汐は翌日まで、炭治郎と共に過ごした。柱稽古が始まってから、汐と炭治郎は数える程しか会話をしていない。
そのせいか、二人の会話は深夜まで続いた。
翌朝。目が覚めてしまった炭治郎は、汐のいる病室へ足を運んだ。
すると汐はもう起きており、炭治郎を見ると朗らかに笑った。
その時、炭治郎の鼻をあの果実のような匂いが掠めた。
(この匂いは・・・、やっぱり汐は、誰かに恋をして・・・)
「炭治郎?」
難しい顔をする炭治郎に、汐は怪訝そうな顔で尋ねた。すると炭治郎は、真剣な面持ちで汐の傍に座ると、視線を向けた。
「汐。お前に聞きたいことがあるんだ」
「え?何よ、改まって」
汐が首を捻っていると、炭治郎は一息ついた後口を開いた。
「お前、誰か好きな人がいるのか?」
炭治郎がそう尋ねた瞬間、あたりの空気が凍り付いた。
こめかみをひくつかせる汐に気づかないのか、炭治郎はつづけた。
「前からお前の匂いが気になっていたんだけれど、その正体がわかったんだ。もし、汐が本当に誰か好きな人がいるなら、応援してやりたいんだ。だから――」
しかし、炭治郎の言葉はそれ以上続けられることはなかった。その顔面に、汐の徹甲弾のような拳がめり込んだからだ。
骨が砕ける鈍い音と共に、炭治郎は鼻から真っ赤な放物線を放出しながら倒れこんだ。
流れ出た血が部屋中を染め、目の前は真っ赤な色に包まれた――。
――
「はっ・・・!?」
炭治郎ははっと目を開け、身体を起こした。目の前には汐がすやすやと眠っており、外からは雀の鳴き声が聞こえる。
慌てて鼻を触るが、怪我などはしていなかった。
(ゆ、夢だったのか・・・)
炭治郎は冷や汗をかきつつ、ほっと胸をなでおろした。そして同時に、自分の疑問は決して汐に尋ねてはいけないということを悟った。
「あれ?炭治郎、おはよう」
すると、目を覚ました汐が寝ぼけ眼をこすりながら起き上がった。
「あ、ああ。おはよう汐」
炭治郎は汐から目を逸らしながら、ぎこちなく挨拶をした。
「俺、どうやらお前と話し込んでいるうちにここで寝ちゃってたみたいだ。夜遅くまでごめんな」
「いや、それはいいんだけど・・・。どうしたのあんた?顔色悪いし、目もなんだか変よ?」
汐が怪訝そうな顔でそういうと、炭治郎は視線を泳がせながら言った。
「さ、さっき嫌な夢を見たせいかな。でも、汐が気にする事じゃないから大丈夫だ」
炭治郎はそう言ってぎこちなく笑うが、顔からは汗が出ているし大丈夫には見えなかった。
(炭治郎がこれだけ怯えてるってことは、相当嫌な夢を見たのね・・・。流石のあたしもどんな夢かなんて聞けないわ・・・)
汐は炭治郎の事を心配して、夢の内容を聞くことをやめた。その内容が、自分が炭治郎を血に染めているものであるなどとは露知らず。
* * * * *
しのぶから絞られた後、許可が出た汐は炭治郎と共に悲鳴嶼邸を目指していた。
「そう言えば、炭治郎は少しだけとはいえ訓練に参加していたのよね?どんな内容だったの?」
歩きながら唐突に尋ねると、炭治郎の表情が強張った。
何かを思い出したのか、"目"に動揺と困惑がちらついている。
「・・・、ひょっとして、とんでもない大きさの滝に打たれたり、大岩を押し動かしたり、それから岩が括り付けられた丸太を背負いながら、下から火であぶるとか、そういう奴?」
汐がそういうと、炭治郎は何故知っているんだと言わんばかりの表情でこちらを見た。
「前に所用で悲鳴嶼さんの家に行ったことがあって、その時に修行の一部を見せてもらったのよ。あの時は修行じゃなくて苦行だって思ったけれど、まさかそれに参加する日が来るなんて・・・」
汐もあの時の光景を思い出したのか、顔が引きつっていた。
「あ、でも。火であぶるのは危ないから、それはやらないって言ってたぞ」
「それ以外はやるんでしょ。全く、どいつもこいつもぶっ飛んだ連中ばっかりだわ・・・」
二人はそんなことを話しながら、ようやく悲鳴嶼邸についた。
だが、二人を待っていたのは仁王立ちしていた悲鳴嶼で、彼は炭治郎に訓練を始めるように言うと汐を一人別室に連れて行った。
「まったく、不死川と殴り合うなど、無茶をするのにも程がある」
「ごめんなさい」
悲鳴嶼は腕を組みながら、呆れた様子でそう言った。
「君は女性として慎みある行動をしてもらいたいと、以前に言ったはずなのだが・・・」
「それは、本当に悪かったと思ってるわ・・・」
「本当か?」
悲鳴嶼の静かな声に、汐は少し間を置いた後頷いた。
「あたしのせいでたくさんの人に迷惑をかけたのは本当だもの。もうあんな無茶はしないわ。きっと」
汐の言葉を聞いた後、悲鳴嶼は探るような視線をしばらく向けていたが、やがて大きなため息をついて言った。
「まあ、終わってしまった事を蒸し返しても仕方がない。本来なら然るべき処分が下るのだが、今の我々にはあまり時間がない。すぐに訓練を始めよう」
ついて来なさい、と悲鳴嶼は言うと、汐を修行場へ案内した。
連れてこられた場所に見覚えがあった。以前に見せられた、滝に打たれる修行の場所だ。
あの時は悲鳴嶼が一人で滝に打たれていたが、今は何人かの隊士達が、声を張り上げて念仏を唱えていた。
「君には以前に見せたと思うが、ここでは身体の中心を鍛える訓練を行う。だが、これらの事は全て強制ではない。君が辛く続けることができなくなったと感じたら、いつでもやめてもいい」
「ありがとう。でも、その心配は無用よ。あたし、逃げる事って大嫌いなの。まあ、時には逃げることも必要なんだろうけれど、今は逃げちゃいけないときだって分かっているから」
汐の迷いない言葉に、悲鳴嶼は驚いたように目を見張った。
「さて、修業を始めようか・・・ん?」
汐がそう言って服を脱ごうとしたとき、足元に何かが落ちているのが目に入った。よく見ればそれは、気を失った善逸だった。
「悲鳴嶼さーん!ここに善逸の死体があるんだけど、どうするの?」
汐が言うと、悲鳴嶼を含めたその場にいた全員がぎょっとして汐を見た。
「本当に死んでしまっているのか?」
「えーっと、あ、息してる。気絶しているみたい」
「なら、川につけなさい」
悲鳴嶼は数珠をかき鳴らしながら、静かにそう言った。
汐は足元に横たわる善逸の腕を掴むと、そのまま身体を回転させ近くの川に思い切り投げ込んだ。
「なんで投げるんだ――ッ!!」
その様子を見ていた他の隊士達が、思わず突っ込みの大声を上げた。
「ぎゃああああ!!つべでえええぶわわああ!!!」
善逸は世にも奇妙な叫び声を上げながら飛び上がり、凄まじい速さで汐に詰め寄ってきた。
「ひ、ひ、酷すぎるよ汐ちゃん!!俺ばっかり何でこんな扱いなの!?」
善逸は顔中からありとあらゆる汁を飛ばしながら叫ぶが、川があまりにも冷たかったのか、すぐさま汐から離れて岩に張り付いた。
「あったけぇ・・・、あったけぇよ・・・、うわああん!」
善逸は岩に縋りながら泣き叫び、それを見た汐はげんなりした表情でため息をついた。
「あ、そうだ、悲鳴嶼さん」
そんな中、汐はある事を思い出すと、悲鳴嶼の所へと足を進めた。
「今まで忘れてたけど、あたし、あんたに次に会ったらお願いしたいことがあったんだ」
「お願いしたいこと?」
「あ、訓練が終わった後でいいの。その・・・」
汐がそういうと、悲鳴嶼は怪訝そうな顔で首を傾げた。
「あー、ちょっと恥ずかしいから大きな声で言えないの。だからちょっと、耳を貸してくれる?」
「???」
悲鳴嶼は訳が分からないと言った表情をしながらも、汐に背丈を合わせるようにしゃがんだ。
汐は少し目を泳がせてから、おずおずと悲鳴嶼の耳にささやいた。
「・・・・」
汐汐から頼みごとを聞かされた悲鳴嶼は、困惑したように眉根を寄せた。
「そんなことでいいのか?」
「・・・うん」
汐は微かに頬を染めながら、うつむきがちに言った。
「それは構わないが・・・」
「ホントッ!?」
悲鳴嶼がそう言うと、汐はぱっと顔を輝かせて言った。
「やった!よーし、やってやるわよー!!」
汐はやる気に満ちた顔でそう叫ぶと、隊服の上着を脱ぎ、晒を巻いた上半身を露にしながら滝へと向かった。
「あ、汐・・・!」
そんな汐の姿を見つけた炭治郎が声を掛けるが、隊服を脱いだ汐の姿を見て固まった。
「あら炭治郎、おまたせ・・・」
名前を呼ばれて振り返った汐も、炭治郎を見て固まった。
隊服の上からでは分からなかったが、炭治郎の上半身にはしっかりと筋肉がついていて、胸板は傷跡があったものの、がっしりとしていた。
腕周りも汐より二回り以上も太く、とても逞しくなっていた。
その男らしい体つきに、汐は顔を真っ赤にして背を向けた。
一方、炭治郎も肌を晒した汐を直視できず、同じく顔を真っ赤にして背を向けた。心臓が物凄い速さで鼓動し、息が荒くなる。
汐は炭治郎から距離を取り、火照る身体を冷ますように水の中へと入っていった。
滝行は、汐は想像していたものよりもずっと苛酷だった。
鱗滝の下で修練を積んでいた時も滝に打たれたことはあったが、ここの滝は狭霧山の物よりもずっと高く、水圧も比ではなかった。
下手をすれば、首がぽっきりと折れてしまうような圧だった。
その中で隊士達は、必死に念仏を唱えながら耐え続けるのだ。
念仏を唱えるのは悲鳴嶼曰く、集中する為と意識がある事を伝えるためだということだ。
汐は耳が痛くなるような水音の中を、歯を食いしばりながら滝の中へ進む。
汐の隣には伊之助がいて、被り物のまま念仏を唱えていた。
あまりに集中しているせいか、汐が隣にいる事にすら気づいていない様だ。
汐は意識を飛ばさないように必死で耐えながら、口を開いた。
「
汐のよく通る声は、滝の轟音にもかき消されることなく遠くへ響いていく。
「
すると汐の声に意識が引き戻されたのか、周りの隊士達が声を張り上げだした。
隣にいた伊之助も、汐の声を聞いて必死で口を動かした。
その声は、離れていた炭治郎にも届いていた。炭治郎も、凄まじい水圧の中を声が枯れる勢いで念仏を唱え続けた。
だがその数分後。
隣にいた伊之助から声が全く聞こえなくなり、不審に思った汐は必死で顔を動かした。
すると、伊之助は指先と首のあたりが真っ青に染まっていた。
「伊之助が死んでるぅううう!!誰かァアアア!!」
汐が声を張り上げると、先に滝を出ていた隊士達が伊之助を引きずっていった。
それから数分後。
「さ・・・さむい・・・、ううん、もう身体の感覚がなくなりかけてるわ・・・。久しぶりに水に入ると、意外ときついものね・・・」
汐は全身を陶器のように白くしながら、滝から上がり皆と同じように岩に肌を寄せた。
日光が当たった岩は、まるで湯たんぽのように汐の身体を温める。
「よ、よお。お前もここに居たんだな・・・」
何処からか声がして顔を向ければ、そこにはどこかで見覚えのある顔があった。
「あ、あんたは確か・・・。村・・・」
「村田だよ・・・、いい加減い覚えろよ」
「いやあたし・・・、村田って言おうとした・・・わよ?あたしどんだけ・・・馬鹿に思われてるの?」
あまりの事に汐は叫びそうになるが、身体が冷え切り疲労も蓄積していたため、小さい声しか出なかった。
「あ、汐・・・」
その向こう側には、同じく歯をガチガチならしながら岩にへばりつく、炭治郎の姿があった。
「まあ、それはともかく・・・、お前もすげぇな・・・」
「な、何がよ・・・?」
「お前も炭治郎も猪も、すげぇよ。俺なんて、初日滝修行できるようになるの夕方だったぜ。なかなか水に慣れなくて・・・」
村田は歯をガチガチ言わせながら、震える声でそう言った。
「滝に打たれるだけなのに、本当にきついですね・・・。高い位置から落ちてくる水が、あんなに重いなんて・・・」
「本当よ。下手したら首が折れるもの・・・」
炭治郎と汐は、変な笑い声を上げながら岩に頬を寄せた。
「取りあえず、一刻滝に打たれ続けられるようになったから、俺はこれから丸太の訓練だ・・・」
「す、すごいですね村田さん・・・」
「と、十日いるからな・・・」
「それは、ご愁傷様・・・」
三人は動けるようになるまで岩に張り付き、落ち着いたころに村田は次の訓練へと向かった。
その後、汐と炭治郎はまたしばらく滝に打たれた後、昼餉の時間を迎えた。
といっても食事は米以外は自分で調達せねばならず、炭治郎と伊之助は川魚を何匹か獲り、焼き魚にしようとした。
汐はヤマメを三枚に綺麗に下ろすと、悲鳴嶼から塩と容器を借りて塩水に漬け込んだ。
皆が何をしているのかと寄ってくると、汐は歯切れのいい声で言った。
「ヤマメの干物を作るのよ。普通に焼いてもおいしいけれど、干した魚を焼いて食べると絶品よ。まあ、作るのに時間がかかるから、食べられるのは明日になるわね」
汐はそう言って容器に蓋をしながら言った。
「半刻程浸けたら、風通しの良い場所に干しておくの。あ、言っておくけどそこの馬鹿猪!!絶対に触るんじゃないわよ!もしも勝手に食べたりなんかしたら、同じことを全部あんたにやらせるからね!」
「わーったよ!うっせぇな!!」
伊之助は悪態をつきながら、炭治郎と共に火おこしを行い魚を焼き始めた。
川辺に若者たちの笑い声が響き、それを木の陰から見ていた悲鳴嶼は、口元に笑みを浮かべた。
* * * * *
同時刻。
どこかにある産屋敷邸では、緊迫した空気が流れていた。
「御足労頂き、誠にありがとうございます」
そう言って深々と頭を下げるのは、産屋敷輝哉の妻、あまね。
その前には元・音柱の宇髄が、静かに据わっていた。
「こちらこそ、ご報告が遅れてしまい申し訳ございません」
宇髄はそう言って頭を下げると、あまねの前に一冊の文献を差し出した。
「こちらが元・海柱、大海原玄海の居住していた場所から見つかったものです。そして、大海原家とワダツミの子の関連性が判明いたしました」
宇髄はいったん言葉を切ると、重々しく口を開いた。
「大海原家とは、代々ワダツミの子を監視し、あわよくば抹殺するために存在した、初代ワダツミの子の子孫からなる一族でした・・・」
宇髄の言葉に、あまねは微かに身体を震わせたのだった。
この作品の肝はなんだとおもいますか?
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オリジナル戦闘
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炭治郎との仲(物理含む)
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仲間達との絆(物理含む)
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(下ネタを含む)寒いギャグ
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汐のツッコミ(という名の暴言)