あの満月の夜から数日後。あの日を境に狭霧山から聞こえる悲鳴が一つ増えた。
炭治郎に続き汐も本格的に修行を開始したのだ。
最初に受けた山下りの試練も、罠の難度が格段に上がり確実に汐を殺しに来ていた。しかし、汐は昔サメに食われそうになった記憶や、渦潮に巻き込まれて死にかけた記憶をばねにその罠の恐怖に耐えきった。
そして刀の扱い方がてんでなっていなかった汐は、炭治郎とともにその基礎をみっちり叩き込まれた。
毎日素振り素振りの毎日で、元から傷が多かった汐の手にさらに傷と豆が増えた。女としては致命的なものだったが、それよりも前に進む意志のほうが強かった。
それから、劇的に変わったことが一つある。
汐が、時折眠ったままの禰豆子の様子を気にかけるようになったのだ。
炭治郎から禰豆子が半年以上眠ったままだという話を聞いてからのことだった。
勿論鬼である以上警戒心や殺意が完全に消えたわけではなく、扉の向こうからこっそりのぞくくらいのものだったが、初めて彼女を目にしたときに比べれば、かなり大きな進歩だ。
その姿に、鱗滝は自分の判断が間違いではなかったと確信した。
それから日を重ねるたびに二人の修行は過酷なものになっていったが、二人の心は決して折れることはなく、必死に食らいついていった。
そして、ある日のこと。
「お前たちにもう教えることはない」
狭霧山にきて汐が半年後、炭治郎が一年後、突然鱗滝は二人にそう伝えた。
意味が分からず呆然と顔を見合わせていると、鱗滝はつづけた。
「あとはお前達次第だ。お前達が儂の教えてきた事を昇華出来たかどうかだ」
そういって彼は汐と炭治郎をそれぞれ別の場所へ連れていき、こう言った。
「炭治郎はこの岩を斬り、汐はこの滝を割れ。それができたら最終選別に行くのを許可する」
炭治郎の前には人の何倍はあるほどの大岩が、汐の前にはその岩と同じくらいの大きさの滝が鎮座していた。
「・・・は?」
思わぬ課題に、汐は素っ頓狂な声を上げる。
(滝を割れって何?滝って割れるもの?刀で?いやいやいや、意味が分かんない。おやっさんも意味わかんないこと言ってたけれど、この人もかなり意味が分からないんだけど・・・)
混乱する頭をよそに、それから鱗滝は二人に何も教えてくれることはなかった。
それから二人の更なる戦いが始まった。
二人はまずは基礎訓練を繰り返し、時には二人で組手をし、互いの情報交換をしながらもその試練に挑んだ。
しかし半年たっても二人は試練を乗り越えることはできなかった。二人は焦った。どうしようもなく。
そしてある日、
「ああああああああああああああああ!!!!!」
その焦りがやがて怒りへと変わり、とうとう汐は大爆発を起こした。
「滝割なんて人間にできるかボケェ!!意味が分かんねーわよいい加減にしろ!!」
汐のよく通る声が山中に響き渡り、驚いた鳥や獣たちがが一斉に逃げ出す。それでもしばらく汐の絶叫は止まらない。
その焦りのせいか前が見えていなかった汐は、足を滑らせ滝つぼの中に落ちてしまった。
想像以上に体にかかる水圧と、海水とは違い浮きづらい水。そしてきちんと呼吸ができていなかったためうまく泳ぐことができず苦しげにもがく。
水面からわずかに漏れる光がひどく美しく、そしてひどく残酷に見えた。
まるで今の愚かな自分を嗤っているような、そんな気がした。
でも
その脳裏にに浮かんだのは、夕暮れの海のような目をした彼の顔。そして
不意に、自分の手を誰かがつかんだ。
汐の体はまるで打ち上げられた魚のように軽々と宙を舞い、そして地面にたたきつけられるように落ちた。
飲み込んだ水をせき込みながら吐き出す。鼻から入った水が目の近くに痛みをもたらす。
『大丈夫?』
そんな汐に声をかける者がいた。炭治郎のものでも、鱗滝のものでもない、少女のような声。
汐がゆっくりと顔を向けると、そこには狐の面を頭につけたかわいらしい少女が汐を心配そうに見つめていた。
あたりを見回しても、人影はその少女以外に見当たらない。だとしたら、今汐を水から引き上げたのはこの少女ということになる。
自分よりも小柄な少女がそのような芸当ができるとは思えない。いや、それ以前にこの少女はいったい誰なのだろうか。
そんなたくさんの疑問が渦巻く汐を見透かしたように、少女は『真菰』と名乗りにっこり笑った。
真菰は不思議な少女だった。汐の呼吸の粗を指摘してくれたり、時折いろいろなことを話してくれた。しかし彼女自身がどこから来たのか、どうして自分にこのようなことをしてくれるのか。それには一切答えてはくれなかった。
ただ、真菰のほかにも錆兎という少年やほかの子供たちもいることを教えてくれた。
『私たち、鱗滝さんが大好きなんだ』
というのが、真菰の口癖のようでよく口にしていた。それを聞いた汐は、きっと鱗滝さんの身内なんだろうと、その時は深く考えはしなかった。
真菰曰く、汐は呼吸は使えているけれどその力をきちんと引き出せていないとのことだった。どのくらいかというと、なんと半分にも満たないという。
落ち込む汐に、真菰はある提案をしてきた。それは
真菰の面を叩き落すことができたら、その方法を教えるということだった。
汐はたじろいだ。自分が持っているのは真剣で、彼女は丸腰だ。そんな相手に刀を振るうなんて真似はできなかった。
だけど力は引き出したい。前に進みたい。
その意思が汐の足を動かした。
だが、真菰の動きは汐が思っていたものとは全く違っていた。まず動きが速すぎて、面を落とすどころか触れることすらできない。
まるで木霊のように縦横無尽に動き回る彼女に、汐は完全に翻弄されていた。
その日は真菰を追いかけるだけで終わってしまったが、それでも何かをつかめそうな気がして汐の胸にはわずかに希望が見えた。
それからの間。汐は真菰を追いかけ続けた。全身がちぎれそうなほどの苦しみの中、ひたすら彼女を追いかけた。
何度も吐き、何度もくじけそうになった。それでも彼女があきらめなかったのは、亡くなった養父と村のみんなを思ったから。
そして、今もどこかで頑張っているであろう彼を思ったからだ。
彼女が来ないときは代わりに錆兎がその役目を務めた。といっても、彼は真菰とは違い、文字通り打ち込んできた。
そして士気が下がっている汐に、ひたすら発破をかけ続けた。
(さすがに男と言われたときは汐も激怒したが)
しかしそれでも、真菰の面を落とすことはできなかった。
――半年、経つまでは
その日。真菰はいつも以上にうれしそうに笑っていた。ようやく自分が見たかったものが見られたような、そんな顔。
「行くよ、真菰。今日こそあんたに勝つ!」
汐は大きく息を吸った。低い音が響く。それは、初めて呼吸を使った時とは比べ物にならない程精錬された音になっていた。
そして勝負は一瞬で着いた。
真菰が動く前に、汐の刀が彼女面を捉え遥か彼方に吹き飛ばしていた。
ぐらりと傾く真菰の体を、汐の右腕がとっさに支える。すると、真菰の目には涙がこぼれそうなほどたまっていた。
それはまるで、愛おしものを見るような、安心したような不思議な笑顔。
『頑張ってね、汐。勝って。アイツに・・・炭治郎と一緒に・・・』
真菰の口がその言葉をこぼしたとき、不意に一陣の風が吹いた。そして、気が付けば彼女の姿は消えていた。
そして面を切ったはずの汐の刀は
――滝を、割っていた。
割れた滝は依然と変わらぬ音で汐を迎えている。けれど、その時だけはまるで彼女を祝福してくれているかのようだった。
「汐」
声がして振り返ると、こちらに歩いてくる鱗滝と炭治郎の姿が目に入った。炭治郎は割れたたきを見るなり目を見開き、そして汐を二度見する。
かと思いきや、次の瞬間には零れ落ちそうなほどの笑みを浮かべた。
炭治郎の目を見て、彼も試練を乗り越えたことを悟った汐は、思わず彼の手を握る。そして喜びを分かち合った。
「汐、炭治郎。こちらに来なさい」
鱗滝に呼ばれて二人は彼の前に駆け寄る。
「まず一つ断らせてもらおう。お前達を最終選別に行かせるつもりはなかった。もう子供が死ぬのを見たくなかった。お前達にはあの試練を乗り越えることはできないと思っていたのに・・・」
――よく、頑張った
――炭治郎、汐。お前たちは、すごい子た・・・
その言葉を聞いた瞬間、二人の両目から涙が零れ落ちる。そしてまるで本当の姉弟のように、二人は彼にすがって泣き続けた。
「最終選別、二人とも必ず生きて戻れ。儂も禰豆子も、ここで待っている」
* * * * *
その夜。鱗滝は二人のために特別に豪華な食事を用意してくれた。選別に向けて少しでも体力をつけろと、彼が腕によりをかけて作ったものだ。
その日ばかりは二人とも夢中で箸を動かした。特に汐に至っては、なんと炭治郎よりもお代わりをしたほどだ。
そして汐が寝ようと布団に入った時、ふと、炭治郎が自分を呼ぶ声がした。
「汐、少し話がしたいんだ。いいかな?」
いつもと違う彼の声色に、少し不安を感じながらも汐はそれに応じる。
二人が外に出ると、月は雲に隠れたまま光を放っていた。あの日、汐が本音を炭治郎にぶつけた夜と、少しだけ似ていた。
炭治郎の隣に、汐は足を運ぶ。すると、炭治郎は急に汐に向かって頭を下げた。
「ごめん、汐」
「・・・はい?」
そしていきなり謝罪され、彼女は困惑する。そんな彼女にかまうことなく、炭治郎はつづけた。
「禰豆子のこと、ずっと気にかけてくれたんだろ?ずっとお礼を言わなくちゃいけないと思ってたのに、修行のことで頭がいっぱいで、気づいたらこんなに時間がたってて・・・」
「なんだそんなこと。別にいいよ、気にしてないし。むしろ、謝るのはあたしのほうだよ。あんたには、本当にみっともないところを見せちゃったし」
そういって二人は顔を見合わせ、からからと笑う。二人の笑い声が、どこかで鳴いているフクロウの声と重なる。
「ううん、違うか。謝罪じゃなくてお礼だね。汐。禰豆子を気遣ってくれてありがとう」
「それはこっちのセリフ。あたしこそ、あたしを見失わせないでくれて、ありがとう」
そして二人はまた笑いあった。
「あ、そうだ。汐。前に君が歌っていた歌、もう一度聴かせてくれないか?」
「え?今から?」
「うん。あの歌、本当に本当に綺麗だったから。俺、もう一度聴きたいんだ」
曇りのない目で悲願され、汐は少し考えたがしぶしぶうなずいた。そして月に向かって、その口を開く。
― そらにとびかう みずしぶき
ゆらりゆれるは なみのあや
いそしぎないて よびかうは
よいのやみよに いさななく
ああうたえ ああふるえ
おもひつつむは みずのあわ ―
あの日には今は亡き者たちへ向けられた寂しさを孕んだ歌が、今は炭治郎をはじめ森のどこかにいる彼らに向かって歌われる。その歌は切なさのほかにも、僅かな希望を宿したものになっていた。
そんな歌を、炭治郎は目を閉じて耳を傾ける。心に染み渡る、優しい彼女の歌声。そして彼女の優しい匂い。
そんな二人の背中を、鱗滝はそっと見つめていた。
そしていよいよ最終選別の日。来ていた羽織は、汚れてやぶれてしまったため、炭治郎と汐は鱗滝から羽織を借りて身にまとった。
空を思わせるような水色に、雲の文様が描かれたものだ。
炭治郎は鱗滝に借りた日輪刀を左腰に差し、汐はこの時のために鱗滝が手入れをしておいた玄海の刀を右腰に差した。
おそろいの羽織に左右対称に差された刀。こうして並ぶと、まるで本当の家族のように見えた。
そして鱗滝は、二人にあるものを差し出した。
炭治郎には左上に日輪の文様が彫られた狐の面。そして汐には、右上に波の文様が彫られた狐の面であった。
鱗滝が言うのは、これは『厄除の面』といい災いから身を守ってくれる
その面を二人は刀と同じく左右対称につけた。
禰豆子に挨拶をしに行った炭治郎を待っている間、汐は空を見上げた。雲一つない真っ青な空。これから自分の人生をかけた日の空としては、これ以上は申し分ない。
(おやっさん、絹、庄吉おじさん、みんな・・・あたし、頑張るよ。必ず炭治郎と一緒に生き残って、みんなの無念を必ず晴らすからね)
そして戻ってきた炭治郎とともに、鱗滝に頭を下げる。
「「いってきます、鱗滝さん」」
二つの声が綺麗に重なり、そして互いにうなずくと二人は目的地へ向かって走り出す。
が、突如二人は足を止め鱗滝を振り返った。
「あ、そうだ。鱗滝さん!錆兎と真菰によろしく!!」
「あ、あたしも!二人には改めてお礼を言いに行くからって伝えて!」
その言葉を聞いた瞬間、鱗滝の体が強張る。そのことに二人は気づかないまま、走り去っていった。
「炭治郎、汐。何故、お前たちが・・・」
――
おまけCS
汐「やっと乗り越えられたー!まさか滝を斬れなんて無茶ぶりをされるとは思わなかった。」
炭「俺も岩を斬れって言われたときはどうなることかと思ったけれど、何とか達成できてよかった。錆兎と真菰には感謝しないとな」
汐「それなんだけど、錆兎って奴。真菰が来られないときに相手してもらったけど、あたしのこと男男って連呼するの!」
炭「ええ!?錆兎がそんなことを言ったのか!?」
汐「腹が立ったから一発入れたとき、耳元で大声で言ってやったのよ。『あたしは正真正銘女だ』って。そうしたら・・・」
炭「そ、そうしたら・・・?」
汐「一瞬固まった後、『女でもだ!』ってほぼやけくそになってた。それはそれでなんか腹立つ」
炭(・・・結局どうしてほしかったんだろうか)
この作品の肝はなんだとおもいますか?
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オリジナル戦闘
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炭治郎との仲(物理含む)
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仲間達との絆(物理含む)
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(下ネタを含む)寒いギャグ
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汐のツッコミ(という名の暴言)