翌朝。いつもより早く目が覚めた汐は、隣で幸せそうな顔をして眠る甘露寺を起こさないように起き上がり、隊服に着替えてそっと宿舎を抜け出した。
朝の散歩ついでに、昨日こっそり教えてもらった鉄火場のいる工房に向かうためだ。
基本的に里の中の移動は自由であり、温泉も入り放題だという至れり尽くせりな対応に、汐は少し戸惑いつつも嬉しく思った。
(里長さん達は任せてくれって言ってたけれど、やっぱりあたしは鉄火場さんに刀を打ってもらいたい。今までだってあの人の打った刀で戦って来れたんだもの。今更他の人に変えるなんて、あたしはごめんだわ)
汐は少し肌寒い秋の空気を感じながら、工房への道を進んだ。
この里は刀鍛冶師やその家族の住まう集落があり、殆どの鍛冶師が自分の工房を持ち、そこで皆鬼を倒すための日輪刀を打っているという。
鬼殺隊士にとって命を守るとともに、自分自身の魂といっても過言ではない日輪刀。
それを二度も壊してしまった事により、流石の汐も負い目を感じていた。
(鋼鐵塚さんが見つかれば鉄火場さんもやる気になるって里長さんは言ってたけど、鋼鐵塚さんを捜すのは無理だろうし、とりあえず鉄火場さんから話だけでも聞けないかな)
汐は、あちこちを見回しながら先へと進んだ。
あちこちに温泉があるせいなのか、硫黄の匂いが汐の鼻を掠めていき、少しだけ顔をしかめた。
狭霧山でも小さな温泉はあったため、その匂いの存在は知っていた汐だったが、それでもこの匂いはあまり好きになれなかった。
(あたしでさえこんな風なんだから、鼻が利く炭治郎はもっときついんじゃないかしら)
炭治郎の顔を思い出した瞬間、汐の胸が小さく音を立てた。
(そう言えば、あの日以来炭治郎と全然会ってないわ。任務で数日開けてたし、帰ってきてからすぐにここに来ちゃったし。あ、でも!あの時の事は完全にあいつが悪いから、あたしが謝る必要なんてないわよね)
炭治郎の汐にとって無神経すぎる発言に容赦ない制裁を加えたことを、汐は無理やり納得させながら歩いていると、教えられた場所へとやってきた。
そこには、粗末だがそこそこの大きさのある建物があった。
汐はすぐに戸の前に立つと、手の甲で数回叩いた。
「こんにちは~。鉄火場さん、いる?」
汐はそう声を掛けて少し待つが、戸の向こうからは何の音も声も聞こえなかった。
もう一度声を掛けてみるが結果は同じで、汐はがっくりと肩を落とした。
(まあ、そう簡単に会えるわけないとは思ってたけど、あたしって本当にこういう時の間が悪いのよね)
汐はため息をついて出直そうとしたとき、どこからか硫黄の匂いが漂い、水音が聞こえてきた。
(この辺にも温泉があるみたいね。せっかくだし、ちょっとだけ見て行こうかな)
汐はそのまま、光の差す林へ向かって足を進めた。
数分歩いた後、ふと人の気配を感じて汐は足を止めた。数十尺先からは温泉があるのか湯煙が上がり、そのそばに見知らぬ人影があった。
黒檀のような黒髪に、頬に大きな火傷の跡があった。胸にさらしを巻いていることから、女性であることがうかがえた。
(誰かしら、あの人。ここに住んでいるんだから、きっと里の関係者なのは間違いないわね)
汐はその女性に鉄火場の事を聞いてみようと、近づこうとしたその時だった。
女性は着替えた後、髪を整え傍にあった面を取り、その面を見た瞬間、汐の身体は石のように固まった。彼女が手にした面に見覚えがあったからだ。
(え・・・?あのお面、見覚えがある。いや、見覚えってどころじゃない。だってあれは、あのお面は・・・)
汐が知る限り、その面をつけた刀鍛冶は一人しかいない。その持ち主の名は、鉄火場焔。
何故その女性が鉄火場の面を持っているということを汐は理解できなかった。
汐は見てはいけないものを見てしまった気持ちになり、この場から立ち去ろうとしたその時だった。
つくづく運が悪いのか、汐は足元の石に躓き、転びはしなかったものの物音を立ててしまった。
その音は、前にいたその人物の耳にも届いた。
「誰だ!?」
その人物が発した声は、汐もいやというほど聞き覚えがあった。その声で、汐の目の前で泣かれた記憶が一気によみがえった。
「え・・・え?」
汐の青い瞳と、彼女の漆黒の瞳がぶつかり、しばしの間時が止まった。
「は・・・?う、汐・・・殿?」
困惑のあまり上ずった声を上げる鉄火場に、汐は顔を歪ませながら大声で叫んだ。
「鉄火場さんって女だったのぉぉぉおおおーーーーー!?」
そのあまりの大声に、木に止まっていた鳥たちは慌てて飛び立ち、鉄火場は慌てて汐の口を塞いだ。
「こ、声が大きいです!!」
口を塞がれ更に困惑する汐を、鉄火場は必死でなだめるのだった。
* * * * *
汐が落ち着きを取り戻した後、鉄火場は自分の工房へと案内した。
「粗茶で御座います」
「あ、はい。どうも」
二人はぎこちなく挨拶をかわすと、汐はおずおずと口を開いた。
「驚いたわ。まさか鉄火場さんが女の人だったなんて。声も男の人にしてはちょっとだけ高いなって思ったけれど・・・」
「私もまさか、汐殿がこの里に来ているとは思ってもみませんでした」
二人はそう言ってしばし黙り込み、汐もなんとか雰囲気を変えようと口を開こうとしたときだった。
「汐殿はどうしてここへ?」
「え?あ、えっと。鉄火場さんが落ち込んでるって里長さんから聞いて、鉄火場さんが打たない場合は他の人が刀を打つって言われて、でも、あたしは鉄火場さんに刀を打ってほしくて、それで・・・」
汐は、まだ衝撃が抜けきってないせいかしどろもどろになりながら答えると、鉄火場は俯きながら答えた。。
「ご心配をおかけしてすみません。ですが、残念ながらあなたの期待に応えることは難しいでしょう。今の私は刀鍛冶として失格な人間ですから・・・」
「鋼鐵塚さんがいないから?」
汐が鋼鐵塚の名を出すと、鉄火場は驚いたように顔を上げて汐を見た。
「長から聞いていましたか。恥ずかしながら、その通りです。自分がどれほど浅はかで稚拙な人間かがわかってしまい、とても鍛冶師としてやっていけるかどうか・・・」
「鋼鐵塚さんとは幼馴染だって聞いたけれど、それと何か関係が?」
汐の言葉に、鉄火場は言葉を切って小さくうなずいた。
「少し長くなりますが、聞いていただけますか?」
そう言って鉄火場は、徐に口を開いた。
鉄火場焔がこの里へ来たのは、生まれて間もない頃。生まれつき左半身に麻痺があり、心無い両親によってこの里に捨てられ、それを里長である鉄珍に拾われた。
彼女は普通の赤子よりもよく泣いたが、炎を見せると途端に泣き止んだため、【焔】と名を着けられた。
結局麻痺は数か月後に治り、彼女は妻を早くに亡くした鍛冶師、鉄火場仁鉄の養女として引き取られた。
それから鉄火場は、人を守るために刀を打つ養父にあこがれを抱き、自分も同じく誰かを守る刀を打つために刀鍛冶の道へと入った。
「しかし、その道は想像以上に苛酷な物でした。私の泣き虫な性格が災いし、周りの者は私が泣くせいで作った物はすぐに錆びて使えなくなると、何度も罵声を浴びせました。しかも、鍛冶師は男の仕事だということが根強く、女である私がその道に進むこと自体が異質だったのでしょう。いつしか私は、自分の性別を偽りながら、修行に明け暮れました」
鉄火場は驚いて固まる汐を見据えながら、そう言った。
「でもそんな状態でうまくいくはずもなく、私はやはり自分には才能など無いのだと諦めを抱き始めていた、その時でした」
まだ幼い鉄火場が、修行の厳しさに家の外で涙を流していた時。彼女の前に一人の見知らぬ青年が現れた。
ひょっとこの面をつけた、18歳ほどの青年だった。
『うるせえよ、ピーピーと。作業の邪魔をするんじゃねえ』
青年はぶっきらぼうにそう言うと、鉄火場が打ったであろう小さな小刀を見て言った。
『それ、お前が打ったのか?』
『え?う、うん』
『全然だめだな。厚さも刃紋もバラバラ。てんでなってねえ。いくら俺でも、それぐらいはわかる。まず火加減自体がおかしいんだ』
青年は鉄火場の作品を悉く貶すが、鉄火場はあることに気が付いた。
自分の何処が駄目なのか、何が悪いのかを、彼は指摘しているように思えた。
実際に彼の言う通りにやってみると、驚くほど品質が向上したのだ。
それから鉄火場は彼の所に時々訪れ、自分の打ったものを見せたり、逆に彼が鉄火場の元へ自分の作った物を自慢しに来たりと、はたから見れば奇妙な間柄になっていた。
彼の性格は破綻しているものの、刀鍛冶師としての誇りと腕前に、鉄火場はあこがれを抱き、それがいつしか彼に負けたくないと思うようになった。
その結果、鉄火場は刀鍛冶師として成長することができたのだった。
その青年の名は、鋼鐵塚蛍と言った。
「ですから、今の私があるのはほた・・・鋼鐵塚のお陰なんです。もっとも、あの性格は目に余りますが、奴がいなくなったと聞いたとたん、私の気持ちは嘘のように沈んでいきました。それで気づいたのです。私は、鋼鐵塚がいなければ刀をまともに打つことすらできない、腰抜けだと」
鉄火場はそう言って膝の上で握りこぶしを作り、身体を震わせた。汐は何も言うことができず、ただ彼女を見つめるだけだった。
「このような刀鍛冶師の風上にも置けない人間が、人を、貴女を守る刀など打てるはずがない。だから、大変申し訳ないのですが・・・」
「ねえ、話の腰を折る様で悪いんだけどさ。鉄火場さんってもしかして、鋼鐵塚さんの事が好きなの?」
汐のとんでもない爆弾発言に、鉄火場は飛び上がってひっくり返ってしまった。
「は、はあ!?私が、鋼鐵塚を、好き!?そ、そんなことあるわけないじゃないですか!!」
「いや、だって今の話を聞く限り、好きな人がいなくなってやる気が出ませんっていう風にしか感じなかったけど」
「ありえません!だって、だって私はあいつに・・・でも、その、あれ?」
鉄火場は必死に否定の言葉を探すが、言葉の代わりに彼女の耳がこれ以上ない程真っ赤になった。
それを見た汐は、図星だと気づくと同時に、彼女もかなり変わり者だということを察知した。
「た、例えそうだとしても、そのような世迷言に現を抜かしている時点で、私は刀鍛冶として失格です。職人に私情は必要ない。それすら今の今まで気づかなかった時点でならなかったことなのです。大変申し訳ないのですが、私はもう刀鍛冶として槌を取るわけには・・・」
「・・・ふざけんじゃねーわよ」
鉄火場の言葉を遮り、汐はそう言って立ち上がった。
「さっきから聞いてりゃ、自分は刀鍛冶師失格だとか、才能がないだとか、そんなことばっかり。あんたが刀鍛冶師失格だって誰が言ったの?里長さんや里の人、鋼鐵塚さんが一言でもそんなこと言ってたの!?全部あんたが勝手に思い込んで、勝手に落ち込んでるだけじゃない。目の前の事も見えない職人なんて、ちゃんちゃらおかしいわ」
汐は目を剥きながら、機関銃のように言葉を鉄火場にぶつけた。
「あたしは今まで、あんたが打った刀で戦って、今日まで生き残ってこれた。誰が何と言おうと、これだけは事実。だからあたしは、あんた以外に刀を打ってほしくない。同じ女として頑張っているあんたに、刀を打ってもらいたい。あんたが何を思っていようが、あたしには何の関係もないことだから」
汐は思いのたけを全て鉄火場にぶつけると、そのまま戸へと向かった。
「今日は帰るわ。勝手にお邪魔しちゃってあんなこと言うのもあれだけど、これは嘘偽りない、今のあたしの本当の気持ちよ」
汐はそれだけを言うと工房を後にし、残された鉄火場はしばらく呆然としていたが、大きく深呼吸をした。
(誰かに言われるまで気づかない、私の一番の悪い癖だ。私はずっと忘れていた。私が刀鍛冶の道を歩むと決めた、本当の決意を)
――人を守るための、刀を打ちたい。
「すみません、師匠、汐殿、蛍。私は・・・私は・・・」
鉄火場はもう一度大きく深呼吸をすると、意を決したように外へと出るのだった。
* * * * *
鉄火場の工房から帰った後、汐は甘露寺から何処へ行っていたのかと頬を膨らませながら問い詰められた。
汐は鉄火場の事を話そうかと思ったが、むやみやたらに話すべき内容ではないと思ったのと、どっと疲れてしまった事もあり、曖昧な返事をして、だいぶ時間は経っていたが昼餉を食べに向かった。
昼餉の後、汐は疲れを癒すために一人露天風呂に浸かっていた。木々に囲まれた、自然に満ちた温泉だ。甘露寺は一緒に入りたがったのだが、里長の使いの者に呼ばれて行ってしまったのだった。
(は~あ。勢いであんなこと言っちゃったけど、人の心なんてそう簡単に変わるはずないし、あたし無神経だったな)
鉄火場を励ますつもりが逆に叱りつけてしまい、ますます落ち込ませてしまったかもしれないと汐は思った。
この数時間でいろいろなことが置きすぎて、汐は混乱する頭を落ち着かせようと曇った空を見上げた。
鉄火場焔が女性であったこと。自分と同じ、捨て子で養父に育てられたこと。泣き虫な性格と、色眼鏡で見られて苦しんでいた事。そして、鋼鐵塚との思わぬ関係などを、汐は考えていた。
(でも、あたしは鉄火場さん以外に刀を打ってほしくない。何故かはわからないけれど、あの人じゃなきゃ駄目だって思えてしょうがない。これだけは、何があっても絶対に変わらないわ)
そう思っていた時、ふと、汐は一つのあることを思い出した。
(そう言えば、鉄火場さんの師匠っておやっさんの刀を打った人だったよね。もしかしてあたしが鉄火場さんに刀を打ってもらいたいのって、それもあるのかな?あーっ、どうせならそのことも言っておけばよかった!あたしってつくづく、間が悪いわ)
汐は頭を抱えながら、もやもやした行き場のない気持ちをどうしようかと思っていた時、背後で人の気配がした。
汐は甘露寺が戻って来たと思い、振り返った瞬間。
汐の身体は再び石のように固まった。
そこにいたのは、湯煙に赤みがかかった髪を靡かせ、下半身に手ぬぐいを巻いた見覚えのありすぎる少年。
――竈門炭治郎だった。
「「あ」」
二人が同時に間抜けな声を上げる中、禰豆子は一人嬉しそうに汐の元へ飛び込んでくるのだった。
大正コソコソ噂話
鉄火場の風鈴は鋼鐵塚リスペクトではなく、師匠の仁鉄が暇つぶしに作った風鈴がえらく気に入ったためいつもならして持ち歩いていたためです。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神