「あら、玄弥じゃない!」
立ち上がった汐は、玄弥の顔を見るなり驚いたように声を上げた。
玄弥も汐の顔を見た途端、瞬時に顔を引き攣らせた。
「お、お前。い、いや、あんたは・・・!大海原・・・、さん」
玄弥は何故か汐を敬称で呼んだため、汐は思わずずっこけそうになってしまった。
「なんで他人行儀なの、汐でいいわよ。同期だし、知らない仲じゃないでしょ?」
「え、いや、だって」
玄弥は顔を赤らめながら目を逸らし、汐は怪訝そうな顔で見つめた。だが、自分の本来の目的を思い出すと、途端に顔を青くさせた。
「あ、そうだ!あんたこの辺で、赤い鉢巻を見なかった?」
「赤い鉢巻?いや、見てねえけど・・・」
「そう。じゃあこのあたりじゃなかったのかしら。ああもう!こんなことならちゃんと場所を把握しておくんだったわ!!」
汐のあまりの慌てように、流石の玄弥も気になったのか尋ねた。
「そんなに大事な物なのか?」
「そうよ!あれはあたしの父親の形見なの。だから早く見つけないと!」
汐の【父親】という言葉に玄弥は一瞬表情を歪ませたが、小さく舌打ちをするともう一度訪ねた。
「本当にここで間違いねぇのか?」
「多分、そうだと思う。この辺の温泉、似たような所ばっかりで区別が難しいから」
「なんだよそれ。それじゃあ探しようがねえだろ」
玄弥が呆れたように言うと、汐は驚いたように顔を上げた。
「えっ、一緒に探してくれるの?」
「かっ、勘違いすんじゃねえよ!あんたに騒がれると、いろいろ面倒なだけだ」
玄弥はぶっきらぼうに言いながら汐から目を逸らし、温泉の奥の方に歩きだした。
そんな彼の思わぬ行動に、汐は呆然としながらも慌てて反対側から探し始めた。
汐の鉢巻きを探しながら、玄弥はいつもの自分なら考えられない行動に混乱していた。
自分にはやるべきことがあるため、余計な時間を使っている暇などない。そう思っていたはずなのに、本当に困っているような汐を放っておくことはできなかった。
(ん?)
温泉の裏側に回った玄弥は、岩の隙間に何かが挟まっていることに気づいた。よく見てみれば、それは鮮やかに目を引く真っ赤な鉢巻だった。
「これか!」
玄弥はその鉢巻きを岩の間から外すと、大声で汐を呼んだ。
「おい、大海原!これじゃねえか!?」
汐は玄弥の声を聞きつけると、転がるようにその場所へと走った。そして、彼の手に握られている鉢巻きを見るなり叫んだ。
「あったああああーーーー!!!」
汐は玄弥の手から鉢巻きをひったくると、抱きしめるようにしてしゃがみ込んだ。
「よかった、よかったぁ、あったぁ・・・」
余程嬉しかったのか汐の身体は小刻みに震えており、玄弥は少し安心したように表情を緩めたが、瞬時に険しい顔になり汐を怒鳴りつけた。
「んな大事なもんだったら忘れんじゃねぇよ!あんたのせいで余計な時間を取っちまったじゃねえか!」
玄弥はそう言った瞬間、ハッとして口を押えた。以前、汐と悲鳴嶼邸で再開した時、手ひどい一撃を喰らってしまった事があった。
しかし発してしまった言葉は取り返しがつかず、玄弥は一歩汐から距離を取った。
だが、汐は蹲ったまま玄弥の方を向かずに、呟くように言った。
「そう、そうよね。大事なものなのに忘れるなんて、注意散漫だったわ」
汐はそう言って立ち上がると、玄弥に向かい合って頭を下げた。
「ごめんね、あたしのせいで時間を取らせちゃって。それと、一緒に探してくれてありがとう」
にっこりと笑って顔を上げる汐に、玄弥は面食らい、同時に心臓が大きく音を立てた。
暫くして落ち着きを取り戻した汐は、玄弥の髪形を見て先ほどの事を思い出した。
「もしかして、みっちゃん、あたしの師範を無視したのってあんた?」
「は?師範?」
「ほら、緑と桃色の髪を三つ編みにしてて、凶悪な物ぶら下げてる女の人。会ってない?」
汐の言葉に、玄弥は先ほどの事を思い出したのか顔が瞬時に真っ赤になり、それに気づくも汐は口を開いた。
「やっぱりそうなのね。みっちゃん、あんたに無視されたって言って泣いてたわよ?あんなんでも一応柱だし、無視するのはよくないと思うな」
「ばっ、む、無視したわけじゃねえよ!ただ、その、き、緊張しちまって・・・」
「緊張?あんたが?なんで・・・、あっ!!」
真っ赤な玄弥を見て、汐は瞬時に察した。
「あー・・・、確かにあの人、結構破廉恥な格好してるからなぁ。それに、結構かわいいし」
甘露寺の容姿を思い出し、汐は納得したようにうなずいた。玄弥は、甘露寺のあまりの可憐さに、緊張して喋れなかったのだ。
「あー・・・、その、あの人、そんなに泣いてたのか?」
「うん。鼓膜が破れるかとおもったわ。みっちゃんは一度泣き出すと、何かきっかけがないと泣き止まないし」
「そ、そうか。悪いことしちまったな・・・」
玄弥はバツの悪そうな顔でつぶやくと、意を決したように汐と向き合った。
「あの、その、大海原。その人に伝えてくれねえか?悪かったって・・・」
「は?ふざけんじゃねーよ。男なら
先程の雰囲気をぶち壊すような汐の冷徹な声に、玄弥の表情が強張った。
「って、こんなことしてる場合じゃなかった。あたし友達待たせてるんだった!ごめん、あたしもう行くね!」
「はっ!?お、おい!ちょっと待て!」
「鉢巻き探してくれてありがとうね!この御礼はいつか必ずするわ!!じゃあね!!」
汐は玄弥に手を振りながら、足早に立ち去っていった。そんな汐の背中を、玄弥は呆然と見つめていた。
そして、自分の意思に反してうるさくなり続ける心臓に、戸惑いを覚えるのだった。
* * * * *
汐が宿舎に戻ると既に食事は始まっており、甘露寺の周りにはどんぶりの山がいくつもできていた。
それを炭治郎は呆然と眺め、禰豆子はちゃぶ台の下に転がって遊んでいた。
「あら、しおちゃん!鉢巻きはあったのね!よかったわ」
食べ終わったどんぶりを置きながら、甘露寺は嬉しそうに笑った。
「ただいま、みっちゃん。あれ?今日はいつもより少ないんじゃない?」
「そうなの。運動した後はもっとお腹が空くんだけれど、今日はのんびりしていたせいかしら」
「そう。でもあんまり食べ過ぎないでよ。って、みっちゃんにはいらん世話か」
そう言って笑う汐と笑い返す甘露寺を見て、炭治郎は二人が本当に仲がいいんだということを知った。
だが、炭治郎は、汐から別な匂いがすることを感知した。
(あれ?でもこの匂い、どこかで)
「汐、誰かと会ってたのか?」
炭治郎が尋ねると、汐は思い出したように言った。
「そうなの!さっき鉢巻きを探しに行ったら、玄弥と会ったのよ。ほら、不死川玄弥。最終選別の時にいた、女の子殴ってあんたに腕折られた奴」
「ああ、あの時の!ここにいたのか。ん?でも何で、汐が名前を知っているんだ?」
「前に用事で悲鳴嶼さんの所に行った時に会ったのよ。今はあの人の弟子なんだって。あたしの鉢巻きを一緒になって探してくれたのよ。目つきは悪いけど、思ったよりもいい奴みたい」
そう言って汐は、鉢巻きを触りながら嬉しそうに笑い、それを見た炭治郎は、胸に奇妙な感覚を感じた。
(あれ?なんだ今の・・・?)
胸の中に靄がかかったような感覚に、炭治郎は思わず胸元を抑えた。
「炭治郎?どうかした?」
「い、いや、何でもない」
何故かその気持ちを汐に知られたくないと思った炭治郎は、慌てたように目を逸らした。
汐の分の夕餉も用意され、それに箸をつけながら汐は思い出したように言った。
「あ、そうだ。みっちゃんを無視したって奴、そいつよ。でも、無視したわけじゃなくて、緊張して喋れなかっただけみたい」
「緊張?どうして?」
「どうしてって、そりゃあ・・・、鏡見て見りゃわかると思うけど」
呆れる汐に、甘露寺はきょとんとした表情で見つめていた。
「あれ?しおちゃん、さっきその子の名前、不死川って言わなかった?」
「え、言ったけど・・・、って不死川ってもしかして!」
汐の頭にある人物の顔が思い浮かび、途端に顔を歪ませた。
思い出したのは、風柱の役職に就く男、不死川実弥。かつて禰豆子を傷つけ、汐に殴られ殺められそうになった相手であった。
それ以来、汐は彼とは犬猿の仲であり、思い出すことさえも嫌がっていた。
「もしかしてあいつ、オコゼ野郎の・・・。言われてみれば、目元がちょっと似ていたかも。でも、あいつと違って、殺意みたいなものは感じなかったけどな」
「多分弟さんだと思う。でも、前に不死川さん、弟なんていないって言ってたのよ。仲悪いのかしら、切ないわね」
そういう甘露寺の"目"には、悲しさと切なさが宿り、それを見た炭治郎も切なそうな顔をした。
「そうなんですか、どうしてだろう」
「私の家は五人姉弟だけど仲良しだからよくわからなくて、不死川兄弟怖って思ったわ~~」
禰豆子をくすぐりながら、甘露寺は朗らかな笑顔で言った。
「そう言えば、もう食事の時間は始まってるのに、玄弥の奴来ないわね」
「どうしたんだろうな。もしかして温泉で逆上せてるとか」
「あんたじゃあるまいし」
炭治郎に汐がすかさず突っ込み、炭治郎は言葉を詰まらせた。
「多分来ないかもしれないわ。里の人が言ってたけれど、全然食事をしないそうなの。何か持ってきてたのかしら?」
「そうなのね。見た目は結構がっしりしてたのに、意外と小食なのかしら?」
汐と甘露寺は首をひねるも、答えの見えない疑問に考えることをやめた。
「じゃああたしが頃合いを見計らって、何か持って行ってあげようかな」
汐が何気なくそう呟いたとき、突然炭治郎が身を乗り出して叫んだ。
「いい!それは俺がやるから」
「え?ちょっと、どうしたの炭治郎?そんな"目"をして・・・」
炭治郎の"目"には、得も言われぬ感情が宿っていて、汐は思わず息をのんだ。
「え?あ、いや、何でもない。汐は食事を始めるのが遅かったんだから、ゆっくり食べていてくれ」
「???」
炭治郎の言葉に、汐は怪訝な表情で首を傾げ、甘露寺はその微妙な雰囲気を心配そうな顔で見ていた。
* * * * *
それから数日後。汐と炭治郎は微妙な雰囲気を漂わせたまま、以前よりは一緒に行動することが少なくなった。
それに甘露寺は心配そうに見守るものの、幸か不幸か彼女の刀の手入れが間もなく終わることを、隠から告げられた。
「あら~、もうそろそろ行かなきゃいけないのね」
「あ、そうか。あたしと違って、みっちゃんは手入れだけだったもんね。見送るわ」
「いいのいいの。多分深夜に経つから、しおちゃんは刀ができるまで、のんびり待ってて」
「そうはいっても、みっちゃんが戦いに行くのに、あたしだけ羽を伸ばすわけには・・・」
少し残念そうに俯く汐に、甘露寺は両手で汐の頬をつまみながら言った。
「もうそんな顔をしないの。せっかく炭治郎君とも会えたんだから、笑っていないと」
「ちょっ、あたしは、その・・・!」
炭治郎の名を出しただけでしどろもどろになる汐に、甘露寺はこれ以上ない程愛しさを感じた。
「あれ?甘露寺さんと、汐?」
後ろから声が聞こえて振り返ると、おにぎりを乗せたお盆を持った炭治郎と、その隣に禰豆子が立っていた。
「あ、炭治郎。あのね、みっちゃんの刀の手入れが終わったから、深夜に経つんですって」
「え?そうなんですか。残念だなぁ」
炭治郎も汐と同じように眉根を下げ、残念そうな顔をした。そんな二人を見て、甘露寺は少し寂し気に微笑んだ後、そっと口を開いた。
「しおちゃん、炭治郎君。よく聞いて。私達は命を懸ける仕事をしているから、また生きて会えるかどうかなんてわからないけれど、がんばりましょう。あなたたちは上弦の鬼と戦って生き残った。これは凄い経験よ。実際に体感して得たものは、これ以上ない程価値がある。五年分、十年分の修行に匹敵する。今の炭治郎君たちは、前よりももっと強くなってる」
そう言って甘露寺は、しゃがんで禰豆子の頭を優しくなでた。しかし、その顔は、柱らしい威厳に満ちたものだった。
「みっちゃん・・・、あんた本当に柱だったんだね・・・」
「この雰囲気でそんなことを言う!?しおちゃんお願いだから、ちょっとは空気読んで!」
「あー、ごめんごめん。失言だったわね」
再び顔を崩しながら怒鳴る甘露寺に、汐は慌てて謝った。
「まあともかく、私、甘露寺蜜璃は竈門兄妹を応援してるよ!もちろん、大切なしおちゃんもね」
「ありがとうございます、甘露寺さん。でもまだまだです俺は。宇髄さんに“勝たせてもらった”だけですから。もっともっと頑張ります、鬼舞辻無惨に勝つために!」
「そうね。あの人がいなかったら、あたし達はとっくに死んでたわ。あたしもみっちゃんの弟子として、あいつをぶちのめすためにがんばるわね!」
二人の力強い言葉に、甘露寺の胸は激しく音を立てた。
「しおちゃんと炭治郎君は長く滞在する許可が出てるのよね?」
「え、はい」
何故かもじもじと身体をよじりながら、甘露寺は恥ずかしそうに顔を赤らめながら言うと、炭治郎にこっそりと耳打ちした。
「この里には、強くなるための秘密の武器があるらしいの、探してみてね」
それから汐の元に移動すると、炭治郎と同じように耳打ちした。
「しおちゃん、頑張ってね。炭治郎君ともっともっと仲良くなれる好機よ」
固まる汐をしり目に、甘露寺は大きく手を振りながら去って行った。
「まったくもう、みっちゃんたら、いきなり何を言い出すのかしら。ねえ炭治郎?」
赤くなる顔を隠しながら炭治郎の方を振り向くと、炭治郎はしばらく呆然としていたが、突然お盆を持った両手を上げた。
その瞬間、彼の鼻から鮮血が吹き出した。
それを見た禰豆子は、目を大きく見開き、慌てて駆け寄った。
「だ、大丈夫だ禰豆子。ちょっと驚いただけだ。決して、変な事を考えたわけじゃなく・・・」
炭治郎がそう言った瞬間、背後に凄まじい殺気を感じて思わず姿勢を固くした。
恐る恐る振り返ってみれば、全身から殺意を滲みださせながらたたずむ、汐の姿があった。
「う、汐・・・、さん?」
思わず敬称で呼んでしまうほどのただならぬ気配に、炭治郎は今度こそ自分の命が終わるかもしれないと覚悟した。
しかし汐は、握りしめた拳を突然壁に打ち付けると、にっこりと笑顔を炭治郎に向けて言った。
「何?どうしたのそんな顔して。大丈夫よ。むやみやたらに、人を殴ったりはしないから」
そういう汐だが、それがかえって炭治郎を怯えさせ、彼は微かに土ぼこりが上がる壁にめり込んだ拳を呆然と見つめていた。
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神