※下ネタ注意
炭治郎は、今までにない、言い表せない感情を抱いていた。いつも穏やかな彼が、最近は眉間にしわを寄せて、何かを考えこんでいるようだった。
(汐、一体どうしたんだろう。あれからずっと、顔を合わせていない)
意識が戻ったあの日から、炭治郎は汐と一度も顔を合わせていなかった。炭治郎が動けなかったせいなのもあるのだが、それでも汐は見舞いにすら来なかった。
以前にも喧嘩をして、しばらく口を利かないときもあったが、今回は喧嘩をした覚えなどなく、汐が会いに来ない理由が全く分からなかった。
(俺はいったい、どうしたんだ。胸の中がモヤモヤする。今まで、こんなことはなかったはずなのに・・・)
炭治郎は、胸の中で渦巻く奇妙な気持ちの正体がわからず、ベッドの上で何度も寝返りを打った。汐が一時的とはいえ、記憶を失っていたと聞かされた時は、心臓を鷲掴みされたような気分になった。
汐の中から、自分の存在が一瞬でもなくなってしまっていたということが、酷く恐ろしく感じた。
(体力はまだ戻っていないけれど、歩けるくらいには回復した。汐が任務に復帰する前に、何とか会えないかな)
「・・・よし!」
炭治郎は意を決してベッドから起き上がると、一つ深呼吸をしてから歩きだした。
この時間帯なら、まだ訓練場にいるかもしれない。炭治郎は、微かな望みを抱きながら、足を進めるのだった。
* * * * *
「「あ」」
その日は運がよかったのか、そうでなかったのか。炭治郎が訓練場へ着く前の廊下で、訓練を終えた汐が出てきたところで会うことができた。
ところが、汐は炭治郎の顔を見るなり、慌ててその場から立ち去ろうとした。
「ま、待ってくれ!」
炭治郎は、すぐさま汐と距離を詰めると、その手を掴んだ。体力が戻っていない彼が、ここまでできたのは火事場の馬鹿力か、それは定かではなかった。
「な、なに?」
汐は炭治郎から顔を逸らし、どもりながら答えた。いつもの汐ならありえない行動に、炭治郎は驚いた。
いや、驚いたのは行動だけではなく、汐の匂いがはっきりと変わっていた事にもあった。
以前のような、優しい潮のような香りではなく、甘く鼻をくすぐるような、果実のような匂い。
その匂いを嗅いでいると、何故か落ち着かないような気がした。
「お前、最近どうしたんだ?あれから全く会いに来なくて、禰豆子も寂しがっていたぞ」
炭治郎は、自分の口から出てきた言葉に驚いた。禰豆子が寂しがっていたのは、嘘ではない。しかし、本当は自分自身が会いたくてたまらなかったはずなのに、何故か禰豆子の名前が出てきてしまった。
汐は僅かに肩を震わせると、観念したように振り返った。だが、その際に汐の前髪が少し捲れた、その瞬間だった。
「うわあああああああああああ!!!」
突然炭治郎が叫び声をあげ、汐は今度は全身を大きく震わせ、耳を塞いだ。
「い、いきなりなんなのよ!びっくりするじゃない!!」
汐は顔をしかめて言い返すと、炭治郎は真っ青な顔で汐の額を指さしながら言った。
「汐・・・っ、お前っ、その、その傷・・・!」
炭治郎が見たものは、汐の額の右上にあった、抉れたような傷跡だった。
それに気づいた汐は、「ああ、これね」と、何でもないように言った。
「ひょっとしてあの時、吉原で鎌鬼の攻撃を喰らった時・・・?」
炭治郎の脳裏に、血の刃が汐の額を滑る光景が蘇った。
「そうみたいね。でも、これくらいなら鉢巻きで隠せるから、何にも問題はないし、別にあんたが気にする事じゃないわ」
そう言って笑う汐だが、その笑顔はどこかぎこちなく、炭治郎の胸を締め付けた。
(汐が俺に会いに来なかったのは、この傷の事を気にしていたのかもしれない)
炭治郎は悔し気に唇をかみしめると、凛とした表情で汐を見据えた。
「いいや、気にするよ。俺がもう少しちゃんとしていれば、汐に傷をつけることなんてなかったんだ。吉原で働いたとき、女の子の顔に傷をつけるっていう事が、どれほど惨くて酷いことか、身をもって知ったんだ」
「ちょっと、炭治郎?あんまり深く考えなくっても・・・」
何やら妙な空気になってきたことを感じ、汐は慌てて炭治郎を制止させようとした。だが、炭治郎の耳には入らなかった。
「お前がそんな傷を負ってしまったのは、俺のせいだ。だから、俺がその責任を取る!」
「・・・・・え?」
炭治郎がそう言った瞬間、汐の思考は一瞬停止し、それから。
「えええーーーーっ!!??」
途端に汐の顔が、これ以上ない程真っ赤になり、頭から湯気まで吹き出した。
(ちょっ、ちょっと待ってよ!責任って、ええっ!?だってまだあたしたち、そう言う関係じゃないし、べ、別に嫌じゃないけど・・・、こ、心の準備がまだっ・・・!!)
「汐」
炭治郎は真剣な声色で名前を呼ぶと、汐の両手を優しく握った。
汐の心臓が跳ね上がり、顔に血が上って眩暈さえ起こした。
「は、ははは、はいっ!!」
思わず上ずった声で返事をすると、炭治郎はじっと汐の目を見てから、口を開いた。
「俺が責任を取って――」
「・・・・・っ!!」
「――お前の相手を、見つけてくるから!!!」
炭治郎のよく通る大きな声が響き渡った後、汐の思考は再び一時停止した。
そして、
「・・・・はあっ!?」
あまりにもあんまりな言葉に、汐の高ぶった感情は、一気に急降下した。
「大丈夫だ。汐の顔に傷があっても気にしないような人を、きっと捜すから。あ、でも、俺は汐がどんな人が好みか知らないから、参考までに教えてくれると――」
「炭治郎」
汐は、一人でまくし立てている炭治郎の背中に向かって、冷ややかな声で呼んだ。
炭治郎が振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべている汐がいた。
しかし、炭治郎の鼻は感知していた。汐からにじみ出てくる匂いは、先ほどの果実のようなものではなく、怒りに満ちたものだということに。
「歯ァ、食いしばれ♪」
汐の甘い声が炭治郎の耳を通り抜けた瞬間。
重い音が響き渡り、蝶屋敷中が一瞬揺れた。
「!?」
その揺れは、アオイや三人娘たちも感じ、皆地震でも起こったのかと慌てふためいた。
「み、皆さん大丈夫ですか!?今、地震が起こったみたいで・・・!」
皆の安否を確認するべく、すみは小走りで廊下の曲がり角を曲がった。そこで見たものは、
顔中から涙と鼻水を吹き出し、真っ青を通り越してどす黒い顔で下半身を抑える炭治郎と、顔どころか全身を真っ赤にして、真蛇の形相で廊下を踏み鳴らして歩く、汐の姿だった。
この事が原因なのかは定かではないが、炭治郎の回復は大幅に遅れたという。
* * * * *
「あんの、馬鹿が。ボケが。にぶちんが。唐変木が。許さない、絶対に許さない」
目が据わったままの状態で、一心不乱に剣を振る汐の姿を、甘露寺は冷や汗をかきながら眺めていた。
(どうしよう。しおちゃんの記憶が戻って、任務に復帰できるくらいに回復したのはいいことだけれど、ここの所ずっとこの調子。悲鳴嶼さんの話では、思春期の子にはよくある事みたいだから放っておけってことだったけれど・・・)
だとしても、あのような鬼と人間とも区別がつかないような顔を、汐にさせておくのは絶対にいけないと、甘露寺は意を決して汐に話しかけた。
「ね、ねえ、しおちゃん。何があったのかはわからないけれど、いったん休みましょう。まだ怪我が治ったばかりなんだから、無理はいけないわ」
甘露寺がそう言うと、汐は振り上げた木刀を下ろし、天井を見上げながらぽつりとつぶやいた。
「ねえ、みっちゃん。みっちゃんは恋柱なんて言われてるくらいだから、人を好きになったことなんて何回もあるんでしょ?」
「えっ!?」
汐の思わぬ言葉に、甘露寺は飛び上がって驚き、危うく胸が零れ落ちそうになった。
「あたし、やっと気づいたんだ。炭治郎の事が好きだって。仲間としてだけじゃなく、もっともっと特別な意味で。でも、いざ炭治郎と顔を合わせると、胸が苦しくなって言葉が出なくなったり、顔もまともに見れなくなったり、挙句の果てにはいつも以上にぶっ飛ばしちゃったり。今まで、こんなことなんかなかったのに」
汐は小さくため息を吐くと、甘露寺の方に顔を向けた。
「人を好きになるっていうのは、とても素敵なことだって、みっちゃん前に言ってたよね。でも、いざそうなってみると、苦しくて、苛々して、でも、本当はそんなことするつもりなんかなくて、もうわけわかんなくって」
そう言って再びため息を吐く汐を、甘露寺はこれ以上ない程愛しく感じ、顔に熱が籠ると同時に胸が激しく高鳴った。
しかし、甘露寺はそれを抑えるように目を閉じると、そっと口を開いた。
「そうね。人を好きになるということは、とても素敵なことだけれど、その分たくさん悩んだりすることもあるの。でもね、それはとても自然な事なの。その悩みを乗り越えた時、人は成長すると、私は思うわ。そう、鍛錬と同じようにね」
そう言って笑う甘露寺に、汐は目を潤ませながらも(鍛錬とはちょっと違うんじゃないかな)と、心の中で突っ込んだ。
その時だった。
「カァ~カァ~、指令デスヨ~」
汐の鎹鴉、ソラノタユウが間延びした声で鳴きながら、汐の肩に止まった。
「西ノ方角デ、鬼ノ被害ガ拡ガッテイルトノコト~。恋柱、甘露寺蜜璃様ト共ニ、ソノ場所ヘ向カッテクダサイネェ~」
鴉が告げた指令に、汐は顔を引き締め、甘露寺は心なしか嬉しそうな顔で汐を見つめるのだった。
汐はどちらに値すると思いますか?
-
漆黒の意思
-
黄金の精神