわる伊之助に、アオイは真剣な表情で釘を刺した。すると伊之助は、文句も言うこともなく俯いたまま口をつぐんでいた。

 

「伊之助さん?」

 

黙り込む伊之助に、アオイは不安になって声を掛けると、伊之助はぽつりとつぶやくように言った。

 

「なあ、あいつが俺達の事を忘れちまってるって、本当なのか?」

 

詳細を善逸から聞いたのだろう。伊之助の言葉に、アオイはそれが汐の事を指していると分かると、悲し気に目を伏せた。

 

「なんでそうなっちまったんだ?あいつ、元に戻んのか?」

 

伊之助の問いに、アオイは小さく「分からない」と言って目を伏せ、伊之助はざわつく胸を抑えるかのように、右手でぎゅっと服を握った。

 

「・・・今、皆が汐さんの記憶を戻すきっかけを探しているわ。そして汐さん自身も、記憶を取り戻そうと頑張ってる。だから、あたしももっとしっかりしないと」

 

それは伊之助にというよりも、自分に言い聞かせているようであり、そんな彼女の背中を伊之助は真剣な面持ちで見ていた。

 

 

*   *   *   *   *

 

翌日。汐は善逸やカナヲと共に、機能回復訓練を受けていた。不思議なことに、記憶はなくても体が覚えているのか、汐はアオイやカナヲ相手に訓練をこなせていた。

善逸達は勿論、当の本人の汐ですら、自分の身体能力に驚きを隠せなかった。

 

全ての訓練を終え、汐が一息ついていると、パタパタと足音をさせながらきよが訓練場に転がり込んできた。

 

「訓練中にすみません。汐さん、しのぶ様がお呼びです」

「胡蝶さんが?なんだろう・・・」

 

きよの言葉に汐は少しばかり不安を感じたが、呼ばれている以上無下にするわけにもいかず、アオイに断りを入れてからしのぶの部屋へ向かった。

 

「胡蝶さん、汐です」

 

汐はしのぶの部屋の扉を叩くと、中から「どうぞ」というしのぶの声が聞こえた。

 

「失礼します」

 

汐はそう言って部屋に入ると、しのぶは汐に傍にあった椅子に座るように促した。

 

「さて、あなたをここへ呼んだのは、これからの方針を話すためです。以前にも少し話したと思いますが、今あなたは、鬼殺隊士としての記憶を失い、とても戦える状態とは言えません。そのため、このまま記憶が戻らない場合は除隊という処置をとらせていただくと」

「・・・はい」

「・・・ですが、あなたの除隊を望まない人たちから、手続きを待ってほしいと直談判を受けまして、あと一週間、待つことにしました」

 

その言葉に汐は目を見開き、しのぶの顔をじっと見つめた。そんな汐を見て、しのぶはさらに続けた。

 

「もしも記憶が戻らなかった場合、除隊はせずに鬼殺隊の補助として働くという道もあります。勿論、それ以外の道も。ですが、決めるのはあくまでもあなた自身です」

 

しのぶの真剣な目に、汐は唾を飲み込みながら頷いた。いずれにしても、一週間後には答えを出さなければならない。

汐は神妙な面持ちで、しのぶの部屋を後にした。

 

汐の除隊を一週間待ってくれたことにも驚きだったが、何よりも自分の除隊を望まないものがいる。

その事実が、汐の心を少しだけ軽くしてくれた。

 

(そうだ。あの時聞きそびれちゃったけれど、昨日の夜に見たあの男の子。確か病室はこっちだっけ)

 

汐の足は、自然とある方向へ向かっていた。それは、昨日の夜に出会った禰豆子を追いかけて出会った、耳飾りを付けた眠ったままの少年。彼の姿を見た時、汐の胸はこれ以上ない程ざわついた。

 

(何故だろう。顔を見た瞬間、この人の事は忘れていてはいけない。思い出さなければいけないという気持ちになった)

 

汐は速くなる鼓動を抑えるように足早にその場所へ向かい、そっと、病室の扉を開けた。

 

窓から差す陽の光が、眠ったままの少年を静かに照らしており、汐は備え付けの椅子に静かに座った。

余程の怪我だったのだろう。頭とあごには包帯が巻かれ、栄養の入った点滴は、規則正しく彼の体内に注がれていた。

 

汐は少年の顔に覚えはなかったが、やはり胸のざわめきは消えず、焦りに似た感情を呼び起こしていた。

ここまで気になるのに何故思い出せないのか。せめて目を覚ましてくれたら、何かわかるかもしれないのに。

 

「あなたはいったい誰なの?」

 

汐がそう呟くように言った瞬間、背後から別の声が聞こえた。

 

「炭治郎の事が気になる?」

 

いきなりの事で驚いた汐は、危うく椅子から転げ落ちそうになった。そこにいたのは、先ほど訓練に付き合ってくれた鬼殺隊士の少女、栗花落カナヲだった。

 

「栗花落さん。炭治郎、とは、この人の名前ですか?」

 

汐が尋ねると、カナヲは少し悲しそうな顔をしながら小さくうなずいた。

 

「うん。竈門炭治郎。あなたと同じ任務に就いていた、あなたの仲間だよ」

 

カナヲはそう言って、汐の隣に座ると眠り続けている炭治郎を見た。善逸、汐、伊之助は目覚めたというのに、彼だけ未だに目が覚めないことに、彼女も心を痛めていた。

 

「あなたは覚えてないかもしれないけれど、私、何かを自分で決めることができなくて、何かを決めるときは銅貨を投げて決めていたの。何もかもがどうでもよかったから。でも、炭治郎は"この世にどうでもいいことなんてない"、"人は心が原動力だから、心はどこまでも強くなれる"って言ってくれた。それから少しずつ、皆と話したり、師範と話したりして、少しずつ自分の意見を言えるようになってきたの」

 

そう言うカナヲの表情はとても穏やかで、心なしか輝いて見えた。汐はそんな彼女をみて、なんとも言えな気持ちになった。

 

「でもね、私が自分の意見を言えるようになったのは炭治郎のお陰だけじゃない。あなたもだよ、汐」

「私も・・・ですか?」

「うん。あなたは私を気遣ってくれたし、素敵な歌を沢山聞かせてくれた。私にとってあなたは、この屋敷以外で初めてできた、友達だったから・・・」

 

カナヲの口から出てきた友達という言葉を聞いて、汐の心は再びざわついた。過去に汐がカナヲに対して言った言葉を、今の汐は覚えていない。

だが、自分を友達と言ってくれた人がここにいて、自分を支えてくれる人々がいる。その事実は過去を忘れても変わらない。

 

カナヲを見て、汐は思った。思い出さなければならない。炭治郎という少年の事も、カナヲという友達の事も。

 

しかし、現実はそう甘くなく、汐の記憶は戻らないまま、日にちだけが過ぎていった。

善逸は嫌がりながらも任務に復帰し、伊之助に至っては無断であちこち動き回り、しのぶとアオイに叱られる毎日だった。

 

そしてとうとう、汐は約束の日の朝を迎えてしまった。

 

朝、自室で目を覚ました汐は、一週間前にしのぶに言われていたことを思い出していた。

 

(今日、私は決めなくてはならない。私がこれから、どうするか)

 

汐の心はもう決まっていた。例え鬼殺隊員として戦えなくても、自分を支えてくれていた人たちの役に立ちたい。

記憶が戻らなかったことは申し訳ないが、自分をここまで気に掛けてくれた人たちの為に、何かできることをしたい。

 

その事をしのぶに伝えようと、汐は意を決して体を起こした。

 

だが、汐はしのぶの部屋へ行く前に、炭治郎の顔がどうしても見たくなった。せめて、彼の事だけは思い出したかったが、もう自分に時間は残されていなかった。

 

汐はそっと炭治郎の眠る病室の扉を開けた。相も変わらず彼は眠り続け、一向に目を覚ます気配はない。

汐はまた炭治郎の傍に座ると、眠る彼の顔を見つめた。

 

(ごめんなさい。あなたの事はどうしても思い出したかった。でも、駄目だった。思い出せなかった。だからせめて、あなたの為にできることを、これからはしますから、どうか、どうか・・・)

 

汐は心の中でつぶやきながら、そっと炭治郎の頬に触れた。陽だまりのような温かさが、汐の少し冷たい手を温めた。

その時だった。

 

「う・・・・」

 

炭治郎の口が僅かに動き、小さく言葉を紡いだ。汐は反射的に立ち上がり、彼の顔を覗き込んだ。

 

その瞬間、汐の頭にこれ以上ない程の激痛が走り、そのまま彼女の意識は深い闇の中に沈んでいくのだった。

 

 

*   *   *   *   *

 

一面を雪が真っ白に染めた、山の中。

太陽の光を反射して幻想的に光るその中を、覚束ない足取りで動く小さな影があった。

 

目を凝らしてみれば、それは1歳ほどの男児で、体格的に似つかわしくない程の大きな籠を抱えながら、ふらふらと歩いていた。

籠の中身はよく見えないが、小さな体には重すぎる程のものが入っているのだろう。

 

すると、男児は籠が重かったのか、足をもつれさせ今にも転びそうになった。それを見た"誰か"は、慌てて駆け寄りその体を支えた。

 

『大丈夫か?』

 

"誰か"が声を掛けると、男児は小さく息を整えながら顔を上げた。小さなその目には、真っ青な髪と目が写った。

 

『ありがとう、あおいおねえちゃん。でもだいじょうぶだよ』

 

男児はそう言って雪の上に立つと、もう一度籠を抱えて歩きだそうとした。

 

『君の体格では、その籠は大きすぎる。大人に任せた方がいいのでは?』

『ううん、いいんだ。とうさんはしごとがいそがしいし、かあさんはうごけないから、おれがちゃんとしないといけないんだ』

 

男児はたどたどしくも、きっぱりとした声色でそう言うと、籠を持って再び歩き出した。その後ろを、青い髪の少女はついていった。

 

『かあさんにあかちゃんがうまれるから、おれ、もうすぐにいちゃんになるんだ。だから、しっかりしないといけないってとうさんからいわれたんだ。おれはちょうなんだから、あとからうまれてくるおとうとやいもうとを、まもらなきゃいけないから』

 

男児はそう言ってにっこりと笑うと、少女不思議そうに首をひねった。

 

『何故君はそこまでできる?君はまだ幼い。幼い子供は親に甘えるものだと、私は教えられた。だが、今の君の話ではそれには当てはまらない。わからない、わからない。どうしてなんだ?』

 

困惑する少女を、男児はそっと見つめ、赤みがかかった瞳が、静かに彼女の姿を映した。

彼女が何かを言おうと口を開いた、その時だった。

 

『――』

 

不意に誰かの声がして、男児は籠を抱えたまま振り返った。そこには、彼とよく似た顔立ちの、耳に飾りをつけた一人の男が立っていた。

 

『とうさん!』

 

男児は嬉しそうにそう言うと、そのま男の元に駆け寄った。彼は、そんな男児の頭を穏やかな表情で優しくなでた。

 

『今のは、君の名前か?』

『うん、そうだよ。おれのなまえは・・・』

 

男児は彼女と向き合うと、太陽のような笑顔で、歯切れのよい声で言った。男と同じ赤い髪が、小さく風で揺れる。

 

 

 

――俺の名前は、炭治郎。竈門炭治郎っていうんだ・・・・

 

 

 

*   *   *   *   *

 

「!!」

 

その名を聞いた瞬間、汐の中に、一気に記憶の波が流れ込んできた。

白黒だった世界が急速に色づき、頭からつま先まで熱いものが駆け巡った。

 

(そうだ。全部、全部思い出した・・・!!この人の名は、彼の名は・・・!!)

 

「炭治郎っ・・・!」

 

汐は、はっきりとした声で炭治郎の名を口にし、慌てて彼を見た。すると、ずっと固く閉じられていたままの炭治郎の両目から、涙の雫が零れ落ちていた。

 

「炭治郎っ・・・!!」

 

汐がもう一度彼の名を呼ぶと、炭治郎の瞼が細かく震え、そしてゆっくりと開いた。

 

炭治郎の赤みがかかった瞳が汐をゆっくりと映し、汐の真っ青な瞳にも、炭治郎の姿が写った。

 

「うし・・・お?」

 

炭治郎の口からかすれた声で汐の名前が紡がれた瞬間、汐の両目から涙があふれ出し、その雫が炭治郎の顔に降り注いだ。

 

「炭治郎っ!炭治郎っ!!うわあああ、あああああ!!!」

 

それから汐は炭治郎を抱きしめ、わき目も降らずに大声をあげて泣いた。いきなり泣き出した汐に炭治郎が困惑していると、泣き声を聞きつけたのかたくさんの足音がこちらに向かってきていた。

 

「炭治郎、汐!」

 

真っ先に入ってきたのはカナヲで、その後ろからアオイと三人娘が続き、彼女たちの目は炭治郎に縋って泣きじゃくる汐の姿が目に入った。

 

「汐、あなたまさか、記憶が・・・!」

 

何度も炭治郎の名を呼びながら泣く汐を見て、カナヲは汐の記憶が戻っていると確信した。そして二か月も昏睡状態だった炭治郎が目覚めていると認識した瞬間、彼女の目にみるみるうちに涙がたまった。

 

それを見たアオイたちも、あふれ出す涙をこらえきれずに、炭治郎と汐に縋って泣き出した。

騒がしくなる病室を、しのぶは遠くから眺め、心なしかその瞳は潤んでいるように見えたのだった。

汐はどちらに値すると思いますか?

  • 漆黒の意思
  • 黄金の精神
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