炭治郎の驚くほど低い声は、汐の鼓膜と脳を震わせた。
後ろを向いているため表情は伺えないが、微かに震えている肩はその怒りの強さを物語っていた。
炭治郎が怒りを露にすることは滅多にないが、汐はこれまで何度か、その滅多にないことを目の当たりにしていた。
「人を、ましてや女の子を殴るなんて、一体どういうつもりなんだ!!」
炭治郎は怒りを破裂させるように、大声で無一郎に詰め寄った。その言葉を聞いた汐は、炭治郎が自分を女の子扱いしてくれていることに嬉しさとこそばゆさを感じた。
「本当に女だったんだ。男にしか見えなかったよ」
無一郎はそんな炭治郎と汐を交互に見ると、さも当たり前だというように言った。
それを聞いた炭治郎は、再び怒りを宿しながら掴んでいた右手に力を込めた。
「ねえ、いつまで掴んでるの?邪魔なんだけど」
だが、無一郎は小さくため息を吐くと、先ほど汐にしたように肘を炭治郎の鳩尾に叩き込んだ。
「炭治郎!!」
「っ・・・!!」
汐はすぐさま炭治郎の元に駆け寄った。だが、汐と異なり炭治郎はそのまま踏みとどまり、顔を上げて無一郎を睨みつけた。
「へぇ・・・、倒れないんだ」
無一郎は少し驚いたように目を見開くが、炭治郎は苦痛に顔を歪ませたまま答えた。
「汐に殴られることに比べれば、これくらいなんてこともない」
「は?」
その言葉を聞いて、汐は顔を歪ませながら炭治郎を睨みつけた。
無一郎は意味が分からないと言った表情で二人を見ていたが、ふと炭治郎の背負っている箱を見て首を傾げた。
「ん?その箱、変な感じがする」
おかしな二人のせいで先ほどは気にならなかったのだが、その箱からは微かに鬼の気配がするのを無一郎は感じた。
「鬼の気配かな?何が入ってるの、それ・・・」
無一郎が手を伸ばした瞬間、炭治郎は、「触るな」と鋭く言ってその手を払いのけた。
その隙を突き、汐は反対側の手に掴まれていた少年を救出した。
「あんた大丈夫?しっかりして!」
汐はせき込む少年の背中をさすり、無一郎は彼を取られたことを認識して目を瞬かせた。
「は、はなせよ!」
だが、少年は汐を突き飛ばすように離れると、震える声でそう言った。
「無理に動かないの。あんた膝が震えているわよ?」
「あっちいけー!!」
汐を拒絶しながらも、少年は無一郎を睨みつけながら言った。
「だ、だっ、誰にも鍵は渡さない。拷問されたって絶対に」
既に身体は震え、立っているのもやっとのはずなのに、少年は絞り出すように言った。
「"あれ"はもう次で壊れる!!」
「拷問の訓練、受けてるの?」
それに対して無一郎は、淡々と言葉を紡いだ。
「大人だって耐えられないのに、君は無理だよ。度を越えて頭が悪いみたいだね」
無一郎は無機質な"目"を少年に向けながら、さも当たり前と言ったように言った。
「壊れるから何?また作ったら?君がそうやってくだらないことをぐだぐだ言ってる間に、何人死ぬと思ってるわけ?」
その言葉には情けなど一切ない、純粋且つ冷徹さが滲んでいた。
「柱の邪魔をするっていうのはそういうことだよ」
汐と炭治郎は目を見開き、表情を固まらせたまま無一郎を見た。
「柱の時間と君たちの時間は、全く価値が違う。少し考えればわかるよね?刀鍛冶は戦えない。人の命を救えない。武器を作るしか能がないから」
氷のような言葉が少年を穿つが、無一郎はそれに気づくこともなく左手を差し出した。
「ほら、鍵」
小刻みに震える少年を見て、汐は頑張っている鉄火場を思い出し、かっとなって無一郎に向かって拳を振り上げた。
だが、それよりも先に炭治郎の右手が、無一郎の左手をひっぱたいた。
これには汐だけでなく、少年も驚いて身を震わせ、無一郎はきょとんとした顔で炭治郎を見つめた。
「何してるの?」
「こう・・・何かこう・・・すごく嫌!!」
炭治郎は一呼吸入れた後、両手をわきわきと動かしながら声を荒げた。
「何だろう、配慮かなあ?配慮が欠けていて、残酷です!!」
「この程度が残酷?君・・・」
「正しいです!!あなたの言っていることは、概ね正しいんだろうけど、間違ってないんだろうけど・・・」
無一郎は首を傾げながら炭治郎を見据えると、炭治郎はさらにまくし立てた。
「刀鍛冶は重要で大事な仕事です。剣士とは別の、凄い技術を持った人たちだ。だって刀を打ってもらわなかったら俺たち、何もできないですよね?」
炭治郎はしっかりと無一郎を見据えながら、拳を握りしめて言った。
それを見た汐も、怒りを抑えながらも冷静に言い返す。
「そうね。あんたさっき、刀鍛冶師は戦えないなんてほざいてたけど、土俵は違えど命を守る刀を作るために、あらゆる苦行に血反吐吐きながら戦っているわ。戦ってんのはあたし達だけじゃない。柱だろうがそうじゃなかろうが、関係ないわよ」
汐の静かな声に、無一郎の眉根が微かに動いた。
「汐の言う通りです。剣士と刀鍛冶は、お互いがお互いを必要としています。戦っているのはどちらも同じです!」
二人の心からの主張は、目の前の無一郎だけでなく、背後の木の影に隠れていたある男の耳にも届いていた。
「俺たちは、それぞれの場所で日々戦って――「悪いけど」
しかし無一郎は、そんな炭治郎の言葉を冷徹に遮ると、淡々と言い放った。
「くだらない話につきあってる暇、ないんだよね」
そう言うなり、無一郎は炭治郎の首筋に容赦ない手刀を叩き込んだ。
「炭治郎!!」
ぐらりと傾く炭治郎の身体を、汐は咄嗟に受け止めた。箱がガタリと音を立て、中にいるだろう禰豆子の微かなうめき声が聞こえた。
無一郎はそんな二人に目もくれず、震える少年に向かって鍵を出すように強要した。
少年は汐と炭治郎を見ると、渋々と言った様子で鍵を渡した。
無一郎は鍵を受け取ると、そのまま何事もなかったかのように背を向けると歩きだした。
「一つだけ言っておく」
去ろうとする無一郎の背中に、汐は静かな声で言った。
「何?いい加減しつこいんだけど・・・」
「刀鍛冶師は鬼と戦う力は無くても、その存在は
汐の言葉に、無一郎は思わず足を止め目を見開いた。思わず振り返って汐の姿を見るが、汐は倒れた炭治郎の介抱に手一杯らしく、無一郎の視線に気づかなかった。
(何だ?今の感じ・・・)
しかしその違和感は瞬時に消え、無一郎は再び首を傾げるとそのまま何処へと去って行った。
「とにかく、炭治郎をこのままにはしておけないわ。あんた、ちょっと手伝って。この水筒に水を汲んできてほしいの」
汐の言葉に少年は「わ、わかりました!」といい、水筒を受け取ると走り去っていった。
汐は気を失った炭治郎の背中から箱を下ろし、羽織を脱ぐと自分の膝に掛け、炭治郎の頭をその上に乗せた。
すると
「・・・水ならここにある」
背後から別の声が聞こえ、汐は思わず飛び上がりそうになった。
そこには見覚えのあるひょっとこの面をつけた、一人の男が立っていた。
「あんた・・・鋼鐵塚さん!?」
「しーっ、こいつが起きちまうだろうが!」
「いや起きて欲しいんだけど・・・、っていうかあんた、今までどこほっつき歩いてたのよ!」
汐の問いに鋼鐵塚は答えず、汐から手ぬぐいを奪い取ると、持ってた水筒の水をかけて汐に渡した。
汐はそれをそっと、炭治郎の額に乗せると、炭治郎は小さくうめいた。
「で、あんたはこんなところで何をやってたの?聞けば炭治郎の刀を打ってないって話じゃない。里長さんも他の連中も、あんたを血眼になって捜してたわよ?」
「・・・・」
「それと、あんまり鉄火場さんを心配させないでよ。あの人、あんたがいなくなったって聞いて、尋常じゃないくらい落ち込んでたのよ?」
「はあ?焔が?なんで・・・」
鉄火場の名を出した途端、鋼鐵塚は明らかに動揺したように身体を震わせた。それどころか、鉄火場の下の名前を呼んでいることに気づく様子もなく。
すると炭治郎の瞼がぴくぴくと動きだし、起きる兆候を見せ始めていた。
「瞼がピクピクしだした!!コイツ起きる!!」
鋼鐵塚は早口でそういうと、汐に向かって顔を近づけながら言った。
「俺がここにいたことは誰にも言うんじゃねえぞ!じゃあな!!」
鋼鐵塚はそれだけを言うと、まるで風のように坂道を下っていった。
汐は呆然とその背中を見つめていたが、炭治郎が小さくうめくと同時に視線を下に向けた。
すると炭治郎の目がぱっちりと瞬時に開き、汐の青い目と視線がぶつかった時だった。
「あれ・・・汐・・・?俺・・・はっ!!」
炭治郎はがばりと身体を急激に起こし、汐は慌てて背中を逸らした。
「ちょっと!急に起き上がってこないでよ!あんたの頭は凶器なんだから!!」
「あ、ごめん。いや、それよりもさっき、鋼鐵塚さんがここにいなかったか?」
炭治郎はあたりを見回しながらそういうと、汐は顔を引き攣らせながら無言のまま首を横に振った。
「そうか、気のせいか・・・」
普段なら匂いで人の嘘を見抜く炭治郎だが、今は温泉の匂いのせいかそれに気づくことはできなかった。
「あ、そうだ!さっきの柱の人は?それと、あのひょっとこの男の子もいないな」
「柱の奴はさっきあの子が鍵を渡したら、さっさとどこかへ行ったわよ。あの子は水を汲みに行ってる」
まあ意味はなかったけどね、と、汐は心の中でつぶやいた。
「渡しちゃったのか・・・。渡すしかない感じだったけど・・・いてて」
炭治郎は手刀を叩き込まれた場所をさすりながら言った。
「大丈夫?さっき当てられたところが痛むのね。ちょっと見せて」
汐は炭治郎の手をどかし、少し赤くなったその部分に先ほどの手ぬぐいを当てながら言った。
「それにしても、まさかあんたがああやって人を叩くなんてね。あたしが殴ってもよかったのに。あいつの言動には腹が立っていたしね」
しかし炭治郎は、そんな汐を見て静かに首を横に振った。
「いや、これでよかったよ。汐、言ったじゃないか。「むやみやたらに人を殴ったりはしない」って。叩くっていうのは、相手だけじゃなく、叩いた人も傷つけてしまうから。」
「え?」
「だから俺は、汐に人を殴ってほしくなかった。汐に傷ついて欲しくなかった。そう思ったら、なんでか体が勝手に動いて・・・」
炭治郎はそう言って汐から視線を逸らすように顔を向けた。それを聞いた汐は、顔に熱が籠るのを感じた。
「炭治郎・・・」
汐はそっと炭治郎の羽織の袖をつかみながら、微かに震える声で言った。
「あの、その・・・、ありがとう。あたしを止めてくれて。それとさっき、あたしがあいつに殴られたときにその、怒ってくれて、嬉しかった・・・わ」
汐は俯きながら言葉を紡ぎ、そっと顔を上げて炭治郎の顔を見た。
すると炭治郎は、何故か汐から目を逸らし、そっぽを向いていた。心なしか、その顔と耳が赤く染まっているように見える。
(あれ?)
その仕草に、汐は違和感を感じた。炭治郎ならいつも通り、にっこりと笑って「気にするな」と言いそうなものだったが、そうじゃなかったことに汐は戸惑いを覚えた。
「そ、そうか。よかったよ。汐が無事で・・・」
炭治郎は汐と目を合わせないまま、歯切れ悪く言葉を紡いだ。それを見た汐も、何だか妙な気持ちになってきたその時だった。
「あの・・・、何してるんですか?あんたら・・・」
背後から声が聞こえた瞬間。汐と炭治郎は悲鳴を上げて飛び上がり、汐は慌てて炭治郎から手を放すと、少年に向き合った。
「あ、あんた、いつ帰ってきたの?」
「ついさっきですけど・・・、っていうか、俺が水くみに行った意味あったんですか?その人起きてるし」
少年は呆れたようにそう言うと、水が入った水筒を静かに揺らした。
「まあそれはともかく、さっきはありがとうございました。見ず知らずの俺を庇ってくれて」
「気にしないで。まあ結果的には、あいつに鍵を持ってかれちゃったわけだし、あんまり役になってないわよ」
「俺も・・・」
三人はぺこぺこと頭を下げるが、炭治郎はふと思い出したように言った。
「それはそうと、結局鍵って言うのは何の鍵だったの?」
「絡繰人形です」
「「絡繰人形?」」
汐と炭治郎が同時に聞き返すと、少年はそのまま話し始めた。
この里には少年の先祖が作った、百八ものの動きができる絡繰人形があるという話だった。
しかもそれは、人間をはるかに凌駕する力があるため、戦闘訓練に用いられているそうだ。
「そうか。彼は訓練の為にそれを・・・」
「はい・・・。だけど、老朽化が進んで壊れそうなんです」
「それをちゃんと説明したのにあれなの?全く、柱ってのは人の話をまともに聞かない奴ばっかりね」
顔をしかめて言う汐に、炭治郎は汐も人のことを言えないんじゃないかと思ったが、それを口にして血祭りにあげられても困るので止めておいた。
その時だった。
遠くから金属がぶつかり合うような、激しい音が聞こえてきた。
「何?何の音?」
「さっきの人がもう・・・、こっちです!」
少年は汐と炭治郎を連れて茂みの中を移動し、その場所まで案内してくれた。
そこで見たものは、無一郎が目にもとまらぬ速さで刀を振る姿だった。
汐と炭治郎は目を見開き、思わず身を固くする。
だが、二人が釘付けになったのは彼だけではなかった。
「あれが・・・、俺の祖先が作った戦闘用絡繰人形――」
――縁壱零式です。
そこにあったのは、一人の男性の姿をした絡繰人形だった。
顔の半分は破損しているものの、しっかりした造りの胴体に、阿修羅像のような六本の腕。
そしてその耳には、炭治郎の物と酷似した耳飾りをつけていた。
「縁壱・・・零式・・・」
汐は絡繰人形の名を呟いたとき、奇妙な既視感を感じた。
(縁壱・・・、よりいち・・・?なんだろう・・・その名前、聞き覚えがあるような・・・)
「・・・よりいち・・・様・・・?」
その言葉を最後に、汐を強烈な眩暈と深い悲しみが襲うのだった。
おまけNGシーン
炭「汐はこれでも女の子なんだ!お腹を殴るなんて何を考えてるんだ!?」
汐「オイコラ待て!!これでもってなんだ!?お前は今まであたしの事を何だと思ってたんだァァ!!!」
無(うるさいなこいつら)
汐はどちらに値すると思いますか?
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漆黒の意思
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黄金の精神