ウタカタノ花   作:薬來ままど

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「大丈夫?もしも少しでも気分が悪くなったら、すぐに教えて」

「ありがとう、カナヲ。今のところは大丈夫だよ」

 

ベッドから体を起こしながら、炭治郎は優しくほほ笑んだ。

 

吉原の戦いから二か月。炭治郎はその日から昏睡状態であったが、昨日やっと目を覚ました。炭治郎が目覚めたことで、蝶屋敷中は喜びの声に包まれた。

 

「ところで、汐はどうしたんだ?」

 

炭治郎が唐突に尋ねると、カナヲは少し困ったような顔で笑いながら言った。

 

「今は部屋で休んでるわ。昨日はいろいろありすぎて、疲れちゃったみたい」

「いろいろ?そう言えば俺が目覚めた時、汐の様子が少しおかしかったみたいだけれど、何があったんだ?」

 

炭治郎の問いに、カナヲは目を伏せながらぽつりぽつりと話し出した。

 

「汐はね、炭治郎より二週間早く目覚めたんだけれど、自分の事を含めて全部の記憶をなくしていたの」

「記憶を!?」

「うん。だから汐が鬼殺隊を辞めてもらうって話も出ていたんだけれど、私は凄く嫌だった。そんなこと、絶対に汐が望むわけないって思ったから。だから、少しだけ待ってほしいって頼んだの」

 

そう言って膝の上で拳を握るカナヲに、炭治郎は口を開けたまま彼女を見つめていた。

 

「それにね。汐は記憶をなくしても、あなたの事はずっと気にかけていたの。機能回復訓練の後、毎日眠っているあなたの所へ通っていたから・・・」

「そう、だったのか。そんなことがあったことを知らずに、俺は・・・」

 

炭治郎はぎゅっと目を閉じ、悔しそうな表情を浮かべ、そんな彼をみてカナヲは首を横に振った。

 

「炭治郎は何も悪くないよ。それに、結果的には汐の記憶も戻ったし、気にすることはないと思う」

「そうか・・・、ありがとう、カナヲ」

 

そう言って満面の笑みを浮かべる炭治郎に、カナヲの胸の中に嬉しさが沸き上がった。

 

「あ、カナヲさん。しのぶ様がお呼びですよ」

「あ、うん、わかった。それじゃあ炭治郎、またね」

 

カナヲは椅子から立ち上がると、炭治郎に背を向けたが、その背中に向かって彼は声を掛けた。

 

「あ、カナヲ。汐を気に掛けてくれてありがとう!」

 

炭治郎のその言葉に、カナヲは今までに感じたことのない、奇妙な感覚を覚えるのだった。

 

*   *   *   *   *

 

琵琶の音が鳴り響き、上弦の参、猗窩座は目を見開いた。そこには、上下左右が部屋や階段で埋め尽くされた、奇妙な異空間があった。

 

その場所の名は【無限城】。鬼の始祖、鬼舞辻無惨が棲む場所であり、【鳴女(なきめ)】と呼ばれる女の鬼が管理する場所だ。

 

その場所に呼ばれた猗窩座は、それがどういうことを意味するのか理解していた。

 

(上弦が鬼狩りに、殺られた)

 

猗窩座が顔を上げると、その中心で鳴女が琵琶を三度、掻き鳴らした。その音に彼が顔をしかめると、どこからか笑い声が聞こえてきた。

 

顔を向ければ、そこには装飾を施された壺が一つ置いてあり、声はその中から聞こえていた。

 

「これはこれは、猗窩座様!いやはや、お元気そうで何より。九十年ぶりで御座いましょうかな?」

 

壺の中から現れたのは、目のある部分に口があり、口のある部分に目があり、体中から手が生えた異形の鬼だった。

その目には【上弦の伍】と刻まれており、名を【玉壺(ぎょっこ)】と言った。

 

「私はもしや、貴方がやられたのではと、心が躍った・・・、ゴホンゴホン!心配で胸が苦しゅう御座いました」

 

そう言う玉壺だが、その顔は笑っており気づかいなどは微塵も感じられなかった。

 

「怖ろしい、怖ろしい。暫く会わぬ内に、玉壺は数も数えられなくなっておる」

 

二人とは別な声が聞こえ、猗窩座が顔を向ければ、そこには手すりにしがみ付き、小刻みに震えている老人の鬼がいた。

 

頭には大きなこぶがあり、その傍らには鬼の象徴ともいえる角が二本生えていた。

目を閉じているため、数字は見えないが、彼も上弦の鬼の一人であり、【上弦の肆】の【半天狗(はんてんぐ)】という鬼だ。

 

「呼ばれたのは百三十年振りじゃ。割り切れぬ不吉な数字・・・、不吉な丁、奇数!!怖ろしい、怖ろしい・・・」

 

半天狗は手すりを固く握りしめながら、ぶるぶると全身を震わせていた。

 

「琵琶女、無惨様はいらっしゃらないのか」

 

そんな彼を無視して、猗窩座は鳴女に尋ねれば、彼女は再び琵琶をかき鳴らすと、淡々とした声で答えた。

 

「まだ御見えではありません」

「なら上弦の壱はどこだ。まさか、やられたわけじゃないだろうな」

 

猗窩座がそう尋ね、鳴女が答えようと口を開いたときだった。

 

「おっとおっと、ちょっと待っておくれよ猗窩座殿!俺の心配はしてくれないのかい?」

 

二人の会話を遮るような、場違いに明るい声が響くと、猗窩座の肩を抱く様に一本の手が乗せられた。

 

「俺は凄く心配したんだぜ!大切な仲間だからな。だぁれも、欠けて欲しくないんだ俺は」

 

そう馴れ馴れしく声を掛けるのは、【上弦の弐】と刻まれた青年の鬼、【童磨(どうま)】だった。

 

「ヒョッ、童磨殿・・・」

 

玉壺はその姿を見て、微かに顔をしかめながらも挨拶をした。すると童磨は、満面の笑みを浮かべながら、彼に手を振り返した。

 

「やァやァ、久しいな玉壺。それは新しい壺かい?綺麗だねぇ。お前がくれた壺、女の生首を生けて飾ってあるよ、俺の部屋に」

 

虫も殺さぬような笑顔で悍ましいことを言う童磨に、玉壺は困惑しながらもまんざらでもなさそうに答えた。

 

「あれは首を生けるものではない・・・。だがそれも、またいい」

「そうだ、今度うちに遊びにおいで!」

 

童磨は、まるで友人を誘うかのような口ぶりで玉壺にそう言うと、彼のすぐそばで猗窩座は不快そうに口を開いた。

 

「どかせ」

「ん?」

「腕をどかせ」

 

だが、猗窩座は童磨の返答を待つことなく、その拳を容赦なく彼の顎に叩き込んだ。

骨が砕ける音が響き、鮮血が吹き出すと、半天狗はその様子を見てか細い悲鳴を上げた。

 

「おおっ」

 

しかし童磨はそれに全く意にも課さず、それどころか嬉しそうな表情で顔を上げた。

その顔はすでに再生しており、微かな傷跡しか残っていなかった。

 

「うーん、いい拳だ!前よりも少し強くなったかな?猗窩座殿」

 

童磨のこの言葉が耳に入った瞬間、猗窩座の顔中に青筋が浮かび上がった。

このままでは争いは避けられない。誰もがそう思った時、鳴女がそっと口を開いた。

 

「上弦の壱様は、最初に御呼びしました。ずっとそこにいらっしゃいますよ」

 

彼女の言葉に猗窩座は肩を震わせ、示された方向に顔を向けた。

そこには、一人鎮座する【上弦の壱】、【黒死牟(こくしぼう)】の姿があった。

 

「私は・・・、ここにいる・・・」

 

黒死牟は振り返りもせず、そのまま静かな声でそう言ったが、次に発した言葉に、全員の体が震えた。

 

「無惨様が・・・、御見えだ・・・」

 

その言葉通り、猗窩座の背後には、上下逆さまになった部屋で一人実験をしている無惨の姿があった。

童磨以外の全員の顔に緊張が走り、半天狗は相も変わらずか細い悲鳴を上げていた。

 

「妓夫太郎が死んだ。上弦の月が欠けた」

 

試験官に落ちる水音を響かせながら、無惨は淡々と言葉を口にした。

 

「誠に御座いますか!それは申し訳ありませぬ!」

 

それに真っ先に反応したのは童磨であり、彼はにやにやとした笑みを浮かべながら謝罪の言葉を口にした。

 

「妓夫太郎は俺が紹介した者故・・・、どのように御詫び致しましょう。目玉をほじくり出しましょうか?それとも・・・」

 

だが、その言葉とは裏腹に、童磨の表情は、まるで新しい玩具を買ってもらった子供のようなものだった。

 

「必要ない、貴様の目玉など。妓夫太郎は負けると思っていた。案の定、堕姫が足手纏いだった」

 

無惨は童磨の言葉をはねのけると、抑揚のない声色でつづけた。

 

「初めから妓夫太郎が戦っていれば、勝っていた。そもそも、毒を喰らわせた後まで戦い続けず・・・いや、もうどうでもいい」

 

無惨は帳面に何かを書き記しながら、吐き捨てるように言った。

 

「くだらぬ。人間の部分を多く残していた者から負けていく。だがもう、それもいい。私はお前達に期待しない」

「またそのように悲しいことをおっしゃいなさる。俺が貴方様の期待に応えなかった時が、あったでしょうか」

 

そんな無惨に臆することなく口をはさむ童磨に、無惨の声が微かに棘を含んだ。

 

「産屋敷一族を未だに葬っていない上、ワダツミの子も未だに喧しく囀り続けている。そして、"青い彼岸花"はどうした?なぜ何百年も見つけられぬ。私は――・・・、貴様らの存在理由が分からなくなってきた」

 

無惨の表情は見えないが、顔中には血管が浮き出しており、激昂していることが分かった。

瞬時に空気が張り詰め、鬼達の身体を震わせた。

 

「ヒイイッ!御許しくださいませ。どうかどうか」

「・・・・」

 

半天狗は震えあがりながら、階段に額をこすりつけ、猗窩座は跪いたまま何も答えない。

 

「返す・・・言葉も・・・ない・・・。産屋敷・・・巧妙に・・・姿を・・・隠している。そして、ワダツミの子・・・。奴の影響を受ける者が・・・あまりにも多すぎる・・・」

「俺は探知探索が苦手だからなあ。如何したものか・・・」

 

黒死牟は淡々と答え、童磨は困ったような表情を浮かべながら呟いた。

 

そんな中、玉壺は無惨の方を向きながら、ひときわ大きな声で叫ぶように言った。

 

「無惨様!!私は違います!貴方様の望みに一歩近づくための、情報を私は掴みました。ほんの今しがた・・・」

 

しかし玉壺の言葉は最後まで紡がれる前に、無惨の声によって遮られた。

 

「私が嫌いなものは、"変化"だ」

 

そう言う無惨の右手には、血の滴る玉壺の頸が乗せられていた。壺に繋がれた体は引き千切られ、おびただしい量の血痕が残されていた。

 

「状況の変化、肉体の変化、感情の変化。凡ゆる変化は、殆どの場合"劣化"だ。衰えなのだ。私が好きなものは、"不変"。完璧な状態で、永遠に変わらないこと」

(無惨様の手が私の頭に!いい・・・、とてもいい・・・)

 

淡々と語りだす無惨の声を聞きながら、玉壺は怯えつつも喜びに似た感情を感じていた。

 

「百十三年振りに上弦を殺されて、私は不快の絶頂だ。まだ確定していない情報を、嬉々として伝えようとするな」

 

無惨は吐き捨てるようにそう言うと、鳴女の琵琶の音が響き、玉壺の頸は逆さまの無惨から垂直に落ちていった。

 

「これからはもっと、死に物狂いでやった方がいい。私は、上弦だからという理由で、お前達を甘やかしすぎたようだ。玉壺」

 

それから無惨は振り返ることなく、再び静かな声で口を開いた。

 

()()()()()()()()、半天狗と共に其処へ向かえ」

 

それだけを告げると、再び琵琶が響き、無惨の姿は現れた襖の奥へと消えていった。

 

「ヒィィ、承知いたしました…!!」

(・・・!!そんな・・・!!私がつかんだ情報なのに・・・、ご無体な。でも、そこがいい・・・)

 

半天狗は怯えながら這いつくばり、玉壺はその扱いを不服に思いながらも、言い知れぬ感情に全身を震わせていた。

 

「玉壺殿!情報とは何のことだ?俺も一緒に行きたい!」

 

それを聞いた童磨は、嬉々としながら玉壺の方へ身を乗り出し、玉壺は言葉を詰まらせた。

 

「教えてくれないか?この通りだ・・・!」

 

だが、童磨の言葉は、突如走った衝撃によってかき消された。彼の背後には猗窩座がおり、その拳で童磨の頭部を薙ぎ払ったのだ。

 

「無惨様がお前に何か命じたか?失せろ」

 

猗窩座はそう冷たく言った瞬間、薙ぎ払った腕がぼとりと畳の上に落ち、傷口からは鮮血があふれ出した。

その光景に半天狗は悲鳴を上げ、猗窩座のすぐ傍で静かな声が響いた。

 

「猗窩座・・・、お前は・・・度が過ぎる・・・」

 

そこにはいつの間にか黒死牟の姿があり、彼が瞬時に猗窩座の腕を斬り飛ばしていた。

気配がなかったことと、刀を抜いたことすら認知できなかったことに、猗窩座は目を大きく見開いた。

 

「良い良い、黒死牟殿。俺は何も気にしない」

 

童磨は頭部を急速に再生させると、明るい声色でそう言った。しかし、黒死牟は振り返りもせず、再び静かに言葉を紡いだ。

 

「お前の為に言っているのではない・・・。序列の乱れ・・・、ひいては従属関係に皹が入ることを、憂いているのだ・・・」

「あー、なるほどね」

 

その言葉に童磨は、納得しつつも少しばかり残念そうに声を落とした。

 

「猗窩座よ・・・。気に喰わぬのならば、入れ替わりの血戦を申し込むことだ・・・」

 

しかしその言葉に反応したのは、猗窩座ではなく、またしても童磨だった。

 

「いやぁ、しかしだよ、黒死牟殿。申し込んだところで、猗窩座殿は我らに勝てまいが、加えて俺に至っては猗窩座殿よりも後で鬼になり、早く出世したのだから、彼も内心穏やかではあるまい!わかってやってくれ」

 

童磨の言葉に、猗窩座は顔に青筋を浮かべながらも、固く口を閉ざしていた。

 

「それに、俺はわざと避けなかったんだよ。ちょっとした戯れさ。こういう風にして仲良くなっていくものだよ。上に立つ者は、下の者にそう目くじら立てず、ゆとりをもって――」

「猗窩座」

 

童磨の言葉を遮るように、黒死牟は鋭い声で言い放った。

 

「私の・・・言いたいことは・・・わかったか」

「わかった」

 

黒死牟の三対の目が猗窩座を鋭く穿ち、猗窩座は静かに答え、鋭い視線を彼に向けながら言い放った。

 

「俺は必ず、お前を殺す」

「そうか・・・、励む・・・ことだ・・・」

 

黒死牟はそれだけを告げると、瞬く間にその姿を消した。

 

「さよなら黒死牟殿。さよなら!」

 

童磨は友人を見送るような口調で言うと、少し困ったような表情で顔を上げた。

 

「何だか俺は会話に入れて貰えなかったような気がするのだが、考えすぎだよな、猗窩座殿」

 

しかし猗窩座は童磨の言葉に答えることなく、軽やかに城の壁を伝い何処へと去って行った。

 

「猗窩座殿!話してる途中なのに」

 

そう言って口を尖らせる童磨の傍らで、玉壺は鳴女に向かって声を掛けた。

 

「私と半天狗を、同じ場所へ飛ばしてくだされ」

「待ってくれ、じゃあ俺も・・・」

 

童磨が言い終わる前に、鳴女は琵琶を二度かき鳴らし、玉壺と半天狗を何処へと転送した。

 

残された童磨は、しばらく呆然としていたが、鳴女に向かって馴れ馴れしく声を掛けた。

 

「おーい、琵琶の君。もしよかったら、この後俺と」

「お断りします」

 

鳴女は童磨の誘いを瞬時に断ると、再び琵琶を鳴らした。すると童磨は、彼の住まいであろう場所にその身を置いていた。

 

「むうう、誰も彼もつれないなァ」

 

童磨は少し残念そうにそうぼやくと、向かいの襖がそっと開いて一人の人間が姿を現した。

 

「教祖様、信者の方がお見えです」

「ああ、本当かい。待たせてすまないね」

 

童磨はそう言うと、傍らにあった帽子を頭に乗せると、笑顔を張り付けながら声を掛けた。

 

「どうぞどうぞ、入って貰っておくれ」

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

その日の夕暮れ。任務から戻った善逸は、疲れた顔で蝶屋敷に戻って来た。

相も変わらず任務を嫌がる彼だったが、それよりも気がかりなことは勿論、汐の事だった。

 

(確か今日が、汐ちゃんが鬼殺隊を辞めるかどうかの約束の日、だったな。結局、俺は彼女の為に、何もできなかった。汐ちゃんの一番大切な気持ちも、取り戻すことができなかった)

 

善逸は悔しさを振り払うように目を閉じると、重い気持ちのまま門をくぐった。その瞬間、中庭の方から懐かしい"音"が聞こえてきた。

 

(え・・・?この"音"って・・・、まさか・・・!!)

 

善逸はそのまま中庭の方へ足を進め、そこにいた者の名前を呼んだ。

 

「汐ちゃん!」

 

善逸の視線の先には、縁側に座って夕日を眺める汐の姿があった。彼女はゆっくりと善逸の方へ顔を向けると、微笑みながら口を開いた。

 

「おかえり、善逸」

 

その声が善逸に届いた瞬間、彼は全てを察し、その両目からは涙があふれ出した。

 

「汐ちゃん・・・!君、記憶が戻ったんだね!!」

 

善逸は嬉しさのあまり泣きじゃくり、そんな彼をみて汐は困ったような表情をした。

 

「ちょっとちょっと、その顔でこっちに来ないでよ。汚いわね」

「ああ、汐ちゃんだ。この心を抉るような毒舌は、間違いなく汐ちゃんだぁ!」

「・・・喧嘩売ってんの?あんた」

 

汐が目を剥いて凄めば、善逸はわんわんと涙と鼻水を飛ばしながら泣きわめいた。

 

「はぁ。全く、あんたは相変わらずね。あ、それはそうと、あたし、もうすぐ任務に復帰出来るみたいなの」

「えっ、そうなの?」

「うん。記憶を取り戻した分、暴れてやるわ!」

 

そう言って拳を握る汐に、善逸は嬉しそうに微笑んだ。

 

「でもその前に、あんたにはちゃんとお礼を言わないとね」

 

汐はそう言って善逸と向き合うと、歯切れのいい声で言った。

 

「ありがとうね、善逸。あたしのために、いろいろしてくれて」

「ううん、俺は何もしていないよ。記憶が戻ったのは、きっと君自身が取り戻したいと頑張ったからだよ」

 

善逸は首を横に振り、優しいまなざしで汐を見た。その目から伝わる気持ちに、汐の心は震えた。

 

「でも、きっかけを作ってくれたのはあんたよ。あんたが裏山に連れて行ってくれなきゃ、記憶を取り戻したいって思わなかったもの。だから、そのことはちゃんとお礼をしたいんだから、黙って受け取っておきなさいよ」

「相変わらず、謝られてるんだかそうじゃないんだか、わかんないなあ」

「あんた、しばらく見ないうちに、言うようになったじゃない」

 

そんなことを話しながら、二人は朗らかに笑った。

 

「だけど、汐ちゃん。これからは、俺とあんまり二人きりにならない方が、いいとおもうよ」

「へ?何でよ」

「なんでって、そりゃあ、いろいろと誤解されるだろうし・・・」

「何よ誤解って。いいからもったいぶらずに言いなさいよ」

 

汐がそう言うと、善逸は観念したように口を開いた。

 

「だから、汐ちゃんは炭治郎の事が好きなんだから、あまり他の男と話したら・・・」

「なっ、なっ、なっ・・・!!」

 

善逸の言葉を聞いた瞬間、汐の顔が瞬時に茹蛸の如く真っ赤になり、頭から湯気が吹き出した。

そして、次の瞬間には

 

「何であんたが知ってんだ、馬鹿ーーーっ!!!」

 

汐の怒号が響き、乾いた音が屋敷中に響き渡ったのだった。

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

ある日の夜更け、人の気配がしない路地裏で蠢く、一つの影があった。

背は小さいが、横幅は背丈よりも大きく、動くたびに水のような音がした。

 

それの足元に落ちていたのは、人間だったものの残骸。そしてそれの口元と両手は、真っ赤な血で濡れていた。

 

「・・・ア゛・・・・」

 

それは濁ったうめき声をあげると、月明かりが差し込む空を見上げて、たどたどしく呟いた。

 

「ハ・・・ナ・・・ガ・・・・、サ・・・ク・・・・、ワダ・・・ツミ・・・・ウタ・・・」

 

その声は宵闇に吸い込まれて、瞬く間に消えていった。

汐はどちらに値すると思いますか?

  • 漆黒の意思
  • 黄金の精神
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