朝餉を終えた汐と甘露寺は、港町で必要なものを揃えた後に、今一度鯨岩の入り江と来ていた。
汐の手にあるのは海に潜るための磯着と、漁に使うための縄。汐は岩の影で着替えると、縄を自分の身体に固く結びつけ、その先を甘露寺に渡した。
「あたしはこれから海に潜って、お宝とやらを探してくる。みっちゃんはこれをどこかに括り付けて、合図したら引っ張ってほしいの」
「それは構わないけれど、本当に大丈夫?昨日の今日だし、海に入る季節にしては冷たいし・・・」
甘露寺は心配そうな顔で汐を見れば、汐は首を横に振ってきっぱりと言った。
「大丈夫よ。海には慣れてるし、それに、どうしてかは分からないけれど、今じゃないといけない気がするの」
勿論、汐の話に確信などはないし、夢という曖昧な物で命を危険に晒しかねない行動をすること自体が無謀であることも、汐自身もわかっていた。
本来なら師範として、汐を止めるべきだった甘露寺だが、汐の真剣な眼差しに動かされ信じる気になった。
「しおちゃんが自分で決めたことだから、私は無理に止めたりはしないわ。でも、でもね。これだけは絶対に約束して。必ず無事で戻る事。それが私が柱としてあなたに課す試練です」
甘露寺は柱の顔でそう言い、汐も彼女の継子としての顔で頷いた。
それから汐は準備体操を念入りにし、耳抜きをすると、そっと海の中に足を入れた。甘露寺の言う通り、今は海に入る季節ではないため水温は低いようだ。
しかしそれでも汐は、ゆっくりと身体を慣らすように海につかると、そのまま大きく息を吸い水の中へと潜った。
数年ぶりに潜る故郷の海は、あの頃とほとんど変わっておらず、たくさんの思い出が汐の中に文字通り流れ込んできた。
しかし、汐はその思い出を振り払うように、ゆっくりと海の底へと身を沈めた。
海の底に近づくにつれて、段々と水圧が強くなり、視界も狭く暗くなってきた。しかしそれでも汐は、鍛え抜かれた身体能力と、全集中の呼吸がもたらした新たな身体によって、それをものともせずに進んでいった。
(あの頃だったら、こんなに長く、深くは潜れなかった。まるでここに来るために、全集中の呼吸を覚えたような気分ね)
汐はそんなことを考えながらも、そこを目指して潜り続けていたが、いつまでたっても底が見えず、周りは真夜中のような真っ暗な世界へと変わっていった。
(深いとは思っていたけれど、流石に深すぎ・・・!)
いくら身体能力が大幅に上がったとはいえ、人間である以上息をしなければ生きることはできない。
しかも視界は闇に閉ざされ、下手をすれば方向が分からなくなってしまう状況だった。
(こんなところでくたばるなんて、冗談でも笑えないわ・・・!でも焦るな。焦ったら、状況はさらに悪化する。集中するのよ・・・!全神経を研ぎ澄ませ!)
汐はかっと目を見開き、身体に力を込めた瞬間。不思議なことが起こった。
汐の眼前に、突然青く光る道のようなものが現れたのだ。
それは真っ暗な闇を斬り裂き、ある場所に向かって伸びているようだった。
汐はまるでそれをはじめから知っていたかのように、不思議と疑問に思うことはなかった。
汐は誘われるように青い道をたどり、海の底へとさらに潜った。すると、道の先に何かを見つけ更に近づいた。
それは、五寸ほどの小さな棒状の物で、フジツボや藻などがびっしりと付着していたが、汐は何故かそれが目的の宝物であるということを理解していた。
(さて、戻らないと。でも、一気に浮上しては駄目。肺の中の空気が膨張して破裂する恐れがある)
汐は焦りを抑えながら、ゆっくりと少しずつ浮上していった。
一方。海上で汐を待つ甘露寺は、落ち着かない様子で岩場をうろうろとしていた。
(どうしよう、どうしよう。しおちゃんが潜ってから、もう何十分もたってるわ。いくら全集中の呼吸で身体能力が上がっても、呼吸ができない水の中じゃ、命の危険も高まってしまう・・・。ああ、やっぱり止めればよかった!無理を言っても、力づくでも止めればよかった!!)
しかしすでに汐は海の中であり、甘露寺は今にも泣きだしそうな顔で海の中へ伸びている縄を見つめていた、その時だった。
縄がぴくぴくと動き、明らかに反応を見せていた。甘露寺は慌てて縄を掴もうとして、はっとしたように目を見開いた。
(もしも縄が反応しても、一気に引いたりはしないで。急激に浮上すると、あたしの肺が破裂する可能性があるから。引くときはあたしが合図したらでお願い)
汐の言葉を思い出し、甘露寺は焦る気持ちを抑えながらも、縄をそっとつかんだ。汐がいつ合図を出しても、すぐに引き上げることができるように。
それから数分後。縄が突然ニ三度、海の中へ沈むようにして動いた。甘露寺はすぐさま縄を掴むと、力を加減しながら引っ張った。
やがて海の中から黒い影が現れたかと思うと、水面を貫く様にして汐の青い髪が姿を現した。
「しおちゃん!!」
甘露寺はすぐさま汐に手を伸ばすと、力を込めて引き上げた。汐は岩場の上に打ち上げられると、何度か咳き込み息をついた。
(な、何とか戻ってこられたわ・・・)
汐が回らない頭でそう考えていた時、後ろから猛烈な泣き声が聞こえてきた。
「うわあああんん!!!しおちゃんの馬鹿ァ!!心配したんだから!!」
「・・・ごめん」
甘露寺は汐を抱きしめながら、大声でまくし立て、汐は疲労で動くこともできずぼんやりと身体を預けながら、謝罪の言葉を口にした。
やがて甘露寺が落ち着き、汐の疲労もある程度回復してきた頃。
汐は海の底で見つけたものを、甘露寺の前に差し出した。
フジツボ塗れのそれに、甘露寺は眉をひそめて怪訝な顔をし、汐は持ってきた小刀でフジツボを削り落としていった。
そして全貌が明らかになったそれに、二人はくぎ付けになった。
「これって・・・、懐剣?」
汐が海の底で見つけてきたのは、五寸ほどの大きさの懐剣だった。だが、海底に落ちていたせいで当然刀身はさび付き、とても使えるような代物ではなかった。
「あれだけ苦労したのに、結果が使えない懐剣なんてあんまりじゃないのよぉ!!」
汐は怒りのあまり暴れ出し、甘露寺はそれを慌てて抑えた。
「落ち着いてしおちゃん。確かに錆びてて使うことはできないかもしれないけれど、これってひょっとしたらかなりの値打ちものかもしれないわよ」
「値打ちもの?」
「ええ。それに、例えそうじゃなくても、しおちゃんの故郷で手に入れたものだもの。しおちゃんにとっては、十分価値のあるもののはずよ」
「何だかうまく丸め込まれているような気がしなくもないけど・・・」
汐は少し複雑な気持ちで、錆びついた懐剣を見つめた。確かに甘露寺の言う通り、金銭的な値打ちはないかもしれないが、汐にとって故郷の思い出を忘れないようにするための楔のようなものだと思えば、悪くないのかもしれないと思った。
「とはいえ、錆びついたままじゃ何だか見栄えが悪いわ。何とかして綺麗にできないかな?」
「ここまで錆びつていると、普通に研いでも難しいわね。きちんとした場所で研ぐことができればいいんだけど・・・」
汐は困ったように首をひねると、突然、甘露寺が何かを思いついたように言った。
「そうだわ!もしかしたら、あそこなら研いでもらえるかもしれない」
「あそこ?」
甘露寺の言葉に、汐は怪訝な顔で首をひねりながら訪ねた。
「しおちゃんは【刀鍛冶の里】って知ってる?」
「刀鍛冶の里?」
汐は聞き慣れない言葉にオウム返しで返すと、甘露寺は汐の日輪刀を見ながら言った。
「私達の日輪刀は、専属の刀鍛冶さんが打ってくれているのは知ってるわね?その人たちが住んでいる里があるの。でも、その場所は隠されているから、そこへ行くにはお館様の許可が必要なんだけれど、そこへ行けばその懐剣を研いでくれるかもしれないわ」
「そ、そうか。あ、でも。お館様の許可がないといけないような場所にいる連中が、ただの懐剣を研いでくれるとは思わないけど・・・」
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれないわ。それに、昨日の戦いでしおちゃんの刀、少し刃こぼれしてたでしょ?」
甘露寺の言葉に、汐は昨日の鬼との戦いで刀が刃こぼれしたことを思い出したが、それと同時に、以前に刀を折って専属の鉄火場が大泣きしたことも思い出してしまい、顔を歪ませた。
「それと、私の刀もそろそろ手入れをしようかと考えていたところだったの。だから、私がお館様に、しおちゃんも刀鍛冶の里に行ってもいいか申請するから、一度行ってみましょう。あそこには温泉もあるから、疲れをいやすのにも最適な場所よ!」
甘露寺はウキウキしながらそう言い放ち、汐は正直甘露寺はその温泉が目当てなのではないかと思ったが、面倒なことになりそうなため黙っておくことにした。
* * * * *
二人が戻ってからすぐの事。汐の屋敷に尋ねてきたものがいた。
それは、【隠】という鬼殺隊の事後処理部隊の者だった。
「大海原汐さんですね?初めまして。お館様より許可が出ましたので、私がご案内します」
「はあ、どうも。大海原汐です」
きっちりした喋り方の隠に圧倒される汐に、隠は頭を下げると言った。
「案内役の事情で名乗ることはできませんが、よろしくお願いします。では、これを」
隠はそう言って汐に目隠しと耳栓を手渡した。
「里の場所は隠されているため、私があなたを背負っていきます。では、早速行きましょう」
汐は言われるがまま目隠しと耳栓をすると、隠の背中にそっと乗った。華奢な見た目とは裏腹に、隠は軽々と汐を背負って歩きだした。
汐が屋敷に戻る少し前、甘露寺から里の事は少しだけ聞かされていた。
鬼の襲撃を防ぐため、刀鍛冶の里は隠されており、隠の案内なしではたどり着けない。かといって、今汐を背負っている隠も場所は知らず、一定の距離まで運ぶと次の隠へ引き渡され、少しずつ案内されていくのだ。
更に、汐と甘露寺は別行動をとっていた。これも勿論、鬼の追跡から逃れるためだ。
それ程、鬼殺隊にとって刀鍛冶の里とは重要な生命線の一つであるのだ。
どのぐらいの距離を歩き、何人の隠に引き渡されたか分からない頃。
「おい、着いたぞ」
突然、汐の目隠しが外され、耳栓を抜き取られた。急激に入ってきた光に目をくらませながら、汐は数回瞬きをし、眼前に広がる光景に汐は大きく目を見開いた。
そこには、山を切り取ったような岩肌に、いくつかの建物が生えるように立っていた。
光景に圧倒されて呆然とする汐に、隠は小さく笑いながら言った。
「あんた、すっげえ間抜けな顔してるぜ。まあ、その気持ちはわからなくもないが。あっちの奥を曲がったところが、この里の長の家だから必ず挨拶に行けよ」
「ええ、わかったわ。ありがとうね」
汐はにっこりと笑いながら礼を言うと、隠は小さく飛び上がって顔を赤くした。
「お、おう。それじゃあな」
そう言って隠は慌てた様子で、その場から立ち去っていった。汐はその背中を見ながら、小さく手を振ったその時だった。
「しおちゃん!!」
背後から声がして、汐が振り返れば、そこには甘露寺が笑いながら駆け寄ってきた。
「みっちゃん!もうついてたんだ!」
「ええ、っていっても、私もほんのついさっきついたばかりなの。だからこれから、この里の長の鉄珍様にご挨拶に行くから、しおちゃんも一緒に行きましょう!」
余程汐と会えたことが嬉しいのか、甘露寺は汐の手を握って走り出した。はたから見れば姉妹のようにも見える光景に、一部の者たちは心が温かくなったという。
だが、二人はまだ知らなかった。
再び、大きな運命の流れに翻弄されることを・・・
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神